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他にも解説して欲しい海戦はありますか?
南太平洋海戦ですねミッドウェーの仇討ちとして挑んだ南雲機動部隊最後の活躍
海戦ではなくソ連の満州侵攻ですね。
海戦ではないですけど「台湾沖航空戦」についてお願いします🙇♂️
海戦では ないですが 沖縄戦を詳しく知りたいです。ぜひ、お願いします。
硫黄島の戦いですね~
レイテの敗戦が予想より簡単に決着した理由がこれでやっと理解が出来ました。すばらしい解説を有難うございます。
父方の祖父が海兵隊でした。父が産まれて少しで戦死したようで、遺影に「ルソン島沖で」と書かれており子ども故に「どこだろう」と思っていましたが、荒井さんのお陰で場所はもちろん、なぜ、どうして祖父が戦死することになったのかわかった気がします。今の私にはどうすることもできない過去ですが、なにか心のつかえが取れたような気がします。自分の父の思い出を1つも持たずに育っていった父を大切に、祖父への想いを馳せていきたいと思います。まさかTH-camでこんな気持ちになることがあるとは思いませんでした。ありがとうございます!これからも頑張ってください!!
はじめまして 私の伯父さんも海軍でフイリピン西方沖海戦戦死と(多分レイテ島海戦)で海に散りました 私達を守り亡くなったとおもっています お彼岸もお墓に参ってきました 地元のお墓に 英霊の皆様と眠っています
動画の配信を、ありがとうございます。
非常に良質な説明だと思いました。素晴らしい。
嬉しいです!他の動画も見てみてくださいね
これなんかも良いですか。th-cam.com/video/Fm5SrNkU7a8/w-d-xo.html
ミリオタなんだね
分かりやすい解説ありがとうございます!
こちらこそご視聴ありがとうございました
ほぼすべてのコメント(肯定・否定問わず)に返信している姿勢に好感を持ちます。他の方からの指摘にも真摯な受け答えしている所は見習いたいものです。僕はほぼ全ての動画での最初のタイトルコールが好きです。これからも動画たのしみにしております。
ありがとうございます!タイトルコール張り切ってやりますね!
"情報を制する者が戦いを制す"という言葉が真実であることを実感します。
最近登録した者ですが、分かりやすい解説と独特の抑揚(?)に引き込まれ、ついつい見入ってしまいます。BGMもBSプレミアムの歴史ドキュメンタリー顔負けのセンスの良さ!これからもこのチャンネルで歴史を学んで行きたいです。
登録ありがとうございます!これからもよろしくお願いしますね
栗たんは、戦前戦後とわず、真実を報告すべきでした。失敗の分析をして、次の対策を考えるなど、貴重な材料があったはずです。失敗に学ぶことは決して恥ずかし事ではないのです。
呼び方www
うん?と思った点を...1、例外事項に関してこれはマニラで行われた作戦説明会で決まった事なんですが、まずこの会議に栗田は出席していません。元々作戦決定時点で本土にいなかった栗田艦隊に作戦説明をするためにマニラで双方の代表が集まって1944年8/10に説明会がもたれましたここに参加したのは連合艦隊からは神参謀他1名栗田艦隊からは小柳参謀長他1名栗田艦隊と同様に本土におらずマニラに司令部を置いていた南西方面艦隊司令部から三川司令長官他という構成でしたここで小柳参謀長が言われている様な付帯条項を神参謀から引き出すのですが、これの意味は動画でいっている意味とは全く違います輸送船団を攻撃しろと命令にあっても、周囲に敵の主力がいる状況の場合、これを無視して輸送船団だけに突っ込んでも、当然周囲の主力は妨害行動してくる訳で、栗田艦隊は挟撃されてしまいます小沢艦隊が囮になってるといっても「ハルゼーが主力全部隊を引き連れて」囮に引っかかるかどうかは、ハルゼーの判断次第なんですから、一部主力を残している可能性もあるわけです(むしろ残している方が常識的判断)だから、突入するにしても、周囲にそういった危険要素があるならまずそこを叩くというのは突入する側としては常識的判断であり、小柳参謀長が神参謀に意見して同意を得た付帯条項も、趣旨はそういう意味で、艦隊決戦に拘ったからとかではないですよ小柳自身、戦後の書籍などでこの時の会話を紹介してるし、艦隊決戦に拘った、輸送船団攻撃を軽視していた、だなんて事は一切ないですよまた、栗田が艦隊決戦に固執していたとも言ってますが、実際は栗田ら艦隊司令部は輸送船団攻撃に否定的な部下の指揮官たちを抑えています例えば作戦会議後の1944年9/20麾下の第一戦隊司令官宇垣纏中将の座乗する戦艦大和に小柳参謀長が立ち寄った際に宇垣は「輸送船団を攻撃するよりも敵主力部隊との決戦を模索すべきだ」と意見した事を宇垣自身が日記に書いています小柳自身も作戦内容を麾下指揮官に伝えた後も、こういった作戦に批判的な意見が、指揮官たちからあって説得に苦労した事を記述してます確かに輸送船団攻撃に艦隊をすり潰すことに栗田艦隊内で異論があったのは事実ですが、栗田ら艦隊司令部までがそういった考えに支配されていた訳ではないですし、この動画でいう例外事項ってのは、そもそもそれとは別の意味でつけられた付帯条項ですよ※佐藤和正著「レイテ沖海戦〜日米海軍最後の大激突」小柳冨次著「栗田艦隊」などを参考に記述2、基地航空部隊レイテ沖海戦での日本側作戦である捷一号作戦での日本側主力は基地航空部隊である第一航空艦隊及び第二航空艦隊です戦史叢書37巻「海軍捷号作戦1台湾沖航空戦まで」で作戦立案の経緯が説明されてますが、日本側の作戦骨子は1、主力を基地航空隊とするので戦備再編は此方を優先する2、空母機動部隊の再編も行うが主力とせず、反撃戦力の一翼とする3、航空戦力は空母機動部隊殲滅を目的とする4、水上部隊(栗田艦隊)は航空戦力が敵空母機動部隊を叩く事で航空支援を受け、敵攻略部隊を捕捉し殲滅する。