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古舘さんのおかげで原始釈迦仏教にとても興味が持てました。ありがとうございます。このシリーズはぜひ続けてほしいです🙇
さすが、最強の言の葉の伝導師…初心者にも分かり易かったです✨有難う御座いました👍
さすが古舘さん分かりやすい!原始仏教の解説動画は少なく、しかも分かりにくいのですが、古舘さんの動画が1番わかりやすかったです。
どうもありがとうございます❤楽しみにしていました☆
私は仏教系の別宗派ですが、根本は自身の中の迷いが産まれたときの一つの振り返りのきっかけだと思ってます。つまり自身の真理は外になく自身の内面にいつも得るものだと思ってます。
古館さんが仏教を語ることで仏教に対する興味を一般の人にも持っていただけるのはいいことだと思います。日本人として1日として仏教用語を使わない日はないですからね。
非常に引き込まれました。古舘さんが解説されるととても分かりやすいしポップに聞けます。宗教というと日本人にとっては危険とか怪しいとかそういう風に考えがちなのに、仏教の教えは人々を救うための哲学のように感じて興味深いですし、じんわり来ますし古舘さんが推し活されている理由がわかり納得です。
ありがとうございます✨
私は単にお酒がヤメたくて馴染みがあったお寺に行って得度してもらいました。そこで初めて修験宗の寺だと知りました😂おまけに皆さん飲んべえでしたので誠に居心地が宜しゅうございました😊でも資格を取って格が上がるというのに馴染めなくて「生涯優婆塞(唯一お釈迦様を下から拝む位)」に留まって16年になります。私は般若心経を「こだわりなさんな」と解釈して日々救われています😊またお釈迦様の教えとしては「呼吸に気をつけなさい」「水に気をつけなさい」を守るように努力しています。お酒はまだ止められてません😂(笑)楽しく拝聴させて頂いてますまりがとうございます合掌🙏
そうそう、古舘さんも良く引き合いに出される方丈記のくだりは分子生物(哲学者)の動的平衡とぴったり一致しますね😊
佐々木閑先生の🙏➡️真理のことば❤の本を読むとさらに理解が深まります。➡️自灯明・法灯明。です。🙏解説 ありがとうございます❤😃🙋
初期仏教を学ぶには、やはり中村元の岩波から出ている『真理の言葉』『ブッダの言葉』『ブッダ最後の旅』を抜きにしてはありえないので、この三冊は必須ですね。大乗の成立については近年、西洋の学者が考古学的アプローチでいろいろな説を提示していて、とても熱い分野です。
僕はサンスクリット語・パーリ語に精通されている中村元さんの日本語訳の最古の原始仏典がゴータマ・ブッダを一番学べると思います。例えば『諸法無我』はパーリ語で、『あらゆる物事は自分の物ではない』つまり『諸法非我』。漢訳で『無我』としたために、我(アートマン)がない『我は無い』という意味で広まったのです。『我』は、自身とか自己と訳す方が誤解しないと思います。古舘さんは、僕も大好きな原始仏教を影響力のある立場で広めてくださっているので、本当に嬉しいです。ありがとうございます🙇僕は『最古の原始仏典スッタニパータ』をメインに、『ダンマパダ』も学んでいます。もちろん他の例えば『感興の言葉』など他にもある原始仏典も学んでいってますが、やはりゴータマ・ブッダの言葉に最も近いとされているスッタニパータが好きです。(ダンマパダも同じくらい好きですけど😊)僕がコメントの例えに使うお釈迦様の言葉は全て古いものという、こだわりはないです。素晴らしいと思えば、最古のではなくても取り入れてます。これからも『日本』で原始仏教を伝えてくださる、古舘さんを応援しています✨🪷✨
私も古舘さんと同じく捻くれ者だからなのか😂、ファンタジーも何も無い真理追求の原始仏教に惹かれております。大乗仏教は時の為政者のご都合宗教だよなぁ〜🫢というのが正直な気持ち😅引き続き勉強させていただきます🙏
佐々木先生との対談の本を読ませていただきました。そうなんだと深く内省しお釈迦様の教えに生きる心理を見出したいと強く思わせてもらいました。生きて行く糧にさせていただきます。 ありがとうございました。
古舘さん及び師匠の佐々木先生は、表に出ている釈迦の教えのみを元にして最高の解釈をされています。ところが仏教には、表に表されていない、人から人へしか伝えることができない教えが、連綿とながれています。玄奘三蔵がわざわざ自分でインドまで行き、鑑真和上がわざわざ日本へきて、空海上人方がわざわざ中国に行かれたか。表に出ていない、人から人へしか伝わらないものがあるのでは。
とてもわかる!私も古舘さんの考えと一致しました。ハイブリッド仏教も心の支えになりますね。
今年55歳になります 家は 禅宗の曹洞宗です 曹洞宗の唱えは 南無釈迦牟尼佛(なむしゃかむにぶつ)と 唱えます お釈迦様のことがよくわかります
今居住する国スウェーデンでは仏教への関心は大変に高いです!歴史的ブッダ、グワタマシダルタという概念は多くの人が理解。しかし、大乗仏教マハヤナと小乗仏教ヒナヤナの知識が無く勿論、知識の浅深さにもよりますが、日本人仏教国生まれとして説明を余儀なくされています。勉強になります!科学の進歩が生命の神秘、仏教の偉大さを証明していると実感!
釈迦は色々な喩え話しを多く使って解りやすく説法します。例えばある青年が旅から帰ってきた。ボロボロで。釈迦は聞きました際に「なぜ着物に縫いつけた宝を使わないのか?」これは全ての人が成仏の宝を持っている。誰もが仏になれる。ここが大きく他の宗教と違う。
感動しました❤リピートして体に染み込ませたい😂
いやああホント面白いし、勉強になりました。原始仏教に関する日本語最強の解説動画だと思います。さすがです。
唯識について。次回、古舘さん節の解説。楽しみにしております。
苫米地英人先生との対談を聞いてみたいです。古舘さんと同じく、釈迦の仏教を推しています。
古舘さんの原始仏教への熱意が伝わってきます。私も釈迦の原始仏教にとても関心を持っていて、佐々木閑先生のユーチューブは欠かさず見ていますし、そのおかげで古舘さんとの共著のことやこのユーチューブも知りました。この番組、とても興味深く拝見していますし、ぜひ長く続けていただきたいと思います。ところで、原始仏教と言えば中村元先生ですが、中村先生が創始者である東方学院で現在、講師をされている浅野孝雄先生をご存じですか?浅野先生は脳外科医として活躍されるなか、心脳問題と釈迦仏教との類似点を見出され、この番組で古舘さんがお話されている内容に近しいことについて、いくつかの著書もあります。こうした取り組み対し、NHKの取材も受けられています。浅野孝雄先生の近著は「ブッダの世界観」(2022年5月)です。
意味や理解に及ばなくても良いから、その時間響きが良い感じがして聞いています。このネットワーク縁起の時代においての古舘さんが歩んできた役割だと思いますし、スマホから影響を受けています。古舘さんはおしゃべりをして繋いできたその繋ぎ目の人だと感じます。
仏教… お葬式するととても お金が かかりますねウチのお寺さんは代々 教師と言う職業に付きながら お寺も経営してます。良い車が数台あります。お寺修繕費など檀家に40万円振込むとか 葬式 80万円各 法要に 三万、五万円と指示され一周忌前に 散々 お金がかかります。お釈迦様は 生きてる私達を 苦しめてます。お釈迦様は こんな事を望んでいらっしゃるのでしょうか…
本来仏教にはお金を摂ると言う教えなどありません。本来、信者が教えを乞う為にご供養という形でさせていだけるものなのです。ですから金額は決まっていません。僧侶という者は信者のご供養で成されるものなのです。そして私達衆生(一般人)に仏教を説いてくださるのです。僧籍の立場で事業をしたり高額な葬式費を要求するなど絶対あっては駄目なのです。仏教を利用した宗派がある事も仏様は哀しんでおられることでしょう。仏様はたくさんの教えを説かれましたが最後に生命の三世(現在・過去・未来)と生命は続くのだ!という大乗教を説かれました。それが法華経28品(ぽん)の中で説かれております。私も1宗派の信者ですが総本山又、日本全国のお寺や海外のお寺等の運営や在勤のご僧侶方は信者の心からのご供養で生活され、成り立っております。そして信者は仏教を教わるのです。それが本来の仏教と言うものだと私達は教わります。
僕も繊細な捻くれ者なので自分の都合のいいように解釈して理想論を下に見たりするろくでもない人間で、先祖を弔うのも仏教を信じた彼らに対する感謝で割り切って行っているにすぎません。物欲にまみれてるので仕事も辞めるつもりは無いから釈迦のようにはなれません。でも知ることが好きなので物欲にまみれながら釈迦の知恵のいいとこ取りして自己満に浸りながら生きていこうと思いました。
私は今年56歳なんですが、今から丁度36年前の20歳になる頃に親を亡くしました。あの時、仏教に興味が湧き小乗・大乗仏教について学んだ経験があります(そんなにエラいモノではなく、あくまで軽く知った程度です)。あの頃は(生意気ですが)「大乗仏教の方が自分には合っている」と軽く結論を出しました。他の宗教で「信じる者は救われる」と聞きますが、「じゃあ、信じない者は救われないのか?」「それは信者を増やしたい、教団に金を貢ぐ人数を増やしたいという欲求の隠れ蓑に過ぎない言い訳ではないのか?」「信じようが信じまいが、人間は生まれながらに平等の筈だ」と反発する気持ちがあって、小乗仏教にも同じような印象を持ったのが、大乗仏教に結論を出した理由でした。しかし歳を重ね、さらに量子力学などの科学の発達を見る中で、今頃になって小乗仏教の「本当に言わんとする」ことを何となく理解し始めたように感じています。古舘さんが釈迦推しするお気持ちは凄く解ります。でも若いスタッフ達や視聴されている方々に完全に伝わる必要は全くないと思います。今は理解できなくて全く問題ありません、ただ彼らが歳を重ねた将来に「あの時学んだ事」が少し役に立つ日がきっと来るでしょう。皆さん、今は心配しないで焦らないで、軽く聴いて大丈夫ですよ。
人は、信じても信じなくても、救われるなんてことは無いでしょう! 死んで焼かれて灰になって、川や海や、堆肥と同じように土に混ぜられて、肥やしになるだけ! これ本当です!
