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片町線は他線のお古ばかり回ってきたので、放出の車庫が「ハナテン中古車センター」とも呼ばれてましたね。
今もあまり変わってないし、開業したおおさか東線も他線からのポンコツばかりだし>ハナテン中古車センター
ハナテン中古車センター(笑)。
ハナテン中古車センターはワロタ
首都圏の武蔵野線や少し前の常磐線快速線みたいですね
かつて、近鉄京都線にも、当時乙特急の主力だったエースカーこと11400系に似た新製車体に、吊り掛け式モーターの足回りを搭載した18000系という特急用車両が、京橿特急や、京奈特急で使われてました。
2:28 悪意のない皮肉すこ
10:14こっちは悪意ありまくりで草
このテーマの話、地元名鉄はお得意なもの。旧性能(ツリカケ車)を車体更新・3200、3300系 → 3700系シリーズ(特に3780系は冷房車。)・3800系 → 7300系(パノラマカーの普通運転台並みの車体で冷房付)・3900系 → 3300系二代目(6000系並みの車体。但しツリカケ車の車体更新車の中で最も早く引退。保守面でマイナスが多かったという噂)・3850系 → 6850系(瀬戸線用で6000系並みの車体。ツリカケ車の車体更新車の中で最後まで残った)新性能での車体更新・7000系 → 8800系(パノラマDX。7000系パノラマカーの足回りなので、当初は混結運用もあった)・7500系 → 1030系(7500系パノラマカーの半数をパノラマsuper一般席車連結編成の足回りに更新)現在は上記の全形式廃車。
(初代)5000系,5200系→5300系(5700系の機器流用版)1000系→(2代目)5000系(パノラマsuper全車特別車を廃車→足回りを流用)これも追加でな。
戦時設計の台車でここまで使い続けられるのは元々の設計が優れているってことだよね。
昔の台車は頑丈さ重視である程度の重さを許容していましたので。現代の台車はコンピュータを駆使した設計で極限まで軽量化を図っていて少しでも溶接の不備などがあるとすぐ亀裂を生じたりしますね。昔のように「半永久的」に使えるということはなさそうです。
身延線に投入したのは113系ではなく、115系2600番台(中央線の低いトンネル対応のPS23パンタグラフでも通れないトンネルが身延線には有って、更に低くするために簡易低屋根化した特別仕様車)では。
それと、113系と似てると言ってるところがあるけど、実際は上尾事件があり急遽投入された115系300番台という。
実は北海道のキハ141系列は、客車時代よりも気動車時代のほうが長い車両でもあり、50系客車の設計当初に想定されていた自走客車改造可ということを証明した成功例でした。ちなみに、まだ車両の程度が良いため、用途廃車になっても、国内や海外で活躍することが十分予想され、まだまだ50系51形は活躍しそうな予感がします。
JR西日本のキハ33は、山陰のオールドキハを本気で置き換えようと思えば多数派になり得たはずですが、わずか2両の実質"1900番台"の1000番台だけで終わりました。札幌さえ良ければ他はどうでもいいとはならないJR北海道と並行関西私鉄との戦争で精一杯のJR西日本の差なのかな…と…
旧型客車がJR化の数年前まで残った線区もあったみたいですね。
投稿頻度が高いのにわかりやすくて細かい編集なの大好きです😂
地元民は大喜び🎉でも乗ってみると「アレ?意外と揺れるのね…」
もし、103系3000番台みたいに吊り掛け→101系の装備移植によるカルダン駆動化、主電動機交換などをしてれば、113系3000番台とかに化けて民営化まで生き残っていたかもしれない…
62系については、他者の動画で紹介されているのですが、「113系投入までの繋ぎとして最低限の機能を持たせた代物」にすきず、車体も簡易製造で車体に使われた鋼板も通常より薄目のものが使われていたようです。その為廃車時には車体の腐食が酷く72970番台(→103系3000番台)のように車体のみ再利用できず、台車ものとも廃車となっているので、どちらにせよ113系や115系による置き換えは必須だったようです。
@@江川貴洋 10年程度しか使わないなら元の車体をリニューアルすればいいと思った。旧型客車もリニューアルすれば使えた気がするが当時はN40みたいな車体更新の技術がなかったのだろうかね。
@田中一郎 箱根登山鐵道のモハ1 もそう呼ばれて有名です。
@@hasinomoto さん。72系にも他にも色々な更新車が存在しました。アルミサッシや各種部材の更新のみの場合もあれば、片開き4ドアのままでほぼ車体新造の場合もありました。これらの更新車が72系で全金属製車と共に最後まで残ったグループだった。
一応廃車体としてだけど民営化後まで残ってた。佐久間レールパークの運転シュミレーターに運転席周りが流用されていたのはそのため。
見た目は新型、中身は旧式どこぞの名探偵かな?
東武でも旧型車両7000系列の主要機器を流用、車体は新製した5000系列がありました。
14:27 「液体式総括制御って何?」「運転士がボタン一つで全部のドアを操作できるってことだぜ」・・・『液体式』はどこへ行った?
この2代目62系は種車が73だから戦前じゃなくて戦後型でしょ? 主電動機もMT40だし性能的には結構良いはずだよ。同じようなのは、東武の5000とか5050で大々的にやったから(阪急や京阪や京王にもあるし)これなんかそんなに大袈裟になるほどでもないとおもうけど。
それに、ちゃんとした車体に「ハリボテ」は失礼!😜
「古い車体を末長く大切にこき使いましょう」計画…ですね!?
途中で気動車に移ってるけど、機器流用の車体更新車として、413系 717系 107系も成功した部類ではないかと。
えちごトキめき鉄道みたいに413系が観光客を呼べる「稼ぐ列車」になる時代だもんなぁ…
仙石線4連→103系化→川越線3連+青梅線用サハ だったような
そのサハが、後に、八高線の高麗川~八王子間電化による、直通運転のため、四連化に組み込まるれます。
私鉄では京阪が同様の事をやってますね2代目1000系→車体更新して700系に→車体を流用して3代目1000系に書類上は新造扱いとなってますがあと2000系→車体を流用して2600系にというのも
京阪の2624は2000系として落成後、乗せた世代は黒船来襲直後の世代から令和生まれの赤ん坊まで、乗客の生年月日の最古から最新までの差はなんと!!170年近くに…無理を承知で願ってみたい、動態保存でもいいので令和二桁を迎えてほしいと…
@@nekotaro0328こないだ遂に旅立っちまったな
名鉄にもいた。7300は吊り掛け流用だけど車体は当時の新車並み。ただし新製車両に同じデザインは存在しなかった。瀬戸線の6650系、6750系も同じ、新製車にほぼデザインが存在した流用車は5300系や3300系。
現在の5000系も、1000系パノラマスーパー(全車特別車)の車体更新車。
あの車両は、豊橋鉄道時代に乗りました。吊り掛けながらロマンスシートで乗り心地もよく、豪華な仕様だった…
広電700形も車体は新性能だが吊り掛け駆動、まだ現役
東武の5000系、小田急の初代4000形、名鉄の7300系や6750系など私鉄でもツリカケ車両の機器流用で車体だけを新しく作ったというハリボテ電車が数多く存在していましたねぇ。
あと動画へのツッコミ箇所。身延線の置き換え用に導入されたのは113系ではなく、身延線専用仕様の115系2600番台です。
小学生時代の越谷東武線沿線から引っ越して中学高校時代は富士宮身延線沿線、高校卒業後は名古屋で河合塾に通い浪人生活、東京の大学に進学して生田小田急線沿線。ここにある全てのハリボテ電車を体験してます。そこで当時疑問だったのが、ナゼ身延線の62系はスカ色?東海道線と同じにしなかった?
