ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
いつも分り易い説明動画、ありがとうございます!!
最近なんか日本軍の細かい内情を解説してくれる動画が増えて助かる。
なんかの研究されてるんですか?
@@hashi40 研究する人がこんなん参考にするのはやべぇやろ
@@大日本国之首都京都宣 たしかに😂俺ら素人には丁度いいよ😂
@@hashi40 いえ、バキバキ素人です笑
@@大日本国之首都京都宣 嫌味コメントにマジレス!
漫画で解説してくれるのは分かりやすくてとても助かる
士官の給料が高いのは服や装備、食事、礼服は自前で購入する事になって居るからで高級将校だと軍機に係わる会談とかに料亭等を使用する時も有るから高級取りになる。下士官兵は装備や衣服、食事は国から出るので給料は安い。
士官の装備に関しては自前で必ずしも揃える必要はなかったが(基本は支給品)支給品が追いつかないから追いつかない装備に関しては特例で自前で軍規に沿った物に改装するなりして揃えてねと云うルールが定められていたりします。通常礼装に関しては基本的に年代毎に細かい改定があり軍からの支給でその上の勲章授与式とかで着用する正装は自前が多かったみたいです。
@@tokoname19790803 陸海軍の青年将校は貧乏少尉、やりくり中尉、やっとこ大尉と言われた。
@@73moto まぁ、実際裕福だったのは一部の財界とかとくっついていたり権力が強い一族の出だったりする上層部のオッサン連中で若いのはコネが有ったり何かしらバックボーンがある様な人以外はそんな感じだったみたいですからね。そう考えると今の政界も軍政かどうかの違いだけで構図的には対して変わらないなの印象ではあります。
ちなみに、下士官も着替え等の支給されない装備に関しては自費です。八甲田山遭難事故の際、人によって、上着や足元、防水対策等の寒冷対策に差が出たのはこれが原因。そもそも冬山を甘く見すぎていたのだけれど。
@@asukas.7141 八甲田山の行軍の遭難から生き残ったので、五体満足は士官だけで、下士官兵は凍傷による手足切断だったが、士官の防寒具は下士官兵よりは良かったので凍傷の差が出た。
亡くなった祖母から聞いた話ですが、祖父は大学出ていないから階級は軍曹だった。と言っていた。この解説を見て納得しました。
どこの国の軍隊でも大学卒でも徴兵による階級は軍曹か良くて准尉までですよ。少尉以上は軍学校の洗脳教育を受けた人たちだけ
帝国陸軍の階級紹介で一番詳しいのは水木しげるさんのでしょうね。二等兵→初年兵と称され一年中毎日殴られる。上等兵→普通「カミサマ」と呼ばれ、もっぱら殴る係である。軍隊経験者だからこそのコメントです。
職業軍人では無いし其れは言い過ぎでは?それ言ったら学徒招集された立場とは言え、歴史小説大家司馬遼太郎は士官で戦車学校出て戦車小隊隊長だったし。
水木御大は逃げてるからなぁ〜ただの招集兵だよ
流石にそれは間違っとるw情報に片寄がありすぎる。そんなに初年兵を殴りまくっていたら誰も兵隊にならないし、戦場で後ろから撃たれて死ぬ兵士だらけになってしまうw部隊の錬度や規律に指揮官の資質によって隊内暴力があるかどうかで大きく違ってくる。例えば『健脚歩兵連隊』と謳われた精鋭部隊と名高い歩兵第48連隊とか規律・統制が部隊の隅々まで行き届いていて暴力とかほとんどなかったと元48連隊の人達が証言しているし、あの有名な石原完爾が連隊長時代に徴兵した兵士を古参兵が殴っているのを目撃したら『陛下の赤子たる国民から徴兵した大事な兵士を平時に傷つけるとは何事か!』とブチ切れて、以降、連隊内の暴力はなりを潜めたっていうエピソードがある。
あと水木先生や司馬遼太郎やプロ野球の読売巨人軍のナベツネみたいに軍隊時代に嫌な思いをした文化人が戦後、殊更に軍隊のネガティブなイメージを尾ひれ背びれ付けて吹聴し回っていた事もデカイ。特にナベツネ。あいつ個人的な恨みを軍隊に転換し過ぎ。あんなにホラ吹いて、よく新聞社のオーナーやれるなと思う。
私的制裁が一切なかった連隊もありましたよ 一切ないとまで言わないが軽かった連隊も 東北や九州の連隊は言われているほどでもなかったようですけどね新発田連隊(歩兵16連隊、日清戦争以来伝統のある連隊)は一切無かったと言われている
消防団の動きはここから来てる気がする
わかりやすい説明ありがとうございます!!!
凄く学科に関係あるから勉強になります
海軍版期待してます✨
自衛隊とほぼ同じですね。自衛隊には栄誉礼という敬礼もあります。 また、上官にたいする敬礼は下のものから敬礼し、上官が先に降ろしてから下のものが直ります。
勉強になりました。海軍贔屓なので、海軍版も観てみたいです。⚓
7:35 の時「とう」と言ってる人、刀の本体持ってて危ない 笑笑
今回は陸軍だから次は海軍編が出そう
絶対正義
@@manakata1215 ワンピースだね3大将はないけど
出ましたね!
武藤信義陸軍元帥は陸軍で唯一二等兵から全ての階級を経験した人物である。
武藤元帥は明治の時に下士官を要請する陸軍教導団から士官学校に入って元帥に成ったが、陸軍教導団出身で陸軍大将になったのは日露戦争で白襷隊の隊長になった中村寬や上海事変で陸軍派遣司令官で爆弾テロで死去し、四国松山出身で「坂の上の雲」で主人公の秋山兄弟と交流が有った白川義則大将の他に全員で10人居る。
日本海軍では海軍兵学校、経理学校、機関学校、医師から軍医、帝国大学を卒業して造船技官以外での将官になれたのは明治初期の海軍が創設されて最初から士官で入った人だけだった。
@@73moto 要請→✕養成→○
すごい。兵から叩き上げで元帥ってどういうキャリア踏んできたんだろう…
@@BlackorWhite82 明治維新後の人材不足期に教導団→士官不足なので優秀者が陸大へ→日清日露で軍功→この後は士官学校から陸大組と同じ なので、武藤や白川たちの世代にしかいない。ベンチャー企業の初期メンバーみたいなもん。
金カム鯉登がどれだけ優秀かが分かった
うちの職場と全く同じ制度ですねー。。民営化しても明治の140年前と同じ。。
まじか、
海軍編をやってほしいです。
下士官になれば田舎では名士扱いらしい。安く聞こえるけど妻子を持って家を買えるくらいの充分な収入。
めっちゃわかりやすい。さすがやわ
いつの時代も、進級制度って中々ややこしいなあ
次回は海軍版をお願いします。
自分のひいおじさんが陸軍の中尉でした。
次は帝国海軍もお願いします。このような部隊訓練は将来的に必要不可欠です。自衛隊、消防の道に進むかも知れません!
