This is so much like rural North America. The railroad is abandoned and the small towns die. There are fewer farmers to grow the crops, and they have to travel farther by car to get supplies. Also, they have to use heavier trucks to get crops and livestock to market. The U.S. too is struggling with an aging population and a shift to the urban centers.
15:12 В районе железнодорожной станции " Юбецу Тандзан" располагаются заброшенные здания Из за чего покинули поселение, расположенные вблизи железнодорожной станции
Поскольку уПоскольку угольные шахты закрылись и работать стало негде, люди покинули неудобный район, и этот район стал ничейной землей.гольные шахты закрылись и работать стало негде, люди покинули неудобный район, и этот район стал ничейной землей.
動画ありがとうございます。
動画内にあった今は撤去された橋の向かい側の住宅で生まれたものです。
閉山後何度か訪れていますが、急速に朽ちてゆく街を見るたびに悲しくなります。
町並み同様、私も歳を取って最近は何年も行けていませんが、自分で動けるうちにもう一度訪れてみたいものです、、、
心霊スポット云々と面白おかしく取り上げられるのは悲しいことです。
雄別のご出身でしたか。
雄別が賑やかだった頃と比べると、今の姿は寂しいですね…
私の中で雄別は心霊スポットでは無く産業遺産ですね…
当時の写真とか残っていませんか?
ヒロリンさんにデジタル送付して動画に入れてもらう事は出来ませんか?
過去の写真とともに記憶も歴史も失われてしまうのは、あまりにも惜しいことです。
雄別を去る時幾人かの方が雄別に本籍を残したまま去って行かれているようです。旧阿寒町が釧路市と合併する作業の中で判ったそうです。だから雄別は書類上は無人ではないのです。
実は私の叔母夫婦が雄別炭鉱に勤務しておりましたが、叔父は数年前に死去叔母もだんだん体が効かなくなって来ています。従姉妹は、雄別は見たくもないのだそうで。廃墟と成った故郷を見たくないのでしょうね。自分は3、4歳の頃弟妹が入院するたびに、湯別の叔母一家に厄介になっていました。炭山駅に叔母に迎えに来て貰って一人で雄鉄昭和駅から乗り込むのです。炭住の詳しい位置もは忘れましたが、シタカラ川沿いに叔母と2人で歩いて向かった記憶があります。しかしてご近所さんだったかもしれませんね
幼稚園の頃親が離婚した時期があり大牟田に住んでた近くには三池炭鉱がありました。随分前に閉山しましたが時々車🚗で行きますけど多少面影はあります。
このチャンネルを知って、北海道には役目を終えてしまい消えゆく街が本当に多いんだなって知りました、滅びの美学さえ感じます。
滅びの美学ですか…
その土地の歴史を知るとロマンすら感じます…
都市部に住んでいると何かがなくなっても即座に新しいものに置き換わる、常に隙間のない空間に暮らしていると、何かが滅んでいく様を見ることがないので実に新鮮で興味深く、拝見させて頂いております。
時の流れでかつて黒いダイヤと呼ばれた石炭や炭鉱など産業が廃れた影響がとても大きいですね。
一極集中と緊縮財政の失政により衰退した国家は、醜はあれども美はございません。国土計画を再考すべきでしょう。
いずれ夕張などの産炭地だったところも、今後こうなる運命なのかもしれませんね…。
北海道を開拓された先人たちも、まさか100年ほどでここまで衰退してしまうとは想像していなかったでしょうね。
消えてしまった街の一つひとつに、たくさんの人たちの思い出がつまっていると思いながら視聴させていただいています。
たくさんの人たちが暮らした街ですからね…
原子力に頼らないでも国内で回せば廃線にならずにすんだかも、トランプ次第はまた石炭が光を浴びそう
@@カニエウェスト-s7f ただ、海外は露天掘りで石炭が掘れるけど、北海道は地下200~500mの深いところまで下りないと掘れないので、コスト面で海外産の石炭には敵わないです。
実は、釧路市には坂本龍馬の子孫にあたる、郷士坂本家7代当主となる坂本弥太郎が、材木を商う仕事をしていました。保kk指導の原野から切り出した気を鉄道の枕木に加工して北米に輸出していたようです。坂本家の跡は、現在釧路市には残っておりません。(火事で焼けてしまった坂本家はその後札幌に移転したそうです。但し弥太郎の3男直行氏は、g北大を卒業後広尾に鵜入植し後に草木画家として有名になりました。中札内に直行氏の作品を展示する美術館があります。)その割と近くに田中よしたけの花畑牧場が有ったりします。
坂本龍馬の遺品のうち何転嫁は釧路に住んでいた時に火事で焼失したそうです。残った遺品は昭和6 年「京都国立博物館」に寄贈されました。姉に宛てた、「「日本を今一度せんたくいたし申候」の手紙もその中に有ったそうです。なお、釧路に有った坂本家は現在の釧路市役所のすぐそばの黒金町6丁目1番あたりに有ったと言われて居ます。
地元歴史資料館が、ひろりんさんの先を越す事をやっていたんですね。
ここまで熱心に思ってくれてるのは珍しいですね。
圧巻の展示資料でした…
@@hiroring0323
実は資料館はもう一つあります。布伏内からR274を抜けてr240に入ったところで右折してしばらく阿寒本町方面に走ると、右側に阿寒ランドという温泉施設が有りますが、この裏手にキャンプ場と、雄別資料館雄鶴が有ります。ここにも炭鉱と鉄道関連の史料が置かれています。ただ、ここは平日や冬期間は閉鎖されているので注意が必要です。
@@山田太郎-g7x9j
そちらの資料館も行きました!