既に攻略部隊が上陸を開始していたら2日以内に突入してこれを叩くというもので、輸送船団だけを叩く作戦ではありませんですが台湾沖航空戦で基地航空部隊は半壊してしまいます。作戦の根幹が潰れてしまったのですそして米軍のレイテ島沖出没は台湾沖に叩いた筈の米機動部隊が発見され、航空戦の戦果が誤認だと判明する10/16の次の日でしたこういった米軍の性急な侵攻に日本側は後手に回り、結局実際に発令した作戦では一部手直しはあるものの、基地航空隊は空母機動部隊殲滅、小沢艦隊は米機動部隊を北方に誘導して基地航空隊と共同してこれを叩く、栗田艦隊はそういった間接支援を受けながら攻略部隊を殲滅するという基本形は変えずに発令しています空母機動部隊殲滅も立派な作戦目的だったんですよ基地航空部隊が台湾沖航空戦で壊滅したので、レイテ沖海戦では全く触れない書籍とか多いですが、実際は作戦の根幹だし、栗田も基地航空隊の米機動部隊への攻撃が間接支援として突入成功に重要な要素である事は認識していて、何度も基地航空隊に攻撃支援要請や結果を教えてほしいという電文を打っています※因みに言えばレイテ沖海戦で最も戦果を挙げたのは基地航空隊だったりします通常攻撃で米空母プリンストンを撃沈し、駆逐数隻にも損害を与え、神風特攻でも護送空母1隻を沈めていますマリアナ沖海戦でも、台湾沖航空戦でも得られなかった撃沈戦果を、戦力があった水上部隊ではなく、半壊していた基地航空部隊が果たしていたというのはある意味皮肉です3、栗田ターンについてこの25日のターンは、早朝にあったサマール沖海戦での攻撃とちょっと事情が異なりますサマール沖海戦での米護送空母部隊への攻撃は、これを主力と誤認した栗田艦隊が、前述する1の様に輸送船団突入に妨害となる敵を事前に無力化するための攻撃で、攻撃も途中で切り上げて突入を再開しています(主力決戦肯定派だった宇垣はこの時の切り上げ命令に不満があった様な事を日記に書き残しています)ですが昼頃の所謂栗田ターンについては例外事項の適応ではありませんこれは「突入は成功の見込みがなくなりましたので中止します。北方から近づく敵機動部隊を叩くのはできそうなので其方を叩きに行きます」というような趣旨での反転で、そもそも作戦自体はもう無理と現場判断した上での機動部隊攻撃へ向かったんですよこの判断は結局は間違いで、北方の機動部隊の話は誤報だった訳ですが、栗田艦隊が作戦継続はもう無理と判断し、北方の米機動部隊攻撃を叩こうと判断した事は、当時栗田が知り得た情報や、栗田艦隊が置かれた状況から見て、致し方ない面が大きいと思います長文失礼しました
なるほど詳しく教えていただきありがとうございます!他の動画にも気になる点があったらコメントしてくださると助かります
作戦とはいえ『おとり』を命じられた兵士の気持ちを考えると胸が苦しい。
末端の兵士にはおとりであることすら伝えられていなかったようです
令和日本人のメンタルで、当時の日本海軍軍人のメンタルを語るべからず。陽動作戦なんて普通でしょ。囮の空母部隊は日本方向へ全速力で逃げていたので高速で北へ行く艦隊に逆に安心感があったという瑞鶴や伊勢乗員の証言もある。瑞鶴は沈んだけど多くの乗員は救助されたし伊勢も日向も無事に日本へ帰還しました。
性能も操縦も未熟な状態で行けってのは、死ねって言われてるようなもんだよな。
マラソンランナーがペースメーカーを任される気持ちと似ている。
情報漏洩や士気を乱さない観点から末端の現場兵士には作戦内容が何なのかは伝えられないのが常で、これは米兵も同じことで後に証言が残ってますね。
とても分かりやすいです!本当にありがとうございます!!
中将のミスでまとめず現代の尺度で見てはいけないまとめが非常に良いです
三年前に定年退職した元中学校数学教師です。数学教師でありながら日本史が好きです。現代史はあまり好きではありませんが、太平洋戦史は若干の興味がありその関係の書籍を読んでいたりしましたが、そのレイテ沖海戦の「栗田の謎の反転」の意味がよくわかりませんでした。この動画はとてもわかりて良かったです。
いつも勉強させていただいてます
ありがとうございます。
祖父(元海軍軍人)から聞いた話ですが、作戦中は、通信の仕事も大変なようです。お茶を飲むつもりが、間違えて、インクの瓶を掴んで飲もうとしていた方がいたそうです。
過労…ですね…
@@donttellmearai 追伸▪はい、そうです。捷一号作戦には、祖父の部隊(第二航空艦隊)も参加していましたから…。
最新の、研究では、レイテ湾内のアメリカの補助戦艦の、弾薬数は かなり有りますから、仮に突入しても栗田艦隊に かなりダメージ有ったのでは? と、数学的計算が出てます。
事実大和は大ダメージ受けてましたからね
いつも本当にありがとうございます😊
こちらこそいつもありがとうございます!
th-cam.com/video/Fm5SrNkU7a8/w-d-xo.html
「もう太平洋戦争ものはいいや…」と思いつつも観てみたら、やあ面白くて全部観てしまいました。なぜでしょう、ワクワクしてしまいますね。状況が二転三転し、「もしかしたら…いけるか…!」と思いながら観ていましたが…。しかし、戦場は予想外のことだらけですね。現場の指揮官によっても違うしなぁ。今回も、興味深い解説を、ありがとうございました。
見どころ多いですよね!戦場は想像以上にカオスですよね…そんな中でだれか個人の判断が、全体の戦局を大きく変えてしまうんですよね…コメントありがとうございました、もう少し太平洋戦争ものも続くので、よかったら見てみてください!