日本軍陸海軍の装備の解説して欲しい
敬礼は現在の警察官とほとんど同じなんだな。国の存続の重大な責任がある大将が年収3000万と聞くと少なく感じたけど、よく考えたら現在の総理大臣が4000万くらいだから国家公務員としては普通か。ただ、いつ死ぬか分からない兵の年収が100万円くらいというのは、衣食住が保証されているとはいえ、さすがに少ないかなと思う。
差がありすぎる
大将の下の中将でも、師団長になるといろいろ出費があって大変だったらしいです。今の県知事のさらに上をいく名士扱いだったそう。だから今の陸自の師団長が同じことをしたらたちまち破産してしまうそうな。ただ将官ともなると金鵄勲章を大抵叙勲しているので、その年金がありました。功一級、二級ともなると佐官の年俸くらい貰えたようです。兵下士官にも位は低くても叙勲したので、貰った兵士は名誉もさることながら、金銭面でもホクホクでしょう。でも戦局が厳しくなると廃止されてしまいました
大企業などに勤務して招集されれば 勤務してた会社から 本給の半分以上(財閥系は7割)の手当てが留守宅に出てました農業などの自営業、零細企業の工員・会社員にはそんなもんありませんでしたが・・・・ただ戦争が激しくなると 企業もその負担に耐え切れず どんどん手当の金額は下がったとか
給料見ると、左官以上はそれほど差がないのに上にいけばいくほど責任重大で割に合わないなー。
そうか、もう江戸時代~WW2終戦より、WW2終戦~現代の方が長いのか。
脱帽でも挙手敬礼してる演出多いですもんね
勉強になります。
できれば甲種幹部候補生(甲幹)などの予備士官と乙種幹部候補生(乙幹)についても取り上げて欲しいですね。
大変な時代からずれて生まれたことに感謝だぴょん
戦争についていつもありがとうございます
敬礼は人では無く階級に行うものだ
自分も教育隊司令、班長からその様に教えられました。
@@MG-lq9oc バンドオブブラザーズを観て知りました^ ^
😁👍
うちのじいちゃんは除隊時で伍長だったな。功七級金鵄勲章
私の祖父は満州に赴任した時のお話を聞きましたが普通の尉官よりも特務の下士官の方が給料は高かったそうです。
独ソ戦のように将校もばたばた倒れる戦場だと、下士官の中から優秀なものが将校に任命されることがある。
陸海軍大将は親任官(宮中の親任式を経て任命)で、内閣総理大臣、国務大臣、特命全権大使、大審院長、検事総長とかと同格。中将、少将は勅任官で、各省の次官・局長、府県知事、警視総監、特命全権公使、帝国大学の総長・一部の教授とかと同格。また、親任官及び勅任官の敬称は「閣下」。大佐は奏任官一等で、各省の課長と同格。大将で、大臣と同格とは、戦前は大変軍人の格は高かったようです。
そうですよねぇ。戦前なら大佐で勲三等・従五位、少将で勲二等・正五位、中将、大将で勲一等・正従四位ですから。今、一等陸佐で勲三等もらえますか? 陸将補、陸将で勲二等もらえますか? 幕僚長で勲一等もらえますか? ないですね。(旧勲等で書きました) せめて将官は勅任官待遇にしてほしい
ほお気になってたから助かります
給料や定年まで言及していただいて面白いです。
日露戦争から何十年も銃の基本形式が変わってないって、なかなか残念やね。
そもそもボルトアクションライフルは20世紀初頭には確立されて進化の余地がなかった
しかし信頼性と命中性能も良くボルトアクションとしては名銃ではないでしょうかね?国内の工業力があったとしても中国大陸などでの戦闘なら射程が長く,信頼性の高いボルトアクションを採用するのはやはり理にかなっているとも言えますし、難しい所。とは言え、100式機関短銃みたいなのも格好いいですよね!その場合伝統の銃剣突撃の威力が…うーん難しい
M4カービン・M2重機関銃「せやな」
@@youyah7440 だが欧米並みに7.92mmにすべきだなだった。火力が弱すぎる。
戦後、警察予備隊でも使われていました。
7:39左の画像刃の部分を持ってないか?
現在の自衛隊の教練の元と言ってもいいくらいです。現在の自衛隊において陸上自衛隊と航空自衛隊の基本教練の内容はほぼ一緒ですが、海上自衛隊だけは旧海軍の流れを受けているので若干教練の内容が異なります。例えば敬礼動作ひとつとっても違います。
給与に関しては、下士官・兵は食事が支給されるけど、士官は食費自腹&拳銃など身の回りの細々とした物も自前と額面に出ない出費が有るから、一概に給与の格差は言い切れないかと。(まぁ、それを差し引いても雲泥の差なのは事実ですが)
士官は下士官にメチャクチャ意地悪だったみたいですね。また士官同士、下士官同士も互いに嫌がらせばかりしていたみたいです
海軍と自衛隊もお願いします
兵の装備は使い勝手良くないですよね。簡略化されて紐だらけになって、いちいち結ばなければならない。
じいさんの兄が少尉、じいさんが兵長だった。当時のことも聞きに行ったら内情とかも結構詳しく話してくれたな...未だに、殆ど記憶に残ってる🤔
「かしらー右」の号令の発音が海風に・・・。
意外と高くて面白い。
最下層の階級は帝国軍人なのにざっこい女より安いよw
富嶽やオイみたいな計画段階の兵器を紹介して欲しいです!(日本軍とは関係ないのですが、番外編としてアシカ作戦の考察もして欲しいです!)