小乗というのは大乗からの蔑称で、過去に世界仏教徒会議で小乗という言い方の禁止が決定されています。来日したダライラマさんも記者から小乗はと質問され、お釈迦様の根本教説ですと小乗と言ってはなりませんというエピソードがありました。
逆なんです、原始釈迦仏教は、何かを特別視したり信仰する宗教でなかったわけです。瞑想したり禅宗に近いものです。信じるというよりお釈迦様への信頼、観察発見した真理で、地球は球形と観察発見されたように確かなものです。大乗のような根拠しくみ不明な摩訶不思議な力への信仰ではなかったわけです。誰もが救われるキリスト教、またヒンドゥー影響された変化変容したものが大乗で、日本また世界の学者先生たちの学術研究の結果、現代では大乗非釈迦説が定説になっています。
実は私も釈迦仏教に凄く引かれます。そして 話は少し 反れますが、 昔 マトリックスという映画がありましたね 今の世の中 そんな感じがします😅
私の知り合いが 某大学院で原始仏教の研究をしていたが 何故かクリスチャンになった また結構大きな寺の住職の子供が仏教大学をでて 神父になった
古館さん、とても素晴らしい活動をなさっていますね。私は親鸞聖人を信じています。親鸞聖人を信ずるから親鸞聖人の御教えを信じているのです。しかしよく考えて見ますと私は親鸞聖人に当然のことながらお会いしたことがないわけです。私のイメージが私の親鸞聖人像を作り、その像を私は信じていることになります。しかしその構造は分かりつつも、私は私が抱いた親鸞聖人、そしてその御教えの中に死んで行こうと思っております。「信じる」とは、最終的に言えば「人を信じる」ことだと私は思います。たとえそれが私の脳が作った「像」であろうとも。「歎異抄」でお述べになった親鸞聖人の御言葉によって私は救われました。日蓮聖人も偉大な方であると思います。ただ私の脳は親鸞聖人を選びました。このような信心の在り方が私の信心でございます。古館様の今の御活動は、私のような者にとって大きな励みになりました。
四法印へ到達するためのメソッドとして中道の解説をお願い致します。
現代科学と釈迦仏教の無我の教えが近づいているダイナミズムを持論として話されていましたが、確かに共感できます。さて、浄土真宗には七高僧の一人曇鸞大師の「無生の生」という言葉があり浄土は我々が思うファンタジーではなく釈尊が説いた因果説に基づく真実であることを親鸞聖人も示されてます。この辺りが他力の難しいところだと思います。
どっちもいい仏教 って伝わらんくていいけど って仏教の名を借りてモノ申すな と直感しますが!方便!!!
小宮光二先生の法華経解説が素晴らしいです。法華経は物理、宇宙の構造を語っていると説明しています。
悟りの教えを素人が聞いても理解するのは難しいけど、これを日常生活に利用して得しようってのは違うと思うな学校で習うことは日常生活で半分も役に立たないから意味ないじゃん、って言う学生と似た感じがするそう考えると大事なのは好奇心だな
お釈迦様はバラモン教(ヒンズー教)宗教文化から離れて智慧を説きましたが。後に大乗仏教と言う新興宗教が現れてヒンズー教の仏バージョン(神を仏と呼び変える)を創って行きました。初期仏教では在家も預流果に悟れます🙏今では日本でも悟った人々はたくさんいます。
お坊様よりわかりやすいです。今度またお願いします。
スマナサーラ長老を尊敬しています。ふるたちさんは如何ですか?
原初のお釈迦さんは、インドにバラモン教から古くから常識として根ずいていた、「輪廻思想そのものから、解脱しましょう説いた」ものです。そこが「大乗仏教との相違」です。
懐かしい。大乗非仏説をどう捉えるかですな。増谷文雄先生の偈のある経典やら中村元先生の分厚い本を若い頃読みまくりました。五時教判とか大乗仏教の勝手な釈迦解釈だと思うともう何が何やらwシンプルに釈迦本人は何を言いたかったかだと思います。それ以外の人たちが「私はかように聞いた」(如是我聞)と言われてもそんな経典が何百もあるとどれがホントかわかりませんよ。
永平寺原理主義者といわれる南直哉氏と対談企画を実現してほしいなー。ものすごいプロレスが観れそう。
私には古舘さんが、舎利子に見えます!
釈迦族のゴータマさんがお釈迦様です。釈尊と言うのが真理に目覚めた人と言う意味で、仏陀も同じ意味です。ならば真理とは何かですが、釈尊は簡単に言えないと伝わっている。その説教は相手によって変わるのです。それを方便と言って相手の知的レベルに合わせて説教する。釈尊は弟子のカッサバが教典を作ろうと言ったのを叱っています。また教団を創ってはならないと叱っています。自分の言っている真理すらも変化すると思っていたからです。それなのに弟子たちは死後に教典と教団を作ったのです。それを守っていたら仏教は消えていた。消えさせるのがもったいない教えだったのです。人間も変化して生じた結果で元は猿だったのです。生存競争や氷河期を経験して幸運にも生き残っただけです。これを因縁果と言うのです。結果が次の原因になる。学ぶことは、その結果を招いたのには原因があると知ることです。悪い結果を招く原因は取り除くか、縁起で解消させることです。いわゆるあの世はなく、この世にあるのです。この考えでは救われない人が多い。死ぬのが怖い人です。いずれ死ぬのが分かっているから怖いのです。卵を産んだら死ぬ生き物は多い。死ぬことを怖がってはいない。怖がっていたら卵は産めない。人間は子や孫が居ることで死を受け入れていると言える。釈尊の真理は厳し過ぎる。色即是空とはむなしい。極楽浄土も嘘臭い。因縁果と言われても本当は納得出来ない。神様と言う遠い御先祖様が見守ってくれると思うから無くならない。家の宗教は日蓮宗です。
諸行無常は漢訳ですが、「諸行」の原語サルヴァーサンスカーラーは「諸々の、意識を形成する作用一切は」であり。「無常」アニティヤーハは「一定していない」。「一切皆苦」の原語はサルヴァーサンスカーラー・ドゥッカーハで、前半は諸行無常と同じ言葉です。故に、一切皆苦の原語は「諸々の意識の形成作用一切は思い通りにし難い」となります。「諸法無我」は原語でサルヴァーダルマー・アナートマーナハで「凡夫の意識の中に本当の自分は存在しない(凡夫の意識の中にはないけど無いのではない)」。ダルマには五つほどの意味があります。私もインド佛教においては素人ですが、原文をあたって見れば釈尊の説いた正確な意味がわかります。十二支縁起が前提にあることを失念しなければズレないのだと思っています。そして、私は、原始仏教と呼ばれる流れがあって、そのプロテストとして大乗仏教が発明されたという流れの、以前的前提としての仏教、原始仏教と呼ばれてきているものもまた、それ以前の仏教のプロテストであった。原始仏教と呼ばれる仏教の以前的前提としてあった仏教もまた、初期ヒンズー教からの釈尊によるプロテスト。いわば社会仏教が宗教社会において失う本来の役割の喪失に対応した。その根拠は四門出遊によって自分自身に対する問題意識の解消として必須だった。と受け取ってきました。
古舘節わかりやすいです、 m(_ _)m。
動画内でもオウム真理教の話が出ましたが上祐史浩さんと「原始釈迦仏教」について対談して欲しいですね
上祐さんは、オウムの密教とかチャンポンカルト宗教に没入されていましたが、アレフと別れ麻原否定派となったのは、何らかを特別視しない不殺生の釈迦の原始仏教を大切に回帰したからですネ。彼はすっかり変わりましたよ。宗教学者とも言えるほど詳しく、同じく古舘さんとの対談でしたら、仏教通の宮崎哲弥さんとも興味深い対談になりそうですが。
ご存じの通り、釈尊は「死後の世界」については【無記】に徹しました。これは素晴らしいことです。信心は[救い・悟り]を求めてのものではない、と考えております。また、ここまでお話になると、わたくしどもヤポネシア人には、ほとんど縁のない 上座部仏教(南伝仏教) にも 詳しく触れられるのがいいかな、と…😊🙏・・・
大乗仏教は多くの人々を救う事が目的であったが、原始仏教、釈迦仏教(上座部仏教)が、南伝仏教として東南アジアの国々に布教され、明らかに釈迦仏教のほうが信徒数が多い。しかも、国際的に評価されているのは、明らかに釈迦仏教であるのは何故か、古舘さん頑張って下さい!!