賢いですね。編集も上手です。歴史とはいえ、日本が負けていく様子を淡々と知っていくのは複雑な気持ちがあります。思わず日本ガンバレ、と思うことがあります。
おっしゃる通りです。勝てたらどうなっていたのかとは考えてしまいますよね
賢いかな❓ th-cam.com/video/Fm5SrNkU7a8/w-d-xo.html
本当に謎の反転としか思ってなかったですけど、こんな例外事項が両軍にあったのですね! これは謎はもう解けてますね。
とても詳しい解説で大変参考になりました。レイテの核心部分の整理にとても有益だと思います。ですが二つほど気になる事があります。一つは、栗田艦隊をレイテに誘導するために特攻が行われていたという事実。それと、戦後GHQの取り調べで栗田は小沢艦隊がハルゼーを引き付けていたという事実を知っており、動向も把握していたと自白しているという2点です。更にはハルゼーが来たという通信も捏造の疑いもあり、反転に関しレイテ特攻を主張する宇垣と揉めていたという当時の搭乗員からの指摘もありました。特攻と小沢艦隊・・・いずれもレイテ突入を支援するための陽動と自己犠牲なわけで、その点を鑑みれば、例外事項を理由に本懐を果たさないというのは仲間の犠牲を顧みない事を意味し、人として、軍人としての誇りがあるのなら(あるのならですが)その選択はは有り得ないと思います。例外事項は、要は逃げるための方便に過ぎなかった可能性ですね。小沢が栗田との共闘を避けるようになったのも過去にも敵前逃亡の前科があって信頼できなかったという話もあります。その点を踏まえれば栗田に対する解釈ももう少し違ったものになったのかな、と思います。
たしかに…
>小沢艦隊がハルゼーを引き付けていたという事実を知っており、動向も把握していたと自白している小沢艦隊の電文の内、肝心の物は何一つ艦隊の外には届いていないのにね、だから大本営すら小沢艦隊の動向は港に帰ってきてようやく把握したのに。
よくこれだけ調べてましたね。凄い❗️の一語に尽きます。
ちょうど、戦争映画の「野火」という映画を観たので、レイテ島について学ぼうと思っていたところでした。わかりやすい解説ありがとうございます。
野火僕も読みたいです
人間の条件、ビルマの竪琴、野火..戦争を考えさせられる映画でしたね. .
ありがとうございます!ほんと為になります感謝してます!!
こちらこそご視聴ありがとうございました!
結局は情報の軽視という日本軍にある根本的な問題なのかな…西村艦隊や小沢艦隊などの犠牲があるだけにこの作戦は本当に辛いな。。
作戦の前提が既に破綻してるのに作戦を強行した連合艦隊の責任は重い。
いい動画すねーめちゃくちゃ面白かったです次回も期待してます。状況、地理的立ち位置、戦術、戦略そして戦況が分かるのはいいと思いました。傑作だと思います。取り扱ってほしい出来事は香港九龍市を制圧からイギリス軍香港島に撤退あたりですかね。
高い評価を頂けたようで良かったです!なんとも渋い所ですね!調べてみます!ご提案ありがとうございます!
何時も忠実な戦史を発信頂きまして有難うございます。海戦では無いのですがレイテ島オルモック、タクロバン、リモン峠等のフィリピン陸戦史をお願いします。
私は、高校生のとき、栗田健男の弟、栗田久成先生に英語を教わっていました。東大法学部卒業ですが、水戸一高で英語の教師をしていたのです。兄弟のほとんどは東大卒ですが、栗田健男は例外的に海兵卒です。祖父の栗田寛は、徳川光圀が編纂を始めた「大日本史」を完成させた人物として知られ、東大教授にもなっています。水戸の名家ですが、今は知る人も少なくなっています。
無能な上司は悪やなあって
うはー!まってました!まってました!
内容はいかがでしたか??
@@donttellmearai 面白かったです!初めて聞いたお話だったのでワクワクでした!聞きながら栗田ぁ頑張れぇ!ってなってました
@@DJ-yy3xm これもいいですよ。th-cam.com/video/Fm5SrNkU7a8/w-d-xo.html
@@DJ-yy3xmそれはちょっとちがくない?
いかに情報とその解析が必要か‼️と言う事ですね。
おっしゃる通りです
日本人の悪いところ、言い訳をしない、棺桶まで持っていく。事実を検証しない。栗田さんは沈んだ船の乗組員、戦場に残していった戦艦武蔵とかの責任をまるで他人事のように無視するのは非常によろしくない。とおもうのは私だけ??
いつも勉強させてもらってます!!米西戦争についてお願いします!!
調べてみますね!
左になっちゃいますよ。。。th-cam.com/video/Fm5SrNkU7a8/w-d-xo.html
@@yantom701 ハングルわからないんですがこれはいったいどういう内容なんですか、、、売春婦の像の真似ごと、、?
@@サクミー このJTBCの二人は反日番組では有名なキャスターでまあいいようにノセラレて【東大生】の看板を利用されたんでしょうね。自分の正義を押し付ける左翼ですかね。
@@yantom701 反日番組にでるのは良くないですね、、 何をおもってこんな番組に出たのか、真意を知りたいですね😿
戦争で1番大事なのは情報情報の大切さを学んだ米国はGAFAやMicrosoftを産んだ日本は学ばず情報産業が遅れて未だにハンコ文化
>戦争で1番大事なのは情報。情報の大切さを学んだ米国はGAFAやMicrosoftを産んだ。日本は学ばず情報産業が遅れて未だにハンコ文化。←ご指摘。全くその通り。今の日本はあの戦争時から全く学んでいない。批判もできないということに気が付くであろう。なぜなら改革を望まない最大の抵抗勢力が現政治家と官僚機構だから。
日本も作ってたけど潰されたんよね
@@YuumaOfujiトロンか。
少し話はそれますが、探偵ナイトスクープの「レイテ島からの手紙」は30年近い番組の最高傑作です。DVD借りてみる価値ありますよ。たしかVol15か16あたりに収録されています。私はもうネットで書かれているあらすじ読むだけでも泣けます。
見てみたい!教えてくださってありがとうございます!
