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天下人になって色々と贅沢なもん食ったけどやっぱり母ちゃんの麦飯が一番美味かったと言ったエピソードは好き
農民から天下人になるのは本当に凄いな身分が低い所でスタートしているはずなのにめちゃくちゃ成り上がっていてヤバいな
母親の再婚相手の竹阿弥が信長の父の茶坊主だとされているので、事実だとすれば農民といってもそれなりの家系だったのであろう。
@@ほえほえ-w3xあの時代はまだ武士と農民の区分けが出来ていませんからね。秀吉は行商をしていたようですから、最低限の資金と教養(読み書き算盤)は有ったはずですので、それなりに裕福な農民の出だと思います。
@@仔猫の足跡 父親は庄屋だったって説は聞いたことありますね。
秀吉が天下人となった頃、秀吉の兄弟と名乗る男とその一行が来て、真偽を確かめるべく秀吉母が直接見ることになった。生き別れた子の心当たりがあったのだろう。秀吉の幼少の頃は、母親は夫の死別もあって、農民であるにしても生活(収入)や家庭境遇(再婚父との不遇や父方親類の武士採用なし)は不安定。今川領へ飛び出すが夜はむしろをかぶって寝てまさに乞食みたいになってる。
裕福な豪農の息子当時は階級社会だから
辞世の句がまたイイ「つゆとをちつゆときへにしわがみかな/なにわの事もゆめの又ゆめ」トップに上り詰めたのに、この儚さは何か辛い、、、
泣けますね😢彼は孤独で、後悔も多かった晩年だったと思う。
直筆でかすれた文字で書かれてるのが、もうね……
秀吉自身の人柄もあるかもしれないけど、秀長と鶴松が立て続けに死んで情緒不安定になっていた可能性も否定できない。
なんだかんだで清濁併せ呑み成り上がった秀吉が一番好きだなぁ衆道もやらず女好きだったり辞世の句の儚さだったりどこか人間臭い所が魅力的に見える
たった一代で天下をとるのは本当に凄い。
晩節がいろいろとアレだけど秀吉の人たらしの術は現代でも学ぶところは多い
世界レベルですからね
政権作った後しっかり地固めできてればなあ。秀長が生きてればまた違ったのかな。
本当そうですね。後、秀次の一族皆殺しヒャッハーもね。秀吉の姉か妹かは忘れたが、後20年生きていれば豊臣家は安泰だった筈。
秀吉を見ると、リーダーになるより部下として活躍される方が向いてる人っているよね。
太閤検地、刀狩、バテレン追放を実施できたのは秀吉のリーダーシップのおかげだぞ官僚も優秀だがそれを率いる能力があったのも事実
秀吉よりもリーダーになれる武将って、家康ぐらいしかいないと思います。元就の考えでは天下人になれないし、信玄謙信が長生きしても天下人になれなかったでしょうし、信長でさえ謀反起こされたし。
本能寺の変がやっぱり歴史の転換点だったんですよね、でも秀吉が居たから身分が低くても国のトップになれる夢がありますよね
出生がいまいち分からないから創作だと色んな話が盛られるのが結構好き才能、行動力、運で全てを手に入れ全てを失った感があって哀愁ある
豊臣家は譜代家臣がいなかったのも痛かったですね。実力で成り上がったもののこういった所で生まれの悪さが災いしたという
家庭運の悪さというか、秀吉の親戚は事実上、母方だけ。あと、子供がほぼできなかったことが短命政権に直結したな
信長はさいえい、秀吉は趙匡胤だな。
秀長と鶴松が死んだ時点で豊臣政権の命運は決まっちゃったんだろうな
秀吉を支えた弟秀長の功績が大ですな。秀次事件でまだ嫁ぐ間もない(京に着いたばっかりだった)最上義光娘駒姫まで処刑してしまったのは後の関ヶ原において、最上家が東軍につく事にもなったとか…ただでさえ一族が少ないのに秀次事件まで起こしてしまったのは豊臣家にとって致命的ともいえますね。
序盤の成り上がりは本当に凄いんだけど最後はまさに「晩節を汚す」を地で行く暴君になってしまったな駒姫の件は許されねえ
ねねちゃんは最後まで一緒にいてくれたのにね…。
戦国時代で、成り上がり武将といえば、やっぱ、木下藤吉郎こと、豊臣秀吉だなぁ…
秀吉は肉親たちが続けて亡くなって狂っていくのが悲しくなってくる。ここでは紹介されてないけど1591年くらいに母や妹も亡くなってるんだよなぁ。
失う事への恐怖と自らにもやって来るであろう死に対する焦りが、朝鮮出兵へ駆り立てたのかな。
@@浩一加来 あれはそんな単純な戦争ちゃうんちゃいます?
@@hirose795残念なことに朝鮮出兵に関する証拠や書物、記録は現時点でほぼ見つかっていないのでなぜ行なったかはまだ、はっきりとしておりません。
@@azure0428😮
本能寺から天下とりまでのダイナミックな秀吉が好きだ
うちは両親が山形、秋田の人間だからか駒姫の件もあって秀吉には初めからいい感情は湧かなかったわ
秀吉様、我武者羅に働いてきたけど、花見もお茶も能も大好きだしコスプレもするし刀剣も好きでそもそも楽しいことも好きだったんだろうなぁ。手紙とか文書が直筆も含め多く残っているのが面白いので是非読んで欲しい。身内に対する手紙とか思いやりあるなぁって感じます。50歳くらいまでに元服した息子がいたら良かったのにね。
小田原の時、謀反の噂が広まってた家康と信雄の陣を数人で訪れ、遊び倒した話好き夜通し付き合わされた隆景かわいそうだけど笑
農民出身なのかは書いてある通り諸説あるが、どんどん下から這い上がっていったのは凄いよな。最近は豊臣秀吉はドラマと狡猾、汚いイメージで演じられること多いね。史実を見る限りはそれもまた事実なのかもだが、ほんと色々見方の変わる人。凄い人なのは確かだろうが。
戦前は朝鮮出兵も全肯定されていたくらいだからねえ。朝鮮併合を成し遂げたのは「豊太閤の業績の延長線」だとみなされていたくらい。(朝鮮併合時の初代総督府長官、寺内正毅の歌「小早川 加藤 小西が世にあらば今宵の月を いかに見るらん 」が象徴している)
秀吉本人も凄いけど、その秀吉の能力をきちんと評価して昇進させていった信長も凄い。
テレビ局で韓流ドラマが放送されるようになったから、秀吉叩き作品が増えた気がします。利家とまつあたりから、秀吉を貶める意図が感じられて見ていて気分悪くなる作品ばかりで嫌になります。
日吉丸から木下藤吉郎、羽柴秀吉になり、そして豊臣秀吉へと名を変えた。
10年~20年前くらいから、秀吉は無邪気な人たらしからサイコパスキャラへ。 家康は謀で豊臣家を滅ぼした狸親父から、天下太平を築いた天下人へ。 信長は殺戮者から、意外と真面目で古い権威も大事にしたんだよキャラに。 あと秀吉の評価が下がれば下がるほど、秀長さんの評価が爆上がりしてる気がします笑
信長様大好き!!な秀吉も好きだけど、センゴクみたいに優秀であるがゆえにどんどん周りが着いてこれなくなって孤高になる秀吉も好きだし、前提を全てひっくり返して尚説得力のあるへうげ秀吉もめっちゃ好き。
仙石秀久の漫画?センゴクって
@@ruri578 ですね。シリーズが多いので全部含めてセンゴクと表記しました。
