【幕末偉人伝】会津藩の誇り わずか16歳で切腹した 郡長正
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- เผยแพร่เมื่อ 23 ม.ค. 2025
- みなさんこんにちは🤗AIZUチャンネルのあきくんです。
今回は【幕末偉人伝】第4弾❗️として『郡長正』について紹介したいと思います。
代々会津藩家老としての家庭に生まれ父・萱野権兵衛は戊辰戦争での会津藩の全責任を負って切腹しました。戊辰戦争後会津藩復興の期待を背負って北九州豊津の育徳館へ留学しますがそこで切腹して亡くなってしまいます。
どうして切腹に至ったのか?そのわけは諸説ありますがそのうちの一つを紹介しました。その他の説も知っていただいて自分なりの考察をしていただけると嬉しいです。
✅郡長正について詳しくは説明しているサイトです⬇️
・Wikipedia郡長正ja.m.wikipedia...
・みやこ町 郡長正の墓www.town.miyako...
・郡長正自刃の真実を考察しておられるサイトshima-syuji.co...
#会津 #戊辰戦争 #切腹
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それでは次の動画でお会いしましょう👋
郡長正の切腹についてはいくつか説があります。のちに発見された書き物による説もあり、真実は分かりませんが参考までにこちらのサイトに詳しくありましたので貼っておきます。inumimi.papy.co.jp/inmm/sc/kiji/1-1204705-84/
後半部が真実に近い感があります。会津藩留学生全体が白眼視に近い状況に晒されていたのでしょう。豊津藩士の子弟たちも辛い暮らしの中で、話し言葉も違い高潔に振舞う会津藩の者たちに何らかの感情が芽生えてもおかしくない状況だったことは、容易に察しがつきます。
@@keen1174
白虎隊の生き残りだった飯沼貞吉氏も、苦悩されながら、生きていく為に大変な苦労をされていますね。一時は捕虜として長州に連れて行かれ、そこで自刃しようとして、まだ15才位だった彼を地元の人達が止めた、という言い伝えが残っています。
でも、後に、彼がいたからこそ白虎隊の記録も歴史に遺された。この功績も大きかったと思います。
ありがとうございます!
浅野さんsuper thanksありがとうございます🙇♂️励みになります!
会津の歴史に心打たれ会津を訪れました。もう30年以上前になりましたが、特に西郷千恵子の今生の歌、なよ竹の風にまかする身ながらも たわまぬ節はありとこそ知れ、に感動し、ほぼ当時の全ての関連出版物を読ませていただきました。会津の全ての方々の生き様は70になった現在でも、深く心に残っております。真に日本人の魂は会津にあると思っております。初めてこのサイトを見つけ、とても嬉しいです。ありがとうございます。登録させていただきました。
西郷千恵子さんのお墓のすぐ近くに住んでおります。当時の会津の人々の考え方、行動、覚悟は今の人からすれば?な所も多いと思いますが、代々受け継がれてきた教え、忠義心を垣間見るにつけ凄まじい覚悟があったんだなと思います。
僕もまだまだ勉強不足で至らない所だらけですが少しづつ勉強していきますので良かったらまた見ていただけると嬉しいです😊
幕末の会津の人々のお話は地元より会津を知って頂いている方々から教えて頂く事が多いです😊それだけ心に響く事なんだと思うと勝手ながら嬉しく思います。
僕も知らない事が多いので改めて勉強しようと思います。
会津へ来られる事をお待ちしています🤗
長正さんが切腹された理由を知って、「恥」、この言葉の真の意味を理解できると同時に、長正さんの御母堂に想いを寄せますと、思わず涙腺が緩みました。動画主に感謝します。
ご視聴ありがとうございました。
Twitterも拝見してもらっています!
私は会津が好きで、なによりも当時の会津の人たちの責任感はすごいなって思います。今は辞めたければ辞められるそんなありがたい環境にあるけれど、昔は責任を取るために切腹をしないといけない時代だったですもんね。そのような時代を生きた彼らを忘れてはならないし、今の環境に感謝して生きないとだめですね😊郡長正さんのお墓はとても迫力がありました。また行こうと思います!