変なプライドにこだわらず、柔軟な考えのある司令官がいたら戦況は変わったかも知れませんね。でも、歴史にたられば言っても仕方ないですが(苦笑)でも、こう言ったことを分かりやすく解説してくれるドントテルミー荒井さんの動画は本当に面白くてタメになります。
たらればを言うなら、そもそも真珠湾攻撃を思いとどまることができていたら、戦況どころか戦争の勝敗も戦後の国際秩序も変わってたかもですね。
>変なプライドにこだわらず、柔軟な考えのある司令官がいたら真珠湾攻撃にも言えるが、日本海軍は自軍に有利な希望的観測に基づいて作戦立案をする。レイテ沖海戦でも、栗田から見れば最早作戦立案段階の情報が間違っていて、レイテ湾に敵輸送船団が居るのかどうかも怪しいとなる。敵偽装艦隊がそこに居て湾に閉じ込められれば全滅、退路には狭い海峡があり逃げ場は亡くなるインパール作戦でもギリギリの綱渡りを作戦立案時に盛り込むので、作戦遂行時にその綱が切れたり、そもそも綱が張れていないなんて状況になった時の事を大本営が考慮もしない。結局は戦う前から負けてたから、栗田が引き返したのは正解だろ
第二次世界大戦でも太平洋側ではなく、スターリングラード攻防戦やノルマンディー上陸作戦、独ソ戦のヨーロッパ側も知りたいですw
私も スターリングラード攻防戦、本チャンネルの解説で、聞きたいです。
これから艦これ2期観るにあたって復習しにきました
もうそのシーズンか
外弁慶の腰抜け栗田はミッドウェーでも逃げ廻った。一矢報いる機会を「怯懦」にて逃した栗田は万死に値する。
万死…
頭の中が昭和30年代で止まってて草
今迄レイテ沖海戦のドキュメンタリー映像を数多く観てきましたが、いずれも断片的にしか理解する事ができませんでした。ですが今回地図付きの映像を観て、初めてレイテ沖海戦の全体像を把握する事が出来ました。
良かったです!!他の動画も見てみてくださいね!
マッカーサーが孤立して死を覚悟したのがこのレイテ沖海戦栗田の反転で一番恩恵を受けたのが後のGHQ司令長官ダグラスマッカーサー
そうなんですね…
小沢機動部隊の犠牲を無駄にしたと批判される栗田の反転ですが、当時の栗田艦隊の状態や戦況を見れば反転の判断は妥当であったと言えます。 1:共撃するはずだった志摩艦隊は撤退、西村艦隊は壊滅し栗田艦隊は孤立していたこと 2:手持ちの重巡は全て損傷を受け、サマール沖海戦で砲弾、魚雷の殆どを消費していたこと 3:米艦隊が小沢の囮に食いついたかどうかは不明であったこと 4:タフィ3、タフィ2らの護衛空母艦隊にボコボコにされていたこと(栗田はこれを米正規空母の攻撃と認識、小沢の囮は失敗したと判断した) 5:既に米軍は揚陸を終えており、輸送船団の撃滅という当初の作戦目標が破綻していたこと 上記は栗田艦隊が持っていた情報であり、これだけでもレイテ突入の構想が崩壊していたことは明白でしょう。 この他、西村の艦隊は確かに囮としての役割を果たしましたが誘引できたのはハルゼー艦隊のみであり、レイテ湾内の輸送船団にはキンケイド艦隊(弾薬、燃料共にもう一戦分はあった)が護衛についていました。結果的に小沢の誘因失敗という栗田の読みは正しかったわけです。 加えて反転の直接的要因になったのは敵機動部隊発見の誤報でした。自分たちが航空攻撃を受けていることと合わせて「小沢の誘因は失敗、レイテ湾内及び近海には空母を含む艦隊によって固められている」と判断しても仕方ありません。 以上の要因から栗田は突入を諦め北方にいるとされる機動部隊を牽制しつつ撤退したのです。 仮に突入したとしても、戦力に勝る米艦隊に殲滅され、良くて空っぽの輸送船をいくらか撃沈して無駄死にが関の山でしょう。 ≪ではなぜ批判されるのか≫ 当時の世論は空母4隻を喪失した小沢を非難し、一応の生還を果たした栗田は好意的に評価されました。 しかし敗戦後の情報開示により、小沢は囮として壊滅したことが知らされると「小沢が自らを犠牲にして掴んだチャンスを栗田の逃げ腰が無駄にした」といった論調が支配的になります。 レイテ湾内の米上陸部隊は無防備だった、栗田艦隊の戦闘力は高かった、突入さえしていれば勝っていた、というような願望交じりの不正確な情報により、栗田艦隊の状況は歪曲されて広まりました。 レイテ沖海戦は日本軍があまりに惨めに、一方的に叩きのめされる結果となりました。 それを受け入れられない人間が「誰かの責任にしたい、ソイツさえ失敗しなければ皇軍は善戦できたという論調にしたい」という作為の元「謎の反転」を吹聴したのかもしれません。南雲や牟田口らの無能論にも同じような意図を感じますし、このような責任のかぶせ方は現代の学校や企業でも広くみられるものです。こういった責任に対する姿勢はある意味「日本人らしさ」なのかもしれません。 近年では栗田らの状態や米軍の動向がより詳しく判明したため栗田の反転に肯定的、同情的な見方が多くなってきています。戦中は小沢に、戦後すぐは栗田にひっ被せられた責任は戦後数十年経った今、正当な評価う受けつつあると言えるでしょう。ゆっくり解説者のコミュニティより
確認ですけど、動画に参考書籍として貼ってる「戦史叢書」本当に読んでますか?ある方のコメントで「台湾は占領されてない」とのご指摘に「そうだったんですか?」と返しておられますが、戦史叢書読んでたらそんな誤解するわけないんですが?実際レイテ沖海戦を扱っている巻の「海軍捷号作戦2フィリピン沖海戦」※フィリピン沖海戦はレイテ沖海戦の日本側呼称でも、連合艦隊司令長官豊田副武は部下2名とフィリピン視察をした帰路、台湾沖航空戦が発生したので台湾に足止めとなり(14-5p)、引き続き10/17にレイテ方面に米船団が襲来してきたので10/18に台湾を発天候不良で搭乗機が九州大村に避難して2日足止めされて10/20に漸く日吉の連合艦隊司令部に帰還する(33p)という話を早い段階で掲載してますし、捷一号作線発令後、台湾の基地航空部隊をフィリピンに移動するという話も書いてますし、読んでたらそんな誤解するわけがないんですが?重ねてお聞きしますが、本当に戦史叢書読んでるですか?参考にされてるんですか?