信長の寛大な所は苻堅、宇文邕、趙匡胤を連絡します。
センゴクの秀吉の最後は泣いたなぁ秀吉を認めてたのがライバルたちだったとは……信長の最後も最高だったけど
信長が居なかったら秀吉の名前は残ってないと思う。身分が低いので他の武将と比べて見劣りするので頭を使ってのしあがっていきそれを信長も評価した。(笑)身内が後ろ楯なのに処刑等して味方を無くしたことが豊臣政権の崩壊に繋がった残念(泣)
出世欲に溺れて身を滅ぼしたが、身を滅ぼすほどの欲が無ければ農民から関白になんてなれんよな。業が深い。
動画ありがとうございます。秀吉が身分が低いにもかかわらず、天下人になったという点は、明の太祖朱元璋と共通するんですよね。もっとも、朱元璋のほうは秀吉以上に貧困だったようですが。天下を取ってから権力者として問題が多いという点、奥さんが非常に人として魅力的で多くの人から慕われていたという点も共通しています。
朱元璋は、彼程しくじらなかったし、彼の王朝は豊臣より長く保った。
@@言霊の幸う國のムソジニスト 朱元璋の場合、500年近く続いた皇帝独裁システムの完成者としての功績が大きすぎるし、「大粛清」にしても農民思いの名君として振る舞おうと必死で努力していたのに士大夫に舐められまくってある日突然ブチ切れて反転、気付いたら功臣をほとんど殺してた、というタイプなので…
やっぱ偉くなると人は良くも悪くも変わってしまう。秀吉はその典型例
偉くなると食生活(献立)が変わってしまい、豪華でも栄養バランスが偏ってきます。そうなると苛立ったり体調を崩しやすくなるんですよね。滋養強壮を心掛け温泉や鷹狩り等の運動をし、囲碁を打って脳を鍛えて健康を第一と考えた徳川家康とは違うんですよね。
いやむしろ変わらなかったから問題だと思います足軽程度の腰の低い意識でいるから問題だったと思います秀吉は織田家の討滅を狙っていので信長の跡を取る気も取った気もなかっただろうでしょうから世評がいかに役立たずが分かる好例です
ただの認知症やろ。
当時の秀吉の直筆の書状が大量に残ってるが、その内容や筆跡から異変が読み取れるって話ならともかく、後半におかしくなったって言ってるのは唐入り(オマケの朝鮮征伐)で征伐された支那人や朝鮮人がそう思い込みたくて言ってるだけだろう。本当におかしくなったなら秀吉の出自からして政権の基盤は弱く死ぬ前に内乱が起こってるだろうし手紙の内容もメチャメチャになってるよ。よく語られる自分の子供を関白にする為に秀次を○した話だって関白に権限があるならともかく単なる肩書にすぎない、朝廷が勝手な事をした事実もないし、史実通りの目に余る素行不良な親族を成敗したって内容が正しいだろうね。
@@Seaza_Sr1 あなたが何を言いたいのかはよく分からないけど秀吉の勝手な野望で国土を荒らされて傷つけられた朝鮮や明の人々はいい迷惑だったでしょうな。あと手紙の件ですが、秀吉の意向を聞いた部下が代筆をした可能性も高いので文章の内容がおかしくないのは普通かと
秀吉公には黒田官兵衛様や石田三成様、弟の秀長公、武勇に優れた加藤清正様や福島正則様など各分野で優秀な人材に恵まれていましたよね!織田家乗っ取りは聞こえが悪いですが羽柴家(豊臣家)は天下を治めるのに一番近い組織だったのかもしれませぬ。某は豊臣時代よりも羽柴時代の方が好きでした✨
家康の三河家臣の様な譜代家臣がいなかったから、0から譜代作ろうとこれだと見抜いた子供を戦にも連れて行き実戦をも学ばせた結果出来たのが七本槍だとかw
池田恒興忘れてまっせ池田恒興いなかったら明智光秀に負けてたよあと蜂須賀小六もこの二人いなかったら秀吉天下人なって無い伏見城の普請奉行やったのも池田恒興やしまあ蜂須賀小六の子供も手荒にあつかって家康に寝返られたのがあとあと効いてくるんやがな晩年は何でも願い叶う思って暴走したんやろ攻めて攻めて攻めてイカな滅ぶ恐怖感があった思うわ一概に悪く言えないよまあ大体が被害妄想の感じもあるけど
唐入りや利休追放(しかも一次資料では命だけは取らなかったとされる)は仕方なかったとされる上、秀次は自分の意思で切腹したらしいけどやはり秀次の妻子を皆殺しにしたのは豊臣家にとってはかなり痛手だった…しかも数少ない親族の生き残りである姉夫妻を流罪にしてるからこの時の秀吉の行為は異常。
秀吉は結構活躍していたけどその反面弟や息子が死んでしまって暴走して暴君になってしまったのが本当に惜しいな
豊臣家としては残念だけど、豊臣秀吉個人としては低い身分から天下人になり、日本史上一番の成り上がりを成し遂げ、寿命を全うしたんだから、これ以上の人生なんてない。死んだ後の事は秀吉本人は知りようもない。人間死んだら終わりだよ。
そうかな?むしろ晩年の秀吉こそが本当の姿だと思いますよ。恐らくは、秀吉の悪い部分を秀長がフォローしていたから上手くいったということです。
最高権力者になったからこその秀吉の本性が表れたのでは?それを隠す必要と無いただ自分の思うままに行動できる立場になったからこそ、暴君の本性が表れた、だけかと思う。
信長ほど甘くはない、と言ってるあたり、信長の人使いは意外と寛大。
豊臣家は、武家・公家対応を実弟の秀長、商家(経済)対応を利休、軍事を黒田官兵衛が担当していた時が最も栄えた。この三人は、生命をかけて秀吉への直言を辞さない`政治家`であり、秀吉の命令でさえ「あいや、兄上、この者は功績があり・・」「殿下それは世に聞こえが悪しゅうございますぞ!」「上様、それは無謀であります」と止める事ができた。ただ、秀長が病死、利休が賜死、官兵衛が隠居し、豊臣家の舵取りを、石田三成ら奉行衆がとるようになると、この政権の残虐度は増して、暴走していった。 秀長らが、自分の頭で考え行動する`政治家`だったのに対して、奉行衆は、老耄した独裁者の妄想を`それを実現したら世の中がどう反応するか`を一切考慮せずに実現する(それも水も漏らさないほど堅牢に)`高級官僚`に過ぎなかった為だ。 結果、三成は秀吉にとっては「どんな願いも叶えてくれる」無二の忠臣であったが、それを実行することで、世の反発を招き、豊臣の寿命を縮めたという面で考えれば、途方もない、佞臣、悪臣といえる
確かに信長、家康でも頼朝、尊氏でも農民スタートでここまでやれたか?かなりのムリゲー
太閤殿下、このシリーズお馴染みだったので既に出てたと思いましたが、よくよく考えてみたらまだでしたね😂
謀反を起こさなくても光秀はすでに50代〜60代、柴田勝家・滝川一益も高齢であり老い先短い、丹羽長秀も1585年には病死…そうなると秀吉は織田家筆頭家老の地位に付けただろうし天下人になるよりその方が幸せだったのではないかと思う。
吉川元春とか秀吉嫌いで、隙あらばまた播磨に進行しかねない状況でしたからあのスピード感で織田家家臣の頂点に立ってなければ、当然柴田も毛利と通じていたので挟み撃ちにあっていたかも? というか信長に謀反起こしたのは秀吉ではなく光秀ではないでしょうか?
最後がアカンかったなぁ?スペイン帝国から日本を守るために大陸に進軍したんやで?