@@mat7029 ハリボテ電車全体験とは…なんとも珍しい経験ですね。62系のスカ色は、クモハユニ44など身延線の戦前型旧国がスカ色だったからそれに合わせたのでしょう。
@@tlt4047 確かに。しかしその後、身延線に登場した正規の新型115系は非冷房で小豆色になっちゃいました。
@@mat7029 JR以降は湘南色になり、AU75冷房準備のフタが屋根にあったのに結局使われずC-AU711で冷房化されましたw
62系のベース車は63系として製造された73系ですが、戦時中に製造されたグループではなく戦後製のグループですから「戦前製」という表記はおかしいのでは?あと、63系ベースで車体更新が行われ最終的にはなんと!VVVF制御化された相鉄3000系も仲間ですよ。
昔、まだ鶴見線に茶色い電車が走っていた頃、見た目は101系の中間車が有りました。
キハ33は1001が津山で保存されてますね。
南海も「匠の技」よく使っていた。初代ズームカーの一群にもあったし、他にもいろいろ。驚きなのは電機子チョッパ制御車を抵抗制御車に改造し、今も第一線で活躍しているからすごい。
チョッパ制御器自体が早々に保守終息になっちゃいましたからね。で、既存の編成と共通運用するためにあえて抵抗制御車としたんだとか。近鉄の3000系(電磁直通ブレーキ化後)のように混結可能な仕組みは無かった模様で……。
阪急電鉄でいえば、1200系と1600系もそうです。1200系は台車は920系から、主電動機・制御機器など電装品は600形から捻出されています。1600系は100形(P-6)の電装解除に伴って発生した主電動機など電装品を流用しましたが、車体と台車は新製されています。今度は私鉄編を是非。
1200系は、伊丹線に入線したときは、ほかの車両がもっと古かったから新しく見えた。先輩格の810系より先に姿を消す運命になってしまった…
@@西島浩-n8q 810系は晩年は今津線で大活躍だもんな。
@@user-Yoh.I あの時代の今津線は、810系もあれば最新だった7000系も見られた(準急ではなくて各駅停車で)…
身延線、旧型じゃないけどクモユニ改造車もあったよね~(123系)
まだまだ走ってる所はいつ引退かわからない中の運転で相当使うのは凄いですね。新しい車両デビューとなると部品類新しい物が多くなりますね。車体新しくて部品類が古い物だけを流用して運転はコストカットとか考えてますね。こっちは横浜市営地下鉄ブルーラインの3000S形は車体とモーターは新しくて部品類は2000形の流用品って事なのはわかります。
思い出したのは京阪1000系。
あの車両は今でも全車現役ですね。リニューアルされたあとは洗練されたスタイルになりましたね…
私鉄でもよくやってる事なので全然珍しくはないけど、「予算がなく」「赤字が累積して余裕がなく」を繰り返し聞いてて切なくなっちゃったな…事実だけど。国鉄民営化を断行した中曽根政権下で物心つき、小学生時代を過ごしたので、地元の私鉄のちっさい駅でも自動改札なのにアホみたいに混んでいるJR天王寺駅(大阪ね)の改札が最後まで人間でやってた理由が分かった事とか、生まれて初めて「世の中悲しいなー、個人個人の貧乏さ富裕さと社会のそれとは連動しないんだなあ、国鉄って税金使えるはずなのに」って思ったのを思い出しますね。(まだ子供なので、漠然とした感想です。社会経済や国有事業のからくり?なんかは後に知るわけで)まア理由はどうあれ結果として国鉄が貧乏そうってのは、関西の都市部住みだと子供心にも見ただけでわかった訳ですが。電車が古くて汚くてうるさくて暑くて寒くて、駅もそう(汗)駅舎も看板もベンチも線路もすべてが哀れで、気を吐いているのは新幹線だけ。親の転勤に伴って関西を離れ、基本的に公共交通機関がバスとJRしかないところに移って鉄道オタクに目覚めるまではずっと「国鉄はボロい」というイメージしかなかったです。いまは好きですし、お金のなさを笑う気も全くありません。お金がない&政府が横槍を入れてきて自由に工夫できない中で頑張らねばならなかった現場の方々には、本当に頭が下がります。
はじめまして!おおっ!「62系」。登場当時「鉄道ジャーナル」か「鉄道ファン」かなにかの表紙を飾ったことがあって、子供ながらに「何これ、新しい電車だけど台車、古いの履いてる。」ってとても不思議に思った記憶があります。詳しい解説ありがとうございます。謎が解けました!
苗穂、驚異のメカニズム!動画終盤で紹介されたキハ141系はいい仕事してますね
62系は引退後佐久間レールパークのシミュレーターの筐体にカットモデルが使われて、閉館後解体されたんですよね後はキハ08系は初代キハ40系だったのが名前が変わったんだよね
当時の国鉄は大手私鉄でもかなりの割合で導入していた吊り掛けメカニズムに新型車両なみの車体を載せた電車をもしかしたら3タイプ開発する予定だったと思います。実現したのは仙石線に導入されたモハ72系970番台と身延線に導入されたモハ62系ですが、どちらも電化支線に大拡張する目論見でしたがトラブルが多く失敗に終わり、この2タイプだけで終わりました。しかし、この他にもしかしたら80系のメカニズムに165系の車体を載せた"モハ80系500番台"を開発して飯田線の急行"天竜"や篠ノ井線や大糸線内だけで完結する急行に入れる予定があったのではないかと思います。
西武のFS40台車はそういう目的の空気バネ台車だった国鉄形式付けて80系に履き替えはあり
……そしてそのお古がグループ企業の近江鉄道に渡り、既存の電車の空気ばね台車化だけでなく、キメラ電車こと220形を生んだ……と。
01:13 この時代、運転士側は昼間でも遮光幕が全て閉じられていました。01:18 開襟シャツ、サングラスのチンピラみたいな運転士と添乗している角刈りの指導員と言うインパクトある写真を見た事があります。
そういえば京都鉄道博物館の101系のモックアップの台枠は旧型電車の物が使われているとか
113系車体に72系の足回りを流用したアコモ改造車62系の存在を知ったのは40年ほど前に発行されたコロタン文庫国電全百科です。103系3000番台の前身72系も同様です。
同じです。まだ小学生だった故、埼玉から乗りに行く事は出来ず、よく分からないまま記憶が薄れて行ったが、川越線電化のとき高運転台103系のクセにドアに外付け式の取っ手が付いていたり、何じゃこれ?と思いましたよ。雑誌でアコモ改造車の成れの果てと知り意識して乗りに行くようになりました。
コロタン文庫懐かしいですね。私もその本保有してました。同時期には実業之日本社から国鉄全車両大百科という本も出てましてこれらの車両か紹介されてました。この2冊で鉄ヲタになった人結構いるんじゃないんでしょうか?(特に今のアラフィフ世代)
@@伊藤和-h7z さん、そうですよね。私が小学校の高学年の時コロタン文庫や実業之日本社の鉄道シリーズをよく読んでいました。
間違っていなかったら、キハ08の写真は今は無き加悦鉄道ですかね❓キハ08 3が加悦鉄道にあり、現存した子供の頃に乗った記憶があります。
知らなかった事ばかりで驚いた😲ハリボテや客車を機動車に…赤字の国鉄時代にそんな知恵が…!!
確かに72系970番台や62系は失敗だったかもしれませんが、119系や121系は厳しく言えば完全な新造車種ではありませんし、気動車でもキハ38はキハ35系の車体載せ替えであり、"キハ35系800番台"でも何ら異議が出ない車両でした。それでもやはり大量更新にはなってないですね。懲りたようで懲りてなかったのか…
初代ゆふいんの森もだ…。キハ65と58の車体の載せ替え…。特急でも飛ばさない…とは言え、特急街道だった博多-久留米ではキツかったかも?