今も自衛隊、警察、消防などは礼式に則り敬礼などをしていますが、戦後になって自衛隊はアメリカ式に、警察は独自の警察礼式になったのに対し、消防の礼式が当時の特徴を一番残していると聞いたことがあります。階級章も陸軍の尉官以上の階級章の赤い部分を黒に、星を消防章に変えただけですし。
丁寧なわかりやすい説明でした。ぜひ今後海軍 自衛隊もお願いします。
位にも色々あるんですね..🧐🧐
給料の少ない下士官の方が有能で給料の高い上層部が無能ってわけわかんねぇな
ガチャ靴は戦後50年ぐらいの時に押し入れの奥からゲートルと一緒に出てきました!全然履けたので一年のぐらいは通学に履いていましたが、音が目立つは床は傷付くはで最初は恥ずかしかったのを覚えています。
それは凄いですね!! しかも実際に使うとは何とオトコマエ!!
かっけー!
サイズ合ったのか?
@@月野雫-y4q それがピッタリだったから履く事にしたんですよ~。ちなみにサイズは25.5です。
准尉のことも飛ばさずに教えてください💦 ほんと、どこを調べてもあまり出て来なくて困る。
某大手警備会社いたけど、敬礼や捧げはほぼこの動画通りさすがに銃じゃなく警棒だけど中小の交通誘導メインの警備会社も礼式は同じことやると思うけどビシッとしてない
敬礼と言っても警備屋は単なる挨拶軍隊では敵ではありません貴方に(主君、国王など)に謀反はしませんの意味が込められています
兵は任官ではありませんよ任官では一番下は判任官で軍隊では下士官警察なら警部補警部が該当します
少尉は高等官、准尉は判任官...
技術将校と呼ばれる装備品の製造を手掛ける陸軍造兵廠の将校は別ルートがあります。祖父は塡薬所の技術将校でしたが、工業高校後就職→召集→兵→陸軍造兵廠での教育(工科学校かははっきりしません)→少尉任官でした。
海軍が兵からは下士官までしか昇格出来ないのに対し、陸軍は狭き門ながら下士官以上の階級に上がる道は、開かれていたのですね
しかも、陸軍では、短期間とはいえ、士官としての教育を施すので陸軍士官学校卒の士官と同等の扱いです。海軍では『特務士官』という呼び名で決して兵学校卒と同等の扱いをすることはありませんでした。これは、日露戦争の陸軍において下級士官の大量補充の必要が発生したことと関係がありそうです。
陸軍は常に戦争やってたようなもんだから1920年代から下士官から将校採用は積極的にやってたそれは兵卒の立身出世のやる気を起こさせるためにもある日露戦争後15年ほど余剰将校問題で下士官から将校採用を止めたて期間があったが兵卒の士気に問題が出た。また、出世して准尉止まりでは優秀な志願兵の採用を難しくすると懸念があり下士官から将校採用を復活させた経緯があります
プライベートを知るのって案外大事だよな。
当時の100万円と今の100万円は価値が違うからなぁ、、、今日の年収にするなら400万円以上はあると思う
二等兵の大卒者で、士官任官試験を通って少尉に任官した場合、士官にならずに上等兵に昇進するていどで除隊する一般の兵役者のような数年で兵役満了とならずに、生涯、将校として職業軍人にならなければならないのでしょうか?また、大卒の二等兵が試験で少尉任官した場合、それまでおなじ隊内で兵に新兵教育のシゴキをしてた軍曹や伍長などのかつての上官より階級が上になるわけですが、少尉任官した大卒者がかつての上官である下士官に対して、兵の時代にされたシゴキへの報復やわだかまりなどからの軋轢などは、生じなかったのでしょうか?そのようなことのないように、大卒の新規少尉任官者はかつての部隊ではなく、遠隔地の部隊への配属などがされてたとかなのでしょうか?
自分的には陸軍といえば寺内正毅(1852.2.5生)だと思う
今度は海軍について紹介して欲しいです。
勿論海軍もやってくれますよね(圧🫡
将校の場合は貧乏少尉、やり繰り中尉、やっとこ大尉で大尉になってやっと俸給で生活出来るようになると云われてました将校の場合は軍刀、外套、長靴、双眼鏡など軍装品がほとんど将校用の自費購入。あと平時の舞台での食事費とかあと付き合いで将校同士の宴会とか何かと出費が多かったらしいですね
さすがにこの給料計算はおかしいだろ。この時代の米やコーヒーはかなり割高な飲食物だぞ。例えば今は安い米なら10キロ3000円もしないけど、当時の他の飲食物の価格水準で考えると10キロ2円ってのは安く見積もっても5~6000円、時期によっては1万円に相当する高級食材。だから「軍に入って初めて米を食べた」っていう兵士がゴロゴロしてたわけでね。コーヒーも今は数百円で飲めるけど、当時の感覚では一杯1000円強の感覚。実際の給料はこの動画で書かれてる数字の2倍以上と考える方が妥当。
物価換算で行くと大将3000万円なんだけと、それは当時の暮らしと社会がいまも存続している前提だ。物価換算だと飯田橋2Kアパートの家賃は1万5千円だがいまどきそんな安いアパートは都心にない。平均年収換算だと、下士官300~800万円、少尉750万円、大将は6000万円相当です。1円9000円 ただし、高年収になるにつれて換算比率は低くなります。(税金との関係)
今の物価と比べるなんてな。
明日大学のサバゲーでやってみます。
下士官は、今の3曹2曹1曹かな、その上に曹長は変わらず
東京裁判の続編はまだですか?
