[1997] Tchaikovsky : Solemn Overture “The Year 1812”
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- เผยแพร่เมื่อ 6 ม.ค. 2025
- Большой Симфонический Оркестр имени П.И.Чайковского
Дирижер : Владимир Федосеев
Grand Symphony Orchestra named after P.I.Tchaikovsky
Conductor : Vladimir Fedoseyev
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チャイコフスキーが「1812年」という人を勇気づけるアジテーション(扇動)音楽を、注文を受けてでさえ作曲できるという才能と技術もすごいと思います。そして言わずもがならフェドセーエフとモスクワ放送交響楽団が、それを生きた物(音楽)として凄まじい表現力で私たちの前に顕にさせることも。
戦争(の勝利)の部分を極大化して感情を鼓舞することは、人が前に進むために、「生きなけねばならない」という前提においては正しいのでしょう。
かく云うわたくしもこの演奏に鼓舞されます。
そして、人が行うことは玉石混在であること、そこに悩み苦しむものでもあると思います。けれども、人が玉石混在であることを真実の一片として、勇気をもって、そして正確に伝えようとする、それが実際に顕になっていると思えるのがチャイコフスキーの最後のシンフォニーであり、フェドセーエフとモスクワ放送交響楽団の演奏ではないかと、わたしは思います。
ただ美しい綺麗ごとだけが描かれていたとすれば(そこに真実がないのなら)、人々はチャイコフスキーの音楽を、それを顕にするフェドセーエフとモスクワ放送交響楽団の演奏を、これほどまでに愛することはないのだろうと私は思います。
最後の鐘の鳴らし方がたまらん。たしかムソルグスキーの展覧会とのカップリングだったポニー・キャニオン盤でも、フェドセーエフ/モスクワ放送響は同様の表現をしていて、初めて聴いた時は鳥肌立つほど感動したのを覚えてます。
Благодарю!
97年の6番の演奏をあげて下さってた動画の中に、カリヨンが見えてたので…1812期待してました…‼︎
フェドセーエフさんの熱い指揮も
バタショフさんのバストロもかっこよくて何度も視聴してしまいます。弦も美しいですね…
打楽器も観てて聴いてて楽しくなってきます。
お気に入りの演奏がまた増えました。ありがとうございます‼︎
チャイコフスキーが「1812年」という人を勇気づけるアジテーション(扇動)音楽を、注文を受けてでさえ作曲できるという才能と技術もすごいと思います。そして言わずもがなフェドセーエフとモスクワ放送交響楽団が、それを生きた物(音楽)として凄まじい表現力で私たちの前に顕にさせることも。
戦争(の勝利)の部分を極大化して感情を鼓舞することは、否が応もなく戦争が生むあまりの悲惨さから、それでも「生きよ」「生きなけねばならない」という前提においては正しいのでしょう。
かく云うわたくしもこの演奏に鼓舞されます。
絶対安全圏にいる者が言葉で「戦争は良くない」というより、渦中に居ながら「生きなければならない」ということの方が難く、それを誰が責められるでしょうか。
そして、人が行うことはやはり玉石混在であること、そこに悩み苦しむものでもあると思います。けれども、人が玉石混在であることさえ真実の一片として、勇気をもって、そして正確に伝えようとする、それが実際に顕になっていると思えるのがチャイコフスキーの最後のシンフォニーであり、フェドセーエフとモスクワ放送交響楽団の演奏ではないかと、わたしは思います。
ただ美しい綺麗ごとだけが描かれていたとすれば(そこに真実がないのなら)、人々はチャイコフスキーの音楽を、それを顕にするフェドセーエフとモスクワ放送交響楽団の演奏を、これほどまでに愛することはないのだろうと私は思います。
あえていまこの曲をアップロードして、それにこの言葉を添えられたことに感銘を受けました。ありがとうございます。
I was looking for this video many years… that’s a masterpiece in epic proportions
Bravo
マエストロ・フェドセーエフとモスクワ放送交響楽団は、この2年後の1999年の来日公演でも、この「1812年」をプログラムに入れていました。わたしは、とある方の好意で7月3日、滋賀びわこホールでのゲネプロを見学させて頂くことができました。
ちなみに「マエストロ・フェドセーエフ」というこの呼び方。
