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当時の文化と倫理に、現代の倫理観を押し付けるから、理解できないんだよ。現代の日本人だって切腹が良い文化とは誰も思ってないよ。ただ当時は忠義を尽くす事こそが至上だった。日本にそういう時代があったという事。そして、切腹まではしなくても日本人の心の奥底にそういう1面があるというのを知ると、他の日本ドラマを鑑賞する時に謎だった日本人のモノの考え方等に近付けるんではないだろうか。
現代日本人を勝手に代表して、切腹は良い文化ではないってお前も押し付けてるやんwww自分は侍の良い文化だと思うけどな現代の倫理観を押し付けるから、理解できないんだよ。
現代版としたら、代議士の秘書の立場で、めとめで・・ok?税金逃れ!!!生きると死ぬの精神の境目が、時代世紀、西と東で異なる。社長の思惑(?)を知って感知して、会社を去る(死なない)・・・
良くも悪くも自己犠牲の精神は現代の日本人にも根深く残ってると思う
@@泰翁何言ってるかわからない
現代にいるかなぁ? 私は自己犠牲なんてしたくないし やった事すらないよ
あのシーンを見て私が考察したこととして(間違っているかもしれません)①あの中には石堂の息がかかった物がいるだろう事②トラナガのためならば喜んで死ぬ家臣が大勢いる事(これは1話でのウサミが良い例です)。このことから、重臣何名もが反対意見を発して、その中の一人が脇差を触った=切腹して主君を諫める覚悟をした この場でどんな話がされたかは石堂に筒抜けになる事は分かっているので、トラナガとしては何人もの重臣に切腹を命じなければならなかったかもしれません。 ヒロマツはもう一人の重臣(おそらく家老の一人)が脇差を触ったのを見て彼が切腹して主君を諫めっるつもりであることを感じ(おそらくは彼に続く、者がいたと思います)、自分の命だけで済むよう他の重臣たちの発言を封じ、ヒロマツ一人の命だけで済むようアドリブで切腹をしたと思います。重臣が何人も死ぬということは、部隊指揮官がごっそり死ぬという事なので、もし戦うことになっても戦えなくなるからです。 ヒロマツの「これは自分とトラナガ個人の事」と明言したのは、家や一族のこととは関係ないことと定義したことで、先祖が云々とかの非難は一切させないという事だと思います。結果、トラナガの片腕ではあるものの重臣一人の命という最小限の被害で、吉井家の力としてはそれほど落とすことなく済んだという事になったと思います。 このドラマは役者の所作の一つ一つにまで細心が行き届いた素晴らしい時代劇だと思います。惜しむらくはお金がかかるので日本でこういうものを作れなくなってしまった事かな。外国人にはこれが戦略だったことまでは理解できるかもしれないけど、なぜヒロマツがここで切腹したのかまでは理解できないんだろうな。他の重臣を生かすかわりに自分の命を差し出す、しかも石堂を騙すということも理解してのことだった コメント長すぎてスイマセン
My C
ご解釈の通りだと思います、同感
私もそう感じました。主従は三世、のえにし【縁】有りなのだから【先に行って冥土で待っている‼️】と言う事でしょう。非日本人には、近松作品の一連の夫婦の心中モノ、忠臣蔵の泉岳寺浅野匠の守墓前での、殉死の予定のエピソード等、外国人のが文献分析だけでは、とても理解出来ない心情でしょうね。日本人固有の独自の心情は、文献解読、筆授口授では、(少なくとも外国人の心情では)覚束ない世界ではないか、と考えています。
うんうん、勘者だらけだったとおもう!
お見事。
一場面に対していろいろな人のいろいろな意見・見解が飛び交うということ自体素晴らしい映像作品であるということですね。
やっぱり外人達にはこの切腹の真意は伝わらないんだね笑えるぐらい間違ってるw
まるで西洋では残酷なことをする人がいないとでも言いたげなコメントが実際多くて、口が竹輪になるよ。このシーンをみた彼らは結局「ほら、日本人はすぐ自殺する、いつどこでもハラキリするんだね」とか言い出す始末。真意は伝わらないしもともとこういう日本人像以外は信じないのはもうお察しですよ。
共生はできないw
やっぱ海外は単純な思考の人がけっこういるんだなこういう時代性を無視してしか物が見れない人には日本文化は理解しきれない
多様性を声高に叫んでいても、実際は「自分たちの価値観がベース」であることがよくわかる海外のコメントであった。
まあ文化の違いやからしょうがないが、無理に分かってもらおうなんて思わないよなぁ・・・中々むずかしいし・・・
この脚本書いたのアメリカ人だよ😂
@@命焼肉あっちの人が多様性多様性ってうるさいのは「多様性を根本的に理解できない知性の人」が多いからじゃないかと気づいた「排泄はトイレでしましょう」って当然のことを100回言っても理解できなくて野グ⚪︎してるのを見てる気分だわ
わたしも宣教師が遊郭の隣に教会の土地があるって知った時のしょっぱい顔の意味が分からないので、しょうがない面はある。
日本特有の価値観をどう解釈するかは自由だが、アジアや東洋で括るのはやめてくだされ。
世界で日本のような国は他にない唯一無二の国です。
同感。日本と同じ価値観は、他のアジアのどの国にもありません。日本固有です。
んー、切腹に対して文句を言う日本人はいないのでは。究極の選択の場面でしか発動しない。
賛否両論がでるのは、西岡さんの演技が素晴らしかったからですね。2回目に視聴すると、広松が他の家臣が異論を唱えた時に黙らせた意図も、二人のアイコンタクトも違って見える。
神風特攻 も理解できないんだから無理ですよ 外国人には。あの時 日本兵は負けたら日本がなくなると思ってたので死ぬ気で戦ってた。そして将軍 ドラマの場合も同じ。死ぬか生きるかの瀬戸際 なんだから 紅天を成功させるためには切腹もやむを得ないと思うのは普通です。すぐに降参して3食昼寝付きの捕虜生活を期待する外国人はちょっと理解できない
イエスから「隣人を愛しなさい」って言われてたのに、未だに侵略したり戦争したりする連中には理解するなんて無理相手を思いやる優しさや相手の立場を考える思考を放棄して「気に入らないから受け付けない!だからコイツは悪だ!!」って考えだから未だに差別してる
「汝、隣人を愛せよ」に関して言うと正しく距離感として自分の手の届く範囲の隣人を愛しそれより遠い人間(或いは異教徒たる悪魔)を全て敵として認識せよ…て解釈もあるとかないとか…(* ̄∇ ̄)ノドッチヤネン
@理想を手に入れるさん 神風特攻隊の発案者の一人、司令大西瀧次郎中将が最初の特攻隊員たちに語った言葉と思いを知ってるとは思いますが…。『特攻は統率の外道である……』私も特攻を肯定は出来ません。しかし、あの時代にタイムスリップしていたら、どう感じるかは解りません。
やはり海外の人には理解できない人も多いようですね。日本人なら容易に理解できるのに。
外国人って「時代・背景」「文化・風習」を何も考えず、現代の「価値観」で「評価・批判」する人多いよね。そんな鑑賞の仕方で「物語」を楽しめるのだろうか。まぁ表面的な浅い「鑑賞」ならばある程度は楽しめるかな。ただ、この作品の良さが「理解」できていない人が少なからず居るのは、少し残念だ。
自己犠牲の尊さはわかるくせに、こういうのはわからないんですよね。
「ポリコレ」という現代価値観()をゴリ押ししているんだから、お察しな訳で・・・・
まあ彼らの歴史から見てもそういった思考回路が備わってないのは明らか
主観でしか意見してないね。なぜ彼らがこのような行動に至ったのかに対する理解や考察が浅い。彼らの国で自分勝手な主張による差別や価値観の押し付け合いが無くならない理由がわかる。
小説は小説。真田さんが描きたかったのは日本の将軍の姿です。
前情報を全く知らずに見た、わずか数分のシーンやったのに時間が止まったかのようだった。今でもそれぞれの俳優方の表情が目に焼き付いてる、こんなドラマは初めて見た。
主君の為、ひいては一族子孫妻子同朋の為に切腹する。そんな武士を見たならば涙を堪え、それでも溢れさせつつ「お美事!」が正しいリアクションでしょうよ。
久々に素晴らしい切腹シーンに、衿を開いた時に「お見事!」と息を飲みました。
西洋の騎士は金払って終わりだからね。自分の命を捧げる意味が分からんのでしょ。
広松が切腹するのは演じる西岡徳馬さんの提案というのがまたすごいなと思う。
西洋と東洋の違いを理解している人はいましたが、アジアと日本の違いを理解している人はいないようですね。
自分もアフリカとアンゴラの違いはわからないな
西岡徳馬さん、役者冥利につきますね (´;ω;`)
男をあげたよね
@@capersville 昔から名優なんですが・・・
大河ドラマ‘太平記’以来の親交がありますからね。西岡さんをキャスティングするのも真田さんたっての希望だったといいますし。
笑っては24時以来この方が本物なのは分かっていたけどまさに本物でしたね😊
広松が文太郎に言っていた事は文太郎だけに対してではなく皆に言い聞かせていたんだよな。切腹はせずに生きて大坂へ行け!殿が諦めた様に見えたとしても殿を信じよ!文太郎のチラ見がまた良い感じ😊殿に対して諫言としての切腹は犬死と等しいと説明もした。皆に察してくれと言わんばかりの名演技!最高でした😊
『武士道』と『騎士道』は全く別物だと理解して欲しいブラックソーンの描かれ方(原作との剥離)に不満を持っている人が多いみたいだけど、それこそが「西洋から見た日本」視点、あなた達から見る衝撃と不満を画いてるんだぞ、と言いたいブラックソーンは第三者として戸惑いや理解に振り回されてる西洋人代表だと思うしかしこのドラマには所謂『脇役』が居ないね 全員キャラ立ちすぎ
私は朝立ちすぎ
日本文化の精神性の部分は理解できないのは仕方ないけど『虎永が本気で大阪へ負けを受け入れるつもりで、それを諌めるために広松が腹を切った』って解釈してる人はかなり残念すぎる精神性以前にドラマを理解できてないと思う
歴史的に「相手を欺くために仲間を処する」という状況がなかったのかもね。
@@命焼肉 ヨーロッパは王の言葉は絶対というのがあるから。王を諫めるという考えはないんじゃないかな?。向こうでは要職についてると保身に走る傾向が強いけど昔の日本は主家や自分の家、名誉を守るために自分は死を選ぶというのが多い。
侍は忠義で死ぬことは、当たり前名誉なのです
それは江戸時代以降の上方風の打ち上がりたる武士道ともいえる
このシーン、海外の方に理解出来るのかな?と思っていましたが、やはり理解できない方が多いみたいですね。
ビックリするほどバカみたいなことばかり言ってて驚いたコイツらとは考え方と感じ方が違いすぎる
以前、黒人の侍は出ないのかとか、侍の起源は黒人みたいな話題があがっていましたが、彼らが侍を名乗るならば、迷わず切腹や介錯が出来たでしょうか?とてもそうは思えません。というか、もうあのシーンを観たら言わないんじゃない?😅
@@コレット-j9b そもそも文化が違うので仕方の無い事ですね。ただ、このストーリーと演技の深みを理解できないのは勿体ないですね。誰かが正確に伝えてあげられるといいんですが。
キリスト教は自殺がタブーだからね。
@@S猛 ブルース・リー「考えるな、感じろ」
解釈がバラバラで議論になってるの面白いな
それこそまさに多様性。
アメリカでは1日平均80件もの銃による殺人事件が起きている。ドラマの一人のキャラの切腹シーンよりも、自国の銃による殺人事件を議論しろと言いたい。
それでも彼らにとっては日本人の習慣の方が野蛮で残酷なんですよ。
口汚く罵って名誉を著しく傷つけるよりも、軽い平手打ちを非難する それが欧米文化
この切腹が理解できないのに原爆投下は理解できるのか、、
敵味方、こっち側かあちら側かをハッキリ別けるからねぇ…こっち側の4は絶対に受け入れないけど相手側は下手すれば人間とも思わない。このへんは変わらないだろうね。
同胞の犠牲、というのならば「真珠湾」じゃない?