本当に、可哀想で、涙😢が溢れて止まりません、私👱も、息子👨がいます。男の子👦は食べ盛りで、力も強く、しっかりと食べさせてあげないといけません、なのに、柿を食べたいといっただけなのに、それだけ、母親に✉で伝えただけなのに、なぜ、切腹して、命を落とすんですか、やるせないです。余りにも可哀想すぎます・・・
親からすれば自分より早く死んでしまう子は理由は何にせよ辛かっただろうと思います。
当時の考え、教えは今の考えでは理解できませんが幼少より教え込まれていた郡長正さんにとっては支配的や考えだったんですね。
何にしても悲しい出来事ですね。
この子はなにも悪くないのに・・・まだ子供親の元を離れて淋しかったでしょに・・誰も止めてくれる人はいなかったのかな…哀しすぎる
親元を離れて寂しい気持ちから懐かしい味を思い出したのかもせれませんね。当時は教えられた事を忠実に守り選ぶ道も狭かったのかと思います。悲しい出来事ですね。
「会津幕末偉人伝」西郷千恵子27万、郡長正25万を筆頭に万単位の視聴回数、遅ればせながら私もその1人に
なってみて、実に沢山の人を会津に引き寄せる理由がわかります。幕末会津の生き様に今でも惹かれる人々、
同時に作られる動画が今までの見識を越えた新鮮な視点で出来ている事が魅力でしょう。
その作者の熱が動画に見て取れます。旅行チャンネル・歴史チャンネルでもない「会津見せますチャンネル」
ですね。数々の動画はリンクされ、サブカルチャーとして活用されても何の遜色もありません。
過去、現在をランダムに配信する鈴木さんの力量、これからの構想も楽しみです。
会津の歴史に興味を持たれる方が多くてそれだけみなさんを惹きつける何かが会津にはあるんですね。もっともっと勉強して少しでも会津から会津を発信できればと思います。
何度見ても聞いても、郡 長正くんあまりにも可哀想すぎます。どんなにお腹がすいただろうに、今の時代はおやつに、ハンバーガー🍔と鳥の唐揚げがある。でも、その時代は会津の柿🍊だけ、しか思い付かない‼涙が出て止まりません🙏😢・・・
時代背景や教えなどと考えればと思いますがあまりにも残念な事ですよね。
僕も同じです。😢🥺
今の16歳の男の子なんぞ、片手にゲームやスマホを持ちながら片手にマックやポテトチップスを食べてだらけているのに、、、
こんな真面目なイケメンな男の子が柿が食べたいな〜と母上様に書いただけで、切腹せなあかんとは、、、。
彼は明治ではなく、この時代に生まれていれば良かったのになぁ〜。😢
俺まで悲しくなったので、今度この彼のお墓にお参りをし、君の生まれてきた時代は良くない時代だった。
今度生まれてくる時は、母に思い切り甘えるといい、、と話してきます。
神様から見ると、自害は良くない事ではあるが、時代の流れでこうなったので、彼を許してもらえたら幸いですと地元の神社でお詣りします。🙏
母も悲しかったよのぉ〜。😢
今の子供は感謝せなあかんわな〜。🥺
中学の時に読書感想文のためにいやいや読み始めた本、たしか少年会津藩士秘話だったかな
読み終わった時に涙が止まらなくて困った記憶がある。
私も読んだことあります
旧斗南藩(青森)の一子孫です。
郡長正のことは、十代のころ会津に行った時に知り、会津武士道貫徹の称賛よりも理不尽さを感じたのを覚えています。
今で言えば、アメリカ留学にも等しい遥か九州の地で、ホームシックになりながら勉学に励んでいる息子に送る手紙としては、母とは思えない厳しさを感じます。
敗戦の惨めさと、会津藩の誇りがこうした激越な手紙になったのでしょうが、彼の落胆はいかばかりであったかわかりません。
東日本最強と言われた会津藩が、女子供まで自刃するという悲劇の結末となったのは、首脳部の責任もあると思います。
なお、明治以降は我々の先祖は「国賊」扱いで大変苦労はしましたが、学問があることで地域貢献した者も多かった。
一方、手紙を他藩生徒に読まれ、いじめを受けた郡長正は、同様に有用の人材になるはずが、わずか16で、身につけていた武士道の作法で名を残してしまった…
明治も4年というのに…
「もう戦争は終わりました、あんぽ柿くらいいくらでも送ってやりますから、会津士魂を忘れずお国のために安心して勉学に励みなさい」
と、私なら書いてあげたかったですね。
恥ずかしながら、初めて知りました、ありがとう
ご視聴ありがとうございます。
切腹の理由は諸説あるようですが真相は本人の心の中という所でしょうか?
