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駆逐艦サーチライト部隊みたいなのがなかったのが痛いね。敵艦船の倍の、たくさんの駆逐艦から浴びせれば、集中砲火浴びないんじゃない? 比叡も霧島も的になって、無駄死にしちゃったんだよな・・・
それも一長一短で、探照灯照射=自艦の位置を教える、ということになるので、海軍としては照射目標が最優先破壊目標とか示す意味で旗艦が照射する場合が多いです。駆逐艦や軽巡でも、ここに敵がいるぞー!俺に構わず叩き潰せ!という意味で前に出ていた艦が照射したりする場合も多いです。勿論集中砲火を浴びますが。特に戦艦の場合は一番頑丈にできているので駆逐艦なら致命傷の攻撃も戦艦ならかすり傷、なんてこともあるので…外国では採用していないので察せるように、一長一短なんです。
艦隊決戦では意外に有効な三式弾
●作者様、今後のルンガ沖夜戦の動画解説で出てくる日本の駆逐艦による自称「ネズミ輸送」ですが、日本軍は、ルンガ沖夜戦の頃から工夫を加えて、ドラム缶を洗浄してから使用していたと解説しておくと良いと思いました。輸送作戦では、短時間で確実に食料を日本軍陸上部隊に供給するために、洗浄したドラム缶に糧食を半分だけ詰めて密封し、ロープで5から10本ずつ数珠つなぎにしてガダルカナル沿岸で、海上に向けて投入する予定だった。ロープの端を海岸の日本軍陸上部隊に渡し、ドラム缶を手繰り寄せて揚陸させる方法を新規に開発した。 そのため、警戒隊の駆逐艦(《長波、高波》)を除いた、残りの駆逐艦6隻の次発装填用の予備魚雷を陸揚げし、その空いたスペースも含めて各艦200 から 240個のドラム缶を積載していた。ようするに、魚雷は持ってきているが、予備用の魚雷は下ろしていたようです。なので、日本軍は平常時の魚雷搭載数が、ルンガ沖夜戦の時は、食糧輸送のために魚雷が数割減になっていたのではないかと思います。予備魚雷は戦果拡大に使用できるし、相手が多い場合は非常に重要でした。
日本軍の峯風型駆逐艦(みねかぜがたくちくかん)だと、予備の魚雷を6本つむことが可能だったようです。峯風型駆逐艦だと、予備魚雷は艦橋両側のブルワーク内に各2本、2番煙突左側の格納筺に2本の計6本だった。駆逐艦の種類によっては、予備魚雷が4本の場合もあるようです。
なるほど!参考にさせていただきます。
新型防空駆逐艦「秋月」の沈没については、複数の説があります。昭和19年10月25日の比島沖海戦においては小沢艦隊の一艦として秋月は参加した。米潜「ハリバット」からの魚雷から「瑞鶴」を護るため、自らがその矢面に立って犠牲になったとか、味方の高射砲弾の破片が秋月の予備魚雷に命中して誘爆したなどである。この戦闘で機関長以下150名が戦死した。秋月沈没の謎について、アメリカ軍は潜水艦ハリバットが秋月を撃沈したと主張している。このため、一部文献では「秋月」沈没をハリバットの雷撃とする]。空母瑞鳳に命中するはずだった魚雷の盾になって秋月は爆沈したという美談もある。瑞鳳掩護説は吉田俊雄(作家、海軍少佐)が瑞鳳乗組員の目撃談として紹介している。しかし、秋月の緒方艦長は「敵機を見ていない。後ろから2機が来ていたというが、機銃掃射だけで爆弾は落としていない」と証言した。一方で、秋月の艦尾をかすめた魚雷も複数生存者に目撃されており、河原崎(水雷長)は「潜水艦からの発射」と推定している。神前(砲術科)は、雷撃機が魚雷を投下した直後、この機は撃墜され、魚雷も外れたと証言している]。またハリバットの記録によると、秋月沈没時刻には魚雷を発射していない。河原崎は他生存者の目撃談を集める必要があると述べているが、おおむね秋月がアメリカ軍機から投下された爆弾命中と自艦魚雷誘爆により沈没したことに差異はなく、秋月生存者や遺族会「秋月会」では沈没要因を「爆弾命中」と決定している。これに対し緒方は酸素魚雷の誘爆を沈没要因としつつも、「敵機の爆弾・敵潜水艦の魚雷のいずれも命中はしておらず、輪形陣の反対側で対空射撃をしていた味方艦の砲弾弾片が、多数艦(秋月)に降り注いでいた」と証言した。その中に防御の薄い次発装填装置内の予備魚雷に命中したものがあって酸素魚雷が爆発したのではないかと推測している。
