ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
単純に名曲がゆえに演ろうとしていた楽団が、『不謹慎だ』と批難されることを懸念して演奏を取り止めざるを得ないような雰囲気を雰囲気がいちばんヤバい気がする。
車田さんのお話に強く共感しました。演奏家たちや数々の素晴らしい作品が政治情勢に振り回されない世に戻ることを心から願います。お話の後半、バックに流れる晩祷が心に染みて涙が出ました。
😊😊😊
演奏中止はとても危険な兆候であり怖いです。メディアは物事を単純化してある意図をもって発信し、大衆は物事を深く考えず鵜呑みにしてしまう。その結果ミスリードされ開戦や戦争の深みにはまってしまう危険があるように思えます。貴重な発信ありがとうございました。とても勉強になりました。
先生の解説を聴いて涙。確かにそういう理由なら私の大好きな1812年はこれからも演奏され、国や時代を超えて演奏され続けますよね。でないとおかしいよ、こんな名曲忘れてはならないから。
指揮者ソヒエフ氏がポストを辞任したり、ロシア人音楽家が公演キャンセルをしたり、自らの意思にしろ、周囲の圧力的な雰囲気にしろ、文化人が巻き込まれてしまっている現状はとても悲しいです。わたしはロシア・ソ連の「音楽」が大好きです。極寒の地で寒さの悲哀を歌い、少ない春夏のつかの間の暖かさを謳歌するあの旋律美に魅了されます。ショスタコーヴィチらも政治に翻弄されながらも自らの思いを見えるところ見えないところにちりばめつつ「音楽」に込めていたのなんて、とても感銘を受けます。ネイガウスら演奏家も純粋にすばらしい「音楽」を残してくれていて、よく聴きます。日本では2日のFMラジオで片山杜秀先生がニーチェの超人哲学をもとにした音楽で番組を構成されていました。人間の平地のレベルでの視野は狭く目の前しか見えないが、山頂のごとき俯瞰から人の生活を眺めたとき、その虚しさに気付く。今この戦闘がどんなに虚しいものか権力に取りつかれた「人」には気づけないのかもしれません。ただ「音楽」がSNSのなかった時代から「人」のアイデンティティに与える影響ははかり知れず、権力者もそれを恐れたり、利用したりもするものになっていたとは感じます。「音楽」の力は果てしなし。話題がずれた上に乱文失礼いたしました。
お話をありがとうございました。「序曲1812年」だけでなく「ウェリントンの勝利」「晩祷」についても教えていただけました。何よりも「おわりに」で車田さんがおっしゃっていることに深く共感いたします。そしてウクライナ侵攻が1日も早く終わり平和が訪れ、素晴らしい音楽がまた演奏される世の中になることを願います。
☺️☺️☺️
今日はコーヒータイムがなくて寂しかったです。またあの『ウーン!うまい😋』というの聞きたいなぁ。
車田先生、すばらしい動画ありがとうございます。音楽と政治を混同してはならない。人種民族国籍歴史を超えて、人間の心を表すものが音楽だと。美しい音楽を愛する人が増えれば、、もっといい世界になればいいな、、と。
大学時代に演奏した経験があり、非常に思い出深く大好きな曲のひとつです(身内のイベントでの演奏だったので曲の背景はあまり知らずにいましたが、当時この解説を見ていれば…と思ったりしています)。数々の演奏中止や指揮者辞任などのニュースに心を痛める中、この動画を拝見できて嬉しく思います。チャイコフスキーやラフマニノフ、ショスタコーヴィチらの作品が何のしがらみもなく演奏される日、演奏できる日が来ることを心から祈っています。
素晴らしいお話し、ありがとうございます❤神聖な音楽が政治の世界に踏み込むのは、絶対的に不可能です。車田さんの分かりやすい解説に感謝🎉❤🎉❤🎉❤
1812、懐かしい曲です。ロンドンで駐在した頃、一人で公園を散策した時に必ず聴いた曲です。解説頂いたような事は知らず、ひたすら自分を励ましていた事を、思い出します。ありがとうございます。
普段よく聞いている一曲ですが、こんな意味合いがあったとは。より聞くのが楽しくなりました!
ハード•ロックドラマー、故コージー•パウエルは『1812』にインスパイアされて、自身が所属していたバンドでは必ずドラムソロに入れてましたね🥁
車田さんに教えていただきたかった曲です(念が通じました?)。1812年はボヤっと色んなパーツが組み合わさったような曲だなぁと思っていましたが、やっぱりそうなんだ!と、パーツ一つ一つがはっきり見えて、更に聴き込みたくなりました。ありがとうございます。ロシアの芸術家はとても好きです。先日プロコフィエフはロシアの作曲家だと思っていたところ、詳しく調べてみるとウクライナのドネツク出身とわかり驚きました。歴史についても調べないといけませんね。
ロシア文化自粛ムードでプロコフィエフまでが対象になってしまったら、なんて事を考えました!
ドネツクだったのですね。知らなかった!ロシア系住民が多いところです。ウクライナ兵がたくさんのロシア系住民を殺し続けた8年間です・・・・悲しい・・・
今回も楽しく、拝見・拝聴させていただきました。ナポレオンがモスクワに迫ったにも拘らず冬将軍の到来により敗走。当時のフランス軍の制服のボタンが低温で粉末状になる錫でできていたため前がはだけ寒さの追い打ちを受け多くの将兵が命を失うことにつながったとの話を高校の化学の時間に習いました。そんなことも思い出しながら次はこの曲を聴きたいと思います。
ボタンの話は興味深いです!
錫 低温 でググると錫の特性がわかります。
この名曲の詳細な解説とともに、とても共感できました。ありがとうございました!本当に音楽はそうですね。特にこのような評価されている名曲は、その背景を知ることで、より理解が深まります。ショーペンハウアーはその著書「意思と表象としての世界」のなかで「音楽は芸術の中でも最高のものだ。なぜなら言語を介さず直接的に人の心に訴えかけてくる。絵画等の芸術は、具体的な物から表現することになるので、その人の育った環境、言語等に左右される。」などといったこと(文言が多少違ったすみません。)を思い出しました。しかし音楽芸術を他のジャンルと比べるのは困難だと思いますけどね。また次回もお話を楽しみにしています。
☺️☺️
すばらしい曲とすばらしい動画、ありがとうございます。これからも動画楽しみにしています。
こちらこそありがとうございます😊
いつもありがとうございます。私も音楽家やその作品が政治的理由で演奏できなくなっていることを悲しく思っています、一方で芸術家も社会の一員として政治的意見を発したりすることは妨げるべきではないと思っています。しかし芸術家は自らの感性と技術、表現力によって一般の人たちよりもより大きな影響力を持ち得るのも事実で、その能力が政治に向かった場合責任は負わなければならないと思いますが、責任を取るのは人格で音楽ではないということは明確にしておいたほうがいいとおもいます。 音楽と人格は切り離せるのか、という突っ込みが入りそうですが、そこは近代理性が生み出したもので、俺はお前が大っ嫌いだがお前の意見は尊重する、と言った文脈で語られるものですがとんでもなくゲスな人間がとんでもなく美しい音楽を生みだすといった表現でもいいかとおもいますが。
下らない人間が素晴らしい作品を残す、と言うと私は真っ先にワーグナーを連想します。人格的には最低ですが、彼の作品が画期的であることも確かな事実。結局、作者と作品は別と考えています。そうでなければ、ワーグナーの作品は聞けません。
クラシック初心者で、この曲の作曲家と曲名が昔からわからなかったのですが以前教えていただきCDも買い楽しめてます。
有難うございました
たまたま母に連れられて行ったゲルギエフのコンサートでこの1812年を聞きました。あまりに凄まじい演奏で、目の前がチカチカして呆然とした後に笑ってしまった思い出があります。荘厳に始まり、ドラマチックな急展開、後半からのやけっぱちのように鳴り響く鐘の音、ぎょっとする大砲の音。クラシックの事を知らない人間でも、あまりのカタルシスに鼻血が出そうになりました。どんな風にこのこの曲が作られたのかは初めて知りました。解説いただいてありがとうございました!