悟りを開くと言うのは、私の実体はないんですよ私なんていないんですよということに気がつくことですでも、それを言われてどれだけの人がわかるのかわからないんですねだから、それを聞いた人のレベルに合わせて、その真実に導くための嘘をついて話を納得させる必要があったそれが、方便なんですね対機説法というのをひたすら続けたのはそれが理由なんですねお経というのは、方便の辞書みたいなもので、全てが正しくないとも言えますでも、結果、真理に辿り着けば正しくなくても、嘘でも全然いいんだということで、広めていったということなんですよね悟りの真理さえ理解できるのなら、どんな考え方でもいいということですね
「アレンジ」なんだそれ。それこそ釈尊の教えの否定。人の流れ時代の変遷を経て濾過されていったのが大乗、生まれ…仕事…性別、あらゆるこの世に生きる人が漏れなく教えの対象となるものだよ。それを「アレンジ」はないよ。無粋だ。
つまり、日本いや世界の考古学的調査、学者先生たちの学術研究の結果、現代では大乗非釈迦説が定説になっているわけですよ。本来の仏教からヒンドゥー、景教の影響から変化変容の異端が大乗だったという目からウロコなわけです。禅宗ならまだ近い、それでも釈迦仏教と異なる点があります。
@@mika-iy1zi つまり、じゃあ釈尊は何を見ていたとお考えで?
@@knuk1086 それは原始仏教を学ばれて下さい。摩訶不思議な力への成仏信仰でなく、観察発見の真理、四諦八正道を説かれました。けど世俗在家には、生天論も説かれているのも事実です(次第説法)。一仏乗の方ですか、キリスト教の影響ですネ。
そんなことはどうでもいいんではねーか!
検索してみました。同一人物ですね。
原始仏教と呼ばれていますが、本当は、基礎仏教と言った方が良いだろうと思います。基礎仏教の内容を基礎にして、大乗仏教が成り立つと思います。
原始釈迦仏教→観察発見の真理、本来の仏教、信仰でない先入観、固定観念、想念依存・思想束縛からの解脱大乗仏教→頭で考えた観念論、根拠しくみ不明の摩訶不思議な力の信仰型、創作仏、思想への束縛依存
般若心経が『空』『無』と否定するするように連呼してますよねあれは何に対して『空』と言っているのか何に対して『無』と言っているのか…原始仏教を『基礎』にしてるなんてとても呼べないと思います。
プラトン、ソクラテスを含めお話されましたが、ジグムント.フロイトやユングも心を論じる場合考えるならば絶対に不可欠ではありませんか?【諸行無常】との意味からすれば概念は違うと思う方も多いとは思いますが、私はそうとは思わないのです。なぜなら【心】の煩悩や苦しみで仏で捉えるならば釈迦仏教も、哲学も、深層心理学、精神分析学を含めて考えるのが自然ではないでしょうか。例えば、哲学とは、死をどう捉えるかの学問だとすれば全て死を原点にしているように思います。
古舘さんが使いたい言葉を使えばいいじゃないですか。ここは仏教学科の教室じゃないんだから。原始仏教と言うべきか、基礎仏教と言うべきか?そんな二択は古舘節の前では実に些末な話です。
多くの宗派があり過ぎてて、純水に仏教を説く人が少なく、立大卒の古舘さんには、キリスト教との比較もあり、新しい発見がありそうです。
みてきたものや きいたこといままでおぼえた全部でたらめだったら面白いそんな気持ちわかるでしょ
原始仏教(お釈迦様の教え)、『阿含教』は日本に入ってこなかったのではなくて日本の仏教界が受け入れなかった
釈迦が亡くなってから600年後に大乗仏教ができるんだ?😮日本で言えば、親鸞が亡くなってから現代くらいの時間が経っている😮すごい。
大乗仏教は一部を除いて信仰型の仏教なので自分には合わなかったなぁでも信仰型の方で救われる人もいると思うからどちらもあっていいと思う。
有り難うございます!!!!\(^^)/
自分も救われるんじゃね?と思いたかったから
大乗仏教は教理がヒンズー教に成っており、迷妄、迷信が多く、原始仏教はと大きく相違します。
後7000年で、法滅。お釈迦様は凡夫に修行しなさいとは、一言もいってませんよね。
@@中川健司-r5m 道元さんは末法の言い訳を批判しています。そもそも真理、法(ダルマ)は、永遠性があり、諸行無常であることは体験している通りです。悟りの階梯にも四段階あり、現代人でも十分可能な最初の預流果でも聖者の仲間とされます。また現代では、考古学調査、学術研究の結果は、大乗非仏説が世界の定説ですので、後世の創作では異端になり、浄土門もキリスト教の影響を受けているわけです。
@@中川健司-r5m 道元さんは末法の言い訳を批判しています。そもそも真理、法(ダルマ)は、永遠性があり、諸行無常であることは体験している通りです。悟りの階梯にも四段階あり、現代人でも十分可能な最初の預流果でも聖者の仲間とされます。また現代では、考古学調査、学術研究の結果は、大乗非説が世界の定説ですので、後世の創作では異端になり、浄土門もキリスト教の影響を受けているわけです。
>お釈迦様は凡夫に修行しなさいとは、一言もいってませんよね。どうしてわかるのですか。証拠を教えてほしい。
@@taishi8844 たとえば、座禅・山登りの修行・差別ですね。誰でも出来ますか?我々凡夫に注文つけても、出来ない方も出てきます。宝蔵菩薩様凄いんですよ。・・・やらなくてもいいよと言っても、やるのが我々凡夫なんです。阿弥陀様にお任せなんです。即得往生で一度死に、現世利益・特に3光の光頂くと解りますよ。
@@中川健司-r5m 道元さんは末法の言い訳を批判しています。そもそも真理、法(ダルマ)は、永遠性があり、諸行無常であることは体験している通りです。悟りの階梯にも四段階あり、現代人でも十分可能な最初の預流果でも聖者の仲間とされます。また現代では、考古学調査、学術研究の結果は、大乗非釈迦説が世界の定説ですので、後世の創作では異端になり、浄土門もキリスト教の影響を受けているわけです。
僕は初期仏教を学び実践させてもらっています。法の六徳と言う偈を唱えます。世尊の法は 善く、正しく説き示された教えです。実証できる教えです。普遍性があり、永遠たる教えです。「来たれ見よ」と言える確かな教えです。実践者を涅槃へ導く教えです。賢者たちによって各自で悟られるべき教えです。[以上の徳が具われる]ダンマに、私は生涯帰依します。
ウパニシャッドと西漸弥勒大乗明教迄大衆部天台唯識アリストテレス
一切衆生悉有仏性ことごとくあるこの存在自体が仏性なんだしかし修せざるにはあらわれず、証せざるにはあることなしどうか古舘さんには大乗をもっと勉強していただいて誤解を解いてもらいたい。ポイント制とか輪廻する魂を容認?とかどの大乗の宗派が言ってるんだよ。間違えてるよそれ…
一切衆生有佛性、一切衆生有オ?ンコ欲 ですね! 大変良く分かりました! 感謝、合掌デヤンス!
古館さんの言う「原始釈迦仏教」というのが分りません。釈尊の基本的な問題意識は「人間は何のために生まれてきたのか」ではないのですか?前にも言いましたが、是非ネルケ無方老師との対談をお願いします。
人間が生まれてきた理由は何もありませんぜ。お父ちゃんとお母ちゃんが、「久しぶりに、どうや!」なんて言いながら、酔に任せて「ナニ」を致しか結果に過ぎませんね!