@@yugureyamanaka2730 艦長達の大平洋戦争で沈没時の艦長だった方が推測してましたけど、後方から爆発音が聞こえたのて見てみると、発射管辺りに大穴が開いており外板一枚で繋がってる状態だったそうで、穴の中はドス黒い海水で満たされてたそうで「味方の高角砲等々の断片が降り注いでいた中なので、おそらく断片が保護されてない予備魚雷に命中したのだろう」と書いてありました。
@@紅のプー太郎 さん、予備魚雷を、ルンガ沖夜戦の時に降ろしたのは、輸送任務の駆逐艦だけです。警戒任務の(長波、高波》は、食料用のドラム缶は積んでいないので予備魚雷は搭載していました。紅のプー太郎さん、回答内容はルンガ沖夜戦に限定になるでしょうか?
今回の第三次ソロモン海戦の第1夜戦では、駆逐艦「夕立」の活躍と戦艦比叡の激闘と不幸な部部分が理解出来ました。駆逐艦「夕立」の動きの解説図も効果的でした。
ありがとうございます!次回も頑張って作るので、応援よろしくお願いします。
元が巡洋戦艦で老朽化した第一次大戦時代の203mm装甲なら近距離から米203mm55口径SHS152kg撤甲弾なら貫通出来そうな感じするが
第三次ソロモン海戦の 第1夜戦に、アメリカの戦艦が間に合わなかったので、日本軍も、第2夜戦で米戦艦が2隻も出てきたのは想定外だったかもしれません。 おっしゃるとうりに、金剛型の装甲には問題がありますね。アメリカ軍の戦艦の速度についても、日本軍が、正確につかんでいたかは怪しいと思います。旧式のペンシルベニア型が、21ノットくらいだったので、戦艦ワシントンで、27ノット出るとは知らなかった時期もあったのではないかと思います。
本来ならイギリス巡洋戦艦フッドみたいに霧島がワンパン轟沈してもおかしくなかった筈だが
@@tif9590 さん、戦艦「霧島」の場合は夜戦であり、アメリカ戦艦「ワシントン」も、夜戦であるので、相手にしている日本の戦艦の大きさも正確には把握していなかったと思います。おっしゃるように、昼間なら轟沈もありえたと思います。戦艦を何度も撃沈された米国や英国に比べて、日本は、戦艦を撃沈されて消極的になりました。英国は、戦艦ビスマルクに轟沈させられた巡洋戦艦「フッド」を見て、レナウン (巡洋戦艦)に対して、不利な戦いでは戦艦に砲撃戦を挑むなと忠告を出しています。日本は、戦艦の運用の仕方については、下手な部分もあったと思います。
昔、指導を受けた漢文の先生がこの時比叡に乗艦していて、沈没してから救助されるまで6時間漂流したと話してました。
それは中々のご縁ですね。ちなみに、私の父のかかりつけ医が戦艦長門の軍医で乗船しており、流石と言うか非常に男気のある海の男と言う感じのドクターでした。
祖父が霧島に乗っておりました・・・
この後、西田艦長は、阿部中将と同時に予備役に編入されました。
大東亜戦争の海戦で撃沈された日本の戦艦の艦長で戦争を生き延びた西田艦長はかなり珍しい。戦艦大和、武蔵、金剛、扶桑、山城の艦長は皆戦死されてますし。戦艦霧島の岩淵艦長は沈没時に退艦したがその後フィリピンの陸戦隊指揮官に左遷されてマニラ市街戦で戦死。内地で大破着底した伊勢、日向、事故で爆沈した陸奥の艦長も戦死及び殉死。長門も空襲を受けて中破したとき艦長が戦死された。
大惨事ソロモン海戦と言われるだけはある夜間の乱戦。
大和武蔵が活躍できなかったのがもったいないです。結果論にはなりますが …空母よりも戦艦の大艦主砲主義が拭えなかっただろうけれども。 今だから言えますがね😅
