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タイトルの「なぜか普及しなかった」は間違いでしょ。相当売れてたよ。それに1986年発売で2003年まで書き換えサービスやってたなら非常に長生きしたと言えると思う。
この人ナカ○ドみたいに「滅亡」「終了」みたいな感じのサムネタイトルばかりだから言っても無駄な気がする。400万売れてるのに普及しなかったは矛盾してるよね
400万台ってMSXシリーズ全体の販売大手数とほぼ同じやん!!(爆)。もっとも6000万台の本体にかなわへんから比率的には多ぅなかったんやろうが。
まぁ容量をウリにしてたのにROMカセットにまた主流を取り返されたのとクイックディスクの規格自体が早々に死亡ディスクシステム発売同年がPC9801UV2発売でここから一気に3.5インチ2HDが主力になってくるんで一年か二年後開発になってたら色々違ってた可能性はある
そうおもいます。アキバで大量に生ディスクかクソゲー買って書き換えまくっておくべきでしたよ。説明書は末期にはコピー用紙だったようですがシールは最後まで正規品出してくれていた記憶ですし。
ディスクシステムは、ミツミ電機のクイックディスクが基になっており、両面使用して128KBだった。記録データーは蚊取り線香の様ならせん状の1本。フロッピーディスクが波紋の様な同心円なので、読み込め無いのが有難かった様です。しかしICの容量が3年で2倍になったので、数年で追い越されたのが致命傷でしたね。
今なら128KBでよく画像の有るゲームを書き込めたと思う。全角1文字が2バイトだから、一般的な文庫本だって1冊分入らない。
お陰で、シーケンシャルでしか読み込めないからディスクメディアなのにランダムアクセスが苦手という致命的な弱点がねぇ
当時MZ-1500用で売られてたクイックディスクを買ってディスクシステムの書き換え流用するって手法も一部流行ってましたね。
2007年までメーカー修理出来てたのが驚き。
64短命すぎだな
新鬼ヶ島は色褪せぬ名作
これが無ければニンテンドーパワーもメガcdもプレステもなかったかも知れんと考えるとゲーム史の大きなターニングポイントだったんだな
ゲームの書き換えは、当時画期的な試みだったな。
機械がもろかったり、何度もA面B面を入れ替えたりがめんどくさかったけどゼルダや村雨城やマリオ2など名作が多かったね
任天堂タイトルだけやんけ
多くは無いぞ。持ってない人の方が多かったし
ロード中にちょっと触っただけでマジで壊れたんだよなあ…
メトロイドとか、謎の壁とか、面白かったですよね
@@webisuvip disktroubleerror22はトラウマ
家に兄が買ってもらったツインファミコンが残っていて遊んだことが。数枚残されたディスクでは「ZANAC」が面白いと思いました。
ディープダンジョンやカリーンの剣をやってた頃、スクエアがこんなにメジャーになるとは想像だにしなかった
いろんなタイトルを出してましたね。ファイナルファンタジー以外に
そんなタイトルあったねドラクエ派だった自分には耐えられない内容だったけど今動画見てみると懐かしい記憶が蘇る耐えられない割りに遊んでたw
ディープダンジョンはⅢからおかしくなった。
スクウェアのディスクシステム用ブランド「DOG(DISK ORIGINAL GROUP)」もディスクカードの容量の問題を理由に自然消滅したとのことですが、当時の広告によると『聖剣伝説』も当初は複数のディスクカードを使った壮大な企画になる予定だったとか…。
ディープダンジョンは発売はスクウェアでしたが開発はハミングバードソフトですよ
家から徒歩5分の場所に書き換え出来るおもちゃ屋があったんで色々やりまくってたなぁ。個人的には良い思い出楽しかった思い出しかない。
普通のフロッピーを採用してたら容量と読み込み時間の問題はだいぶマシになったんだろうな値段の方も跳ね上がりそうだけど
その代わりDSの黒歴史よろしくコピーが蔓延してたかもしれない汎用品を扱うと言う事はそれだけ解析されやすくなるって事
当時のPC用の後付けフロッピーは10万前後して最も安かったMSXの外付けフロッピーでも5万円はしてたし、バブル時代だったとは言え普及はしなかっただろうね。
@@dauny08ディスク自体も3.5inchとかだと結構してたような。(90年以降下落する)
@@彩雲-b4b だからMSXが3.5や
@@彩雲-b4b そのMSX用FDDは最安約3万円やったで。任天堂は時折ケチって損する…これ常識やで?
当時、低価格だったディスクシステムのソフトにドラマカセットテープなどを付けて価格を1万円くらいまであげた「消えたプリンセス」「銀河伝承」などあったなぁ。
消えプリなどのイマジニアシリーズは定価5000円でしたよー
@@ham8835 あれ?そうでした?記憶違いしてました。訂正ありがとうございます。
@@shigeh3947 いえいえ、消えプリはクリスマス商戦でうちのサンタさんの上限額が5000円だったんで覚えてたんですよ✌️
F1レースでTIMEを記録してニンテンドーに送って、上位者になれば商品が貰えて、ゲームウォッチ貰った記憶があります。めっちゃ、嬉しかったです。
周りの同級生が買って貰う中、どんだけ強請っても親は首を縦には振ってくれなかった叔父さんが「こんなもん直ぐに廃れてROMカセットに戻るだけだ、やめろ」という言葉がなければ折れる事は出来なかった(実際2年程度で廃れた模様)
子供にとっての2年、2年遊べて15000円と考えると…Switchの周辺機器には15000円じゃ効かないくらい使ってる駄目な大人になってしまった…
@@無無-h8q まあ、持ってる幼馴染の家で散々やらせて貰ったから実質ノーダメだったんですけどね(´▽`)❤ハハハハッハ(ゲス)
良いお母様じゃないですか。
子供の時、「2年待て」と言われたら、永遠に感じる。
子供の頃の2年って果てしなく長いもんなぁ2年でもメッチャ楽しんでたよ
1988年にスーパーマリオブラザーズ3がディスクシステムじゃなくて普通のファミコンソフトで出るって発表された時は、当時小学生だった私や同級生達も驚きでした。みんな、3も絶対にディスクシステムだと思ってたので。思えばあの時からディスクシステムのフェードアウトが始まりましたよね~。
ゼルダも後にカセット版が出ましたね。
この動画では長くサポートされたようなニュアンスがあるけど、本当は1年ちょっとの寿命でしたよ。それで1万5千円は子供にとって痛かった。
今後すべてのソフトをディスクで発売するとか言ってた時期があったからねw 進化の激流みたいな時代だった·····
そういえば小学生の時、福武書店(現ベネッセ)が「スタディボックス」っていうファミコンのカートリッジ読み取り部にカセットデッキみたいなものを付けてカセットテープ状のカートリッジを読み込んでプレイしながら問題を解くゲームみたいな教材を作ってたなw当時はまだ子供が多かったしファミコンが国民的人気だったから教育の分野でも活かされたりしてたな。
任天堂とは似て非なる機種。
現在では個別学習教室まで営まれているにせよ、システム自体が受け継がれているか否かは定かではない。
バレーボールが滅茶苦茶面白かった何で今バレーボールのゲームがないんだろう
ディスクシステムは大容量や書き換えの他に音源が1音追加されてサウンド面も強かったね。あとナムコはディスクシステムに不参加ではなくて1990年に過去作を何作か移植していたはずですよ。
ナムコとハドソンはファミコン参入初期組なので、ロイヤリティも低く、さらにはファミコンカセットを自前で生産できていました。そして年間発売タイトル数の制約も受けていませんでした。ディスクシステムではどのサードパーティも同じ条件で契約しないといけなかったので、ファミコン参入初期組にとってはカセットで出したほうが儲けが段違いに大きかったのです。ディスクシステムをスルーしていたナムコとハドソンでしたが、ゲームボーイに参入しようとしたときに任天堂から「そういえばディスクシステムの契約は未だでしたね❤」と言われてしまいました。しぶしぶディスクシステムの契約もし、カセットで発売されていた過去の作品を出したのでした。
ボンバーマンは書き換えあったけど、ナムコから出たディスクシステムのソフトってあったっけ?