日本人以外の民族はハラキリもカミカゼ特攻も理解できない。理解できないからこんなことできる国を屈服させるには原爆しかないと思ったのさ。
理解など出来ない。彼らが感情移入しているのは広末の方だ……つまり「自分」だ。彼らに《自己犠牲》の精神は無い。最近のハリウッド映画に盛んに自己犠牲が描写されるが、アレは大和魂に驚愕し憧れたから『カタチだけマネしただけ』だ。現実に、彼らが自己を犠牲にする事は無い。 あっても、稀だ。
@@命焼肉様そうですね。だが、それも「自己犠牲」ではない。
「武士道とは死ぬこととみつけたり」という言葉があります!「武士たるものは主君のために死ぬことも覚悟しなければならない」という意味があるが、「武士として誇り高く生きること!」を鼓舞する言葉でもある。海外の反応を見ていると外国人はこの部分が理解できないのだと思います! 「まだ虎永は迷っていた。そして最愛の息子の死に打ちひしがれていた…」虎永は心の迷いや臆病であるため犬死した息子を自身の姿と重ねてもいる。「虎永は神ではない、心を持った普通の悩める人間である」ということを広松はよく知り、虎永の苦しみを誰よりも深く理解していたのだ… これは多くの伏線からドラマ内で説明しています。初陣での敵の首を介錯した時のエビソード等が伏線であり、介錯に9回もかかっていることを覚えていることで広松が冷静で優れた家臣であることもわかります。そして最後の「しょうべんたれの小僧の頃から殿を知っている」という言葉で、「殿が今迷っていることはわかっていますぞ!」と殿にだけわかるよう伝えている。そして広松が選んだこの切腹こそ、全ての問題を解決させる最後の希望であり、最大の策略だったと私は思う。広松のとなりに座っていた家臣が広松より先に「腹を切る覚悟がある」と脇差に手を添えた描写があります。これを見て広松も確信したのだ。先に切腹した藤の伴侶「宇佐美忠義」だけでなくここには忠誠をつくす素晴らしい家臣がたくさんいることを…「わしが死んでも吉井家の行く末は大丈夫だ!」広松自身も迷える人間であったが、もはや迷いはなくなっていたのだ… 虎永は自身の死と引き換えに部下を生きさせたいと思っている。忠実な部下達は主君のために死ぬのなら本望だと思っている。もはや後がない絶体絶命の状況の中で、武士の心(武士道)を持った吉井家の侍たちの姿に未来へつながる最後の糸を広松はこのとき見つけたのだ…虎永の息子の死に意味を持たせ、虎永の迷いを消し、吉井家の誇りを取り戻すことができれば「これ以上ない死に様」である。広松が命をかけて伝えた策略を虎永はしっかりと理解し受け止めた。この広松こそが最高の策士であり、またその意をしっかり受け止めた虎永もまた最高の武将である。 製作者側の考察と違うかもしれませんが、時代劇好きにとってはこういう考察もありかな?と思いました。
>「まだ虎永は迷っていた。そして最愛の息子の死に打ちひしがれていた…」> 「殿が今迷っていることはわかっていますぞ!」と殿にだけわかるよう伝えている。> 虎永は自身の死と引き換えに部下を生きさせたいと思っている。↑虎永には迷いなどありません。迷いなどあったのでは自分が最も信頼を寄せている広松の死を止めずにいられたはずがありません。迷いがないから降伏の姿勢を演じ通すことができたのです。また、虎永は一国一城の主であり、主君です。彼のような立場にある者にとっては自らに与えられた使命を果たすことが大義であり、大義を成すこと、大願を成就することは自分の命よりも大切で、その為に生き、その為に死にます。そして、それは家来の命に対しても同じであり、家来の命も大切だからこそ、自分が大義を成し遂げるために使います。自分の大義を成し遂げるというのは自分の私欲を満たすことではありません。自分の大義を成し遂げるということは、自分が信じる公の利益を満たすということであり、天下の役に立つこと、天下万民の為になることを成すということです。その為に自分が家来の命を預かり、自分の命を天に預けます。家来の命を無駄にしない為には自分が先に死んでしまうわけには行きません。大義を成すために預かっている家来の命を責任を持って使います。家来は、自分一人の力では大して天下の役に立てないけれど、自分の命を主君に預けて大義を成して貰い、天下に役立ててもらうことで、自分の命の価値が高まることを知っています。だから喜んで主君に命を差し出すのです。広松もそうだったでしょう。老いさらばえて残り少なくなった命を大義に奉じ、大きな価値を与えることができて、冥利が尽きるほどの満足な旅立ちだったのではないでしょうか。自分の命と引き換えに家来の命を守りたいなどと、大義を忘れた小物に自分の命など預けられるものではありません。
日本人ですが… そのような考察が多いのは知っています。 ただそれだと「虎永のいらだつ表情」などから多少の矛盾も感じる部分もあるのでこういう考察を投稿しました。深い作品には得てして様々な解釈の考察があり、決して答えが一つだけではないものが少なくありません。監督があえて答えを出さない作品も世の中には数多く存在するのです。戦国時代には天下統一をたくらむ様々な野望や裏切りの話があるが、またその反面「民のため世を落ち着かせ戦のない世界を望む」武将もいる!そうした中で「我ら一族の存続か、日の本の存続か…どちらが大事か?」と問う場面があり、これは虎永自身が自分に問いかけている気持ちであると考えればまた深みを感じて面白い… 映画や小説、アニメ、ゲーム等でもいろいろな人が自由に考察を楽しんでいます。いろいろな内容の考察がたくさんでてくるのも作品に奥深さがあり、名作であることの裏付けかな?とも考えています!あくまで考察は個人の自由であり、こういう考察も面白いという意味で投稿させていただいただけです。私は他人の考察に「違うな?」と思うことがあってもケチをつけるような気持は全くありません!
@@jiroki7 日本人だったのですね。失礼しました。外国の方と勘違いした文言は削除させていただきます。
最初から打ち合わせしていた場合、この緊張のシーンはすべて二人の演技ということになります。どちらに転ぶかわからない真実のやりとりだからこそ手に汗握る緊迫のやりとりになるのです。全てが完璧で物事が計画通りになるようなスーパーマン主人公より「悩み・迷い・苦しみ・失敗もする」主人公の方がストーリーに深みがあると思います。数々の失敗や迷いの中から小さな光をたどっていく物語の方が断然面白い!(…と私は思う)この作品の一番の不満点をあげるならば「戸田鞠子」の言動…鞠子は誇り高き武将の血を引き、武士の精神を受け継ぐ心の強い女性です。まして情けをかけられた立場で生かされている「運命のヒロイン」です。であるのに自身の宿命を受け入れ不本意ながらも異人の正妻になった藤様の覚悟を踏みにじり、欲望のまま藤様の旦那を寝取ったりしている。また自身の正式な夫が一緒に死のうと言ったときの答えがあれほど冷たいのもうなずけません。戦国時代の武将の娘に自由はなく、お家発展のための道具になることはあたりまえです。そして優秀な娘ほどその運命を理解し覚悟を決めて生きています。武士の妻は「主君より夫を一番に考える」のが美徳であり宿命です。主君を裏切るような間違った夫であってもそれについて行き、運命を共にするのが覚悟をきめた武士の妻というものです。このヒロインはそういった意味で主人公としてはあまりに言動が軽く薄っぺらく感じる描写が多いのが気になります。しかし海外と共同で製作した今までにない超大作として純粋に作品を楽しんで見ています。
@@jiroki7さんの仰っしゃることも良くわかりますし、人それぞれの多様な感想や考察があって良いと思うのですが、物語の柱となる基本的な部分についての認識は共有されるべきものだと思うのですね。でも、動画の中で紹介されてる外国人のコメントを見ると、その基本的な部分を履き違えている人が多いので、このコメント欄でも「やっぱり外国人にはわからないのか」、「残念だ」という意見が飛び交っているのだと思います。…で、第8話まで見終えたところで、物語の柱となる基本的な部分で共有されるべき認識というのは、「虎永は降伏するふりをしているだけで、全然諦めてなどいない」、「虎永は『降伏するふりをしているだけだ』と見破られないように芝居を打った」、「忠臣広松は阿吽の呼吸でそれに気付き、虎永の芝居を完璧なものに仕上げるために惜しみなく自分の命を差し出した」ということだと思うんですね。で、それを理解しないと、虎永の魅力が半減してしまうし、広松の魅力も八掛け程度になってしまう。そして、この場面では、虎永の芝居でも、その虎永を演じる真田広之の芝居でも、重要なことは見ている者に「降伏することに一片の迷いもない」と思わせることです。それがもしも虎永の様子に「迷い」が感じられたとしたら、敵に「降伏するというのは策略に違いない」と見破られてしまうわけで、そうならないために虎永と広松があの鬼気迫る魂のやり取り、命のやり取りを演じた結果、虎永は自分の意志の強固さを示すように「死ぬがよい」の一言を発するに至るのです。演出的にもここでは虎永が自分の考えに迷いがあるようには絶対に見せてはいけないところで、もしもそのように見えたとしたら、それは真田広之の演技に難があるということになりますが、真田さんはこの場面の虎永を完璧に演じきったと思います。ただ、この場面での虎永は、自分の考えに迷いはないものの、腹心の家来であるとともに長年の盟友でもある広松を死なせることに対する逡巡が「間」と苦悩の表情を通して垣間見えるのも事実で、ひょっとするとそれが jiroki7 さんには虎永自身の考えに対する迷いのように感じられたのかもしれないと思ったりもしています。とにかくこの場面での虎永と広松の芝居、そしてそれを演じる真田広之と西岡德馬の芝居は見事でした。
第一話の赤子まで切腹に巻き込まれた伏線で、御家存続の過酷さが海外の方に伝わるといいですが。
まあ、意味が分からんなら自分なりの答えが出るまで考えると良いよ。人生とはそういう物だ。
いつも思うけど、アジア人が日本人と一緒と思ってるけど日本人はアジア人と一緒とは思ってないんだけどな。
というか、時代劇を現代基準で批判している自分に違和感が無いのが不思議文化の時代背景を理解セずに自分の主張ばかりが大事に思っている感じで自分の価値観が何よりも正しいと思っているという背景があるんでしょうね。
中国人とインド人も特別と思ってるよ。二大文明があるとこに日本も育って三大文明になったのをヨーロッパ視点でまとめてアジアと呼ぶことに無理がある。
欧米人や世界中の人,そしてアジア人も日本人とアジア人の違いを理解する能力がなくて一緒にしているだけで ,日本人だけは自分がアジア人とは違うことを理解し確信していますよね
あー、やっぱり外国人にはこの切腹の心の機微は分からないんだろなぁ…
細川藤孝相当の広松だが、どちらかと言えば鳥居元忠だな。藪重も本多正信相当だが、やってることは関ヶ原以降の藤堂高虎。騎士の名誉は自分のため、武士の名誉は主君のため。これが理解できないと切腹に至る意味がわからんだろうな
その主君は領民、さらに国民の為なんですよね。戦国時代、あれだけあちこちで戦乱があったけど、庶民がその戦争の為に犠牲になったり、露頭に迷ったりする話はないし、戦争をするから私財を全部差し出せと庶民に強制した話も聞かないし、敵陣の領民を皆殺しにしたという話もない。
@@悠々彼方S 流石にそれは戦国時代に夢を見過ぎ、織田信長は伊勢長島で領民も皆殺しにしてるし、伊達政宗は城を落とした際に最上義光に宛てて「子供も犬も含めて全員斬ってやった」って手紙を送ってる。戦後に敵の領民を捕えて奴隷として売買するのは東西問わず行われてたし、武田信玄は自分の領民に対して連帯責任と相互監視で逃走を防止するディストピアみたいな政策も行ってる。税を納めてくれる領民に対して一定の配慮があったのも事実だけど、庶民だから戦には無関係って訳ではない。
@@悠々彼方S戦国時代に庶民が苦しむことは無かった?そんなことあり得ると信じてますか?大名家や時代にもよりますが、戦ってる足軽達は普段は農民ですからね。まさに庶民が殺しあいさせられてるんです。戦に駆り出されなくても、攻めてきた敵に、作物すべて奪われたり、大阪の陣で落城の際には無数の庶民が巻き添えで殺されています。庶民が犠牲にならない、戦国時代なんて、古今東西あり得るわけがありません。
@@悠々彼方S戦国時代に庶民が苦しむことは無かった?そんなことあり得ると信じてます?大名家や時代にもよりますが、足軽達は農民ですからね。まさに庶民が殺しあいさせられてるんです。戦に駆り出されなくても、攻めてきた敵に作物根こそぎ刈り取られたり焼かれたり、戦争で苦しむのはいつも庶民です。大坂の陣では、落城の際に巻き添えで多数の庶民が殺されています。庶民が犠牲にならない戦国時代なんて、古今東西あり得るわけがありません。
@@悠々彼方S戦国時代に庶民が苦しむことは無かった?そんなことあり得ると信じてます?大名家や時代にもよりますが、足軽達は普段は農民ですからね。まさに庶民が○しあいさせられてるんです。戦に駆り出されなくても、攻めてきた敵に作物根こそぎ刈り取られたり焼かれたりは、当たり前にあることです。戦争で苦しむのはいつも庶民です。大坂の陣で落城の際には、巻き添えで多数の庶民が○されています。庶民が犠牲にならない、戦国時代なんて、古今東西あり得るわけがありません。
切腹のシーンで脇差を扇の上に置いたのは、演技指導の方の助言だったそうです。正式なマナーでは三方の上に乗せるが、その場で切腹を決断するシーンで、脇差への敬意を、極限状態でも示した侍としての誇りを感じられる素晴らしい演出でした。
あれは脇差ではないよ。脇差の長さの定義にもあって無いし、あれは正に懐刀、武士はいつでも切腹出来るように懐に短刀を忍ばせています
個人的には、「庭先をお借りします」といって外で腹を切るのかマナーじゃないかとも思ったんですが、どうなんでしょうね?
