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南海の同僚たちは1985年に全車廃車されたのに、事故廃車の5505がそれより長生きできたのは、譲渡先の都合はもちろん、所沢の匠の技が活かされたおかげでしょうね。
@@クモハユ 間違いないですね。そう考えると数奇な運命を辿った車両だったのかもしれません。
事情があったから4扉に改造した(せざるを得なかった?)とはいえ、4扉の気動車ってこの先出ないでしょうねぇ…
@@meghara0519 4扉が必要な線区は軒並み電化されてますからね。ドア数が多くてもメンテナンスが面倒なだけですからね
当時の(今の基準なら無駄に)重いDMH-17エンジンと変速機を2つも吊り下げていたのに 開口部を2箇所も増やして よく車体が歪まなかったと思います。牽いていたトレーラーは 御殿場直通用気動車と共に関鉄にやって来た 元小田急の電車の制御車クハ1650形で 常総線ではキクハ・キサハとして活躍していました。
@@toriri-service そこは私も疑問です。おそらく骨組みに強化改造を施したと予想しますが…小田急クハ1650も所沢の匠によって改造されましたから、当時の関東鉄道は改造車大国でしたね!
横から失礼します。キハ755の増設扉はステップレスの台枠上に開口された両開ドアなので台枠には影響しなかったのではないかと思います。
所沢工場はこれだけの技術がありながらなんで排気管の配置変更ができなかったのか・・・・・
@@shinpeikitajima7115 車体構造的に大規模な改造すぎて予算的に厳しかったのかもしれませんね
関東鉄道キクハ1型 キサハ65型 キハ610型を投稿してもらいたいです
南海ホークスが、田辺キャンプに行くのに急行きのくに使ってたなあ。
関東鉄道キハ755形の存在感は並外れでありました😮落成当時、同等形車両のキハ310形、キハ900形、キハ0形との編成組みからこの系列に限りエンジンは1基搭載、車体は3ドア仕様に比較してエンジンは2基搭載、車体は4ドア仕様と歴史的に類を見ない風格の表れになっていました😲😅最初からの周知は専門雑誌[鉄道ジャーナル]1987年5月号の関東鉄道特集を読んで分かりました🤗
@@友田幸次 当時も存在感は大きかったのですね!今振り返ってもかなり特徴的な車両ですからね笑
これ、乗った事あるぞ。たしか和歌山駅で前4両は天王寺、後2両は和歌山→和歌山市まで行き南海本線に入って難波駅行きになったはず。たしか途中は堺駅しか停車しなかったかな?難波駅には夜8時頃だったか。なにしろ約50年ほど前の事。
@@楠本美久 これは貴重な経験をなさっていますね!!あくまでこの車両がキハ55と共通設計なのは天王寺行きの国鉄キハ55と連結するためでしたからね。停車駅について詳しくは存じ上げませんがそんな速達便があったのですね
常総線もラッシュ時の混雑が激化した時代だった。4ドアは重宝されたのでは
@@買うたこうた 通勤ラッシュ時にはかなり重宝されたでしょうけども、いかんせん乗車位置が線内で1両だけ違うとなれば混乱は避けられない訳で…
1989年と言うとキハ755、751~754の2エンジン車はキハ350系に追い出されたようですね、こちらは元々通勤者なので勝ち目はないですね。
@@N--jv3go 流石に過去の失敗を鑑みてより実態に合った車両を導入したのでしょうね
常総線は小田急からもキハ5000気動車の譲渡受けてますが、こちらは中央に扉設置できたようですね。
@@zennygon エンジン排気口の位置の調整があちらの場合うまく行ってたのでね…この車は非常に設計が特殊だったためにこうなったのでしょうね
但しあちらは 外吊り扉での増設だったから 見た目が少々不細工ではありました。その辺りは日車と西武所沢との違いですかね。
@@toriri-service 西武は外吊りドアの車両を作らなかったあたり、技術がなかったのでは?