おっしゃる通り。1812年大好きです。ストコフスキー版ばかり聞いています。一刻も早い終戦を期待します。
今回のお話も感動的です!
毎回、楽しい動画有難う御座います。ロシアがウクライナに侵攻してから、クラシック音楽界隈はちょっと騒ついていますね。有名な指揮者やオペラ歌手が降板させられたりおしゃる通り1812や白鳥の湖を取りやめたりしています。さて、作曲家で自身の作品(調を変えて他者も含め)使い回しや流用している方が、意外と多いと思います。(ロッシーニーはその代表ではないでしょうか?)最近、発見したのですが国歌の使い回しがありました。一つはオーストリア・ハンガリー帝国時代の国歌と現ドイツ国歌が同じハイドンの弦楽四重奏の第2楽章を使用。ロシア帝国(帝政ロシア)の3番目の国歌(国歌はコロコロ代わっていて全部で4つ)とイングランド(英国の国歌God Save the Queen )が同じメロディーでした。なんか、おかしな話しです。ドイツは此処のところ急に冷え込んでこんおりますので、どうか健康に気をつけて下さい。これからも動画と時間があったらコンサート会場に足を運んでみたいと思います。
ここにコメントされた方の分類では、私は音楽愛好家なのか一般人なのかわかりませんが、まるで第二次大戦中のように敵性音楽を作ってしまった日本の一部音楽家諸氏とマスコミには、疑問視以上の懐疑的な眼差しを向けざるを得ませんでした。お陰さまで逆に、TH-camでたくさんの1812を聴きましたが😌素晴らしい解説ありがとうございます。胸のつかえがとれました。他の音楽家の方々、周りに流されず芸術家として発言していただきたいですね。
ありがとうございます😊😊
音楽を愛する者の一人として素晴らしい解説に感動しました。多くの示唆をいただき有難く思います。
聴く方も感情を揺さぶられるからこそ、音楽はプロパガンダに利用されて来たのだと思ってるんですが、ホントいつの世でも、人間ってやつはご都合主義なところがあるので、困ったもんです。とは言え、この曲を今、聴くと多くの人が作曲家の感情とは全く異なる意味を持たせて聴いてしまうことになるでしょうね。とても残念なことです。1812年に限らず、こういった素晴らしい曲が生まれる背景には時の権力者の圧政への憤りや落胆、その先への希望といった様々な感情が揺さぶられるからなのでは?なんて思えてしまいます。そう言う意味では演奏を避けるのもわからなくは無いです。
深くなるほどと思いました。音楽は感情しか表現しない・・
勇気ある選曲と思いましたが、最後の車田さんのコメントで想いが伝わりました。ありがとうございました。この曲は自分にとっても思い出の曲であります。あるところに来ると、必ずMCカートリッジの針が跳ぶ経験をした唯一の曲でした。ターンテーブルにスタビライザーを装着したりもしましたが、効果ありませんでした。このテラーク盤LPはほんとに厄介でした。でもスケールの大きさは段違いでした。
テラーク盤、カートリッジの上に1円玉乗せて+1gで無理やり再生していました。後に出たCD盤で再生するとウーファー スピーカーが壊れそうな動きをしてましたね。
とてもSensitiveな話を、ここまで明確に分かりやすい感覚と理論で聴かせていただき、自分の浅はかさを痛感しております。(汗。ロシア、イスラエルのクラシック曲やバンドなど、背景として間接的にその時代を投影するようなフレーズにするものが今なお中止される傾向があります。今からの時代、怖いのは、それらが変にコンプライアンスとして動いていく方向だと思ってます。浅はかな小生は、そんなことはない!いい曲だし、そんなもの関係なく人間としてのやるせなさや愚かさや強さが分かればそれでいいじゃん!っていう表現しかできなくて、困っていたのですが、しかし、この話を聴いて、そうか!と、膝を打ちました。本当にありがたい話です。ありがとうございます。
動画と全く関係ない質問で失礼します。車田さんのチャンネルでクラシックに興味を持ちました。質問ですが、クラシックには狂詩曲とか交響曲とか協奏曲とか〇〇曲というもの、またピアノソナタとかノクターンとかありますがこれは一体何なのでしょうか?他にも〇〇のための〜とか、正直調べてもよくわかりませんでした!是非とも車田さんの解説が動画で聞きたいです!
ウクライナ紛争の実態を正確に把握している人は少ないと思います。それなのに感情的にロシア文化を拒絶するようなことが行われているのは、二重三重に無知や誤解が横行しているということです。最近クラシックのコンサートに行くようになって思うのですが、コンサートは一期一会で、二度と同じ演奏はありません。コロナ騒ぎで分かったように、次の演奏が聴ける保障なんてないのです。一度の中止がどれだけの損失を生むかはかり知れません。
「音楽には情景やストーリ、特定の国の勝利を表現する事はできない。作曲家が音楽で〇〇を表現しようとしたのと、完成したの曲は〇〇を表現している、というのは違う。作曲家はいろいろなストーリーにインスピレーションを受けて様々なものを音楽で表現しようとした。しかし出来上がった音楽にストーリーを表現することはできない。音楽にできるのは、それに伴った感情を表現する事だけ。「1812年」の音楽が表現しているのは、戦争や勝利に伴う人々の様々な感情。音楽を聴いた人々はストーリーではなく感情に共感する。だから音楽は国や時代、文化の枠を超えて人々の心を揺さぶる」「音楽があたかも勝利を表現できるかのように報道されてしまう事は、音楽にとって大きな誤解」…自分でもにれはむために書き出してみました。「1812年」がそのような理由で演奏中止に追い込まれているとは知りませんでした。好きな曲ですし、「名探偵ポワロ」や「のだめカンタービレ」でも印象的に使われていました。そんな名曲を現在の国際情勢に無理やりはめ込んで難癖をつけるなんて、愚かなことです。それにしても、「ウェリントンの勝利」という元ネタ(?)があったなんて初めて知りました。「晩祷」も、心に沁みますね…。
🇺🇦 良いお話でした。この曲もベートーベンの曲も後で聴いてみたいと思います。それにしてもナポレオンのロシア侵攻はトルストイの「戦争と平和」にもあるように侵略されたロシア側にとっては祖国防衛戦争であり、今のウクライナ側とある意味で状況は同じですからチャイコフスキーの曲の演奏を中止するのは行き過ぎであり、その理由はこじつけにすぎないように思われます。困ったことです。
全く同感です。ありがとうございます
有難うございます。私が言いたかった事を全て言って下さいました。大序曲1812年は誰が何と言おうと名曲であり人類全ての財産です。ロシアの侵略戦争とは無縁の名曲です。
車田先生、初めてまして。曲事の解説のTH-camをあまり見かけないので解説の動画はとても重宝します。登録済みです。宜しくお願いいたします!