@@天草屋 下段は私の解釈・感想なので、素人意見として見て頂ければ幸いです。マナーという表現は適切では無かったです。失礼しました。総合統括所作指導である帆之亟さんのコメントは以下の通りです。ーーSHOGUN-将軍•第8話絶賛配信中。この話は重要なシーンが多く、事細かく指導やアドバイスをさせて頂きました。特に後半の広松の切腹のシーンでは西岡徳馬さんと話し合い、本来は“三方“の上に脇差を置くのを、白六骨(白の6枚扇子)を代わりにしたらどうですか?と提案しての撮影でした。ーーその上で個人的な意見を言うなら、ドラマの演出として「庭先をお借りします」をやったら、あのシーンの緊張感は無くなってしまうと思います。私がマナーと言ったことで余計な違和感を持たせてしまったのは申し訳ない。
@@peters3405 あ、いや、あのシーンは単に場所としてがひっかかったもので。厳密に考証すると、君命なのか勝手腹なのか微妙で、あのシーンが成立はしなくなりますおっしゃる通り、作劇上しかたないところですが、あそこで勢いというか意地で斬っちゃう……という展開となると、70年代の実録ヤクザ映画っぽい時代劇を思い出させるテイストですよね。ともあれ、切腹シーンはちょっとした作法や礼法一つで意味合いが変わるシーンなので難しいですよね。桃山期と江戸期でも違いますし。敷物やちょっとした小道具のあるなしとかでできる演出や暗示の幅が広すぎるという……。
知識が有る方々のコメントを読んで大変勉強になりました。侍ドラマでの切腹は庭で…と印象があったので、なるほど時代によっても作法が変わる事やドラマ演出等の違いがある事が、わかりました。
何故日本が第二次世界大戦末期にカミカゼ攻撃を実施したかを理解できるシーンでしょう。コメントにはカミカゼ特攻と侍の繋がりに言及は無かったが・・・。
完全に同意です。武士道を理解できる人間のみがこの切腹の意味がわかるのでしょう。西洋人ごときがなにがわかるか ですね。
より大きな大切なひと、もの、未来を愛し護るためですね。
その通り
@@yuzibumu831その通り
カミカゼと侍は関係ないですよ。解釈は人それぞれですが、カミカゼは日本本土防衛の一つの手段です。今ならバカげていますが、当時の状況が招いたと思っています。
他のコメントで「イエス様が許さない」というのがあったね。素晴らしいよ真田さん、西岡さん
コメントに欧米人の脳筋と個人主義が出ていて面白い。彼等には広松の心情は絶対に理解できないだろうね一日に途方もない数の人が惨殺されてる自国よりも、日本の自決の方が野蛮だと思って見下してるよね広松の自決が無かったら、油断させられず、大阪に一気に攻め込まれ、犯され、皆殺しにされてたってのに
向こうの諺とかで「敵を欺くには味方から」というのがないのかもね。
海外では武士は「かっこいいもの」ってイメージですが、このドラマでは、日本の精神世界とか武士道とか、スター・ウォーズなんかとは全く違った世界が表現されていて引き込まれていると思う。「侍はおっかない」って思った人多いんじゃないでしょうか.雨の日や食事シーンが多いのも、雰囲気を作ってる。シーズン1はあと2話しかないんですよね。。。9で主人公たちが戦争を始め、10で平定するって感じなんですかね。早く見たいなあ。海外の若い子の方が詳しいかもしれない。彼らはネットですごく調べてるから。中東の子たちも見られるのかな。色んな海外の監督も見ているだろうし、嫉妬もしているでしょうね。
雨が多いのは 撮影場所がバンクーバー だからでしょう
@@More-kx6zo かもしれませんね。でも、効果的に使っているな、とは思いました。
侍といえば「七人の侍」のイメージが強いのかもね。
外国人には絶対理解出来ない領域なのかもしれない。「侍とは死ぬ事と見つけたり」侍である以上、自分が思う最高の死に方をする事が最大の願い。ただ生を貪りたいのなら初めから侍になる事はない。つまり外国人は侍になる事は出来ないと言う事。
桜の散るように、美しく、この世を去る散ることが潔いとされる
武士は常に死に際にどう振る舞うかを考えているので、最も己れが周りの役に立つ場面で、ためらいなく命を差し出せるのかもしれません。
このシーンを機に、武士道の死生観を世界中の人々が知ってくれたら嬉しいです。海外の方々には中々理解は出来ないかも知れないけど、沢山の人達がこのシーンで議論してくれるのは嬉しいですね。「主君の為に」の根底には「愛すべき者達が幸せになる為に」と言う大義があり、その為に武士は何時でも死ぬ覚悟を持って居ました。広松はあの短いやり取りの間に、虎長と家臣達の対立で無駄な血を流さない為に、そしてスパイの目を欺く為に「命を賭ける時は今だ」と理解して死ぬ事を決めたのだと思います。でも実際には虎長が生まれた時点で既に広松は虎長に自らの命を差し出していたのでしょう。主君のピンチを救う為に死ぬべき時に死ねた広松は幸せだったと思います。主君の為なら何時でも死ねる。それが武士道精神です。虎長もあの短いやり取りの間に、広松の覚悟がどれ程有効な効果があるかを理解し切腹を命じました。息子と唯一無二の友を失った虎長の悲しみこそ奈落の底だったのかも知れません。主君である虎長はその悲しみすら表には出せません。外国から狙われている日本をできる限り分裂させず、戦を終わらせるという大義があるからです。息子と広松の死を無駄にはしないと一人誓う虎長の悲しみと覚悟に震えました。
外国人は茶道を勉強しよう、茶室は小さな部屋ではないよ。寺社仏閣観光にも役立つぞ。
更に言えば大坂から逃げ帰った広松が将軍を提案しているし、ヤブシゲには再三虎長はまだ戦おうとしているぞと言っているし、ずっーと親友として見て来たのならどの駒を動かすのか虎長はどーしたいのか全部分かっていた。だから息子も含め全員の為と、そして最後の希望を自分だけの犠牲で叶うと信じたはず。あのままなら全員殺されてた。好きも嫌いも無い。歴史上、必要な死であった訳だ。
件の「御免」のところの英字幕見たら「Forgive me...」やった。いやいやこれはない。もっとこう...あるだろう!!
英訳にドナルド・キーンを雇うべきだったな
(お先に逝く事を)お許しください のつもりだった?
大坂方に企てを気取られないために出来ることは何か。それは一番の腹心の切腹をもってしても殿の考えが変わらない様を間者にも心の揺れている者にも見せること。それを虎永から言わずとも良く心得ていたので広松は自分の役目をよくわかっていると言わしめたのでしょう。件の"御免"はなんですかね・・・虎永に対して何か謝るでもなし、許しを乞うでもなし。"では。"ぐらいかなと思うんですけど先に述べたように大坂方に向けて本気でやってることを見せたかったのかなと思います。
「お目汚し失礼」 や 「さらば」、あたりが混じったような意味なんだが、ムリに訳すなら、“Farewell (これにて御免) ”かな。
やっぱり切腹とかあの時代の死の意味とか理解できないよなぁ。命が重くて軽い時代だし、バックグラウンドがわからないと理解できない。この視聴者たちのコメントは興味深い。
『命が重くて軽い』言い得て妙。
色々海外のリアクション動画見たけど洞察力なさすぎで「バカなの?」と思ってしまった😅でもそれほど日本人の精神性っていうのは深いんだよね。現代の日本人だってこんな事できないけど当時の日本人の精神性は日本人なら肌感覚で理解できる。ああいったリアクション動画出している人たちはある意味大多数の脳みそが欠如している人達だと思うけど…彼らにとって日本人は謎でしかないよね
大変失礼ながら申し上げますと、彼らには、ちとレベルが高すぎたのでしょう。ヒーローもので育った彼らにはサムライは強くてカッコイイものという単純かつ大雑把で自分本位な解釈しかなく、早くドンパチやチャンバラが見たいだけじゃないかな?みんなじゃないんだろうけど…
ただの死(切腹)ではない。忠義ある家臣が主の使命のためにやった大義ある死だった。しかも虎長は最初、広松の死を拒絶した。虎永が大阪で一緒に戦ってほしいと広松のここでの切腹を拒否したのに対し、道半ばで我らの戦を投げ出すおつもりかと広松が嗜めてまでここでの死の必要性を訴え虎永を説得し、苦渋の決断で主として広松に切腹を命じたそこらへんの言葉や表情からくる心の機敏が日本語がわからない多くの外国人にはわからない。主君がただ家臣を見殺しにしたのではない。家臣が主君の天下の大義のため自ら主を嗜めてまで自分の命をかけた大義ある死だったしかもしょんべんタレ小僧の時から見守ってきたとか、死ぬ直前まで孤独の中、使命を全うしなければならない主を心配して息子に最後まで主を信用して支えるように言い聞かすシーンはもう大泣きだった
日本人の反応が気になると言っていた方々がこのコメント欄を見てどんな反応をするのか、それがまた気にる
ソ連にみせしめるため,非戦闘員の日本人を数十万人野垂れ死にさせるために原子爆弾を広島と長崎に落としたアメリカ合衆国についてどのように考えるのかを聞きたいですね.
その前の東京大空襲や北九州の空襲😂 多くの一般人が亡くなった
まあまあ、もういいじゃないですか。特攻隊員達が狂気の自爆特攻をして徹底抗戦の意思を示した事でアメリカは恐怖し本土決戦に尻込みして結果日本の国体は護られ、存続しました。たとえ大量虐殺の歴史があったとしても、今日本が日本である事を1番に思いましょうよそのおかげで日本の調和の精神や奥深い歴史が今こう言う形で注目を浴びているんです。
同胞の犠牲、という点では「真珠湾」が妥当かと。結局、広島と長崎は敵国の民間人だし・・・
「切腹は野蛮」「西洋の美徳」に笑いました。どれだけ自分たちを美化してるんでしょう?今だって西洋の方が余程野蛮で人々は怯えて暮らしてる。
Much I could say, but will simply lament here that there are wonderful people I would have known had it not been for a stroll from Bataan to Tarlac in 1942.
皆入り込んで楽しんでるってのが分かる
きっとこの8話をやりたいから、このドラマを作ったんだろうな。
ああ完璧なコメントだ君は今日で人生で最後の富を得た
そしてその8話を経て、最終話へ繋がるんだろうね。
エクセレント‼
おそらく今回の制作側かキャストの誰かが、鳥居元忠というより信長と平手政秀の逸話を知っていて、それを取り入れる事を提案したんだと思った。原作には無いらしいし、西岡さんは脚本も書かれるので。
平手じいさんはガチ諫死やろ。
大坂に行って降伏すればどうせ切腹だし、江戸で迎え撃っても勝ち目はない上に潰し合いで日の本が弱体化。そこんところを理解しないと。
ホントそれ。日本文化を理解してないなら、武士道の理解というアプローチから見れないのは仕方ないとしても、虎永達が今どういう状況に置かれているかぐらいは理解した上で観て欲しいよねえ。
@@Mugen3 反面教師として日本人も他国の文化を理解し続ける必要があることを考えさせられるな。
@@命焼肉 文化の理解の事じゃなくて、ストーリーをしっかり理解して視聴して欲しいという内容のコメ欄に「日本人も他国の文化を理解し続ける必要がある」という斜め上からのレスぶっ込んで来るの草
古く先祖から受け継がれてきた魂、先祖の魂は神仏と共にあり、日本という国を賭けた戦いがある。虎永と広松の対話の奥には宿命を背負った戦いへの覚悟があった。
感じ方は人それぞれ…生まれた国も…風習も…文化も…言葉も違う。でも…この機会に🇯🇵を少しでも理解していただけたら嬉しいです❗
「侍は忠義に生きる」ってのが美徳とする感覚も、江戸時代以降の作られた思い込みでしか無いよ
御免は、去らばともとれる
他にあるのか?
