ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
ノイシュバンシュタイン城行きました。感度した〜。お城のお陰で今は観光客が沢山来て地元が潤っているという皮肉。
失地王ジョンと、それを追い越すくらい北宋の徽宗だけは世界史でもぶっちぎりの暗君だわな。
ルードビッヒは後世、ノイシュバンシュタイン城など観光資源を遺し国を利した分、まだ名君といえるかもしれない。
ルートヴィヒ二世の築城趣味は、現代のバイエルン州に観光資源を遺しただけではなく、当時、仕事がなくて困っていた人民に仕事を与えるための公共事業でもあった。そのため、人件費に多くの経費を費やす一方で、例えばノイシュバンシュタイン城の中世風の大広間のシャンデリアには、黄金ではなく黄銅を使用したり、ヘレンキームゼー宮殿の大理石風の柱廊は、大理石の塊ではなく、表面だけ大理石を張り付けたものだったりと、贅沢な建材を使わずに節約している。そもそも、ルートヴィヒ二世は王位についた時から、側近に対し、「そなたたちが国の実情を正直に余に報告しなければ、余は民の生活が分からぬではないか」と諫めた、賢い王だった。難を言えば、バイエルンのヴィッテルスバッハ王家構成員にありがちな夢見るロマンチスト的な所があり、仲の良かった従姉のエリーザベトはオーストリア皇妃として嫁いでしまって話し相手がいなくなる一方、ヴァーグナーに傾倒してバイロイト祝祭劇場を建ててヴァーグナーの活動を全面的に支援するなど、必ずしも現実的ではない面があったことは否めない。-けれども、ルートヴィヒ二世のそうした性格やヴァーグナーや中世の叙事詩への傾倒は、多分に母后から受け継いだもの。ノイシュバンシュタイン城の手前に建つ、ルートヴィヒ二世が育ったホーエンシュヴァンガウ城には、母后が好きだった白鳥のモチーフが、シューベルトの友人でも会ったシュヴィントが描いたローエングリーンの壁画や、テーブルや庭に置かれた置物にまで見られる。ノイシュバンシュタイン城だけではなく、バイロイト音楽祭やミュンヘン州立歌劇場、ホーエンシュヴァンガウ城、リンダーホーフ城、ヘレンキームゼー宮殿に至るまで、多くの観光資源をバイエルン州に遺した功績は大きい。ルートヴィヒ二世が狂王として幽閉された際、オーストリア皇后エリーザベトは、「彼が狂っているなんて、そんなはずはない」として幽閉先に駆け付けたらしいが、既にルートヴィヒ二世は主治医と共に入水した後だった。ルートヴィヒ二世は狂ってなどいなかった、幽閉されたのは陰謀だ、とバイエルン王家の子孫は発言している。
国王や元首が民を顧みず贅沢三昧で散財していた時代の人々は大変だったろうけど、それが現在の観光資源となって外貨を稼いでいるんですよね
当時の人が予想しなかった、未来への投資、って考えてます。本当に当時の民衆は不満ばかりだったと思うけれど。。。
ルートヴィヒ二世が民を顧みず贅沢三昧だったというのは誤解です。むしろ彼は、困窮する民に仕事を与えるための公共事業として築城をしていた面もあり、民からは慕われていました。今でも、バイエルン王家であるヴィッテルスバッハ家の末裔は、バイエルン州ではプリンス、プリンセスの称号で呼ばれており、バイエルン州のお祭りのたびに列席して、民衆から温かく迎えられています。
@@erikasono565でも彼のお召し列車は豪華だったみたいだ。
明の万暦帝も贅沢三昧や戦(万暦三大征)で国の財政を傾けてしまった。
14:32~このシャルル7世ってのがジャンヌのおかげで戴冠できた王なのかな
そうです!ジャンヌがいなければ、シャルル7世は即位どころかフランス王国自体を失うところだったとか。でもシャルル7世はその大恩人ジャンヌがイギリスの捕虜になった時、身代金を払わず結果的にジャンヌを見殺しにしてしまうんです。
そ!彼女に正統なフランス王の血筋と宣言され、コンプレックスから救われた癖に積極的に彼女を救わなかった忘恩の徒💩