挙手注目は軍隊ばかりか警察(自衛隊の場合は挙手注目と捧げ銃が一般的)でよく見かけるから敬礼の代名詞的な印象がある
俺のひいおじいちゃんはシベリア抑留されたけど、大佐だったから周りと扱いが違ったらしい。
このような動画はほんとうに興味深いと思います。有難うございました。陸軍では、給与は階級に紐付いていたようで、それは当然かもしれませんが、勤務地や役職による差はいかほどであつたのでしようか。陸軍省や参謀本部に勤務の場合(また、教育総監部)と、内地の師団司令部に勤務する場合、また、戦場の師団司令部の場合と、給料はおなじなんでしようか。死亡や負傷の危険度が違うだろうなと思うのですが。
3000万円欲しい
ついでだけど勲章には現金も付いてくるんだぜ 年収の半分とかな
それだけの責任を負えるなら
世界の捕虜の扱い見てみたいです!!アメリカがいちばん治安いい気がする
イラク戦争での捕虜虐待とか結構問題になったからね。
長靴?チョウカかな、それにヘンジョウカって父は言っていたが
大将クラスで3000万の年収と聞くと少なすぎて残念かつ気の毒な気がしますね。
まぁ当時にしたら破格だよ
現在にしたら丁度いいくらいだと思います。陸上幕僚長の年収2000万、総理大臣4000万ですから。海外から見ても相当高いほう
@@スタンダードミサイル 黄猿も
少なくもないが多くもない。幹部自衛官は拳銃や服が官給品で陸軍将校は全部自腹だからその分高くて当然だけど当時の日本は陸海軍が対外戦争に常勝なおかげで植民地にされてないんだからもっと高くてもおかしくないと思うね。
@@すぱげぴ❤
妥当というかこの程度の差しかないってのが、日本らしくていいなと思った。
小学校の校長先生だった私のおじいちゃんは頑張って勉強し最終的には大将にまでなったそうです。かなり昔、亡くなった時、軍服を棺に入れていたのを覚えています。
ウソでしょう...
4,50年前は体育大会とかでも頭、右とか言って開会式で行進してた記憶がある。そして学校でも連帯責任とか言って悪さしていないのに教師から当たり前に殴られてた。戦争を経験してた人にはずっとこんな教育が抜けきらなかったんだろうね。
7分37秒の捧げ刀のところ鞘持ってないのいかついまあ大和魂あるならできるか。。。。
はえ~元帥って称号なんか。知らんかった。大将より上の階級って思ってたわ。
正確には元帥大将と呼ばれてたと思います。元帥府と言う天皇陛下に対する最高軍事顧問機関に列せられた大将階級の軍人に対する称号になります。
国によりけりですかね。元帥が称号としている国もあれば階級としてある国もありますから。旧ソ連なぞ元帥の上階級としてソ連邦元帥なる階級がありました。北朝鮮は元帥と大将の中間に次帥とか言う他国に存在しない階級もあるようで。
当時の大将の給料が現代換算で3000万、ちなみに現代日本の大手企業役員も3000万とかって考えたらトップ層の給料って昔からだいぶ低いんだな
ホントもっともらってても良いと思う。従業員が5,000人いる会社の社長とかでも3,000万円くらいって聞いたことがある。
今の時代の若者がこの時代にいったら絶対耐えれない…自分を含め…
よく学ぶ!私は覚えています!
親戚が将校だったのですが、かなりレベルが高かったのが解りました!
室内では脱帽してお辞儀?か。ちょっと認識が改められました。旗手の場合は一度上に持ち上げて、旗竿を水平にして旗布を下に垂らすようにするのが敬礼ですよね。略式として傾けるだけの敬礼もある。国旗>軍旗>部隊旗と、旗同士の場合は格下側が敬礼する。国旗同士とか同格のばあいはそのまま。(ちな自衛隊のやり方。帝国陸海軍もほぼ同じ・・・かな。)
特務曹長、准尉、見習士官、兵長が抜けておるぞ。
山縣有朋があれだけの庭園を所有していたのは解せぬ。
捧刀のところ刃を握ってるように見えるのは自分だけだろうか…いつも動画を投稿していただきありがとうございます
大正から戦時中ネタで「士官(尉官以下)・下士官の給与が低いので、戦時手当出す為に戦争が止められないワナ」というのがあった。確かに低いな。現在のアメリカの兵隊給与も低いが、中東のPMCの給与はもっと低い。フランス外人部隊がややマシだが、あれは東欧から入隊する人間向けなんで、参考にならない。
東条英機は下士官時代給料安くて、給料日だけは牛肉を買って帰り、家族で食べるのが楽しみだったみたい。以外にも奥さん一筋で女遊びもせず、部下がその手の話をすると激怒したらしい。真面目だけど、戦争やらせちゃ駄目なタイプだね。
とはいえ、 下士官・兵卒ならば 軍服支給、食事も官舎も衣食住すべて支給だけど、 将校は軍服(オーダーメイド)も拳銃なども個人購入になるので、そこそこ給与は高くないとやっていけないだろうなぁ というのはある
詳細な内容ありがとうございます。私の父は、大日本帝国🇯🇵陸軍に召集され、満州に赴任し、最終的に伍長まで進級(昇進?)しました。ソ連軍により、シベリア奴隷労働もさせられました。趣味で父をモデルにした小説書いてます。現在、ソ連参戦の連絡が有ったところまで書いてます。父は、19年前に他界しており、もっともっと聞いておけば良かったと後悔しております。どんな装備でどれくらいの重量があり、給料はどれほどであったかがよくわかり、助かります。週一の休日はあったのか?また休日は自由行動できたのか?まぁ、できたとして話を進めております。また、動画どんどんアップしてください。参考にして引用させていただきたいです。すごく応援📣しております。
陸上自衛隊との比較もお願いします。
陸軍士官学校って結構狭き門なんだっけ?
東大に入学できる学力がないと入れなかったなんて言われてますね。更に身体能力や指揮官候補としての適正も加味されるのである意味東大に入るより難関だったかもしれないですね。
経済的に進学できなかった若者が入りました。
うちの習志野(市)の小学校のすぐそばに〜少将(閣下)が住んでいました。戦後から20〜30年は経つのに〜長い帽子をかぶってました。🤣
最高!笑
いつも分り易い説明動画、ありがとうございます!!