😊😊
素敵な動画でした💕音楽が何を表現するか、興味深く拝見しました。ある公立高校で式典の際に第九の『歓喜の歌』を歌うのが伝統になっていて、それに新聞で異を唱えたどこかのおじさんが在学生にコテンパンに論破されていたのを思い出しました。歌詞に意味はあるものの、音楽として演奏された時点で別次元の感情表現になって行くと感じます。
音楽への深~い愛を感じました。有難うございます。16発の大砲の発射音を取り込んだ、テラークのLPを持っているのを思い出し、もう一度聞いてみようと取り出しました。古い V15 typeⅣ のカートリッジが、この過激な音溝に今でも耐えられるでしょうか。
わかりやすい解説で1812年がより好きになりました!
この曲のアカペラ部分の合唱に参加したことがあります。
素晴らしい体験ですね!
「ウェリントンの勝利」と序曲「1812年」を後半に並べた実演を聴いた経験があり, 懐かしく回想しました. 2014.5.17の札響名曲シリーズです. 因みに前半は ショスタコ「祝典序曲」 ベト「皇帝」 . 実験的プログラムです.
戦争はいつの時代も、こんなふうに音楽などの文化を差別化していくのですよね。先の大戦でもありました。早く穏やかな日が戻りますように。
丁寧な解説ありがとうございます
この曲は素晴らしいです。聴いたらチャイコフスキーのことがきっと好きになる。クライマックスで使用される大砲の音は、実弾を使用することになるので、どうしても野外コンサートとなります。動画サイトの中には、陸上自衛隊が野外演奏したものがあります。室内で演奏するときは、じつはシンセサイザーを使用しています。
この曲はもう何十回と聴いてますが、車田さんの解説のように深く理解はしていませんでした。今年の9月に行く予定のコンサートでも演目としてありましたが、イタリア奇想曲に変更するそうです。その時 楽団員からも賛否が分かれたそうですが、作品の詳しい説明や、理解してもらえる時間を考えると仕方ない事なのですかね。悲しいです。
演奏されないのは残念ですね・・・
全くおっしゃる通りです。
私は音楽はド素人ですが「1812」は昔から大好きな曲です。そしてこの曲はナポレオンの軍隊を負かしたロシア軍の勝利を表していると思っていました。だからこの曲はその史実を表していると思います。現在の戦争とは全く関係は無いですね。だから演奏中止するのは考えすぎだと思います。
こんな名曲を軍艦マーチの二の舞にするのか
カラヤン ベルリンフィルでよく聴いてます。
カラヤンのは僕も良く聞きました☺️
音楽に政治を持ち込み、とんでもないことをしたのが旧ソビエト連邦ですね帝政ロシアの国歌が演奏禁止となり、そのフレーズが含まれるスラブ行進曲やこの1812年は改変して鉄のカーテンの向こうでは演奏されていました翻してみると、この1812年の演奏自粛は、旧ソビエト連邦がした弾圧となんら変わらない行為です音楽家の皆さんはこういう圧力とぜひ戦ってほしいです、戦争は許されざることですが、チャイコフスキーの時代の曲とはなんら関係ありません!
曲に何の罪もない。しっかりとした思想や哲学もない何でも右へ倣えの愚かなメディアの大罪。当方は久しぶりに大砲入りの CD を思いきり聴いてみた。
ビゼーの作曲家紹介お願いします!
1812年th-cam.com/video/y9zYbwDqZUs/w-d-xo.htmlベートーベン:ウエリントンの勝利th-cam.com/video/_NsQsveoFx8/w-d-xo.htmlシューマン:二人の擲弾兵th-cam.com/video/v-B9h_yRqOs/w-d-xo.htmlヴァーグナー:二人の擲弾兵th-cam.com/video/ARQTAhH3xZc/w-d-xo.html
字幕のいくつかが国歌でなく国家になってらっしゃいますよ。
ご指摘ありがとうございます。
神よツァーリを護り給え帝政ロシアの国歌だから、革命で帝政を倒して成立したソ連時代は、帝政ロシア国歌の演奏なんかあり得ない、と神よツァーリを護り給えの部分を、グリンカの歌劇曲に書き換えた「シェバリーン版」で演奏されてた。当然、原曲を聴き慣れてると、違和感ありまくりだけど。赤い扇風機のスヴェトラーノフ指揮とか、「シェバリーン版」も動画も上がってるね。
大砲の音が、音楽に入ってきてるんですか、ビックリしました。演奏中止になるのは当たり前かな?、と、私は思いましたが、・・・。作曲者の意図と聴き手の受け取り方・・・。難しいですね・・。
半年以上も前の動画に申し訳ありませんが…「1812」の演奏中止が相次ぐのは、「お葬式の場では結婚式に使うような曲は使わない」というようなニュアンスでのウクライナへの配慮だと思っていました。結婚式の曲に罪はなにもなくても、でもお葬式の場には相応しくないですよね。車田さんの仰るように音楽は人の感情に大きく作用するものだからこその配慮なのかなと。ロシア由来の音楽をすべて取り止めろ、となるとまた話は全く別の次元に移ってしまいますが、「1812」の中止に限っては配慮の気持ちの方が多いのでは(あるいはそうであってほしいです)。また、音楽は人の歴史である以上どうしてもコンテクストの部分は切り離せないと思います。音楽をテクストとして純粋に楽しむこと自体を否定するわけではありません。しかしだからといってコンテクストを捨象していいということでもないと思っています。ただ、音楽のコンテクストを雑に広告するようなニュース等への不信には同意します。素人意見を長々と失礼いたしました。
どんな事情であれ、音楽は音楽、歴史的事件は歴史的事件である。この曲は革命後に早くも試練に立たされました。ラストのラスト、「神よ、ツァーリを護り給え」がイヴァン·スサーニンのラストの曲に差し替えられもした。帝政ロシア的なものはダメという理由で…
なぜ中止する、フィンランディアだって似たような曲なのに
プロ演奏家だと色々考えないとならない事情も多いかもしれませんが、アマチュアの身としては変わらずロシア音楽を弾き続けたいですね(あまりに勇ましいものは自粛しますが)。ロシア音楽が好きである限りロシアやその人々を嫌いにはなれないので、そういう心の交流みたいなものも今後大事になってくるのでは、と思っています。「キエフの大門」が「キーウの大門」になるんだろうか?(それはちょっと微妙)という問題はさておき、個人的にはロシアとウクライナの区別があまりできていなかったので、これから歴史認識を修正していかないとなりません。
ロシアとウクライナの文化には共通するものもかなり多いですね。
政治は政治、音楽は音楽です。ロシアを敵視する余り、ロシアの名曲を排除するのは狭量で余りにも情けないと思います。そもそも、当時の時代背景と現代とでは状況が違い過ぎます。
まぁ、曲に罪はないですけどね。余りにもロシアが強調されてるからだったら、ショスタコーヴィチのレニングラードもやばく成る。