1995年頃、モスクワ音楽院大ホールでの、とある定期演奏会後のことです。ホールの楽屋口から、当時のコンサートマスターであるシェスタコーフさん、オーケストラのマネージャー、フェドセーエフ夫妻が連れ立って自宅へ歩いて向かわれていました。この時、その後ろ姿に向かって「ありがとうマエストロ!」と、(この時の演奏があまりにも素晴らしかったこともあって)わたしが思わず叫んでしまったのですが、その声に皆さん振り返えられました。すると、オケマネの方が「その呼び方いいね!」と返してくださいました。ロシアでは、敬称としてファーストネームと、父称であるミドルネームを続けて呼ぶのが普通ですが、それ以来、わたしは敬愛の意味を込めてこう呼ぶことが多くなりました。
ところで、このゲネプロでのエピソードがいくつかあります。
「1812年」ではクライマックスで鐘を鳴らします。例えばカラヤン盤だと西ヨーロッパの教会風に(聞こえる)幾つかの鐘を鳴らしますが、マエストロ・フェドセーエフは、ここでロシア式の鐘をメロディをつけて鳴らします。これはロシア正教会の鐘が、それぞれに音程を持っていて、聖体礼儀(カトリックのミサに相当)や、祭事ごとに『演奏する』ことを模してのことです。(侵略してきたフランス・ナポレオン軍に対し、モスクワの街を燃やし、自らの身を切ることで撃退するという、苦渋の決断によるモスクワ解放でしたから、焼け残ったモスクワ中の教会が鳴らしたことでしょう。ちなみに、モスクワの街を燃やすという、苦渋の決断に悩んだクトゥーゾフ将軍の心境を歌ったのが、チャイコフスキーのカンタータ『モスクワ』でのソプラノのアリオーソ「主よ私に?」です)。
さて、このロシアの鐘を「演奏する」ですが、ロシアのレーベル『メロディア』からCDも出ていたほどで、またロシア国内では各地の教会の鐘の「演奏家」が、腕を競うコンテストまであります。それはもう、一つの音楽文化とさえ言えるでしょう。
それほどロシアにとっては、鐘を「演奏する」のは当たり前の事ですが、1999年7月3日のゲネプロ、最後のクライマックスでこの鐘の音。大音量過ぎました。客席にいると、オーケストラの音がかき消されるほどにです(90年代のモスクワ放送響の大音量をかき消してしまうほどの、それはもうすごい音でした)。
ただ、ステージ上では、それほどでもなかったらしく、気にしていないマエストロに向かって、奥様オリガさんが客席から「オーケストラの音が聞こえない」と。
同じく客席にいた副指揮者のバルチュナスさん(元打楽器奏者で97年の来日公演ではティンパニを叩いていました)も、首を横に振っています。
そこで、もう一度やってみようということになり、最後の箇所に差し掛かると、マエストロ自らが、すたすたと客席に降りてきて聴いていました。
そして、打楽器奏者に、
「本番では音を抑えるように」と言ってゲネプロを終えました。
(ところが本番、クライマックスでノリに乗った打楽器奏者は、ゲネプロでの指摘などお構いなく、それはもう大音量でやっちゃいました…..客席にいたオリガさんとバルチュナスさん、「ダメだこりゃ」という風に首を横に振っていたのが印象的でした。)
この他にもゲネプロで、ちょっと笑ってしまったことがありました。
オケメンからマエストロに、
「指揮棒がよく見えない」とコメントが入ったらしく、なんと指揮棒の先の方に赤色のビニールテープを巻いていました。
スヴェトラーノフの指揮台上の赤い扇風機は有名でしたが、赤いテープというのもなかなかのものです。
ただ、この頃のマエストロは、ご自身でもインタビューに答えていましたが、「フレーズごとに指揮棒を持ったり、指揮棒を置いて、手だけで指揮したり、これはもう無意識にしているんですよ」ということで、置いてたらそもそも意味ないんではと、そう思うと、なお笑えてしまいました。
この時のゲネプロで、面白かったことは他にもありました。この日のプログラムには「展覧会の絵」もプログラムに入っていましたが、この日(というかこの来日公演を通して「展覧会の絵」で)1番のトランペットを吹くのはモーロストフさんでした。とってもひょうきんで、伊達男で、人懐っこく、そしてとってもいい人で、わたしは大好きなのですが、「俺、ほんとヤなんだよ、展覧会….」と。ても、このお話しは、終演後の「飲み」にもつづき、長くなってしまうので、また別の機会に。
ちなみに、1999年の来日公演は、トランペット首席奏者にファミーン氏を迎えた後の来日公演で、それはもう分厚くも、素晴らしい音を聴かせてくれたことも印象的で、翌日のザ・シンフォニーホール大阪公演、チャイコフスキーの5番で、こんなにも朗々としたトランペットを聞いたのは生まれて初めての事でした。(モスクワでは彼の就任直後の演奏会で、会場に名前をアナウンスされたほど素晴らしい奏者です)。
大砲を大太鼓を横に水平にして、上からぶっ叩くのがいい😊