東洋、西洋とカテゴライズするのは意味がない。また、日本においても時代によって規範は異なるので、それについて良い悪いを判断するのも良くない。これまでのストーリを見てきてこの時代のこの空気を感じながら、その時代に生きているつもりでそれぞれの出来事を味わうのがいい楽しみ方だと思う。
進撃の巨人でガビにヘイトが集まった時みたいに外国人って自分が好きなキャラや感情移入してるキャラに肩入れし過ぎて視野が狭くなる所があるよね。特にアメリカ人。
これが日本人だ、侍なんだ!西洋人に理解出来なくて結構。
のちの遊郭になる土地の隣に教会があてられるってのは別に悪意があったわけじゃないと思うけどな茶屋や遊郭は別に不浄なものではないってのが古い日本の考え方だし、逆に不浄を落とすということで寺社の近くにそういう宿も多かった天国に最も近い場所であるとさえ考えられていたくらいだからその隣に教会が建てられるなら最良の場所じゃないか
それに現代みたいに自分の意志で遊郭に行く女性なんて少なかったと思うし(勿論蔭間茶屋もね)だから心の拠り所(マグダラのマリアは売春婦だった)と亡くなった後の供養とか考えて……くれてたら嬉しい 個人的な感想です
猿女とは巫女のれいらくした姿との説これあり。
昔の日本は今よりも性に寛容だったことがわかる資料がたくさん残ってるからね
命より誇りと恥を重くする。故の命懸け
エピソードタイトルの「奈落の底」がそもそも理解できるんかね?日本人なら具体的に「こういう状況」と説明しなくてもなんとなく分かるだろうけど。現代の価値観で良し悪しを語っているところを見ても、それら含めて日本文化が理解できないんだろうとは思った。
「トラナガが悪徳を犯して地獄に落ちる」くらいの解釈されてたりして…流石にないか
原作者には当時の日本人の事は理解出来ていないでしょう。真田広之さんがこの番組を作成する時に大変な労力を使ったでしょう。当時の日本人の姿が少しでも西欧諸国の理解してもらえるならば、大平洋戦争の日本軍の行動も理解されていかに、南方諸国に色々なインフラを設置してその国々の方と共存した事実も理解出来るでしょうし、最後は全滅を選んだ行動も理解出来るでしょうね。日本人は本当に哀しく素晴らしい民族です。西欧諸国では理解出来ないと思いますが、これが日本人ならばでしょう。
何も難しく考える必要は無い、奇襲をキメる為に降伏するフリが必要というだけのこと主戦論者に自害を求める事で、戦いを避ける評価は確実になり、奇襲を仕掛けやすくなるしかしそこで死ぬ部下が多いと、戦場で苦労する事になる広松が切腹する事で、部下が5人切腹するよりも降伏するんだという印象を与えながら、戦う意志を持った部下の命を助ける事ができた手柄を立てるにはリスクがある、しかし最初からリスクを負えば手柄は眼の前にある立派な跡取り息子がいて、眼の前に手柄があるならばリスクを負わない手は、無い
観たい観たい観たい!NHKでやって欲しい!
「床で寝る殿様」とのコメント、「ゆか」と「とこ」が同じ漢字に当てられる訓みだと教えてあげたいしこの時代(というか平安〜江戸期)なら天皇陛下も床で寝てるよ…とも教えたい
策略としての切腹でそこまでおかしい訳でもないし効果のある欺瞞になると思うんだが、そこらへんが文化の違いで議論になってしまうんですかね?
あ
敵を欺くには、先ず味方から。それを極端に徹底せねばならぬ状況だったのだと言う時代背景をとても深く知らしめる名シーン。死を命ずる側も、命じられる側以上に過酷な選択である。お互い口に出さずとも、それをわかり合っているからこそ成り立つ作戦であり、成り立つシーン。野戦において、大将が兵隊に「行けえ〜!」と命令し、何千何万の兵士が死ぬ事を考えれば、一兵の命で敵を確実に欺く事が出来るのならば、値千金の名作戦だ。広松は、最高の死場所を得たのです。正に本望でしょう。
自分からしたら、しめしめですね。見事に世界観にハマってます😊
はっきり言いますが、最初から広松はみんな殺されると7話から言っている。按針もみな死ぬと言っている。黙っていたら虎長もみな死ぬ。広松は全員の為にした。それが唯一だからだ。息子も虎長も生かす最良の策と広松は思ったのだ。何度も見返すがよい。みな殺されるって雰囲気だったはず。
武士道これがそういう物だ、主人が望めば黙って切腹する者が武士という者です。虎永の悲しみを誰も理解できないだろうね。理解できないならしなくても良い。
1600年ぐらいは藪みたいな武士が主流で「葉隠れ」みたいな武士道は江戸時代の平和な戦のない退屈な時代に生まれました。葉隠れはテロリスト本として鍋島藩から発禁になり、作者は長寿を全うして畳の上で死んでます。
字幕で見ている外人には日本語の意味の深さは伝わらないんだなとよくわかった
広松は虎永の考えを知っていたけど、皆にそれを伝える訳にもいかない。決戦に備えて虎永の計画と家臣の命を守る為、人生最大最後の大芝居で切腹の連鎖を巧みに止めました。広松の思惑を察して引くに引けなくなったのは虎永の方。忠臣としての勤めを果たさせねばならないが死んでほしく無い。ちょっとズルく広松に委ねてみるけどあっさり無視。広松が残した言葉に縛られて文太郎と家臣らは虎永に背けない。同時に間者と石堂を完全に欺き勝利を引き寄せた。一瞬「ごめん」を生きて共に戦えない申し訳無さから溢れた一言かと思ったけど、あれはアディオスのごめんだろなぁ。「皆さまお先にあの世に参りまする。これにてごめん」今生の別れの挨拶が3文字なのも粋ですね。↑上記は私の妄想なのであしからず。
死に意味や美学を求めるのが日本人なんやなぁって覚悟と死を持って戦場へ行く昔の人達はかっこいいな
『御免』が『許してくれ』はおかしい。ちゃんと日本人スタッフが直さなきゃだ。
この場合の「御免」は確かに翻訳が難しいけど許してくれは無いわな。日本語の語彙は多岐に渡る多さだけど英語は意味が通じるだけで良いシンプルな言語だから仕方ないか
感情に耐えながら懸命に考察するこういう事が出来るドラマはなかなか無いね
何回か見たくらいで日本の文化全てを把握することは難しいでしょう。この素晴らしい作品を通じてなぜあのような表情をするのかを知りたいと思い、少しずつ日本の文化を理解する人たちが増えてくれたら嬉しいけどね。日本人として気品を持って、海外からの理解を待ちましょう。
藤推しニキww
10:11
現代の価値観から離れられないならシリアスな時代劇を見るべきでは無い東洋の君臣関係は独特なので(古代中国から続く)古典に馴染みがない西欧人には理解できないだろうアメリカ人よ西部劇がどれだけ馬鹿げた時代(茶番)劇だったかを思い出すんだ😜
切腹などめったに有ることでは無いのに、アメリカ人は切腹に余程興味があるみたいですね。日本の時代劇ならそこに至る過程がじっくり描かれるのに、このドラマは簡単に腹を切りすぎる。
それは思った。武士の切腹ってもっと事務的な最終手段としての処罰と責任の取り方なんだよね。 切腹に至るまでのギリギリの駆け引きが存在してる。武士も切腹せずに責任が取れるんだったらそっちを選ぶよ。 日本人が好き好んで自分の体を痛めつけるマゾヒスト的な解釈をされると困るw
自分もこのドラマは日本人が何の葛藤も苦悩もない無い人種かの様な描き方をしているな、と確かに思いました。なんて言うか外国人の描く日本人って気持ち悪いんですよね。悩みがないのかコイツ?っていうでも、それは彼らが死に直面したときにそれを乗り越えるイメージが湧かないからですよ。だから日本人がそれが出来てるのを見たとき痛覚のない異常者のようなものだと決めつければ、それが出来ない自分に絶望しなくて済みますからね。
切腹はサムライだけの特権なのです。日本人以外は理解できない。
日本人以外の海外の方々には 理解出来ないでしょうね。敵を欺く為の切腹、腹心で有ればある程 効果的だと理解されている。この心情は、未だに日本人の奥底に流れてると私は思い、誇りたい。
少数だが日本人的思考する人が居て驚き😂🎉全てを後に託す為に、自分にできる最高の貢献もちろん悲しいけど😢この時代ならあった事だろうね
西洋人に理解してもらうなら「では何故父なる神は息子イエスに磔刑という犠牲を課したのですか?」という質問をする事だと思う。
このシーン、元々は殿の面前で5人の家臣が切腹するという脚本だったそうです。それを西岡さんが「広松ひとりが切腹する方が、静かで潔く武士道をより見せられるのではないか」とアイデアを出し採用されたとのこと。言葉とは裏腹の目での会話、素晴らしかったですね。のちに虎永が鞠子に「まこと、広松は己の役割をよう分かっておった」と言い、鞠子も己の役割を果たすために…(泣)
長期的な視点で見れば意味のある最期だし、アジアと日本の文化を分けて考えられない人も多いよねでも何とか理解して欲しいなぁ....結果には反対したとしてもそれを「全く価値がない」「意味のない最期だ」って言うのはあまりに短絡的過ぎるからもっと巨視的に見て欲しいな
史実では信長の守役も諌死してるし、家康の守役の鳥居元忠も関ヶ原前夜、家康の策略のために自己犠牲の道を選んでる。その辺のエピソードを盛り込みたかったんだろな
武士道とは、人の為に死ぬことと見つけたり…
主君の為に
この切腹を理解出来ず非難されるから長い間アメリカで日本の時代劇は日本人が受け入れ難いストーリーだったのだろう。この物語を観る事で世界中で、少しずつ理解してもらえてる様な気はする。
理解できなくてもいいじゃないですか。理解しようとしてくれる人がいるだけで、日本人としては嬉しいです。そもそも日本人だって、本当の意味であのシーンをみんなが理解できているか分かりませんしね。
隆慶一郎「死ぬ事と見つけたり」いくさ人は戦いで死ぬ事が本願いくさ無き世は主君に対しての換言たとえ主君より死を賜れとも…まあ理解は得られないだろうけど
西岡さんのアイコンタクトは片岡千恵蔵を参考にしたんじゃないかな。
切腹のシーンは凄かった。目と目の会話で何を話しているのかわっかた気がする。海外の人は背景に戦国時代であり、戦が絶えなかったのを知らないのかも。どんなに平民が戦のない時代を渇望していたか。切腹=腹切り(手段)としか見えないなら、侍魂とか、日本文化なんてわからないはず。
日本文化の本当の侍を表していて違和感はありませんでした。
広松がやるから意味がある。替えがきかなすぎる家臣が芝居で死ぬなんて誰も思わないもん
あの切腹が受け入れられないにしたって、あまりにストーリーを理解してなさすぎじゃないですかね。反応見ながら「違うよ」って、いちいち突っ込んじゃったよ。アメリカ人とかはグロテスクな作品好きな割に、いい人が死んじゃう展開にはとんでもない拒絶反応示すんだよな。個人的には、そっちの方が命を軽視してて残酷だと思うんだけど。だからハッピーエンドの作品ばっかに偏るのでは。
いや、切腹までさせるなんて虎永ひどいって言われても…、原作ありきですやん。ディズニー配信だからって無理やりハッピーエンドに持ってくとでも?
原作は日本人によるものではないのに色々議論しても始まらない。所詮はステレオタイプドラマだ。
@sheed9496 他の人のコメでは、広松の切腹は演じた西岡徳馬の案らしい。
赤穂浪士の大石蔵之介の本意も理解できないんだろうな。ただこんなシーンが世界が放映される事自体に意味がある。
8話では毬子の自◯が許されないカトリックの死生観と、広松の主君のために自刃する侍の死生観が対照的に描かれてますね。どう自分の生を全うすべきか、問われた気がします。海外の方々には、なかなか理解してもらえませんよね。
こっちからしたら子供が銃を買えて乱射できる方がわからんよ
当時の文化と倫理に、現代の倫理観を押し付けるから、理解できないんだよ。
現代の日本人だって切腹が良い文化とは誰も思ってないよ。
ただ当時は忠義を尽くす事こそが至上だった。日本にそういう時代があったという事。
そして、切腹まではしなくても日本人の心の奥底にそういう1面があるというのを知ると、他の日本ドラマを鑑賞する時に謎だった日本人のモノの考え方等に近付けるんではないだろうか。
現代日本人を勝手に代表して、切腹は良い文化ではないってお前も押し付けてるやんwww
自分は侍の良い文化だと思うけどな
現代の倫理観を押し付けるから、理解できないんだよ。
現代版としたら、代議士の秘書の立場で、めとめで・・ok?税金逃れ!!!