アマチュアのソプラノ カウンターテナー(ソプラニスト)です。話題を拡大してしまって申し訳ないですが、本件に限らず一般的に、演奏者は演奏する曲の解説を、どの程度するのが適切とお考えになりますか? 将来、プロ / アマ問わず演奏者向けに、「演奏曲の解説を、演奏者がどの程度するべきか?」という動画をアップロードしていただけると、助かります!背景を説明しておくと、私自身がアマチュアで、「入場無料の、ふらっと入っていける」 コンサートで依頼を受けると歌っております。そうしたコンサートですから、オーディエンスの皆様の大半は演奏曲目についての知識がありません。Mozart の Der Holle Rache --- を「楽しそうな曲」と受け取ってしまうような方々です。そこで、私自身はその日に私が歌う曲すべてについて、タイトルや作曲者、作曲年はもちろん、・ 作曲の背景・ オペラ アリアの場合、そのオペラのストーリーとその曲が歌われる状況・ 歌詞すべての日本語訳を記し、紙に印刷してオーディエンス全員に最初に配布しています。(口頭で説明していると、コンサートだかレクチャーだか、分からなくなってしまいますので)しかし。共演する演奏者の方々は、私のような「曲の解説」は、ほぼ誰もなさいません。 歌曲の多くには歌詞があるので、その歌詞の意味と背景とをオーディエンスに理解していただくのは必須だと私は考えるのですが ・・・そんなわけで車田先生のご見解を、将来ご紹介下さるとうれしいです!
コンサートは勉強会ではなくて音楽を聴く所だと考えてますので、演奏家による解説は不要だと思ってます。レクチャーコンサートは別ですが・・。
なるほど、ありがとうございます!
1812年、高校生の時に開けても暮れてもスコア片手に聞きまくった大好きな曲です。音源のロシア聖歌の弦のねっとり感と、戦いのテンポ感にラストのリアル空砲(?)はバーンスタインのイスラエルフィルでしょうか…(ハズレてたらゴメンナサイ)。マゼールは確か冒頭をアカペラに置き換えてました。ロシア語が分かれば今の私のバッハなみの感動か…。本題ですが、今の私はこの音楽を聴いて悪に対する信仰の勝利を感じます。だからといって勝利したロシアに対してフランスが悪という話ではありません。題材はロシアがフランスに勝ったものとしても、戦争、混乱、不安、そして歓喜などの感情からと、高らかに鳴り響くのが(当時を踏まえての国歌もありますが)聖歌であることから、私は信仰の喜びを感じます。そして、今ロシアがウクライナにしていることは信仰と真逆のことです。イエス様は平和をつくる者は幸いと教えられました。この曲がロシアの聖歌や国歌でロシアの勝利を表現しているから今は演奏忌避、違います!この戦争で心を痛めている信仰あるロシア人、正教会の信者さんたちも多いと思います。本当の意味で音楽が人々の幸いのため、そして神様をほめたたえるためにこそ用いられることを願います。
この曲は、戦争と平和の曲なので新聞とかのロシアの勝利した曲という偏向報道は、本当に辞めて欲しい。この曲は映画ララランドの冒頭で少し登場してましたね。
良いお話でした。音楽を政治に利用してほしくありません。
音楽に勝利を伝える事ができない理由についての解説動画!th-cam.com/video/ZBu7jADIaPs/w-d-xo.html
『ロシア帝国の勝利』の曲で、『ロシア共和国』のことじゃないのにな。(わし的にはヒステリック)
I have no problem with Tchaikovsky's overture "1812". I just have an expansive interpretation.The only problem is that I have a problem with Putin.
今回のロシアの軍事侵攻を受けてロシア音楽からは距離を置きがちになりました。本当は大好きなのですが。ロシア音楽の魅力である絢爛豪華で壮大な音楽。そういったところに惹かれるのですが、そのエルミタージュ宮殿の煌びやかさも琥珀色に彩られた世界も、帝政ロシア時代における農奴の犠牲の上に作られたものと思えば複雑です。スターリンが好んだ豪華さ、虚しい豪華さが大ロシア主義に繋がり、今回のプーチンの愚行を生んだのかと思うと更に複雑な心境です。ロシア国歌てめちゃくちゃかっこいいんですけどね。 危ない危ない。
「音楽が表現するのものは人々の感情であって、勝利そのものを描写する事はできない」うーん。。。。「勝利にまつわる感情」「フランス軍を追いやった喜び」を表現してしまったら、それはもはや勝利を表現していのると等価ではないかと私は思ってしまいます。遠い昔のフランスとの戦争なんか今のウクライナ情勢と関係はないのですが、もはやロシアの文字にすら生理的拒否反応を覚える人々も一定数いる現状では、致し方ないのかなと思います。正直、私も嫌です。そういえばナチス占領下のフランスで、ラ・マルセイエーズを、一見フランスの栄光とは全く無関係に見える楽曲の最後に華々しくトランペットで登場させて当局を激怒させた曲があったように記憶しているけど、なんだったかな・・・^^;;;
音楽に勝利を描写する事は出来ません。伝わるのは「喜び」や「興奮」などの感情であって、そこから何を想像するかは聴衆の自由です。勝利を想像する人もいるかもしれませんが、そうしなければいけないわけではありません。詳しくは音楽談話で説明していますので、一度そちらを御覧くださいね!th-cam.com/video/ZBu7jADIaPs/w-d-xo.html
@@kazuhisakurumada 返信ありがとうございます。車田さんの熱い思いを感じました。創作物は創出されたとたんに受け手の物語となる、というのは完全同意です。また「感情」の方が強く残るからこそ、キリスト教には一ミリも共感できない私のような無神論者がバッハの教会カンタータなどを聴いて感動することができるのかな、とも思います。ただこのお話は、音楽愛好家には理解できる部分があっても、一般の人には伝わりにくいかもしれないですね^^;;音楽そのものの純粋な価値とはかけ離れた部分で、この曲がロシアの勝利として広まってしまうのは、ある程度は仕方がない事というのか・・・「ある部分で」間違ってはいないと私は思います。ただ、音楽に罪はないですね。
単純に名曲がゆえに演ろうとしていた楽団が、『不謹慎だ』と批難されることを懸念して演奏を取り止めざるを得ないような雰囲気を雰囲気がいちばんヤバい気がする。
車田さんのお話に強く共感しました。演奏家たちや数々の素晴らしい作品が政治情勢に振り回されない世に戻ることを心から願います。お話の後半、バックに流れる晩祷が心に染みて涙が出ました。
😊😊😊
演奏中止はとても危険な兆候であり怖いです。
メディアは物事を単純化してある意図をもって発信し、大衆は物事を深く考えず鵜呑みにしてしまう。
その結果ミスリードされ開戦や戦争の深みにはまってしまう危険があるように思えます。
貴重な発信ありがとうございました。とても勉強になりました。
先生の解説を聴いて涙。確かにそういう理由なら私の大好きな1812年はこれからも演奏され、国や時代を超えて演奏され続けますよね。でないとおかしいよ、こんな名曲忘れてはならないから。
指揮者ソヒエフ氏がポストを辞任したり、ロシア人音楽家が公演キャンセルをしたり、