失礼しました。正確には書き換えで数作品出ていますね。あとナムコとボンバーマンは何の関係も無いです。
主流にはなれなかったかもしれない。それでもまちがいなく名機。それがディスクシステム。
コピー問題と読み込みの遅さ、トドメに大容量ROMが出たことにより価値が無くなった残念なハードと言われていましたね。任天堂がCD-ROMを使いたくなかったのもこのディスクシステムの失敗が原因との事ですし
悪魔城ドラキュラ、燃えろツインビー、ウルトラマンの書き換え版が好きだった。
♪やればやるほどぉ〜ディスクシステム!♪
所さん!!
リンク&マリオ「へたくそ!!」
♪チャリーン♪…こん頃からマリオのコインゲット音がサウンドロゴと化してたでホンマ。
情報としては十分にまとまっていたと思いますが、時間の感覚の部分だけは違和感が少しありますね。SFC が出た頃には FC はもう完全にカートリッジ体制に戻っていたのでディスクシステムの衰退とは直接関係なさそうですし、書き換えサービスを含めたアフターサービスも「終わってしまった」というよりは「そんな頃まで続けていた」感じです。衰退の原因も動画内で解説されていますが最大の原因は性能面よりも書き換え500円にサードがついてこなかった事、コピープロテクトは実際には簡単に破られていた事、さらにディスクシステムも大量に売れたけれども、それでも確実にファミコン単体より母数が少なくなるジレンマを抱えていた事辺りが大きそうに思います。その他の動画内に足りなかったと思う情報としてはディスクシステムには拡張音源が載っていた事やシャープからツインファミコンが発売されていた事辺りでしょうか。
一番の問題は周りに誰もディスクシステムを持っているやつがいなくて魅力がイマイチわからなかったことだと思う子供時代は3年違うだけで全然ちがうからなぁスーパーファミコンが出るタイミングでわざわざディスクシステム買うやつはおらんよ(T_T)
転売ヤーのいない平和な時代だったなぁ。
ヒント:抱き合わせ販売
@@moto3xv9さん 転売ヤーよりはまだマシだし思う。
@@moto3xv9 それでも市場経済荒らしのろくでなし共以外から買えるというアドバンテージはあったのじゃ
メトロイドやディープダンジョン、シンプルな怖さが印象に残ります。FM音源の威力かな。
当時小学生だった私にはディープダンジョンの地下迷宮の暗さやあのBGMは怖すぎた。地下3階のBGMに耐えられなくて頓挫しましたw
同時に買ったのが「倉庫番」「ゼルダの伝説」「メトロイド」。その後ファミコンが壊れてしまいツインファミコンを購入し、ディスクシステムではかなりのタイトルを遊びました。
ゼルダの伝説の裏面(だったかな?〕をクリアした時は、当時のゲーム仲間からヒーロー扱いされたのを覚えている。
発売当時に気になった事。事実上必須アイテムなのにACアダプターが別売りだった事。
デカい乾電池を何個も入れるスペースのせいでボディがデカくなっていた。テレビのある部屋でしか使わない機器に、乾電池の必要性あったのか?
当時は子供だったし普通にセットで売ってたからなぁ。そんな事気にしなかったなw
よく液漏れさせてしまった記憶がww
単1六本って言う鬼仕様ね😅
実際電池でも十分使えたよ。頻繁に電池交換した印象は無かったが、電池を長持ちさせるために冷凍庫冷やすとかいう謎の情報も流れてた
4:20「当時高価だったフロッピーディスクの廉価代用品」ここも大きな問題でしたね。・先頭からしか読みだせない(トラック1からしか再生できないCDみたいなもの)・読み出し部分が廉価のため、容量を増やせない(フロッピーはディスクの密度を上げることで256KB、512KB、1MBと増やせた)などなど。結果論ですが、ハードウェア的に短命になることが宿命づけられていた不運なハードだったかと。
元はクィックディスクだから
MZ1500や、シャープ他機種用OP・・・・ミツミ製?MSX用ドライブ記憶ありも、タイトルは・・・
@@yanchitakagi2849 さんMSX用は自分で入れたプログラムやデータを入れるばかりで、アプリやゲームのディスクは売っていたのか記憶に無いですね…あったのかもしれませんが。
あくまでも『玩具』として販売していたのだから仕方ないかと…(話はそれますがPC-engineのCD-ROMは、音響機器ということで最初の内は物品税が掛けられていました)。
@@crule2net さんなど別途コメントでは、MZ1500メインのQD自体、販売(販路?)ディスクシステム流用で絞られた模様で。MSX2系で、COBOL・FORTRANなど触れた身も、MSX用Hu-Card用変換アダプタ発売時に数タイトルあったような記憶です。※エントリーモタスポまで手を出す多趣味で、当時の98・ツインタワーあたり高値の花で
欠かせないってとこにウォシュレットの画像がでてきたのメッチャ納得してしまった。
ホンマそれ、両者とも同時期に人気出たでなぁ。
子供の頃にリアルタイムにディスクシステムで遊びましたが、当時の感覚としては「なぜか普及しなかった」という感覚は無かったです。凄い話題になって多くの人達がプレイしてましたし、店にもたくさんディスクシステム関連のものを見かけましたし。でもその期間が短かったのは確かかもしれないです。
当時書き換え機があったデパートで書き換えを頼む時、店員さんの案内でリストに名前と住所と電話番号を書いてディスクとお金を渡して、数十分後にアナウンスで名前を呼ばれて取りに行くんだけど、フルネームで呼ばれるものだからかなり恥ずかしかった思い出がある。
僕の周辺の当時の友達は、ほとんど皆、ディスクシステムかツインファミコン持ってた。やはり500円で書き換え、は魅力過ぎたよね。CMでは「夢が広がる、ディスクシステム」って言ってたけれど、ROMの大容量化、バッテリーバックアップによって存在意義がなくなり、比較的短命で夢が広がらなくなっちゃったのが皮肉だね。でも名作が多かったので、大事に持ってた人が多かったね。
カセットでは出せない音色が魅力的です
コナミの悪魔城ドラキュラやときメモの祖と言われる中山美穂のトキメキハイスクール、データイーストの神宮寺三郎とか、後々シリーズ化された人気ゲームタイトルが生まれたハードでもあるんだけどな。
まぁ時期が悪かったよねすごい速さでrom媒体の大容量化とコストダウンが進んだ時代クイックディスクの規格もすぐ頓挫したしウリにしてた当時のromカセットの3倍に当たる約900kbの大容量も直ぐに2mbのromカセットに抜かれたしディスク入れ替えの手間だけが残った感じこれが無かったら64のromカセットへの拘りも無かったかもしれない
今となってはロードや容量しょぼいと感じるけどパソコンやネットの普及していない時代にあったというとすごいな。うちにはツインファミコンあったけど、ディスク読み込まなくなって壊れちゃったね。ロッピーが現役だった頃すぎた2003年まで手に入れることできたんだね!!そこに驚いた。「謎の壁」っていうゲームが好きだったけど、配信されないかな?
コナミがディスクシステムで発売したファミコンソフトの一部は、ファミコンのハード末期にカセット版として再発売(例:悪魔城ドラキュラ、燃えろツインビー、バイオミラクルぼくってウパ)された物もありますが、「謎の壁ブロック崩し」はカセット版は出なかったので、ディスクシステムで遊ぶか、海外版のカセットで遊ぶしかないのが現実です。私個人的には、コナミ作品なら「エスパードリーム(1)」のカセット版を出して欲しかったです(2はカセットで発売されましたから、何故この作品がカセット化しなかったか謎です。続編を出す位の人気作品なら、カセット化しても絶対需要はあったと思います)。
『謎の壁』にはエンディングを見るためのパスワードが解けなくて投げ出した苦い思い出が…。
「SDガンダムガチャポン戦記」「アイスホッケー」なんかも名作。
SDガンダムは、コンピュータの思考時間がとんでもなく長かった様な…
これによりハードの周辺機器は長続きしないという法則が判明する
そうなの?