0:57厳密にいえば「難波より『和歌山市』」であって、和歌山市〜和歌山間は既に国鉄の管轄でした。
@@山田貴之-x4j そうだったのですね。これは大変失礼いたしました。ご指摘ありがとうございます
まあ所沢だからなあ…
せめて見た目がアンバランスになるが排気管避けてドア設置するて言うのは検討されなかったんだろうか?若しくは排気管ずらすとか。この場合、改造コストが増すのか・・・。両端のドアまで手付けていたら(両開きにしてしまう)と魔改造度が増しますね。
@@特務らいてい部隊司令伊藤 多分そんな改造してたら新車買った方が安いですし、エンジン2基搭載である以上、下手に改造すると強度が低下するのではないかと思います。
キハ35が入る前の関鉄常総線では中央扉だけ両開きにしたり、2扉車を3扉車に改造した車がウヨウヨいたのであまり目立たなかったと思います。ドアの数は同じでも位置がずれてるなんてのは普通にありました。キハ800と500は最後まで2扉でした。
何故に改造車両は扉の有った下の出っ張りをカットする事無く、そのまま出っ張りを残す??みっともないと感じるが??
車内側はきれいに埋められているが外側はそのままステップ部分が残っているため、と考察する。
@@んにょんにょ礼子 見解を先に述べている方と同じく完全に改造するとコストがかかるので、とりあえずステップだけ埋めるんですよ。わざわざ新造せずに改造するということはコストをカットしたい訳で
サンパチくん「ああ、みっともないな。」食パン電車「んだんだ。」
車体強度の関係かも、キハ350(キハ35)系も社内だけステップを埋めて外見はそのままでした。キハ07ベースのキハ610系は裾を一直線に整形してありましたけど。
@@superkamoi 関鉄とかし鉄のキハ07も前面を折り妻に改造されています。
TNOKwww
@@埠頭半田 あれ結構便利な素材です笑
鉄コレでモデル化しないかな~
トミックスで既に製品化されています。
鉄コレでは出ていませんが1/60ではフェニックス模型からボディキットが出ていました、他の関鉄車両も出ていたんですがフェニックスは廃業済みで、後継のフジモデル(KSモデル)でも再生産は行なわれないでしょう。
南海の同僚たちは1985年に全車廃車されたのに、事故廃車の5505がそれより長生きできたのは、譲渡先の都合はもちろん、所沢の匠の技が活かされたおかげでしょうね。
@@クモハユ 間違いないですね。そう考えると数奇な運命を辿った車両だったのかもしれません。
事情があったから4扉に改造した(せざるを得なかった?)
とはいえ、4扉の気動車ってこの先出ないでしょうねぇ…
@@meghara0519 4扉が必要な線区は軒並み電化されてますからね。ドア数が多くてもメンテナンスが面倒なだけですからね
当時の(今の基準なら無駄に)重いDMH-17エンジンと変速機を2つも吊り下げていたのに 開口部を2箇所も増やして よく車体が歪まなかったと思います。
牽いていたトレーラーは 御殿場直通用気動車と共に関鉄にやって来た 元小田急の電車の制御車クハ1650形で 常総線ではキクハ・キサハとして活躍していました。
@@toriri-service そこは私も疑問です。おそらく骨組みに強化改造を施したと予想しますが…
小田急クハ1650も所沢の匠によって改造されましたから、当時の関東鉄道は改造車大国でしたね!
横から失礼します。
キハ755の増設扉はステップレスの台枠上に開口された両開ドアなので台枠には影響しなかったのではないかと思います。
所沢工場はこれだけの技術がありながらなんで排気管の配置変更ができなかったのか・・・・・
@@shinpeikitajima7115 車体構造的に大規模な改造すぎて予算的に厳しかったのかもしれませんね
関東鉄道キクハ1型 キサハ65型 キハ610型を投稿してもらいたいです
南海ホークスが、田辺キャンプに行くのに急行きのくに使ってたなあ。
関東鉄道キハ755形の存在感は並外れでありました😮落成当時、同等形車両のキハ310形、キハ900形、キハ0形との編成組みからこの系列に限りエンジンは1基搭載、車体は3ドア仕様に比較してエンジンは2基搭載、車体は4ドア仕様と歴史的に類を見ない風格の表れになっていました😲😅最初からの周知は専門雑誌[鉄道ジャーナル]1987年5月号の関東鉄道特集を読んで分かりました🤗
@@友田幸次 当時も存在感は大きかったのですね!今振り返ってもかなり特徴的な車両ですからね笑
これ、乗った事あるぞ。たしか和歌山駅で前4両は天王寺、後2両は和歌山→和歌山市まで行き南海本線に入って難波駅行きになったはず。たしか途中は堺駅しか停車しなかったかな?難波駅には夜8時頃だったか。なにしろ約50年ほど前の事。
@@楠本美久 これは貴重な経験をなさっていますね!!