@@hiroring0323
失礼しました。
雄鶴にあるc11-65は、元々阿寒町本町の
「阿寒町郷土資料館に有った物をここに移動させたものだそうです。
1935年製造で翌36年に脱線事故を起こして居たそうです。
1961/12に国鉄からお払い箱(廃車)になり、、雄別鉄道に譲渡でやって来た機体だそうです。
以前の動画で雄別炭山駅については詳しく探索紹介をされていましたが、今回紹介されている
コミュニティセンターが凄いですね あんなロケーションに置いておくのは惜しいくらい凄い
資料がありそうで是非一度行きたいところです
しかし、丁度市街を挟んで反対側には唯一国内で稼働している掘削型炭鉱のコールマインが
あるのに、急激な経営悪化で突如閉山された雄別炭鉱がまさに消えたマチとなっているのは
対照的ですね
コールマインの経営は悪く無いみたいなので、現在の日本の閉鎖炭鉱も初期投資が見合えば
再開もという淡い期待がありますが、まあ恐らくは無理でしょうね…
ありがとうございます!
コミュニティセンターの資料館は凄かったですね。何時間でも居られそうでしたが、知人が交渉して休館日に特別に開けてもらったので、2時間があっという間でした。
雄別炭鉱の最期は残念でしたね…
いつも貴重な映像ありがとうございます。ここまで凄いオッフな光景、賑わっていた頃を想像すると込み上げてくるものがありますね。
そうですね…
賑わっていた頃や歴史を知ったうえで訪れると、込み上げてくるものがあります…
This is so much like rural North America. The railroad is abandoned and the small towns die. There are fewer farmers to grow the crops, and they have to travel farther by car to get supplies. Also, they have to use heavier trucks to get crops and livestock to market. The U.S. too is struggling with an aging population and a shift to the urban centers.
@@davidbudka1298
There are similar places in North America...
今回のビフォーアフターおっふは特に切ないですね。
空からでは街の区画も全く判別できないほど緑に飲み込まれてる…
歴史を知ったうえで訪れると切ないです…
通洞上のプレートに彫られていたであろうマークは、おそらく三菱スリーダイヤだと思います。
雄別炭礦は三菱系の炭礦でしたので。
雄別炭鉱は三菱系でしたね…
@@hiroring0323さんへ
今日は。今し方私はウィキペディアにアクセスし雄別炭鉱の概要を見た所、この炭鉱は(雄別鉄道が開業した翌年に当たる)1924年三菱鉱業(現・マテリアル)に買収された事が判り確認が取れたのでお報せします。因みにこの炭鉱は1964年に最多の出炭量を記録するも1969年のガス爆発事故を機に出炭が中止され翌年閉山に至ったそうです。当時の国策のエネルギー近代化にも振り回された感が有り閉山後直ぐ(山間の立地絡みからも)無住と化した雄別の一帯から、諸行無常の様を私も見た思いです。ひろりんさんも、極端な寒暖差等変わり易い天候や健康管理に注意し過ごされますように。
記・2月26日の午後12時台
元々山や森、原野しかなかった土地です。産業が消えれば街も消えるのは必定ですが、
石炭産業に関してはその落差があまりにも大きいために、「消えたマチ」がより際立つ感じになるのですよね。
地域の中核都市である釧路も、かつての主力だった遠洋漁業が思うようにできなくなり、製紙工場も撤退。何に活路を見出すか、そこから延びるJR線を含めて試練の時が続きます。
そうですね…
かつての大都会 釧路も今は厳しいようですね…
釧路はかつて北海道第4の都市だったのに今は帯広に抜かれ、苫小牧に抜かれ…
人口も16万を切りました。
釧路に限らず小樽や北見、稚内、留萌もそうですが、街を滅亡させたくなければ何か手を打たないといけない時期に来ています。
太陽光パネルに「嫌な物」と言ってくれてありがとう。心が通じた😊
👍️