@@くっきー爆弾-b1o スーファミのサテラビューや64DDがまさにそれ
ロボットのようなもの、CDROM2、スーパーゲームボーイ、Xbandはじめ早すぎたネットワーク機器、カラオケ機器等々…色々例はあるなぁ。当時の子供達は一回一回片付けが前提だし面倒だった。
@@田中関羽 この中でスーパーゲームボーイは重要なアイテムだから選外かなぁ。他の周辺機器は、それがないと遊べないという仕組みなのに対して、既存のGBカセットがテレビ画面で遊べる仕組みはとても重宝したわ。
かなり後にスーファミのカセットデータ書き換えできるサービスをローソンでやってたよね。既に次世代機の時代になってたとはいえアレも長くは続かなかったなあ。
当時小6だったから、あれはあれで「時代の最先端」みたいな気分でワクワクしながら書き換えしたよ。ディスクシステム店頭書き換えサービスの稼働時は保育園児とかだったから体験できなかったけど、かわりにロッピーの書き換えサービスは体験できてよかった。
友達の家でディスクのゲームやるのに、箱ごと自転車のカゴに入れてよく運んだ
お金のなかった子供の頃大変にお世話になったディスクシステムその時に利益になってなくても、その頃の楽しかった思い出持ってるファンは多く居てお金も落とし続けていると思う
何かのお菓子でポイント集めて送るとディスクカード貰えるやつがあって、それでディスクカードあるけど本体無い状態にして親に本体買ってと迫った思い出。…結局お年玉で買いました。
パソコンのクイックディスクもあったけど、あっという間にフロッピーに変わった記憶。これだけ売れたのはシステムや販路がしっかりしていたのでしょう。
クイックディスクが出た時5インチディスクより小さいとか思ってたけど…3.5インチディスクがMSXとかで使われていて、なんでこっちでとか思ってた。ネタで3.5インチ突っ込んでたwパソコンだとMZ-1500がクイックディスク搭載モデルで…同じ年に売られたX1turboの方が売れてた印象。PC88SRを購入して使ってたんだけどね。当時の80年代は5インチディスクって感じだった。
MSX用QDもあった…せやけど後にソニー等の企業努力でMSX2へFDD搭載されてからはQDトンと見かけへんで。
FC⇒MSX2の電気技師ですー。ディスクシステムはベルトに難あり!MSXのFDDもベルトが切れたが、ユーザー自己責任でベルトレスドライブへ交換できる。ディスクシステムは汎用性がなくそれもできやんかった(爆)嗚呼悲しきシステムよ。容量問題はゴエモンのメガROMで解決したが当時のキャラゲーが悉くクソ…聖飢魔II悪魔の逆襲はBGMの差で[FC
ROMカセットの供給不足を緩和するためという理由もあったはず。ディスクシステムは実質2年ほどだったが、その役割は十分果たしてくれたといえる。
せやな、そん頃にはディスクシステムよりメガROMのほうが勢い持ってたからなぁ。さらに3.5インチFDD搭載のMSX2パソコンが普及してFC-QDを凌駕したんもいてぇよー。(その時代にFC⇒MSX2メインになった電気技師ですー)
ディスクシステムが発売されたのを期にシャープからツインファミコンが出たってのもある(ファミコンの商標はシャープがしてた。それの一部を任天堂が貰った)
11:31 ハンダコテの持ち方www
随分前に、細く切りとったビニールテープを貼り合わせ平ベルトを自作し交換する動画がありましたね
12:19 それもあるけど、その頃、PCエンジンが出て、ファミコン総需要が暴落したのが最大の衰退原因
あとメガROM登場とMSX2価格低下もファミコンを追い落とす理由になったで!? 「聖飢魔II悪魔の逆襲」も出来はMSX2>>FCやったから!(FC版の聖飢魔II楽曲のBGM不採用が最大の痛手)。
読込が遅いとかいうけど、当時PCの補助記憶はカセットテープだった事から考えると1万円台でFD装置並みの機能を持たせたのは素晴らしい製品だった。
地方在住だったのでゲームショップもほとんどなく、マリオ1とマリオ3は知っているけどマリオ2って?ってずっと疑問だった。ディスクシステムを知った頃にはスーパーファミコン全盛期で金持ちの友達の家でディスクシステムがホコリかぶってたよ。
ディスクシステム持ってたな~書き換えにワクワクしましたね😊
ディスクはすぐ廃れたけど、持ってない自分としてはすっごい魅力的なものだった。ゼルダ、リンク、マリオ2、悪魔城ドラキュラ、その他のディスクでしか出来ないものも多かったなー、当時は。
ああ、マリオ2があったか。ワイはマリオ2しかプレイした記憶がないのよね。親父はゴルフをプレイしてたけど。実質2年くらいしかディスクシステムで遊んでないような気がするわ。で、その後はSFCの時代になった気がする。
こちらのチャンネルの動画は他のゲームハード系の動画みたいに爆死、負けハードみたいに小馬鹿にする感じがなくて優しく見れます。リスペクトがある感じで素敵です😊サムネに爆死とは書いてあるけど😓中身は愛のある構成なので色々見させて貰ってます✨
ディスクシステムの名作で思い出すのが、初代「メトロイド」と「悪魔城ドラキュラ」。もう頭クラクラになるまで遊んだな😅友人、親戚でワイワイと楽しみましたね♪おしい…。
ディスクカード(クイックディスク)はランダムアクセスが出来ないため、ディスクの先頭部分から対象のデータの場所を探して読み出す方法だったので、フロッピーの感覚で作られたソフトだと読み込みの方が時間が長くなってまともに遊べないものもあった。これが原因で、当時の山内社長がディスクメディアに対する嫌悪感を生み出すこととなって、64DDが登場するまで、任天堂のハードでディスクメディアを使うものが出てこなかった。
そのシステムのせいでレリクス暗黒要塞が「お待ちください」地獄の末にクソゲー扱いに。この後、パソコンで出たアンソロジーやプロジェクトegg版はロード地獄が解消されている。
PCの側ではQDはカセットテープの高速版でしかなかったので、フロッピーディスク普及までの足継ぎ的存在でしかなかったかと。この手のシーケンシャルメディアをうまく使えてたのは…大型機を除けばシャープが一番だったのでは…。
@@竹生会組員 今思えばそうですね。PC-88のように読み込みながら処理をする仕様でないと耐えられない動きでしたね。
子供の頃、友達の家でディスクシステムのドラキュラやバブルボブルを遊ばせてもらいました。FM音源が追加された影響でしょうか、BGMが凄く良くなってて羨ましかったです。取扱注意。友達がディスクをテレビの上に置いてしまい、データが吹っ飛んだこともありました。
ディスクシステムに転用できるって事でMZ-1500用のQuickDsikが販売されなくなっちゃったんだよね
MSX系用ドライブも手を出さなかったですが、そんな事情あったのですね。シャープが標準搭載規格では、事業所違いの3インチFDDもたまには・・・・
下のコメントにあるように赤と黒と二種類あった、ツインファミコンも取り上げてほしい。ファミコンとディスクシステムをできる機械です
そうなんだよな。廉価代用品。まさにそういう言い方で合ってる。当時のフロッピーディスクはまだ3.5インチはまだ登場していなくて、正方形8インチFDと正方形5.25インチFD、そして(株)SHARPの長方形3インチだった。なのでこのディスクカードは横 76mm、縦 90mm、厚さ 5mmと非常に可愛らしかった。何よりも特徴的なのは、殆どの情報機器では同心円状に記録するのに対し、音楽用レコード盤と同じく渦巻き型記録。のちに渦巻き型記録をするメディアは、レーザーディスクとCD、DVD、BDなどの音楽や映像に特化するものばかりなので、ディスクシステムこと(株)SHARP開発のクイックディスクは珍しい例だった。
QDも3.5"FDD(SONY製品へ搭載)も同時期やん。ここはMSX(特にHiTBiT)ユーザーのほうが詳しぅ説明できるで!?