生きると死ぬの精神の境目が、時代世紀、西と東で異なる。
社長の思惑(?)を知って感知して、会社を去る(死なない)・・・
良くも悪くも自己犠牲の精神は現代の日本人にも根深く残ってると思う
@@泰翁
何言ってるかわからない
現代にいるかなぁ? 私は自己犠牲なんてしたくないし やった事すらないよ
あのシーンを見て私が考察したこととして(間違っているかもしれません)①あの中には石堂の息がかかった物がいるだろう事②トラナガのためならば喜んで死ぬ家臣が大勢いる事(これは1話でのウサミが良い例です)。このことから、重臣何名もが反対意見を発して、その中の一人が脇差を触った=切腹して主君を諫める覚悟をした この場でどんな話がされたかは石堂に筒抜けになる事は分かっているので、トラナガとしては何人もの重臣に切腹を命じなければならなかったかもしれません。
ヒロマツはもう一人の重臣(おそらく家老の一人)が脇差を触ったのを見て彼が切腹して主君を諫めっるつもりであることを感じ(おそらくは彼に続く、者がいたと思います)、自分の命だけで済むよう他の重臣たちの発言を封じ、ヒロマツ一人の命だけで済むようアドリブで切腹をしたと思います。重臣が何人も死ぬということは、部隊指揮官がごっそり死ぬという事なので、もし戦うことになっても戦えなくなるからです。 ヒロマツの「これは自分とトラナガ個人の事」と明言したのは、家や一族のこととは関係ないことと定義したことで、先祖が云々とかの非難は一切させないという事だと思います。結果、トラナガの片腕ではあるものの重臣一人の命という最小限の被害で、吉井家の力としてはそれほど落とすことなく済んだという事になったと思います。
このドラマは役者の所作の一つ一つにまで細心が行き届いた素晴らしい時代劇だと思います。惜しむらくはお金がかかるので日本でこういうものを作れなくなってしまった事かな。外国人にはこれが戦略だったことまでは理解できるかもしれないけど、なぜヒロマツがここで切腹したのかまでは理解できないんだろうな。他の重臣を生かすかわりに自分の命を差し出す、しかも石堂を騙すということも理解してのことだった コメント長すぎてスイマセン
My C
ご解釈の通りだと思います、同感
私もそう感じました。主従は三世、のえにし【縁】有りなのだから【先に行って冥土で待っている‼️】と言う事でしょう。非日本人には、近松作品の一連の夫婦の心中モノ、忠臣蔵の泉岳寺浅野匠の守墓前での、殉死の予定のエピソード等、外国人のが文献分析だけでは、とても理解出来ない心情でしょうね。日本人固有の独自の心情は、文献解読、筆授口授では、(少なくとも外国人の心情では)覚束ない世界ではないか、と考えています。
うんうん、勘者だらけだったとおもう!
お見事。
一場面に対していろいろな人のいろいろな意見・見解が飛び交うということ自体
素晴らしい映像作品であるということですね。
やっぱり外人達にはこの切腹の真意は伝わらないんだね
笑えるぐらい間違ってるw
まるで西洋では残酷なことをする人がいないとでも言いたげなコメントが実際多くて、口が竹輪になるよ。このシーンをみた彼らは結局「ほら、日本人はすぐ自殺する、いつどこでもハラキリするんだね」とか言い出す始末。真意は伝わらないしもともとこういう日本人像以外は信じないのはもうお察しですよ。
共生はできないw
やっぱ海外は単純な思考の人がけっこういるんだな
こういう時代性を無視してしか物が見れない人には日本文化は理解しきれない
多様性を声高に叫んでいても、実際は「自分たちの価値観がベース」であることがよくわかる海外のコメントであった。
まあ文化の違いやからしょうがないが、無理に分かってもらおうなんて思わないよなぁ・・・
中々むずかしいし・・・
この脚本書いたのアメリカ人だよ😂
@@命焼肉あっちの人が多様性多様性ってうるさいのは「多様性を根本的に理解できない知性の人」が多いからじゃないかと気づいた
「排泄はトイレでしましょう」って当然のことを100回言っても理解できなくて野グ⚪︎してるのを見てる気分だわ
わたしも宣教師が遊郭の隣に教会の土地があるって知った時のしょっぱい顔の意味が分からないので、しょうがない面はある。
日本特有の価値観をどう解釈するかは自由だが、アジアや東洋で括るのはやめてくだされ。
世界で日本のような国は他にない唯一無二の国です。
同感。日本と同じ価値観は、他のアジアのどの国にもありません。日本固有です。
んー、切腹に対して文句を言う日本人はいないのでは。究極の選択の場面でしか発動しない。
賛否両論がでるのは、西岡さんの演技が素晴らしかったからですね。2回目に視聴すると、広松が他の家臣が異論を唱えた時に黙らせた意図も、二人のアイコンタクトも違って見える。
神風特攻 も理解できないんだから無理ですよ 外国人には。あの時 日本兵は負けたら日本がなくなると思ってたので死ぬ気で戦ってた。そして将軍 ドラマの場合も同じ。死ぬか生きるかの瀬戸際 なんだから 紅天を成功させるためには切腹もやむを得ないと思うのは普通です。すぐに降参して3食昼寝付きの捕虜生活を期待する外国人はちょっと理解できない
イエスから「隣人を愛しなさい」って言われてたのに、未だに侵略したり戦争したりする連中には理解するなんて無理
相手を思いやる優しさや相手の立場を考える思考を放棄して「気に入らないから受け付けない!だからコイツは悪だ!!」って考えだから未だに差別してる
「汝、隣人を愛せよ」に関して言うと
正しく距離感として
自分の手の届く範囲の隣人を愛し
それより遠い人間(或いは異教徒たる悪魔)を全て敵として認識せよ…
て解釈もあるとかないとか…
(* ̄∇ ̄)ノドッチヤネン
@理想を手に入れるさん 神風特攻隊の発案者の一人、司令大西瀧次郎中将が最初の特攻隊員たちに語った言葉と思いを知ってるとは思いますが…。『特攻は統率の外道である……』私も特攻を肯定は出来ません。しかし、あの時代にタイムスリップしていたら、どう感じるかは解りません。
やはり海外の人には理解できない人も多いようですね。日本人なら容易に理解できるのに。
外国人って「時代・背景」「文化・風習」を何も考えず、現代の「価値観」で「評価・批判」する人多いよね。
そんな鑑賞の仕方で「物語」を楽しめるのだろうか。まぁ表面的な浅い「鑑賞」ならばある程度は楽しめるかな。
ただ、この作品の良さが「理解」できていない人が少なからず居るのは、少し残念だ。
自己犠牲の尊さはわかるくせに、こういうのはわからないんですよね。
「ポリコレ」という現代価値観()をゴリ押ししているんだから、お察しな訳で・・・・
まあ彼らの歴史から見てもそういった思考回路が備わってないのは明らか
主観でしか意見してないね。なぜ彼らがこのような行動に至ったのかに対する理解や考察が浅い。彼らの国で自分勝手な主張による差別や価値観の押し付け合いが無くならない理由がわかる。
小説は小説。真田さんが描きたかったのは日本の将軍の姿です。
前情報を全く知らずに見た、わずか数分のシーンやったのに時間が止まったかのようだった。今でもそれぞれの俳優方の表情が目に焼き付いてる、こんなドラマは初めて見た。
主君の為、ひいては一族子孫妻子同朋の為に切腹する。そんな武士を見たならば涙を堪え、それでも溢れさせつつ「お美事!」が正しいリアクションでしょうよ。
久々に素晴らしい切腹シーンに、衿を開いた時に「お見事!」と息を飲みました。
西洋の騎士は金払って終わりだからね。自分の命を捧げる意味が分からんのでしょ。
広松が切腹するのは演じる西岡徳馬さんの提案というのがまたすごいなと思う。
西洋と東洋の違いを理解している人はいましたが、
アジアと日本の違いを理解している人はいないようですね。
自分もアフリカとアンゴラの違いはわからないな
西岡徳馬さん、役者冥利につきますね (´;ω;`)
男をあげたよね
@@capersville
昔から名優なんですが・・・
大河ドラマ‘太平記’以来の親交がありますからね。西岡さんをキャスティングするのも真田さんたっての
希望だったといいますし。
笑っては24時以来この方が本物なのは分かっていたけどまさに本物でしたね😊
広松が文太郎に言っていた事は文太郎だけに対してではなく皆に言い聞かせていたんだよな。
切腹はせずに生きて大坂へ行け!殿が諦めた様に見えたとしても殿を信じよ!文太郎のチラ見がまた良い感じ😊
殿に対して諫言としての切腹は犬死と等しいと説明もした。
皆に察してくれと言わんばかりの名演技!最高でした😊
『武士道』と『騎士道』は全く別物だと理解して欲しい
ブラックソーンの描かれ方(原作との剥離)に不満を持っている人が多いみたいだけど、
それこそが「西洋から見た日本」視点、あなた達から見る衝撃と不満を画いてるんだぞ、と言いたい
ブラックソーンは第三者として戸惑いや理解に振り回されてる西洋人代表だと思う
しかしこのドラマには所謂『脇役』が居ないね 全員キャラ立ちすぎ
私は朝立ちすぎ
日本文化の精神性の部分は理解できないのは仕方ないけど
『虎永が本気で大阪へ負けを受け入れるつもりで、それを諌めるために広松が腹を切った』って解釈してる人はかなり残念すぎる
精神性以前にドラマを理解できてないと思う
歴史的に「相手を欺くために仲間を処する」という状況がなかったのかもね。
@@命焼肉
ヨーロッパは王の言葉は絶対というのがあるから。
王を諫めるという考えはないんじゃないかな?。
向こうでは要職についてると保身に走る傾向が強いけど昔の日本は主家や自分の家、名誉を守るために自分は死を選ぶというのが多い。
侍は忠義で死ぬことは、当たり前名誉なのです
それは江戸時代以降の上方風の打ち上がりたる武士道ともいえる
このシーン、海外の方に理解出来るのかな?と思っていましたが、やはり理解できない方が多いみたいですね。
ビックリするほどバカみたいなことばかり言ってて驚いた
コイツらとは考え方と感じ方が違いすぎる
以前、黒人の侍は出ないのかとか、侍の起源は黒人みたいな話題があがっていましたが、彼らが侍を名乗るならば、迷わず切腹や介錯が出来たでしょうか?とてもそうは思えません。というか、もうあのシーンを観たら言わないんじゃない?😅
@@コレット-j9b そもそも文化が違うので仕方の無い事ですね。
ただ、このストーリーと演技の深みを理解できないのは勿体ないですね。
誰かが正確に伝えてあげられるといいんですが。
キリスト教は自殺がタブーだからね。
@@S猛
ブルース・リー「考えるな、感じろ」
解釈がバラバラで議論になってるの面白いな
それこそまさに多様性。
アメリカでは1日平均80件もの銃による殺人事件が起きている。ドラマの一人のキャラの切腹シーンよりも、自国の銃による殺人事件を議論しろと言いたい。
それでも彼らにとっては日本人の習慣の方が野蛮で残酷なんですよ。
口汚く罵って名誉を著しく傷つけるよりも、軽い平手打ちを非難する それが欧米文化
この切腹が理解できないのに原爆投下は理解できるのか、、
敵味方、こっち側かあちら側かをハッキリ別けるからねぇ…こっち側の4は絶対に受け入れないけど相手側は下手すれば人間とも思わない。このへんは変わらないだろうね。
同胞の犠牲、というのならば「真珠湾」じゃない?
日本人以外の民族はハラキリもカミカゼ特攻も理解できない。理解できないからこんなことできる国を
屈服させるには原爆しかないと思ったのさ。
理解など出来ない。
彼らが感情移入しているのは
広末の方だ……つまり「自分」だ。
彼らに《自己犠牲》の精神は
無い。
最近のハリウッド映画に盛んに
自己犠牲が描写されるが、
アレは大和魂に驚愕し憧れたから
『カタチだけマネしただけ』だ。
現実に、彼らが自己を犠牲にする
事は無い。 あっても、稀だ。
@@命焼肉様
そうですね。
だが、それも「自己犠牲」ではない。
「武士道とは死ぬこととみつけたり」という言葉があります!