まあこんな方ですから。th-cam.com/video/Fm5SrNkU7a8/w-d-xo.html
@@yantom701 後発のコメントには返事してて、ここにはしないという事はそういった事なんでしょうねよく分かりました
こん◎◎わ。最近ちょくちょく楽しませていただいてます。ナレーションの抑揚の付け方がとても好ましくついつい聞き入ってます。沖縄戦について掘り下げて頂きたいと思い、書き込みました。よろしくお頼みします。
沖縄戦必ずやるのでお楽しみに!
当時の日本軍は、輸送船を沈めるより艦隊を沈めたほうが評価ポイントが高かったから、栗田は出世ポイントを稼ぎたかったから艦隊を優先した、という考察が他のとこであったなぁ。
それはないな、北に機動部隊がいるという事はレイテ迄絶え間なく空襲を受けるって事。
栗田が反転させず、そのまま突撃したとしても、さしたる戦果は上げられなかったというのが近年の研究から明らかです。敵潜水艦には好き放題やられ、空母部隊は脆弱。やられるためだけの出撃なので、突撃すれば最後の華とはなったでしょうけれどね。
それが冷静な見方だと思います。
日本軍の話を聞くたびに思うんだけど1億人の日本国民の未来か、しょうもない1個人のみみっちいプライドどっちが大切か考えないのかな考えないからこうも悪手ばかり選ぶんやろうなぁ
栗田艦隊の反転は思いのほかダメージを受けていたからだと思う。武蔵を失い、大和も左舷鎖描庫に爆撃を受け艦首が折れそうになり大量の海水流入で5度も傾くなどボロボロで戦える状態になかった。米艦載機が放った250k爆弾ですが大和の装甲の薄い部分を狙ったラッキーパンチだったんですね。
突入してもそれまでに疲弊しているだろうから、大して戦果あげられなかったかもしれないけど、レイテ湾に侵攻するためにあらゆる犠牲を払ってるわけだから、突っ込んで欲しかったって気持ちもある
まさしく日本的な考え方ですね
正確な情報を得られないうえに、機動部隊が米空母群を引き付けたか分からない状況かつ度重なる空襲や、潜水艦の接触で、成功するか分からず適主力がいるかもしれない状況で、突入は無理かなと感じました。それに戦闘で弾薬や燃料なども消費しているので、栗田中将の判断は、この状況では撤退しかないと思います。
そうなんですよね、勝てないから撤退するこれが異常だと捉えられる雰囲気が異常です
@@donttellmearai さま今でも栗田さんへの評価は逃げたとか臆病とか言われていますよね。特に軍事系の動画などで顕著だと思います。批判している人の内容も当時と同じような思考だと思います。
@@コーヒーうまい-t1e これはheinkelさんという軍事系の解説動画を出してる人の投稿です「小沢機動部隊の犠牲を無駄にしたと批判される栗田の反転ですが、当時の栗田艦隊の状態や戦況を見れば反転の判断は妥当であったと言えます。 1:共撃するはずだった志摩艦隊は撤退、西村艦隊は壊滅し栗田艦隊は孤立していたこと 2:手持ちの重巡は全て損傷を受け、サマール沖海戦で砲弾、魚雷の殆どを消費していたこと 3:米艦隊が小沢の囮に食いついたかどうかは不明であったこと 4:タフィ3、タフィ2らの護衛空母艦隊にボコボコにされていたこと(栗田はこれを米正規空母の攻撃と認識、小沢の囮は失敗したと判断した) 5:既に米軍は揚陸を終えており、輸送船団の撃滅という当初の作戦目標が破綻していたこと 上記は栗田艦隊が持っていた情報であり、これだけでもレイテ突入の構想が崩壊していたことは明白でしょう。 この他、西村の艦隊は確かに囮としての役割を果たしましたが誘引できたのはハルゼー艦隊のみであり、レイテ湾内の輸送船団にはキンケイド艦隊(弾薬、燃料共にもう一戦分はあった)が護衛についていました。結果的に小沢の誘因失敗という栗田の読みは正しかったわけです。 加えて反転の直接的要因になったのは敵機動部隊発見の誤報でした。自分たちが航空攻撃を受けていることと合わせて「小沢の誘因は失敗、レイテ湾内及び近海には空母を含む艦隊によって固められている」と判断しても仕方ありません。 以上の要因から栗田は突入を諦め北方にいるとされる機動部隊を牽制しつつ撤退したのです。 仮に突入したとしても、戦力に勝る米艦隊に殲滅され、良くて空っぽの輸送船をいくらか撃沈して無駄死にが関の山でしょう。 ≪ではなぜ批判されるのか≫ 当時の世論は空母4隻を喪失した小沢を非難し、一応の生還を果たした栗田は好意的に評価されました。 しかし敗戦後の情報開示により、小沢は囮として壊滅したことが知らされると「小沢が自らを犠牲にして掴んだチャンスを栗田の逃げ腰が無駄にした」といった論調が支配的になります。 レイテ湾内の米上陸部隊は無防備だった、栗田艦隊の戦闘力は高かった、突入さえしていれば勝っていた、というような願望交じりの不正確な情報により、栗田艦隊の状況は歪曲されて広まりました。 レイテ沖海戦は日本軍があまりに惨めに、一方的に叩きのめされる結果となりました。 それを受け入れられない人間が「誰かの責任にしたい、ソイツさえ失敗しなければ皇軍は善戦できたという論調にしたい」という作為の元「謎の反転」を吹聴したのかもしれません。南雲や牟田口らの無能論にも同じような意図を感じますし、このような責任のかぶせ方は現代の学校や企業でも広くみられるものです。こういった責任に対する姿勢はある意味「日本人らしさ」なのかもしれません。 近年では栗田らの状態や米軍の動向がより詳しく判明したため栗田の反転に肯定的、同情的な見方が多くなってきています。戦中は小沢に、戦後すぐは栗田にひっ被せられた責任は戦後数十年経った今、正当な評価う受けつつあると言えるでしょう。」
私の叔父は、レイテ沖海戦で戦死しました。(戦艦山城)
とても分かりよく他で得られなかった情報を知ることが出来ました!~☆
他ではどんなふうに勉強されているんですか??参考にしたいです
良く言われるのは、我が聯合艦隊は東郷ターンに始まり、栗田ターンで消滅した…とされるそうです。ミッドウェー作戦でも栗田提督は反転しておりこの時、吉川・山口・角田・田中等の各提督が指揮していればどのような展開になったのか、知りたいと思うのは僕だけでしょうか?