白虎隊も若くして、切腹しています。大変な時代だったなー。
幕末の武士は肝が座っている人が
多かったみたいですね
明治期の文献で幕末生まれの武士が
明治期生まれの武士が堕落したと
いう記録が残っていますね
明治生まれは真剣(日本刀)勝負を
した事が無い人が多いから
戦いに緊張が無いし
武士の子供が肝が座って
無い子供が多いから少しの事でも
動じる事が多いから情けない
って言われたらしいですよ
死への考えが現代とは違う考えだったんですね。
時代背景の違いで考えも行動も変わりますよね。
人を斬るのが実際に行われていた時代の人と人を斬ってはいけない時代の人では覚悟や真剣さも変わるのは仕方のない事なのかなと思います。
たしか1人が生きていたので切腹の経過がわかりましたが、もし全員そのままなくなっていたら今でも「謎の自刃」としていろんな説が飛び交っていたのかもしれません。
@@hamura1993 予備校の日本史の先生にその最後の一人について聞きました。
恥ずかしながら、存じ上げませんでした。ほぼ同年輩の子供がいますが、長正君の気持ちを思うと胸が締め付けられます。お母様も、しっかりしなさい、という親心から敢えて厳しい文を送られたのでしょう。まだ16歳、今で言えば高校生ですね。お父様が自刃された事も、きっと心の何処かに、悲しみとして引っかかっていたのではないでしょうか。会津の什の掟は有名ですね。実直すぎて、真っ直ぐ過ぎて、また賊軍とされ背負ったものも、まだ16歳の少年には、大きすぎたのだと思います。でも私は、会津出身ではありませんが賊軍とは思ってません。老若男女あわせ、戊辰戦争で故郷を守ろうとした人達であり、その中に白虎隊、二本松少年隊とそのご家族、様々な思いがあった事は存じ上げてます。忘れてはならないと思いました。
ご視聴ありがとうございます。
当時の教えや考え方は今の人にはなかなか理解できないですよね。当時の会津の文化や思いを大切にそして尊重したいと思います。
しかし有能な人材が若くして散ってしまうのは悲しいですね。
会津生まれ会津育ちで「ならぬものはならぬのです」で育ちました。
今は故郷を離れ別の地で生活してますが無意識に会津人としての誇りをもってる気がします。
いじめはやっぱり良くない!ということが分かります。手紙を読んで馬鹿にした他藩の人達は、早くやれ!等とはやし立てていたのだろうと思います。
そしてお母様は、干し柿送ってあげれば良かったな…とめちゃくちゃに後悔されたのではと勝手に思ってしまいました。
彼が命を絶った理由を知って…息子を持つ母としては、何とも切ない気持ちになりました。
子を持つ親からしたらなんとも悲しく切ないですよね。
@@aizuchannel さん
「食べたいもんなら何でもお食べ…」って呟いてしまいました🥺 当時の会津の若者の心の強さが伺えますね。
この子は何も悪くないのに、この時代の教え、教育のやり方なのかもしれないけど、優秀だった、だけどまだ16歳、今の時代では中学生で食べ盛りホームシックになりますよね。母を恋し、空腹で柿を食べたいって当たり前なのに、当たり前時代、最後はいじめみたいに、悲しい最後ですね。母親はどんな気持ちだったんだろう?
当たり前じゃない時代
郡長正さんが大人になったらどんな人になっていただろうと想像してしまいますね。
有り難う御座います。
感じ入りました。
ご視聴ありがとうございました😊
ちょうど一年前の動画なんですね。これも何かの縁と思いコメントを残します。
私の母方は同じ奥越列藩同盟の藩でしたが、昔の武家の母親はそういうもんです。
斗南の大変さを考えたら、暖かい地で優遇されている息子が食べ物を望むことなど叱らずにはいられなかったのでしょう。
ちなみに私の母は病院から危篤の連絡を受け妻子と共に駆け付けたのですが、病院到着時意識が戻っていました。
私の顔を見るなり「あなた何しに来たの!仕事中でしょ!お母さんは大丈夫だから帰りなさい!」数日後息を引き取りました。
そういう母でした。母方の先祖も戊辰で切腹しています。
肝っ玉母ちゃんとはよく言いますが、本当に肝の座ったお母様だったんですね。
切ないエピソードですね
今の時代なら、何の咎めもないのに
若くして亡くなられ、最期まで会津魂を貫いた長正に感服
ご視聴ありがとうございました😊
@@aizuchannel
チャンネル登録しました!
頑張ってください!