その通りです。シャルル7世が何故玉座に着くまであれほど苦労したのか、この動画で納得しました。
当時のイギリス軍の捕虜にならなければ、ジャンヌ・ダルクは『魔女』として火あぶり(の刑)にされる悲劇は免れたかと。
でも途中から覚醒してめちゃくちゃ強くなった→ジャンヌ人気すぎて邪魔→見捨てる( ;∀;)
ルートヴィッヒ2世は血縁関係であるオーストリア帝国のエリザヴェート皇后と仲が良かったそうです。(のちにエリザヴェートの妹との婚約破棄で絶縁していまいましたが)
ローマ教皇にもヤバい奴結構いるぞまた機会があれば取り上げでください
二人は従姉弟、または又従姉弟の血縁関係です。シシィことエリザヴェータもハプスブルク家に嫁ぐ過程では最初、姉が候補だったが、しきたりに拘らない性格をフランツ・ヨーゼフ1世に気に入られ皇后になった経緯があります。当然の事ながら家門にこだわる皇太后は彼女を気に入らなかったみたいでした。彼らの家系はそういう風だったとの事。
@@坂田庄司-g6n オーストリア皇太后ゾフィーもバイエルンのヴィッテルスバッハ家出身で、皇后エリーザベートの伯母だったのですけれどもね……。エリーザベートは、自由主義的な考えの父親似で奔放な性格だったと言われますが、何より少女時代のエリーザベートは、見るからに繊細な雰囲気の、黒目勝ちの夢見るような瞳のほっそりした美少女だもの。ヘレンキームゼー宮殿のオランジェリーがエリーザベトらに関する博物館になっていて、少女時代の写真があったのですが、見惚れてしまいました。姉のヘレーネも美人ですが、少々硬い気難しい雰囲気ですからね。ルートヴィヒ二世との婚約を破棄されたゾフィーは、エリーザベトに比べて少しぽっちゃりした体形で、エリーザベトほど繊細な感受性を持ち合わせていないことは、写真からも窺われます。
欠地王は兄弟揃ってぶっ飛んでますね
兄は軍事に没頭し、弟は陰謀に没頭したそのせいか、(兄の方は人気があるけど)兄弟そろって『悪しき王』扱い弟の方は(兄が放置した)司法・行政を発展しているからそこまで悪くはないはずなんだが、実績がひどすぎた付け加えると息子もゴミしかしその息子(つまりジョン王の孫)は名君と言われるようになるんだからわからない(しかしそれも晩年はガタが来ていた。おまけに彼の息子ときたら・・・)
こちらの二人は表情豊かでかわいいです
わかるかわいい
13:58 あれ、一番大事な「燃える人の舞踏会事件」はカット?水曜どうでしょうの「なまはげ炎上事件」が最悪の展開になったヤツ。
そのバイエルン王の映画見たですよ。優しい人だったようで。ボタンインコ指に留めてるシーンに笑えたww
シャルル6世の孫もちょっとアレな人だから血は受け継いでると思う。
ルートヴィッヒがお母さんと弟との食卓の写真で、テーブルに乗ってるのはなんかの茹で野菜入りの大きなザルだけだった。ロマノフ家も軍隊用ベッドで寝て冷水で行水していたと。寒い国ってストイックね。
ルートヴィッヒ2世は、当時政争に巻き込まれてお尋ね者だったワーグナーを保護して寵愛していました。王の莫大な支援で、最大の代表作・ニーベルングの指環を制作したり、自分の作品専用のバイロイト祝祭劇場を完成させています。なお、ワーグナーも国王に劣らぬ大の浪費家だったので、バイエルン政府からの評判は最悪だった模様。