お疲れ様です、配信ありがとうございます
ほんと、これは凄い・・・
自然の力、恐るべしです
そうですね…
遺構はほぼ自然に還り、人口が減り続ける街で資料館を永劫維持していくことはきっと厳しいと思います。そこにかつて街と路線があったこと自体が忘れ去られてしまうのもそう遠くない未来なのではないかと思うと、何とも切ない気持ちになってしまいますね…
今回の撮影も大変お疲れ様でした。
歴史資料館は見ごたえがありそうですね。かつては栄えた街も今は無住地帯ですか・・・寂しいですね。
見応えのある資料館でした。
コミュニティセンターの資料素晴らしいですね。今昔写真を展示してくれてるとは。いつか行ってみたいです。
素晴らしい展示でした…
私が昭和51年(1976年)大学の夏休みに1か月かけて青春18キップで北海道を1周する以前にも廃線があったんですね。当時乗った路線も現代では廃止で寂しくなってしまいました。
北海道の路線は随分減ってしまいましたね…
拝見させていただきました
「雄別炭山駅」圧巻でしたね
資料館も収集品が一級品ですね
当時この街で生活されていた方々の幸せを強く祈っております
今回もありがとうございました
👍
雄別炭山駅、過去紹介された中で最大の原野還りな感じがする。自然の復元力すごいな
そうですね…
資料館は立派ですね。凄く愛情を持って収集・保存・展示されてて胸熱です。
無常をひしひしと感じました。自分もそのうちに忘れられて…。
資料館の展示は素晴らしかったですね…
元に戻るだけ、人間が勝手に開拓して勝手に止めて自然に帰るだけ
ひろりんさんへ
今晩は。全編通して拝見しました。雄別炭鉱と鉄道の遺構を訪ねられた時の模様を(主要な駅の周辺を写真で1970年・1977年・今と3回比較されるという工夫も有り)掘り下げて紹介されているなと、私は好感を抱きました。布伏内コミュニティーセンターにその炭鉱所以の品々が収蔵されている事があなたにとり当所を探索され甲斐が有ったのではと理解しました。街は消えてもコミュニティーの場で見覚えが有る雄別炭山駅のホームと近くのボイラーの細い煙突や転車台・朽ちた購買部の建物・あの炭鉱病院等が生き証人の如く遺っていた事に私も安堵を覚えました。たとえ釧路から美幌まで鉄路が結ばれても如何せん何かの産業が廃れれば過疎を招くのは必然だと改めて肯きましたね。ひろりんさん、今回のルポルタージュ本当にお疲れ様でした。あなたも健康管理に注意し過ごされますように。
記・2月25日の20時台
ありがとうございます👍
初めて拝見しました。廃墟の跡がほとんどないことに驚きました。自然の力でここまで残材がなくなることはないと思います。地域の影の苦労が偲ばれます。ありがとうございました。
当時は解体した家屋の木材がいい値段で売れたようで、木造の建物は全て解体したようです。
解体しても費用がかかるだけのコンクリートの建造物はそのまま放置され…
素晴らしい景色貴重な歴史記録で感無量・・・やったね
圧巻の映像でした。閉山50年余りで、街が廃墟を通り越して、遺跡のようになってますね…
もうこれは遺跡ですよね…
夏になって北海道へ行ったら雄別の記憶 歴史資料室に行ってみます 紹介ありがとうございます😊
なにせ避暑に行くだけだから時間だけはタツプリとあり暇ですから立ち寄ってみたいポイントが増えました
昔は阿寒の街って阿寒湖の周辺だと思っていた頃があったが本来の阿寒の町の場所は違うんだと気が付いのは20世紀の頃で道内 をバイクツーリングで走り回っていた頃だ
阿寒町は阿寒湖よりだいぶ南にありましたね…
資料館は平日しか開いていないので、訪問の際はご注意を。
駅が消えても町が変わらず残ってる中標津ってすごいんだな
人口は減っているものの中標津町は根室市の人口を越えそうですからね…
空港があるのが強いのかもですね。
地理と近代史。
ええ歳こいたオッさんになってから、廃線やローカル線が好きになったのはかつては栄えていた街が残念ながら衰退していくのも、これも日本の歴史の一部なんだなと、勉強させて頂いております。
素晴らしい動画をありがとうございました。
近代の産業を支えた歴史の一部なんですよね…
今後とも視聴させていただきます。何卒よろしくお願いいたします。
@@さむざむ-m2c
宜しくお願いいたします。
行った事も、通った事も無い場所だけど、何故か😢沢山の人が、普通に暮らしてたんだよね、ひろりんちゃん😊いつも有り難う!