下記に同じ、サメに食べられないように必死で泳いでたらしい。海軍も大変なのだ、まぁ、その後呉の潜水学校入って爆雷攻撃で戦死しているけど⁉️
君点数良かったじゃん!!総体に関しては勝ってたじゃん!動画の内容に関しては歴史知らなすぎてわかんないけど。(概要に対するコメントです)
そうですか、インターネット上の人物の点数を見れるとは、貴方凄いですね、
@@ゆっくり戦争資料館 あなたは現実の人ですからね。点数もなんか言ってましたからね。
山本じゃダメだよ
夕立君…ffされて応射したくなる気持ちは分かるがそれやるともっと撃たれちゃうよ
大和がアメリカ駆逐艦1隻沈没?軽空母ガンビアベイの間違いじゃね?46センチ砲弾が当たって、真っ二つの轟沈だったよ。
ガンビアベイを撃沈したのは戦艦金剛では?大和の主砲は命中したかもしれないが貫通して大穴を開けただけの可能性が高いらしい。
@@ライヘナウヘルマン 私が調べた文献ではは大和でしたが、何かしら文献資料がありましたら、教えてください。
一応戦史上は「大和」の主砲による撃沈となっていますが「金剛」の乗組員の証言によると36サンチ砲弾でも爆発せず穴を空けただけで副砲で仕留めたとの事です。手柄を持っていかれて不満の様でしたね。元の資料は「四本の火柱」という書籍です。
へ~日本人て昔上手くいったことをもう一度やりたくなるの?何をどう注意すべきか教えてください。ところで君は何人?
ゆっくり解説は、何を言っているのか、判らない、聞きにくい、音声…もっと判りやすい音声に…
駆逐艦サーチライト部隊みたいなのがなかったのが痛いね。敵艦船の倍の、たくさんの駆逐艦から浴びせれば、集中砲火浴びないんじゃない? 比叡も霧島も的になって、無駄死にしちゃったんだよな・・・
それも一長一短で、探照灯照射=自艦の位置を教える、ということになるので、海軍としては照射目標が最優先破壊目標とか示す意味で旗艦が照射する場合が多いです。駆逐艦や軽巡でも、ここに敵がいるぞー!俺に構わず叩き潰せ!という意味で前に出ていた艦が照射したりする場合も多いです。勿論集中砲火を浴びますが。特に戦艦の場合は一番頑丈にできているので駆逐艦なら致命傷の攻撃も戦艦ならかすり傷、なんてこともあるので…外国では採用していないので察せるように、一長一短なんです。
艦隊決戦では意外に有効な三式弾
●作者様、今後のルンガ沖夜戦の動画解説で出てくる日本の駆逐艦による自称「ネズミ輸送」ですが、日本軍は、ルンガ沖夜戦の頃から工夫を加えて、ドラム缶を洗浄してから使用していたと解説しておくと良いと思いました。輸送作戦では、短時間で確実に食料を日本軍陸上部隊に供給するために、洗浄したドラム缶に糧食を半分だけ詰めて密封し、ロープで5から10本ずつ数珠つなぎにしてガダルカナル沿岸で、海上に向けて投入する予定だった。ロープの端を海岸の日本軍陸上部隊に渡し、ドラム缶を手繰り寄せて揚陸させる方法を新規に開発した。 そのため、警戒隊の駆逐艦(《長波、高波》)を除いた、残りの駆逐艦6隻の次発装填用の予備魚雷を陸揚げし、その空いたスペースも含めて各艦200 から 240個のドラム缶を積載していた。ようするに、魚雷は持ってきているが、予備用の魚雷は下ろしていたようです。
なので、日本軍は平常時の魚雷搭載数が、ルンガ沖夜戦の時は、食糧輸送のために魚雷が数割減になっていたのではないかと思います。予備魚雷は戦果拡大に使用できるし、相手が多い場合は非常に重要でした。
日本軍の峯風型駆逐艦(みねかぜがたくちくかん)だと、予備の魚雷を6本つむことが可能だったようです。峯風型駆逐艦だと、予備魚雷は艦橋両側のブルワーク内に各2本、2番煙突左側の格納筺に2本の計6本だった。駆逐艦の種類によっては、予備魚雷が4本の場合もあるようです。
なるほど!