ルートヴィヒ二世にしても、ヴァーグナーにしても、芸術のためにはお金を惜しまなかったというだけで、「大の浪費家」という言い方をするのは誤解です。-ヴァーグナーは、自身の楽劇の夢の達成には妥協することなくお金を注ぎ込んだでしょうが、確かホーエンシュヴァンガウ城だったと思うのですが、ルートヴィヒ二世がヴァーグナーのために用意した部屋は、小さなスピネットが置かれている慎ましい部屋でした。ヴァーグナーは、彼の楽劇の舞台になりそうな風光明媚な土地が好きだったようで、チューリヒ、ルツェルン、ヴェネツィアなどにヴァーグナーが住んだ家があり、今は博物館になっていますが、どこも湖水や海の見える眺めの良い立地とはいえ、家そのものは慎ましい普通の家です。-バイロイト祝祭劇場も、ザルツブルク祝祭劇場などと比べても、建物そのものは決して豪華ではありません。どこの席からも舞台がよく見えて、オーケストラの音が客席に直接届かずに、一度舞台上の歌手の声と混じってから客席に届くよう、オーケストラピットは舞台の下にもぐるように造られているなどの拘りはありますが。
ルードヴィッヒ2世がアレな国王だったのは、ドイツ統一に邁進していたプロイセンには天の恵みだったな。
単なる「現実逃避」だ。因みにルートヴィヒ2世はオーストリア皇后エリザベートの従兄弟だ。
ジョン王のエピソード、半島の領土失って大陸のいざこざに巻き込まれなくなった日本とちょい似てる
ノイシュヴァンシュタイン城は建築開始が1869年、完成が1886年。日本だと開始明治2年、完成明治19年か。当時の日本政府が江戸城の天守閣再建や!って言い出したら、狂っているとしか思わないな。
しかも、コンクリート製でなおかつ電信電話電気暖房など当時の最新技術てんこ盛りだったらしい
@@mosurusa 本当ですか?知らなかった。しかし結果と言うのは判らないものですね。当時の国民は困ったでしょうけど、現在は観光地ですからね。国立競技場もザハ案で建築してたら…蛇足でしたね。
ヴァンシュタイン城はどう見ても近代建築だから皇居や国会議事堂と比べるべきです。そう考えると当時の日本人もアホみたいに無駄に豪華贅沢な建築している事が分かる
江戸城天守閣再建に関しては、もうずいぶん前から運動していますよね。江戸に最初に城を築いた太田道灌の子孫を会長に担いで、東京オリンピックまでに完成させると言っていたのが、資金難や新型コロナウィルスパンデミックでうやむやになっています。
@@mosurusa 厨房から食堂に温かい食事を届けるためのエレベーターまで設置されていますからね。ただ、そうした最新技術をいち早く取り入れたという点では、ルートヴィヒ二世は進歩的な王だったわけで、ガス燈すら嫌って蝋燭に拘り続けたという保守的なウィーンのフランツ・ヨーゼフ皇帝とは対照的です。
観光で、美しい城のポスターを父が買って来ました。今では、天才観光開発者と改めるべきです。
久々に、ヴィスコンティ監督作品の『ルートヴィヒ』(1972年)を観たくなった。
ジョンがヤバすぎたおかげで今の世界があるってなんだか面白いな
イギリス国王にジョンのつく名前が登場しないのもあの大陸の領土を失うというイギリス史上大失態をしたからか
裕福な人にしかガラス妄想が見られなかったのは、裕福な人しかガラスが身近になかったから…とかどうでしょう
シャルル7世は毒殺を恐れて餓死したと言う逸話もありますけどね因みにルートビッヒ2世は狂王の名に値しないと思いますね。王様ではあったけど、ちょっとクリエイティブな若者でしかないと思います
そうですね。当時の状況は厳しかったでしょうが後世の観光資源をこさえたわけですから。美しい城として有名ということは、建築家としてのセンスも光るものはあったんじゃ無いかと思えます。
いつも思うのですが、Jean sans Terre(英語表記では John the Lackland)とは、よくいったものです。
幼少期の厳格な教育方針で成人した時には完全に別の方向に針が振り切ってしまったのね、親自体も賢く品位が有って優雅に成って行くようにと力を入れた結果何だろうけどね~(-_- )
流石はイギリスのもう一方のアイドル・ジョンは 別格だった
ノイシュバンシュタイン城は、ロビーが広かったことしか覚えてないな。
ルードヴィッヒは湖畔で溺死でしたが主治医も一緒になくなっている あのオーストリア皇后エリーザベトとは親友 シャルル6世はお人好しで薔薇戦争では王妃マーガレットが戦っていた 苛烈な王妃です☺️