何のために生まれたかを追究したなどとは釈迦はしてません。
中村元先生は富永仲基の大乗非仏論を高評価していた 何も語らず 犀の角のようにただ一人歩め でいいのでは
人は漏れなく愚か愚かだから悟れる今生で無くば、また来世あせるな、あせるな
諸行無常、諸法無我、一切皆苦の順なのか一切皆苦、諸行無常、諸法無我の順なのか?四門出遊の逸話から考えると始まりは一切皆苦からのように思えるが・・・
あなたにとっての出世本懐は?
釈迦で〜す👌👌ってやってるホスト居ますよね
信長は賢かった
龍樹の時代に、キリストの12使徒の一人、トマスだったと思うけど、南インドでキリスト教の布教を始めてますよ。大乗仏教も、その頃に生まれています。
大乗仏教が興ったのはナザレのイエスが生まれるはるか前の紀元前です。大乗仏教にキリスト教のような人身御供や食人によって永遠の命を得るといった思想はありません。キリスト教と大乗仏教にはなんの関係もありません。
原始宗教って原始人にも宗教ってあったのかな??野山を駆け回り獲物をて
すみません、無知な質問です。釈迦とはブッダのことですか?
@@とのばん そうですよ
ブッダは悟った者の意味で○○仏として複数存在します。シャカはシャーキヤ族の王子だった個人を指す名称です。
仏教は因縁生起に始まる。この縁起とは何かを良く知れば悟れますよ。悟りとは釈迦も言ってますが執着から離れよです。縁起が分かれば空も分かる。空が分かれば無常 無我もわかる。漢語では翻訳が不味いので分らんものになってるだけ。結構解り易いですよ。無我の翻訳がまずい我の翻訳は本来自性で自性とは何か?我とはアートマンが原語、その否定でアンアートマン。しかしその否定は単純にアートマンは無いと否定したのではないのでそこがヤヤコシイ事になってます。以上の事が分かるまで必死に勉強せよ。縁起=無自性=空。空とは空っぽというそのままの意味、何が空っぽか?その空っぽは自性が無いという意味。物質がないとかそんな意味ではないですよ。見えてるものの通りモノはあります。猫も犬も人も見たとおりあるに決まってる。唯識がどうもおかしい。釈迦 龍樹の系統が正当な初期仏教と空大乗の流れで別に矛盾はないですよ。
「空」とは有、無も包摂した抽象度が一つ高い位置にありすなわち「空=悟り」って事でよろしいでしょうか?
@@CRIMEBLACK-k3k 空とは空っぽという意味そのまま。で、何がカラなのか?アートマンなんてありませんという意味。だから意味のハッキリしてる言葉ですよ。後世の学者がヤヤコシイ事言って分からなくしてるだけ。これは龍樹の言葉なのでそのまま受け取るしかないですよ。アートマン=自性=無我、我がアートマンという事です。霊魂とか霊とか死後輪廻する主体の意味です。
@@CRIMEBLACK-k3k 悟りは別に難しくないですよ。古代のインド人なんて無学でしょう。そんなj人でも悟れるんだから現代人にとって悟りは難しい事はないでしょう。執着があるから煩悩があって悩むわけです。だから執着から解脱つまり離れる事だけど、これはもう修行するしかないです、修行と言っても今何に執着してるか自覚して執着しておくべき事か執着するべきでないかを判断は必要かと思います。当方もいろいろ執着しておりますが、お金とか美人とかま=いろいろありますが。執着してる自分を意識してますので苦しむ事はありません。
マイトレーヤは弟子ギリシャ迄
😎😎😎😎
長い歴史の中で生き残るにはポピュリズムに屈するしかなかったので本物は伝わらなかった。ご都合主義の人間の煩悩が原始仏教よりも大乗仏教を取捨選択してきた。
釈迦は、説法をすることに対する報酬を完全否定していますよね。それは「毒」だと。それが経済性容認の大乗には、決定的に容認できないことだったのだと思います。「○○先生公演、参加費○○○円」これは、釈迦としてはNG。そうやって報酬を受けとると、講師自身が毒されてしまうから。そこまで徹底した釈迦は、やはりすごすぎますね。
釈迦は布施としてもらった蟹を食べて食中毒で亡くなりました。けっして何も受け取らなかったわけではありません。
@@taishi8844 報酬と、布施のちがいですね。日本では「お布施は3万円でお願いします」なんて意味不明の会話も成立してしまっているようですが・・・
キリストとシャンが悟った方法。バシャール!
南無阿弥陀仏、私は浄土真宗なので阿弥陀経と阿弥陀仏48願を信じて居ます。阿弥陀仏48願についても語ってください。
因果律自体が絶対ではない。限界があり成り立ちうる範囲が狭い法則だ。量子の世界では因果律は成り立たない。また因果律だけでは人間の意思の存在を説明できない。因果律だけですべて分かろうとすると人の考えは真理から遠退く。
釈迦が教団を作った意識が無いとは何から来てるんすかね?サンガ=教団ですよw及び、佐々木閑氏の戒律についての説、戒律さえ守ってればサンガに所属出来るは何処に行ったんですかね?
ブッダは対機説法(相手の知識や理解力に応じた教えの説き方)をしていたので、大乗仏教の教えも方便としては正しいと言えるでしょう。しかし方便は真理の到達する為の途中経過に過ぎません。ブッダの真理としては大乗仏教は間違いですよ。ブッダの真理は真実ありのままの道理です。
タイに 本物が あると思います。
大乗仏教についてはあまり知りませんでしたが、聞いているとゴータマシッダールタの教えとはかけ離れているように思います。日本でも親鸞聖人、法然聖人などいらっしゃいましたが間違った解釈をしていると思います。私も詳しく勉強していないので断定は出来ませんが、例えば親鸞、法然は念仏を唱えれば往生出来ると言っていますがそれは間違っていると思います。ゴータマシッダールタはそんな事で救われるとは言っていないんです。後から出てきた仏教が他の宗教と混ざって極楽の存在を謳っていますが、これはヒンズー教やバラモン教などの教えにあったはずです。もちろん神様や、極楽、地獄など教えの中で使っていますが実在するは言っておらず、例えて話しているだけです。それを聞いた人が勘違いしてか、あるいは都合よく解釈しているだけだと思いますがいかがお考えですか。もし間違っていたらすみません。
あなたは輪廻転生もそこからの解脱も、釈迦においてはただの例え話だったと信じているのですか?
@@taishi8844 信じているとかではなく、ゴータマシッダールタは死後の世界や輪廻転生の事は話していないんです。話の中に修行に励めば地獄に落ちる事がないと言っていますがこの場合に地獄は実在する物としては言っていないんです。死後の世界についてはヒンドゥー教やバラモン教の教えには出てきますがゴータマシッダールタはそれを否定しています。仏像に祈ることや祭壇に色々と供物をする仏教行事も意味がないと言っています。ゴータマシッダールタは心を穏やかにするためには、欲望の矢を抜き取って心を静かに保ちなさいと言っていて、それが悟りあるいは涅槃に達する道だと説いているんです。でも今の日本に存在する仏教は念仏を唱えれたり、葬式の行事を重んじていますがそれは無意味なことだと言っています。四十九日とか初七日などゴータマシッダールタの話には出て来ていません。あくまでも心を静かに欲望を抑えて暴力を振わず質素に暮らせと言っています。
@@成崎義和 少なくとも輪廻については語っていますね。釈尊は遍歴の行者サビヤに以下のように説いています。あらゆる宇宙時期と輪廻と(生あるものの)生と死とを二つながら思惟弁別して、塵を離れ、汚れなく、清らかで、生を滅ぼしつくすに至った人、―かれを<目さめた人>(ブッダ)という。(スッタニパータ 517節 中村元訳)この点以外については、私から特に言うことはありません。
釈迦自身、苦行の脱落者として最初仲間から軽蔑されました。しかし脱落ではなく悟りであると説法を始めることで人間界に新たな次元を開いたのだと思います。物凄く卑近な例で言うと、スポーツの訓練で水を飲むなとかウサギ飛びとかケツバットとかが当たり前の時代に、大谷翔平選手の練習法を説いたようなものです。しかし大谷選手の練習法の凄さもまた常人のできるものではない。そこで対機説法として出来たのが大乗であり浄土教ではないでしょうか。誰もが納得安心してスポーツに取り組める、しかし大谷翔平選手には尊敬と憧れを持つことが出来る。決して矛盾するものではないと思います。
違う。法華経です。仏教の結論は、法華経です。要するに「布教せよ」です。布教以外に人間の進む道はないという結論です。法華経は、「布教せよ」の作戦司令書です。命令書なので、真実です。岩波文庫から出ていて、Amazonでも入手できますよ。行き着く所、日蓮大聖人に行ってしまいす。
古舘さんのおかげで原始釈迦仏教にとても興味が持てました。ありがとうございます。このシリーズはぜひ続けてほしいです🙇
さすが、最強の言の葉の伝導師…初心者にも分かり易かったです✨有難う御座いました👍
さすが古舘さん分かりやすい!