@@kakira732 さん
チャンネル登録ありがとうございます🙇♂️これからも頑張ります❗️
京都郡豊津のお墓の側は車で何度も通ったことがあり、郡長正の話も聞いた事があったが、写真は初めて見た。今度改めてお参りさせていただこう。
郡長正のお墓の近くにお住まいなんですね。ぜひお参りお願いいたします。
会津からはかなり遠方なのでなかなか参る事はできないですね。
豊津に住む義父から、郡長正の話を聞きました。こんなに可愛い少年だったとは。お墓は大事にされていますよ。
豊津在住で育徳館(旧豊津高等学校)出身者です。学校の近くにすんでいます。通勤時に育徳館の前を通りますが、多くの貴方の後輩が元気に通学し勉学に勤しんでいます。どうぞ見守って下さい。
ご視聴ありがとうございます😊
育徳館ご出身なんですね。
こうして実際に郡長正がさんと同じ学舎で学んだら方からコメントを頂けるのは心から嬉しく思います。ありがとうございました。
…興味深い,お話しを有り難う御座います。正しく他藩では見られない武士としての信念。「会津武士道」の結末だと思います。…「介錯無く」お亡くなりになったと,聞いております。 唯々,ご冥福をお祈り致します。
ご覧いただきありがとうございます😊
郡長正の話はいくつかの説がありある説では留学仲間の神保巌之助が介錯をしたという説もあります。
真実は分かりませんが切腹したのは事実であり、武士道を通した結果なのだと思います。
@@aizuchannel 様。返信,有り難う御座います。
お詳しいですね。会津藩士に,ご縁がある方ですか? 宜しければ,お話しください。
郡司誠 さん。
ありがとうございます😊
会津若松市で生まれ育っています、父が会津坂下生まれで母は横浜生まれなので会津藩士ではないんですが地元の幕末の人たちに興味が湧きまして調べていました。地元にいながらあまり詳しくないのですごく少しでも伝われば嬉しいです。
@@aizuchannel さん,返信ありがとうございます。いえいえ,あなたの素敵な人間性が,伝わってきます。私事です恐縮ですが,18歳まで,福島県に,おりました。なので,会津の「戊辰戦争・会津藩・松平容保公」の,話はよく,本で読みました。…悲惨過ぎる会津藩・領民の話しを,語り伝え続けてください…。あなたなら,大丈夫です!
本当に、頑な性格。まっすぐ過ぎる性格は直した方が良いと思います。時代が時代だから、仕方がなかったのかもしれませんが・・。日新館の、この子のパネルの前で号泣したのを思い出しました。切なすぎます😢
小さい時からこんこんと教えられてきた心得。それに従うしか道が無かったんでしょうね。切ないです。
6:50前後に読まれた墓所の地名、正確には京都郡(みやこぐん)みやこ町(みやこまち)ですよ
全く知りませんでした。戊辰戦争が終わって尚、こんな悲劇があったとは…。いくらそういう考え方の時代だったとはいえ、子を持つ親としては切ない気持ちになりますね…。
子を持つ親として本当に切ないですね💦
貴重な、動画ありがとうございます。北九州市、小倉在住の者です。福岡県京都郡は、みやこぐん、と、読みます。
ご視聴ありがとうございます。
京都郡の読みを間違えていて大変失礼いたしました🙇♂️
佐川官兵衛さんの最後の地という事でいつかそちらにもお邪魔したいと思っております。
@@aizuchannel 返信コメントありがとうごさいます。小倉藩は、細川→小笠原と藩主が鞍替えし江戸時代、西の譜代筆頭といわれ長州、薩摩の監視にあたりました。戊辰戦争では、高杉晋作率いる、奇兵隊に敗れ敗走しております。私自身、九州の出身で、幕末史は新政府軍よりでしたが、少し歳をとり、東北諸藩の徳川幕府への実直な姿勢に日の本のあるべき姿を感じております。歴史を学ぶことは、ほんとに楽しいですね。先人の苦労に感謝です。幕府や、新政府、官軍や賊軍など関係なく、今を生きる我々は歴史から未来志向を生み出せるよう、日本史を学びたいものです。
ぜひ、小倉藩にいらしてください笑
私の中では、会津と言えば松平容保と白虎隊のイメージが強く残ってます。
16や17の若さで、死ぬに相応しい働きとは何か。生きるに相応しい働きとは?