MSXはわからないけどPC-66、PC-88、PC-98、X1、FM。皆んなQDはガン無視だったね。パソコン買ってもディスクメディアが高く、データレコーダを一緒に買って、カセットテープメディアを使う、なんて時代に価値があった程度。5インチが急速に低廉化していって消えていった。
サードパーティとしてはファミコンならとにかく桁違いにソフトが売れると思っていたから、ディスクシステムを持ってないと売れないゲームは作りたくなかったんだろうな。
書き換えサービスも間もなく終了してから30年経つのですね…年月の流れが早過ぎます…😢
アダプターの指す順番間違えただけで動かなくなってしまった、子供が遊ぶには繊細すぎるハードだったハードなのに‥
書き換えに登場してないゲームも書き換えしてくれる裏書き換え屋とかもあったなぁ。
小学生の時、兄とお小遣いを一緒に貯めてディスクシステムとゼルダを購入しました。あの頃はとてもいい時代でした。
ディスクシステムの後継というかSFC書き換えシステムを利用したサービスも後々出てきましたね、ローソンに書き換え用カセット持ち込んで書き換えるシステムでですが開始がSFC末期であったことと中古ソフトが割と大量に出回ってたことであんまり利点が…という感じでいつの間にか消えていた感じが一応トラ7みたいな新規ソフトもあったようではあるんですけどね
背景に使っている、たくさんの画像の選択のセンスがとても良くて、感心しました!
おりゃツインファミコンだったなぁ。ツインファミコンが任天堂の製品じゃないと知ったのはだいぶ大人になってからだったなあ
ナムコは「ギャラクシアン」等の旧作のディスクシステム版(内容はカセット版と全く同じ)をいくつか出してお茶を濁していましたし、ハドソンは「ボンバーマン」1作のみ、カセット版と全く同じ内容の物をディスクシステムでもリリースしていますね。当時の任天堂からの圧力?対策だったのかどうかは分かりませんが。
買い換えなら500円という価格設定は、ディスクシステムを一気に広めることには抜群の効果があった。しかし、商売のプロの任天堂としては、この価格設定はよく考えずに決めたありえない失敗だったな。500円と1,000円で悩んだろうけど、1,000円でも需要はあったと思うな。任天堂が開発・販売するゲームだけは安くするなどの工夫が必要だったな。
2003年まで続いてたんだ……!! そういえばFCもSFCも、その頃まで受注販売してたんだっけ?……と思ったら出てきた。確か半導体だかの生産が終わったんだっけな。そしてそこに、さらっと64が混じってる!!
プロテクト外しとかの改造しまくったディスクシステムのヘッド交換をしてくれた当時の任天堂はほんとデカい会社だったよ
今でも思い出す苦い出来事。ディスクライターで書き換えに行ったら、何が不味かったのかよく判らないエラーが出て書き換え失敗、当然もとのゲームも駄目になり、かつ金も返してもらえなかった。あの頃の自分にとってはあまりに痛すぎる悲劇だったなぁ。
それディスク(メディア)が壊れてたんやない!?…MSX でもたまにあったけど。せやからコピーつーかバックアップディスク作るんは当時のPC/MSXユーザーの常識やったで!?
この仕様を活かした『レリクス暗黒要塞』なんて名作もありましたね(ウソ)
「500円で書き換え」って、「ゲームカセット」って著作権料なのに、それはどうなっちゃったのと子供心に思ったが、この動画を見てもその疑問が消えない謎
ディスクシステムはコナミも相当力を入れてましたね。悪魔城ドラキュラ、エスパードリームetc…
ツインファミコン持ってたなクソ長ロードのお陰でRPGには不向きなのが痛かった
あれ面倒な接続いらないから便利だけど言ってる通りロード時間がやばいよね
QDの遅さはMSX(FDD)にも負けてた…いてえよー!!
わずか6年でサービス終了って…わずかじゃないと思いますけど。6年後にはファミコン自体メイン機としては終了してますからね
読み込みが遅かったのが唯一の欠点マップ移動で「A面⇔B面行ったり来たり」ってのが厄介だった
ファミコンと合体というのは男心をくすぐるものがあったよ
自分はディスクシテスムを買えなかったけど、知人の何人かが持ってました…が、故障連発して嘆く奴がとても多かったです。なので、ディスクシステムと光線銃は必ず壊れると言われてましたね
やればやるほどディスクシステム!
500/600円で新作が遊べたのは当時としては最強よマニュアルが間に合わず、ペラ紙コピーとかたまにあったけど良作ゲームも多いし、オレの中では失敗どころかスーファミが発売して数ヶ月後にハードを確保したくて糞高いツインファミコンを買った思い出
公式のツインファミコンみたいの出してたらカセット+discなソフトも出せたろなぁ
A面とB面をジキルとハイドに例えるの面白いですね2003年までは書き換えサービス続いてたんですね。スーパーファミコンも同様のサービスありましたし。
ディスクシステムのゲームは、面白かったゲームが多かった。ゼルダ、リンク、エスパードリーム、悪魔城ドラキュラ、新鬼ヶ島、マリオ2、ザナック、ディープダンジョン、プロレス、バレーボール、他にもまだまだあるけど、どれも面白かった。買ってがっかりしたゲームがほぼ無かったぐらいだった。
当時、お店に設置するディスクライターのお値段300万円って聞きました。一回の書き換えでいくらの利益が出たのかは知りませんが、赤字の所がほとんどだったんじゃないかと思いましたね。
リースだった記憶があります。なんでディスクライターはほぼ全て任天堂が回収してたはず。
容量もあるけど、カセットはCPU的な物も入れられて拡張できたからな。極端に言えばファミコン自体はカセットで計算したデータを受け取って、そのままTVで再生するだけということができた。物理的に電源供給のできないディスクじゃ無理だからね。CDやDVDも言わずもがな。
所詮、ディスクはデータストレージでしかないからね。カセットは、PCでいえば拡張ボードみたいなもんだからね。
普通に長期普及してたよね。消えたのはFCの性能じゃPCエンジンやセガに勝てないから、SFCに切り替えたせいでしょ。その頃にはFDじゃ容量小さすぎるからSFCで使えるようにしても意味ないし
新作ソフト作っても500円しか儲からないって、企業方針としてはどうなんだろう。データ書換だけならそれでも利益が出たのかな
昔、ゲームを続きからプレイする為に、何十文字ものパスワードをメモってたのがとても懐かしい。あれからおよそ30年くらい経っただろうか、インターネットが普及し、ブロックチェーンなんて技術が産まれて...。ふっと気づけば、今度はネット上でリアルを続きから始めるのに、何十文字ものコードをメモってたりするのが感慨深い。ファミコンからPS5まで、半世紀もかかってないし、VRやARの技術開発の話なんか聞いてると、今後も様々なゲームシステムや名作が産まれるんだろうな。
自分で修理できるなら、コントローラーのゴムやディスクシステムのベルトなど純正品が100円~200円で普通におもちゃ屋さんに売ってたのでめちゃ助かりましたね
当時そこまで考えてなかったけど、確かに今から思えばオンラインの魁的な画期的システムだったんだな~。
86~87年はディスクが主力でしたね👏バッテリーバックアップと当時呼んでたセーブ機能が主流になったのも87年後半~でしたしセーブ出来るだけでも画期的だったな😂FF出る前までスクウェアもディスクに相当力を注いでましたしね💡
ディスクシステムは、ゼルダの伝説、メトロイドといっても任天堂の看板IPを生み出したし、スクエアの初期作品のラインナップを楽しめた素晴らしい機器だったよ。でも書き換え価格500円は安すぎた。子供時代のワイは本当にお世話になったよ。
昔 知人が、近所にあった駄菓子屋はディスクシステムを二台連結させて独自に書き換えしてくれたと話してました…あとMZ1500を改造してできたね。
良かったらスーファミのサテラビューも動画にしてください。
それも任天堂がネットゲームを実現した革命的なハードだったとの事ですね。ダウンロード専用とはいえ通信料無料でゲームが遊び放題だから当時にBS環境を持つ人は楽しかったでしょう
書き換え可能なROMカセットも有ったなぁ。
ファイナルファンタジー、ドラクエ3が登場するまではゲームの続きをするにはこれしかなかった。