シャルル7世は暗君じゃなくて普通に名君なのでは……。ジョン欠地王みたいに国内を荒らしたわけじゃないし
シャルル6世は真面目で有能っぽいから向いてる職業に付けてたら良い活躍できたと思う。
個人的には、イギリスやらかし王にエドワード2世を入れて欲しいジョンもジョンだけど、こっちもやばいよ・嫁(フランス王女イザベラ.シャルル4世の妹)に見向きもせず恋人①♂とイチャイチャ (バイだったから世継ぎはいる)・対スコットランド戦争の最中に恋人①とファッションに夢中→ボロ負けしてスコットランド独立させる・父親崩御後、アイルランドに追放されていた恋人①を呼び戻す(遺言では追放継続のはずだった)・恋人①を王族に加えようとした(自分の姪と結婚させて)→嫁と諸侯にキレられて軍を差し向けられる(結局投降)・恋人①が諸侯に殺されて落ち着くと思いきや、恋人②③♂を作る(②③は親子)・嫁にまた反乱されるのが怖くてロンドン塔に一時幽閉・恋人②③が嫁の所領を没収しても怒らない(嫁が直訴しても聞く耳持たず)・結局嫁にイギリスから逃げられる(世継ぎも連れていかれるし、嫁も不倫する)・嫁が不倫相手と軍を率いてイギリスに侵攻(途中から諸侯も参加)→逃走するも捕まり、恋人②③は殺される・自分自身も幽閉され、譲位書に無理矢理サインさせられる・最期は嫁の放った暗殺者によって殺される(ケツの穴に焼けた鉄の火箸を突っ込まれる)こうやって見ると、恋愛でやらかしてんね
ご視聴&コメントありがとうございます^ ^興味深い人物とたくさんのエピソードのご紹介ありがとうございます!今後チャンネル運営の参考にさせていただきますね!
次は中華皇帝で万歴帝とか徽宗皇帝とかやってほしいです、正直暗君としての桁が違うので
ご視聴&コメントありがとうございます^ ^興味深い人物のご紹介、リクエストもありがとうございます!できる限りお応えできるよう運営してまいります!
ジョン王は私の世界史の先生から○ホ呼ばわりされていたから、めっちゃ印象に残っている
ルートヴィヒ二世は親戚のエリザベート皇妃の事が幼い頃から好きだったようです。ただ、8歳年上のエリザベートがハプスブルク家のフランツ・ヨーゼフ1世と結婚した時に心の支えを失ったと思ったこともメルヘン趣味が加速した理由としても挙げられるそうです。せめて、エリザベートの似た人と結婚すればと本人は思い、エリザベートの妹のゾフィーと婚約しました。ただ、やっぱりエリザベートとは違うと分かると何年も先延ばしにしてきた結婚を無しにして婚約破棄をした事が原因で姉のエリザベートが激怒して一時期連絡を取り合う事も無くなってしまったみたいです。
君主とは違うが、人類最悪はスターリンだろうなぁ
ノイエシュタイン城とバイロイト祝祭劇場でバイエルン王国、ペシャンコ!そこㇸプロイセンのビスマルクがやって来た!
シャルル6世は長寿した事が唯一の成果
ちなみにバーサーカーで引っ張り出されたヘラクレスくんはそこまでトチ狂ってませんwww
ルートヴィヒってオタクの大先輩やん
勝手出来て 羨ましい
ジ、ジョオオン。最後は赤痢だったんか。知らんかった。最後は、あ〇ると闘いながら逝ったんだな。お似合いといえばお似合いか。
日本だと、道鏡という坊主に入れ込んで宇佐八幡宮神託事件を引き起こした女・称徳天皇や、後継者問題で応仁の乱の原因を作ったにもかかわらず自分の趣味に没頭して放置した男・足利義政なんかが残念な王様に該当するかな。
晩年の小早川秀秋あたりも
個人的には晩年の豊臣秀吉に一票。唐入りのための朝鮮出兵で数多くの犠牲を出しましたが、往年の秀吉なら敵情視察で内部を撹乱させ、その機に乗じて敵方をうまく乗っ取ってきたのに、朝鮮出兵についてはそんな工作した跡がないのがなんとも。
@@kitamomo276朝鮮出兵が失敗した最大の原因は、日本軍の将兵が朝鮮半島の気候(冬の厳しい寒さ)や水に慣れていなかったからだ。