自らの意思にしろ、周囲の圧力的な雰囲気にしろ、文化人が巻き込まれてしまっている
現状はとても悲しいです。
わたしはロシア・ソ連の「音楽」が大好きです。極寒の地で寒さの悲哀を歌い、少ない春夏の
つかの間の暖かさを謳歌するあの旋律美に魅了されます。
ショスタコーヴィチらも政治に翻弄されながらも自らの思いを見えるところ見えないところに
ちりばめつつ「音楽」に込めていたのなんて、とても感銘を受けます。
ネイガウスら演奏家も純粋にすばらしい「音楽」を残してくれていて、よく聴きます。
日本では2日のFMラジオで片山杜秀先生がニーチェの超人哲学をもとにした音楽で番組を構成
されていました。人間の平地のレベルでの視野は狭く目の前しか見えないが、山頂のごとき
俯瞰から人の生活を眺めたとき、その虚しさに気付く。
今この戦闘がどんなに虚しいものか権力に取りつかれた「人」には気づけないのかもしれません。
ただ「音楽」がSNSのなかった時代から「人」のアイデンティティに与える影響は
はかり知れず、権力者もそれを恐れたり、利用したりもするものになっていたとは感じます。
「音楽」の力は果てしなし。
話題がずれた上に乱文失礼いたしました。
😊😊😊
お話をありがとうございました。
「序曲1812年」だけでなく「ウェリントンの勝利」「晩祷」についても教えていただけました。
何よりも「おわりに」で車田さんがおっしゃっていることに深く共感いたします。そしてウクライナ侵攻が1日も早く終わり平和が訪れ、素晴らしい音楽がまた演奏される世の中になることを願います。
☺️☺️☺️
今日はコーヒータイムがなくて寂しかったです。またあの『ウーン!うまい😋』というの聞きたいなぁ。
車田先生、すばらしい動画ありがとうございます。音楽と政治を混同してはならない。人種民族国籍歴史を超えて、人間の心を表すものが音楽だと。美しい音楽を愛する人が増えれば、、もっといい世界になればいいな、、と。
😊😊😊
大学時代に演奏した経験があり、非常に思い出深く大好きな曲のひとつです(身内のイベントでの演奏だったので曲の背景はあまり知らずにいましたが、当時この解説を見ていれば…と思ったりしています)。数々の演奏中止や指揮者辞任などのニュースに心を痛める中、この動画を拝見できて嬉しく思います。チャイコフスキーやラフマニノフ、ショスタコーヴィチらの作品が何のしがらみもなく演奏される日、演奏できる日が来ることを心から祈っています。
素晴らしいお話し、ありがとうございます❤
神聖な音楽が政治の世界に踏み込むのは、絶対的に不可能です。
車田さんの分かりやすい解説に感謝🎉❤🎉❤🎉❤
1812、懐かしい曲です。ロンドンで駐在した頃、一人で公園を散策した時に必ず聴いた曲です。解説頂いたような事は知らず、ひたすら自分を励ましていた事を、思い出します。ありがとうございます。
普段よく聞いている一曲ですが、こんな意味合いがあったとは。より聞くのが楽しくなりました!
ハード•ロックドラマー、故コージー•パウエルは『1812』にインスパイアされて、自身が所属していたバンドでは必ずドラムソロに入れてましたね🥁
車田さんに教えていただきたかった曲です(念が通じました?)。
1812年はボヤっと色んなパーツが組み合わさったような曲だなぁと思っていましたが、やっぱりそうなんだ!と、パーツ一つ一つがはっきり見えて、更に聴き込みたくなりました。ありがとうございます。
ロシアの芸術家はとても好きです。
先日プロコフィエフはロシアの作曲家だと思っていたところ、詳しく調べてみるとウクライナのドネツク出身とわかり驚きました。歴史についても調べないといけませんね。
ロシア文化自粛ムードでプロコフィエフまでが対象になってしまったら、なんて事を考えました!
ドネツクだったのですね。知らなかった!
ロシア系住民が多いところです。ウクライナ兵がたくさんのロシア系住民を殺し続けた8年間です・・・・
悲しい・・・
今回も楽しく、拝見・拝聴させていただきました。ナポレオンがモスクワに迫ったにも拘らず冬将軍の到来により敗走。当時のフランス軍の制服のボタンが低温で粉末状になる錫でできていたため前がはだけ寒さの追い打ちを受け多くの将兵が命を失うことにつながったとの話を高校の化学の時間に習いました。そんなことも思い出しながら次はこの曲を聴きたいと思います。
ボタンの話は興味深いです!
錫 低温 でググると錫の特性がわかります。
この名曲の詳細な解説とともに、とても共感できました。ありがとうございました!
本当に音楽はそうですね。特にこのような評価されている名曲は、その背景を知ることで、より理解が深まります。ショーペンハウアーはその著書「意思と表象としての世界」のなかで「音楽は芸術の中でも最高のものだ。なぜなら言語を介さず直接的に人の心に訴えかけてくる。絵画等の芸術は、具体的な物から表現することになるので、その人の育った環境、言語等に左右される。」などといったこと(文言が多少違ったすみません。)を思い出しました。しかし音楽芸術を他のジャンルと比べるのは困難だと思いますけどね。また次回もお話を楽しみにしています。
☺️☺️
すばらしい曲とすばらしい動画、ありがとうございます。これからも動画楽しみにしています。
こちらこそありがとうございます😊
いつもありがとうございます。私も音楽家やその作品が政治的理由で演奏できなくなっていることを悲しく思っています、一方で芸術家も社会の一員として政治的意見を発したりすることは妨げるべきではないと思っています。しかし芸術家は自らの感性と技術、表現力によって一般の人たちよりもより大きな影響力を持ち得るのも事実で、その能力が政治に向かった場合責任は負わなければならないと思いますが、責任を取るのは人格で音楽ではないということは明確にしておいたほうがいいとおもいます。
音楽と人格は切り離せるのか、という突っ込みが入りそうですが、そこは近代理性が生み出したもので、俺はお前が大っ嫌いだがお前の意見は尊重する、と言った文脈で語られるものですがとんでもなくゲスな人間がとんでもなく美しい音楽を生みだすといった表現でもいいかとおもいますが。
下らない人間が素晴らしい作品を残す、と言うと私は真っ先にワーグナーを連想します。
人格的には最低ですが、彼の作品が画期的であることも確かな事実。
結局、作者と作品は別と考えています。
そうでなければ、ワーグナーの作品は聞けません。
クラシック初心者で、この曲の作曲家と曲名が昔からわからなかったのですが以前教えていただき
CDも買い楽しめてます。
有難うございました
たまたま母に連れられて行ったゲルギエフのコンサートでこの1812年を聞きました。あまりに凄まじい演奏で、目の前がチカチカして呆然とした後に笑ってしまった思い出があります。
荘厳に始まり、ドラマチックな急展開、後半からのやけっぱちのように鳴り響く鐘の音、ぎょっとする大砲の音。
クラシックの事を知らない人間でも、あまりのカタルシスに鼻血が出そうになりました。
どんな風にこのこの曲が作られたのかは初めて知りました。解説いただいてありがとうございました!