考えさせられます。
年若いと言えど会津の武士にとって
会津の名誉と誇りは何よりも重く大切なものだったのでしょう。
16才といえば初陣も果たす年齢で、武家の子なら既に幼い子どもではありませんし。
会津の武士はこんなものかと自分のちょっとした気の緩みで会津藩の家名に傷をつけてしまった、また父の名をも辱めてしまったという責の重さは、
この方にとって万死に値するものだったのでしょう。
武士の誇り、殊にも賊軍とされた会津の武士の誇りというものは、
余人の測りしれぬものがあると思います。
現代人の価値観や感覚ではただ可哀想な子ども問うことなのでしようが、
私はそれは逆に侮辱だと考えます。
あっはれ面目を保たれてご立派でしたと讃えたい。
私の田舎西会津。
私も会津藩末裔。あんぽ柿はじっさまが
秋に入ると作ってました。
西会津の方なんですね😊
秋になるとあんぽ柿が吊るさせるのは会津の風物詩ですね。
@@aizuchannel はい。
耶麻郡ですよ。昔は自宅の蔵に
あんぽ柿吊してね笑
まだ16歳。そりゃ少しは甘えたいよな。柿のひとつくらい食いたかったよな。
バカにされて切腹だなんて。
長正。切ないな🥺
「頑なまでの一筋の道、生きる生命を笑いますか?」
愛しき日々の一節です。
俺は笑わない。
長正くん。今度会津の柿持って会いにいくから。
腹一杯食ってくれよ😃
きょうとでは無く みやこぐん です。
最近幕末の小倉藩に興味があって調べてますが、干し柿の話は初めて聞きました。確か食事が粗末だったという手紙では無かったかと。
どちらにせよ、お互いかっこつけたいので自分に都合の良い話になるのでしょうがね。
みやこぐんと読むんですね💦
柿の話や食事の話し、諸説あるようですね。
私の息子も16歳です。
胸が痛みました。
当時の教えとはいえ悲しいですね。
会津は、歴史に残る人物を数多く輩出してますよね。そういう土地柄なんでしょう。
ちなみに、自分の先祖は由緒正しき百姓です。(笑)
勉学、軍隊その他各方面でご活躍された方が多いですよね。
僕の祖先は寺子屋をやっていたようです笑
武士の誇りはあるのですが命の大切さの教えのあってほしいものですね!
北九州市在住です。これは北九州市の恥ですね。71年間この話は知りませんでした、というか知らされなかったのではないでしょうか?虐めはいけませんね!言葉は心の刃物、母親のことまで悪く言われたのではないでしょうか。精神主義が過ぎているからといってそれ自体が悪いことではありません。周りの大人が何故止めなかったのでしょうか。現代に通じるとても参考になるアップ有難うございました。
「萱野権兵衛の子ではない」という言葉が、起きてはならないすれ違いを生んでしまった。
タニさんの悲しみはいかばかりだったか。長じていればどれほど有為の人となったか。
本意では無いにしろ言ってしまった言葉に後悔の念があったのではないかと思います。
生きていればどんな人生を歩んでいたのかと思いますね。
@@aizuchannel ふ
この手の話だと真っ先に出てくるのが白虎隊ですが、それとはまた違った悲しさがありますね
やはり有名なところでは白虎隊ですが、調べていくともっともっとたくさんの出来事や悲しい事も多いですね。
会津藩は立派でありました。それに比べて、私の奥羽越列藩同盟の明主伊達仙台藩は
腰砕けで恥ずかしいかぎりです。今をさかのぼること七十有余年まえ、小学校の修学旅行で会津、猪苗代湖へといきました。白虎隊の墓や、石垣だけの会津城を今でも
鮮明におぼえております。松平容保公のことを尊敬しております。
それぞれの藩にもそれぞれの立場や守るべきものがあったんでしょうね💦
会津へ修学旅行に来られたんですね。
70年が経ち変わった所や変わらない所もあると思います。また会津へいらしてくださいね😊
所詮は、賊民が犬死しただけだろ!(爆笑)
親子のすれ違いはいつの時代にもあると思います。私も子供が私の考えと全く違った思いを持っていた事に愕然とした事があります。
当時は本音よりも藩の教えや体面の方が重きがあったのかもしれませんね。
私は「いじめ」だったのではないかと考えています。方言・習慣・ねたみ・嫉妬・・・若年者は、寛容さがない。
最悪の場合、真実を隠して「切腹した」となった可能性もあります。
私の名前も同じ長正です。凄く親しみがあります。生まれは宮城です。会津若松には3回ほど行きましたが残念ながら、墓参りには行ってた
ってはいません。
郡長正さんと同じ名前なんですね😊
会津へ来られたらぜひここはも行ってみてください。
御本人よりも御母堂の方が辛いでしょうね。
命を大事に生きることも武士道だと思います。
汚名を注ぐのはその後の生き方に努めることで
お返しできるかと。
ご覧いただきましてありがとうございます。
生き恥を晒してなお世のため人のために働き名を残していった方々もたくさんいますよね。彼の選択が良かったのかは分かりませんが悲しい話です。