バーサーカーのイラストよwww私はてっきりZeroの方かと…
日本にも 残念な皇族が秋宮家それから つぎの天皇が生まれる日本国陥落はマジか…涙
秋篠宮家。
徽宗とか足利義昭とか
徽宗はともかく、足利義昭は京都から追放されたとはいえ、それなりにまあまあな人生送っているから・・・
むしろ義政のほうが近い気がする
ノイシュバンシュタイン城行きました。感度した〜。
お城のお陰で今は観光客が沢山来て地元が潤っているという皮肉。
失地王ジョンと、それを追い越すくらい北宋の徽宗だけは世界史でもぶっちぎりの暗君だわな。
ルードビッヒは後世、ノイシュバンシュタイン城など観光資源を遺し国を利した分、まだ名君といえるかもしれない。
ルートヴィヒ二世の築城趣味は、現代のバイエルン州に観光資源を遺しただけではなく、当時、仕事がなくて困っていた人民に仕事を与えるための公共事業でもあった。
そのため、人件費に多くの経費を費やす一方で、例えばノイシュバンシュタイン城の中世風の大広間のシャンデリアには、黄金ではなく黄銅を使用したり、ヘレンキームゼー宮殿の大理石風の柱廊は、大理石の塊ではなく、表面だけ大理石を張り付けたものだったりと、贅沢な建材を使わずに節約している。
そもそも、ルートヴィヒ二世は王位についた時から、側近に対し、「そなたたちが国の実情を正直に余に報告しなければ、余は民の生活が分からぬではないか」と諫めた、賢い王だった。
難を言えば、バイエルンのヴィッテルスバッハ王家構成員にありがちな夢見るロマンチスト的な所があり、仲の良かった従姉のエリーザベトはオーストリア皇妃として嫁いでしまって話し相手がいなくなる一方、ヴァーグナーに傾倒してバイロイト祝祭劇場を建ててヴァーグナーの活動を全面的に支援するなど、必ずしも現実的ではない面があったことは否めない。
-
けれども、ルートヴィヒ二世のそうした性格やヴァーグナーや中世の叙事詩への傾倒は、多分に母后から受け継いだもの。
ノイシュバンシュタイン城の手前に建つ、ルートヴィヒ二世が育ったホーエンシュヴァンガウ城には、母后が好きだった白鳥のモチーフが、シューベルトの友人でも会ったシュヴィントが描いたローエングリーンの壁画や、テーブルや庭に置かれた置物にまで見られる。
ノイシュバンシュタイン城だけではなく、バイロイト音楽祭やミュンヘン州立歌劇場、ホーエンシュヴァンガウ城、リンダーホーフ城、ヘレンキームゼー宮殿に至るまで、多くの観光資源をバイエルン州に遺した功績は大きい。
ルートヴィヒ二世が狂王として幽閉された際、オーストリア皇后エリーザベトは、「彼が狂っているなんて、そんなはずはない」として幽閉先に駆け付けたらしいが、既にルートヴィヒ二世は主治医と共に入水した後だった。
ルートヴィヒ二世は狂ってなどいなかった、幽閉されたのは陰謀だ、とバイエルン王家の子孫は発言している。
国王や元首が民を顧みず贅沢三昧で散財していた時代の人々は大変だったろうけど、
それが現在の観光資源となって外貨を稼いでいるんですよね
当時の人が予想しなかった、未来への投資、って考えてます。
本当に当時の民衆は不満ばかりだったと思うけれど。。。
ルートヴィヒ二世が民を顧みず贅沢三昧だったというのは誤解です。
むしろ彼は、困窮する民に仕事を与えるための公共事業として築城をしていた面もあり、民からは慕われていました。
今でも、バイエルン王家であるヴィッテルスバッハ家の末裔は、バイエルン州ではプリンス、プリンセスの称号で呼ばれており、バイエルン州のお祭りのたびに列席して、民衆から温かく迎えられています。
@@erikasono565でも彼のお召し列車は豪華だったみたいだ。
明の万暦帝も贅沢三昧や戦(万暦三大征)で国の財政を傾けてしまった。
14:32~
このシャルル7世ってのがジャンヌのおかげで戴冠できた王なのかな
そうです!