👍
資料館は圧巻ですね。収集よりも維持管理の方が大変でしょうが、熱意に感服しました。
炭鉱の街って閉山後はあそこまで何にも残らなくなるんですね…。
北海道で不便な立地の炭鉱街は、こうなってしまいますね…
雄別炭山駅跡の僅かな基礎と轍が確かに人の出入りが多かったことを感じさせてくれますね…
確かにここには街がありました…
いつも以上に圧倒される映像です。雄別という一つの世界が繁栄の末、夢幻の如く消え去っていく。歴史資料館も圧巻です!…ちなみにやはり羆さんの世に還ってしまっていますね🐻
雄別は別格でしたね…
国の発展ってなんなんだろうって思うわ
東京さえ豊かに便利になればそれでいいのかな
そうですね…
炭山駅周辺における街の建物を解体している様子は、さながら街終いといったところでしょうか。
それでも風化を待つのみとなった廃設備から、「確かにここには街があったのだ」と、いつまでも残る跡に儚さの中の強さを感じました。
素晴らしい動画。貴方自身も貴重な資料を残してますよ。時間とお金を使っての作成は、頭が下がります。見ていて、栄枯盛衰を感じます。原野に帰る、人間もいつか土に帰る。
ありがとうございます。
雄鉄の動画、ありがとうございました!
自然回帰が進んでいますが、そこで働き暮らした人々の想いは今でも尽きないでしょうね。
炭山駅のホームと転車台... まだ語り部がいるうちに訪れたいと思います。
👍
10年以上前、会社に子供の頃に雄別に住んでいたという人がいました。
鉄道もあって賑わっていた街だったが、親が働いていた炭鉱の閉山を期に神奈川に移って来たと話していましたね。
閉山後は炭鉱で働いていた人の半数以上は道外へ転居したようですね。
記録に残す事は大事ですね😊
大事ですね…
いい勉強になりました。
👍️
・・・、おっふ、行きますけど
フルセットでしたね。
定点撮影の記録が残るのは、確かに素晴らしい記録だと感じます。
👍
素晴らしい記録ですね。
ひろりんさん
こんばんは♪
雄別鉄道、雄別炭鉱の動画を見せて頂きました😉
自分が昨年行ったところなので、凄くリアルに感じる事ができました!
そして自分の探索の甘さを痛感してしまいました😢
近い内にリベンジして動画にしたいと思います!🎥
ありがとうございました😊
こんばんは。
花さんも雄別に行かれていましたね。
リベンジ期待していますが、奴には気を付けてください🐻
@@hiroring0323
確かにあそこは危険ですね⚠️🐻😱
ひろりんさんも🐻お気をつけて下さいませ!
P.S:ちょっとチャレンジングな動画作ってみました!お暇な時にでも!😉
@@hanahana-haisen-channel
👍
古潭駅跡周辺は、郵便局も現役のようなので、まだいくらか住民も残っているみたいですね。
一方、雄別炭山駅跡のほうは…、衝撃が大きすぎる…。
古潭駅跡周辺はまだ住んでいる方がいらっしゃいますが、雄別炭山駅跡周辺はもう完全に無人地帯ですからね…
ここも数10年前に訪れましたが、独りですと怖かった思い出です。歴史資料館は知りませんでした。近い内に行ってみます。ありがとうございました。
久し振りのスーパーおっふ!
雄別炭山駅周辺のおっふ度が凄いですね。古代遺跡レベルです。
オッフ…
かつて賑わった場所は、人間が消え去るとあっという間に
廃墟となり、もとの大自然に戻るのですね・・・。当たり前の事とは
いえ、改めて世の中の無常を感じるすばらしい動画でした。
ありがとうございました。
夏草や 兵どもが 夢のあと
👍️
雄別鉄道の気動車は車齢が浅くてまだ使用可能なので茨城県の関東鉄道が購入し5両が筑波鉄道線と1両を常総線で使用しましたが現在は全て引退しています、筑波線は路線も廃止されました、常総線に行った1両は雄別では1年くらいしか走っていないので廃止は急だったんでしょうね。この他茨城県では鹿島鉄道の夕張+芦別の車両、ひたちなか海浜鉄道には留萌の車両と北海道の炭鉱を走った車両が地域の足となって利用されました。東武鉄道が運行しているC11-123(雄別でのC11-1)は元雄別の復活車両です。
貴重な情報、ありがとうございます😊
北海道の苫小牧から茨城の大洗までフェリーが通ってる関係で、茨城で活躍する機会があったのでしょうね。
C11は1957/11/15に雄別入りし、1970年からは釧路で活躍、1975年に廃車後43年間静態保存されてたとか。雄別時代を知る唯一の車輛って凄い・・・!