あくまでこの車両がキハ55と共通設計なのは天王寺行きの国鉄キハ55と連結するためでしたからね。停車駅について詳しくは存じ上げませんがそんな速達便があったのですね
常総線もラッシュ時の混雑が激化した時代だった。4ドアは重宝されたのでは
@@買うたこうた 通勤ラッシュ時にはかなり重宝されたでしょうけども、いかんせん乗車位置が線内で1両だけ違うとなれば混乱は避けられない訳で…
1989年と言うとキハ755、751~754の2エンジン車はキハ350系に追い出されたようですね、こちらは元々通勤者なので勝ち目はないですね。
@@N--jv3go 流石に過去の失敗を鑑みてより実態に合った車両を導入したのでしょうね
常総線は小田急からもキハ5000気動車の譲渡受けてますが、こちらは中央に扉設置できたようですね。
@@zennygon エンジン排気口の位置の調整があちらの場合うまく行ってたのでね…この車は非常に設計が特殊だったためにこうなったのでしょうね
但しあちらは 外吊り扉での増設だったから 見た目が少々不細工ではありました。その辺りは日車と西武所沢との違いですかね。
@@toriri-service 西武は外吊りドアの車両を作らなかったあたり、技術がなかったのでは?
0:57厳密にいえば「難波より『和歌山市』」であって、和歌山市〜和歌山間は既に国鉄の管轄でした。
@@山田貴之-x4j そうだったのですね。これは大変失礼いたしました。ご指摘ありがとうございます
まあ所沢だからなあ…
せめて見た目がアンバランスになるが排気管避けてドア設置するて言うのは検討されなかったんだろうか?若しくは排気管ずらすとか。この場合、改造コストが増すのか・・・。両端のドアまで手付けていたら(両開きにしてしまう)と魔改造度が増しますね。
@@特務らいてい部隊司令伊藤 多分そんな改造してたら新車買った方が安いですし、エンジン2基搭載である以上、下手に改造すると強度が低下するのではないかと思います。
キハ35が入る前の関鉄常総線では中央扉だけ両開きにしたり、2扉車を3扉車に改造した車がウヨウヨいたのであまり目立たなかったと思います。ドアの数は同じでも位置がずれてるなんてのは普通にありました。キハ800と500は最後まで2扉でした。
何故に改造車両は扉の有った下の出っ張りをカットする事無く、そのまま出っ張りを残す??
みっともないと感じるが??
車内側はきれいに埋められているが外側はそのままステップ部分が残っているため、と考察する。
@@んにょんにょ礼子 見解を先に述べている方と同じく完全に改造するとコストがかかるので、とりあえずステップだけ埋めるんですよ。わざわざ新造せずに改造するということはコストをカットしたい訳で
サンパチくん「ああ、みっともないな。」食パン電車「んだんだ。」
車体強度の関係かも、キハ350(キハ35)系も社内だけステップを埋めて外見はそのままでした。キハ07ベースのキハ610系は裾を一直線に整形してありましたけど。
@@superkamoi 関鉄とかし鉄のキハ07も前面を折り妻に改造されています。
TNOKwww
@@埠頭半田 あれ結構便利な素材です笑
鉄コレでモデル化しないかな~
トミックスで既に製品化されています。
鉄コレでは出ていませんが1/60ではフェニックス模型からボディキットが出ていました、他の関鉄車両も出ていたんですがフェニックスは廃業済みで、後継のフジモデル(KSモデル)でも再生産は行なわれないでしょう。