原始仏教の解説動画は少なく、しかも分かりにくいのですが、古舘さんの動画が1番わかりやすかったです。
どうもありがとうございます❤
楽しみにしていました☆
私は仏教系の別宗派ですが、根本は自身の中の迷いが産まれたときの一つの振り返りのきっかけだと思ってます。つまり自身の真理は外になく自身の内面にいつも得るものだと思ってます。
古館さんが仏教を語ることで仏教に対する興味を一般の人にも持っていただけるのはいいことだと思います。日本人として1日として仏教用語を使わない日はないですからね。
非常に引き込まれました。
古舘さんが解説されるととても分かりやすいしポップに聞けます。
宗教というと日本人にとっては危険とか怪しいとかそういう風に考えがちなのに、仏教の教えは人々を救うための哲学のように感じて興味深いですし、じんわり来ますし古舘さんが推し活されている理由がわかり納得です。
ありがとうございます✨
私は単にお酒がヤメたくて馴染みがあったお寺に行って得度してもらいました。そこで初めて修験宗の寺だと知りました😂おまけに皆さん飲んべえでしたので誠に居心地が宜しゅうございました😊でも資格を取って格が上がるというのに馴染めなくて「生涯優婆塞(唯一お釈迦様を下から拝む位)」に留まって16年になります。私は般若心経を「こだわりなさんな」と解釈して日々救われています😊またお釈迦様の教えとしては「呼吸に気をつけなさい」「水に気をつけなさい」を守るように努力しています。お酒はまだ止められてません😂(笑)楽しく拝聴させて頂いてますまりがとうございます合掌🙏
そうそう、古舘さんも良く引き合いに出される方丈記のくだりは分子生物(哲学者)の動的平衡とぴったり一致しますね😊
佐々木閑先生の🙏
➡️真理のことば❤の本を読むとさらに理解が深まります。
➡️自灯明・法灯明。です。🙏
解説 ありがとうございます❤😃🙋
初期仏教を学ぶには、やはり中村元の岩波から出ている『真理の言葉』『ブッダの言葉』『ブッダ最後の旅』を抜きにしてはありえないので、この三冊は必須ですね。大乗の成立については近年、西洋の学者が考古学的アプローチでいろいろな説を提示していて、とても熱い分野です。
僕はサンスクリット語・パーリ語に精通されている中村元さんの日本語訳の最古の原始仏典がゴータマ・ブッダを一番学べると思います。
例えば『諸法無我』はパーリ語で、『あらゆる物事は自分の物ではない』つまり『諸法非我』。漢訳で『無我』としたために、我(アートマン)がない『我は無い』という意味で広まったのです。『我』は、自身とか自己と訳す方が誤解しないと思います。
古舘さんは、僕も大好きな原始仏教を影響力のある立場で広めてくださっているので、本当に嬉しいです。ありがとうございます🙇
僕は『最古の原始仏典スッタニパータ』をメインに、『ダンマパダ』も学んでいます。もちろん他の例えば『感興の言葉』など他にもある原始仏典も学んでいってますが、やはりゴータマ・ブッダの言葉に最も近いとされているスッタニパータが好きです。(ダンマパダも同じくらい好きですけど😊)僕がコメントの例えに使うお釈迦様の言葉は全て古いものという、こだわりはないです。素晴らしいと思えば、最古のではなくても取り入れてます。
これからも『日本』で原始仏教を伝えてくださる、古舘さんを応援しています✨🪷✨
私も古舘さんと同じく捻くれ者だからなのか😂、ファンタジーも何も無い真理追求の原始仏教に惹かれております。大乗仏教は時の為政者のご都合宗教だよなぁ〜🫢というのが正直な気持ち😅引き続き勉強させていただきます🙏
佐々木先生との対談の本を読ませていただきました。そうなんだと深く内省しお釈迦様の教えに
生きる心理を見出したいと強く思わせてもらいました。生きて行く糧にさせていただきます。
ありがとうございました。
古舘さん及び師匠の佐々木先生は、表に出ている釈迦の教えのみを元にして最高の解釈をされています。
ところが仏教には、表に表されていない、人から人へしか伝えることができない教えが、連綿とながれています。
玄奘三蔵がわざわざ自分でインドまで行き、鑑真和上がわざわざ日本へきて、空海上人方がわざわざ中国に行かれたか。
表に出ていない、人から人へしか伝わらないものがあるのでは。
とてもわかる!私も古舘さんの考えと一致しました。
ハイブリッド仏教も心の支えになりますね。
今年55歳になります 家は 禅宗の曹洞宗です 曹洞宗の唱えは 南無釈迦牟尼佛(なむしゃかむにぶつ)と 唱えます お釈迦様のことがよくわかります
今居住する国スウェーデンでは仏教への関心は大変に高いです!
歴史的ブッダ、グワタマシダルタという概念は多くの人が理解。
しかし、大乗仏教マハヤナと小乗仏教ヒナヤナの知識が無く
勿論、知識の浅深さにもよりますが、日本人仏教国生まれとして説明を余儀なくされています。勉強になります!
科学の進歩が生命の神秘、仏教の偉大さを証明していると実感!
釈迦は色々な喩え話しを多く使って解りやすく説法します。例えばある青年が旅から帰ってきた。ボロボロで。釈迦は聞きました際に「なぜ着物に縫いつけた宝を使わないのか?」これは全ての人が成仏の宝を持っている。誰もが仏になれる。ここが大きく他の宗教と違う。
感動しました❤リピートして体に染み込ませたい😂
いやああホント面白いし、勉強になりました。原始仏教に関する日本語最強の解説動画だと思います。さすがです。
唯識について。次回、古舘さん節の解説。楽しみにしております。
苫米地英人先生との対談を聞いてみたいです。古舘さんと同じく、釈迦の仏教を推しています。
古舘さんの原始仏教への熱意が伝わってきます。私も釈迦の原始仏教にとても関心を持っていて、佐々木閑先生のユーチューブは欠かさず見ていますし、そのおかげで古舘さんとの共著のことやこのユーチューブも知りました。この番組、とても興味深く拝見していますし、ぜひ長く続けていただきたいと思います。
ところで、原始仏教と言えば中村元先生ですが、中村先生が創始者である東方学院で現在、講師をされている浅野孝雄先生をご存じですか?浅野先生は脳外科医として活躍されるなか、心脳問題と釈迦仏教との類似点を見出され、この番組で古舘さんがお話されている内容に近しいことについて、いくつかの著書もあります。こうした取り組み対し、NHKの取材も受けられています。浅野孝雄先生の近著は「ブッダの世界観」(2022年5月)です。
意味や理解に及ばなくても良いから、その時間響きが良い感じがして聞いています。このネットワーク縁起の時代においての古舘さんが歩んできた役割だと思いますし、スマホから影響を受けています。古舘さんはおしゃべりをして繋いできたその繋ぎ目の人だと感じます。
仏教… お葬式すると
とても お金が かかりますね
ウチのお寺さんは代々
教師と言う職業に付きながら お寺も経営してます。
良い車が数台あります。
お寺修繕費など檀家に
40万円振込むとか
葬式 80万円
各 法要に 三万、五万円と指示され
一周忌前に 散々 お金が
かかります。
お釈迦様は 生きてる私達を 苦しめてます。
お釈迦様は こんな事を
望んでいらっしゃるのでしょうか…
本来仏教にはお金を摂ると言う教えなどありません。
本来、信者が教えを乞う為にご供養という形でさせていだけるものなのです。
ですから金額は決まっていません。
僧侶という者は信者のご供養で成されるものなのです。
そして私達衆生(一般人)に仏教を説いてくださるのです。
僧籍の立場で事業をしたり高額な葬式費を要求するなど絶対あっては駄目なのです。
仏教を利用した宗派がある事も仏様は哀しんでおられることでしょう。
仏様はたくさんの教えを説かれましたが最後に生命の三世(現在・過去・未来)と生命は続くのだ!という大乗教を説かれました。
それが法華経28品(ぽん)の中で説かれております。
私も1宗派の信者ですが総本山又、日本全国のお寺や海外のお寺等の運営や在勤のご僧侶方は信者の心からのご供養で生活され、成り立っております。
そして信者は仏教を教わるのです。
それが本来の仏教と言うものだと私達は教わります。
僕も繊細な捻くれ者なので自分の都合のいいように解釈して理想論を下に見たりするろくでもない人間で、先祖を弔うのも仏教を信じた彼らに対する感謝で割り切って行っているにすぎません。物欲にまみれてるので仕事も辞めるつもりは無いから釈迦のようにはなれません。でも知ることが好きなので物欲にまみれながら釈迦の知恵のいいとこ取りして自己満に浸りながら生きていこうと思いました。
私は今年56歳なんですが、今から丁度36年前の20歳になる頃に親を亡くしました。あの時、仏教に興味が湧き小乗・大乗仏教について学んだ経験があります(そんなにエラいモノではなく、あくまで軽く知った程度です)。あの頃は(生意気ですが)「大乗仏教の方が自分には合っている」と軽く結論を出しました。
他の宗教で「信じる者は救われる」と聞きますが、「じゃあ、信じない者は救われないのか?」「それは信者を増やしたい、教団に金を貢ぐ人数を増やしたいという欲求の隠れ蓑に過ぎない言い訳ではないのか?」「信じようが信じまいが、人間は生まれながらに平等の筈だ」と反発する気持ちがあって、小乗仏教にも同じような印象を持ったのが、大乗仏教に結論を出した理由でした。
しかし歳を重ね、さらに量子力学などの科学の発達を見る中で、今頃になって小乗仏教の「本当に言わんとする」ことを何となく理解し始めたように感じています。
古舘さんが釈迦推しするお気持ちは凄く解ります。でも若いスタッフ達や視聴されている方々に完全に伝わる必要は全くないと思います。今は理解できなくて全く問題ありません、ただ彼らが歳を重ねた将来に「あの時学んだ事」が少し役に立つ日がきっと来るでしょう。皆さん、今は心配しないで焦らないで、軽く聴いて大丈夫ですよ。
人は、信じても信じなくても、救われるなんてことは無いでしょう! 死んで焼かれて灰になって、川や海や、堆肥と同じように土に混ぜられて、肥やしになるだけ! これ本当です!