タイトルの「なぜか普及しなかった」は間違いでしょ。相当売れてたよ。
それに1986年発売で2003年まで書き換えサービスやってたなら非常に長生きしたと言えると思う。
この人ナカ○ドみたいに「滅亡」「終了」みたいな感じのサムネタイトルばかりだから言っても無駄な気がする。
400万売れてるのに普及しなかったは矛盾してるよね
400万台ってMSXシリーズ全体の販売大手数とほぼ同じやん!!(爆)。もっとも6000万台の本体にかなわへんから比率的には多ぅなかったんやろうが。
まぁ容量をウリにしてたのにROMカセットにまた主流を取り返されたのとクイックディスクの規格自体が早々に死亡
ディスクシステム発売同年がPC9801UV2発売でここから一気に3.5インチ2HDが主力になってくるんで一年か二年後開発になってたら色々違ってた可能性はある
そうおもいます。アキバで大量に生ディスクかクソゲー買って書き換えまくっておくべきでしたよ。説明書は末期にはコピー用紙だったようですがシールは最後まで正規品出してくれていた記憶ですし。
ディスクシステムは、ミツミ電機のクイックディスクが基になっており、両面使用して128KBだった。記録データーは蚊取り線香の様ならせん状の1本。フロッピーディスクが波紋の様な同心円なので、読み込め無いのが有難かった様です。しかしICの容量が3年で2倍になったので、数年で追い越されたのが致命傷でしたね。
今なら128KBでよく画像の有るゲームを書き込めたと思う。全角1文字が2バイトだから、一般的な文庫本だって1冊分入らない。
お陰で、シーケンシャルでしか読み込めないからディスクメディアなのにランダムアクセスが苦手という致命的な弱点がねぇ
当時MZ-1500用で売られてたクイックディスクを買ってディスクシステムの書き換え流用するって手法も一部流行ってましたね。
2007年までメーカー修理出来てたのが驚き。
64短命すぎだな
新鬼ヶ島は色褪せぬ名作
これが無ければニンテンドーパワーもメガcdもプレステもなかったかも知れんと考えるとゲーム史の大きなターニングポイントだったんだな
ゲームの書き換えは、当時画期的な試みだったな。
機械がもろかったり、何度もA面B面を入れ替えたりがめんどくさかったけど
ゼルダや村雨城やマリオ2など名作が多かったね
任天堂タイトルだけやんけ
多くは無いぞ。持ってない人の方が多かったし
ロード中にちょっと触っただけでマジで壊れたんだよなあ…
メトロイドとか、謎の壁とか、面白かったですよね
@@webisuvip disktroubleerror22はトラウマ
家に兄が買ってもらったツインファミコンが残っていて遊んだことが。数枚残されたディスクでは「ZANAC」が面白いと思いました。
ディープダンジョンやカリーンの剣をやってた頃、スクエアがこんなにメジャーになるとは想像だにしなかった
いろんなタイトルを出してましたね。
ファイナルファンタジー以外に
そんなタイトルあったね
ドラクエ派だった自分には耐えられない内容だったけど
今動画見てみると懐かしい記憶が蘇る
耐えられない割りに遊んでたw
ディープダンジョンはⅢからおかしくなった。
スクウェアのディスクシステム用ブランド「DOG(DISK ORIGINAL GROUP)」もディスクカードの容量の問題を理由に自然消滅したとのことですが、当時の広告によると『聖剣伝説』も当初は複数のディスクカードを使った壮大な企画になる予定だったとか…。
ディープダンジョンは発売はスクウェアでしたが開発はハミングバードソフトですよ
家から徒歩5分の場所に書き換え出来るおもちゃ屋があったんで色々やりまくってたなぁ。
個人的には良い思い出楽しかった思い出しかない。
普通のフロッピーを採用してたら容量と読み込み時間の問題はだいぶマシになったんだろうな
値段の方も跳ね上がりそうだけど
その代わりDSの黒歴史よろしくコピーが蔓延してたかもしれない
汎用品を扱うと言う事はそれだけ解析されやすくなるって事
当時のPC用の後付けフロッピーは10万前後して最も安かったMSXの外付けフロッピーでも5万円はしてたし、バブル時代だったとは言え普及はしなかっただろうね。
@@dauny08ディスク自体も3.5inchとかだと結構してたような。(90年以降下落する)
@@彩雲-b4b だからMSXが3.5や
@@彩雲-b4b そのMSX用FDDは最安約3万円やったで。任天堂は時折ケチって損する…これ常識やで?
当時、低価格だったディスクシステムのソフトにドラマカセットテープなどを付けて価格を1万円くらいまであげた「消えたプリンセス」「銀河伝承」などあったなぁ。
消えプリなどのイマジニアシリーズは定価5000円でしたよー
@@ham8835
あれ?そうでした?記憶違いしてました。
訂正ありがとうございます。
@@shigeh3947 いえいえ、消えプリはクリスマス商戦でうちのサンタさんの上限額が5000円だったんで覚えてたんですよ✌️
F1レースでTIMEを記録してニンテンドーに送って、上位者になれば商品が貰えて、ゲームウォッチ貰った記憶があります。めっちゃ、嬉しかったです。
周りの同級生が買って貰う中、どんだけ強請っても
親は首を縦には振ってくれなかった
叔父さんが「こんなもん直ぐに廃れてROMカセットに戻るだけだ、やめろ」
という言葉がなければ折れる事は出来なかった(実際2年程度で廃れた模様)
子供にとっての2年、2年遊べて15000円と考えると…
Switchの周辺機器には15000円じゃ効かないくらい使ってる駄目な大人になってしまった…
@@無無-h8q まあ、持ってる幼馴染の家で散々やらせて貰ったから
実質ノーダメだったんですけどね(´▽`)❤ハハハハッハ(ゲス)
良いお母様じゃないですか。
子供の時、「2年待て」と言われたら、永遠に感じる。
子供の頃の2年って果てしなく長いもんなぁ
2年でもメッチャ楽しんでたよ
1988年にスーパーマリオブラザーズ3がディスクシステムじゃなくて普通のファミコンソフトで出るって発表された時は、当時小学生だった私や同級生達も驚きでした。
みんな、3も絶対にディスクシステムだと思ってたので。
思えばあの時からディスクシステムのフェードアウトが始まりましたよね~。
ゼルダも後にカセット版が出ましたね。
この動画では長くサポートされたようなニュアンスがあるけど、
本当は1年ちょっとの寿命でしたよ。
それで1万5千円は子供にとって痛かった。
今後すべてのソフトをディスクで発売するとか言ってた時期があったからねw
進化の激流みたいな時代だった·····
そういえば小学生の時、福武書店(現ベネッセ)が「スタディボックス」っていうファミコンのカートリッジ読み取り部にカセットデッキみたいなものを付けてカセットテープ状のカートリッジを読み込んでプレイしながら問題を解くゲームみたいな教材を作ってたなw当時はまだ子供が多かったしファミコンが国民的人気だったから教育の分野でも活かされたりしてたな。
任天堂とは似て非なる機種。
現在では個別学習教室まで営まれているにせよ、システム自体が受け継がれているか否かは定かではない。
バレーボールが滅茶苦茶面白かった
何で今バレーボールのゲームがないんだろう
ディスクシステムは大容量や書き換えの他に
音源が1音追加されてサウンド面も強かったね。
あとナムコはディスクシステムに不参加ではなくて
1990年に過去作を何作か移植していたはずですよ。
ナムコとハドソンはファミコン参入初期組なので、ロイヤリティも低く、さらにはファミコンカセットを自前で生産できていました。そして年間発売タイトル数の制約も受けていませんでした。
ディスクシステムではどのサードパーティも同じ条件で契約しないといけなかったので、ファミコン参入初期組にとってはカセットで出したほうが儲けが段違いに大きかったのです。
ディスクシステムをスルーしていたナムコとハドソンでしたが、ゲームボーイに参入しようとしたときに任天堂から「そういえばディスクシステムの契約は未だでしたね❤」と言われてしまいました。しぶしぶディスクシステムの契約もし、カセットで発売されていた過去の作品を出したのでした。
ボンバーマンは書き換えあったけど、ナムコから出たディスクシステムのソフトってあったっけ?