最近なんか日本軍の細かい内情を解説してくれる動画が増えて助かる。
なんかの研究されてるんですか?
@@hashi40 研究する人がこんなん参考にするのはやべぇやろ
@@大日本国之首都京都宣 たしかに😂俺ら素人には丁度いいよ😂
@@hashi40 いえ、バキバキ素人です笑
@@大日本国之首都京都宣 嫌味コメントにマジレス!
漫画で解説してくれるのは分かりやすくてとても助かる
士官の給料が高いのは服や装備、食事、礼服は自前で購入する事になって居るからで高級将校だと軍機に係わる会談とかに料亭等を使用する時も有るから高級取りになる。下士官兵は装備や衣服、食事は国から出るので給料は安い。
士官の装備に関しては自前で必ずしも揃える必要はなかったが(基本は支給品)支給品が追いつかないから追いつかない装備に関しては特例で自前で軍規に沿った物に改装するなりして揃えてねと云うルールが定められていたりします。
通常礼装に関しては基本的に年代毎に細かい改定があり軍からの支給でその上の勲章授与式とかで着用する正装は自前が多かったみたいです。
@@tokoname19790803 陸海軍の青年将校は貧乏少尉、やりくり中尉、やっとこ大尉と言われた。
@@73moto
まぁ、実際裕福だったのは一部の財界とかとくっついていたり権力が強い一族の出だったりする上層部のオッサン連中で若いのはコネが有ったり何かしらバックボーンがある様な人以外はそんな感じだったみたいですからね。
そう考えると今の政界も軍政かどうかの違いだけで構図的には対して変わらないなの印象ではあります。
ちなみに、下士官も着替え等の支給されない装備に関しては自費です。
八甲田山遭難事故の際、人によって、上着や足元、防水対策等の寒冷対策に差が出たのはこれが原因。
そもそも冬山を甘く見すぎていたのだけれど。
@@asukas.7141 八甲田山の行軍の遭難から生き残ったので、五体満足は士官だけで、下士官兵は凍傷による手足切断だったが、士官の防寒具は下士官兵よりは良かったので凍傷の差が出た。
亡くなった祖母から聞いた話ですが、祖父は大学出ていないから階級は軍曹だった。と言っていた。この解説を見て納得しました。
どこの国の軍隊でも大学卒でも徴兵による階級は軍曹か良くて准尉までですよ。
少尉以上は軍学校の洗脳教育を受けた人たちだけ
帝国陸軍の階級紹介で一番詳しいのは水木しげるさんのでしょうね。二等兵→初年兵と称され一年中毎日殴られる。上等兵→普通「カミサマ」と呼ばれ、もっぱら殴る係である。軍隊経験者だからこそのコメントです。
職業軍人では無いし其れは言い過ぎでは?
それ言ったら学徒招集された立場とは言え、歴史小説大家司馬遼太郎は士官で戦車学校出て戦車小隊隊長だったし。
水木御大は逃げてるからなぁ〜
ただの招集兵だよ
流石にそれは間違っとるw
情報に片寄がありすぎる。
そんなに初年兵を殴りまくっていたら誰も兵隊にならないし、戦場で後ろから撃たれて死ぬ兵士だらけになってしまうw
部隊の錬度や規律に指揮官の資質によって隊内暴力があるかどうかで大きく違ってくる。
例えば『健脚歩兵連隊』と謳われた精鋭部隊と名高い歩兵第48連隊とか規律・統制が部隊の隅々まで行き届いていて暴力とかほとんどなかったと元48連隊の人達が証言しているし、あの有名な石原完爾が連隊長時代に徴兵した兵士を古参兵が殴っているのを目撃したら『陛下の赤子たる国民から徴兵した大事な兵士を平時に傷つけるとは何事か!』とブチ切れて、以降、連隊内の暴力はなりを潜めたっていうエピソードがある。
あと水木先生や司馬遼太郎やプロ野球の読売巨人軍のナベツネみたいに軍隊時代に嫌な思いをした文化人が戦後、殊更に軍隊のネガティブなイメージを尾ひれ背びれ付けて吹聴し回っていた事もデカイ。
特にナベツネ。
あいつ個人的な恨みを軍隊に転換し過ぎ。あんなにホラ吹いて、よく新聞社のオーナーやれるなと思う。
私的制裁が一切なかった連隊もありましたよ 一切ないとまで言わないが軽かった連隊も 東北や九州の連隊は言われているほどでもなかったようですけどね
新発田連隊(歩兵16連隊、日清戦争以来伝統のある連隊)は一切無かったと言われている
消防団の動きはここから来てる気がする
わかりやすい説明
ありがとうございます!!!
凄く学科に関係あるから勉強になります
海軍版期待してます✨
自衛隊とほぼ同じですね。
自衛隊には栄誉礼という敬礼もあります。
また、上官にたいする敬礼は下のものから敬礼し、上官が先に降ろしてから下のものが直ります。
勉強になりました。
海軍贔屓なので、海軍版も観てみたいです。⚓
7:35 の時「とう」と言ってる人、刀の本体持ってて危ない 笑笑
今回は陸軍だから次は海軍編が出そう
絶対正義
@@manakata1215 ワンピースだね3大将はないけど
出ましたね!
武藤信義陸軍元帥は陸軍で唯一二等兵から全ての階級を経験した人物である。
武藤元帥は明治の時に下士官を要請する陸軍教導団から士官学校に入って元帥に成ったが、陸軍教導団出身で陸軍大将になったのは日露戦争で白襷隊の隊長になった中村寬や上海事変で陸軍派遣司令官で爆弾テロで死去し、四国松山出身で「坂の上の雲」で主人公の秋山兄弟と交流が有った白川義則大将の他に全員で10人居る。
日本海軍では海軍兵学校、経理学校、機関学校、医師から軍医、帝国大学を卒業して造船技官以外での将官になれたのは明治初期の海軍が創設されて最初から士官で入った人だけだった。
@@73moto
要請→✕
養成→○
すごい。兵から叩き上げで元帥ってどういうキャリア踏んできたんだろう…
@@BlackorWhite82 明治維新後の人材不足期に教導団→士官不足なので優秀者が陸大へ→日清日露で軍功→この後は士官学校から陸大組と同じ なので、武藤や白川たちの世代にしかいない。ベンチャー企業の初期メンバーみたいなもん。
金カム鯉登がどれだけ優秀かが分かった
うちの職場と全く同じ制度ですねー。。民営化しても明治の140年前と同じ。。
まじか、
海軍編をやってほしいです。
下士官になれば田舎では名士扱いらしい。
安く聞こえるけど妻子を持って家を買えるくらいの充分な収入。
めっちゃわかりやすい。さすがやわ
いつの時代も、進級制度って中々ややこしいなあ
次回は海軍版をお願いします。
自分のひいおじさんが陸軍の中尉でした。
次は帝国海軍もお願いします。
このような部隊訓練は将来的に必要不可欠です。自衛隊、消防の道に進むかも知れません!