小乗というのは大乗からの蔑称で、過去に世界仏教徒会議で小乗という言い方の禁止が決定されています。来日したダライラマさんも記者から小乗はと質問され、お釈迦様の根本教説ですと小乗と言ってはなりませんというエピソードがありました。
逆なんです、原始釈迦仏教は、何かを特別視したり信仰する宗教でなかったわけです。瞑想したり禅宗に近いものです。信じるというよりお釈迦様への信頼、観察発見した真理で、地球は球形と観察発見されたように確かなものです。大乗のような根拠しくみ不明な摩訶不思議な力への信仰ではなかったわけです。誰もが救われるキリスト教、またヒンドゥー影響された変化変容したものが大乗で、日本また世界の学者先生たちの学術研究の結果、現代では大乗非釈迦説が定説になっています。
実は私も釈迦仏教に凄く引かれます。
そして 話は少し 反れますが、 昔 マトリックスという映画がありましたね 今の世の中 そんな感じがします😅
私の知り合いが 某大学院で原始仏教の研究をしていたが 何故かクリスチャンになった また結構大きな寺の住職の子供が仏教大学をでて 神父になった
古館さん、とても素晴らしい活動をなさっていますね。私は親鸞聖人を信じています。親鸞聖人を信ずるから親鸞聖人の御教えを信じているのです。しかしよく考えて見ますと私は親鸞聖人に当然のことながらお会いしたことがないわけです。私のイメージが私の親鸞聖人像を作り、その像を私は信じていることになります。しかしその構造は分かりつつも、私は私が抱いた親鸞聖人、そしてその御教えの中に死んで行こうと思っております。「信じる」とは、最終的に言えば「人を信じる」ことだと私は思います。たとえそれが私の脳が作った「像」であろうとも。「歎異抄」でお述べになった親鸞聖人の御言葉によって私は救われました。日蓮聖人も偉大な方であると思います。ただ私の脳は親鸞聖人を選びました。このような信心の在り方が私の信心でございます。古館様の今の御活動は、私のような者にとって大きな励みになりました。
四法印へ到達するためのメソッドとして中道の解説をお願い致します。
現代科学と釈迦仏教の無我の教えが近づいているダイナミズムを持論として話されていましたが、確かに共感できます。
さて、浄土真宗には七高僧の一人曇鸞大師の「無生の生」という言葉があり浄土は我々が思うファンタジーではなく釈尊が説いた因果説に基づく真実であることを親鸞聖人も示されてます。
この辺りが他力の難しいところだと思います。
どっちもいい仏教 って
伝わらんくていいけど って
仏教の名を借りてモノ申すな と直感しますが!
方便!!!
小宮光二先生の法華経解説が素晴らしいです。法華経は物理、宇宙の構造を語っていると説明しています。
悟りの教えを素人が聞いても理解するのは難しいけど、これを日常生活に利用して得しようってのは違うと思うな
学校で習うことは日常生活で半分も役に立たないから意味ないじゃん、って言う学生と似た感じがする
そう考えると大事なのは好奇心だな
お釈迦様はバラモン教(ヒンズー教)宗教文化から離れて智慧を説きましたが。後に大乗仏教と言う新興宗教が現れてヒンズー教の仏バージョン(神を仏と呼び変える)を創って行きました。
初期仏教では在家も預流果に悟れます🙏今では日本でも悟った人々はたくさんいます。
お坊様よりわかりやすいです。今度またお願いします。
スマナサーラ長老を尊敬しています。ふるたちさんは如何ですか?
原初のお釈迦さんは、インドにバラモン教から古くから常識として根ずいていた、「輪廻思想そのものから、解脱しましょう説いた」ものです。そこが「大乗仏教との相違」です。
懐かしい。大乗非仏説をどう捉えるかですな。
増谷文雄先生の偈のある経典やら中村元先生の分厚い本を若い頃読みまくりました。
五時教判とか大乗仏教の勝手な釈迦解釈だと思うともう何が何やらw
シンプルに釈迦本人は何を言いたかったかだと思います。
それ以外の人たちが「私はかように聞いた」(如是我聞)と言われてもそんな経典が何百もあるとどれがホントかわかりませんよ。
永平寺原理主義者といわれる南直哉氏と対談企画を実現してほしいなー。ものすごいプロレスが観れそう。
私には古舘さんが、舎利子に見えます!
釈迦族のゴータマさんがお釈迦様です。釈尊と言うのが真理に目覚めた人と言う意味で、仏陀も同じ意味です。ならば真理とは何かですが、釈尊は簡単に言えないと伝わっている。その説教は相手によって変わるのです。それを方便と言って相手の知的レベルに合わせて説教する。
釈尊は弟子のカッサバが教典を作ろうと言ったのを叱っています。また教団を創ってはならないと叱っています。自分の言っている真理すらも変化すると思っていたからです。それなのに弟子たちは死後に教典と教団を作ったのです。それを守っていたら仏教は消えていた。消えさせるのがもったいない教えだったのです。
人間も変化して生じた結果で元は猿だったのです。生存競争や氷河期を経験して幸運にも生き残っただけです。これを因縁果と言うのです。結果が次の原因になる。学ぶことは、その結果を招いたのには原因があると知ることです。悪い結果を招く原因は取り除くか、縁起で解消させることです。いわゆるあの世はなく、この世にあるのです。
この考えでは救われない人が多い。死ぬのが怖い人です。いずれ死ぬのが分かっているから怖いのです。卵を産んだら死ぬ生き物は多い。死ぬことを怖がってはいない。怖がっていたら卵は産めない。人間は子や孫が居ることで死を受け入れていると言える。
釈尊の真理は厳し過ぎる。色即是空とはむなしい。極楽浄土も嘘臭い。因縁果と言われても本当は納得出来ない。神様と言う遠い御先祖様が見守ってくれると思うから無くならない。
家の宗教は日蓮宗です。
諸行無常は漢訳ですが、「諸行」の原語サルヴァーサンスカーラーは「諸々の、意識を形成する作用一切は」であり。「無常」アニティヤーハは「一定していない」。「一切皆苦」の原語はサルヴァーサンスカーラー・ドゥッカーハで、前半は諸行無常と同じ言葉です。故に、一切皆苦の原語は「諸々の意識の形成作用一切は思い通りにし難い」となります。「諸法無我」は原語でサルヴァーダルマー・アナートマーナハで「凡夫の意識の中に本当の自分は存在しない(凡夫の意識の中にはないけど無いのではない)」。ダルマには五つほどの意味があります。私もインド佛教においては素人ですが、原文をあたって見れば釈尊の説いた正確な意味がわかります。十二支縁起が前提にあることを失念しなければズレないのだと思っています。
そして、私は、原始仏教と呼ばれる流れがあって、そのプロテストとして大乗仏教が発明されたという流れの、以前的前提としての仏教、原始仏教と呼ばれてきているものもまた、それ以前の仏教のプロテストであった。原始仏教と呼ばれる仏教の以前的前提としてあった仏教もまた、初期ヒンズー教からの釈尊によるプロテスト。いわば社会仏教が宗教社会において失う本来の役割の喪失に対応した。その根拠は四門出遊によって自分自身に対する問題意識の解消として必須だった。と受け取ってきました。
古舘節わかりやすいです、 m(_ _)m。
動画内でもオウム真理教の話が出ましたが上祐史浩さんと「原始釈迦仏教」について対談して欲しいですね
上祐さんは、オウムの密教とかチャンポンカルト宗教に没入されていましたが、アレフと別れ麻原否定派となったのは、何らかを特別視しない不殺生の釈迦の原始仏教を大切に回帰したからですネ。彼はすっかり変わりましたよ。宗教学者とも言えるほど詳しく、同じく古舘さんとの対談でしたら、仏教通の宮崎哲弥さんとも興味深い対談になりそうですが。
ご存じの通り、釈尊は「死後の世界」については【無記】に徹しました。これは素晴らしいことです。信心は[救い・悟り]を求めてのものではない、と考えております。また、ここまでお話になると、わたくしどもヤポネシア人には、ほとんど縁のない 上座部仏教(南伝仏教) にも 詳しく触れられるのがいいかな、と…😊🙏・・・
大乗仏教は多くの人々を救う事が目的であったが、原始仏教、釈迦仏教(上座部仏教)が、南伝仏教として東南アジアの国々に布教され、明らかに釈迦仏教のほうが信徒数が多い。
しかも、国際的に評価されているのは、明らかに釈迦仏教であるのは何故か、古舘さん頑張って下さい!!