西南戦争において軍旗を奪われるという恥辱を受けた乃木も明治の世では懸命に働き恥辱を晴らしましたが、やはり常に死する想いを
内在しながらの人生を送りました。
まあ遅いか早いかでしょうかね。
英才教育と言う名のマインドコントロールだな。柿が喰いたいと書いた手紙が下で自死ですかなんとも…。マインドコントロールって怖い。彼が自死した後の母親の心境聞いてみたいよね。
少し前に福岡のお墓を尋ねました。
今の世の中の子供なら当り前の事も昔では自分の命を絶たなければいけないのは非常に残念です。
自刃の道しか選べなかった教え、現代では考えられませんが当時は当たり前にそう思うひとが多かったんですね。
私は、これからも会津士魂で生涯学習して活きたいと思っています。会津若松市あっぱれです。
ご視聴ありがとうございます😊
自分も平藩の末裔‼️、会津藩と
共に戦った者の末裔として
長正の気持ちが解ります‼️
いかにして生きるか、いかにして死ぬか、幼少の頃からの教えによって心底に染み込んだ心得による道だったんでしょうね。
会津の復興のために遥か遠い北九州へ。。。!?これも何やら怪しく感じます。騙されて逆に会津を復興させないために人質のようにして囚われたのではないでしょうか。。。表向きと本当の意図は別にありそうな気が致しました。。。兎に角。。。母からの厳格過ぎる返信もあったと思いますが。。。絶望したのは事実でしょうね。。。😭 気の毒で仕方ないです。。。💧
会津藩と小倉藩はどんな関係ですか?日新館と育徳館とで学んだ人が多いように聞きます😊
詳しい事わ良くわからないけどなんとなく切なくなります
少し悲しくなります涙わ出てきました
會津士魂は不滅です!
名誉を重んじたのでしょう。
会津士魂の教えは受け継がれ脈々と継承されて行く❗️
会津藩が保科正之の出自や立場を反映して、什の掟が伝わったのだろうという気がしますが、
事情によっては、いささか窮屈に思い詰めてしまう方向に出てしまう。
一方、薩摩藩は行動を重んじる一方では、生麦事件の後、英国海軍と対決した後は、英国やロスチャイルド家とも接近する合理的駆け引きも行う。
また、西郷隆盛は盟友大久保利通と対決するところまで行ってしまう。
私自身は、徳川慶喜は、亡国の一大内戦を回避したのではないかと思っているのですが。
関係ないですが、墓地の墓石も立派なのに、墓地に行くまでの道が細く危険な感じなのは、墓地に行かせまいという配慮でしょうか。
一族の教え習わし伝統、それぞれの考えが違い政治的な思想に反映され行動になる。力を持つと大きな影響力となり国をも動かす。ですかね。
墓所への道はおそらくほとんど当時のままで細いのかと思います。
突発的にその場で自刃したの?日を変えてなら何故誰も止めなかったの?大勢の中でが腑に落ちないけど。長正くんの幼い顔立ちは、会津訪れるたびかなしく。昔から。
Não entendo nada,mas quando vc apresenta números , fotografias , tenho noção da história dos antepassados,do seu país.obrigado por nos apresentar.👍🇧🇷✨
まぁ、所詮は16才の少年だった…と、云う事なんですよ…当時の16才と今の16才では、考えがたしかに違いますが、運悪く母への手紙を落としてしまうなんて(たぶん?本音だったんでしょうね)現代でもありそうだし、それを恥じと感じたんでしょうね?たしか、母からの返事には『それでも、会津武士ですか、』と、云われたはず…母も、本音はもっと優しい言葉をかけたかったはず…でも、ここで自分が優しい言葉をかけたら、きっと…それで、あのような厳しい言葉を…でも、結果的には息子を切腹で…悲しすぎますよね、母親もきっと後に後悔したでしょうね…
当時の恥は今の感覚よりももっと大きな意味を持っていたんだと思います。
命を粗末にと思う方も大勢いると思いますが当時はそして彼は選ぶ道が無いほど自分を追い込んでしまったんですね。悲劇と言う一言では語られないようなさまざまな事があったんだと思います。
なんとも悲しい事故だったと思います
たぶん、会津出身ということで、学内でイジメられてたと想像します
思春期でもあり、その仕返しとして、このような悲劇になったのでは?と
本当に残念ですね。
青森県出身の同僚が言っておりました。会津藩が移住してきた下北半島からは優秀な人材が輩出されるんだと…。県知事をはじめ要職につく人が多いそうです。
会津人としてはとても考えさせられます。
気持ちはわかる。が、死んで花実が咲くものか。
郡長正が生き延びられていたらどんな人になっていたか、とは思いますが想像でしかないんですよね😅
「義務は山よりも重い。死は羽根よりも軽い。」
Why is it only this person?