日本軍陸海軍の装備の解説して欲しい
敬礼は現在の警察官とほとんど同じなんだな。
国の存続の重大な責任がある大将が年収3000万と聞くと少なく感じたけど、よく考えたら現在の総理大臣が4000万くらいだから国家公務員としては普通か。
ただ、いつ死ぬか分からない兵の年収が100万円くらいというのは、衣食住が保証されているとはいえ、さすがに少ないかなと思う。
差がありすぎる
大将の下の中将でも、師団長になるといろいろ出費があって大変だったらしいです。今の県知事のさらに上をいく名士扱いだったそう。だから今の陸自の師団長が同じことをしたらたちまち破産してしまうそうな。ただ将官ともなると金鵄勲章を大抵叙勲しているので、その年金がありました。功一級、二級ともなると佐官の年俸くらい貰えたようです。兵下士官にも位は低くても叙勲したので、貰った兵士は名誉もさることながら、金銭面でもホクホクでしょう。でも戦局が厳しくなると廃止されてしまいました
大企業などに勤務して招集されれば 勤務してた会社から 本給の半分以上(財閥系は7割)の手当てが留守宅に出てました
農業などの自営業、零細企業の工員・会社員にはそんなもんありませんでしたが・・・・
ただ戦争が激しくなると 企業もその負担に耐え切れず どんどん手当の金額は下がったとか
給料見ると、左官以上はそれほど差がないのに上にいけばいくほど責任重大で割に合わないなー。
そうか、もう江戸時代~WW2終戦より、WW2終戦~現代の方が長いのか。
脱帽でも挙手敬礼してる演出多いですもんね
勉強になります。
できれば甲種幹部候補生(甲幹)などの予備士官と乙種幹部候補生(乙幹)についても取り上げて欲しいですね。
大変な時代からずれて生まれたことに感謝だぴょん
戦争についていつもありがとうございます
敬礼は人では無く階級に行うものだ
自分も教育隊司令、班長からその様に教えられました。
@@MG-lq9oc バンドオブブラザーズを観て知りました^ ^
😁👍
うちのじいちゃんは除隊時で伍長だったな。功七級金鵄勲章
私の祖父は満州に赴任した時のお話を聞きましたが普通の尉官よりも特務の下士官の方が給料は高かったそうです。
独ソ戦のように将校もばたばた倒れる戦場だと、下士官の中から優秀なものが将校に任命されることがある。
陸海軍大将は親任官(宮中の親任式を経て任命)で、内閣総理大臣、国務大臣、特命全権大使、大審院長、検事総長とかと同格。中将、少将は勅任官で、各省の次官・局長、府県知事、警視総監、特命全権公使、帝国大学の総長・一部の教授とかと同格。また、親任官及び勅任官の敬称は「閣下」。大佐は奏任官一等で、各省の課長と同格。大将で、大臣と同格とは、戦前は大変軍人の格は高かったようです。
そうですよねぇ。戦前なら大佐で勲三等・従五位、少将で勲二等・正五位、中将、大将で勲一等・正従四位ですから。
今、一等陸佐で勲三等もらえますか? 陸将補、陸将で勲二等もらえますか? 幕僚長で勲一等もらえますか? ないですね。(旧勲等で書きました) せめて将官は勅任官待遇にしてほしい
ほお気になってたから助かります
給料や定年まで言及していただいて面白いです。
日露戦争から何十年も銃の基本形式が変わってないって、なかなか残念やね。
そもそもボルトアクションライフルは20世紀初頭には確立されて進化の余地がなかった
しかし信頼性と命中性能も良くボルトアクションとしては名銃ではないでしょうかね?国内の工業力があったとしても中国大陸などでの戦闘なら射程が長く,信頼性の高いボルトアクションを採用するのはやはり理にかなっているとも言えますし、難しい所。
とは言え、100式機関短銃みたいなのも格好いいですよね!その場合伝統の銃剣突撃の威力が…うーん難しい
M4カービン・M2重機関銃「せやな」
@@youyah7440 だが欧米並みに7.92mmにすべきだなだった。
火力が弱すぎる。
戦後、警察予備隊でも使われていました。
7:39左の画像刃の部分を持ってないか?
現在の自衛隊の教練の元と言ってもいいくらいです。
現在の自衛隊において陸上自衛隊と航空自衛隊の基本教練の内容はほぼ一緒ですが、海上自衛隊だけは旧海軍の流れを受けているので若干教練の内容が異なります。例えば敬礼動作ひとつとっても違います。
給与に関しては、下士官・兵は食事が支給されるけど、士官は食費自腹&拳銃など身の回りの細々とした物も自前と額面に出ない出費が有るから、一概に給与の格差は言い切れないかと。(まぁ、それを差し引いても雲泥の差なのは事実ですが)
士官は下士官にメチャクチャ意地悪だったみたいですね。また士官同士、下士官同士も互いに嫌がらせばかりしていたみたいです
海軍と自衛隊もお願いします
兵の装備は使い勝手良くないですよね。
簡略化されて紐だらけになって、いちいち結ばなければならない。
じいさんの兄が少尉、じいさんが兵長だった。
当時のことも聞きに行ったら内情とかも結構詳しく話してくれたな...