悟りを開くと言うのは、私の実体はないんですよ
私なんていないんですよということに気がつくことです
でも、それを言われてどれだけの人がわかるのか
わからないんですね
だから、それを聞いた人のレベルに合わせて、その真実に導くための嘘をついて話を納得させる必要があった
それが、方便なんですね
対機説法というのをひたすら続けたのはそれが理由なんですね
お経というのは、方便の辞書みたいなもので、全てが正しくないとも言えます
でも、結果、真理に辿り着けば正しくなくても、嘘でも全然いいんだということで、広めていったということなんですよね
悟りの真理さえ理解できるのなら、どんな考え方でもいいということですね
「アレンジ」なんだそれ。それこそ釈尊の教えの否定。人の流れ時代の変遷を経て濾過されていったのが大乗、生まれ…仕事…性別、あらゆるこの世に生きる人が漏れなく教えの対象となるものだよ。それを「アレンジ」はないよ。無粋だ。
つまり、日本いや世界の考古学的調査、学者先生たちの学術研究の結果、現代では大乗非釈迦説が定説になっているわけですよ。
本来の仏教からヒンドゥー、景教の影響から変化変容の異端が大乗だったという目からウロコなわけです。禅宗ならまだ近い、それでも釈迦仏教と異なる点があります。
@@mika-iy1zi
つまり、じゃあ釈尊は何を見ていたとお考えで?
@@knuk1086
それは原始仏教を学ばれて下さい。摩訶不思議な力への成仏信仰でなく、観察発見の真理、四諦八正道を説かれました。けど世俗在家には、生天論も説かれているのも事実です(次第説法)。一仏乗の方ですか、キリスト教の影響ですネ。
そんなことはどうでもいいんではねーか!
検索してみました。同一人物ですね。
原始仏教と呼ばれていますが、本当は、基礎仏教と言った方が良いだろうと思います。基礎仏教の内容を基礎にして、大乗仏教が成り立つと思います。
原始釈迦仏教→観察発見の真理、本来の仏教、信仰でない先入観、固定観念、想念依存・思想束縛からの解脱
大乗仏教→頭で考えた観念論、根拠しくみ不明の摩訶不思議な力の信仰型、創作仏、思想への束縛依存
般若心経が
『空』『無』と否定するするように
連呼してますよね
あれは
何に対して『空』と言っているのか
何に対して『無』と言っているのか…
原始仏教を『基礎』にしてるなんて
とても呼べないと思います。
プラトン、ソクラテスを含めお話されましたが、ジグムント.フロイトやユングも心を論じる場合考えるならば絶対に不可欠ではありませんか?
【諸行無常】との意味からすれば概念は違うと思う方も多いとは思いますが、私はそうとは思わないのです。なぜなら【心】の煩悩や苦しみで仏で捉えるならば釈迦仏教も、哲学も、深層心理学、精神分析学を含めて考えるのが自然ではないでしょうか。例えば、哲学とは、死をどう捉えるかの学問だとすれば全て死を原点にしているように思います。
古舘さんが使いたい言葉を使えばいいじゃないですか。ここは仏教学科の教室じゃないんだから。
原始仏教と言うべきか、基礎仏教と言うべきか?そんな二択は古舘節の前では実に些末な話です。
多くの宗派があり過ぎてて、純水に仏教を説く人が少なく、立大卒の古舘さんには、キリスト教との比較もあり、新しい発見がありそうです。
みてきたものや きいたこと
いままでおぼえた全部
でたらめだったら面白い
そんな気持ちわかるでしょ
原始仏教(お釈迦様の教え)、『阿含教』は日本に入ってこなかったのではなくて
日本の仏教界が受け入れなかった
釈迦が亡くなってから600年後に大乗仏教ができるんだ?😮
日本で言えば、親鸞が亡くなってから現代くらいの時間が経っている😮
すごい。
大乗仏教は一部を除いて信仰型の仏教なので自分には合わなかったなぁ
でも信仰型の方で救われる人もいると思うからどちらもあっていいと思う。
有り難うございます!!!!\(^^)/
自分も救われるんじゃね?と思いたかったから
大乗仏教は教理がヒンズー教に成っており、迷妄、迷信が多く、原始仏教はと大きく相違します。
後7000年で、法滅。お釈迦様は凡夫に修行しなさいとは、一言もいってませんよね。
@@中川健司-r5m
道元さんは末法の言い訳を批判しています。そもそも真理、法(ダルマ)は、永遠性があり、諸行無常であることは体験している通りです。悟りの階梯にも四段階あり、現代人でも十分可能な最初の預流果でも聖者の仲間とされます。また現代では、考古学調査、学術研究の結果は、大乗非仏説が世界の定説ですので、後世の創作では異端になり、浄土門もキリスト教の影響を受けているわけです。
@@中川健司-r5m
道元さんは末法の言い訳を批判しています。そもそも真理、法(ダルマ)は、永遠性があり、諸行無常であることは体験している通りです。悟りの階梯にも四段階あり、現代人でも十分可能な最初の預流果でも聖者の仲間とされます。また現代では、考古学調査、学術研究の結果は、大乗非説が世界の定説ですので、後世の創作では異端になり、浄土門もキリスト教の影響を受けているわけです。
>お釈迦様は凡夫に修行しなさいとは、一言もいってませんよね。
どうしてわかるのですか。証拠を教えてほしい。
@@taishi8844 たとえば、座禅・山登りの修行・差別ですね。誰でも出来ますか?我々凡夫に注文つけても、出来ない方も出てきます。宝蔵菩薩様凄いんですよ。・・・やらなくてもいいよと言っても、やるのが我々凡夫なんです。阿弥陀様にお任せなんです。即得往生で一度死に、現世利益・特に3光の光頂くと解りますよ。
@@中川健司-r5m
道元さんは末法の言い訳を批判しています。そもそも真理、法(ダルマ)は、永遠性があり、諸行無常であることは体験している通りです。悟りの階梯にも四段階あり、現代人でも十分可能な最初の預流果でも聖者の仲間とされます。また現代では、考古学調査、学術研究の結果は、大乗非釈迦説が世界の定説ですので、後世の創作では異端になり、浄土門もキリスト教の影響を受けているわけです。
僕は初期仏教を学び実践させてもらっています。
法の六徳と言う偈を唱えます。
世尊の法は
善く、正しく説き示された教えです。
実証できる教えです。
普遍性があり、永遠たる教えです。
「来たれ見よ」と言える確かな教えです。
実践者を涅槃へ導く教えです。
賢者たちによって各自で悟られるべき教えです。
[以上の徳が具われる]ダンマに、私は生涯帰依します。
ウパニシャッドと西漸弥勒大乗
明教迄大衆部
天台唯識アリストテレス
一切衆生悉有仏性
ことごとくあるこの存在自体が仏性なんだ
しかし
修せざるにはあらわれず、証せざるにはあることなし
どうか古舘さんには大乗をもっと勉強していただいて誤解を解いてもらいたい。
ポイント制とか輪廻する魂を容認?とかどの大乗の宗派が言ってるんだよ。間違えてるよそれ…
一切衆生有佛性、一切衆生有オ?ンコ欲 ですね! 大変良く分かりました! 感謝、合掌デヤンス!
古館さんの言う「原始釈迦仏教」というのが分りません。
釈尊の基本的な問題意識は「人間は何のために生まれてきたのか」ではないのですか?
前にも言いましたが、是非ネルケ無方老師との対談をお願いします。
人間が生まれてきた理由は何もありませんぜ。お父ちゃんとお母ちゃんが、「久しぶりに、どうや!」なんて言いながら、酔に任せて「ナニ」を致しか結果に過ぎませんね!