助手席ワイパ形状は天鉄局の113系も同様だった気が。うろ覚えだけど。
10:31 追加した車両がよくわかる写真だなぁ
当時、「アコモデーション」と呼んでいましたね!鉄道ファンとしては、昔の外観に魅力を感じていたので、がっかりした記憶があります。当時の姿を残すか、完全の新車を導入して欲しかったです❣乗り心地は、昔のままですから、外観だけ新しくても、意味のない改造でしたね❣
身延線に投入されたの113系じゃなくて115系2000番台ワインレッドだぞ。
川越線103系3000番台は、その後、改造車の205系1編成が故障により一時的に、1編成だけ運用復帰したが、それ以降二度と帰ってこなかった。
セイシェルキサロ59型は、もともと国鉄末期に、福知山鉄道管理局に12系客車4両編成程度ジョイフルトレインを作る計画で、スハフ12系701「いこい」が1両登場!、1両のみだったので定期普通客車列車に併結して運用されていたが、小回りが利くようにキハ58型2両でサンドイッチ!!、「トンボ列車」として活躍後、再度気動車化とキハ58のジョイフル化でキサロ59に形式変更、これにも欠点があり、エンジン出力不足から湖西線・北陸本線の高速ダイヤに乗れない為、ブースター代わりのキハ58が増結されて運用されていたことがある。
昔、小田急には茶色い車体の電車が走っていました。壁面とかは覚えて無いけど、床は木で、乗降口と反対側の乗降口の間に支柱が立っていた記憶があります。その後小田急は黄色と青っぽいツートンカラーになって、そういう車両は消えてしまいましたが、なんか昔の車両に乗りたくて南部線まで乗りに行った記憶があります。内装が木というのもなかなかいいものだと思うのですが。小田急のカラーリングがクリーム色っぽいボディで青のラインが入ったものに代わった時、「フラワー号」という特別な名前がついていた気がします。小田急のカラーリングと言えば、このチャンネルで紹介されたロマンスカーの色は白にオレンジとか、赤にオレンジとかですが、EXEになる前はシルバーと赤っぽいオレンジで、そっちの方がなんとなく好きです。走りながらオルゴールが内外に発せられていて、いかにもロマンスカーという感じでした。きっと沿線住民からの苦情などで鳴らさなくなってしまったのでしょうね。特急とはロマンスカーや昔のこだま号の様な特殊な顔をしているものだと思っていたのですが、京王線の特急が普通の車両で単に停車駅が少ないというだけのものでがっかりした記憶があります。
支柱のように見えるのはスタンションポール(握り棒)ですね。通路中央のスタンションポールは超混雑時に邪魔になるため日本ではいったん廃れ、国鉄「新性能」電車では座席袖仕切りと一体化したものに変わりました。後に登場した6ドア車では座席を使用しない時間帯があるため復活しています。
名鉄7300系も同じだ。吊り掛けパノラマカー。
瀬戸線には平成生まれの吊り掛け車いましたね…
キハ08系の前は、キハ40系(初代)・・・つまりや、現在のキハ40系は、2代目
当初の一番若い車輌は北海道用の100番代だったのも、初代に配慮してた感はあるな>キハ40
私鉄も東武5050系や小田急4000形初代、名鉄AL車等吊り掛け車両を種車にしたアコモ改造車はかなり有った。
東武5000系列を見たときは、新車かと思いましたよ。しかし、まだ、3000系列が走っており、冷房のついた5000系列は当たりでしたよ。一時期、2000系を改造した?2080系が投入されたけど、冷房はついていないため、空気ばねの2080系よりもコイルバネだけど冷房付きの5000系列が重宝された。最終タイプの5178F~83Fは車内が10000系に準じていました。(蛍光灯の数も多く、車内は明るかった。)
@@tsuka5116 吊り掛け冷房車が高性能非冷房車を追い出した東武野田線ですね。
@@パンチョ特盛 さんその後も更新された初期の8000系の転属で5000系を置き換え、今度は初期の8000系を後期更新の8000系で置き換えという連鎖。しかし、何を思ったのか、野田線専用となる60000系の投入と10000系列の転属。春日部で伊勢崎線の30000系から5070系に乗り換えると格差を感じましたね。
け、京王電鉄 2070系の付随車は、曾て使用された路面電車を高床式にしたものです。 短い車体に、広幅の貫通路がありました。
助手席側ワイパーは113、115の初期型も同じタイプを使っていたよ
戦後運輸省が各私鉄に割り当てた63系は、たしか山陽電鉄でもテセウスの電車を作る母体となりましたね。
私鉄にもそんな車両あった。小田急初代4000形で、最初は吊り掛けで、2400形の流用品に取り替えられるまで非冷房だった。京王の5000系の一部にもあったそう…
学生時代良く乗りました。急行運用で5+5の時モーター音が良く響いていました。台車がパイオニアP3型でディスクが目立っていました。これで吊り掛け駆動方式でしたから珍しいこの上ない車両でしたね。
小田急4000系は流用は主電動機程度で制御器や補機類、台車は全て新製ですね……京王5100形の初期も同じ。
京王電鉄 5000系(初代)を新造した際に、増備車輌として5070系(5100系)が計画製造された。その際、旧車の吊り掛け式の動力を流用しました。 新宿方 2 輌が吊り掛け車で、残り4 輌がカルダン車でした。 協調運転が出来るのが不思議でした。
@@パンチョ特盛 4000番台を名乗るのも当時としては珍しいケースでしたね…
@@西島浩-n8q 400番台なら西武の401系、451系、京急の400(440,460)型があったのですが4000番台は珍しかったですね。
いくら分かりやすい説明のため端折るとはいえ、総括制御の説明が「ドアを運転士がひとつのボタンで出来るように」は違うんじゃないでしょうか??変速機の説明のあとにドアの例えが突然出るのもおかしいですし。実際にはマニュアルとオートマ車の違いで、マニュアルの場合各車両に運転士がいてギアチェンジする必要があった、の方がいいかと。(機械式でもドアの一括制御自体は問題なく出来ますし、そもそも本編でも触れている通り液体式でも併結を前提としてない客車を繋いだ結果ドア扱い出来なくなってる描写もあります。)
相鉄も、初期の2100系は車体はアルミで、旧型国電の払い下げの2000系の下回りを流用していた時期があったみたいですねその後7000系と同じ下回りになりました。5100系も湘南顔のモノコック車体の5000系からアルミ車体に変わりました。
その相鉄では1998年に脱線事故で廃車になった3000(3050)系が元国鉄の63系でまずは車体を旧6000系と同じ物に更新。。。で、1980年代にGTO-VVVFインバーター制御(5100系や新7000系と同じ物)に更新してしまった。。。つまり旧国電にVVVFを積んでしまったと言う事(笑)個人的には中学・高校の時に乗車経験があったけど、車内が他の形式よりも暗かった記憶がある。(でも音はVVVF(笑))
@@asahizoo1 しかも、冷房化されてたんですもんね(笑)
相鉄2100系は、17m国電がルーツの?2000系を更新(機器流用で車体取替)する際、台車の制限重量の関係で20m級の鋼鉄車体を載せられなかったので、車体をアルミで軽くして乗りきったそうですね。
身延線に投入されたのは113系ではなく、115系ですね。(5:22~)
抑速ブレーキ無ければ身延線は走れません※113に抑速ブレーキつけたのが115
@@baka1208 様それは間違い。62形、戦前形はそんなブレーキは無くて自動空気ブレーキのみ。113系には「低屋根車」グループが無かっただけ。115系には中央本線用の低屋根車800番台があったから、すんなり入線できたわけ。戦前形の姿を見れば判ります。飯田線の戦前形と違い、身延線の戦前形はパンタグラフの付近が抉られて低屋根になってますよ。クモハ14形、クモハユニ44801、44802は全部低屋根でしたよ。
@@baka1208他に戻しノッチ機能やノッチ段数が5段あったり、113系は111系に合わせて限流値低めにされていたのが、115系は本来の限流値だし、タイホンも違うぞ。
近鉄920系→1010系と1000系(1200系)も吊り掛け車の流用で新製されたがビスターカー等の下回りに交換されて一部廃車になったが今も現役
12:07 しかし川越の異色の103系は引き際もしぶとくそうは簡単に引退しなかった。川越線電化20周年を記念したイベントのタイミングで定期運用が終了したはずだったが、その10日後に車両不具合に伴う車両不足の懸念から、一時的ではあるがまさかの営業運転を復帰!保留車になった72系時代に廃車されていてもおかしくなかったのに、2度も生還している
個人的には62系は、105系1000番台同様、1M電車に改造し、119系1000番台にすれば良かったかと。そうすれば、弥彦線など投入できる線区はあったはず。
なるほどね。解説が、とてもわかりやすかったですね。
リユースの精神とそれができる技術集団はすばらしいと思う。でも経済的か、長期的にどうかっていうのはまた別でそれだけの技術集団を抱えてるから赤字だった、のかもしれないし。キハ08 客車窓はごっついけど顔はかわいいギャップ萌え 1両くらい残してほしかった 面白かったです!
加悦にいなかったっけ?😋
103系3000番台好きな電車ですまた乗りたいです103系に
私鉄だと前身企業などから寄せ集めた旧型電車の車体を更新して製造された東急の初代3000系グループがこれに該当しそうです。
総武本線、小さい頃どんこうといえばこの白と青の国鉄カラーだったな
仙台に行った時に72系アコモ改造車に乗った。その後、仙台に行く機会がなく、一度きりになってしまった。ところが川越駅で103系3000番台と出会った。残念ながら逆方向だったために乗ることはなかったが、まさかこんな所で再会できるとは思わなかった。これもこの一度きりで、乗ることはなかったけど再会だけでも出来てよかった。
仙石線で騙された一人です(笑)72系電車も好きでしたが、久々に仙石線に乗ったらウグイス色の103系が!山手線と同じだ!って喜んだけど、子供なりに「何か変だな?」と感じる物はありました。結局中学生の時に図書室の山と溪谷社の「国鉄電車」を見るまで騙されてましたよ(笑)☺️
見た目は最新でも走れば吊り掛け爆音ですもんねw
@@buchigirepanda287 ドアも手動で開けてたしね、子供には重かった😨
私鉄の東武鉄道5000、3000、6050、200系や小田急電鉄旧4000系、相鉄3000系などもこの仲間に入れて良いのではないでしょうか、また客車から気動車への改造、その逆は中小私鉄が行っています。頚城鉄道ホジ3他色々あります。東急などでは旧型車を原形のままリニューアルしています。
50系国電などの焼け電を鋼体化した西武311系・371系 「ナカーマ、ナカーマ」
幼稚園の頃に買ってもらった国鉄の本に、113系とそっくりな身延線がなぜモハ62系なのか、仙石線が103系じゃないのかずっとわからないままウン十年もモヤモヤ生きてきたが、ようやくウンコがでたようにすっきりした。
戦前の中古車ってぇのはいかがなものでしょうか?