未だに、殆ど記憶に残ってる🤔
「かしらー右」の号令の発音が海風に・・・。
意外と高くて面白い。
最下層の階級は帝国軍人なのにざっこい女より安いよw
富嶽やオイみたいな計画段階の兵器を紹介して欲しいです!(日本軍とは関係ないのですが、番外編としてアシカ作戦の考察もして欲しいです!)
今も自衛隊、警察、消防などは礼式に則り敬礼などをしていますが、戦後になって自衛隊はアメリカ式に、警察は独自の警察礼式になったのに対し、消防の礼式が当時の特徴を一番残していると聞いたことがあります。階級章も陸軍の尉官以上の階級章の赤い部分を黒に、星を消防章に変えただけですし。
丁寧なわかりやすい説明でした。ぜひ
今後海軍 自衛隊もお願いします。
位にも色々あるんですね..🧐🧐
給料の少ない下士官の方が有能で給料の高い上層部が無能ってわけわかんねぇな
ガチャ靴は戦後50年ぐらいの時に押し入れの奥からゲートルと一緒に出てきました!全然履けたので一年のぐらいは通学に履いていましたが、音が目立つは床は傷付くはで最初は恥ずかしかったのを覚えています。
それは凄いですね!!
しかも実際に使うとは何とオトコマエ!!
かっけー!
サイズ合ったのか?
@@月野雫-y4q それがピッタリだったから履く事にしたんですよ~。ちなみにサイズは25.5です。
准尉のことも飛ばさずに教えてください💦 ほんと、どこを調べてもあまり出て来なくて困る。
某大手警備会社いたけど、敬礼や捧げはほぼこの動画通り
さすがに銃じゃなく警棒だけど
中小の交通誘導メインの警備会社も礼式は同じことやると思うけどビシッとしてない
敬礼と言っても警備屋は単なる挨拶
軍隊では敵ではありません貴方に(主君、国王など)に謀反はしませんの意味が
込められています
兵は任官ではありませんよ
任官では一番下は判任官で軍隊では下士官
警察なら警部補警部が該当します
少尉は高等官、准尉は判任官...
技術将校と呼ばれる装備品の製造を手掛ける陸軍造兵廠の将校は別ルートがあります。
祖父は塡薬所の技術将校でしたが、工業高校後就職→召集→兵→陸軍造兵廠での教育(工科学校かははっきりしません)→少尉任官でした。
海軍が兵からは下士官までしか昇格出来ないのに対し、陸軍は狭き門ながら下士官以上の階級に上がる道は、開かれていたのですね
しかも、陸軍では、短期間とはいえ、士官としての教育を施すので陸軍士官学校卒の士官と同等の扱いです。
海軍では『特務士官』という呼び名で決して兵学校卒と同等の扱いをすることはありませんでした。
これは、日露戦争の陸軍において下級士官の大量補充の必要が発生したことと関係がありそうです。
陸軍は常に戦争やってたようなもんだから
1920年代から下士官から将校採用は積極的にやってた
それは兵卒の立身出世のやる気を起こさせるためにもある
日露戦争後15年ほど余剰将校問題で下士官から将校採用を止めたて期間があったが
兵卒の士気に問題が出た。
また、出世して准尉止まりでは優秀な志願兵の採用を難しくすると懸念があり
下士官から将校採用を復活させた経緯があります
プライベートを知るのって案外大事だよな。
当時の100万円と今の100万円は価値が違うからなぁ、、、
今日の年収にするなら400万円以上はあると思う
二等兵の大卒者で、士官任官試験を通って少尉に任官した場合、士官にならずに上等兵に昇進するていどで除隊する一般の兵役者のような数年で兵役満了とならずに、生涯、将校として職業軍人にならなければならないのでしょうか?また、大卒の二等兵が試験で少尉任官した場合、それまでおなじ隊内で兵に新兵教育のシゴキをしてた軍曹や伍長などのかつての上官より階級が上になるわけですが、少尉任官した大卒者がかつての上官である下士官に対して、兵の時代にされたシゴキへの報復やわだかまりなどからの軋轢などは、生じなかったのでしょうか?そのようなことのないように、大卒の新規少尉任官者はかつての部隊ではなく、遠隔地の部隊への配属などがされてたとかなのでしょうか?
自分的には陸軍といえば寺内正毅(1852.2.5生)だと思う
今度は海軍について紹介して欲しいです。
勿論海軍もやってくれますよね(圧🫡
将校の場合は貧乏少尉、やり繰り中尉、やっとこ大尉で大尉になってやっと俸給で生活出来るようになると云われてました
将校の場合は軍刀、外套、長靴、双眼鏡など軍装品がほとんど将校用の自費購入。あと平時の舞台での食事費とか
あと付き合いで将校同士の宴会とか
何かと出費が多かったらしいですね
さすがにこの給料計算はおかしいだろ。
この時代の米やコーヒーはかなり割高な飲食物だぞ。
例えば今は安い米なら10キロ3000円もしないけど、当時の他の飲食物の価格水準で考えると10キロ2円ってのは安く見積もっても5~6000円、時期によっては1万円に相当する高級食材。
だから「軍に入って初めて米を食べた」っていう兵士がゴロゴロしてたわけでね。
コーヒーも今は数百円で飲めるけど、当時の感覚では一杯1000円強の感覚。
実際の給料はこの動画で書かれてる数字の2倍以上と考える方が妥当。
物価換算で行くと大将3000万円なんだけと、それは当時の暮らしと社会がいまも存続している前提だ。
物価換算だと飯田橋2Kアパートの家賃は1万5千円だがいまどきそんな安いアパートは都心にない。
平均年収換算だと、下士官300~800万円、少尉750万円、大将は6000万円相当です。
1円9000円 ただし、高年収になるにつれて換算比率は低くなります。(税金との関係)
今の物価と比べるなんてな。
明日大学のサバゲーでやってみます。
下士官は、今の3曹2曹1曹かな、その上に曹長は変わらず
東京裁判の続編はまだですか?