戦艦大和が沖縄特攻するより、ここでレイテ湾突入すべきだったような。ただ反転して救われた命も多かったと思うし・・・
うーん、話を一通り聞いた感じ、栗田は出撃前からある程度戦って帰ってくる気だったんだと思う。レイテ沖の時点で空母無しで空母込みの艦隊に勝負挑むのは自殺行為。レイテ沖侵入作戦は艦隊特攻。栗田は艦隊特攻したくなかったんだろう。自分が死んじゃうからね。ただ、艦隊特攻なんか嫌だ!って言うと、貴様!臆病者め!って言われるし、地位も格下げになる。ここで栗田が考えたアイデアが、例外の「敵艦隊を見つけたらそちらを優先して叩きに行く」だった。こうする事により、敵と戦って疲弊したから帰ってきました!って構図が可能となった。レイテ沖海戦では、栗田は自分のアイデアを遂行したに過ぎない。だから、小艦隊とだって必死に戦ったし、空母も執拗に探し回った。こうする事により、例外事項を一生懸命やりました!作戦目的は果たせてないけど、元々言ってあった例外が起こったのでそっちの行動取りました!私は仕事しました!私には何の責任もありません!ってポーズを作りたかったんだろうな。まぁ、いつの時代もお偉いさんあるあるやな。身の保身のためよ。それが証拠に栗田は生き残り何も言わない。結局お偉いさん現代も昔もパフォーマー。口ではカッコいい事言うけど、実際は自分が利権を得る事しか考えてない。庶民は騙されない様にしなくちゃね!
言ってることが矛盾してますよ。空母機動部隊に戦艦部隊で挑むことが自殺行為ならなんで保身の為に機動部隊攻撃に移ったんですか?
@@tsuchi3609 無謀という訳ではないですよ。戦艦には一応対空砲があったので、空母から出る戦闘機を爆撃しに来た戦闘機を落とせるので、1部の硬い艦船は生き残って、至近距離で沈めることだってできます。さらに、バレないように敵に接近して撃てば、栗田が指揮する巡洋艦ならそこそこの威力と素早さを持つからヒットアンドアウェイで被害を与えた上で逃げ、敵の射程圏外まで逃げれば少ないとはいえ、被害を与える事が可能です
小沢機動部隊の犠牲を無駄にしたと批判される栗田の反転ですが、当時の栗田艦隊の状態や戦況を見れば反転の判断は妥当であったと言えます。 1:共撃するはずだった志摩艦隊は撤退、西村艦隊は壊滅し栗田艦隊は孤立していたこと 2:手持ちの重巡は全て損傷を受け、サマール沖海戦で砲弾、魚雷の殆どを消費していたこと 3:米艦隊が小沢の囮に食いついたかどうかは不明であったこと 4:タフィ3、タフィ2らの護衛空母艦隊にボコボコにされていたこと(栗田はこれを米正規空母の攻撃と認識、小沢の囮は失敗したと判断した) 5:既に米軍は揚陸を終えており、輸送船団の撃滅という当初の作戦目標が破綻していたこと 上記は栗田艦隊が持っていた情報であり、これだけでもレイテ突入の構想が崩壊していたことは明白でしょう。 この他、西村の艦隊は確かに囮としての役割を果たしましたが誘引できたのはハルゼー艦隊のみであり、レイテ湾内の輸送船団にはキンケイド艦隊(弾薬、燃料共にもう一戦分はあった)が護衛についていました。結果的に小沢の誘因失敗という栗田の読みは正しかったわけです。 加えて反転の直接的要因になったのは敵機動部隊発見の誤報でした。自分たちが航空攻撃を受けていることと合わせて「小沢の誘因は失敗、レイテ湾内及び近海には空母を含む艦隊によって固められている」と判断しても仕方ありません。 以上の要因から栗田は突入を諦め北方にいるとされる機動部隊を牽制しつつ撤退したのです。 仮に突入したとしても、戦力に勝る米艦隊に殲滅され、良くて空っぽの輸送船をいくらか撃沈して無駄死にが関の山でしょう。 ≪ではなぜ批判されるのか≫ 当時の世論は空母4隻を喪失した小沢を非難し、一応の生還を果たした栗田は好意的に評価されました。 しかし敗戦後の情報開示により、小沢は囮として壊滅したことが知らされると「小沢が自らを犠牲にして掴んだチャンスを栗田の逃げ腰が無駄にした」といった論調が支配的になります。 レイテ湾内の米上陸部隊は無防備だった、栗田艦隊の戦闘力は高かった、突入さえしていれば勝っていた、というような願望交じりの不正確な情報により、栗田艦隊の状況は歪曲されて広まりました。 レイテ沖海戦は日本軍があまりに惨めに、一方的に叩きのめされる結果となりました。 それを受け入れられない人間が「誰かの責任にしたい、ソイツさえ失敗しなければ皇軍は善戦できたという論調にしたい」という作為の元「謎の反転」を吹聴したのかもしれません。南雲や牟田口らの無能論にも同じような意図を感じますし、このような責任のかぶせ方は現代の学校や企業でも広くみられるものです。こういった責任に対する姿勢はある意味「日本人らしさ」なのかもしれません。 近年では栗田らの状態や米軍の動向がより詳しく判明したため栗田の反転に肯定的、同情的な見方が多くなってきています。戦中は小沢に、戦後すぐは栗田にひっ被せられた責任は戦後数十年経った今、正当な評価う受けつつあると言えるでしょう。あるゆっくり解説者のコミュニティより
@@メーテロ ごめんなさい、私が無謀とか自殺行為とか言ってる訳じゃないんですが…
大和の通信士だった人の話を聞いた事があるんだが、栗田艦隊がレイテ湾に突入したとしても関東平野と同じくらい広い湾のどこに敵が居るのか全く情報が無い状態で、それまで武蔵などを撃沈されて疲弊していた栗田艦隊は時間をかけて敵を探すうちに全て撃沈されて全滅となる公算が極めて高かったと。なので艦隊の反転は後に言われるような謎というほどのものでも無く、あの状況下では特に疑問も無い至極妥当な判断と思われるとの事だった。
なるほどそうだったんですね、教えてくださってありがとうございます
いつも動画拝見させてもらっています!チャンネル登録しました!第三四三海軍航空隊、紫電改について詳しく知りたいです!