ジャンヌがいなければ、シャルル7世は即位どころかフランス王国自体を失うところだったとか。
でもシャルル7世はその大恩人ジャンヌがイギリスの捕虜になった時、身代金を払わず結果的にジャンヌを見殺しにしてしまうんです。
そ!彼女に正統なフランス王の血筋と宣言され、コンプレックスから救われた癖に積極的に彼女を救わなかった忘恩の徒💩
その通りです。シャルル7世が何故玉座に着くまであれほど苦労したのか、この動画で納得しました。
当時のイギリス軍の捕虜にならなければ、ジャンヌ・ダルクは『魔女』として火あぶり(の刑)にされる悲劇は免れたかと。
でも途中から覚醒してめちゃくちゃ強くなった→ジャンヌ人気すぎて邪魔→見捨てる( ;∀;)
ルートヴィッヒ2世は血縁関係であるオーストリア帝国のエリザヴェート皇后と仲が良かったそうです。(のちにエリザヴェートの妹との婚約破棄で絶縁していまいましたが)
ローマ教皇にもヤバい奴結構いるぞ
また機会があれば取り上げでください
二人は従姉弟、または又従姉弟の血縁関係です。シシィことエリザヴェータもハプスブルク家に嫁ぐ過程では最初、姉が候補だったが、しきたりに拘らない性格をフランツ・ヨーゼフ1世に気に入られ皇后になった経緯があります。当然の事ながら家門にこだわる皇太后は彼女を気に入らなかったみたいでした。彼らの家系はそういう風だったとの事。
@@坂田庄司-g6n
オーストリア皇太后ゾフィーもバイエルンのヴィッテルスバッハ家出身で、皇后エリーザベートの伯母だったのですけれどもね……。
エリーザベートは、自由主義的な考えの父親似で奔放な性格だったと言われますが、何より少女時代のエリーザベートは、見るからに繊細な雰囲気の、黒目勝ちの夢見るような瞳のほっそりした美少女だもの。
ヘレンキームゼー宮殿のオランジェリーがエリーザベトらに関する博物館になっていて、少女時代の写真があったのですが、見惚れてしまいました。
姉のヘレーネも美人ですが、少々硬い気難しい雰囲気ですからね。
ルートヴィヒ二世との婚約を破棄されたゾフィーは、エリーザベトに比べて少しぽっちゃりした体形で、エリーザベトほど繊細な感受性を持ち合わせていないことは、写真からも窺われます。
欠地王は兄弟揃ってぶっ飛んでますね
兄は軍事に没頭し、弟は陰謀に没頭した
そのせいか、(兄の方は人気があるけど)兄弟そろって『悪しき王』扱い
弟の方は(兄が放置した)司法・行政を発展しているからそこまで悪くはないはずなんだが、実績がひどすぎた
付け加えると息子もゴミ
しかしその息子(つまりジョン王の孫)は名君と言われるようになるんだからわからない
(しかしそれも晩年はガタが来ていた。おまけに彼の息子ときたら・・・)
こちらの二人は表情豊かでかわいいです
わかるかわいい
13:58 あれ、一番大事な「燃える人の舞踏会事件」はカット?水曜どうでしょうの「なまはげ炎上事件」が最悪の展開になったヤツ。
そのバイエルン王の映画見たですよ。優しい人だったようで。
ボタンインコ指に留めてるシーンに笑えたww
シャルル6世の孫もちょっとアレな人だから血は受け継いでると思う。
ルートヴィッヒがお母さんと弟との食卓の写真で、テーブルに乗ってるのはなんかの茹で野菜入りの大きなザルだけだった。
ロマノフ家も軍隊用ベッドで寝て冷水で行水していたと。寒い国ってストイックね。
ルートヴィッヒ2世は、当時政争に巻き込まれてお尋ね者だったワーグナーを保護して寵愛していました。王の莫大な支援で、最大の代表作・ニーベルングの指環を制作したり、自分の作品専用のバイロイト祝祭劇場を完成させています。
なお、ワーグナーも国王に劣らぬ大の浪費家だったので、バイエルン政府からの評判は最悪だった模様。
ルートヴィヒ二世にしても、ヴァーグナーにしても、芸術のためにはお金を惜しまなかったというだけで、「大の浪費家」という言い方をするのは誤解です。
-
ヴァーグナーは、自身の楽劇の夢の達成には妥協することなくお金を注ぎ込んだでしょうが、確かホーエンシュヴァンガウ城だったと思うのですが、ルートヴィヒ二世がヴァーグナーのために用意した部屋は、小さなスピネットが置かれている慎ましい部屋でした。
ヴァーグナーは、彼の楽劇の舞台になりそうな風光明媚な土地が好きだったようで、チューリヒ、ルツェルン、ヴェネツィアなどにヴァーグナーが住んだ家があり、今は博物館になっていますが、どこも湖水や海の見える眺めの良い立地とはいえ、家そのものは慎ましい普通の家です。
-
バイロイト祝祭劇場も、ザルツブルク祝祭劇場などと比べても、建物そのものは決して豪華ではありません。
どこの席からも舞台がよく見えて、オーケストラの音が客席に直接届かずに、一度舞台上の歌手の声と混じってから客席に届くよう、オーケストラピットは舞台の下にもぐるように造られているなどの拘りはありますが。
ルードヴィッヒ2世がアレな国王だったのは、ドイツ統一に邁進していたプロイセンには天の恵みだったな。
単なる「現実逃避」だ。
因みにルートヴィヒ2世はオーストリア皇后エリザベートの従兄弟だ。
ジョン王のエピソード、半島の領土失って大陸のいざこざに巻き込まれなくなった日本とちょい似てる
ノイシュヴァンシュタイン城は建築開始が1869年、完成が1886年。
日本だと開始明治2年、完成明治19年か。
当時の日本政府が江戸城の天守閣再建や!って言い出したら、狂っているとしか思わないな。
しかも、コンクリート製でなおかつ電信電話電気暖房など当時の最新技術てんこ盛りだったらしい
@@mosurusa
本当ですか?