廃止後も釧路駅の地下跨線橋に長らく「雄別鉄道線 山花 阿寒 雄別炭山方面」の乗換案内が残っていたのも特徴ですね。
見てみたかったですね…
あの地下道に入ってみたいです…
ここまで原野に還ってしまうとは…
大自然の力には人間など敵わないですね😢
自然の力の前には人間など…
「雄別炭山駅」跡の「おっふ」ぶりは凄まじいものがありますね!嘗ては大きな街があったのに、完全に原野に還っているのだから、何も言えませんね😭
かつて1万5千人が暮らした街ですからね…
雄別鉄道。懐かしいですね。
👍
炭鉱しか無い街で炭鉱が閉山してしまったら、街が消滅するのは仕方ないですねえ。
多分炭鉱街としたら北海道内トップの夕張ですら、今は悲惨としか言えない状態ですし。
そうですね…
うちの親戚も、ここら辺に住んでいて、炭鉱がなくなったため、釧路から愛知県へ移住しました
そうでしたか…
資料館には閉山後の再就職先の資料もありましたね…
釧美線が進めば
接続してたかもな路線でしたが
雄別炭鉱が閉山してしまったら
廃線になってしまうのは
仕方がないですネ😅
釧美線と接続する計画もありましたね…
大変興味深く拝見させて頂きました
炭鉱だけでなく鉱山跡は落差が大きいですね
私の住んでいる市にも廃坑があります
小学生の頃遠足で鉱山へ見学に行きました
軽便鉄道も通っていました
鉱山からの買い物客で市内は賑わっていました
現在は無人では無いにしろ昔の面影は在りません
炭鉱だけでなく鉱山跡も似たような場所が多いですね…
素敵な動画をありがとうございます。
「鉄道廃止から50年でこの有様とは…」という驚きの感情と「50年経って無住地帯なら、そうなるよな…」という無常観が入り混じり、脳がバグりますね…。
09:32の場所を訪れて「ここがかつての駅前通りでした」と言われても、100人中全員が「嘘言うな」と思います。
この駅前通りに、たくさんの商店が並んでいたとは思えないですよね…
あの資料館は三沢さんという個人が資料収集から管理運営までされてるとか。
三沢さんに色々とお話を伺いました。
かつては古潭駅前で三沢商店を営んでいたようです。
公的な援助があると良いですね
今や雄別といえば心スポの名所という感じですがかつてここに住んで故郷と思っている方々は今の雄別の現状をどう思われているのでしょう😢
雄別に限らず消滅してしまった街に住んでいた方々の事を思うと込み上げてくるものがあります🥺
そうですね…
たくさんの人が暮らしていた街ですから…
実は、あの病院は病院としてはほとんど使われていない建物なのであそこに怨霊など居るワケが無いのですが。
実は病院はもう少し布伏内寄りの場所に有りました。所が昭和43年の冬に火事で焼けました。炭鉱会社はすぐさま今の場所に当時の最新鋭のデザインの病院を建設しました。なので1年そこそこも使われていないのです。火事の時は、すぐそばの坑口浴場でのんびり湯に漬かっていたら、いきなり、消防団がどかどかと入ってきて、浴槽にポンプ車のホ-スがぶち込まれ、風呂の湯があっという間に空に成って仕舞ったそうです。(冬なので)防火槽や沢の水が凍って使えなかったみたい。
この先釧網本線か花咲線が廃止にならないことを祈る。
そうですね…
転車台が残っているのは資料的に嬉しくなりますね・・・日曹炭鉱のより大きい感じがします。道北より
日曹炭鉱も行きたいですね…
炭鉱と運命を共にした鉄道路線でしょうか、年月が長いせいか、凄い事になっていますね。現在と昔の写真を見るたび、驚いてしまいます。
炭鉱開発以前は林業も行っていたようですが、炭鉱の閉山とともに街も鉄道も消えてしまいました…
15:12 В районе железнодорожной станции " Юбецу Тандзан" располагаются заброшенные здания
Из за чего покинули поселение, расположенные вблизи железнодорожной станции
Поскольку уПоскольку угольные шахты закрылись и работать стало негде, люди покинули неудобный район, и этот район стал ничейной землей.гольные шахты закрылись и работать стало негде, люди покинули неудобный район, и этот район стал ничейной землей.