秀吉のヤバいのは学習力の高さ。ほとんどの武家は任官したらすぐに返上して、朝廷への出仕はほとんどしないものなのに、40代から教養を訓練し始めて、50代で関白の儀礼を問題なくこなせるようになるのは異常。
凄い良いね👍。いつまでがんばってください
どうする家康の戦国乱世を最も楽しんだ男って紹介がほんとしっくりくる
だからと言って新たな乱世を求めるのは魔王ムーヴ過ぎる
結局、朱元璋(明太祖)や劉邦(前漢太祖)同様に「成り上がりゆえ、他の者に同じことをされることを恐れて権力掌握後は…」となってしまったのが悲しいこと。明や前漢はその後数代も栄えたけど、豊臣政権はあっけなく崩壊するほど後継者を自ら潰したのもなあ。織田でも信雄の家系が血脈を伝えてるのに、豊臣は…
秀次は子沢山だったのに(男児も4人はいる)、秀吉はみな処刑したからなあ。
@@ミックスミッキー-z2g秀吉の最大のしくじりと言えよう。如何なる理由があっても一族は大切にしないとね。
豊臣秀吉は劉邦や朱元璋のしくじりをしないように轍を踏む事のないようにすれば良かったのに。歴史や人々は同じ過ちを繰り返す。
まさに成り上がりの代表格と言ってもいい。だが真に心から信頼できる人達が少なかったんだよな。
天下取りレースに躍り出てから僅か8年ほどで天下統一を果たしてしまい……家臣団を育てる暇が無いという……で、大名を家臣にしましたが……つまり豊臣家の【奉行】は大名がする事になりましたそのため関ヶ原合戦で豊臣家の奉行は根こそぎ滅んでしまうのです💦
ある意味、信長よりヤバい人。
ある意味も何もぶっちぎりのやべー奴だ
信長は長島&加賀一向一揆の虐殺を行うまではマトモだった秀吉は織田家や養子たちの弾圧とか、インドまで占領するとか盲言はいて朝鮮出兵するとか、やることがヤバすぎそりゃ関ヶ原であれだけの武将が家康につくはずだわ
どうする家康の秀吉が如何にして狂気に染まっていくのかが気になる。いや、下手すると既に狂気を抱えているキャラかも。
弟の秀長、竹中半兵衛、蜂須賀小六が秀吉より先に亡くなってしまったのが痛かった。彼らが秀吉より長生きしていたら、晩年の秀吉はあれほど酷くならなかったのではないか。
ストッパーが全員先に亡くなってしまってる・・・残った黒田如水・浅野長政も徐々に心が秀吉から離れて行く印象に残っているのが功名が辻での前野長泰のセリフ「猿も老いた」これにつきるでしょうね
@@大坂智義秀次事件を境に、主が間違っていれば主に本気で意見する真の意味での忠義を尽くす(尽くそうとする)大名は一人も居なくなったと考えてます。石田ら五奉行はあくまで秀吉の意を叶えるYESマンで彼の作った統治システムの執行役として関ヶ原の戦を起こしてるし、毛利勝永や真田信繁などは武家としての名誉ある死を迎える口実として大阪の陣を起こし、そこで豊臣の名を使ったに過ぎないし。
でもバテレン追放令はあのまま放置してたら日本は侵略されてたからありっちゃあり
植民地化も奴隷貿易の獲物にもされるのを防いだのだから、ありっちゃありどころじゃないファインプレーと思うけど、、、
@@夏目豪本当になぜこのことがファインプレーと評価する教育がなされないのだろう。
黄金の日日での緒形拳さんの秀吉の晩年の狂気っぷりがすごかったです。自分はそれまで秀吉は三英傑の中では一番すきだったけど、リアルタイムで見ていたら(2年前のBSの再放送で初めて見ました)秀吉のこと、嫌いになっていただろうな~
本も買いました。。また、出して下さいね
現存する大阪城は、当時秀吉によって建てられた大阪城とは形状も違ければ位置さえも違うという話
現存の大阪城は昭和になってから再建されたもの!徳川時代の城は明治時代に消失しています。
安置される小さな鶴松の絵が切ない。
もしも織田信長・信忠親子が本能寺が死ぬことがなく、織田政権の筆頭老中とかであったなら、きっと幸せであったでしょうね。
秀吉は恵まれた才能や運、確かな実力をもった軍人ではあったものの、為政者ではなかったために戦や武力によってでしか国を存続させる方を生み出せなかったというのが晩年の秀吉の暴走の原因なんじゃないかと思う。個人的には本当は信長のもとで働き、成長し続けていたのに、急に信長が謀反によって討ち取られ、その際に信長の権力を受け継いでしまったがゆえに苦しんだある意味で気の毒な武将に見えてくる…
日本人が奴隷として誘拐されるのを防ぐ為にキリスト教を禁教にしたのは功績だと思う。
@@言霊の幸う國のムソジニスト同感です。朝鮮出兵もまた然り。
10:25 天下取った時の喜び方メッチャ軽いwww
朝鮮出兵に関しては秀吉が狂っていたとは思えないので訂正して欲しい
譜代の家臣を持たない秀吉は晩年誰も信用できなくなってしまったのかも知れませんね。家康などは何度も危機に陥っても家臣が命を捨ててまで助けてくれる場面ありましたし。秀長が元気だったなら、おねとの間に世継ぎがいたなら豊臣政権は続いたかも知れませんが
人をたらす名人だったのに、役に立つ家臣は育てられなかったのかな?驕って、周囲にイエスマンばかり集めちゃったのがマズかった。せめて、石田三成がもう少し諸将、特にイエアスと仲良くできるオトコだったら大分違ってたかなあ?いや、イエアスは、豊臣に取って代わる気満々だから無理かなあ?
@@言霊の幸う國のムソジニスト「親切にするけどそれっきり」これが秀吉流人たらし
@@戦力外-y4p 様イエアスは、生まれついての「主君」だから、家臣は揺りかごから墓場まで面倒見る義務があり、ソレを承知していたって事かな?
@@言霊の幸う國のムソジニスト 家康も家康で部下に相当気遣ってたと思いますよ。父も祖父も家臣の凶行で命を落としていますからね。
@@sansei9しかも信康を担ぎ出して謀反を起こされる寸前だったらしいですね。まぁ、そこは先手を打って謀反を起こそうとした家臣の御輿だった信康と瀬名姫をを処断して家中の火種を消して徳川家を一つにまとめていますが、本能寺の変の後堺から三河に戻る伊賀越えで家康が死んだり、秀忠や秀康が夭折したらどうするのかとは思いました。
源平藤橘以来の新しい氏を賜ったのがすごい
豊臣秀吉のお姉さん智(瑞龍院)の生涯もお願いします
社会の歴史テストで「大阪城を建てたのは?」で「大工さん!」って昔の人は答えてたけど僕の甥っ子は期末試験で「ダ◯ワハウ◯」と記入して職員室に呼び出されたらしい😁
現在の大阪城の天守閣が、歴代の天守閣の中で1番長持ちしている皮肉。
そう言えば何でも鑑定団で秀吉のことよく出て来るよ
徳永サトシさんの絵ほんと好き
没落した「縄張り師」今でいう「設計事務所」の家系であって、まるっきし身分の低い家柄ではなかったという説があります。いくらそこそこの身分でも貧乏で没落していては記録がありませんよね。
小説家、海音寺潮五郎の評 「秀吉は英雄として生き、凡人として死んでいった」、一介の農民から天下人になるのは、英雄以外成し得ない事であり、秀吉は英雄として生き、しかい、亡くなる時は天下の日本の行く末でなく、ただただ、幼い秀頼の事だけを思って亡くなった。
秀吉は武家や大名が知らない下々のやり方を知っていたのが幸いしたね
成り上がりなせいか、昔から仕えてきた譜代がいなかったことで常々苦労してしまってますね譜代といえども信頼できない時代でしたが、やはりいるといないでは大違いだったのが織田家や、徳川家と比較するとよくわかります
辞世の句が平家物語を連想されますね、おごれるもの久しからずただ春の夜の夢のごとし、美しくすばらしいですね、
朝鮮出兵は訳あり。暴走ではない。秀吉は外敵から日本を守ってた。
個人的に秀吉の凶暴化というより周りが力を持ちすぎたがために56すしかなかった感ある。秀次に関しては後継問題を残さないため仕方の無いことやし利休切腹も利休が力を持つことを恐怖に感じた感ある
利休は大河の真田丸だと北条氏政に武器を横流しする武器商人みたいな事をしていましたね。切腹を命じられるわけだ。
二大巨頭だった片方の秀長が死んだ以上、利休も退場してもらうしか無いですからね…。秀次も、秀吉が死んで秀頼が成人したとき、自分の子供も居るのに素直に当主を譲ると信じられるかと言われれば…ねぇ?
『花の慶次』でも云ってたけど、秀吉の強さは捨て身の強さなんだよな。元は貧しい生まれの子故に端から失うものも護るものも無い。喩え天下統一を前に命潰えたとしても「天下を枕に野垂れ死に」だから。
13分50秒付近の誤り・・・秀吉時代の大阪城は、石垣も含めて埋め立てられ、その上に江戸幕府が櫓や石垣を建て直したものだよ。「建て直されたもののようです」ではない(^^)
いくら下克上の時代でも秀吉の出世はあまりにも異常。彼は農民の子となっているが違うと思う。彼の属する集団は定住者ではなく、後にサンカと呼ばれる移動しながら生活するような流浪の民だったのではないか。彼らは情報収集が巧みだった。秀吉はおそらく若いころからあらゆる方面に今でいうスパイのような者を送り込んでいたのではないか。信長をはじめとする織田家の情報、柴田勝家などの家臣団、朝廷、武田、今川など諸国の武将などから情報を取っていたに違いない。そのためには金は惜しまづ使い、彼を助けたのはかつての仲間たち、流浪の民だ。秀吉は刀や鉄炮に金を使うよりも情報収集に金をつぎ込んだ。それが彼の強さの秘訣であった。中国大返しが成功したのも、信長はほぼ確実に死んだという情報を独自のルートでつかんでいたに違いない。昔も今も情報がカギを握るというのは変わらない。
最近このシリーズ観漁ってたから秀吉の回みたことなかったー、と思ったら最新の回だとは😮
秀吉は始めから根暗で出世してるまではテレビに見られるような心配ご無用男で天下を握りかけるまではだいぶ好きです 今でいうと 五十代にいきなり億のお金が当たり人が変わるのかなぁ?