おっしゃる通り。1812年大好きです。ストコフスキー版ばかり聞いています。一刻も早い終戦を期待します。
😊😊😊
今回のお話も感動的です!
😊😊😊
毎回、楽しい動画有難う御座います。
ロシアがウクライナに侵攻してから、クラシック音楽界隈はちょっと騒ついていますね。
有名な指揮者やオペラ歌手が降板させられたり
おしゃる通り1812や白鳥の湖を取りやめたりしています。
さて、作曲家で自身の作品(調を変えて他者も含め)使い回しや流用している方が、意外と多いと思います。(ロッシーニーはその代表ではないでしょうか?)
最近、発見したのですが
国歌の使い回しがありました。
一つはオーストリア・ハンガリー帝国時代の国歌と現ドイツ国歌が同じハイドンの弦楽四重奏の第2楽章を使用。
ロシア帝国(帝政ロシア)の3番目の国歌(国歌はコロコロ代わっていて全部で4つ)とイングランド(英国の国歌God Save the Queen )が同じメロディーでした。
なんか、おかしな話しです。
ドイツは此処のところ急に冷え込んでこんおりますので、どうか健康に気をつけて下さい。
これからも動画と時間があったらコンサート会場に足を運んでみたいと思います。
ここにコメントされた方の分類では、私は音楽愛好家なのか一般人なのかわかりませんが、まるで第二次大戦中のように敵性音楽を作ってしまった日本の一部音楽家諸氏とマスコミには、疑問視以上の懐疑的な眼差しを向けざるを得ませんでした。
お陰さまで逆に、TH-camでたくさんの1812を聴きましたが😌
素晴らしい解説ありがとうございます。胸のつかえがとれました。他の音楽家の方々、周りに流されず芸術家として発言していただきたいですね。
ありがとうございます😊😊
音楽を愛する者の一人として素晴らしい解説に感動しました。多くの示唆をいただき有難く思います。
聴く方も感情を揺さぶられるからこそ、音楽はプロパガンダに利用されて来たのだと思ってるんですが、ホントいつの世でも、人間ってやつはご都合主義なところがあるので、困ったもんです。
とは言え、この曲を今、聴くと多くの人が作曲家の感情とは全く異なる意味を持たせて聴いてしまうことになるでしょうね。とても残念なことです。
1812年に限らず、こういった素晴らしい曲が生まれる背景には時の権力者の圧政への憤りや落胆、その先への希望といった様々な感情が揺さぶられるからなのでは?なんて思えてしまいます。そう言う意味では演奏を避けるのもわからなくは無いです。
深くなるほどと思いました。音楽は感情しか表現しない・・
勇気ある選曲と思いましたが、最後の車田さんのコメントで想いが伝わりました。ありがとうございました。この曲は自分にとっても思い出の曲であります。あるところに来ると、必ずMCカートリッジの針が跳ぶ経験をした唯一の曲でした。ターンテーブルにスタビライザーを装着したりもしましたが、効果ありませんでした。このテラーク盤LPはほんとに厄介でした。でもスケールの大きさは段違いでした。
テラーク盤、カートリッジの上に1円玉乗せて+1gで無理やり再生していました。
後に出たCD盤で再生するとウーファー スピーカーが壊れそうな動きをしてましたね。
😊😊😊
とてもSensitiveな話を、ここまで明確に分かりやすい感覚と理論で聴かせていただき、自分の浅はかさを痛感しております。(汗。
ロシア、イスラエルのクラシック曲やバンドなど、背景として間接的にその時代を投影するようなフレーズにするものが今なお中止される傾向があります。今からの時代、怖いのは、それらが変にコンプライアンスとして動いていく方向だと思ってます。
浅はかな小生は、そんなことはない!いい曲だし、そんなもの関係なく人間としてのやるせなさや愚かさや強さが分かればそれでいいじゃん!
っていう表現しかできなくて、困っていたのですが、しかし、この話を聴いて、そうか!と、膝を打ちました。
本当にありがたい話です。ありがとうございます。
動画と全く関係ない質問で失礼します。
車田さんのチャンネルでクラシックに興味を持ちました。
質問ですが、クラシックには狂詩曲とか交響曲とか協奏曲とか〇〇曲というもの、またピアノソナタとかノクターンとかありますがこれは一体何なのでしょうか?
他にも〇〇のための〜とか、正直調べてもよくわかりませんでした!
是非とも車田さんの解説が動画で聞きたいです!
ウクライナ紛争の実態を正確に把握している人は少ないと思います。それなのに感情的にロシア文化を拒絶するようなことが行われているのは、二重三重に無知や誤解が横行しているということです。最近クラシックのコンサートに行くようになって思うのですが、コンサートは一期一会で、二度と同じ演奏はありません。コロナ騒ぎで分かったように、次の演奏が聴ける保障なんてないのです。一度の中止がどれだけの損失を生むかはかり知れません。
☺️☺️
「音楽には情景やストーリ、特定の国の勝利を表現する事はできない。作曲家が音楽で〇〇を表現しようとしたのと、完成したの曲は〇〇を表現している、というのは違う。作曲家はいろいろなストーリーにインスピレーションを受けて様々なものを音楽で表現しようとした。しかし出来上がった音楽にストーリーを表現することはできない。音楽にできるのは、それに伴った感情を表現する事だけ。「1812年」の音楽が表現しているのは、戦争や勝利に伴う人々の様々な感情。音楽を聴いた人々はストーリーではなく感情に共感する。だから音楽は国や時代、文化の枠を超えて人々の心を揺さぶる」「音楽があたかも勝利を表現できるかのように報道されてしまう事は、音楽にとって大きな誤解」…自分でもにれはむために書き出してみました。「1812年」がそのような理由で演奏中止に追い込まれているとは知りませんでした。好きな曲ですし、「名探偵ポワロ」や「のだめカンタービレ」でも印象的に使われていました。そんな名曲を現在の国際情勢に無理やりはめ込んで難癖をつけるなんて、愚かなことです。
それにしても、「ウェリントンの勝利」という元ネタ(?)があったなんて初めて知りました。「晩祷」も、心に沁みますね…。
🇺🇦 良いお話でした。この曲もベートーベンの曲も後で聴いてみたいと思います。それにしてもナポレオンのロシア侵攻はトルストイの「戦争と平和」にもあるように侵略されたロシア側にとっては祖国防衛戦争であり、今のウクライナ側とある意味で状況は同じですからチャイコフスキーの曲の演奏を中止するのは行き過ぎであり、その理由はこじつけにすぎないように思われます。困ったことです。
全く同感です。ありがとうございます
有難うございます。
私が言いたかった事を全て言って下さいました。
大序曲1812年は誰が何と言おうと名曲であり人類全ての財産です。ロシアの侵略戦争とは無縁の名曲です。
車田先生、初めてまして。
曲事の解説のTH-camをあまり見かけないので解説の動画はとても重宝します。
登録済みです。
宜しくお願いいたします!