雄別炭鉱跡、私も行きました。このシリーズずっと見ていますが、今回は別格。
現在は心霊スポットとして有名になってしまいました。私はそういう物は信じていませんが、ここの歴史を聞くと、心霊スポットになって当然という気になる悲しい場所でもあります。
雄別は別格ですね…
いつもありがとうございます!北海道の経済の現実が浮き彫りになって現状の厳しさを痛感した出来事ですね…😢
そうですね…
ここの資料館、書架があってまるで図書館の様に見えました。
北海道や筑豊、黒いダイヤの衰退は痛手でしたね。
雄別炭山.. 未だかつてない オッフ... 😥 8:54
でも、行きますけど。 14:56 ありがとうございました。
この資料館は展示資料も凄かったですが、蔵書も充実していました。
雄別炭鉱は閉山の経緯も残念でしたからね…
消えゆく雄別…
ですね、こみ上げてくるものがありますね…😢
土地の歴史を知ったうえで訪れると、込み上げてくるものがあります…
はなぽんさんへ
久方振りにあなたのコメントを興味深く拝読しました。はなぽんさんがこの雄別であれ炭鉱や鉱山が街と共に栄枯盛衰の歴史を辿ったのかと御承知でも内心は余りに儚く思えて絶句されたんだなと、推察し理解しました。私は土管の様な細い煙突から雄別と判りましたが、敷地や遺構が森林地帯と化すのかと思うと遣り切れないです。はなぽんさんも、お元気で。
2024.5.17
16:58~真ん中には三菱のマ-クがありました。雄別通洞は三菱鉱業によって建設された物ですから。戦後に財閥解体で独立したのです。雄別の山の中には多くの坑口が有ります。それでは効率が良くないので昭和の初めごろに石炭の出荷や人車の侵入を一か所に絞る為に通洞が建設されたわけです。ちなみに、雄別鉄道の起点は、国鉄釧路駅でも雄別炭山駅でもありません。役所の許認可の書類には大詳内と書かれています。実は雄別炭鉱の発祥はその大詳内が最初に開発された場所です。そこの選炭場より炭山駅に迄線路が伸びていました。多分、資料館にも大詳内の事が書いてあったと思います。なお、大詳内選炭場については後はほぼ残って居ません。シュンク゚シタカラ川を渡った向こうに坑口が3つぐらい空いているだけです。但し、その辺りはヒグマが出るのでマジモノのデンジャ-ゾ-ンですよ。なお、大詳内の所の川底に一面石炭が露出しています。なおそこの石炭を採取すると盗掘です。実はまだ住友鉱業の鉱業権が生きているのだそうです。なお、R240から道々667号に入って湧別の廃墟に入るところに橋が有りますが、その橋のすぐ前に浴場の跡があり、その傍に金属の台のようなものが放置されていますが、これは大詳内線の物だそうです。その先の林道は大詳内線の軌道跡を利用して造られております。少し行くと赤煉瓦の眼鏡橋が有りますが、これも大詳内線建設時に造られた物です。大昔(多分雄別通洞の完成前にはここを国鉄から払い下げられた独コッペル社製の豆機関車が大詳内選炭場から、走っていたようです。)
雄別は例のあれが怖くて、絶叫スーパーおっふ〜🐻ですね。
例のあれですか…👻🐻👻🐻👻
@@hiroring0323 ですよね。なければ、素晴らしい廃シリーズでファン心をくすぐるのがあるんですねどね。お祓いすら出来ない場所がらですからね。
ひろりん、関川真智子さんへ
お早うございます。あなた方のコメントを興味深く拝読しました。私も昨夜この動画を見通し、雄別炭鉱の遺構が山奥の立地だなと察してその朽ちた病院が心霊スポットに該当するなと漸くながら勘付きました。雄別通洞と記された石の銘板の「三角形の穴」は他の視聴者のコメントから三菱(雄別炭鉱がその系列だった証ですね)のマークの刻印された痕と見ていいでしょう。時節柄変わり易い天候や健康管理に注意し過ごされますように。
記・2月26日の午前5時台
@@真智子関川関川さんへ
今晩は。久方振りにあなたのコメントを拝読しました。雄別炭鉱の概要をウィキペディアで調べたら、1919年に操業を始め1964年に最多の出炭量を記録も1969年に茂尻の坑口で爆発事故が起き1970年に3つの炭鉱全てが閉山し解雇された3737人は他の道内の奥地や関東地方等に移った事が判りました。ここで私は視聴者の中でアルゼンチン在住(スペイン語使用)と韓国在住の人(初のハングル使用)に返信を送りました。関川さんもお元気で。
2024.6.6
ソーラーパネルが「嫌な物」……。得てして正しいのかもしれません
町の景観を破壊するし、廃棄する時の事を考えると、これほど非効率的なものはないと私は思っています
私もそう思います…
耐用年数を超えたとき、これらはどうなるのか…
夏場は鬱蒼としてますので、この時期ですと幾らか観易いですね…
古潭駅跡の在る布伏内のコミュニティーセンターは、やるせ無い気持ちになりますが、見応えもありますよね…芦別市で云うと星の降る里百年記念館の様なものでしょうか…
雄別に限らず北海道の炭鉱で栄えた都市は、どこも消えたマチや消えゆくマチに相違ありませんね…
夏場は草だらけなので、雄別は毎回雪解けの時期に行っています。
かつて北海道の炭鉱で栄えた街はどこも厳しいですね…
まさにリアル「風の谷のナウシカ」の腐海ですね。もちろんネガティブ的な表現ではなく、映画でのメッセージもそうでしたが、人間の力だろうが、自然が持つ力で時間さえかければ、かつての自然の姿に近い状態にちゃんと戻るんですよね。
ただ他の地方もだけど、北海道は札幌都市圏以外どんどん衰退があまりにも早く進み過ぎというのがねぇ😭だからJR北海道のやり方を単純には非難することもできないんだよねぇ…ムリに維持し続けたらもう民間企業としては倒れてしまうから
そうですね…
大変興味深く見させていただきました。
かっては、人々の生活があった場所が荒涼とした原野に還った景色はものの哀れを感じますね。
何処からか、昔の人々の声が聞こえてきそうな気がします。
そうですね…
あらぬ噂もありますが、素敵な場所です
ひとの暮らしたばしょであり、たくさんのおもいが過ごした場所です
保管されている映像もみさせていただきました
博物館主催のイベントに参加させていただきまして、投稿主様とおあいしてみたいですね
資料館、まるでひろりんさんの動画をパネルや写真にした様な感じですね。とても詳しく解説されていますね。
余談ですが😅
関西では『らーめん古潭』というお店が有ります、結構旨いです😊失礼しました🙇🙇
らーめん古潭!