変なトンネルの御陰で、パンタグラフと車体幅とが大変なことに、、、、そこを通るために国電系の車両のきかくがぁぁ
トンネルを掘り直すのはもちろん、路盤を掘り下げるのですら多額の費用がかかるため、車両を制限してでもそのまま電化するほうがメリットがあったのでしょうね。特に予讃線の電化ではトンネルひとつだけでもそのまま電化ですからね。中央東線も単線トンネルは頭上が狭いため低屋根構造の車両しか入れなかったです。
東武5000系列、3000系列や7300系、西武初代401系も、62系とかとほとんど同じ改造を受けてたりしますwあとは西武9000系や、10000系、4000系も似たようなケースですね()
ニセラマカーはパノラマ先頭車タイプも作って欲しかった。
62系も、モハ、クハ、じゃなくて、クモハ、クハ、で作れば使いやすかったでしょうね。私鉄なら電装解除して台車を入れ替え、ブレーキを変更して、新性能編成に組み込むとかしたでしょう。西武411系なんかも有りました。
昔話みたいになってますけど、これからまた増えていきそうな予感がしますね。鉄道事業者が貧乏になると車輌更新が先延ばしになって。運輸需要減り続けて車輌が少なくても良くなる、別の意味で困ったことになるかもですが。
微妙ですね。在阪私鉄だと丁寧に保守して古い車両でも徹底的に再利用するのだけど、ステンレス車両だと電装品の更新が保守終息できかず、再艤装のコストと天秤にかけて新車を導入する流れは止まらないと思います。JR東日本が『走るんです』209系を誕生させたことからメンテナンスフリーの良さが見直されて……。
この動画を見て、廃車になった2000系の部品を使い回す事で生産コストを安く抑えた横浜市営地下鉄ブルーライン3000S系を思い出したのは自分だけだろうか(笑)
3000S形は、その後さらに機器更新して、デジタルサイネージも導入したので、新車並みの仕様になりましたね…
まぁ、キハ08系が無かったら、現在の50系客車改造の気動車は無かったはずです。しかし、相変わらずいらすとやは、万能ですね。
苗穂の匠はスゲー
嵐電も、車体を更新した昭和初期の車体下部が走っているな~
この電車、飯田線でよく見た覚えがあります。ところで飯田線ではストーブ列車に乗った記憶があります。石炭だったと思います。煙突もありました。またストーブ列車の動画も見てみたいです。
うに?😜
イギリスでやってるのは知ってたけど日本でもやってたとは・・・古い電車は味わい深い形してるなぁ
1:55 子供の頃(今から45〜6年前ですから1976〜7年頃)仙石線にこの種の電車が走っているのを仙台の榴岡公園から見た記憶があります。まもなく101系か103系に置き換わった筈ですので一度乗っておきたかったですね。
その車両、もしかしたら103系の皮を被ったハリボテだったかもしれませんよ… (7:05〜)
現役の時乗った事あります。当時仙石線沿線に住んでまして1980年春から103系が入り始め走行時のモーター音が異なってので一発で見分けがつきましたね。1984年暮れ頃地元の新聞でこのアコモ改造車が翌85年3月の改正で引退するとの情報が出てこれはと思い親に許可をもらって当時所属区だった陸前原ノ町電車区(後に移転して仙台車両センタ-宮城野派出所)に運用を問い合わせて沿線で撮影と仙台-東塩釜折り返しで最後乗り行きました。今だったら現場に運用問い合わせるの御法度ですか"当時はそれができたのがラッキーでしたね。
103-3000なんかに改造せずに中央快速や緩行線で余った101を転配させた方が費用抑えられただろ...
初期の新性能車は車体がヤワだから既に使い物にならなかったのでは?😋
特に101系は酷かったみたいだな(昭和57年の王寺電留線の水没事件では床材に使ってたコルク材が水を吸い込んで惨憺たる状態になって、(初期車も多かったのもあって)あっさり全車廃車になったな)。
見た目は新車、中身はボロって車両最近登場しなくなったなぁ・・・半導体の寿命が短いのと車体を徹底的に弄って使い倒す方針になったのが原因かな?
おおう、ハリボテ身延線には自分は79年頃から主に乗ったけど、東海道線と比べてそこここ見るからに旧式でどっかの中古だと思って乗ってたw半自動ドアだから冬場に閉めたまま発車待ち出来て地元民はむしろ重宝してましたよ、暖房が凶悪にハイパワーでぬくぬくだった
20:14 おお!SL銀河にそんな客車が付いてたとは...(゚ロ゚)
戦中に登場したモハ62と同じ形式なのが面白いですね。戦中の方はクハは77だってけれど。
名鉄にも旧型車両の廃車発生品を使用した車両が居たね。6750系とか旧3300系とか7300系現役なら5000系(2代目)
皆さんは、62系をベースに両開き扉・高性能化した車両が101系だということは知っていますよね?ところで、愛知環状鉄道の初代車両で現在はえちぜん鉄道に譲渡されている100系は、実は101系から車体を取っ払って119系ベースの車体に交換したものですが、その時に余った101系の車体はどこに行ったのでしょうか。個人的に101系を丸ごと譲渡させても良かったと思うのですが、皆さんはどう思いますか?長文失礼しました。
魔改造の上に再魔改造…!?
1:50 ハリボテエレジー????いやいや、こっちは普通に走るし曲がれ・・・るから。
京成3400形は初代スカイライナーAE形の機器流用車ですが通勤形に改造後の期間の方が長くなっています。
機器流用車と云うヤツですね?それで5:19、身延線は113系ではなく115系なのでは?あと10:05、103系3000番代車が登場したばかりの頃、自宅の近所の貨物線をこの車両が通ったのを偶然妹が発見してしまい「3両編成の山手線を見た!」と騒いでいたのをよく憶えています。
小田急でも4000とかいう似たような電車が😂廃車になった2400の下回りに4000の車体つけた😂川越線にそっくり😅
東武鉄道なんかは戦前型や戦後の通勤形を更新して比較的長く使ったが、国鉄版は機器からして長持ちしなかった。これは労使関係も絡んでいるのかな。今さら考えても仕方ないがろくすっぽ整備してなかったとか…。
西武,近鉄(滋賀の方の) 「ナカーマ」
三井三池「特にコメントする立場に無い。」
いーや、戦前のモーターMT15や制式電空カム軸式制御器 CS5 なんか、西武鉄道でさんざん使ったし、平成の世でもグループ会社の近江鉄道で使い倒しましたからね。決して設計が長持ちしなかったわけじゃありません。むしろ今どきのVVVFインバータのほうが保守終息が早々に来て修理不能になり、寿命が短くなっていると思います。VVVFインバータに駆逐されたチョッパ制御器はもっとひどかった!
ある意味、力関係が分かる
客車の気動車化と言えば、和田岬線迷物だけかと思ったら、結構あるのですな。^^;
偽パノマラカーとか名鉄6653系も
今もかわらないって今は新しい電車が走ってますがね!