失礼しました。正確には書き換えで数作品出ていますね。
あとナムコとボンバーマンは何の関係も無いです。
主流にはなれなかったかもしれない。それでもまちがいなく名機。それがディスクシステム。
コピー問題と読み込みの遅さ、トドメに大容量ROMが出たことにより価値が無くなった残念なハードと言われていましたね。任天堂がCD-ROMを使いたくなかったのもこのディスクシステムの失敗が原因との事ですし
悪魔城ドラキュラ、燃えろツインビー、ウルトラマンの書き換え版が好きだった。
♪やればやるほどぉ〜ディスクシステム!♪
所さん!!
リンク&マリオ「へたくそ!!」
♪チャリーン♪…こん頃からマリオのコインゲット音がサウンドロゴと化してたでホンマ。
情報としては十分にまとまっていたと思いますが、時間の感覚の部分だけは違和感が少しありますね。
SFC が出た頃には FC はもう完全にカートリッジ体制に戻っていたのでディスクシステムの衰退とは直接関係なさそうですし、書き換えサービスを含めたアフターサービスも「終わってしまった」というよりは「そんな頃まで続けていた」感じです。
衰退の原因も動画内で解説されていますが最大の原因は性能面よりも書き換え500円にサードがついてこなかった事、コピープロテクトは実際には簡単に破られていた事、さらにディスクシステムも大量に売れたけれども、それでも確実にファミコン単体より母数が少なくなるジレンマを抱えていた事辺りが大きそうに思います。
その他の動画内に足りなかったと思う情報としてはディスクシステムには拡張音源が載っていた事やシャープからツインファミコンが発売されていた事辺りでしょうか。
一番の問題は周りに誰もディスクシステムを持っているやつがいなくて魅力がイマイチわからなかったことだと思う
子供時代は3年違うだけで全然ちがうからなぁ
スーパーファミコンが出るタイミングでわざわざディスクシステム買うやつはおらんよ(T_T)
転売ヤーのいない平和な時代だったなぁ。
ヒント:抱き合わせ販売
@@moto3xv9さん 転売ヤーよりはまだマシだし思う。
@@moto3xv9 それでも市場経済荒らしのろくでなし共以外から買えるというアドバンテージはあったのじゃ
メトロイドやディープダンジョン、シンプルな怖さが印象に残ります。FM音源の威力かな。
当時小学生だった私にはディープダンジョンの地下迷宮の暗さやあのBGMは怖すぎた。地下3階のBGMに耐えられなくて頓挫しましたw
同時に買ったのが「倉庫番」「ゼルダの伝説」「メトロイド」。その後ファミコンが壊れてしまいツインファミコンを購入し、ディスクシステムではかなりのタイトルを遊びました。
ゼルダの伝説の裏面(だったかな?〕をクリアした時は、当時のゲーム仲間からヒーロー扱いされたのを覚えている。
発売当時に気になった事。
事実上必須アイテムなのに
ACアダプターが別売りだった事。
デカい乾電池を何個も入れるスペースのせいでボディがデカくなっていた。テレビのある部屋でしか使わない機器に、乾電池の必要性あったのか?
当時は子供だったし普通にセットで売ってたからなぁ。そんな事気にしなかったなw
よく液漏れさせてしまった記憶がww
単1六本って言う鬼仕様ね😅
実際電池でも十分使えたよ。頻繁に電池交換した印象は無かったが、電池を長持ちさせるために冷凍庫冷やすとかいう謎の情報も流れてた
4:20「当時高価だったフロッピーディスクの廉価代用品」
ここも大きな問題でしたね。
・先頭からしか読みだせない(トラック1からしか再生できないCDみたいなもの)
・読み出し部分が廉価のため、容量を増やせない(フロッピーはディスクの密度を上げることで256KB、512KB、1MBと増やせた)
などなど。
結果論ですが、ハードウェア的に短命になることが宿命づけられていた不運なハードだったかと。
元はクィックディスクだから
MZ1500や、シャープ他機種用OP・・・・
ミツミ製?MSX用ドライブ記憶ありも、タイトルは・・・
@@yanchitakagi2849 さん
MSX用は自分で入れたプログラムやデータを入れるばかりで、アプリやゲームのディスクは売っていたのか記憶に無いですね…あったのかもしれませんが。
あくまでも『玩具』として販売していたのだから仕方ないかと…(話はそれますがPC-engineのCD-ROMは、音響機器ということで最初の内は物品税が掛けられていました)。
@@crule2net さんなど
別途コメントでは、MZ1500メインのQD自体、販売(販路?)ディスクシステム流用で絞られた模様で。
MSX2系で、COBOL・FORTRANなど触れた身も、MSX用Hu-Card用変換アダプタ発売時に数タイトルあったような記憶です。
※エントリーモタスポまで手を出す多趣味で、当時の98・ツインタワーあたり高値の花で
欠かせないってとこにウォシュレットの画像がでてきたのメッチャ納得してしまった。
ホンマそれ、両者とも同時期に人気出たでなぁ。
子供の頃にリアルタイムにディスクシステムで遊びましたが、当時の感覚としては「なぜか普及しなかった」という感覚は無かったです。
凄い話題になって多くの人達がプレイしてましたし、店にもたくさんディスクシステム関連のものを見かけましたし。
でもその期間が短かったのは確かかもしれないです。
当時書き換え機があったデパートで書き換えを頼む時、店員さんの案内でリストに名前と住所と電話番号を書いてディスクとお金を渡して、数十分後にアナウンスで名前を呼ばれて取りに行くんだけど、フルネームで呼ばれるものだからかなり恥ずかしかった思い出がある。
僕の周辺の当時の友達は、ほとんど皆、ディスクシステムかツインファミコン持ってた。やはり500円で書き換え、は魅力過ぎたよね。
CMでは「夢が広がる、ディスクシステム」って言ってたけれど、ROMの大容量化、バッテリーバックアップによって存在意義がなくなり、
比較的短命で夢が広がらなくなっちゃったのが皮肉だね。でも名作が多かったので、大事に持ってた人が多かったね。
カセットでは出せない音色が魅力的です
コナミの悪魔城ドラキュラやときメモの祖と言われる中山美穂のトキメキハイスクール、データイーストの神宮寺三郎とか、後々シリーズ化された人気ゲームタイトルが生まれたハードでもあるんだけどな。
まぁ時期が悪かったよねすごい速さでrom媒体の大容量化とコストダウンが進んだ時代
クイックディスクの規格もすぐ頓挫したし
ウリにしてた当時のromカセットの3倍に当たる約900kbの大容量も直ぐに2mbのromカセットに抜かれたしディスク入れ替えの手間だけが残った感じ
これが無かったら64のromカセットへの拘りも無かったかもしれない
今となってはロードや容量しょぼいと感じるけどパソコンやネットの普及していない時代にあったというとすごいな。うちにはツインファミコンあったけど、ディスク読み込まなくなって壊れちゃったね。ロッピーが現役だった頃すぎた2003年まで手に入れることできたんだね!!そこに驚いた。「謎の壁」っていうゲームが好きだったけど、配信されないかな?
コナミがディスクシステムで発売したファミコンソフトの一部は、ファミコンのハード末期にカセット版として再発売(例:悪魔城ドラキュラ、燃えろツインビー、バイオミラクルぼくってウパ)された物もありますが、「謎の壁ブロック崩し」はカセット版は出なかったので、ディスクシステムで遊ぶか、海外版のカセットで遊ぶしかないのが現実です。
私個人的には、コナミ作品なら「エスパードリーム(1)」のカセット版を出して欲しかったです(2はカセットで発売されましたから、何故この作品がカセット化しなかったか謎です。続編を出す位の人気作品なら、カセット化しても絶対需要はあったと思います)。
『謎の壁』にはエンディングを見るためのパスワードが解けなくて投げ出した苦い思い出が…。
「SDガンダムガチャポン戦記」「アイスホッケー」なんかも名作。
SDガンダムは、コンピュータの思考時間がとんでもなく長かった様な…
これによりハードの周辺機器は長続きしないという法則が判明する
そうなの?