行ってみたいですね~
ひさしぶりに、見ました、これは、行くのに、躊躇しますね…行きますけど😓
これは凄いですね!😮
凄かったです…
雄別はヒグマも出現するために閉山後は荒れるに任せる時代があったようですね。
そういえば雄別鉄道は真夜中に雄別で亡くなった方を乗せて釧路へ走る白い列車の伝説があったそうで、今はもうその伝説も遠い話ですね。
そんな伝説があったんですね…
@@hiroring0323 実際のところどうやら都市伝説の都市伝説っぽい感じがします。
白物家電のCMを作成する際に雄別鉄道の機関車や客車を真っ白に塗装して走らせて撮影した話が元ネタかもしれません。
@@norihoshiemon
白い列車と聞いて、真っ白に塗られた雄別鉄道の機関車を思い出しました。
なんか切ないですねぇ・・・ありがとうございました
切ないです…
教えてくれてありがとう🌷🌷
👍
正直、鉄道の旅に全く魅力を感じなくなったので、完全にやめていたのですが、ひろりんさんの動画を見るようになってから、個人的に想い出のある、廃線にされそうなローカル線の旅を復活させました。今のJRの有様では、ひろりんさんのネタが急速に増えそうな感じ。困った時代です
そうですね…
近年の状況だと…
残された橋脚や建物の基礎、ホームのコンクリートもかつてそこに人が住んでて誰かが作ったんだなあ…と思うと言いようのない寂寥感が押し寄せてきます
そうですね…
人の手が加えられた痕跡が…
誰かしらの人生がそこにはそれぞれあったんだろうなって考えると胸が締め付けられる
うちの近所も今や学年ひとクラス、まだ休日に響く子供の五月蝿い笑い声も、無くなると寂しく感じるんかねぇ
そうかも知れませんね…
北海道は日本の未来を知ることができる。本州もこれからはこういうところが増えていくんでしょうね
北海道にはこういう場所がいくつもありますね…
お父さんが閉山になった炭鉱の技士で、北海道から引き上げて来たという中学の同級生がいました。私は地価高騰に焦った両親がベッドタウンにマイホームを購入、都心社宅から引っ越してきた組。70年代にあの学級で、正反対のベクトルが出会っていたのか…彼はこういう風景を見てきていたのですね。
雄別炭鉱の閉山で関東に転居した人も多かったようです…
自分も雄別炭鉱の山奥の炭住に住んでいました
心霊スポットなどと言われていますが
小規模な事故はありましたが、大規模なガス爆発があったのは雄別炭鉱所有の茂尻炭鉱でのこと
雄別炭鉱と名前が付いているからか、なぜかこの地が90人以上の死者を出した炭鉱になってしまいとても悲しいです
ちなみに病院が取り壊されていないのは建設してからまだ新しく、恐らくですが国からの補助があったからではないかと思います
処分制限期間中の国から補助がある設備を解体した場合は即補助金の返済が発生しますが
それ以外は放置していても保存と言う形で残せば免れるからです
しかし閉山して50年以上経った これからどうなるかは分かりません
もう一つちなみに「熊出ます」、「道路が崩落している」場所もあります
行かれる方は全て自己責任で行動してください
これはすごい!まさに栄枯盛衰、儚さがこみあげてくる。
ここまで変わってしまうのも凄いですね…
R274の布伏内と徹別間は短距離ながら景観が好きで年に1回ぐらいはドライブで通るのですが、布伏内は今でも年を経るごとに人が居なくなっている印象です。無人となる日もそう遠くないと感じます。
布伏内も人が減っていますね…
雄別炭山の跡地は本当おっふ・・・
オッフ…
せつない。さみしいし悲しくなりますね。
嘗ては賑やかな街だったのに。ウチの地域も若い子達がどんどん街へ出てしまい、色んな人が亡くなり、人口は減るばかり。いずれ、ウチもなくなっちゃうんだろうなぁ。
これが現実なのです…
雄別は👻系の感度高めのうちの妹が学生時代に肝試しで行きかけて、あまりのしんどさで途中で引き返したことがあります。炭鉱跡ってやっぱりそんな感じなんですかね。
炭鉱は悲惨な事故も多かったですからね…
役目を終えて消え行く街と鉄道
北海道の廃線跡はノスタルジックで好きです(笑)
👍
雄別通洞跡の「安全生産」の看板は朽ちて落ちたはずでしたが、その看板だけ新しく掛け替えられたようですね。やはり雄別炭坑ネタは視聴回数も伸びますね。
北海道の鉄道は原野に還ってしまう自然の力は恐ろしいです。
北海道の廃線はこうなる場合も多いですね…
雄別炭鉱と築別炭砿は、今は心霊スポットとしても有名ななくなったまちですね!〈石炭〉という役割がなくなった途端、二、三年ですっかり人が居なくなるとは、道外だと松尾鉱業くらいですかね?
