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鉄道員も笑顔で楽しく仕事してる。
特急はとは昭和33年に20系客車が誕生するまでは、品川客車区所属だったが、このときに受け持ちがつばめと同じく宮原客車区に変わっている。なおはとガールは引き続き東京で受け持っていた。ちなみに当初のスロ60型のときには座席の向きを変えるのは乗務員に申告しなければいけなかった。
素晴らしい記録ありがとうございます。青大将ですね。正に特別な急行❣️
我が国が希望に満ち溢れていた時代……
最後の「つばめ」は、1957年以降の最末期の編成ですね。
当時は東京~大阪が7時間半。現在は新幹線『のぞみ』で2時間半。リニアが全通すれば1時間。どんどん速くなってくるな。
国鉄の列車が1、2、3等車編成だった時代には、鉄道の運賃が、2等は3等の2倍プラス通行税、1等は3等の運賃4倍プラス通行税ってな具合で、もの凄い格差があったんだよね。これに準急、急行、特急の各料金まで加算されるんだから、とてもじゃないが普通一般のお客さんたちは、特急の「つばめ」「はと」の展望車(※1等車)なんかに乗ろうなんて企てようとはしない。国鉄にとって1等車って、お商売の道具ではなく格式を誇るツールだったんだ。そんな時代に実際に1等に乗った経験のある人に話を聞くと、いつも乗客は少なくてガラガラだったって言うしね。観光宣伝用に写真を撮影するときとか、なにか特別なイベントのある場合くらいしか1等が満席になるなんてことはなかったんだそうだ。 ところが、これが特急も3等となると、こっちはこっちで1Ⅰ両編成中に2~3両しか3等車が組み込まれていないので、まず切符を手に入れるのが大変。3×7=21日前に座席指定券&特急券が発売されるんだけど、もともと切符の枚数が限られるうえ、特急停車駅の売り場窓口に行列して並ばなければならないので、すぐに売り切れてしまうために、よほど早いうちから日程を決めているような旅行者でない限り、やっぱり3等の特急切符は手に入らないと。
やっぱ値下げしないといかん。
因みに三等級制時代の一等車の乗車券が一番売れたのは昭和35年5月31日。ただし、なくなるという事で(翌日より事実上の2等級制、7月1日より一等車廃止二等三等をそれぞれ1等2等に繰り上げ)記念購入がこの時代にも少なからずあり東京ー品川や大阪ー茨木などの普段絶対あり得ない乗車券を特認(という名の現場の判断)で販売した。
当時は金があっても戦前の続きで身分の低い人は一等車には乗れません。大臣、議員、高名な役者、文筆家などが乗車するものです。ハイソサエティーのロビーが展望車。
@@小宮山五郎盛信 さん議員は議員でも政党の党首や幹事長クラスじゃないと蹴り入れられる、それくらい厳然たる壁がありました。なお企業のトップ(重役とかではなく本当に社長か会長とかね)も利用していたそうですが。
素朴な疑問ですが3等車スハ44系は昭和20年代後半の製造で2等車ナロ10系客車は昭和30年代の製造で当時は新車の部類の客車なのに最後部の1等車(展望車)は 料金が一番高いのに戦前製の20年近くになる古い車両なのでしょうか?