@@くっきー爆弾-b1o
スーファミのサテラビューや64DDがまさにそれ
ロボットのようなもの、CDROM2、スーパーゲームボーイ、Xbandはじめ早すぎたネットワーク機器、カラオケ機器等々…色々例はあるなぁ。
当時の子供達は一回一回片付けが前提だし面倒だった。
@@田中関羽 この中でスーパーゲームボーイは重要なアイテムだから選外かなぁ。
他の周辺機器は、それがないと遊べないという仕組みなのに対して、
既存のGBカセットがテレビ画面で遊べる仕組みはとても重宝したわ。
かなり後にスーファミのカセットデータ書き換えできるサービスをローソンでやってたよね。既に次世代機の時代になってたとはいえアレも長くは続かなかったなあ。
当時小6だったから、あれはあれで「時代の最先端」みたいな気分でワクワクしながら書き換えしたよ。
ディスクシステム店頭書き換えサービスの稼働時は保育園児とかだったから体験できなかったけど、かわりにロッピーの書き換えサービスは体験できてよかった。
友達の家でディスクのゲームやるのに、箱ごと自転車のカゴに入れてよく運んだ
お金のなかった子供の頃大変にお世話になったディスクシステム
その時に利益になってなくても、その頃の楽しかった思い出持ってるファンは多く居てお金も落とし続けていると思う
何かのお菓子でポイント集めて送るとディスクカード貰えるやつがあって、
それでディスクカードあるけど本体無い状態にして親に本体買ってと迫った思い出。…結局お年玉で買いました。
パソコンのクイックディスクもあったけど、あっという間にフロッピーに変わった記憶。
これだけ売れたのはシステムや販路がしっかりしていたのでしょう。
クイックディスクが出た時5インチディスクより小さいとか思ってたけど…
3.5インチディスクがMSXとかで使われていて、なんでこっちでとか思ってた。ネタで3.5インチ突っ込んでたw
パソコンだとMZ-1500がクイックディスク搭載モデルで…同じ年に売られたX1turboの方が売れてた印象。
PC88SRを購入して使ってたんだけどね。当時の80年代は5インチディスクって感じだった。
MSX用QDもあった…せやけど後にソニー等の企業努力でMSX2へFDD搭載されてからはQDトンと見かけへんで。
FC⇒MSX2の電気技師ですー。ディスクシステムはベルトに難あり!MSXのFDDもベルトが切れたが、ユーザー自己責任でベルトレスドライブへ交換できる。ディスクシステムは汎用性がなくそれもできやんかった(爆)嗚呼悲しきシステムよ。
容量問題はゴエモンのメガROMで解決したが当時のキャラゲーが悉くクソ…聖飢魔II悪魔の逆襲はBGMの差で[FC
ROMカセットの供給不足を緩和するためという理由もあったはず。
ディスクシステムは実質2年ほどだったが、その役割は十分果たしてくれたといえる。
せやな、そん頃にはディスクシステムよりメガROMのほうが勢い持ってたからなぁ。さらに3.5インチFDD搭載のMSX2パソコンが普及してFC-QDを凌駕したんもいてぇよー。(その時代にFC⇒MSX2メインになった電気技師ですー)
ディスクシステムが発売されたのを期にシャープからツインファミコンが出たってのもある(ファミコンの商標はシャープがしてた。それの一部を任天堂が貰った)
11:31 ハンダコテの持ち方www
随分前に、細く切りとったビニールテープを貼り合わせ平ベルトを自作し交換する動画がありましたね
12:19 それもあるけど、その頃、PCエンジンが出て、ファミコン総需要が暴落したのが最大の衰退原因
あとメガROM登場とMSX2価格低下もファミコンを追い落とす理由になったで!? 「聖飢魔II悪魔の逆襲」も出来はMSX2>>FCやったから!(FC版の聖飢魔II楽曲のBGM不採用が最大の痛手)。
読込が遅いとかいうけど、当時PCの補助記憶はカセットテープだった事から考えると1万円台でFD装置並みの機能を持たせたのは素晴らしい製品だった。
地方在住だったのでゲームショップもほとんどなく、マリオ1とマリオ3は知っているけどマリオ2って?ってずっと疑問だった。
ディスクシステムを知った頃にはスーパーファミコン全盛期で金持ちの友達の家でディスクシステムがホコリかぶってたよ。
ディスクシステム持ってたな~
書き換えにワクワクしましたね😊
ディスクはすぐ廃れたけど、持ってない自分としてはすっごい魅力的なものだった。ゼルダ、リンク、マリオ2、悪魔城ドラキュラ、その他のディスクでしか出来ないものも多かったなー、当時は。
ああ、マリオ2があったか。ワイはマリオ2しかプレイした記憶がないのよね。親父はゴルフをプレイしてたけど。実質2年くらいしかディスクシステムで遊んでないような気がするわ。で、その後はSFCの時代になった気がする。
こちらのチャンネルの動画は他のゲームハード系の動画みたいに爆死、負けハードみたいに小馬鹿にする感じがなくて優しく見れます。リスペクトがある感じで素敵です😊サムネに爆死とは書いてあるけど😓中身は愛のある構成なので色々見させて貰ってます✨
ディスクシステムの名作で思い出すのが、初代「メトロイド」と「悪魔城ドラキュラ」。もう頭クラクラになるまで遊んだな😅友人、親戚でワイワイと楽しみましたね♪おしい…。
ディスクカード(クイックディスク)はランダムアクセスが出来ないため、ディスクの先頭部分から対象のデータの場所を探して読み出す方法だったので、
フロッピーの感覚で作られたソフトだと読み込みの方が時間が長くなってまともに遊べないものもあった。
これが原因で、当時の山内社長がディスクメディアに対する嫌悪感を生み出すこととなって、64DDが登場するまで、任天堂のハードでディスクメディアを
使うものが出てこなかった。
そのシステムのせいでレリクス暗黒要塞が「お待ちください」地獄の末にクソゲー扱いに。
この後、パソコンで出たアンソロジーやプロジェクトegg版はロード地獄が解消されている。
PCの側ではQDはカセットテープの高速版でしかなかったので、フロッピーディスク普及までの足継ぎ的存在でしかなかったかと。この手のシーケンシャルメディアをうまく使えてたのは…大型機を除けばシャープが一番だったのでは…。
@@竹生会組員 今思えばそうですね。PC-88のように読み込みながら処理をする仕様でないと耐えられない動きでしたね。
子供の頃、友達の家でディスクシステムのドラキュラやバブルボブルを遊ばせてもらいました。
FM音源が追加された影響でしょうか、BGMが凄く良くなってて羨ましかったです。
取扱注意。友達がディスクをテレビの上に置いてしまい、データが吹っ飛んだこともありました。
ディスクシステムに転用できるって事でMZ-1500用のQuickDsikが販売されなくなっちゃったんだよね
MSX系用ドライブも手を出さなかったですが、そんな事情あったのですね。
シャープが標準搭載規格では、事業所違いの3インチFDDもたまには・・・・
下のコメントにあるように赤と黒と二種類あった、ツインファミコンも取り上げてほしい。ファミコンとディスクシステムをできる機械です
そうなんだよな。廉価代用品。まさにそういう言い方で合ってる。
当時のフロッピーディスクはまだ3.5インチはまだ登場していなくて、正方形8インチFDと正方形5.25インチFD、そして(株)SHARPの長方形3インチだった。
なのでこのディスクカードは横 76mm、縦 90mm、厚さ 5mmと非常に可愛らしかった。
何よりも特徴的なのは、殆どの情報機器では同心円状に記録するのに対し、音楽用レコード盤と同じく渦巻き型記録。
のちに渦巻き型記録をするメディアは、レーザーディスクとCD、DVD、BDなどの音楽や映像に特化するものばかりなので、ディスクシステムこと(株)SHARP開発のクイックディスクは珍しい例だった。
QDも3.5"FDD(SONY製品へ搭載)も同時期やん。ここはMSX(特にHiTBiT)ユーザーのほうが詳しぅ説明できるで!?