😊😊
素敵な動画でした💕音楽が何を表現するか、興味深く拝見しました。ある公立高校で式典の際に第九の『歓喜の歌』を歌うのが伝統になっていて、それに新聞で異を唱えたどこかのおじさんが在学生にコテンパンに論破されていたのを思い出しました。歌詞に意味はあるものの、音楽として演奏された時点で別次元の感情表現になって行くと感じます。
音楽への深~い愛を感じました。有難うございます。
16発の大砲の発射音を取り込んだ、テラークのLPを持っているのを思い出し、もう一度聞いてみようと取り出しました。古い V15 typeⅣ のカートリッジが、この過激な音溝に今でも耐えられるでしょうか。
わかりやすい解説で1812年がより好きになりました!
この曲のアカペラ部分の合唱に参加したことがあります。
素晴らしい体験ですね!
「ウェリントンの勝利」と序曲「1812年」を後半に並べた実演を聴いた経験があり, 懐かしく回想しました.
2014.5.17の札響名曲シリーズです. 因みに前半は ショスタコ「祝典序曲」 ベト「皇帝」 . 実験的プログラムです.
戦争はいつの時代も、こんなふうに音楽などの文化を差別化していくのですよね。
先の大戦でもありました。
早く穏やかな日が戻りますように。
丁寧な解説ありがとうございます
この曲は素晴らしいです。聴いたらチャイコフスキーのことがきっと好きになる。クライマックスで使用される大砲の音は、実弾を使用することになるので、どうしても野外コンサートとなります。動画サイトの中には、陸上自衛隊が野外演奏したものがあります。
室内で演奏するときは、じつはシンセサイザーを使用しています。
この曲はもう何十回と聴いてますが、車田さんの解説のように深く理解はしていませんでした。
今年の9月に行く予定のコンサートでも演目としてありましたが、イタリア奇想曲に変更するそうです。
その時 楽団員からも賛否が分かれたそうですが、作品の詳しい説明や、理解してもらえる時間を考えると仕方ない事なのですかね。
悲しいです。
演奏されないのは残念ですね・・・
全くおっしゃる通りです。
私は音楽はド素人ですが「1812」は昔から大好きな曲です。そしてこの曲はナポレオンの軍隊を負かしたロシア軍の勝利を表していると思っていました。だからこの曲はその史実を表していると思います。現在の戦争とは全く関係は無いですね。
だから演奏中止するのは考えすぎだと思います。
こんな名曲を軍艦マーチの二の舞にするのか
カラヤン ベルリンフィルでよく聴いてます。
カラヤンのは僕も良く聞きました☺️
音楽に政治を持ち込み、とんでもないことをしたのが旧ソビエト連邦ですね
帝政ロシアの国歌が演奏禁止となり、そのフレーズが含まれるスラブ行進曲やこの1812年は改変して鉄のカーテンの向こうでは演奏されていました
翻してみると、この1812年の演奏自粛は、旧ソビエト連邦がした弾圧となんら変わらない行為です
音楽家の皆さんはこういう圧力とぜひ戦ってほしいです、戦争は許されざることですが、チャイコフスキーの時代の曲とはなんら関係ありません!
曲に何の罪もない。
しっかりとした思想や哲学もない
何でも右へ倣えの愚かなメディアの大罪。当方は久しぶりに大砲入りの CD を思いきり聴いてみた。
ビゼーの作曲家紹介お願いします!
1812年
th-cam.com/video/y9zYbwDqZUs/w-d-xo.html
ベートーベン:ウエリントンの勝利
th-cam.com/video/_NsQsveoFx8/w-d-xo.html
シューマン:二人の擲弾兵
th-cam.com/video/v-B9h_yRqOs/w-d-xo.html
ヴァーグナー:二人の擲弾兵
th-cam.com/video/ARQTAhH3xZc/w-d-xo.html
字幕のいくつかが国歌でなく国家になってらっしゃいますよ。
ご指摘ありがとうございます。
神よツァーリを護り給え
帝政ロシアの国歌だから、革命で帝政を倒して成立したソ連時代は、帝政ロシア国歌の演奏なんかあり得ない、と神よツァーリを護り給えの部分を、グリンカの歌劇曲に書き換えた「シェバリーン版」で演奏されてた。
当然、原曲を聴き慣れてると、違和感ありまくりだけど。
赤い扇風機のスヴェトラーノフ指揮とか、「シェバリーン版」も動画も上がってるね。
大砲の音が、音楽に入ってきてるんですか、ビックリしました。
演奏中止になるのは当たり前かな?、と、私は思いましたが、・・・。
作曲者の意図と聴き手の受け取り方・・・。難しいですね・・。
半年以上も前の動画に申し訳ありませんが…
「1812」の演奏中止が相次ぐのは、「お葬式の場では結婚式に使うような曲は使わない」というようなニュアンスでのウクライナへの配慮だと思っていました。結婚式の曲に罪はなにもなくても、でもお葬式の場には相応しくないですよね。車田さんの仰るように音楽は人の感情に大きく作用するものだからこその配慮なのかなと。
ロシア由来の音楽をすべて取り止めろ、となるとまた話は全く別の次元に移ってしまいますが、「1812」の中止に限っては配慮の気持ちの方が多いのでは(あるいはそうであってほしいです)。
また、音楽は人の歴史である以上どうしてもコンテクストの部分は切り離せないと思います。音楽をテクストとして純粋に楽しむこと自体を否定するわけではありません。しかしだからといってコンテクストを捨象していいということでもないと思っています。
ただ、音楽のコンテクストを雑に広告するようなニュース等への不信には同意します。
素人意見を長々と失礼いたしました。
どんな事情であれ、音楽は音楽、歴史的事件は歴史的事件である。この曲は革命後に早くも試練に立たされました。ラストのラスト、「神よ、ツァーリを護り給え」がイヴァン·スサーニンのラストの曲に差し替えられもした。帝政ロシア的なものはダメという理由で…
なぜ中止する、フィンランディアだって似たような曲なのに
プロ演奏家だと色々考えないとならない事情も多いかもしれませんが、アマチュアの身としては変わらずロシア音楽を弾き続けたいですね(あまりに勇ましいものは自粛しますが)。ロシア音楽が好きである限りロシアやその人々を嫌いにはなれないので、そういう心の交流みたいなものも今後大事になってくるのでは、と思っています。
「キエフの大門」が「キーウの大門」になるんだろうか?(それはちょっと微妙)という問題はさておき、個人的にはロシアとウクライナの区別があまりできていなかったので、これから歴史認識を修正していかないとなりません。
ロシアとウクライナの文化には共通するものもかなり多いですね。
政治は政治、音楽は音楽です。ロシアを敵視する余り、ロシアの名曲を排除するのは狭量で余りにも情けないと思います。そもそも、当時の時代背景と現代とでは状況が違い過ぎます。
まぁ、曲に罪はないですけどね。余りにもロシアが強調されてるからだったら、ショスタコーヴィチのレニングラードもやばく成る。
アマチュアのソプラノ カウンターテナー(ソプラニスト)です。
話題を拡大してしまって申し訳ないですが、本件に限らず一般的に、演奏者は演奏する曲の解説を、どの程度するのが適切とお考えになりますか? 将来、プロ / アマ問わず演奏者向けに、「演奏曲の解説を、演奏者がどの程度するべきか?」という動画をアップロードしていただけると、助かります!