So many young (not man) boys committed seppuku.
Don't you have any feelings.?
現代にも未だに切腹はあるよ…イジメによる自殺…特に大人の社会でね。
社会は甘くねーって事さ
ある意味そうですよね😥
そんな時代と言ってしまえば。。。
わたし、お墓に行きました。
あの世でお父さんお母さんにいっぱい甘えてほしいな
胸がつまるよ
切ない話ではありますね。
お墓へ行かれたんですね、僕も一度行ってみたいと思っています。
その母からの手紙を拾ってからかった小笠原藩の子弟をクズと思うのは私だけだろうか? 真の武士ならばその手紙を読んでも内容を誰にも言わず、黙って返すのか士道だろう。
子供というのはいつの時代も正直という残酷さを持っているものと思います。
悪気が無く思った事をそのまま言ってしまい相手を傷つける今もあり得る事ですね。
年少だが武士の鑑
武士の教えですね。
父親は偉人だったかも知れないが、手紙を自分の不注意で落とし内容をやじられる、我慢して見返す根性があったなら、百年以上たって顔写真までさらされ、恥をかく事は無かった。
勉学武道は出来ても精神的には脆くガッツが無く、
安易で格好がつく切腹をした。
時代が時代でも精神的につよかったら跳ね返すはず。負けないはずである。
私も会津である!
切腹してその後偉いとか武士の子の鑑のような扱いを受けるているのに僕も違和感を感じておりました。
ご本人もこんなに教育の場に表立って立たさらるとは思ってもいなかったんじゃないでしょうか?当時の藩の教え、父親の境遇、会津藩が小笠原藩に対して行った行為、そんな事が折り重なって彼の内面から切腹への最後の道に至ってしまったのではないでしょうか。
創作かも知れんて書いてあったけど?
成績も優秀でかなりのイケメンだからなおさら心が痛みます
優秀で生真面目だったのかと思います。
福島人、好きだなぁ
涙
私は、違う土地だけど。
ありがとうございます😊
会津大好きです
ありがとうございます😊
厳しくしかり付けるのが、会津の母、その逆が長州の母の印象。現在の事じゃない。
昔ながらの教えが良い時もあり残酷な結果になってしまう事もあるんですね。
自死を選んではあかん。
それやるなら笑ったやつにやり返せ。
サムネの写真が顔といい服装といい現代人っぽいのがすごく意外。
そうですね、生きて見返して欲しかったですね。
現代でも普通にいそうなお顔ですよね😊
えぇっ!!そんなぁ〜?事でぇっ!!腹切るのぉ?!?えーっ!!😑
小笠原藩士の子弟の方がお子様なんですが、優秀な人が残念ですね。
新宿の河田町に、住んでますが、小笠原邸は、町の誇りでしたが残念です!自分は、福島で生まれたので。
京都郡は、みやこぐんと読みます。
郡 長正について初めて知りました。コメントと返事全部読みました。歴史のことは今だから言えることがたくさんありますね。今の価値観で物言うと間違える場合がありますね。その時代に私達が生きていて、その人のそばでずっと観察している訳ではありませんから。なかなかその人々の心や精神まで深く分かりません。だからと言って物言うなと言う積りはありませんが、私達は歴史の事実から何を学ぶかだと思います。どう評価し批判すべきは何かだと思います。今でも都の高校で語り継がれている中身は何なんでしょうか?教えていただければ嬉しいです。
戊辰戦争やその後の人々の足跡は諸説あるので真実は分からず憶測や残された資料などからパズルのように辿るしかないですね。
また当時のことを知るために考え調べ考察することに意味があるのかなと思います。
高校での教えはすみません勉強不足で詳しく分かりません。また調べたいと思います。
什の掟、2つ目は
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
です。
お世辞ではありません。
間違えていました🙇♂️
ちなみに京都郡と書いて「みやこぐん」と読みます。育徳館高校の出身です。この郡長正の件は入学すると最初に聞きます。
京都郡の読みを間違えていてすみません🙇♂️
育徳館ご出身なんですね!郡長正さんの事は脈々も受け継がれているんですね。
理不尽過ぎ!しかし、この理不尽がまかりとおるじだいだったことが、ふうんだったってことか?