秀吉は今川家に仕えていたという説もありますよ。
上がるまではよかったんだがトップに立った時どうしていいか分からずにいた気がする
最近は秀吉と秀長の兄弟セットで最強戦国大名だと思ってます。🎉戦国大名としてですよ😂
農民で貧困な生活送ってた人間が天下人になったらそりゃそうなるわ。やっぱり身の丈にあった生活だね
秀吉の生涯を14分でまとめるのは流石に無理がある超有名人はこの動画には合わないかもな。深堀できてない二流三流の知名度の武将の生涯をざっくり伝えることに特化して欲しい
だったらお前が作れ
@@htaki1987なんで俺が作らなあかんの?他に仕事があるんですけどほんと典型的なアホだねぇ
後年はロクでもないですが、どんなに下っ端でも、今出来得る150%いや200%を、手探りで、しかも信長に気に入られるように、周囲のも気遣いながら実績として現したのでしょうね。
そういえば、このチャンネルでサルは散々出てたがメイン回ではなかったな😂ちなみに、百姓の出自だが下層武士という身分だったらしいね
人たらしの才能が、とは良く言われますが、秀吉自身がめちゃくちゃ頭良いんですよね。検地から米本位制、兵農分離など江戸時代も基本的な枠組みはそのまま引き継いでます。株式会社豊臣秀吉だったので、死んだらにっちもさっちも行かなくなってしまった。後を守るはずの恩顧の武将達は朝鮮出兵で仲間割れ。秀長利休とも晩年は仲が微妙だったし、秀吉秀次秀頼と年齢差がありすぎたのも疑心の元。何か一つでも上手くいってたらなぁ…。
秀吉が無理やり関白になったせいで、公家にめっちゃ嫌われた。征夷大将軍になればよかったのに。
征夷大将軍で満足するようなやつとは思えない
嫌われるもなんも、関白職なんて形骸化しまくってたし、莫大な寄付をして朝廷の権威回復させてるし、豊臣なんていう新たな摂家同格の性なんて与えないと思う。天皇が死んでも葬式すらあげれないほど没落してましたから……。 まあもちろん嫌いな人も当然居たと思うけどね。
秀吉って近年悪く言われる事多いけど、脇坂への手紙を見てる決して独裁的ではなく、部下のことを考えてるのが伝わるけどなぁ。あと朝鮮出兵の事を失敗としてよく言われるけど、世界史とか見てると内乱や国内統一を果たすと、今までに使ったきたエネルギー(軍事経済や食糧問題)を国内だけで消費しきれなくなり、国外に向けることは珍しくないという見方もあるよね。(アレクサンダーや永楽帝、ナポレオンやヒトラーなど)加来耕三先生もラジオで、国内統一が秀吉ではなく、家康が先にしてたとしても同じ事をしていた、と発言していたのも興味深いです。
え~と、それって失業士族を救う為の西郷隆盛の「征韓論」みたいなモノだと?ふ~む、そういう考え方もあるか
失業対策だけじゃなくて西洋の植民地政策に対抗するために明を獲ろうとしたって説もありますね。あの当時は世界をスペインとポルトガルで二つに分けようなんて教皇に認めせた条約あったくらいですし。
秀吉の晩年に 大阪城を守るように 大阪に入る街道沿い 五つほど 城を作るとか 東の国の大名から 京都大阪を守るため 琵琶湖の南あたりに 大きな城を築城 するとか 国内に力を入れていれば 簡単に 豊臣家は 揃わなかったんではないだろうかとか
今川に仕えてた時も動画にしてほしかった。
って松下嘉兵衛とかに仕えてた頃?
秀頼が生まれたゆえに秀次が邪魔になったのかもしれない。ただでさえ秀長に先立たれたのだから、もう少し親類を大事にすべきだった。
中国大返しは、瀬戸内海の村上水軍が協力した説がありますね。あれだけの距離を甲冑着て戻って明智軍と戦はしんどいです。村上水軍なら、船で輸送できますから、兵士も休んだまま輸送できるし、食事も取れてフルパワーで明智軍と戦える。
徳川家康も出してほしいです!
天下統一までは間違いなく英雄なんですが、その後の暴君ぷりも凄いので、その辺りで評価が別れますね。尤も、三木城干殺しや鳥取の飢え殺し、失敗をしでかした家臣の粛清など、残虐な事やってるので、専制君主となってその面が強く出ただけかもしれません。
小田原征伐の足固めでもあった八王子城の戦いもとても酷かったらしい・・・。城内の女子供も全て皆殺しにしたらしいです。
秀吉の本当の不幸は本能寺の変で主君の信長を失ったことでしょうね。本能寺の変が起きるまで秀吉は自分が天下を取るなんて欠片も考えなかった出でしょうから、当然そんな準備も心構えも無いわけで、準備不足なのは当たり前。プロレスラーのジャイアント馬場が生前「2番手の地位で気楽にプロレスだけを考えてた頃が一番楽しかった、全日本プロレスの経営者になってから辛いことばかりだよ」と話していたとか、高田延彦もUWFインターの社長になってからのことを「つらい、早くやめたい」と語っていたとか。秀吉も織田政権下で2番手くらいの地位で気楽に仕えていたときが一番楽しかったのではないかと私は想像しています。よく「人たらしの天才」とも賞賛される人間味あふれる秀吉の魅力も天下人となってからは別人のようだと言われますが、これもある意味で必然かと考えます。信長がそうであったように組織のTOPになれば威厳が必要です、2番手の時のような親しみやすいキャラクターではいられなかったのでしょう。
歴史の「if」を求めだしてもキリがないけれど、秀吉に関しては浅井を攻め滅ぼしたことが繁栄の足掛かりであり、滅亡の要因であったように思える。もし浅井攻めを秀吉が担当せず、四国・中国を信長が平定した後に数十年早く織田VS徳川で関ケ原を戦っていれば、少なくとも今とは全く違う日本の姿はあったと思う。
浅井長政を滅ぼしたのが豊臣の滅亡の要因ってことは、淀殿のことを言ってるのでしょうか?
@@安西弘-t1o まぁ直接の要因ではないとは思うけど、関ケ原以降の豊臣家の凋落には十分責任があるんじゃないかと思ってます。もっと言えば浅井を攻めたときに嫡子を殺されたお市の方の怨念にも似た何かが淀殿にも受け継がれたのかなー、と勝手に考察してみたり
@@かげやひろむ なるほど。秀頼時代の豊臣家は多くの元浅井の家臣も居ましたし、(大野兄弟など)そういう意味でも豊臣家滅亡の要因とも言えるかもですね。 お市はおっしゃる通り秀吉を嫌って自害した可能性は高いでしょうし。 ちなみに、浅井長政の次男(淀の弟)は大坂の陣に参戦しています。 最前線で戦いながらも姉の初が助け出して、その後は京極家が面倒をみて無事天寿を全うしたとか。 豊臣宗家は滅びましたが、浅井の血は江戸時代も受け継がれたのでその点はお市も満足したかもですね。
秀長の死が大きかった😢
秀吉は晩年のイメージがあまりにも悪すぎるから好きになれない。秀長の方が長く生きてたら、豊臣の世!!て訳じゃなかったかもしれんけど、少なくとも関ヶ原の戦いは起きてなかったんじゃないかな。
天下統一を果たした後……どうやって日本を治めるのか?というヴィジョンがすっぽりと抜けてしまっているのです💦で、たどり着いたのが 【武力を持った藤原氏】という感じの政権でしたこれでは秀吉が死んだ後に豊臣家が大名を統率するのは不可能です
秀吉に健康な年齢もいい感じの息子がいたら変わってたのかな?
織田信長が生きてたら、豊臣秀吉は後年の戦争は起こらなかったのかな…😞
唐入りですか?唐入りは信長が望んでいたからあり得たかもしれません。 他の秀吉の戦いは全然違うものになってたでしょうね。
秀吉を演じた俳優、個人的なベストワースト善玉版ベスト 火野正平 竹中直人悪玉版ベスト 緒形拳 勝新太郎豹変版ベスト 竹中直人 緒形拳 西田敏行ワースト 柄本明 香川照之 岸谷五朗
小日向は?