「武士たるものは主君のために死ぬことも覚悟しなければならない」という意味があるが、「武士として誇り高く生きること!」を鼓舞する言葉でもある。
海外の反応を見ていると外国人はこの部分が理解できないのだと思います!
「まだ虎永は迷っていた。そして最愛の息子の死に打ちひしがれていた…」
虎永は心の迷いや臆病であるため犬死した息子を自身の姿と重ねてもいる。
「虎永は神ではない、心を持った普通の悩める人間である」ということを広松はよく知り、虎永の苦しみを誰よりも深く理解していたのだ…
これは多くの伏線からドラマ内で説明しています。
初陣での敵の首を介錯した時のエビソード等が伏線であり、介錯に9回もかかっていることを覚えていることで広松が冷静で優れた家臣であることもわかります。
そして最後の「しょうべんたれの小僧の頃から殿を知っている」という言葉で、「殿が今迷っていることはわかっていますぞ!」と殿にだけわかるよう伝えている。
そして広松が選んだこの切腹こそ、全ての問題を解決させる最後の希望であり、最大の策略だったと私は思う。
広松のとなりに座っていた家臣が広松より先に「腹を切る覚悟がある」と脇差に手を添えた描写があります。
これを見て広松も確信したのだ。
先に切腹した藤の伴侶「宇佐美忠義」だけでなくここには忠誠をつくす素晴らしい家臣がたくさんいることを…
「わしが死んでも吉井家の行く末は大丈夫だ!」
広松自身も迷える人間であったが、もはや迷いはなくなっていたのだ…
虎永は自身の死と引き換えに部下を生きさせたいと思っている。
忠実な部下達は主君のために死ぬのなら本望だと思っている。
もはや後がない絶体絶命の状況の中で、武士の心(武士道)を持った吉井家の侍たちの姿に未来へつながる最後の糸を広松はこのとき見つけたのだ…
虎永の息子の死に意味を持たせ、虎永の迷いを消し、吉井家の誇りを取り戻すことができれば「これ以上ない死に様」である。
広松が命をかけて伝えた策略を虎永はしっかりと理解し受け止めた。
この広松こそが最高の策士であり、またその意をしっかり受け止めた虎永もまた最高の武将である。
製作者側の考察と違うかもしれませんが、時代劇好きにとってはこういう考察もありかな?と思いました。
>「まだ虎永は迷っていた。そして最愛の息子の死に打ちひしがれていた…」
> 「殿が今迷っていることはわかっていますぞ!」と殿にだけわかるよう伝えている。
> 虎永は自身の死と引き換えに部下を生きさせたいと思っている。
↑
虎永には迷いなどありません。迷いなどあったのでは自分が最も信頼を寄せている広松の死を止めずにいられたはずがありません。迷いがないから降伏の姿勢を演じ通すことができたのです。
また、虎永は一国一城の主であり、主君です。彼のような立場にある者にとっては自らに与えられた使命を果たすことが大義であり、大義を成すこと、大願を成就することは自分の命よりも大切で、その為に生き、その為に死にます。
そして、それは家来の命に対しても同じであり、家来の命も大切だからこそ、自分が大義を成し遂げるために使います。
自分の大義を成し遂げるというのは自分の私欲を満たすことではありません。
自分の大義を成し遂げるということは、自分が信じる公の利益を満たすということであり、天下の役に立つこと、天下万民の為になることを成すということです。
その為に自分が家来の命を預かり、自分の命を天に預けます。
家来の命を無駄にしない為には自分が先に死んでしまうわけには行きません。
大義を成すために預かっている家来の命を責任を持って使います。
家来は、自分一人の力では大して天下の役に立てないけれど、自分の命を主君に預けて大義を成して貰い、天下に役立ててもらうことで、自分の命の価値が高まることを知っています。
だから喜んで主君に命を差し出すのです。
広松もそうだったでしょう。
老いさらばえて残り少なくなった命を大義に奉じ、大きな価値を与えることができて、冥利が尽きるほどの満足な旅立ちだったのではないでしょうか。
自分の命と引き換えに家来の命を守りたいなどと、大義を忘れた小物に自分の命など預けられるものではありません。
日本人ですが…
そのような考察が多いのは知っています。
ただそれだと「虎永のいらだつ表情」などから多少の矛盾も感じる部分もあるのでこういう考察を投稿しました。
深い作品には得てして様々な解釈の考察があり、決して答えが一つだけではないものが少なくありません。
監督があえて答えを出さない作品も世の中には数多く存在するのです。
戦国時代には天下統一をたくらむ様々な野望や裏切りの話があるが、またその反面「民のため世を落ち着かせ戦のない世界を望む」武将もいる!
そうした中で「我ら一族の存続か、日の本の存続か…どちらが大事か?」と問う場面があり、これは虎永自身が自分に問いかけている気持ちであると考えればまた深みを感じて面白い…
映画や小説、アニメ、ゲーム等でもいろいろな人が自由に考察を楽しんでいます。
いろいろな内容の考察がたくさんでてくるのも作品に奥深さがあり、名作であることの裏付けかな?とも考えています!
あくまで考察は個人の自由であり、こういう考察も面白いという意味で投稿させていただいただけです。
私は他人の考察に「違うな?」と思うことがあってもケチをつけるような気持は全くありません!
@@jiroki7
日本人だったのですね。失礼しました。
外国の方と勘違いした文言は削除させていただきます。
最初から打ち合わせしていた場合、この緊張のシーンはすべて二人の演技ということになります。
どちらに転ぶかわからない真実のやりとりだからこそ手に汗握る緊迫のやりとりになるのです。
全てが完璧で物事が計画通りになるようなスーパーマン主人公より「悩み・迷い・苦しみ・失敗もする」主人公の方がストーリーに深みがあると思います。
数々の失敗や迷いの中から小さな光をたどっていく物語の方が断然面白い!(…と私は思う)
この作品の一番の不満点をあげるならば「戸田鞠子」の言動…
鞠子は誇り高き武将の血を引き、武士の精神を受け継ぐ心の強い女性です。
まして情けをかけられた立場で生かされている「運命のヒロイン」です。
であるのに自身の宿命を受け入れ不本意ながらも異人の正妻になった藤様の覚悟を踏みにじり、欲望のまま藤様の旦那を寝取ったりしている。
また自身の正式な夫が一緒に死のうと言ったときの答えがあれほど冷たいのもうなずけません。
戦国時代の武将の娘に自由はなく、お家発展のための道具になることはあたりまえです。
そして優秀な娘ほどその運命を理解し覚悟を決めて生きています。
武士の妻は「主君より夫を一番に考える」のが美徳であり宿命です。
主君を裏切るような間違った夫であってもそれについて行き、運命を共にするのが覚悟をきめた武士の妻というものです。
このヒロインはそういった意味で主人公としてはあまりに言動が軽く薄っぺらく感じる描写が多いのが気になります。しかし海外と共同で製作した今までにない超大作として純粋に作品を楽しんで見ています。
@@jiroki7さんの仰っしゃることも良くわかりますし、人それぞれの多様な感想や考察があって良いと思うのですが、物語の柱となる基本的な部分についての認識は共有されるべきものだと思うのですね。でも、動画の中で紹介されてる外国人のコメントを見ると、その基本的な部分を履き違えている人が多いので、このコメント欄でも「やっぱり外国人にはわからないのか」、「残念だ」という意見が飛び交っているのだと思います。
…で、第8話まで見終えたところで、物語の柱となる基本的な部分で共有されるべき認識というのは、「虎永は降伏するふりをしているだけで、全然諦めてなどいない」、「虎永は『降伏するふりをしているだけだ』と見破られないように芝居を打った」、「忠臣広松は阿吽の呼吸でそれに気付き、虎永の芝居を完璧なものに仕上げるために惜しみなく自分の命を差し出した」ということだと思うんですね。で、それを理解しないと、虎永の魅力が半減してしまうし、広松の魅力も八掛け程度になってしまう。
そして、この場面では、虎永の芝居でも、その虎永を演じる真田広之の芝居でも、重要なことは見ている者に「降伏することに一片の迷いもない」と思わせることです。それがもしも虎永の様子に「迷い」が感じられたとしたら、敵に「降伏するというのは策略に違いない」と見破られてしまうわけで、そうならないために虎永と広松があの鬼気迫る魂のやり取り、命のやり取りを演じた結果、虎永は自分の意志の強固さを示すように「死ぬがよい」の一言を発するに至るのです。演出的にもここでは虎永が自分の考えに迷いがあるようには絶対に見せてはいけないところで、もしもそのように見えたとしたら、それは真田広之の演技に難があるということになりますが、真田さんはこの場面の虎永を完璧に演じきったと思います。
ただ、この場面での虎永は、自分の考えに迷いはないものの、腹心の家来であるとともに長年の盟友でもある広松を死なせることに対する逡巡が「間」と苦悩の表情を通して垣間見えるのも事実で、ひょっとするとそれが jiroki7 さんには虎永自身の考えに対する迷いのように感じられたのかもしれないと思ったりもしています。
とにかくこの場面での虎永と広松の芝居、そしてそれを演じる真田広之と西岡德馬の芝居は見事でした。
第一話の赤子まで切腹に巻き込まれた伏線で、御家存続の過酷さが海外の方に伝わるといいですが。
まあ、意味が分からんなら自分なりの答えが出るまで考えると良いよ。
人生とはそういう物だ。
いつも思うけど、アジア人が日本人と一緒と思ってるけど日本人はアジア人と一緒とは思ってないんだけどな。
というか、時代劇を現代基準で批判している自分に違和感が無いのが不思議
文化の時代背景を理解セずに自分の主張ばかりが大事に思っている感じで
自分の価値観が何よりも正しいと思っているという背景があるんでしょうね。
中国人とインド人も特別と思ってるよ。二大文明があるとこに日本も育って三大文明になったのをヨーロッパ視点でまとめてアジアと呼ぶことに無理がある。
欧米人や世界中の人,そしてアジア人も日本人とアジア人の違いを理解する能力がなくて一緒にしているだけで ,日本人だけは自分がアジア人とは違うことを理解し確信していますよね
あー、やっぱり外国人にはこの切腹の心の機微は分からないんだろなぁ…
細川藤孝相当の広松だが、どちらかと言えば鳥居元忠だな。
藪重も本多正信相当だが、やってることは関ヶ原以降の藤堂高虎。
騎士の名誉は自分のため、武士の名誉は主君のため。これが理解できないと切腹に至る意味がわからんだろうな
その主君は領民、さらに国民の為なんですよね。戦国時代、あれだけあちこちで戦乱があったけど、庶民がその戦争の為に犠牲になったり、露頭に迷ったりする話はないし、戦争をするから私財を全部差し出せと庶民に強制した話も聞かないし、敵陣の領民を皆殺しにしたという話もない。
@@悠々彼方S 流石にそれは戦国時代に夢を見過ぎ、織田信長は伊勢長島で領民も皆殺しにしてるし、伊達政宗は城を落とした際に最上義光に宛てて「子供も犬も含めて全員斬ってやった」って手紙を送ってる。
戦後に敵の領民を捕えて奴隷として売買するのは東西問わず行われてたし、武田信玄は自分の領民に対して連帯責任と相互監視で逃走を防止するディストピアみたいな政策も行ってる。
税を納めてくれる領民に対して一定の配慮があったのも事実だけど、庶民だから戦には無関係って訳ではない。
@@悠々彼方S戦国時代に庶民が苦しむことは無かった?
そんなことあり得ると信じてますか?
大名家や時代にもよりますが、戦ってる足軽達は普段は農民ですからね。まさに庶民が殺しあいさせられてるんです。
戦に駆り出されなくても、攻めてきた敵に、作物すべて奪われたり、大阪の陣で落城の際には無数の庶民が巻き添えで殺されています。庶民が犠牲にならない、戦国時代なんて、古今東西あり得るわけがありません。
@@悠々彼方S戦国時代に庶民が苦しむことは無かった?そんなことあり得ると信じてます?
大名家や時代にもよりますが、足軽達は農民ですからね。まさに庶民が殺しあいさせられてるんです。戦に駆り出されなくても、攻めてきた敵に作物根こそぎ刈り取られたり焼かれたり、戦争で苦しむのはいつも庶民です。大坂の陣では、落城の際に巻き添えで多数の庶民が殺されています。
庶民が犠牲にならない戦国時代なんて、古今東西あり得るわけがありません。
@@悠々彼方S戦国時代に庶民が苦しむことは無かった?そんなことあり得ると信じてます?