MSXはわからないけどPC-66、PC-88、PC-98、X1、FM。皆んなQDはガン無視だったね。パソコン買ってもディスクメディアが高く、データレコーダを一緒に買って、カセットテープメディアを使う、なんて時代に価値があった程度。5インチが急速に低廉化していって消えていった。
サードパーティとしてはファミコンならとにかく桁違いにソフトが売れると思っていたから、ディスクシステムを持ってないと売れないゲームは作りたくなかったんだろうな。
書き換えサービスも間もなく終了してから30年経つのですね…年月の流れが早過ぎます…😢
アダプターの指す順番間違えただけで動かなくなってしまった、子供が遊ぶには繊細すぎるハードだった
ハードなのに‥
書き換えに登場してないゲームも書き換えしてくれる裏書き換え屋とかもあったなぁ。
小学生の時、兄とお小遣いを一緒に貯めてディスクシステムとゼルダを購入しました。あの頃はとてもいい時代でした。
ディスクシステムの後継というかSFC書き換えシステムを利用したサービスも後々出てきましたね、ローソンに書き換え用カセット持ち込んで書き換えるシステムで
ですが開始がSFC末期であったことと中古ソフトが割と大量に出回ってたことであんまり利点が…という感じでいつの間にか消えていた感じが
一応トラ7みたいな新規ソフトもあったようではあるんですけどね
背景に使っている、たくさんの画像の選択のセンスがとても良くて、感心しました!
おりゃツインファミコンだったなぁ。
ツインファミコンが任天堂の製品じゃないと知ったのはだいぶ大人になってからだったなあ
ナムコは「ギャラクシアン」等の旧作のディスクシステム版(内容はカセット版と全く同じ)をいくつか出してお茶を濁していましたし、ハドソンは「ボンバーマン」1作のみ、カセット版と全く同じ内容の物をディスクシステムでもリリースしていますね。
当時の任天堂からの圧力?対策だったのかどうかは分かりませんが。
買い換えなら500円という価格設定は、ディスクシステムを一気に広めることには抜群の効果があった。しかし、商売のプロの任天堂としては、この価格設定はよく考えずに決めたありえない失敗だったな。500円と1,000円で悩んだろうけど、1,000円でも需要はあったと思うな。任天堂が開発・販売するゲームだけは安くするなどの工夫が必要だったな。
2003年まで続いてたんだ……!! そういえばFCもSFCも、その頃まで受注販売してたんだっけ?
……と思ったら出てきた。確か半導体だかの生産が終わったんだっけな。
そしてそこに、さらっと64が混じってる!!
プロテクト外しとかの改造しまくったディスクシステムのヘッド交換をしてくれた当時の任天堂はほんとデカい会社だったよ
今でも思い出す苦い出来事。ディスクライターで書き換えに行ったら、何が不味かったのかよく判らないエラーが出て書き換え失敗、当然もとのゲームも駄目になり、かつ金も返してもらえなかった。あの頃の自分にとってはあまりに痛すぎる悲劇だったなぁ。
それディスク(メディア)が壊れてたんやない!?…MSX でもたまにあったけど。せやからコピーつーかバックアップディスク作るんは当時のPC/MSXユーザーの常識やったで!?
この仕様を活かした『レリクス暗黒要塞』なんて名作もありましたね(ウソ)
「500円で書き換え」って、
「ゲームカセット」って著作権料なのに、それはどうなっちゃったの
と子供心に思ったが、この動画を見てもその疑問が消えない謎
ディスクシステムはコナミも相当力を入れてましたね。悪魔城ドラキュラ、エスパードリームetc…
ツインファミコン持ってたな
クソ長ロードのお陰でRPGには不向きなのが痛かった
あれ面倒な接続いらないから便利だけど言ってる通りロード時間がやばいよね
QDの遅さはMSX(FDD)にも負けてた…いてえよー!!
わずか6年でサービス終了って…わずかじゃないと思いますけど。6年後にはファミコン自体メイン機としては終了してますからね
読み込みが遅かったのが唯一の欠点
マップ移動で「A面⇔B面行ったり来たり」ってのが厄介だった
ファミコンと合体というのは男心をくすぐるものがあったよ
自分はディスクシテスムを買えなかったけど、知人の何人かが持ってました…が、故障連発して嘆く奴がとても多かったです。なので、ディスクシステムと光線銃は必ず壊れると言われてましたね
やればやるほどディスクシステム!
500/600円で新作が遊べたのは当時としては最強よ
マニュアルが間に合わず、ペラ紙コピーとかたまにあったけど
良作ゲームも多いし、オレの中では失敗どころかスーファミが発売して数ヶ月後に
ハードを確保したくて糞高いツインファミコンを買った思い出
公式のツインファミコンみたいの出してたらカセット+discなソフトも出せたろなぁ
A面とB面をジキルとハイドに例えるの面白いですね
2003年までは書き換えサービス続いてたんですね。
スーパーファミコンも同様のサービスありましたし。
ディスクシステムのゲームは、面白かったゲームが多かった。
ゼルダ、リンク、エスパードリーム、悪魔城ドラキュラ、新鬼ヶ島、マリオ2、ザナック、ディープダンジョン、プロレス、バレーボール、他にもまだまだあるけど、どれも面白かった。
買ってがっかりしたゲームがほぼ無かったぐらいだった。
当時、お店に設置するディスクライターのお値段300万円って聞きました。
一回の書き換えでいくらの利益が出たのかは知りませんが、赤字の所がほとんどだったんじゃないかと思いましたね。
リースだった記憶があります。なんでディスクライターはほぼ全て任天堂が回収してたはず。
容量もあるけど、カセットはCPU的な物も入れられて拡張できたからな。
極端に言えばファミコン自体はカセットで計算したデータを受け取って、そのままTVで再生するだけということができた。
物理的に電源供給のできないディスクじゃ無理だからね。CDやDVDも言わずもがな。
所詮、ディスクはデータストレージでしかないからね。
カセットは、PCでいえば拡張ボードみたいなもんだからね。
普通に長期普及してたよね。消えたのはFCの性能じゃPCエンジンやセガに勝てないから、
SFCに切り替えたせいでしょ。その頃にはFDじゃ容量小さすぎるからSFCで使えるようにしても意味ないし
新作ソフト作っても500円しか儲からないって、企業方針としてはどうなんだろう。データ書換だけならそれでも利益が出たのかな
昔、ゲームを続きからプレイする為に、何十文字ものパスワードをメモってたのがとても懐かしい。
あれからおよそ30年くらい経っただろうか、インターネットが普及し、ブロックチェーンなんて技術が産まれて...。
ふっと気づけば、今度はネット上でリアルを続きから始めるのに、何十文字ものコードをメモってたりするのが感慨深い。
ファミコンからPS5まで、半世紀もかかってないし、VRやARの技術開発の話なんか聞いてると、今後も様々なゲームシステムや名作が産まれるんだろうな。
自分で修理できるなら、コントローラーのゴムやディスクシステムのベルトなど純正品が100円~200円で普通におもちゃ屋さんに売ってたのでめちゃ助かりましたね
当時そこまで考えてなかったけど、確かに今から思えばオンラインの魁的な画期的システムだったんだな~。
86~87年はディスクが主力でしたね👏
バッテリーバックアップと当時呼んでたセーブ機能が主流になったのも87年後半~でしたしセーブ出来るだけでも画期的だったな😂
FF出る前までスクウェアもディスクに相当力を注いでましたしね💡
ディスクシステムは、ゼルダの伝説、メトロイドといっても任天堂の看板IPを生み出したし、スクエアの初期作品のラインナップを楽しめた素晴らしい機器だったよ。でも書き換え価格500円は安すぎた。子供時代のワイは本当にお世話になったよ。
昔 知人が、近所にあった駄菓子屋はディスクシステムを二台連結させて
独自に書き換えしてくれたと話してました…
あとMZ1500を改造してできたね。
良かったらスーファミのサテラビューも動画にしてください。
それも任天堂がネットゲームを実現した革命的なハードだったとの事ですね。ダウンロード専用とはいえ通信料無料でゲームが遊び放題だから当時にBS環境を持つ人は楽しかったでしょう
書き換え可能なROMカセットも有ったなぁ。
ファイナルファンタジー、ドラクエ3が登場するまではゲームの続きをするにはこれしかなかった。