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これは昔ファン誌で見た事があります。名前をよく覚えており、遠いイメージがありましたが、糸魚川だったのですね。懐かしいです。
当時はいろいろな雑誌に記事が出ていましたね。専用線というものをよく判っておらず、行けば走っている写真が撮れると思っていましたが、数日に1回(出荷品があるときだけ)運行すると知りました。
『ナローゲージモデリング』で『けむりプロ』が紹介したのが最初だったのかな?この機関車は、なにかの写真で『くろひめ』というプレートを付けていた事を覚えています。この会社の操業時には、現在成田ゆめ牧場で活動している『羅須地人鉄道協会』が各地の廃線になった車両を預かってもらって保存活動をしていました。写真のラッセル車は元頸城鉄道の車両で、たしかこの団体の所有物だったように記憶しています。最近になって、当時機関庫の奥に予備機としてしまわれていた1号機は、ボイラーを新しいものと交換してふたたび走行できるようにレストアされたことも記憶に新しいです。
私が訪ねた頃は「くろひめ」のプレートは付いていませんでした。構内には羅須地人鉄道協会所有と思われる遊覧用客車が留置してありましたね。
@@tetsu-jiiji さま。業務で使用していないときは自由に専用線を使用できたり、会社敷地内に協会専用の側線を用意してもらえるほど、会社との関係は良好だったという話でした。遊覧用客車は、このころ博覧会で使用した客車を譲り受けたもののようです。
それほど企業といい関係を持っていたとは、素晴らしいことですね!
初見は70年前後のTMS誌上だったと記憶しております。各地の軽便が終焉を迎える時期でしたね。
糸魚川駅の博物館にありましたね。
人気者の「ロコちゃん」です・・
特殊狭軌かと思ったら、もっと狭いんですね。そりゃあ、機関車もミニチュアサイズになるわけだ。かなりの短距離ですし、荷物を載せ替えることを考えたら狭軌に改軌して国鉄車両が乗り入れた方が楽だったろうに・・・。
そもそもこの専用線は、河川工事や客土作業用の運搬資材を転用して建設されました。軌間610mmという理由はそのためです。保有していた車両もたしか機関車2両、無蓋貨車5両、重油タンク車1両だったと記憶しています。
活性白土という商品は、大量に消費されるものではないようです。化学の知識はありませんが、触媒のようなものと聞きました。国鉄貨車を引き込むほどの輸送量がないのだと思います。
活性白土の製造には硫酸を使って熱化学反応させる必要があり、のちに土壌汚染などが問題とされはじめ、最終的に操業を終了したとも聞きました。原料になる酸性白土は近隣からトラックで、硫酸は引込線の積替えをする場所からパイプラインで送られていたそうですが、燃料の重油は粘度の問題から最後までタンク車での輸送が行われていたと資料に載っていました。
2号機関車は、まだメーカーに在庫として残っていた頃に、研究家のかたが実際に車両を確認されています。そのときは762mm軌間だったそうです。機関車としては、戦時中の全メーカー統一規格設計のなかでも一番小さな部類になるそうです。
水無瀬川の改修時に2フィートの仮設軌道が使われたそうです(内務省所轄)。閑話休題拙宅の食用油の濾材が活性白土です。説明書見た途端にこの専用線が脳裏に……(苦笑😅
これは昔ファン誌で見た事があります。名前をよく覚えており、遠いイメージがありましたが、糸魚川だったのですね。懐かしいです。
当時はいろいろな雑誌に記事が出ていましたね。専用線というものをよく判っておらず、行けば走っている写真が撮れると思っていましたが、数日に1回(出荷品があるときだけ)運行すると知りました。
『ナローゲージモデリング』で『けむりプロ』が紹介したのが最初だったのかな?この機関車は、なにかの写真で『くろひめ』というプレートを付けていた事を覚えています。
この会社の操業時には、現在成田ゆめ牧場で活動している『羅須地人鉄道協会』が各地の廃線になった車両を預かってもらって保存活動をしていました。写真のラッセル車は元頸城鉄道の車両で、たしかこの団体の所有物だったように記憶しています。
最近になって、当時機関庫の奥に予備機としてしまわれていた1号機は、ボイラーを新しいものと交換してふたたび走行できるようにレストアされたことも記憶に新しいです。
私が訪ねた頃は「くろひめ」のプレートは付いていませんでした。構内には羅須地人鉄道協会所有と思われる遊覧用客車が留置してありましたね。
@@tetsu-jiiji さま。業務で使用していないときは自由に専用線を使用できたり、会社敷地内に協会専用の側線を用意してもらえるほど、会社との関係は良好だったという話でした。遊覧用客車は、このころ博覧会で使用した客車を譲り受けたもののようです。
それほど企業といい関係を持っていたとは、素晴らしいことですね!
初見は70年前後のTMS誌上だったと記憶しております。
各地の軽便が終焉を迎える時期でしたね。
糸魚川駅の博物館にありましたね。
人気者の「ロコちゃん」です・・
特殊狭軌かと思ったら、もっと狭いんですね。そりゃあ、機関車もミニチュアサイズになるわけだ。
かなりの短距離ですし、荷物を載せ替えることを考えたら狭軌に改軌して国鉄車両が乗り入れた方が楽だったろうに・・・。
そもそもこの専用線は、河川工事や客土作業用の運搬資材を転用して建設されました。軌間610mmという理由はそのためです。
保有していた車両もたしか機関車2両、無蓋貨車5両、重油タンク車1両だったと記憶しています。
活性白土という商品は、大量に消費されるものではないようです。化学の知識はありませんが、触媒のようなものと聞きました。国鉄貨車を引き込むほどの輸送量がないのだと思います。
活性白土の製造には硫酸を使って熱化学反応させる必要があり、のちに土壌汚染などが問題とされはじめ、最終的に操業を終了したとも聞きました。
原料になる酸性白土は近隣からトラックで、硫酸は引込線の積替えをする場所からパイプラインで送られていたそうですが、燃料の重油は粘度の問題から最後までタンク車での輸送が行われていたと資料に載っていました。
2号機関車は、まだメーカーに在庫として残っていた頃に、研究家のかたが実際に車両を確認されています。そのときは762mm軌間だったそうです。
機関車としては、戦時中の全メーカー統一規格設計のなかでも一番小さな部類になるそうです。
水無瀬川の改修時に2フィートの仮設軌道が使われたそうです(内務省所轄)。
閑話休題
拙宅の食用油の濾材が活性白土です。説明書見た途端にこの専用線が脳裏に……(苦笑😅