ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
素晴らしい音源ですね✨Upしていただき、ただただ感謝です。今そこで聴いているようです❗
そうです ファミリーコンサートからの曲です。ハイファイセットとのコーラスも聴いたことがありますが、二人でもかなり聴かせるハモになっていますね。さすが、初期のオフコースのハーモニーはすごいです!
さすが理系男子です。数式のようなハーモニー。
素晴らしいハーモニーですね。鳥肌が立ちました。
この画像のような雰囲気のライブを見てみたかったです。地味?だけどホントに美しい歌声だったんでしょうね。
貴重な音源をありがとうございます!癒やされました!😊
久しぶりの楽曲…P.P &Mの元歌聴きました。
すごくすてきな曲!初めて聴きました。
鈴木さんも小田さんも英語が流暢ですね。流石に進学校のご出身だけあって、勉学もしっかり、やってこられたからだと思います。皆さん、いろいろなエピソードをご存知で、興味深くコメントを読んでいます。美しい二人のハーモニーは洋楽でも十分に魅力的で、この高度な技術が、皆が知っている後のオフコースの多くのヒット曲の誕生の基礎なのですね。
PPMのハーモニー自体が高度なもので、当時、それをどうコピーし、再現できるかがひとつのテーマでした。オフコースは、オリジナルよりもこういうコピーをすることからスタートしているので、演奏やコーラスだけでなく、英語の細かい発音にもこだわってものすごく練習している人たちでした。この曲は、本来3人でハモるところを2人でやっているわけで、音の隙間をいかにして埋めるか工夫しています。だから、二人だけとは思わせないぐらいの複雑なハーモニーになっていますし、広がりや迫力も感じられます。初期のオフコースのオリジナル曲にもこういうコーラスの技術が使われていますが、3枚目のアルバム「ワインの匂い」あたりから、いかに複雑化しないか、をテーマにしはじめたので、複雑さは影をひそめるようになっていきます。それでもご指摘の通り、基礎のところにはこういう洋楽コピーから学んだ技術があるのでしょうね。
いつもご丁寧に教えていただいて有難うございます。70年代、60年代は、日本だけでなく外国でも良質な音楽が多かったのですね。昔のオフコースの歌を聞いていると、中学生の頃にヒットした「カーペンターズ」を思い出します。女性のような声の小田さんと鈴木さんのハーモニーは、「日本のカーペンターズ」と表現しても過言ではないように思います。
杉本さんがおっしゃるように、オフコースはカーペンターズと比較されたことがありました。ファーストアルバムの帯に「日本のカーペンターズ」と紹介されていたのです。カーペンターズは、マルチトラッカーと呼ばれる録音機を駆使して、自分たちの声を何重にも重ねることですばらしいハーモニーの世界を表現していましたが、初期のオフコースも何層にも及ぶ厚いハーモニーで自分たちの世界を構築しようとしていました。ただ、それが「難しすぎる」「歌えない」といった声もあり、なかなかヒットにはつながりませんでした。3枚目のアルバム「ワインの匂い」から、厚いハーモニーは影をひそめ、わかりやすいメロディー、歌いやすいフレーズ、ポップなサウンドが前面に出てくるようになります。これは、プロデューサーになった武藤さんの影響が大きいと思われます。初期のハーモニー重視の世界が好きだった人たちは、少しがっかりしましたが、この変化によってオフコースのファンはかなり増えました。何かを得るために何かを捨てる・・・それはやむを得ないことだったのでしょうね。
「日本のカーペンターズ」。そうでした。その帯、記憶があります。売り出すための手段ならば「日本のカーペンターズ」では駄目だったのでしょうか。歌いやすいのならば「別れの情景」は言葉が少ないからか、すぐに詩を覚えられます。おそらく70年代と言えばグループサウンズの流行もあって、にぎやかな楽器の音楽が、人々に受け入れられやすかったのかもしれませんね。
そうですね。グループサウンズは60年代後半でしたが、70年代はよしだたくろうが圧倒的に支持され、やがてかぐや姫などの叙情派フォークもヒットしました。たくろうは自らの主張を歌にして、強烈な個性でコンサートを盛り上げていき、かぐや姫、井上陽水らも独特の世界を作り上げて時代を風靡しました。オフコースはそういう強烈な個性の中ではおとなしいサウンドだったといえるでしょう。歌詞なども「女々しい」と評され、男性のファンはほとんどいませんでした。コンサートへ行くと会場の9割ぐらいが女性でした。その比率はだんだん変わっていき、最終的には男性4:女性6ぐらいの比率になったのではないかと思います。現在の小田さんのコンサートの男女比もそれぐらいになっています。初期のオフコースの曲は名曲ではありましたが、当時の状況からするとヒットするタイプの曲ではなかったと思います。やがてだんだんと時代がオフコースに追いついてくることになったわけです。
n
素晴らしい音源ですね✨
Upしていただき、ただただ感謝です。今そこで聴いているようです❗
そうです ファミリーコンサートからの曲です。
ハイファイセットとのコーラスも聴いたことがありますが、二人でもかなり聴かせるハモになっていますね。
さすが、初期のオフコースのハーモニーはすごいです!