背景を説明しておくと、
私自身がアマチュアで、「入場無料の、ふらっと入っていける」 コンサートで依頼を受けると歌っております。
そうしたコンサートですから、オーディエンスの皆様の大半は演奏曲目についての知識がありません。
Mozart の Der Holle Rache --- を「楽しそうな曲」と受け取ってしまうような方々です。
そこで、私自身はその日に私が歌う曲すべてについて、タイトルや作曲者、作曲年はもちろん、
・ 作曲の背景
・ オペラ アリアの場合、そのオペラのストーリーとその曲が歌われる状況
・ 歌詞すべての日本語訳
を記し、紙に印刷してオーディエンス全員に最初に配布しています。
(口頭で説明していると、コンサートだかレクチャーだか、分からなくなってしまいますので)
しかし。共演する演奏者の方々は、私のような「曲の解説」は、ほぼ誰もなさいません。
歌曲の多くには歌詞があるので、その歌詞の意味と背景とをオーディエンスに理解していただくのは必須だと私は考えるのですが ・・・
そんなわけで車田先生のご見解を、将来ご紹介下さるとうれしいです!
コンサートは勉強会ではなくて音楽を聴く所だと考えてますので、演奏家による解説は不要だと思ってます。
レクチャーコンサートは別ですが・・。
なるほど、ありがとうございます!
1812年、高校生の時に開けても暮れてもスコア片手に聞きまくった大好きな曲です。音源のロシア聖歌の弦のねっとり感と、戦いのテンポ感にラストのリアル空砲(?)はバーンスタインのイスラエルフィルでしょうか…(ハズレてたらゴメンナサイ)。マゼールは確か冒頭をアカペラに置き換えてました。ロシア語が分かれば今の私のバッハなみの感動か…。本題ですが、今の私はこの音楽を聴いて悪に対する信仰の勝利を感じます。だからといって勝利したロシアに対してフランスが悪という話ではありません。題材はロシアがフランスに勝ったものとしても、戦争、混乱、不安、そして歓喜などの感情からと、高らかに鳴り響くのが(当時を踏まえての国歌もありますが)聖歌であることから、私は信仰の喜びを感じます。そして、今ロシアがウクライナにしていることは信仰と真逆のことです。イエス様は平和をつくる者は幸いと教えられました。この曲がロシアの聖歌や国歌でロシアの勝利を表現しているから今は演奏忌避、違います!この戦争で心を痛めている信仰あるロシア人、正教会の信者さんたちも多いと思います。本当の意味で音楽が人々の幸いのため、そして神様をほめたたえるためにこそ用いられることを願います。
この曲は、戦争と平和の曲なので新聞とかのロシアの勝利した曲という偏向報道は、本当に辞めて欲しい。
この曲は映画ララランドの冒頭で少し登場してましたね。
良いお話でした。音楽を政治に利用してほしくありません。
音楽に勝利を伝える事ができない理由についての解説動画!
th-cam.com/video/ZBu7jADIaPs/w-d-xo.html
『ロシア帝国の勝利』の曲で、『ロシア共和国』のことじゃないのにな。(わし的にはヒステリック)
I have no problem with Tchaikovsky's overture "1812". I just have an expansive interpretation.
The only problem is that I have a problem with Putin.
今回のロシアの軍事侵攻を受けてロシア音楽からは距離を置きがちになりました。本当は大好きなのですが。
ロシア音楽の魅力である絢爛豪華で壮大な音楽。そういったところに惹かれるのですが、そのエルミタージュ宮殿の煌びやかさも琥珀色に彩られた世界も、帝政ロシア時代における農奴の犠牲の上に作られたものと思えば複雑です。スターリンが好んだ豪華さ、虚しい豪華さが大ロシア主義に繋がり、今回のプーチンの愚行を生んだのかと思うと更に複雑な心境です。
ロシア国歌てめちゃくちゃかっこいいんですけどね。 危ない危ない。
「音楽が表現するのものは人々の感情であって、勝利そのものを描写する事はできない」うーん。。。。
「勝利にまつわる感情」「フランス軍を追いやった喜び」を表現してしまったら、それはもはや勝利を表現していのると等価ではないかと私は思ってしまいます。
遠い昔のフランスとの戦争なんか今のウクライナ情勢と関係はないのですが、もはやロシアの文字にすら生理的拒否反応を覚える人々も一定数いる現状では、致し方ないのかなと思います。正直、私も嫌です。
そういえばナチス占領下のフランスで、ラ・マルセイエーズを、一見フランスの栄光とは全く無関係に見える楽曲の最後に華々しくトランペットで登場させて当局を激怒させた曲があったように記憶しているけど、なんだったかな・・・^^;;;
音楽に勝利を描写する事は出来ません。伝わるのは「喜び」や「興奮」などの感情であって、そこから何を想像するかは聴衆の自由です。勝利を想像する人もいるかもしれませんが、そうしなければいけないわけではありません。
詳しくは音楽談話で説明していますので、一度そちらを御覧くださいね!
th-cam.com/video/ZBu7jADIaPs/w-d-xo.html
@@kazuhisakurumada 返信ありがとうございます。車田さんの熱い思いを感じました。
創作物は創出されたとたんに受け手の物語となる、というのは完全同意です。
また「感情」の方が強く残るからこそ、キリスト教には一ミリも共感できない私のような無神論者がバッハの教会カンタータなどを聴いて感動することができるのかな、とも思います。
ただこのお話は、音楽愛好家には理解できる部分があっても、一般の人には伝わりにくいかもしれないですね^^;;
音楽そのものの純粋な価値とはかけ離れた部分で、この曲がロシアの勝利として広まってしまうのは、ある程度は仕方がない事というのか・・・「ある部分で」間違ってはいないと私は思います。ただ、音楽に罪はないですね。