香川秀吉は彼の出世役だし、演技力は高かったと思う。(好き嫌いは人それぞれなので個人的な意見です)
流石に最初の鳴き声「ウキー」だろ秀吉は
下働きするには超優秀だけど、上に立っちゃダメな人だったんよな😢
なんか秀吉 右腕 左腕じゃなきゃダメだった人だな🎵
夢のまた夢が彼の最後の本当の感慨と思うとしみじみ哀しい。秀吉の軍が持ち込むまで朝鮮半島に唐辛子が無かったってホントかな?唯一、秀吉が半島にしたいい事が美味しいキムチの材料を持ち込んだ事
明を攻めた背景を暴走ではなく、日本を植民地化しようとしていたポルトガルを牽制したものである件に触れて欲しかった😢そもそもその計画は、秀長や鶴松の死去以前から進んでいたものですしね。
農民がどうやって織田信長にお近づきになれたのか気になる‥
飲み会
信長は天下人間近になっても普通に庶民に話しかけることがありました。デブに反物などをあげています。 秀吉も「茶碗さえ持ってきたら誰でも自らお茶を振る舞いまっせ」とかやっていました。 家康も遠江の百姓の娘が家康に仇討ちを直訴したので、めちゃくちゃにセッ○スしています。 当時まだ士農工商など身分差はなく、基本武士が農繁期に百姓になっていました。 なのでお近づきになるチャンスはあったと思われます。
なまじ平民からトップまで成り上がっちまったから猜疑心に囚われちまったのかも。漢の高祖・劉邦とか明の太祖・朱元璋なんてもっと酷かったし
天下人になって色々と
贅沢なもん食ったけど
やっぱり母ちゃんの麦飯が
一番美味かったと言った
エピソードは好き
農民から天下人になるのは本当に凄いな身分が低い所でスタートしているはずなのにめちゃくちゃ成り上がっていてヤバいな
母親の再婚相手の竹阿弥が信長の父の茶坊主だとされているので、事実だとすれば農民といってもそれなりの家系だったのであろう。
@@ほえほえ-w3x
あの時代はまだ武士と農民の区分けが出来ていませんからね。
秀吉は行商をしていたようですから、最低限の資金と教養(読み書き算盤)は有ったはずですので、それなりに裕福な農民の出だと思います。
@@仔猫の足跡 父親は庄屋だったって説は聞いたことありますね。
秀吉が天下人となった頃、秀吉の兄弟と名乗る男とその一行が来て、真偽を確かめるべく秀吉母が直接見ることになった。生き別れた子の心当たりがあったのだろう。秀吉の幼少の頃は、母親は夫の死別もあって、農民であるにしても生活(収入)や家庭境遇(再婚父との不遇や父方親類の武士採用なし)は不安定。今川領へ飛び出すが夜はむしろをかぶって寝てまさに乞食みたいになってる。
裕福な豪農の息子
当時は階級社会だから
辞世の句がまたイイ
「つゆとをちつゆときへにしわがみかな/なにわの事もゆめの又ゆめ」
トップに上り詰めたのに、この儚さは何か辛い、、、
泣けますね😢彼は孤独で、後悔も多かった晩年だったと思う。
直筆でかすれた文字で書かれてるのが、もうね……
秀吉自身の人柄もあるかもしれないけど、秀長と鶴松が立て続けに死んで情緒不安定になっていた可能性も否定できない。
なんだかんだで清濁併せ呑み成り上がった秀吉が一番好きだなぁ
衆道もやらず女好きだったり辞世の句の儚さだったりどこか人間臭い所が魅力的に見える
たった一代で天下をとるのは本当に凄い。
晩節がいろいろとアレだけど
秀吉の人たらしの術は現代でも学ぶところは多い
世界レベルですからね
政権作った後しっかり地固めできてればなあ。秀長が生きてればまた違ったのかな。
本当そうですね。後、秀次の一族皆殺しヒャッハーもね。秀吉の姉か妹かは忘れたが、後20年生きていれば豊臣家は安泰だった筈。
秀吉を見ると、リーダーになるより部下として活躍される方が向いてる人っているよね。
太閤検地、刀狩、バテレン追放を実施できたのは秀吉のリーダーシップのおかげだぞ
官僚も優秀だがそれを率いる能力があったのも事実
秀吉よりもリーダーになれる武将って、家康ぐらいしかいないと思います。元就の考えでは天下人になれないし、信玄謙信が長生きしても天下人になれなかったでしょうし、信長でさえ謀反起こされたし。
本能寺の変がやっぱり歴史の転換点だったんですよね、でも秀吉が居たから身分が低くても国のトップになれる夢がありますよね
出生がいまいち分からないから創作だと色んな話が盛られるのが結構好き
才能、行動力、運で全てを手に入れ全てを失った感があって哀愁ある
豊臣家は譜代家臣がいなかったのも痛かったですね。実力で成り上がったもののこういった所で生まれの悪さが災いしたという
家庭運の悪さというか、秀吉の親戚は事実上、母方だけ。あと、子供がほぼできなかったことが短命政権に直結したな
信長はさいえい、秀吉は趙匡胤だな。
秀長と鶴松が死んだ時点で豊臣政権の命運は決まっちゃったんだろうな
秀吉を支えた弟秀長の功績が大ですな。
秀次事件でまだ嫁ぐ間もない(京に着いたばっかりだった)最上義光娘駒姫まで処刑してしまったのは後の関ヶ原において、最上家が東軍につく事にもなったとか…
ただでさえ一族が少ないのに秀次事件まで起こしてしまったのは豊臣家にとって致命的ともいえますね。
序盤の成り上がりは本当に凄いんだけど最後はまさに「晩節を汚す」を地で行く暴君になってしまったな
駒姫の件は許されねえ
ねねちゃんは最後まで一緒にいてくれたのにね…。
戦国時代で、成り上がり武将といえば、やっぱ、木下藤吉郎こと、豊臣秀吉だなぁ…
秀吉は肉親たちが続けて亡くなって
狂っていくのが悲しくなってくる。
ここでは紹介されてないけど1591年くらいに
母や妹も亡くなってるんだよなぁ。
失う事への恐怖と自らにもやって来るであろう死に対する焦りが、朝鮮出兵へ駆り立てたのかな。
@@浩一加来
あれはそんな単純な戦争ちゃうんちゃいます?
@@hirose795残念なことに朝鮮出兵に関する証拠や書物、記録は現時点でほぼ見つかっていないのでなぜ行なったかはまだ、はっきりとしておりません。
@@azure0428😮
本能寺から天下とりまでのダイナミックな秀吉が好きだ
うちは両親が山形、秋田の人間だからか駒姫の件もあって秀吉には初めからいい感情は湧かなかったわ
秀吉様、我武者羅に働いてきたけど、花見もお茶も能も大好きだしコスプレもするし刀剣も好きでそもそも楽しいことも好きだったんだろうなぁ。手紙とか文書が直筆も含め多く残っているのが面白いので是非読んで欲しい。身内に対する手紙とか思いやりあるなぁって感じます。
50歳くらいまでに元服した息子がいたら良かったのにね。
小田原の時、謀反の噂が広まってた家康と信雄の陣を数人で訪れ、遊び倒した話好き
夜通し付き合わされた隆景かわいそうだけど笑
農民出身なのかは書いてある通り諸説あるが、どんどん下から這い上がっていったのは凄いよな。
最近は豊臣秀吉はドラマと狡猾、汚いイメージで演じられること多いね。
史実を見る限りはそれもまた事実なのかもだが、ほんと色々見方の変わる人。凄い人なのは確かだろうが。
戦前は朝鮮出兵も全肯定されていたくらいだからねえ。
朝鮮併合を成し遂げたのは「豊太閤の業績の延長線」だとみなされていたくらい。
(朝鮮併合時の初代総督府長官、寺内正毅の歌「小早川 加藤 小西が世にあらば
今宵の月を いかに見るらん 」が象徴している)
秀吉本人も凄いけど、その秀吉の能力をきちんと評価して昇進させていった信長も凄い。
テレビ局で韓流ドラマが放送されるようになったから、秀吉叩き作品が増えた気がします。
利家とまつあたりから、秀吉を貶める意図が感じられて見ていて気分悪くなる作品ばかりで嫌になります。
日吉丸から木下藤吉郎、羽柴秀吉になり、そして豊臣秀吉へと名を変えた。
10年~20年前くらいから、秀吉は無邪気な人たらしからサイコパスキャラへ。
家康は謀で豊臣家を滅ぼした狸親父から、天下太平を築いた天下人へ。
信長は殺戮者から、意外と真面目で古い権威も大事にしたんだよキャラに。
あと秀吉の評価が下がれば下がるほど、秀長さんの評価が爆上がりしてる気がします笑
信長様大好き!!な秀吉も好きだけど、センゴクみたいに優秀であるがゆえにどんどん周りが着いてこれなくなって孤高になる秀吉も好きだし、前提を全てひっくり返して尚説得力のあるへうげ秀吉もめっちゃ好き。
仙石秀久の漫画?センゴクって
@@ruri578
ですね。
シリーズが多いので全部含めてセンゴクと表記しました。
信長の寛大な所は苻堅、宇文邕、趙匡胤を連絡します。
センゴクの秀吉の最後は泣いたなぁ
秀吉を認めてたのがライバルたちだったとは……
信長の最後も最高だったけど
信長が居なかったら秀吉の名前は残ってないと思う。身分が低いので他の武将と比べて見劣りするので頭を使ってのしあがっていきそれを信長も評価した。(笑)身内が後ろ楯なのに処刑等して味方を無くしたことが豊臣政権の崩壊に繋がった残念(泣)
出世欲に溺れて身を滅ぼしたが、身を滅ぼすほどの欲が無ければ農民から関白になんてなれんよな。業が深い。
動画ありがとうございます。
秀吉が身分が低いにもかかわらず、天下人になったという点は、明の太祖朱元璋と共通するんですよね。もっとも、朱元璋のほうは秀吉以上に貧困だったようですが。天下を取ってから権力者として問題が多いという点、奥さんが非常に人として魅力的で多くの人から慕われていたという点も共通しています。
朱元璋は、彼程しくじらなかったし、彼の王朝は豊臣より長く保った。
@@言霊の幸う國のムソジニスト 朱元璋の場合、500年近く続いた皇帝独裁システムの完成者としての功績が大きすぎるし、「大粛清」にしても農民思いの名君として振る舞おうと必死で努力していたのに士大夫に舐められまくってある日突然ブチ切れて反転、気付いたら功臣をほとんど殺してた、というタイプなので…
やっぱ偉くなると人は良くも悪くも変わってしまう。秀吉はその典型例
偉くなると食生活(献立)が変わってしまい、豪華でも栄養バランスが偏ってきます。そうなると苛立ったり体調を崩しやすくなるんですよね。滋養強壮を心掛け温泉や鷹狩り等の運動をし、囲碁を打って脳を鍛えて健康を第一と考えた徳川家康とは違うんですよね。
いやむしろ変わらなかったから問題だと思います
足軽程度の腰の低い意識でいるから問題だったと思います
秀吉は織田家の討滅を狙っていので
信長の跡を取る気も取った気もなかっただろうでしょうから
世評がいかに役立たずが分かる好例です
ただの認知症やろ。
当時の秀吉の直筆の書状が大量に残ってるが、その内容や筆跡から異変が読み取れるって話ならともかく、後半におかしくなったって言ってるのは唐入り(オマケの朝鮮征伐)で征伐された支那人や朝鮮人がそう思い込みたくて言ってるだけだろう。
本当におかしくなったなら秀吉の出自からして政権の基盤は弱く死ぬ前に内乱が起こってるだろうし手紙の内容もメチャメチャになってるよ。
よく語られる自分の子供を関白にする為に秀次を○した話だって関白に権限があるならともかく単なる肩書にすぎない、朝廷が勝手な事をした事実もないし、史実通りの目に余る素行不良な親族を成敗したって内容が正しいだろうね。
@@Seaza_Sr1 あなたが何を言いたいのかはよく分からないけど秀吉の勝手な野望で国土を荒らされて傷つけられた朝鮮や明の人々はいい迷惑だったでしょうな。あと手紙の件ですが、秀吉の意向を聞いた部下が代筆をした可能性も高いので文章の内容がおかしくないのは普通かと
秀吉公には黒田官兵衛様や石田三成様、
弟の秀長公、武勇に優れた
加藤清正様や福島正則様など
各分野で優秀な人材に恵まれていましたよね!