参考にさせていただきます。
新型防空駆逐艦「秋月」の沈没については、複数の説があります。昭和19年10月25日の比島沖海戦においては小沢艦隊の一艦として秋月は参加した。米潜「ハリバット」からの魚雷から「瑞鶴」を護るため、自らがその矢面に立って犠牲になったとか、味方の高射砲弾の破片が秋月の予備魚雷に命中して誘爆したなどである。この戦闘で機関長以下150名が戦死した。秋月沈没の謎について、アメリカ軍は潜水艦ハリバットが秋月を撃沈したと主張している。このため、一部文献では「秋月」沈没をハリバットの雷撃とする]。空母瑞鳳に命中するはずだった魚雷の盾になって秋月は爆沈したという美談もある。瑞鳳掩護説は吉田俊雄(作家、海軍少佐)が瑞鳳乗組員の目撃談として紹介している。
しかし、秋月の緒方艦長は「敵機を見ていない。後ろから2機が来ていたというが、機銃掃射だけで爆弾は落としていない」と証言した。一方で、秋月の艦尾をかすめた魚雷も複数生存者に目撃されており、河原崎(水雷長)は「潜水艦からの発射」と推定している。神前(砲術科)は、雷撃機が魚雷を投下した直後、この機は撃墜され、魚雷も外れたと証言している]。またハリバットの記録によると、秋月沈没時刻には魚雷を発射していない。河原崎は他生存者の目撃談を集める必要があると述べているが、おおむね秋月がアメリカ軍機から投下された爆弾命中と自艦魚雷誘爆により沈没したことに差異はなく、秋月生存者や遺族会「秋月会」では沈没要因を「爆弾命中」と決定している。これに対し緒方は酸素魚雷の誘爆を沈没要因としつつも、「敵機の爆弾・敵潜水艦の魚雷のいずれも命中はしておらず、輪形陣の反対側で対空射撃をしていた味方艦の砲弾弾片が、多数艦(秋月)に降り注いでいた」と証言した。その中に防御の薄い次発装填装置内の予備魚雷に命中したものがあって酸素魚雷が爆発したのではないかと推測している。
@@yugureyamanaka2730 艦長達の大平洋戦争で沈没時の艦長だった方が推測してましたけど、後方から爆発音が聞こえたのて見てみると、発射管辺りに大穴が開いており外板一枚で繋がってる状態だったそうで、穴の中はドス黒い海水で満たされてたそうで「味方の高角砲等々の断片が降り注いでいた中なので、おそらく断片が保護されてない予備魚雷に命中したのだろう」と書いてありました。
@@紅のプー太郎 さん、予備魚雷を、ルンガ沖夜戦の時に降ろしたのは、輸送任務の駆逐艦だけです。
警戒任務の(長波、高波》は、食料用のドラム缶は積んでいないので予備魚雷は搭載していました。
紅のプー太郎さん、回答内容はルンガ沖夜戦に限定になるでしょうか?
今回の第三次ソロモン海戦の第1夜戦では、駆逐艦「夕立」の活躍と戦艦比叡の激闘と不幸な部部分が理解出来ました。駆逐艦「夕立」の動きの解説図も効果的でした。
ありがとうございます!