身延線に投入されたのは113系ではありません115系ですしかも身延線専用の(後に御殿場線と共通使用されましたが)身延線のような路線では113系は走れません
>身延線のような路線では113系は走れません上げ足取りみたいで申し訳ないですが、創臨(創価学会が日蓮宗の信徒団体だった時代に運転されていた学会員向け団臨)で東海道線東京口の113系は富士宮まで入線しています。
名鉄では、よくあるやり方😂
現在でも5000系が該当。
同じウグイス色やスカイブルーでも山手線や京浜東北線に比べて仙石線のはくたびれた感じ感じするのは何故だろう
JRの車輌じゃないけど、自分の私鉄にも廃車した車輌の走行機器を流用して車体乗せ変えなんて車輌が何種類かいましたねぇ、昭和38年式の旧式の車体を乗せかえた一部指定席の特急とか(笑)
片町線は他線のお古ばかり回ってきたので、放出の車庫が「ハナテン中古車センター」とも呼ばれてましたね。
今もあまり変わってないし、開業したおおさか東線も他線からのポンコツばかりだし>ハナテン中古車センター
ハナテン中古車センター(笑)。
ハナテン中古車センターはワロタ
首都圏の武蔵野線や少し前の常磐線快速線みたいですね
かつて、近鉄京都線にも、当時乙特急の主力だったエースカーこと11400系に似た新製車体に、吊り掛け式モーターの足回りを搭載した18000系という特急用車両が、京橿特急や、京奈特急で使われてました。
2:28 悪意のない皮肉すこ
10:14
こっちは悪意ありまくりで草
このテーマの話、地元名鉄はお得意なもの。
旧性能(ツリカケ車)を車体更新
・3200、3300系 → 3700系シリーズ(特に3780系は冷房車。)
・3800系 → 7300系(パノラマカーの普通運転台並みの車体で冷房付)
・3900系 → 3300系二代目(6000系並みの車体。但しツリカケ車の車体更新車の中で最も早く引退。保守面でマイナスが多かったという噂)
・3850系 → 6850系(瀬戸線用で6000系並みの車体。ツリカケ車の車体更新車の中で最後まで残った)
新性能での車体更新
・7000系 → 8800系(パノラマDX。7000系パノラマカーの足回りなので、当初は混結運用もあった)
・7500系 → 1030系(7500系パノラマカーの半数をパノラマsuper一般席車連結編成の足回りに更新)
現在は上記の全形式廃車。
(初代)5000系,5200系→5300系(5700系の機器流用版)
1000系→(2代目)5000系(パノラマsuper全車特別車を廃車→足回りを流用)
これも追加でな。
戦時設計の台車でここまで使い続けられるのは元々の設計が優れているってことだよね。
昔の台車は頑丈さ重視である程度の重さを許容していましたので。現代の台車はコンピュータを駆使した設計で極限まで軽量化を図っていて少しでも溶接の不備などがあるとすぐ亀裂を生じたりしますね。昔のように「半永久的」に使えるということはなさそうです。
身延線に投入したのは113系ではなく、115系2600番台(中央線の低いトンネル対応のPS23パンタグラフでも通れないトンネルが身延線には有って、更に低くするために簡易低屋根化した特別仕様車)では。
それと、113系と似てると言ってるところがあるけど、実際は上尾事件があり急遽投入された115系300番台という。
実は北海道のキハ141系列は、客車時代よりも気動車時代のほうが長い車両でもあり、50系客車の設計当初に想定されていた自走客車改造可ということを証明した成功例でした。ちなみに、まだ車両の程度が良いため、用途廃車になっても、国内や海外で活躍することが十分予想され、まだまだ50系51形は活躍しそうな予感がします。
JR西日本のキハ33は、山陰のオールドキハを本気で置き換えようと思えば多数派になり得たはずですが、わずか2両の実質"1900番台"の1000番台だけで終わりました。
札幌さえ良ければ他はどうでもいいとはならないJR北海道と並行関西私鉄との戦争で精一杯のJR西日本の差なのかな…と…
旧型客車がJR化の数年前まで残った線区もあったみたいですね。
投稿頻度が高いのにわかりやすくて細かい編集なの大好きです😂
地元民は大喜び🎉
でも乗ってみると「アレ?意外と揺れるのね…」
もし、103系3000番台みたいに吊り掛け→101系の装備移植によるカルダン駆動化、主電動機交換などをしてれば、113系3000番台とかに化けて民営化まで生き残っていたかもしれない…
62系については、他者の動画で紹介されているのですが、「113系投入までの繋ぎとして最低限の機能を持たせた代物」にすきず、車体も簡易製造で車体に使われた鋼板も通常より薄目のものが使われていたようです。
その為廃車時には車体の腐食が酷く72970番台(→103系3000番台)のように車体のみ再利用できず、台車ものとも廃車となっているので、どちらにせよ113系や115系による置き換えは必須だったようです。
@@江川貴洋 10年程度しか使わないなら元の車体をリニューアルすればいいと思った。旧型客車もリニューアルすれば使えた気がするが当時はN40みたいな車体更新の技術がなかったのだろうかね。
@田中一郎
箱根登山鐵道のモハ1 もそう呼ばれて有名です。
@@hasinomoto さん。
72系にも他にも色々な更新車が存在しました。アルミサッシや各種部材の更新のみの場合もあれば、片開き4ドアのままでほぼ車体新造の場合もありました。
これらの更新車が72系で全金属製車と共に最後まで残ったグループだった。
一応廃車体としてだけど民営化後まで残ってた。
佐久間レールパークの運転シュミレーターに運転席周りが流用されていたのはそのため。
見た目は新型、中身は旧式
どこぞの名探偵かな?
東武でも旧型車両7000系列の主要機器を流用、車体は新製した5000系列がありました。
14:27 「液体式総括制御って何?」「運転士がボタン一つで全部のドアを操作できるってことだぜ」・・・『液体式』はどこへ行った?
この2代目62系は種車が73だから戦前じゃなくて戦後型でしょ? 主電動機もMT40だし性能的には結構良いはずだよ。同じようなのは、東武の5000とか5050で大々的にやったから(阪急や京阪や京王にもあるし)これなんかそんなに大袈裟になるほどでもないとおもうけど。
それに、ちゃんとした車体に「ハリボテ」は失礼!😜
「古い車体を末長く大切にこき使いましょう」計画…ですね!?
途中で気動車に移ってるけど、
機器流用の車体更新車として、413系 717系 107系も成功した部類ではないかと。
えちごトキめき鉄道みたいに413系が観光客を呼べる「稼ぐ列車」になる時代だもんなぁ…
仙石線4連→103系化→川越線3連+青梅線用サハ だったような
そのサハが、後に、八高線の高麗川~八王子間電化による、直通運転のため、四連化に組み込まるれます。
私鉄では京阪が同様の事をやってますね
2代目1000系→車体更新して700系に→車体を流用して3代目1000系に
書類上は新造扱いとなってますが
あと2000系→車体を流用して2600系に
というのも
京阪の2624は2000系として落成後、乗せた世代は黒船来襲直後の世代から令和生まれの赤ん坊まで、乗客の生年月日の最古から最新までの差はなんと!!170年近くに…無理を承知で願ってみたい、動態保存でもいいので令和二桁を迎えてほしいと…
@@nekotaro0328こないだ遂に旅立っちまったな
名鉄にもいた。7300は吊り掛け流用だけど車体は当時の新車並み。ただし新製車両に同じデザインは存在しなかった。瀬戸線の6650系、6750系も同じ、新製車にほぼデザインが存在した流用車は5300系や3300系。
現在の5000系も、1000系パノラマスーパー(全車特別車)の車体更新車。
あの車両は、豊橋鉄道時代に乗りました。吊り掛けながらロマンスシートで乗り心地もよく、豪華な仕様だった…
広電700形も車体は新性能だが吊り掛け駆動、まだ現役
東武の5000系、小田急の初代4000形、名鉄の7300系や6750系など私鉄でもツリカケ車両の機器流用で車体だけを新しく作ったというハリボテ電車が数多く存在していましたねぇ。
あと動画へのツッコミ箇所。
身延線の置き換え用に導入されたのは113系ではなく、身延線専用仕様の115系2600番台です。
小学生時代の越谷東武線沿線から引っ越して中学高校時代は富士宮身延線沿線、高校卒業後は名古屋で河合塾に通い浪人生活、東京の大学に進学して生田小田急線沿線。
ここにある全てのハリボテ電車を体験してます。
そこで当時疑問だったのが、ナゼ身延線の62系はスカ色?東海道線と同じにしなかった?