織田家乗っ取りは聞こえが悪いですが
羽柴家(豊臣家)は天下を治めるのに
一番近い組織だったのかもしれませぬ。
某は豊臣時代よりも
羽柴時代の方が好きでした✨
家康の三河家臣の様な譜代家臣がいなかったから、0から譜代作ろうと
これだと見抜いた子供を戦にも連れて行き実戦をも学ばせた結果出来た
のが七本槍だとかw
池田恒興忘れてまっせ池田恒興いなかったら明智光秀に負けてたよあと蜂須賀小六もこの二人いなかったら秀吉天下人なって無い伏見城の普請奉行やったのも池田恒興やしまあ蜂須賀小六の子供も手荒にあつかって家康に寝返られたのがあとあと効いてくるんやがな晩年は何でも願い叶う思って暴走したんやろ攻めて攻めて攻めてイカな滅ぶ恐怖感があった思うわ一概に悪く言えないよまあ大体が被害妄想の感じもあるけど
唐入りや利休追放(しかも一次資料では命だけは取らなかったとされる)は仕方なかったとされる上、秀次は自分の意思で切腹したらしいけどやはり秀次の妻子を皆殺しにしたのは豊臣家にとってはかなり痛手だった…しかも数少ない親族の生き残りである姉夫妻を流罪にしてるからこの時の秀吉の行為は異常。
秀吉は結構活躍していたけどその反面弟や息子が死んでしまって暴走して暴君になってしまったのが本当に惜しいな
豊臣家としては残念だけど、豊臣秀吉個人としては低い身分から天下人になり、日本史上一番の成り上がりを成し遂げ、寿命を全うしたんだから、これ以上の人生なんてない。
死んだ後の事は秀吉本人は知りようもない。
人間死んだら終わりだよ。
そうかな?
むしろ晩年の秀吉こそが本当の姿だと思いますよ。
恐らくは、秀吉の悪い部分を秀長がフォローしていたから上手くいったということです。
最高権力者になったからこその
秀吉の本性が表れたのでは?
それを隠す必要と無いただ自分
の思うままに行動できる立場に
なったからこそ、暴君の本性が
表れた、だけかと思う。
信長ほど甘くはない、と言ってるあたり、信長の人使いは意外と寛大。
豊臣家は、武家・公家対応を実弟の秀長、商家(経済)対応を利休、軍事を黒田官兵衛が担当していた時が最も栄えた。
この三人は、生命をかけて秀吉への直言を辞さない`政治家`であり、秀吉の命令でさえ「あいや、兄上、この者は功績があり・・」「殿下それは世に聞こえが悪しゅうございますぞ!」「上様、それは無謀であります」と止める事ができた。
ただ、秀長が病死、利休が賜死、官兵衛が隠居し、豊臣家の舵取りを、石田三成ら奉行衆がとるようになると、この政権の残虐度は増して、暴走していった。
秀長らが、自分の頭で考え行動する`政治家`だったのに対して、奉行衆は、老耄した独裁者の妄想を`それを実現したら世の中がどう反応するか`を一切考慮せずに実現する(それも水も漏らさないほど堅牢に)`高級官僚`に過ぎなかった為だ。
結果、三成は秀吉にとっては「どんな願いも叶えてくれる」無二の忠臣であったが、それを実行することで、世の反発を招き、豊臣の寿命を縮めたという面で考えれば、途方もない、佞臣、悪臣といえる
確かに信長、家康でも頼朝、尊氏でも農民スタートでここまでやれたか?
かなりのムリゲー
太閤殿下、このシリーズお馴染みだったので既に出てたと思いましたが、よくよく考えてみたらまだでしたね😂
謀反を起こさなくても光秀はすでに50代〜60代、柴田勝家・滝川一益も高齢であり老い先短い、丹羽長秀も1585年には病死…そうなると秀吉は織田家筆頭家老の地位に付けただろうし天下人になるよりその方が幸せだったのではないかと思う。
吉川元春とか秀吉嫌いで、隙あらばまた播磨に進行しかねない状況でしたから
あのスピード感で織田家家臣の頂点に立ってなければ、当然柴田も毛利と通じていたので挟み撃ちにあっていたかも?
というか信長に謀反起こしたのは秀吉ではなく光秀ではないでしょうか?
最後がアカンかったなぁ?スペイン帝国から日本を守るために大陸に進軍したんやで?