何のために生まれたかを追究したなどとは釈迦はしてません。
中村元先生は富永仲基の大乗非仏論を高評価していた 何も語らず 犀の角のようにただ一人歩め でいいのでは
人は漏れなく愚か
愚かだから悟れる
今生で無くば、また来世
あせるな、あせるな
諸行無常、諸法無我、一切皆苦の順なのか
一切皆苦、諸行無常、諸法無我の順なのか?
四門出遊の逸話から考えると始まりは一切皆苦からのように思えるが・・・
あなたにとっての出世本懐は?
釈迦で〜す👌👌ってやってるホスト居ますよね
信長は賢かった
龍樹の時代に、キリストの12使徒の一人、トマスだったと思うけど、南インドでキリスト教の布教を始めてますよ。大乗仏教も、その頃に生まれています。
大乗仏教が興ったのはナザレのイエスが生まれるはるか前の紀元前です。大乗仏教にキリスト教のような人身御供や食人によって永遠の命を得るといった思想はありません。キリスト教と大乗仏教にはなんの関係もありません。
原始宗教って原始人にも宗教ってあったのかな??野山を駆け回り獲物をて
すみません、無知な質問です。
釈迦とはブッダのことですか?
@@とのばん
そうですよ
ブッダは悟った者の意味で○○仏として複数存在します。シャカはシャーキヤ族の王子だった個人を指す名称です。
仏教は因縁生起に始まる。この縁起とは何かを良く知れば悟れますよ。
悟りとは釈迦も言ってますが執着から離れよです。縁起が分かれば空も分かる。
空が分かれば無常 無我もわかる。漢語では翻訳が不味いので分らんものに
なってるだけ。結構解り易いですよ。無我の翻訳がまずい我の翻訳は本来
自性で自性とは何か?我とはアートマンが原語、その否定でアンアートマン。
しかしその否定は単純にアートマンは無いと否定したのではないのでそこが
ヤヤコシイ事になってます。以上の事が分かるまで必死に勉強せよ。
縁起=無自性=空。空とは空っぽというそのままの意味、何が空っぽか?
その空っぽは自性が無いという意味。物質がないとかそんな意味ではないですよ。
見えてるものの通りモノはあります。猫も犬も人も見たとおりあるに決まってる。
唯識がどうもおかしい。
釈迦 龍樹の系統が正当な初期仏教と空大乗の流れで別に矛盾はないですよ。
「空」とは有、無も包摂した抽象度が一つ高い位置にありすなわち「空=悟り」って事でよろしいでしょうか?
@@CRIMEBLACK-k3k
空とは空っぽという意味そのまま。
で、何がカラなのか?アートマンなんて
ありませんという意味。だから意味のハッキリしてる言葉ですよ。後世の学者がヤヤコシイ事言って分からなくしてるだけ。
これは龍樹の言葉なのでそのまま受け取るしかないですよ。アートマン=自性=無我、
我がアートマンという事です。霊魂とか霊とか死後輪廻する主体の意味です。
@@CRIMEBLACK-k3k
悟りは別に難しくないですよ。古代のインド人なんて無学でしょう。そんなj人でも悟れるんだから現代人にとって悟りは難しい事はないでしょう。執着があるから煩悩があって悩むわけです。だから執着から解脱つまり離れる事だけど、これはもう修行するしかないです、修行と言っても今何に執着してるか自覚して執着しておくべき事か執着するべきでないかを判断は必要かと思います。当方もいろいろ執着しておりますが、お金とか美人とか
ま=いろいろありますが。執着してる自分を意識してますので苦しむ事はありません。
マイトレーヤは弟子
ギリシャ迄
😎😎😎😎
長い歴史の中で生き残るにはポピュリズムに屈するしかなかったので本物は伝わらなかった。ご都合主義の人間の煩悩が原始仏教よりも大乗仏教を取捨選択してきた。
釈迦は、説法をすることに対する報酬を完全否定していますよね。
それは「毒」だと。
それが経済性容認の大乗には、決定的に容認できないことだったのだと思います。
「○○先生公演、参加費○○○円」これは、釈迦としてはNG。
そうやって報酬を受けとると、講師自身が毒されてしまうから。
そこまで徹底した釈迦は、やはりすごすぎますね。
釈迦は布施としてもらった蟹を食べて食中毒で亡くなりました。けっして何も受け取らなかったわけではありません。
@@taishi8844 報酬と、布施のちがいですね。
日本では「お布施は3万円でお願いします」なんて
意味不明の会話も成立してしまっているようですが・・・
キリストとシャンが悟った方法。
バシャール!
南無阿弥陀仏、私は浄土真宗なので阿弥陀経と阿弥陀仏48願を信じて居ます。阿弥陀仏48願についても語ってください。
因果律自体が絶対ではない。限界があり成り立ちうる範囲が狭い法則だ。量子の世界では因果律は成り立たない。また因果律だけでは人間の意思の存在を説明できない。因果律だけですべて分かろうとすると人の考えは真理から遠退く。
釈迦が教団を作った意識が無いとは何から来てるんすかね?サンガ=教団ですよw
及び、佐々木閑氏の戒律についての説、戒律さえ守ってればサンガに所属出来るは何処に行ったんですかね?
ブッダは対機説法(相手の知識や理解力に応じた教えの説き方)をしていたので、大乗仏教の教えも方便としては正しいと言えるでしょう。
しかし方便は真理の到達する為の途中経過に過ぎません。
ブッダの真理としては大乗仏教は間違いですよ。
ブッダの真理は真実ありのままの道理です。
タイに 本物が あると思います。
大乗仏教についてはあまり知りませんでしたが、聞いているとゴータマシッダールタの教えとはかけ離れているように思います。日本でも親鸞聖人、法然聖人などいらっしゃいましたが間違った解釈をしていると思います。私も詳しく勉強していないので断定は出来ませんが、例えば親鸞、法然は念仏を唱えれば往生出来ると言っていますがそれは間違っていると思います。ゴータマシッダールタはそんな事で救われるとは言っていないんです。後から出てきた仏教が他の宗教と混ざって極楽の存在を謳っていますが、これはヒンズー教やバラモン教などの教えにあったはずです。もちろん神様や、極楽、地獄など教えの中で使っていますが実在するは言っておらず、例えて話しているだけです。それを聞いた人が勘違いしてか、あるいは都合よく解釈しているだけだと思いますがいかがお考えですか。もし間違っていたらすみません。
あなたは輪廻転生もそこからの解脱も、釈迦においてはただの例え話だったと信じているのですか?
@@taishi8844 信じているとかではなく、ゴータマシッダールタは死後の世界や輪廻転生の事は話していないんです。話の中に修行に励めば地獄に落ちる事がないと言っていますがこの場合に地獄は実在する物としては言っていないんです。死後の世界についてはヒンドゥー教やバラモン教の教えには出てきますがゴータマシッダールタはそれを否定しています。仏像に祈ることや祭壇に色々と供物をする仏教行事も意味がないと言っています。ゴータマシッダールタは心を穏やかにするためには、欲望の矢を抜き取って心を静かに保ちなさいと言っていて、それが悟りあるいは涅槃に達する道だと説いているんです。でも今の日本に存在する仏教は念仏を唱えれたり、葬式の行事を重んじていますがそれは無意味なことだと言っています。四十九日とか初七日などゴータマシッダールタの話には出て来ていません。あくまでも心を静かに欲望を抑えて暴力を振わず質素に暮らせと言っています。
@@成崎義和
少なくとも輪廻については語っていますね。
釈尊は遍歴の行者サビヤに以下のように説いています。
あらゆる宇宙時期と輪廻と(生あるものの)生と死とを二つながら思惟弁別して、塵を離れ、汚れなく、清らかで、生を滅ぼしつくすに至った人、―かれを<目さめた人>(ブッダ)という。(スッタニパータ 517節 中村元訳)
この点以外については、私から特に言うことはありません。
釈迦自身、苦行の脱落者として最初仲間から軽蔑されました。しかし脱落ではなく悟りであると説法を始めることで人間界に新たな次元を開いたのだと思います。
物凄く卑近な例で言うと、スポーツの訓練で水を飲むなとかウサギ飛びとかケツバットとかが当たり前の時代に、大谷翔平選手の練習法を説いたようなものです。
しかし大谷選手の練習法の凄さもまた常人のできるものではない。そこで対機説法として出来たのが大乗であり浄土教ではないでしょうか。誰もが納得安心してスポーツに取り組める、しかし大谷翔平選手には尊敬と憧れを持つことが出来る。決して矛盾するものではないと思います。
違う。法華経です。仏教の結論は、法華経です。要するに「布教せよ」です。布教以外に人間の進む道はないという結論です。法華経は、「布教せよ」の作戦司令書です。命令書なので、真実です。岩波文庫から出ていて、Amazonでも入手できますよ。行き着く所、日蓮大聖人に行ってしまいす。