@@mat7029 ハリボテ電車全体験とは…なんとも珍しい経験ですね。
62系のスカ色は、クモハユニ44など身延線の戦前型旧国がスカ色だったからそれに合わせたのでしょう。
@@tlt4047
確かに。
しかしその後、身延線に登場した正規の新型115系は非冷房で小豆色になっちゃいました。
@@mat7029 JR以降は湘南色になり、AU75冷房準備のフタが屋根にあったのに結局使われずC-AU711で冷房化されましたw
62系のベース車は63系として製造された73系ですが、戦時中に製造されたグループではなく戦後製のグループですから「戦前製」という表記はおかしいのでは?あと、63系ベースで車体更新が行われ最終的にはなんと!VVVF制御化された相鉄3000系も仲間ですよ。
昔、まだ鶴見線に茶色い電車が走っていた頃、見た目は101系の中間車が有りました。
キハ33は1001が津山で保存されてますね。
南海も「匠の技」よく使っていた。初代ズームカーの一群にもあったし、他にもいろいろ。驚きなのは電機子チョッパ制御車を抵抗制御車に改造し、今も第一線で活躍しているからすごい。
チョッパ制御器自体が早々に保守終息になっちゃいましたからね。
で、既存の編成と共通運用するためにあえて抵抗制御車としたんだとか。
近鉄の3000系(電磁直通ブレーキ化後)のように混結可能な仕組みは無かった模様で……。
阪急電鉄でいえば、1200系と1600系もそうです。
1200系は台車は920系から、主電動機・制御機器など電装品は600形から捻出されています。
1600系は100形(P-6)の電装解除に伴って発生した主電動機など電装品を流用しましたが、車体と台車は新製されています。
今度は私鉄編を是非。
1200系は、伊丹線に入線したときは、ほかの車両がもっと古かったから新しく見えた。先輩格の810系より先に姿を消す運命になってしまった…
@@西島浩-n8q 810系は晩年は今津線で大活躍だもんな。
@@user-Yoh.I あの時代の今津線は、810系もあれば最新だった7000系も見られた(準急ではなくて各駅停車で)…
身延線、旧型じゃないけどクモユニ改造車もあったよね~(123系)
まだまだ走ってる所はいつ引退かわからない中の運転で相当使うのは凄いですね。
新しい車両デビューとなると部品類新しい物が多くなりますね。
車体新しくて部品類が古い物だけを流用して運転はコストカットとか考えてますね。
こっちは横浜市営地下鉄ブルーラインの3000S形は車体とモーターは新しくて部品類は2000形の流用品って事なのはわかります。
思い出したのは京阪1000系。
あの車両は今でも全車現役ですね。リニューアルされたあとは洗練されたスタイルになりましたね…
私鉄でもよくやってる事なので全然珍しくはないけど、「予算がなく」「赤字が累積して余裕がなく」を繰り返し聞いてて切なくなっちゃったな…事実だけど。
国鉄民営化を断行した中曽根政権下で物心つき、小学生時代を過ごしたので、地元の私鉄のちっさい駅でも自動改札なのにアホみたいに混んでいるJR天王寺駅(大阪ね)の改札が最後まで人間でやってた理由が分かった事とか、生まれて初めて「世の中悲しいなー、個人個人の貧乏さ富裕さと社会のそれとは連動しないんだなあ、国鉄って税金使えるはずなのに」って思ったのを思い出しますね。
(まだ子供なので、漠然とした感想です。社会経済や国有事業のからくり?なんかは後に知るわけで)
まア理由はどうあれ結果として国鉄が貧乏そうってのは、関西の都市部住みだと子供心にも見ただけでわかった訳ですが。電車が古くて汚くてうるさくて暑くて寒くて、駅もそう(汗)駅舎も看板もベンチも線路もすべてが哀れで、気を吐いているのは新幹線だけ。
親の転勤に伴って関西を離れ、基本的に公共交通機関がバスとJRしかないところに移って鉄道オタクに目覚めるまではずっと「国鉄はボロい」というイメージしかなかったです。
いまは好きですし、お金のなさを笑う気も全くありません。お金がない&政府が横槍を入れてきて自由に工夫できない中で頑張らねばならなかった現場の方々には、本当に頭が下がります。
はじめまして!おおっ!「62系」。登場当時「鉄道ジャーナル」か「鉄道ファン」かなにかの表紙を飾ったことがあって、子供ながらに
「何これ、新しい電車だけど台車、古いの履いてる。」ってとても不思議に思った記憶があります。詳しい解説ありがとうございます。謎が解けました!
苗穂、驚異のメカニズム!
動画終盤で紹介されたキハ141系はいい仕事してますね
62系は引退後佐久間レールパークのシミュレーターの筐体にカットモデルが使われて、閉館後解体されたんですよね
後はキハ08系は初代キハ40系だったのが名前が変わったんだよね
当時の国鉄は大手私鉄でもかなりの割合で導入していた吊り掛けメカニズムに新型車両なみの車体を載せた電車をもしかしたら3タイプ開発する予定だったと思います。
実現したのは仙石線に導入されたモハ72系970番台と身延線に導入されたモハ62系ですが、どちらも電化支線に大拡張する目論見でしたがトラブルが多く失敗に終わり、この2タイプだけで終わりました。
しかし、この他にもしかしたら80系のメカニズムに165系の車体を載せた"モハ80系500番台"を開発して飯田線の急行"天竜"や篠ノ井線や大糸線内だけで完結する急行に入れる予定があったのではないかと思います。
西武のFS40台車はそういう目的の空気バネ台車だった
国鉄形式付けて80系に履き替えはあり
……そしてそのお古がグループ企業の近江鉄道に渡り、既存の電車の空気ばね台車化だけでなく、キメラ電車こと220形を生んだ……と。
01:13 この時代、運転士側は昼間でも遮光幕が全て閉じられていました。01:18 開襟シャツ、サングラスのチンピラみたいな運転士と添乗している角刈りの指導員と言うインパクトある写真を見た事があります。
そういえば京都鉄道博物館の101系のモックアップの台枠は旧型電車の物が使われているとか
113系車体に72系の足回りを流用したアコモ改造車62系の存在を知ったのは40年ほど前に発行されたコロタン文庫国電全百科です。103系3000番台の前身72系も同様です。
同じです。まだ小学生だった故、埼玉から乗りに行く事は出来ず、よく分からないまま記憶が薄れて行ったが、川越線電化のとき高運転台103系のクセにドアに外付け式の取っ手が付いていたり、何じゃこれ?と思いましたよ。雑誌でアコモ改造車の成れの果てと知り意識して乗りに行くようになりました。
コロタン文庫懐かしいですね。私もその本保有してました。同時期には実業之日本社から国鉄全車両大百科という本も出てましてこれらの車両か紹介されてました。この2冊で鉄ヲタになった人結構いるんじゃないんでしょうか?(特に今のアラフィフ世代)
@@伊藤和-h7z さん、そうですよね。私が小学校の高学年の時コロタン文庫や実業之日本社の鉄道シリーズをよく読んでいました。
間違っていなかったら、キハ08の写真は今は無き加悦鉄道ですかね❓キハ08 3が加悦鉄道にあり、現存した子供の頃に乗った記憶があります。
知らなかった事ばかりで
驚いた😲
ハリボテや客車を機動車に…
赤字の国鉄時代にそんな知恵が…!!
確かに72系970番台や62系は失敗だったかもしれませんが、119系や121系は厳しく言えば完全な新造車種ではありませんし、気動車でもキハ38はキハ35系の車体載せ替えであり、"キハ35系800番台"でも何ら異議が出ない車両でした。それでもやはり大量更新にはなってないですね。懲りたようで懲りてなかったのか…
初代ゆふいんの森もだ…。
キハ65と58の車体の載せ替え…。
特急でも飛ばさない…とは言え、特急街道だった博多-久留米ではキツかったかも?
助手席ワイパ形状は天鉄局の113系も同様だった気が。
うろ覚えだけど。
10:31 追加した車両がよくわかる写真だなぁ
当時、「アコモデーション」と呼んでいましたね!