つばめによくつかわれていたマイテ39は昭和5年製(当時はスイテ)。スパ44は昭和25年か26年製。ナロ10は青大将から昭和31年製。二等車はオロ40、オロ34→スロ60→スロ54→ナロ10ですね。
@@tydeentetuota5514実は青大将の初期は意外にも蛍光灯付きで定員を48人に増やしたスロ54。
AIカラー化したのを観てみたい
グランクラスなど足許にも及ばないマイテ。
クロ151パーラーカーなら互角ですかな?(・ε・` )
乗り心地はグランクラスの方が良いと思うよ。
@@tydeentetuota5514当たり前やろww
@@クモハ165さんクロ151は展望車に代わる車両として計画されたため、互角というよりは更に進化したと言った方がいいかも。
鉄道員も笑顔で楽しく仕事してる。
特急はとは昭和33年に20系客車が誕生するまでは、品川客車区所属だったが、このときに受け持ちがつばめと同じく宮原客車区に変わっている。なおはとガールは引き続き東京で受け持っていた。ちなみに当初のスロ60型のときには座席の向きを変えるのは乗務員に申告しなければいけなかった。
素晴らしい記録ありがとうございます。青大将ですね。正に特別な急行❣️
我が国が希望に満ち溢れていた時代……
最後の「つばめ」は、1957年以降の最末期の編成ですね。
当時は東京~大阪が7時間半。現在は新幹線『のぞみ』で2時間半。リニアが全通すれば1時間。どんどん速くなってくるな。
国鉄の列車が1、2、3等車編成だった時代には、鉄道の運賃が、2等は3等の2倍プラス通行税、1等は3等の運賃4倍プラス通行税ってな具合で、もの凄い格差があったんだよね。これに準急、急行、特急の各料金まで加算されるんだから、とてもじゃないが普通一般のお客さんたちは、特急の「つばめ」「はと」の展望車(※1等車)なんかに乗ろうなんて企てようとはしない。国鉄にとって1等車って、お商売の道具ではなく格式を誇るツールだったんだ。そんな時代に実際に1等に乗った経験のある人に話を聞くと、いつも乗客は少なくてガラガラだったって言うしね。観光宣伝用に写真を撮影するときとか、なにか特別なイベントのある場合くらいしか1等が満席になるなんてことはなかったんだそうだ。
ところが、これが特急も3等となると、こっちはこっちで1Ⅰ両編成中に2~3両しか3等車が組み込まれていないので、まず切符を手に入れるのが大変。3×7=21日前に座席指定券&特急券が発売されるんだけど、もともと切符の枚数が限られるうえ、特急停車駅の売り場窓口に行列して並ばなければならないので、すぐに売り切れてしまうために、よほど早いうちから日程を決めているような旅行者でない限り、やっぱり3等の特急切符は手に入らないと。
やっぱ値下げしないといかん。
因みに三等級制時代の一等車の乗車券が一番売れたのは昭和35年5月31日。ただし、なくなるという事で(翌日より事実上の2等級制、7月1日より一等車廃止二等三等をそれぞれ1等2等に繰り上げ)記念購入がこの時代にも少なからずあり東京ー品川や大阪ー茨木などの普段絶対あり得ない乗車券を特認(という名の現場の判断)で販売した。
当時は金があっても戦前の続きで身分の低い人は一等車には乗れません。大臣、議員、高名な役者、文筆家などが乗車するものです。ハイソサエティーのロビーが展望車。
@@小宮山五郎盛信 さん
議員は議員でも政党の党首や幹事長クラスじゃないと蹴り入れられる、それくらい厳然たる壁がありました。
なお企業のトップ(重役とかではなく本当に社長か会長とかね)も利用していたそうですが。
素朴な疑問ですが3等車スハ44系は昭和20年代後半の製造で2等車ナロ10系客車は昭和30年代の製造で当時は新車の部類の客車なのに最後部の1等車(展望車)は 料金が一番高いのに戦前製の20年近くになる古い車両なのでしょうか?
つばめによくつかわれていたマイテ39は昭和5年製(当時はスイテ)。
スパ44は昭和25年か26年製。
ナロ10は青大将から昭和31年製。
二等車はオロ40、オロ34→スロ60→スロ54→ナロ10ですね。
@@tydeentetuota5514実は青大将の初期は意外にも蛍光灯付きで定員を48人に増やしたスロ54。
AIカラー化したのを観てみたい
グランクラスなど足許にも及ばないマイテ。
クロ151パーラーカーなら互角ですかな?(・ε・` )
乗り心地はグランクラスの方が良いと思うよ。
@@tydeentetuota5514当たり前やろww
@@クモハ165さん
クロ151は展望車に代わる車両として計画されたため、互角というよりは更に進化したと言った方がいいかも。