秀吉のヤバいのは学習力の高さ。
ほとんどの武家は任官したらすぐに返上して、朝廷への出仕はほとんどしないものなのに、
40代から教養を訓練し始めて、50代で関白の儀礼を問題なくこなせるようになるのは異常。
凄い良いね👍。いつまでがんばってください
どうする家康の
戦国乱世を最も楽しんだ男
って紹介がほんとしっくりくる
だからと言って新たな乱世を求めるのは魔王ムーヴ過ぎる
結局、朱元璋(明太祖)や劉邦(前漢太祖)同様に「成り上がりゆえ、他の者に同じことをされることを恐れて権力掌握後は…」となってしまったのが悲しいこと。
明や前漢はその後数代も栄えたけど、豊臣政権はあっけなく崩壊するほど後継者を自ら潰したのもなあ。
織田でも信雄の家系が血脈を伝えてるのに、豊臣は…
秀次は子沢山だったのに(男児も4人はいる)、秀吉はみな処刑したからなあ。
@@ミックスミッキー-z2g秀吉の最大のしくじりと言えよう。如何なる理由があっても一族は大切にしないとね。
豊臣秀吉は劉邦や朱元璋のしくじりをしないように轍を踏む事のないようにすれば良かったのに。歴史や人々は同じ過ちを繰り返す。
まさに成り上がりの代表格と言ってもいい。だが真に心から信頼できる人達が少なかったんだよな。
天下取りレースに躍り出てから僅か8年ほどで天下統一を果たしてしまい……家臣団を育てる暇が無いという……
で、大名を家臣にしましたが……つまり豊臣家の【奉行】は大名がする事になりました
そのため関ヶ原合戦で豊臣家の奉行は根こそぎ滅んでしまうのです💦
ある意味、信長よりヤバい人。
ある意味も何もぶっちぎりのやべー奴だ
信長は長島&加賀一向一揆の虐殺を行うまではマトモだった
秀吉は織田家や養子たちの弾圧とか、インドまで占領するとか盲言はいて朝鮮出兵するとか、やることがヤバすぎ
そりゃ関ヶ原であれだけの武将が家康につくはずだわ
どうする家康の秀吉が如何にして狂気に染まっていくのかが気になる。
いや、下手すると既に狂気を抱えているキャラかも。
弟の秀長、竹中半兵衛、蜂須賀小六が秀吉より先に亡くなってしまったのが痛かった。
彼らが秀吉より長生きしていたら、晩年の秀吉はあれほど酷くならなかったのではないか。
ストッパーが全員先に亡くなってしまってる・・・
残った黒田如水・浅野長政も徐々に心が秀吉から離れて行く
印象に残っているのが功名が辻での前野長泰のセリフ
「猿も老いた」これにつきるでしょうね
@@大坂智義
秀次事件を境に、主が間違っていれば主に本気で意見する真の意味での忠義を尽くす(尽くそうとする)大名は一人も居なくなったと考えてます。
石田ら五奉行はあくまで秀吉の意を叶えるYESマンで彼の作った統治システムの執行役として関ヶ原の戦を起こしてるし、毛利勝永や真田信繁などは武家としての名誉ある死を迎える口実として大阪の陣を起こし、そこで豊臣の名を使ったに過ぎないし。
でもバテレン追放令は
あのまま放置してたら
日本は侵略されてたから
ありっちゃあり
植民地化も奴隷貿易の獲物にもされるのを防いだのだから、ありっちゃありどころじゃないファインプレーと思うけど、、、
@@夏目豪本当になぜこのことがファインプレーと評価する教育がなされないのだろう。
黄金の日日での緒形拳さんの秀吉の晩年の狂気っぷりがすごかったです。
自分はそれまで秀吉は三英傑の中では一番すきだったけど、リアルタイムで見ていたら(2年前のBSの再放送で初めて見ました)秀吉のこと、嫌いになっていただろうな~
本も買いました。。また、出して下さいね
現存する大阪城は、当時秀吉によって建てられた大阪城とは形状も違ければ位置さえも違うという話
現存の大阪城は昭和になってから再建されたもの!徳川時代の城は明治時代に消失しています。
安置される小さな鶴松の絵が切ない。
もしも織田信長・信忠親子が本能寺が死ぬことがなく、織田政権の筆頭老中とかであったなら、きっと幸せであったでしょうね。
秀吉は恵まれた才能や運、確かな実力をもった軍人ではあったものの、為政者ではなかったために戦や武力によってでしか国を存続させる方を生み出せなかったというのが晩年の秀吉の暴走の原因なんじゃないかと思う。
個人的には本当は信長のもとで働き、成長し続けていたのに、急に信長が謀反によって討ち取られ、その際に信長の権力を受け継いでしまったがゆえに苦しんだある意味で気の毒な武将に見えてくる…
日本人が奴隷として誘拐されるのを防ぐ為にキリスト教を禁教にしたのは功績だと思う。
@@言霊の幸う國のムソジニスト同感です。朝鮮出兵もまた然り。
10:25 天下取った時の喜び方メッチャ軽いwww
朝鮮出兵に関しては秀吉が狂っていたとは思えないので訂正して欲しい
譜代の家臣を持たない秀吉は晩年誰も信用できなくなってしまったのかも知れませんね。
家康などは何度も危機に陥っても家臣が命を捨ててまで助けてくれる場面ありましたし。
秀長が元気だったなら、おねとの間に世継ぎがいたなら豊臣政権は続いたかも知れませんが
人をたらす名人だったのに、役に立つ家臣は育てられなかったのかな?驕って、周囲にイエスマンばかり集めちゃったのがマズかった。せめて、石田三成がもう少し諸将、特にイエアスと仲良くできるオトコだったら大分違ってたかなあ?いや、イエアスは、豊臣に取って代わる気満々だから無理かなあ?
@@言霊の幸う國のムソジニスト
「親切にするけどそれっきり」
これが秀吉流人たらし
@@戦力外-y4p 様
イエアスは、生まれついての「主君」だから、家臣は揺りかごから墓場まで面倒見る義務があり、ソレを承知していたって事かな?
@@言霊の幸う國のムソジニスト 家康も家康で部下に相当気遣ってたと思いますよ。父も祖父も家臣の凶行で命を落としていますからね。
@@sansei9
しかも信康を担ぎ出して謀反を起こされる寸前だったらしいですね。
まぁ、そこは先手を打って謀反を起こそうとした家臣の御輿だった信康と瀬名姫をを処断して家中の火種を消して徳川家を一つにまとめていますが、本能寺の変の後堺から三河に戻る伊賀越えで家康が死んだり、秀忠や秀康が夭折したらどうするのかとは思いました。
源平藤橘以来の新しい氏を賜ったのがすごい
豊臣秀吉のお姉さん智(瑞龍院)の生涯もお願いします
社会の歴史テストで「大阪城を建てたのは?」で「大工さん!」って昔の人は答えてたけど僕の甥っ子は期末試験で「ダ◯ワハウ◯」と記入して職員室に呼び出されたらしい😁
現在の大阪城の天守閣が、歴代の天守閣の中で1番長持ちしている皮肉。
そう言えば何でも鑑定団で秀吉のことよく出て来るよ
徳永サトシさんの絵ほんと好き
没落した「縄張り師」今でいう「設計事務所」の家系であって、まるっきし身分の低い家柄ではなかったという説があります。
いくらそこそこの身分でも貧乏で没落していては記録がありませんよね。
小説家、海音寺潮五郎の評 「秀吉は英雄として生き、凡人として死んでいった」、一介の農民から天下人になるのは、英雄以外成し得ない事であり、秀吉は英雄として生き、しかい、亡くなる時は天下の日本の行く末でなく、ただただ、幼い秀頼の事だけを思って亡くなった。
秀吉は武家や大名が知らない下々のやり方を知っていたのが幸いしたね
成り上がりなせいか、昔から仕えてきた譜代がいなかったことで常々苦労してしまってますね
譜代といえども信頼できない時代でしたが、やはりいるといないでは大違いだったのが織田家や、徳川家と比較するとよくわかります
辞世の句が平家物語を連想されますね、
おごれるもの久しからずただ春の夜の夢のごとし、
美しくすばらしいですね、
朝鮮出兵は訳あり。暴走ではない。
秀吉は外敵から日本を守ってた。
個人的に秀吉の凶暴化というより周りが力を持ちすぎたがために56すしかなかった感ある。秀次に関しては後継問題を残さないため仕方の無いことやし利休切腹も利休が力を持つことを恐怖に感じた感ある
利休は大河の真田丸だと北条氏政に武器を横流しする武器商人みたいな事をしていましたね。
切腹を命じられるわけだ。
二大巨頭だった片方の秀長が死んだ以上、利休も退場してもらうしか無いですからね…。秀次も、秀吉が死んで秀頼が成人したとき、自分の子供も居るのに素直に当主を譲ると信じられるかと言われれば…ねぇ?
『花の慶次』でも云ってたけど、秀吉の強さは捨て身の強さなんだよな。元は貧しい生まれの子故に端から失うものも護るものも無い。喩え天下統一を前に命潰えたとしても「天下を枕に野垂れ死に」だから。
13分50秒付近の誤り・・・秀吉時代の大阪城は、石垣も含めて埋め立てられ、その上に江戸幕府が櫓や石垣を建て直したものだよ。「建て直されたもののようです」ではない(^^)
いくら下克上の時代でも秀吉の出世はあまりにも異常。
彼は農民の子となっているが違うと思う。彼の属する集団は定住者ではなく、後にサンカと呼ばれる移動しながら生活するような流浪の民だったのではないか。彼らは情報収集が巧みだった。秀吉はおそらく若いころからあらゆる方面に今でいうスパイのような者を送り込んでいたのではないか。信長をはじめとする織田家の情報、柴田勝家などの家臣団、朝廷、武田、今川など諸国の武将などから情報を取っていたに違いない。そのためには金は惜しまづ使い、彼を助けたのはかつての仲間たち、流浪の民だ。秀吉は刀や鉄炮に金を使うよりも情報収集に金をつぎ込んだ。それが彼の強さの秘訣であった。
中国大返しが成功したのも、信長はほぼ確実に死んだという情報を独自のルートでつかんでいたに違いない。昔も今も情報がカギを握るというのは変わらない。
最近このシリーズ観漁ってたから秀吉の回みたことなかったー、と思ったら最新の回だとは😮
秀吉は始めから根暗で出世してるまではテレビに見られるような心配ご無用男で天下を握りかけるまではだいぶ好きです 今でいうと 五十代にいきなり億のお金が当たり人が変わるのかなぁ?