挙手注目は軍隊ばかりか警察(自衛隊の場合は挙手注目と捧げ銃が一般的)でよく見かけるから敬礼の代名詞的な印象がある
俺のひいおじいちゃんはシベリア抑留されたけど、大佐だったから周りと扱いが違ったらしい。
このような動画はほんとうに興味深いと思います。有難うございました。
陸軍では、給与は階級に紐付いていたようで、それは当然かもしれませんが、勤務地や役職による差はいかほどであつたのでしようか。
陸軍省や参謀本部に勤務の場合(また、教育総監部)と、内地の師団司令部に勤務する場合、また、戦場の師団司令部の場合と、給料はおなじなんでしようか。死亡や負傷の危険度が違うだろうなと思うのですが。
3000万円欲しい
ついでだけど勲章には現金も付いてくるんだぜ 年収の半分とかな
それだけの責任を負えるなら
世界の捕虜の扱い見てみたいです!!
アメリカがいちばん治安いい気がする
イラク戦争での捕虜虐待とか結構問題になったからね。
長靴?チョウカかな、それにヘンジョウカって父は言っていたが
大将クラスで3000万の年収と聞くと少なすぎて残念かつ気の毒な気がしますね。
まぁ当時にしたら破格だよ
現在にしたら丁度いいくらいだと思います。陸上幕僚長の年収2000万、総理大臣4000万ですから。海外から見ても相当高いほう
@@スタンダードミサイル 黄猿も
少なくもないが多くもない。幹部自衛官は拳銃や服が官給品で陸軍将校は全部自腹だから
その分高くて当然だけど当時の日本は陸海軍が対外戦争に常勝なおかげで植民地にされてないんだから
もっと高くてもおかしくないと思うね。
@@すぱげぴ❤
妥当というかこの程度の差しかないってのが、日本らしくていいなと思った。
小学校の校長先生だった私のおじいちゃんは頑張って勉強し最終的には大将にまでなったそうです。
かなり昔、亡くなった時、軍服を棺に入れていたのを覚えています。
ウソでしょう...
4,50年前は体育大会とかでも頭、右とか言って開会式で行進してた記憶がある。そして学校でも連帯責任とか言って悪さしていないのに教師から当たり前に殴られてた。戦争を経験してた人にはずっとこんな教育が抜けきらなかったんだろうね。
7分37秒の捧げ刀のところ鞘持ってないのいかつい
まあ大和魂あるならできるか。。。。
はえ~元帥って称号なんか。知らんかった。
大将より上の階級って思ってたわ。
正確には元帥大将と呼ばれてたと思います。
元帥府と言う天皇陛下に対する最高軍事顧問機関に列せられた大将階級の軍人に対する称号になります。
国によりけりですかね。
元帥が称号としている国もあれば階級としてある国もありますから。
旧ソ連なぞ元帥の上階級としてソ連邦元帥なる階級がありました。
北朝鮮は元帥と大将の中間に次帥とか言う他国に存在しない階級もあるようで。
当時の大将の給料が現代換算で3000万、ちなみに現代日本の大手企業役員も3000万とかって考えたら
トップ層の給料って昔からだいぶ低いんだな
ホントもっともらってても良いと思う。
従業員が5,000人いる会社の社長とかでも3,000万円くらいって聞いたことがある。
今の時代の若者がこの時代にいったら絶対耐えれない…自分を含め…
よく学ぶ!私は覚えています!
親戚が将校だったのですが、かなりレベルが高かったのが解りました!
室内では脱帽してお辞儀?か。ちょっと認識が改められました。
旗手の場合は一度上に持ち上げて、旗竿を水平にして旗布を下に垂らすようにするのが敬礼ですよね。略式として傾けるだけの敬礼もある。国旗>軍旗>部隊旗と、旗同士の場合は格下側が敬礼する。国旗同士とか同格のばあいはそのまま。(ちな自衛隊のやり方。帝国陸海軍もほぼ同じ・・・かな。)
特務曹長、准尉、見習士官、兵長が抜けておるぞ。
山縣有朋があれだけの庭園を所有していたのは解せぬ。
捧刀のところ刃を握ってるように見えるのは自分だけだろうか…
いつも動画を投稿していただきありがとうございます
大正から戦時中ネタで「士官(尉官以下)・下士官の給与が低いので、戦時手当出す為に戦争が止められないワナ」というのがあった。確かに低いな。現在のアメリカの兵隊給与も低いが、中東のPMCの給与はもっと低い。フランス外人部隊がややマシだが、あれは東欧から入隊する人間向けなんで、参考にならない。
東条英機は下士官時代給料安くて、給料日だけは牛肉を買って帰り、家族で食べるのが楽しみだったみたい。
以外にも奥さん一筋で女遊びもせず、部下がその手の話をすると激怒したらしい。
真面目だけど、戦争やらせちゃ駄目なタイプだね。
とはいえ、 下士官・兵卒ならば 軍服支給、食事も官舎も衣食住すべて支給だけど、 将校は軍服(オーダーメイド)も拳銃なども個人購入になるので、そこそこ給与は高くないとやっていけないだろうなぁ というのはある
詳細な内容ありがとうございます。
私の父は、大日本帝国🇯🇵陸軍に召集され、満州に赴任し、最終的に伍長まで進級(昇進?)しました。
ソ連軍により、シベリア奴隷労働もさせられました。
趣味で
父をモデルにした小説書いてます。
現在、ソ連参戦の連絡が有ったところまで書いてます。
父は、19年前に他界しており、もっともっと聞いておけば良かったと後悔しております。
どんな装備でどれくらいの重量があり、給料はどれほどであったかがよくわかり、助かります。
週一の休日はあったのか?また
休日は自由行動できたのか?
まぁ、できたとして話を進めております。
また、動画どんどんアップしてください。
参考にして引用させていただきたいです。
すごく応援📣しております。
陸上自衛隊との比較もお願いします。
陸軍士官学校って結構狭き門なんだっけ?
東大に入学できる学力がないと入れなかったなんて言われてますね。更に身体能力や指揮官候補としての適正も加味されるのである意味東大に入るより難関だったかもしれないですね。
経済的に進学できなかった若者が入りました。
うちの習志野(市)の小学校のすぐそばに〜少将(閣下)が住んでいました。戦後から20〜30年は経つのに〜長い帽子をかぶってました。🤣
最高!笑