家名(かみょう→かめい)、秀でた(しゅうでた→ひいでた)、京都郡(きょうとぐん→みやこぐん)
訂正ありがとうございます🙇♂️昔の漢字の読みは難しいですね。勉強します。
会津武士の誇りも大事だが自分は将来、国をしょって立つ身なんだという自覚も持って欲しかった
会津は明治以降も朝敵と爪弾きにされたり不当な扱いをされてたから、学校でからかわれたのもそういうのが日常であったんだと思う…(想像)
耐えられないものもあったんでしょうね💦
おい、言葉には気をつけろよ!自分の身分を明かさず故人を罵り、固有の人々を辱めるような輩には天罰が下るぞ!
@@takaa6966
その通り!
屋敷から鶴ヶ城まで徒歩10分で行けます。
近くですね😊
小倉藩の家老達は受け入れていても未熟な若き武士達は何しに来たのさ?て思うのかな?
我覺得活著達成任務的價值更大。
生きるのが不器用すぎる一家
昔の教え、一徹を通した方々なのかもしれませんね。
いじめで切腹…
若くて幼いのに凄い精神力
お尋ねにお答え申し候。
"いくさ" とは大事なものの為に戦うものと存じおり候。大事なものの為に死するは負けとは申さぬものと心得おり候。それゆえ勝ち目負け目の見境いなくただ一心不乱に "いくさ" を致すのみでござ候。 どうかお笑い下されたく候。
大義名分通りに戦う者、自分の国を守るために戦う者、家族を守るために戦う者。
それぞれに何かを守るために戦う。
平和な世の中が訪れますように。
顔立ちはそのものは幼いけど、目が凄いキリッとしてる………
佐幕の小倉藩と会津藩の繋がりがあったことも注目すべき。みやこ郡と読みます。
当時は優秀な子供たちを育てるという考えが藩を超えあったんですね。
みやこ郡ですね💦
家名を「かみょう」とは、啞然とした。それに、武士は簡単に一つしかない命をすてるから、困っちゃうな。永遠の0の主人公みたいに、お命大事だよ。
家名→かめい でしたね🙇♂️
お恥ずかしい間違いでした💦
戦いのない今に生きてる事を幸せに思わないとね!
あの時代の考えを今の時代の人間が理解しようとしても難しい事だと思う…
今の時代が幕末になったり戦時中になるような事があれば誰もまともに命をかけれないからすぐに日本は終わりそう🙄💦
悲しい話ですね、時代にほうろうされてかわいそうです
きょうとぐんではなく、みやこぐんと読みます。
これのどこが美談なのか意味わからん、むしろ切腹した事で恥を広めることのなったんじゃないの?その場を耐えて偉くなって見返してやってたらよかったのに。
幼い頃からの教え、父親の事(会津藩の責任をとって切腹した萱野権兵衛)がありこうするしかなかったのかなと思います。
耐え忍んで活躍してほしかったと思いますね。
会津の人は頑固者と聞きましたが❓
ぐんと読むのでしょうか、こおりと詠むのでしょうか、失礼とは思いますが、明治になっていながら、なんで、そんなくだらない(侮辱している訳ではありません)理由で腹を切らなければならなかったのですか、上官は止めなかったのですか、小笠原の味方をしたのですか、名誉、誇りと言えば、誰も咎められる事もなく事なきを経て慰められるものかもしれませんが、私から言えば、それこそ無念であり、屈辱にしか思えません。成仏されることを祈ります。
会津藩の方々がいたから、今の日本があるのです。当時、頑張らなかったら、日本は消滅していました。
会津に生まれた者として誇りに思います。
日本人として、忘れてはいけませんね。幕府では慶喜さんの事は館殿と呼びましたが。容保さんは、容保公と、より敬称を付けたのです。
母親の手紙~自刃のところが創作だと思います。少なくとも世に出てる記録ではそれは記されていないのですから、事実のところと創作のところははっきり分けて書くべきでしょう。
教育や教えから道に外れれば会津藩士ではないという意識からでしょうか…。
当時の教育や教えは現代の人からは想像出来ないものだったのかと思います。
僕には理解出来ない行動を当たり前のようにしていた当時の人達それも時代の流れにより変わってきたんですね。
なので理解しようとしても僕には及ばないです。
水をさすようで申し訳ないけど、切腹した理由が下らなさすぎて草生えた
美談にされてるけど実際はただの脳筋だったんだろうな
この人を自害に追い込んだのは会津自身な感じがします。(留学生が)
当時の教えや武士道など自分を追い込んでしまったところも感じます。
@@aizuchannel 同じ会津から来た留学生たちが自分自身の保身のために追い込んだという意味です。(今のいじめと一緒)
同じ日本人とは思えないよ。現在の我々は情けない。
いいえ、本来はああいったことは避けられるべきなのです。
平和であることほど重要なことはありません。
もっとも、今もいじめによる自殺は後を立ちません