知らなかった。
しかし結果と言うのは判らないものですね。当時の国民は困ったでしょうけど、現在は観光地ですからね。
国立競技場もザハ案で建築してたら…蛇足でしたね。
ヴァンシュタイン城はどう見ても近代建築
だから皇居や国会議事堂と比べるべきです。
そう考えると当時の日本人もアホみたいに
無駄に豪華贅沢な建築している事が分かる
江戸城天守閣再建に関しては、もうずいぶん前から運動していますよね。
江戸に最初に城を築いた太田道灌の子孫を会長に担いで、東京オリンピックまでに完成させると言っていたのが、資金難や新型コロナウィルスパンデミックでうやむやになっています。
@@mosurusa
厨房から食堂に温かい食事を届けるためのエレベーターまで設置されていますからね。
ただ、そうした最新技術をいち早く取り入れたという点では、ルートヴィヒ二世は進歩的な王だったわけで、ガス燈すら嫌って蝋燭に拘り続けたという保守的なウィーンのフランツ・ヨーゼフ皇帝とは対照的です。
観光で、美しい城のポスターを父が買って来ました。今では、天才観光開発者と改めるべきです。
久々に、ヴィスコンティ監督作品の『ルートヴィヒ』(1972年)を観たくなった。
ジョンがヤバすぎたおかげで今の世界があるってなんだか面白いな
イギリス国王にジョンのつく名前が登場しないのもあの大陸の領土を失うというイギリス史上大失態をしたからか
裕福な人にしかガラス妄想が見られなかったのは、裕福な人しかガラスが身近になかったから…とかどうでしょう
シャルル7世は毒殺を恐れて餓死したと言う逸話もありますけどね
因みにルートビッヒ2世は狂王の名に値しないと思いますね。王様ではあったけど、ちょっとクリエイティブな若者でしかないと思います
そうですね。当時の状況は厳しかったでしょうが後世の観光資源をこさえたわけですから。
美しい城として有名ということは、建築家としてのセンスも光るものはあったんじゃ無いかと思えます。
いつも思うのですが、Jean sans Terre(英語表記では John the Lackland)とは、よくいったものです。
幼少期の厳格な教育方針で成人した時には完全に別の方向に針が振り切ってしまったのね、親自体も賢く品位が有って優雅に成って行くようにと力を入れた結果何だろうけどね~(-_- )
流石はイギリスのもう一方のアイドル・ジョンは 別格だった
ノイシュバンシュタイン城は、ロビーが広かったことしか覚えてないな。
ルードヴィッヒは湖畔で溺死でしたが主治医も一緒になくなっている あのオーストリア皇后エリーザベトとは親友 シャルル6世はお人好しで薔薇戦争では王妃マーガレットが戦っていた 苛烈な王妃です☺️
シャルル7世は暗君じゃなくて普通に名君なのでは……。ジョン欠地王みたいに国内を荒らしたわけじゃないし
シャルル6世は真面目で有能っぽいから向いてる職業に付けてたら良い活躍できたと思う。
個人的には、イギリスやらかし王にエドワード2世を入れて欲しい
ジョンもジョンだけど、こっちもやばいよ
・嫁(フランス王女イザベラ.シャルル4世の妹)に見向きもせず恋人①♂とイチャイチャ (バイだったから世継ぎはいる)
・対スコットランド戦争の最中に恋人①とファッションに夢中→ボロ負けしてスコットランド独立させる
・父親崩御後、アイルランドに追放されていた恋人①を呼び戻す(遺言では追放継続のはずだった)
・恋人①を王族に加えようとした(自分の姪と結婚させて)→嫁と諸侯にキレられて軍を差し向けられる(結局投降)