秀吉は今川家に仕えていたという説もありますよ。
上がるまではよかったんだがトップに立った時どうしていいか分からずにいた気がする
最近は秀吉と秀長の兄弟セットで最強戦国大名だと思ってます。🎉戦国大名としてですよ😂
農民で貧困な生活送ってた人間が天下人になったらそりゃそうなるわ。やっぱり身の丈にあった生活だね
秀吉の生涯を14分でまとめるのは流石に無理がある
超有名人はこの動画には合わないかもな。深堀できてない
二流三流の知名度の武将の生涯をざっくり伝えることに特化して欲しい
だったらお前が作れ
@@htaki1987
なんで俺が作らなあかんの?他に仕事があるんですけど
ほんと典型的なアホだねぇ
後年はロクでもないですが、どんなに下っ端でも、今出来得る150%いや200%を、手探りで、しかも信長に気に入られるように、周囲のも気遣いながら実績として現したのでしょうね。
そういえば、このチャンネルでサルは散々出てたがメイン回ではなかったな😂
ちなみに、百姓の出自だが下層武士という身分だったらしいね
人たらしの才能が、とは良く言われますが、秀吉自身がめちゃくちゃ頭良いんですよね。検地から米本位制、兵農分離など江戸時代も基本的な枠組みはそのまま引き継いでます。株式会社豊臣秀吉だったので、死んだらにっちもさっちも行かなくなってしまった。後を守るはずの恩顧の武将達は朝鮮出兵で仲間割れ。秀長利休とも晩年は仲が微妙だったし、秀吉秀次秀頼と年齢差がありすぎたのも疑心の元。何か一つでも上手くいってたらなぁ…。
秀吉が無理やり関白になったせいで、公家にめっちゃ嫌われた。征夷大将軍になればよかったのに。
征夷大将軍で満足するようなやつとは思えない
嫌われるもなんも、関白職なんて形骸化しまくってたし、莫大な寄付をして朝廷の権威回復させてるし、豊臣なんていう新たな摂家同格の性なんて与えないと思う。
天皇が死んでも葬式すらあげれないほど没落してましたから……。
まあもちろん嫌いな人も当然居たと思うけどね。
秀吉って近年悪く言われる事多いけど、脇坂への手紙を見てる決して独裁的ではなく、部下のことを考えてるのが伝わるけどなぁ。
あと朝鮮出兵の事を失敗としてよく言われるけど、世界史とか見てると内乱や国内統一を果たすと、今までに使ったきたエネルギー(軍事経済や食糧問題)を国内だけで消費しきれなくなり、国外に向けることは珍しくないという見方もあるよね。(アレクサンダーや永楽帝、ナポレオンやヒトラーなど)
加来耕三先生もラジオで、国内統一が秀吉ではなく、家康が先にしてたとしても同じ事をしていた、と発言していたのも興味深いです。
え~と、それって失業士族を救う為の西郷隆盛の「征韓論」みたいなモノだと?ふ~む、そういう考え方もあるか
失業対策だけじゃなくて西洋の植民地政策に対抗するために明を獲ろうとしたって説もありますね。
あの当時は世界をスペインとポルトガルで二つに分けようなんて教皇に認めせた条約あったくらいですし。
秀吉の晩年に 大阪城を守るように 大阪に入る街道沿い 五つほど 城を作るとか 東の国の大名から 京都大阪を守るため 琵琶湖の南あたりに 大きな城を築城 するとか 国内に力を入れていれば 簡単に 豊臣家は 揃わなかったんではないだろうかとか
今川に仕えてた時も動画にしてほしかった。
って松下嘉兵衛とかに仕えてた頃?
秀頼が生まれたゆえに秀次が邪魔になったのかもしれない。ただでさえ秀長に先立たれたのだから、もう少し親類を大事にすべきだった。
中国大返しは、瀬戸内海の村上水軍が協力した説がありますね。
あれだけの距離を甲冑着て戻って明智軍と戦はしんどいです。
村上水軍なら、船で輸送できますから、兵士も休んだまま輸送できるし、食事も取れてフルパワーで明智軍と戦える。
徳川家康も出してほしいです!
天下統一までは間違いなく英雄なんですが、その後の暴君ぷりも凄いので、その辺りで評価が別れますね。尤も、三木城干殺しや鳥取の飢え殺し、失敗をしでかした家臣の粛清など、残虐な事やってるので、専制君主となってその面が強く出ただけかもしれません。
小田原征伐の足固めでもあった八王子城の戦いもとても酷かったらしい・・・。
城内の女子供も全て皆殺しにしたらしいです。
秀吉の本当の不幸は本能寺の変で主君の信長を失ったことでしょうね。本能寺の変が起きるまで秀吉は自分が天下を取るなんて欠片も考えなかった出でしょうから、当然そんな準備も心構えも無いわけで、準備不足なのは当たり前。プロレスラーのジャイアント馬場が生前「2番手の地位で気楽にプロレスだけを考えてた頃が一番楽しかった、全日本プロレスの経営者になってから辛いことばかりだよ」と話していたとか、高田延彦もUWFインターの社長になってからのことを「つらい、早くやめたい」と語っていたとか。秀吉も織田政権下で2番手くらいの地位で気楽に仕えていたときが一番楽しかったのではないかと私は想像しています。よく「人たらしの天才」とも賞賛される人間味あふれる秀吉の魅力も天下人となってからは別人のようだと言われますが、これもある意味で必然かと考えます。信長がそうであったように組織のTOPになれば威厳が必要です、2番手の時のような親しみやすいキャラクターではいられなかったのでしょう。
歴史の「if」を求めだしてもキリがないけれど、秀吉に関しては浅井を攻め滅ぼしたことが繁栄の足掛かりであり、滅亡の要因であったように思える。もし浅井攻めを秀吉が担当せず、四国・中国を信長が平定した後に数十年早く織田VS徳川で関ケ原を戦っていれば、少なくとも今とは全く違う日本の姿はあったと思う。
浅井長政を滅ぼしたのが豊臣の滅亡の要因ってことは、淀殿のことを言ってるのでしょうか?
@@安西弘-t1o まぁ直接の要因ではないとは思うけど、関ケ原以降の豊臣家の凋落には十分責任があるんじゃないかと思ってます。もっと言えば浅井を攻めたときに嫡子を殺されたお市の方の怨念にも似た何かが淀殿にも受け継がれたのかなー、と勝手に考察してみたり
@@かげやひろむ
なるほど。
秀頼時代の豊臣家は多くの元浅井の家臣も居ましたし、(大野兄弟など)そういう意味でも豊臣家滅亡の要因とも言えるかもですね。
お市はおっしゃる通り秀吉を嫌って自害した可能性は高いでしょうし。
ちなみに、浅井長政の次男(淀の弟)は大坂の陣に参戦しています。
最前線で戦いながらも姉の初が助け出して、その後は京極家が面倒をみて無事天寿を全うしたとか。
豊臣宗家は滅びましたが、浅井の血は江戸時代も受け継がれたのでその点はお市も満足したかもですね。
秀長の死が大きかった😢
秀吉は晩年のイメージがあまりにも悪すぎるから好きになれない。秀長の方が長く生きてたら、豊臣の世!!て訳じゃなかったかもしれんけど、少なくとも関ヶ原の戦いは起きてなかったんじゃないかな。
天下統一を果たした後……どうやって日本を治めるのか?というヴィジョンがすっぽりと抜けてしまっているのです💦
で、たどり着いたのが
【武力を持った藤原氏】
という感じの政権でした
これでは秀吉が死んだ後に豊臣家が大名を統率するのは不可能です
秀吉に健康な年齢もいい感じの息子がいたら変わってたのかな?
織田信長が生きてたら、豊臣秀吉は後年の戦争は起こらなかったのかな…😞
唐入りですか?
唐入りは信長が望んでいたからあり得たかもしれません。
他の秀吉の戦いは全然違うものになってたでしょうね。
秀吉を演じた俳優、個人的なベストワースト
善玉版ベスト 火野正平 竹中直人
悪玉版ベスト 緒形拳 勝新太郎
豹変版ベスト 竹中直人 緒形拳 西田敏行
ワースト 柄本明 香川照之 岸谷五朗
小日向は?
香川秀吉は彼の出世役だし、演技力は高かったと思う。
(好き嫌いは人それぞれなので個人的な意見です)
流石に最初の鳴き声「ウキー」だろ秀吉は
下働きするには超優秀だけど、上に立っちゃダメな人だったんよな😢
なんか秀吉 右腕 左腕じゃなきゃダメだった人だな🎵
夢のまた夢が彼の最後の本当の感慨と思うとしみじみ哀しい。
秀吉の軍が持ち込むまで朝鮮半島に唐辛子が無かったってホントかな?唯一、秀吉が半島にしたいい事が美味しいキムチの材料を持ち込んだ事
明を攻めた背景を暴走ではなく、日本を植民地化しようとしていたポルトガルを牽制したものである件に触れて欲しかった😢
そもそもその計画は、秀長や鶴松の死去以前から進んでいたものですしね。
農民がどうやって織田信長にお近づきになれたのか気になる‥
飲み会
信長は天下人間近になっても普通に庶民に話しかけることがありました。デブに反物などをあげています。
秀吉も「茶碗さえ持ってきたら誰でも自らお茶を振る舞いまっせ」とかやっていました。
家康も遠江の百姓の娘が家康に仇討ちを直訴したので、めちゃくちゃにセッ○スしています。
当時まだ士農工商など身分差はなく、基本武士が農繁期に百姓になっていました。
なのでお近づきになるチャンスはあったと思われます。
なまじ平民からトップまで成り上がっちまったから猜疑心に囚われちまったのかも。
漢の高祖・劉邦とか明の太祖・朱元璋なんてもっと酷かったし