大名家や時代にもよりますが、足軽達は普段は農民ですからね。まさに庶民が○しあいさせられてるんです。戦に駆り出されなくても、攻めてきた敵に作物根こそぎ刈り取られたり焼かれたりは、当たり前にあることです。戦争で苦しむのはいつも庶民です。大坂の陣で落城の際には、巻き添えで多数の庶民が○されています。
庶民が犠牲にならない、戦国時代なんて、古今東西あり得るわけがありません。
切腹のシーンで脇差を扇の上に置いたのは、演技指導の方の助言だったそうです。
正式なマナーでは三方の上に乗せるが、その場で切腹を決断するシーンで、脇差への敬意を、極限状態でも示した侍としての誇りを感じられる素晴らしい演出でした。
あれは脇差ではないよ。脇差の長さの定義にもあって無いし、あれは正に懐刀、武士はいつでも切腹出来るように懐に短刀を忍ばせています
個人的には、「庭先をお借りします」といって外で腹を切るのかマナーじゃないかとも思ったんですが、
どうなんでしょうね?
@@天草屋
下段は私の解釈・感想なので、素人意見として見て頂ければ幸いです。マナーという表現は適切では無かったです。失礼しました。
総合統括所作指導である帆之亟さんのコメントは以下の通りです。
ーー
SHOGUN-将軍•第8話絶賛配信中。
この話は重要なシーンが多く、事細かく指導やアドバイスをさせて頂きました。
特に後半の広松の切腹のシーンでは西岡徳馬さんと話し合い、本来は“三方“の上に脇差を置くのを、白六骨(白の6枚扇子)を代わりにしたらどうですか?と提案しての撮影でした。
ーー
その上で個人的な意見を言うなら、ドラマの演出として「庭先をお借りします」をやったら、あのシーンの緊張感は無くなってしまうと思います。私がマナーと言ったことで余計な違和感を持たせてしまったのは申し訳ない。
@@peters3405
あ、いや、あのシーンは単に場所としてがひっかかったもので。厳密に考証すると、君命なのか勝手腹なのか微妙で、あのシーンが成立はしなくなります
おっしゃる通り、作劇上しかたないところですが、あそこで勢いというか意地で斬っちゃう……という展開となると、70年代の実録ヤクザ映画っぽい時代劇を思い出させるテイストですよね。
ともあれ、切腹シーンはちょっとした作法や礼法一つで意味合いが変わるシーンなので難しいですよね。桃山期と江戸期でも違いますし。敷物やちょっとした小道具のあるなしとかでできる演出や暗示の幅が広すぎるという……。
知識が有る方々のコメントを読んで大変勉強になりました。侍ドラマでの切腹は庭で…と印象があったので、なるほど時代によっても作法が変わる事やドラマ演出等の違いがある事が、わかりました。
何故日本が第二次世界大戦末期にカミカゼ攻撃を実施したかを理解できるシーンでしょう。コメントにはカミカゼ特攻と侍の繋がりに言及は無かったが・・・。
完全に同意です。武士道を理解できる人間のみがこの切腹の意味がわかるのでしょう。西洋人ごときがなにがわかるか ですね。
より大きな大切なひと、もの、未来を愛し護るためですね。
その通り
@@yuzibumu831
その通り
カミカゼと侍は関係ないですよ。解釈は人それぞれですが、カミカゼは日本本土防衛の一つの手段です。今ならバカげていますが、当時の状況が招いたと思っています。
他のコメントで「イエス様が許さない」というのがあったね。素晴らしいよ真田さん、西岡さん
コメントに欧米人の脳筋と個人主義が出ていて面白い。彼等には広松の心情は絶対に理解できないだろうね
一日に途方もない数の人が惨殺されてる自国よりも、日本の自決の方が野蛮だと思って見下してるよね
広松の自決が無かったら、油断させられず、大阪に一気に攻め込まれ、犯され、皆殺しにされてたってのに
向こうの諺とかで「敵を欺くには味方から」というのがないのかもね。
海外では武士は「かっこいいもの」ってイメージですが、このドラマでは、日本の精神世界とか武士道とか、スター・ウォーズなんかとは全く違った世界が表現されていて引き込まれていると思う。「侍はおっかない」って思った人多いんじゃないでしょうか.雨の日や食事シーンが多いのも、雰囲気を作ってる。シーズン1はあと2話しかないんですよね。。。9で主人公たちが戦争を始め、10で平定するって感じなんですかね。早く見たいなあ。海外の若い子の方が詳しいかもしれない。彼らはネットですごく調べてるから。中東の子たちも見られるのかな。色んな海外の監督も見ているだろうし、嫉妬もしているでしょうね。
雨が多いのは 撮影場所がバンクーバー だからでしょう
@@More-kx6zo かもしれませんね。でも、効果的に使っているな、とは思いました。
侍といえば「七人の侍」のイメージが強いのかもね。
外国人には絶対理解出来ない領域なのかもしれない。
「侍とは死ぬ事と見つけたり」
侍である以上、自分が思う最高の死に方をする事が最大の願い。ただ生を貪りたいのなら初めから侍になる事はない。
つまり外国人は侍になる事は出来ないと言う事。
桜の散るように、美しく、この世を去る散ることが潔いとされる
武士は常に死に際にどう振る舞うかを考えているので、最も己れが周りの役に立つ場面で、ためらいなく命を差し出せるのかもしれません。
このシーンを機に、武士道の死生観を世界中の人々が知ってくれたら嬉しいです。海外の方々には中々理解は出来ないかも知れないけど、沢山の人達がこのシーンで議論してくれるのは嬉しいですね。
「主君の為に」の根底には「愛すべき者達が幸せになる為に」と言う大義があり、その為に武士は何時でも死ぬ覚悟を持って居ました。広松はあの短いやり取りの間に、虎長と家臣達の対立で無駄な血を流さない為に、そしてスパイの目を欺く為に「命を賭ける時は今だ」と理解して死ぬ事を決めたのだと思います。でも実際には虎長が生まれた時点で既に広松は虎長に自らの命を差し出していたのでしょう。主君のピンチを救う為に死ぬべき時に死ねた広松は幸せだったと思います。主君の為なら何時でも死ねる。それが武士道精神です。虎長もあの短いやり取りの間に、広松の覚悟がどれ程有効な効果があるかを理解し切腹を命じました。息子と唯一無二の友を失った虎長の悲しみこそ奈落の底だったのかも知れません。主君である虎長はその悲しみすら表には出せません。外国から狙われている日本をできる限り分裂させず、戦を終わらせるという大義があるからです。息子と広松の死を無駄にはしないと一人誓う虎長の悲しみと覚悟に震えました。
外国人は茶道を勉強しよう、茶室は小さな部屋ではないよ。
寺社仏閣観光にも役立つぞ。
更に言えば大坂から逃げ帰った広松が将軍を提案しているし、ヤブシゲには再三虎長はまだ戦おうとしているぞと言っているし、ずっーと親友として見て来たのならどの駒を動かすのか虎長はどーしたいのか全部分かっていた。だから息子も含め全員の為と、そして最後の希望を自分だけの犠牲で叶うと信じたはず。あのままなら全員殺されてた。好きも嫌いも無い。歴史上、必要な死であった訳だ。
件の「御免」のところの英字幕見たら「Forgive me...」やった。いやいやこれはない。もっとこう...あるだろう!!
英訳にドナルド・キーンを雇うべきだったな
(お先に逝く事を)お許しください のつもりだった?
大坂方に企てを気取られないために出来ることは何か。それは一番の腹心の切腹をもってしても殿の考えが変わらない様を間者にも心の揺れている者にも見せること。それを虎永から言わずとも良く心得ていたので広松は自分の役目をよくわかっていると言わしめたのでしょう。
件の"御免"はなんですかね・・・虎永に対して何か謝るでもなし、許しを乞うでもなし。"では。"ぐらいかなと思うんですけど先に述べたように大坂方に向けて本気でやってることを見せたかったのかなと思います。
「お目汚し失礼」 や 「さらば」、あたりが混じったような意味なんだが、ムリに訳すなら、
“Farewell (これにて御免) ”
かな。
やっぱり切腹とかあの時代の死の意味とか理解できないよなぁ。命が重くて軽い時代だし、バックグラウンドがわからないと理解できない。
この視聴者たちのコメントは興味深い。
『命が重くて軽い』言い得て妙。
色々海外のリアクション動画見たけど
洞察力なさすぎで「バカなの?」
と思ってしまった😅
でもそれほど日本人の精神性っていうのは深いんだよね。現代の日本人だってこんな事できないけど当時の日本人の精神性は日本人なら肌感覚で理解できる。
ああいったリアクション動画出している人たちはある意味大多数の脳みそが欠如している人達だと思うけど…
彼らにとって日本人は謎でしかないよね
大変失礼ながら申し上げますと、彼らには、ちとレベルが高すぎたのでしょう。
ヒーローもので育った彼らにはサムライは強くてカッコイイものという単純かつ大雑把で自分本位な解釈しかなく、早くドンパチやチャンバラが見たいだけじゃないかな?
みんなじゃないんだろうけど…
ただの死(切腹)ではない。忠義ある家臣が主の使命のためにやった大義ある死だった。
しかも虎長は最初、広松の死を拒絶した。
虎永が大阪で一緒に戦ってほしいと広松のここでの切腹を拒否したのに対し、道半ばで我らの戦を投げ出すおつもりかと広松が嗜めてまでここでの死の必要性を訴え虎永を説得し、苦渋の決断で主として広松に切腹を命じた
そこらへんの言葉や表情からくる心の機敏が日本語がわからない多くの外国人にはわからない。主君がただ家臣を見殺しにしたのではない。家臣が主君の天下の大義のため自ら主を嗜めてまで自分の命をかけた大義ある死だった
しかもしょんべんタレ小僧の時から見守ってきたとか、死ぬ直前まで孤独の中、使命を全うしなければならない主を心配して息子に最後まで主を信用して支えるように言い聞かすシーンはもう大泣きだった
日本人の反応が気になると言っていた方々がこのコメント欄を見てどんな反応をするのか、それがまた気にる
ソ連にみせしめるため,非戦闘員の日本人を数十万人野垂れ死にさせるために原子爆弾を広島と長崎に落としたアメリカ合衆国についてどのように考えるのかを聞きたいですね.
その前の東京大空襲や北九州の空襲😂
多くの一般人が亡くなった
まあまあ、もういいじゃないですか。
特攻隊員達が狂気の自爆特攻をして徹底抗戦の意思を示した事でアメリカは恐怖し本土決戦に尻込みして
結果日本の国体は護られ、存続しました。
たとえ大量虐殺の歴史があったとしても、今日本が日本である事を1番に思いましょうよ
そのおかげで日本の調和の精神や奥深い歴史が今こう言う形で注目を浴びているんです。
同胞の犠牲、という点では「真珠湾」が妥当かと。
結局、広島と長崎は敵国の民間人だし・・・
「切腹は野蛮」「西洋の美徳」に笑いました。どれだけ自分たちを美化してるんでしょう?今だって西洋の方が余程野蛮で人々は怯えて暮らしてる。
Much I could say, but will simply lament here that there are wonderful people I would have known had it not been for a stroll from Bataan to Tarlac in 1942.
皆入り込んで楽しんでるってのが分かる
きっとこの8話をやりたいから、このドラマを作ったんだろうな。
ああ完璧なコメントだ
君は今日で人生で最後の富を得た
そしてその8話を経て、最終話へ繋がるんだろうね。
エクセレント‼
おそらく今回の制作側かキャストの誰かが、鳥居元忠というより信長と平手政秀の逸話を知っていて、それを取り入れる事を提案したんだと思った。原作には無いらしいし、西岡さんは脚本も書かれるので。
平手じいさんはガチ諫死やろ。
大坂に行って降伏すればどうせ切腹だし、江戸で迎え撃っても勝ち目はない上に潰し合いで日の本が弱体化。
そこんところを理解しないと。
ホントそれ。日本文化を理解してないなら、武士道の理解というアプローチから見れないのは仕方ないとしても、虎永達が今どういう状況に置かれているかぐらいは理解した上で観て欲しいよねえ。
@@Mugen3
反面教師として日本人も他国の文化を理解し続ける必要があることを考えさせられるな。
@@命焼肉
文化の理解の事じゃなくて、ストーリーをしっかり理解して視聴して欲しいという内容のコメ欄に「日本人も他国の文化を理解し続ける必要がある」という斜め上からのレスぶっ込んで来るの草
古く先祖から受け継がれてきた魂、先祖の魂は神仏と共にあり、日本という国を賭けた戦いがある。虎永と広松の対話の奥には宿命を背負った戦いへの覚悟があった。
感じ方は人それぞれ…生まれた国も…風習も…文化も…言葉も違う。でも…この機会に🇯🇵を少しでも理解していただけたら嬉しいです❗
「侍は忠義に生きる」ってのが美徳とする感覚も、江戸時代以降の作られた思い込みでしか無いよ
御免は、去らばともとれる
他にあるのか?