鉄道ファンとしては、昔の外観に魅力を感じていたので、がっかりした記憶があります。
当時の姿を残すか、完全の新車を導入して欲しかったです❣
乗り心地は、昔のままですから、外観だけ新しくても、意味のない改造でしたね❣
身延線に投入されたの113系じゃなくて115系2000番台ワインレッドだぞ。
川越線103系3000番台は、
その後、改造車の205系1編成が故障により
一時的に、1編成だけ運用復帰したが、
それ以降二度と帰ってこなかった。
セイシェルキサロ59型は、もともと国鉄末期に、福知山鉄道管理局に12系客車4両編成程度ジョイフルトレインを作る計画で、スハフ12系701「いこい」が1両登場!、1両のみだったので定期普通客車列車に併結して運用されていたが、小回りが利くようにキハ58型2両でサンドイッチ!!、「トンボ列車」として活躍後、再度気動車化とキハ58のジョイフル化でキサロ59に形式変更、これにも欠点があり、エンジン出力不足から湖西線・北陸本線の高速ダイヤに乗れない為、ブースター代わりのキハ58が増結されて運用されていたことがある。
昔、小田急には茶色い車体の電車が走っていました。
壁面とかは覚えて無いけど、床は木で、乗降口と反対側の乗降口の間に支柱が立っていた記憶があります。
その後小田急は黄色と青っぽいツートンカラーになって、そういう車両は消えてしまいましたが、なんか昔の車両に乗りたくて南部線まで乗りに行った記憶があります。内装が木というのもなかなかいいものだと思うのですが。
小田急のカラーリングがクリーム色っぽいボディで青のラインが入ったものに代わった時、「フラワー号」という特別な名前がついていた気がします。
小田急のカラーリングと言えば、このチャンネルで紹介されたロマンスカーの色は白にオレンジとか、赤にオレンジとかですが、EXEになる前はシルバーと赤っぽいオレンジで、そっちの方がなんとなく好きです。
走りながらオルゴールが内外に発せられていて、いかにもロマンスカーという感じでした。きっと沿線住民からの苦情などで鳴らさなくなってしまったのでしょうね。
特急とはロマンスカーや昔のこだま号の様な特殊な顔をしているものだと思っていたのですが、京王線の特急が普通の車両で単に停車駅が少ないというだけのものでがっかりした記憶があります。
支柱のように見えるのはスタンションポール(握り棒)ですね。通路中央のスタンションポールは超混雑時に邪魔になるため日本ではいったん廃れ、国鉄「新性能」電車では座席袖仕切りと一体化したものに変わりました。後に登場した6ドア車では座席を使用しない時間帯があるため復活しています。
名鉄7300系も同じだ。吊り掛けパノラマカー。
瀬戸線には平成生まれの吊り掛け車いましたね…
キハ08系の前は、キハ40系(初代)・・・つまりや、現在のキハ40系は、2代目
当初の一番若い車輌は北海道用の100番代だったのも、初代に配慮してた感はあるな>キハ40
私鉄も東武5050系や小田急4000形初代、名鉄AL車等吊り掛け車両を種車にしたアコモ改造車はかなり有った。
東武5000系列を見たときは、新車かと思いましたよ。
しかし、まだ、3000系列が走っており、冷房のついた5000系列は当たりでしたよ。
一時期、2000系を改造した?2080系が投入されたけど、冷房はついていないため、
空気ばねの2080系よりもコイルバネだけど冷房付きの5000系列が重宝された。
最終タイプの5178F~83Fは車内が10000系に準じていました。
(蛍光灯の数も多く、車内は明るかった。)
@@tsuka5116 吊り掛け冷房車が高性能非冷房車を追い出した東武野田線ですね。
@@パンチョ特盛 さん
その後も更新された初期の8000系の転属で5000系を置き換え、今度は初期の8000系を後期更新の8000系で置き換えという連鎖。
しかし、何を思ったのか、野田線専用となる60000系の投入と10000系列の転属。
春日部で伊勢崎線の30000系から5070系に乗り換えると格差を感じましたね。
け、京王電鉄 2070系の付随車は、曾て使用された路面電車を高床式にしたものです。 短い車体に、広幅の貫通路がありました。
助手席側ワイパーは113、115の初期型も同じタイプを使っていたよ
戦後運輸省が各私鉄に割り当てた63系は、たしか山陽電鉄でもテセウスの電車を作る母体となりましたね。
私鉄にもそんな車両あった。小田急初代4000形で、最初は吊り掛けで、2400形の流用品に取り替えられるまで非冷房だった。京王の5000系の一部にもあったそう…
学生時代良く乗りました。急行運用で5+5の時モーター音が良く響いていました。台車がパイオニアP3型でディスクが目立っていました。これで吊り掛け駆動方式でしたから珍しいこの上ない車両でしたね。
小田急4000系は流用は主電動機程度で制御器や補機類、台車は全て新製ですね……
京王5100形の初期も同じ。
京王電鉄 5000系(初代)を新造した際に、増備車輌として5070系(5100系)が計画製造された。
その際、旧車の吊り掛け式の動力を流用しました。
新宿方 2 輌が吊り掛け車で、残り4 輌がカルダン車でした。
協調運転が出来るのが不思議でした。
@@パンチョ特盛 4000番台を名乗るのも当時としては珍しいケースでしたね…
@@西島浩-n8q 400番台なら西武の401系、451系、京急の400(440,460)型があったのですが4000番台は珍しかったですね。
いくら分かりやすい説明のため端折るとはいえ、総括制御の説明が「ドアを運転士がひとつのボタンで出来るように」は違うんじゃないでしょうか??
変速機の説明のあとにドアの例えが突然出るのもおかしいですし。
実際にはマニュアルとオートマ車の違いで、マニュアルの場合各車両に運転士がいてギアチェンジする必要があった、の方がいいかと。
(機械式でもドアの一括制御自体は問題なく出来ますし、そもそも本編でも触れている通り液体式でも併結を前提としてない客車を繋いだ結果ドア扱い出来なくなってる描写もあります。)
相鉄も、初期の2100系は車体はアルミで、旧型国電の払い下げの2000系の下回りを流用していた時期があったみたいですねその後7000系と同じ下回りになりました。
5100系も湘南顔のモノコック車体の5000系からアルミ車体に変わりました。
その相鉄では1998年に脱線事故で廃車になった3000(3050)系が元国鉄の63系で
まずは車体を旧6000系と同じ物に更新。。。
で、1980年代にGTO-VVVFインバーター制御(5100系や新7000系と同じ物)に更新してしまった。。。
つまり旧国電にVVVFを積んでしまったと言う事(笑)
個人的には中学・高校の時に乗車経験があったけど、車内が他の形式よりも暗かった記憶がある。
(でも音はVVVF(笑))
@@asahizoo1 しかも、冷房化されてたんですもんね(笑)
相鉄2100系は、17m国電がルーツの?2000系を更新(機器流用で車体取替)する際、台車の制限重量の関係で20m級の鋼鉄車体を載せられなかったので、車体をアルミで軽くして乗りきったそうですね。
身延線に投入されたのは113系ではなく、115系ですね。(5:22~)
抑速ブレーキ無ければ身延線は走れません
※113に抑速ブレーキつけたのが115
@@baka1208 様
それは間違い。
62形、戦前形はそんなブレーキは無くて自動空気ブレーキのみ。
113系には「低屋根車」グループが無かっただけ。
115系には中央本線用の低屋根車800番台があったから、すんなり入線できたわけ。
戦前形の姿を見れば判ります。
飯田線の戦前形と違い、身延線の戦前形はパンタグラフの付近が抉られて低屋根になってますよ。
クモハ14形、クモハユニ44801、44802は全部低屋根でしたよ。
@@baka1208
他に戻しノッチ機能やノッチ段数が5段あったり、113系は111系に合わせて限流値低めにされていたのが、
115系は本来の限流値だし、タイホンも違うぞ。
近鉄920系→1010系と1000系(1200系)も吊り掛け車の流用で新製されたがビスターカー等の下回りに交換されて一部廃車になったが今も現役
12:07 しかし川越の異色の103系は引き際もしぶとくそうは簡単に引退しなかった。
川越線電化20周年を記念したイベントのタイミングで定期運用が終了したはずだったが、
その10日後に車両不具合に伴う車両不足の懸念から、一時的ではあるがまさかの営業運転を復帰!
保留車になった72系時代に廃車されていてもおかしくなかったのに、2度も生還している
個人的には62系は、105系1000番台同様、1M電車に改造し、119系1000番台にすれば良かったかと。
そうすれば、弥彦線など投入できる線区はあったはず。
なるほどね。
解説が、とてもわかりやすかったですね。
リユースの精神とそれができる技術集団はすばらしいと思う。でも経済的か、長期的にどうかっていうのはまた別でそれだけの技術集団を抱えてるから赤字だった、のかもしれないし。
キハ08 客車窓はごっついけど顔はかわいいギャップ萌え 1両くらい残してほしかった 面白かったです!
加悦にいなかったっけ?😋
103系3000番台好きな電車です
また乗りたいです103系に
私鉄だと前身企業などから寄せ集めた旧型電車の車体を更新して製造された東急の初代3000系グループがこれに該当しそうです。
総武本線、小さい頃どんこうといえばこの白と青の国鉄カラーだったな
仙台に行った時に72系アコモ改造車に乗った。
その後、仙台に行く機会がなく、一度きりになってしまった。
ところが川越駅で103系3000番台と出会った。
残念ながら逆方向だったために乗ることはなかったが、まさかこんな所で再会できるとは思わなかった。
これもこの一度きりで、乗ることはなかったけど再会だけでも出来てよかった。
仙石線で騙された一人です(笑)72系電車も好きでしたが、久々に仙石線に乗ったらウグイス色の103系が!山手線と同じだ!って喜んだけど、子供なりに「何か変だな?」と感じる物はありました。結局中学生の時に図書室の山と溪谷社の「国鉄電車」を見るまで騙されてましたよ(笑)☺️
見た目は最新でも走れば吊り掛け爆音ですもんねw
@@buchigirepanda287 ドアも手動で開けてたしね、子供には重かった😨
私鉄の東武鉄道5000、3000、6050、200系や小田急電鉄旧4000系、相鉄3000系などもこの仲間に入れて良いのではないでしょうか、また客車から気動車への改造、その逆は中小私鉄が行っています。頚城鉄道ホジ3他色々あります。東急などでは旧型車を原形のままリニューアルしています。
50系国電などの焼け電を鋼体化した西武311系・371系 「ナカーマ、ナカーマ」
幼稚園の頃に買ってもらった国鉄の本に、113系とそっくりな身延線がなぜモハ62系なのか、仙石線が103系じゃないのか
ずっとわからないままウン十年もモヤモヤ生きてきたが、ようやくウンコがでたようにすっきりした。
戦前の中古車ってぇのはいかがなものでしょうか?