調べてみますね!!
@@donttellmearai ご返答ありがとうございます!楽しみにしています(^^)
栗田中将は大和の前の旗艦愛宕に乗船していて沈没させられ海に投げ出され大和に引き上げられたがそこでもショックで震え続けていたという。臆病風に吹かれたというのは事実だ。栗田中将はその前にもミスをやっていたが処分はなにもされないまま、日本は上層部には甘く下部には厳しい体質は今でも同じ。この戦いで死んでいった徴兵で駆り出された兵隊さんがあまりにもかわいそう。
それが立場だと思います
次はミッドウエイ海戦をお願いします。特に何故裸空母を前面に出し、戦艦群が後方に居のか。また遅かった敵空母発見の理由などお願いします。
聯合艦隊の栄光は東郷ターンで始まり、栗田ターンで終焉を迎えた。
大東亜戦争で私の伯父さん 父親の兄 三兄弟の長男は お墓に フイリピン西方沖海戦戦死 機関士二等兵曹と昭和19年確か12月13日 だいぶ 風化していてすいません 真ん中の兄は戦争には行ってませんが 大東亜戦争中船で物資をはこんでいました 西方を調べると レイテ島海戦かと 思いました
どの動画もとてもわかりやすくて最近勉強させていただいてます!ちょうどさっき神風特攻隊についての動画を観ていたところで、レイテの動画もやって欲しいな〜と思っていたところだったので嬉しいです(^^)ありがとうございます!!
こちらこそご視聴ありがとうございました!次の動画もお楽しみに!
でも、特攻隊や天皇陛下侮蔑のトリエンナーレに賛同して慰安婦コスプレするかたですからね。 th-cam.com/video/Fm5SrNkU7a8/w-d-xo.html
日本軍のお粗末具合ったらない。実際の戦いで命を落とされた方も浮かばれない…
台湾の航空部隊は囮を兼ねて体当たり攻撃をしました。レイテ沖でレイテ湾に突入して、陸軍へ艦砲射撃を浴びせることが出来たら、その人員被害の大きさに政治が動いたでしょうね。陸軍部隊の再構築に時間がかかります。沖縄戦ほか、戦えません。それを狙ったんでしょう。
陸軍から陸に撃つなと太い釘をねじ込まれていたからそれはあり得ませんよ。
@@nagoyashimin569 この文章で「陸に砲弾を」というのは、上陸途中の、あるいは上陸済のまだ海の近くにいる部隊のことです。物資でもある。そして揚陸前の物資を積んだ船。捷1号では、アメリカに人的被害と上陸用に訓練された兵、いわゆる海兵隊を痛めつければ、その訓練に超期日を要するため、島嶼への砲撃や航空攻撃はできても占領できないという期間が出来る。陸に打つなという陸軍の希望は知らないのですが、夜襲をかける予定だったのか?まあ、陸海軍の指揮命令や作戦方法は入り乱れた部分があったようですね。捷1号の目的は揚陸中の利区分部隊に艦砲射撃を加え、船を沈めることでしょう?まあ、内陸まで打つつもりもないでしょうし、いいところ海岸線から10kmでしょうね。それとも海軍は海軍で作戦を勝手に解釈し、陸軍は陸軍で勝手に解釈数という習慣があったんなら、負けは必然ですね。大将や元帥が机を並べて建てた作戦は前線では実施されないのか。
@@爆睡-e7s 揚陸中の敵を叩くためには上陸後48時間以内にレイテに着かなければならなかったと見積もられていたんですが、栗田の出発は栗田が念のために確保したタンカーの燃料を使い上陸から48時間たってから出撃しています、当然突入時間はズルズル後ろ倒しにされ激しい空襲でさらに後ろに倒れるわけです。まともな指揮官なら敵に先手を取られた時点で次の作戦に切り替えるんですが史実はご覧の有様となっております。
情報が一番大事だね
この時代は特にね
悲しいが、搭乗パイロット不在の空母をオトリって終戦間近❤
いやー素晴らしい!解説デス 勉強になりました。これは私見ですが日本の、バルジ大作戦ですね。小沢治三郎の言葉である、将兵に残した言葉「君死んじゃいけないよ」の意味が心に、突き刺さります。
敗戦の理由は戦力差や国力差より知力の差が大きい気がする。軍という武が尊ばれる組織で知力を尊重した人事を行えるかどうかが分かれ目な気がする。
あ号作戦の立案から作戦実行、その敗退迄解説ください。
南京事件がわからないので解説してくださいお願いします🙇⤵️
是非取り上げて頂きたい戦いは、牟田口のインパール作戦です
もう取り上げてるよ!探してみて
結果的におとり部隊を活用できなかったのは非常に残念。西村艦隊にいたっては悲劇としか言いようがない。
悲しいです
ロタ島(グワム島の近く)の戦い、マーシャル諸島のウォッゼ島の戦いを掘り起こしてください。
レイテ島をとられたら、石油搬送ルートをとられたことになる。石油が停まったら、船も飛行機も工場も・・・・。
結局 栗田が見誤ったことを隠すために格好つけて言及しただけだと思う。。
どうなんですかね…
@@donttellmearai 個人的意見ですが囮になった方々が気の毒過ぎていつも そう思う。栗田が怖じ気付いただけこの太平洋戦争は上官がいつも腰抜け