東洋、西洋とカテゴライズするのは意味がない。
また、日本においても時代によって規範は異なるので、それについて良い悪いを判断するのも良くない。
これまでのストーリを見てきてこの時代のこの空気を感じながら、その時代に生きているつもりでそれぞれの出来事を味わうのがいい楽しみ方だと思う。
進撃の巨人でガビにヘイトが集まった時みたいに外国人って自分が好きなキャラや感情移入してるキャラに肩入れし過ぎて視野が狭くなる所があるよね。
特にアメリカ人。
これが日本人だ、侍なんだ!西洋人に理解出来なくて結構。
のちの遊郭になる土地の隣に教会があてられるってのは別に悪意があったわけじゃないと思うけどな
茶屋や遊郭は別に不浄なものではないってのが古い日本の考え方だし、逆に不浄を落とすということで寺社の近くにそういう宿も多かった
天国に最も近い場所であるとさえ考えられていたくらいだからその隣に教会が建てられるなら最良の場所じゃないか
それに現代みたいに自分の意志で遊郭に行く女性なんて少なかったと思うし(勿論蔭間茶屋もね)だから心の拠り所(マグダラのマリアは売春婦だった)と亡くなった後の供養とか考えて……くれてたら嬉しい 個人的な感想です
猿女とは巫女のれいらくした姿との説これあり。
昔の日本は今よりも性に寛容だったことがわかる資料がたくさん残ってるからね
命より誇りと恥を重くする。故の命懸け
エピソードタイトルの「奈落の底」がそもそも理解できるんかね?日本人なら具体的に「こういう状況」と説明しなくてもなんとなく分かるだろうけど。
現代の価値観で良し悪しを語っているところを見ても、それら含めて日本文化が理解できないんだろうとは思った。
「トラナガが悪徳を犯して地獄に落ちる」くらいの解釈されてたりして…流石にないか
原作者には当時の日本人の事は理解出来ていないでしょう。
真田広之さんがこの番組を作成する時に大変な労力を使ったでしょう。
当時の日本人の姿が少しでも西欧諸国の理解してもらえるならば、大平洋戦争の日本軍の行動も理解されていかに、南方諸国に色々なインフラを設置してその国々の方と共存した事実も理解出来るでしょうし、最後は全滅を選んだ行動も理解出来るでしょうね。
日本人は本当に哀しく素晴らしい民族です。
西欧諸国では理解出来ないと思いますが、これが日本人ならばでしょう。
何も難しく考える必要は無い、奇襲をキメる為に降伏するフリが必要というだけのこと
主戦論者に自害を求める事で、戦いを避ける評価は確実になり、奇襲を仕掛けやすくなる
しかしそこで死ぬ部下が多いと、戦場で苦労する事になる
広松が切腹する事で、部下が5人切腹するよりも降伏するんだという印象を与えながら、戦う意志を持った部下の命を助ける事ができた
手柄を立てるにはリスクがある、しかし最初からリスクを負えば手柄は眼の前にある
立派な跡取り息子がいて、眼の前に手柄がある
ならばリスクを負わない手は、無い
観たい観たい観たい!NHKでやって欲しい!
「床で寝る殿様」とのコメント、「ゆか」と「とこ」が同じ漢字に当てられる訓みだと教えてあげたいしこの時代(というか平安〜江戸期)なら天皇陛下も床で寝てるよ…とも教えたい
策略としての切腹でそこまでおかしい訳でもないし
効果のある欺瞞になると思うんだが、そこらへんが文化の違いで
議論になってしまうんですかね?
あ
敵を欺くには、先ず味方から。それを極端に徹底せねばならぬ状況だったのだと言う時代背景をとても深く知らしめる名シーン。
死を命ずる側も、命じられる側以上に過酷な選択である。
お互い口に出さずとも、それをわかり合っているからこそ成り立つ作戦であり、成り立つシーン。
野戦において、大将が兵隊に「行けえ〜!」と命令し、何千何万の兵士が死ぬ事を考えれば、一兵の命で敵を確実に欺く事が出来るのならば、値千金の名作戦だ。
広松は、最高の死場所を得たのです。正に本望でしょう。
自分からしたら、しめしめですね。見事に世界観にハマってます😊
はっきり言いますが、最初から広松はみんな殺されると7話から言っている。按針もみな死ぬと言っている。黙っていたら虎長もみな死ぬ。広松は全員の為にした。それが唯一だからだ。息子も虎長も生かす最良の策と広松は思ったのだ。何度も見返すがよい。みな殺されるって雰囲気だったはず。
武士道これがそういう物だ、主人が望めば黙って切腹する者が武士という者です。虎永の悲しみを誰も理解できないだろうね。理解できないならしなくても良い。
1600年ぐらいは藪みたいな武士が主流で「葉隠れ」みたいな武士道は江戸時代の平和な戦のない退屈な時代に
生まれました。葉隠れはテロリスト本として鍋島藩から発禁になり、作者は長寿を全うして畳の上で死んでます。
字幕で見ている外人には日本語の意味の深さは伝わらないんだなとよくわかった
広松は虎永の考えを知っていたけど、皆にそれを伝える訳にもいかない。決戦に備えて虎永の計画と家臣の命を守る為、人生最大最後の大芝居で切腹の連鎖を巧みに止めました。広松の思惑を察して引くに引けなくなったのは虎永の方。忠臣としての勤めを果たさせねばならないが死んでほしく無い。ちょっとズルく広松に委ねてみるけどあっさり無視。広松が残した言葉に縛られて文太郎と家臣らは虎永に背けない。同時に間者と石堂を完全に欺き勝利を引き寄せた。一瞬「ごめん」を生きて共に戦えない申し訳無さから溢れた一言かと思ったけど、あれはアディオスのごめんだろなぁ。「皆さまお先にあの世に参りまする。これにてごめん」今生の別れの挨拶が3文字なのも粋ですね。
↑上記は私の妄想なのであしからず。
死に意味や美学を求めるのが日本人なんやなぁって
覚悟と死を持って戦場へ行く昔の人達はかっこいいな
『御免』が『許してくれ』はおかしい。ちゃんと日本人スタッフが直さなきゃだ。
この場合の「御免」は確かに翻訳が難しいけど許してくれは無いわな。
日本語の語彙は多岐に渡る多さだけど英語は意味が通じるだけで良いシンプルな言語だから仕方ないか
感情に耐えながら懸命に考察する
こういう事が出来るドラマはなかなか無いね
何回か見たくらいで日本の文化全てを把握することは難しいでしょう。この素晴らしい作品を通じてなぜあのような表情をするのかを知りたいと思い、少しずつ日本の文化を理解する人たちが増えてくれたら嬉しいけどね。日本人として気品を持って、海外からの理解を待ちましょう。
藤推しニキww
10:11
現代の価値観から離れられないならシリアスな時代劇を見るべきでは無い
東洋の君臣関係は独特なので(古代中国から続く)古典に馴染みがない西欧人には理解できないだろう
アメリカ人よ
西部劇がどれだけ馬鹿げた時代(茶番)劇だったかを思い出すんだ😜
切腹などめったに有ることでは無いのに、アメリカ人は切腹に余程興味があるみたいですね。
日本の時代劇ならそこに至る過程がじっくり描かれるのに、このドラマは簡単に腹を切りすぎる。
それは思った。武士の切腹ってもっと事務的な最終手段としての処罰と責任の取り方なんだよね。 切腹に至るまでのギリギリの駆け引きが存在してる。武士も切腹せずに責任が取れるんだったらそっちを選ぶよ。
日本人が好き好んで自分の体を痛めつけるマゾヒスト的な解釈をされると困るw
自分もこのドラマは日本人が何の葛藤も苦悩もない無い人種かの様な描き方をしているな、と確かに思いました。
なんて言うか外国人の描く日本人って気持ち悪いんですよね。悩みがないのかコイツ?っていう
でも、それは彼らが死に直面したときにそれを乗り越えるイメージが湧かないからですよ。
だから日本人がそれが出来てるのを見たとき痛覚のない異常者のようなものだと決めつければ、それが出来ない自分に絶望しなくて済みますからね。
切腹はサムライだけの特権なのです。日本人以外は理解できない。
日本人以外の海外の方々には 理解出来ないでしょうね。
敵を欺く為の切腹、腹心で有ればある程 効果的だと理解されている。
この心情は、未だに日本人の奥底に流れてると私は思い、誇りたい。
少数だが日本人的思考する人が居て驚き😂🎉
全てを後に託す為に、自分にできる最高の貢献
もちろん悲しいけど😢
この時代ならあった事だろうね
西洋人に理解してもらうなら「では何故父なる神は息子イエスに磔刑という犠牲を課したのですか?」という質問をする事だと思う。
このシーン、元々は殿の面前で5人の家臣が切腹するという脚本だったそうです。
それを西岡さんが「広松ひとりが切腹する方が、静かで潔く武士道をより見せられるのではないか」とアイデアを出し採用されたとのこと。
言葉とは裏腹の目での会話、素晴らしかったですね。
のちに虎永が鞠子に「まこと、広松は己の役割をよう分かっておった」と言い、鞠子も己の役割を果たすために…(泣)
長期的な視点で見れば意味のある最期だし、アジアと日本の文化を分けて考えられない人も多いよね
でも何とか理解して欲しいなぁ....結果には反対したとしてもそれを「全く価値がない」「意味のない最期だ」って言うのはあまりに短絡的過ぎるからもっと巨視的に見て欲しいな
史実では信長の守役も諌死してるし、家康の守役の鳥居元忠も関ヶ原前夜、家康の策略のために自己犠牲の道を選んでる。
その辺のエピソードを盛り込みたかったんだろな
武士道とは、人の為に死ぬことと見つけたり…
主君の為に
この切腹を理解出来ず
非難されるから
長い間アメリカで
日本の時代劇は
日本人が受け入れ難いストーリーだったのだろう。
この物語を観る事で
世界中で、少しずつ理解してもらえてる様な気はする。
理解できなくてもいいじゃないですか。
理解しようとしてくれる人がいるだけで、日本人としては嬉しいです。
そもそも日本人だって、本当の意味であのシーンをみんなが理解できているか分かりませんしね。
隆慶一郎
「死ぬ事と見つけたり」
いくさ人は戦いで死ぬ事が本願
いくさ無き世は主君に対しての換言
たとえ主君より死を賜れとも…
まあ理解は得られないだろうけど
西岡さんのアイコンタクトは片岡千恵蔵を参考にしたんじゃないかな。
切腹のシーンは凄かった。目と目の会話で何を話しているのかわっかた気がする。
海外の人は背景に戦国時代であり、戦が絶えなかったのを知らないのかも。どんなに平民が戦のない時代を渇望していたか。
切腹=腹切り(手段)としか見えないなら、侍魂とか、日本文化なんてわからないはず。
日本文化の本当の侍を表していて違和感はありませんでした。
広松がやるから意味がある。
替えがきかなすぎる家臣が芝居で死ぬなんて誰も思わないもん
あの切腹が受け入れられないにしたって、あまりにストーリーを理解してなさすぎじゃないですかね。
反応見ながら「違うよ」って、いちいち突っ込んじゃったよ。
アメリカ人とかはグロテスクな作品好きな割に、いい人が死んじゃう展開にはとんでもない拒絶反応示すんだよな。
個人的には、そっちの方が命を軽視してて残酷だと思うんだけど。
だからハッピーエンドの作品ばっかに偏るのでは。
いや、切腹までさせるなんて虎永ひどいって言われても…、原作ありきですやん。ディズニー配信だからって無理やりハッピーエンドに持ってくとでも?
原作は日本人によるものではないのに色々議論しても始まらない。
所詮はステレオタイプドラマだ。
@sheed9496
他の人のコメでは、広松の切腹は演じた西岡徳馬の案らしい。
赤穂浪士の大石蔵之介の本意も理解できないんだろうな。ただこんなシーンが世界が放映される事自体に意味がある。
8話では毬子の自◯が許されないカトリックの死生観と、広松の主君のために自刃する侍の死生観が対照的に描かれてますね。どう自分の生を全うすべきか、問われた気がします。海外の方々には、なかなか理解してもらえませんよね。
こっちからしたら
子供が銃を買えて乱射できる方がわからんよ