変なトンネルの御陰で、パンタグラフと車体幅とが大変なことに、、、、そこを通るために国電系の車両のきかくがぁぁ
トンネルを掘り直すのはもちろん、路盤を掘り下げるのですら多額の費用がかかるため、車両を制限してでもそのまま電化するほうがメリットがあったのでしょうね。特に予讃線の電化ではトンネルひとつだけでもそのまま電化ですからね。
中央東線も単線トンネルは頭上が狭いため低屋根構造の車両しか入れなかったです。
東武5000系列、3000系列や7300系、西武初代401系も、62系とかとほとんど同じ改造を受けてたりしますw
あとは西武9000系や、10000系、4000系も似たようなケースですね()
ニセラマカーはパノラマ先頭車タイプも作って欲しかった。
62系も、モハ、クハ、じゃなくて、クモハ、クハ、で作れば使いやすかったでしょうね。私鉄なら電装解除して台車を入れ替え、ブレーキを変更して、新性能編成に組み込むとかしたでしょう。西武411系なんかも有りました。
昔話みたいになってますけど、これからまた増えていきそうな予感がしますね。
鉄道事業者が貧乏になると車輌更新が先延ばしになって。運輸需要減り続けて車輌が少なくても良くなる、別の意味で困ったことになるかもですが。
微妙ですね。
在阪私鉄だと丁寧に保守して古い車両でも徹底的に再利用するのだけど、ステンレス車両だと電装品の更新が保守終息できかず、再艤装のコストと天秤にかけて新車を導入する流れは止まらないと思います。JR東日本が『走るんです』209系を誕生させたことからメンテナンスフリーの良さが見直されて……。
この動画を見て、廃車になった2000系の部品を使い回す事で生産コストを安く抑えた横浜市営地下鉄ブルーライン3000S系を思い出したのは自分だけだろうか(笑)
3000S形は、その後さらに機器更新して、デジタルサイネージも導入したので、新車並みの仕様になりましたね…
まぁ、キハ08系が無かったら、現在の50系客車改造の気動車は無かったはずです。しかし、相変わらずいらすとやは、万能ですね。
苗穂の匠はスゲー
嵐電も、車体を更新した昭和初期の車体下部が走っているな~
この電車、飯田線でよく見た覚えがあります。
ところで飯田線ではストーブ列車に乗った記憶があります。石炭だったと思います。煙突もありました。
またストーブ列車の動画も見てみたいです。
うに?😜
イギリスでやってるのは知ってたけど日本でもやってたとは・・・古い電車は味わい深い形してるなぁ
1:55 子供の頃(今から45〜6年前ですから1976〜7年頃)仙石線にこの種の電車が走っているのを仙台の榴岡公園から見た記憶があります。まもなく101系か103系に置き換わった筈ですので一度乗っておきたかったですね。
その車両、もしかしたら103系の皮を被ったハリボテだったかもしれませんよ… (7:05〜)
現役の時乗った事あります。当時仙石線沿線に住んでまして1980年春から103系が入り始め走行時のモーター音が異なってので一発で見分けがつきましたね。1984年暮れ頃地元の新聞でこのアコモ改造車が翌85年3月の改正で引退するとの情報が出てこれはと思い親に許可をもらって当時所属区だった陸前原ノ町電車区(後に移転して仙台車両センタ-宮城野派出所)に運用を問い合わせて沿線で撮影と仙台-東塩釜折り返しで最後乗り行きました。今だったら現場に運用問い合わせるの御法度ですか"当時はそれができたのがラッキーでしたね。
103-3000なんかに改造せずに中央快速や緩行線で余った101を転配させた方が費用抑えられただろ...
初期の新性能車は車体がヤワだから既に使い物にならなかったのでは?😋
特に101系は酷かったみたいだな(昭和57年の王寺電留線の水没事件では床材に使ってたコルク材が水を吸い込んで惨憺たる状態になって、(初期車も多かったのもあって)あっさり全車廃車になったな)。
見た目は新車、中身はボロって車両最近登場しなくなったなぁ・・・半導体の寿命が短いのと車体を徹底的に弄って使い倒す方針になったのが原因かな?
おおう、ハリボテ身延線には自分は79年頃から主に乗ったけど、東海道線と比べてそこここ見るからに旧式でどっかの中古だと思って乗ってたw
半自動ドアだから冬場に閉めたまま発車待ち出来て地元民はむしろ重宝してましたよ、暖房が凶悪にハイパワーでぬくぬくだった
20:14 おお!SL銀河にそんな客車が付いてたとは...(゚ロ゚)
戦中に登場したモハ62と同じ形式なのが面白いですね。戦中の方はクハは77だってけれど。
名鉄にも旧型車両の廃車発生品を使用した車両が居たね。
6750系とか旧3300系とか7300系
現役なら5000系(2代目)
皆さんは、62系をベースに両開き扉・高性能化した車両が101系だということは知っていますよね?ところで、愛知環状鉄道の初代車両で現在はえちぜん鉄道に譲渡されている100系は、実は101系から車体を取っ払って119系ベースの車体に交換したものですが、その時に余った101系の車体はどこに行ったのでしょうか。個人的に101系を丸ごと譲渡させても良かったと思うのですが、皆さんはどう思いますか?長文失礼しました。
魔改造の上に再魔改造…!?
1:50 ハリボテエレジー????
いやいや、こっちは普通に走るし曲がれ・・・るから。
京成3400形は初代スカイライナーAE形の機器流用車ですが通勤形に改造後の期間の方が長くなっています。
機器流用車と云うヤツですね?それで5:19、身延線は113系ではなく115系なのでは?あと10:05、103系3000番代車が登場したばかりの頃、自宅の近所の貨物線をこの車両が通ったのを偶然妹が発見してしまい「3両編成の山手線を見た!」と騒いでいたのをよく憶えています。
小田急でも4000とかいう似たような電車が😂廃車になった2400の下回りに4000の車体つけた😂川越線にそっくり😅
東武鉄道なんかは戦前型や戦後の通勤形を更新して比較的長く使ったが、国鉄版は機器からして長持ちしなかった。
これは労使関係も絡んでいるのかな。
今さら考えても仕方ないがろくすっぽ整備してなかったとか…。
西武,近鉄(滋賀の方の) 「ナカーマ」
三井三池「特にコメントする立場に無い。」
いーや、戦前のモーターMT15や制式電空カム軸式制御器 CS5 なんか、西武鉄道でさんざん使ったし、平成の世でもグループ会社の近江鉄道で使い倒しましたからね。決して設計が長持ちしなかったわけじゃありません。むしろ今どきのVVVFインバータのほうが保守終息が早々に来て修理不能になり、寿命が短くなっていると思います。VVVFインバータに駆逐されたチョッパ制御器はもっとひどかった!
ある意味、力関係が分かる
客車の気動車化と言えば、和田岬線迷物だけかと思ったら、結構あるのですな。^^;
偽パノマラカーとか名鉄6653系も
今もかわらないって
今は新しい電車が走ってますがね!
身延線に投入されたのは
113系ではありません
115系です
しかも
身延線専用の
(後に御殿場線と共通使用されましたが)
身延線のような路線では
113系は走れません
>身延線のような路線では113系は走れません
上げ足取りみたいで申し訳ないですが、
創臨(創価学会が日蓮宗の信徒団体だった時代に運転されていた学会員向け団臨)で東海道線東京口の113系は富士宮まで入線しています。
名鉄では、よくあるやり方😂
現在でも5000系が該当。
同じウグイス色やスカイブルーでも
山手線や京浜東北線に比べて
仙石線のは
くたびれた感じ感じするのは何故だろう
JRの車輌じゃないけど、自分の私鉄にも廃車した車輌の走行機器を流用して車体乗せ変えなんて車輌が何種類かいましたねぇ、昭和38年式の旧式の車体を乗せかえた一部指定席の特急とか(笑)