・恋人①が諸侯に殺されて落ち着くと思いきや、恋人②③♂を作る(②③は親子)
・嫁にまた反乱されるのが怖くてロンドン塔に一時幽閉
・恋人②③が嫁の所領を没収しても怒らない(嫁が直訴しても聞く耳持たず)
・結局嫁にイギリスから逃げられる(世継ぎも連れていかれるし、嫁も不倫する)
・嫁が不倫相手と軍を率いてイギリスに侵攻(途中から諸侯も参加)→逃走するも捕まり、恋人②③は殺される
・自分自身も幽閉され、譲位書に無理矢理サインさせられる
・最期は嫁の放った暗殺者によって殺される(ケツの穴に焼けた鉄の火箸を突っ込まれる)
こうやって見ると、恋愛でやらかしてんね
ご視聴&コメントありがとうございます^ ^
興味深い人物とたくさんのエピソードのご紹介ありがとうございます!
今後チャンネル運営の参考にさせていただきますね!
次は中華皇帝で万歴帝とか徽宗皇帝とかやってほしいです、正直暗君としての桁が違うので
ご視聴&コメントありがとうございます^ ^
興味深い人物のご紹介、リクエストもありがとうございます!
できる限りお応えできるよう運営してまいります!
ジョン王は私の世界史の先生から○ホ呼ばわりされていたから、めっちゃ印象に残っている
ルートヴィヒ二世は親戚のエリザベート皇妃の事が幼い頃から好きだったようです。
ただ、8歳年上のエリザベートがハプスブルク家のフランツ・ヨーゼフ1世と結婚した時に心の支えを失ったと思ったこともメルヘン趣味が加速した理由としても挙げられるそうです。
せめて、エリザベートの似た人と結婚すればと本人は思い、エリザベートの妹のゾフィーと婚約しました。
ただ、やっぱりエリザベートとは違うと分かると
何年も先延ばしにしてきた結婚を無しにして婚約破棄をした事が原因で姉のエリザベートが激怒して一時期連絡を取り合う事も無くなってしまったみたいです。
君主とは違うが、人類最悪はスターリンだろうなぁ
ノイエシュタイン城とバイロイト祝祭劇場でバイエルン王国、ペシャンコ!
そこㇸプロイセンのビスマルクがやって来た!
シャルル6世は長寿した事が唯一の成果
ちなみにバーサーカーで引っ張り出されたヘラクレスくんはそこまでトチ狂ってませんwww
ルートヴィヒってオタクの大先輩やん
勝手出来て 羨ましい
ジ、ジョオオン。最後は赤痢だったんか。知らんかった。最後は、あ〇ると闘いながら逝ったんだな。お似合いといえばお似合いか。
日本だと、道鏡という坊主に入れ込んで宇佐八幡宮神託事件を引き起こした女・称徳天皇や、後継者問題で応仁の乱の原因を作ったにもかかわらず自分の趣味に没頭して放置した男・足利義政なんかが残念な王様に該当するかな。
晩年の小早川秀秋あたりも
個人的には晩年の豊臣秀吉に一票。唐入りのための朝鮮出兵で数多くの犠牲を出しましたが、往年の秀吉なら敵情視察で内部を撹乱させ、その機に乗じて敵方をうまく乗っ取ってきたのに、朝鮮出兵についてはそんな工作した跡がないのがなんとも。
@@kitamomo276朝鮮出兵が失敗した最大の原因は、日本軍の将兵が朝鮮半島の気候(冬の厳しい寒さ)や水に慣れていなかったからだ。
バーサーカーのイラストよwww
私はてっきりZeroの方かと…
日本にも 残念な皇族が秋宮家
それから つぎの天皇が生まれる
日本国陥落はマジか…涙
秋篠宮家。
徽宗とか足利義昭とか
徽宗はともかく、足利義昭は京都から追放されたとはいえ、それなりにまあまあな人生送っているから・・・
むしろ義政のほうが近い気がする