松尾も凄かったですね…
北海道の閉山街のなかでも全く原野になってしまった数少ない廃線跡ですね。これから雄別予備軍いっぱい出てきそう…でも石油も太陽光発電もダメになったら、また石炭も多少なりとも復活の余地があるのかなぁ😊お疲れさまでした(^-^ゞ
そうですね…
むしろ石炭はCO2で目の敵にされてるからなぁ…
採算が合わないから廃線と簡単に言うけど、その先はこうなるっていうことをきちんと理解してる人はどれだけいるのか。
駅をなくすというのは「あなたの育った街が地図から消えます」と言っているのと同じなんだよね。
そのことをきちんと覚悟した上で都市の統廃合を進めるのであれば致し方ない部分もあるけど、単純に「赤字→廃線」ではいずれ日本全体が同じことになるということをしっかりと理解すべき。
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ちゃんと読んだ?
廃線で街が衰退するんじゃなくて、街の衰退が加速するって言ってるの。
そしてそれは街を復活させることを事実上諦めろと言ってるに等しいってこと。
そこまで理解してから『廃線』という言葉を使ってね。
そもそも地方自治体の97%が赤字で、更に昭和35年の東京五輪や昭和47年の札幌五輪時に整備したインフラが老朽化で交換しなければいけなくなっているので、自治体の振興策すらままならない。今鉄道は民営会社なので、赤字でも鉄路を守るには自治体からお金を出すしかないけど、自治体もそんな余裕がない。
そんな中で令和の東京五輪と予定されている大阪万博。政府がどんな未来像を描いているかがわかりますよね…。
布伏内のコミュニティセンターは去年行きました。写真がチョロっとあるだけだと思いちょっと寄り道のつもりで行ったら膨大な量の写真が…時間がなかったので軽くしか見れませんでしたがじっくり見たら半日は潰れるでしょう。ここの写真を脳裏に焼き付けて雄別に行けば違う見方も出来ると思います。
ただ私が行ったのは9月だったので雑草が物凄く生えていたので購買部くらいしかわかりませんでした…
資料館に行った後に雄別に行くと、違った見方が出来ますね。
夏場は草に埋もれて、探索は厳しそうですね…
このBGMの曲名をご存知の方がいらっしゃったら教えてくださいませんか?動画内容と関係のない質問で申し訳ありません。
BGMは「夏の思い出」です。
th-cam.com/video/j72rz_MZxrs/w-d-xo.html
ゴルフ場も見事に消えてるね
なんか、こういうのを見ると一つの技術革新が人類の営みを大きく変化させることを実感刺さられます。
インターネットショッピングが普及して、少しでも都心から外れるとゴーストタウン化した商店街などがあるが、近いものを感じます。
そうですね…
人口減少となっている今、雄別炭山駅跡のような景色が今後北海道以外にも広がっていくんだろうなぁと思う
高齢化が顕著な上、若者がどんどん道外に出ていきますからねぇ…。
インバウンドが入っている今はまだマシというところですかねぇ…。
2022年夏に訪れましたが、夏は草木が多く踏み入ることは出来ませんでした。(他の方の動画などで知識はありました)
帰路では丁度、資料館が終了時間を過ぎていたので拝見できませんでしたが、かの様に多くの資料が残されているのは驚きでした。
またいずれ、夏以外の時期に訪れたいと思います。あと、2022年の古潭駅跡にはソーラーパネルはありませんでした。
夏は草木が茂り、冬は雪に埋もれるので、雪解けの時期くらいしかはっきり確認できないんですよね…
こういうのを見るとタイムマシンがあればなぁと思う
賑やかだった時はどんな様子だったのかを知りたくなる
そうですね…
タイムマシンがあったら、賑やかだった頃を見てみたいです…