次回も頑張って作るので、
応援よろしくお願いします。
元が巡洋戦艦で老朽化した第一次大戦時代の203mm装甲なら
近距離から米203mm55口径SHS152kg撤甲弾なら貫通出来そうな感じするが
第三次ソロモン海戦の 第1夜戦に、アメリカの戦艦が間に合わなかったので、日本軍も、第2夜戦で米戦艦が2隻も出てきたのは想定外だったかもしれません。 おっしゃるとうりに、金剛型の装甲には問題がありますね。アメリカ軍の戦艦の速度についても、日本軍が、正確につかんでいたかは怪しいと思います。旧式のペンシルベニア型が、21ノットくらいだったので、戦艦ワシントンで、27ノット出るとは知らなかった時期もあったのではないかと思います。
本来ならイギリス巡洋戦艦フッドみたいに霧島がワンパン轟沈してもおかしくなかった筈だが
@@tif9590 さん、戦艦「霧島」の場合は夜戦であり、アメリカ戦艦「ワシントン」も、夜戦であるので、相手にしている日本の戦艦の大きさも正確には把握していなかったと思います。おっしゃるように、昼間なら轟沈もありえたと思います。
戦艦を何度も撃沈された米国や英国に比べて、日本は、戦艦を撃沈されて消極的になりました。
英国は、戦艦ビスマルクに轟沈させられた巡洋戦艦「フッド」を見て、レナウン (巡洋戦艦)に対して、不利な戦いでは戦艦に砲撃戦を挑むなと忠告を出しています。日本は、戦艦の運用の仕方については、下手な部分もあったと思います。
昔、指導を受けた漢文の先生がこの時比叡に乗艦していて、沈没してから救助されるまで6時間漂流したと話してました。
それは中々のご縁ですね。ちなみに、私の父のかかりつけ医が戦艦長門の軍医で乗船しており、流石と言うか非常に男気のある海の男と言う感じのドクターでした。
祖父が霧島に乗っておりました・・・
この後、西田艦長は、阿部中将と同時に予備役に編入されました。
大東亜戦争の海戦で撃沈された日本の戦艦の艦長で戦争を生き延びた西田艦長はかなり珍しい。
戦艦大和、武蔵、金剛、扶桑、山城の艦長は皆戦死されてますし。
戦艦霧島の岩淵艦長は沈没時に退艦したがその後フィリピンの陸戦隊指揮官に左遷されてマニラ市街戦で戦死。
内地で大破着底した伊勢、日向、事故で爆沈した陸奥の艦長も戦死及び殉死。長門も空襲を受けて中破したとき艦長が戦死された。
大惨事ソロモン海戦と言われるだけはある夜間の乱戦。
大和武蔵が活躍できなかったのがもったいないです。結果論にはなりますが …空母よりも戦艦の大艦主砲主義が拭えなかっただろうけれども。 今だから言えますがね😅
下記に同じ、サメに食べられないように必死で泳いでたらしい。海軍も大変なのだ、まぁ、その後呉の潜水学校入って爆雷攻撃で戦死しているけど⁉️
君点数良かったじゃん!!
総体に関しては勝ってたじゃん!
動画の内容に関しては歴史知らなすぎてわかんないけど。(概要に対するコメントです)
そうですか、インターネット上の人物の点数を見れるとは、
貴方凄いですね、
@@ゆっくり戦争資料館 あなたは現実の人ですからね。点数もなんか言ってましたからね。
山本じゃダメだよ
夕立君…ffされて応射したくなる気持ちは分かるがそれやるともっと撃たれちゃうよ
大和がアメリカ駆逐艦1隻沈没?
軽空母ガンビアベイの間違いじゃね?46センチ砲弾が当たって、真っ二つの轟沈だったよ。
ガンビアベイを撃沈したのは戦艦金剛では?
大和の主砲は命中したかもしれないが貫通して大穴を開けただけの可能性が高いらしい。
@@ライヘナウヘルマン 私が調べた文献ではは大和でしたが、何かしら文献資料がありましたら、教えてください。
一応戦史上は「大和」の主砲による撃沈となっていますが「金剛」の乗組員の証言によると36サンチ砲弾でも爆発せず穴を空けただけで副砲で仕留めたとの事です。
手柄を持っていかれて不満の様でしたね。
元の資料は「四本の火柱」という書籍です。
へ~日本人て昔上手くいったことをもう一度やりたくなるの?
何をどう注意すべきか教えてください。
ところで君は何人?
ゆっくり解説は、何を言っているのか、判らない、聞きにくい、音声…もっと判りやすい音声に…