さすが理系男子です。
数式のようなハーモニー。
素晴らしいハーモニーですね。鳥肌が立ちました。
この画像のような雰囲気のライブを見てみたかったです。
地味?だけどホントに美しい歌声だったんでしょうね。
貴重な音源をありがとうございます!癒やされました!😊
久しぶりの楽曲…P.P &Mの元歌聴きました。
すごくすてきな曲!
初めて聴きました。
鈴木さんも小田さんも英語が流暢ですね。流石に進学校のご出身だけあって、勉学もしっかり、やってこられたからだと思います。皆さん、いろいろなエピソードをご存知で、興味深くコメントを読んでいます。美しい二人のハーモニーは洋楽でも十分に魅力的で、この高度な技術が、皆が知っている後のオフコースの多くのヒット曲の誕生の基礎なのですね。
PPMのハーモニー自体が高度なもので、当時、それをどうコピーし、再現できるかがひとつのテーマでした。オフコースは、オリジナルよりもこういうコピーをすることからスタートしているので、演奏やコーラスだけでなく、英語の細かい発音にもこだわってものすごく練習している人たちでした。この曲は、本来3人でハモるところを2人でやっているわけで、音の隙間をいかにして埋めるか工夫しています。だから、二人だけとは思わせないぐらいの複雑なハーモニーになっていますし、広がりや迫力も感じられます。
初期のオフコースのオリジナル曲にもこういうコーラスの技術が使われていますが、3枚目のアルバム「ワインの匂い」あたりから、いかに複雑化しないか、をテーマにしはじめたので、複雑さは影をひそめるようになっていきます。それでもご指摘の通り、基礎のところにはこういう洋楽コピーから学んだ技術があるのでしょうね。
いつもご丁寧に教えていただいて有難うございます。70年代、60年代は、日本だけでなく外国でも良質な音楽が多かったのですね。昔のオフコースの歌を聞いていると、中学生の頃にヒットした「カーペンターズ」を思い出します。女性のような声の小田さんと鈴木さんのハーモニーは、「日本のカーペンターズ」と表現しても過言ではないように思います。
杉本さんがおっしゃるように、オフコースはカーペンターズと比較されたことがありました。ファーストアルバムの帯に「日本のカーペンターズ」と紹介されていたのです。カーペンターズは、マルチトラッカーと呼ばれる録音機を駆使して、自分たちの声を何重にも重ねることですばらしいハーモニーの世界を表現していましたが、初期のオフコースも何層にも及ぶ厚いハーモニーで自分たちの世界を構築しようとしていました。ただ、それが「難しすぎる」「歌えない」といった声もあり、なかなかヒットにはつながりませんでした。
3枚目のアルバム「ワインの匂い」から、厚いハーモニーは影をひそめ、わかりやすいメロディー、歌いやすいフレーズ、ポップなサウンドが前面に出てくるようになります。これは、プロデューサーになった武藤さんの影響が大きいと思われます。
初期のハーモニー重視の世界が好きだった人たちは、少しがっかりしましたが、この変化によってオフコースのファンはかなり増えました。
何かを得るために何かを捨てる・・・それはやむを得ないことだったのでしょうね。
「日本のカーペンターズ」。そうでした。その帯、記憶があります。売り出すための手段ならば「日本のカーペンターズ」では駄目だったのでしょうか。歌いやすいのならば「別れの情景」は言葉が少ないからか、すぐに詩を覚えられます。おそらく70年代と言えばグループサウンズの流行もあって、にぎやかな楽器の音楽が、人々に受け入れられやすかったのかもしれませんね。
そうですね。グループサウンズは60年代後半でしたが、70年代はよしだたくろうが圧倒的に支持され、やがてかぐや姫などの叙情派フォークもヒットしました。
たくろうは自らの主張を歌にして、強烈な個性でコンサートを盛り上げていき、かぐや姫、井上陽水らも独特の世界を作り上げて時代を風靡しました。
オフコースはそういう強烈な個性の中ではおとなしいサウンドだったといえるでしょう。歌詞なども「女々しい」と評され、男性のファンはほとんどいませんでした。
コンサートへ行くと会場の9割ぐらいが女性でした。
その比率はだんだん変わっていき、最終的には男性4:女性6ぐらいの比率になったのではないかと思います。現在の小田さんのコンサートの男女比もそれぐらいになっています。
初期のオフコースの曲は名曲ではありましたが、当時の状況からするとヒットするタイプの曲ではなかったと思います。
やがてだんだんと時代がオフコースに追いついてくることになったわけです。
n