1:共撃するはずだった志摩艦隊は撤退、西村艦隊は壊滅し栗田艦隊は孤立していた。2:手持ちの重巡は全て損傷を受け、サマール沖海戦で砲弾、魚雷の殆どを消費していた。3:米艦隊が小沢の囮に食いついたかどうかは不明であった。4:タフィ3、タフィ2らの護衛空母艦隊にボコボコにされていた。(栗田はこれを米正規空母の攻撃と認識、小沢の囮は失敗したと判断した)5:既に米軍は場陸を終えており、輸送船団の撃滅という当初の作戦目標が破綻していた。上記は栗田艦隊が持っていた情報であり、これだけでもレイテ突入の構想が崩壊していたことは明白。この他、西村の艦隊は確かに囮としての役割を果たしたが誘引できたのはハルゼー艦隊のみであり、レイテ湾内の輸送船団にはキンケイド艦隊(弾薬、燃料共にもう一戦分はあった)が護衛についていた。結果的に小沢の誘因失敗という栗田の読みは正しい。加えて反転の直接的要因になったのは敵機動部隊発見の誤報。自分たちが航空攻撃を受けていることと合わせて「小沢の誘因は失敗、レイテ湾内及び近海には空母を含む艦隊によって固められている」と判断することが臆病者なのか?上述の情報からこの様な判断に至るのは普通ではないか。以上の要因から栗田は突入を諦め北方にいるとされる機動部隊を牽制しつつ撤退したわけ。仮に突入したとしても、戦力に勝る米艦隊に残滅され、良くて空っぽの輸送船をいくらか撃沈して無駄死にが関の山。戦時中の世論は空母4隻を喪失した小沢を非難し、一応の生還を果たした栗田は好意的に評価されたが、敗戦後の情報開示により、小沢は囮として壊滅したことが広まると「小沢が自らを犠牲にして掴んだチャンスを栗田の逃げ腰が無駄にした」といった論調が支配的になる。レイテ湾内の米上陸部隊は無防備だった、栗田艦隊の戦闘力は高かった、突入さえしていれば勝っていた、というような願望交じりの不正確な情報が混じりながら、栗田艦隊の状況は歪曲されて広まってしまった。レイテ沖海戦の結果は日本軍があまりに惨めに、一方的に叩きのめされたが、それを受け入れられない奴らが「誰かの責任にたい、ソイツさえ失敗しなければ皇軍は善戦できたという論調にしたい」という作為の元「謎の反転」を吹聴したのかもね。このような責任のかぶせ方は現代の学校や企業で問題が起きた時とかによく見るし、こういった責任に対する姿勢はある意味「日本人らしい」かも。
戦後に説明責任を果たさなかった。この事実だけで、栗田という男は卑怯者であると思ふ。
アメリカ軍解説パートと日本軍解説パートでBGMを変えている🎵プレゼン上手いですね。
細かいところまで見てくださってありがとうございます!
失礼ながら、ご説明が少し違いますね。当初アメリカ軍はフィリピンには興味がなく、台湾や中国本土を狙っていました。しかし、1942年日本軍による侵攻によって、フィリピンから命からがら逃げて、屈辱的な思いをしたマッカーサーにとっては、フィリピンを奪回する事にこだわり、フィリピンに来襲したのです。それにしても 5:12では「海軍は陸軍の援助をするが、日本主力艦隊を見つけたら、それを先に叩く」という発想は、日本海軍の「艦隊決戦」思想と同じですね。アメリカ海軍も同じ事を考えていたのですね。9:18で、しかし日本海軍の「艦隊決戦」思想にこだわりすぎてましたね。くだらないプライドで、アメリカ輸送船(アメリカ陸軍)を叩く事をしなかった事は残念です。日本陸軍も混乱がありました。第14軍司令官山下奉文大将は、ルソン島決戦を主張したのですが、南方軍寺内元帥からの強弁なレイテ島命令したし、山下もこれに従い、多号作戦という軍の緊急輸送を行いました。レイテ島に派遣された玉兵団を初め大勢の兵が亡くなりました。まったくムダな事をしました。23:44 オルデンドルフ海軍少将率いる戦艦部隊ですね。明治生まれの旧式戦艦「扶桑」「山城」では、力の差は歴然。オルデンドルフ隊の猛砲撃と魚雷であえなく沈没し、西村艦隊は全滅してしまいました。レイテ湾を目の前にして、反転した事になぜ小柳参謀長や参謀達が栗田長官をレイテ湾突入を説得しなかったのか?それは日本海軍の「官僚主義」があると思います。「栗田を説得してレイテ湾に突入されて、もし失敗でもしたら、自分たちの首が飛ぶ」と参謀達は考えたのでしょう。「レイテ湾反転をしたのは栗田さんの命令だから」と上層部に言えば、参謀達は安泰です。この「官僚主義」が日本海軍の特徴でもあったのです。
おおお!すごい!詳しくありがとうございます!他の動画も気になったところがあったら教えて欲しいです
@@donttellmearai ご返事ありがとうございます。批判めいた事を書いて申し訳ございません。でも私も勉強になりました。
台湾って、米軍の手に落ちましたっけ。台湾は戦後戦勝国に引き渡されたと記憶してますが確認してください。動画の表現の日本が台湾を失い、米軍が台湾に基地を設けんとは、一般にそう言う意味に取られますが、間違いなら修正ください。何処探しても、台湾占領の情報は見つかりません。本当なら、台湾上陸戦の動画上げといてください
いつも本当にありがとうございます😁
こちらこそいつもコメントありがとうございます!これからもよろしくお願いします。
公明党の物、昨日、目にしたので、今日見ようと思ったのですが、どうされましたか!?
私の勘違いかも、知れません!間違ってたら、御免なさい!
栗田司令のとった行動が非難されるのが一般的ですが、気象などの環境により、他艦隊との連携不足、集中攻撃を一身に受けた艦隊の状況、陸上基地航空部隊との連携がとれない。その他理由もありますが、やむを得なかった行動だったと思います。
最近はあまり非難されることが少ない栗田ターンですが3年前はとんでもない批判で溢れてますね。小沢艦隊からの空母主力部隊の引き付け成功の電報が届いてない中逆にサマール沖までよく進撃したとおもいます
素晴らしいレポート有難う御座います。
硫黄島の戦いを詳しくお願いします!
必ずやります!待っててください!
この方に硫黄島語って頂くのは兵隊さんに無礼になるかと。th-cam.com/video/Fm5SrNkU7a8/w-d-xo.html
個人的にレイテのMVPはタフィ3だと思う
確か、輸送船による荷揚げはほぼ終わってたんじゃなかったっけ?それやったら空母を攻撃しにいったほうが良いと判断した説おすぜ
どうせ特攻するならハワイの時に徹底的に特攻すべきだったんだよな。
いつの時代も見えない敵ほど怖いものはない。
そしたら変わってたかな
アメリカ軍は、物流で、物を言わせることでしたね。日本軍は、どんどんと負けていつてしまいますね。山本五十六大将が心配していた通りになつていましたね。航空機で、戦闘をするのが、正論のはずです。戦艦での攻撃は、終わりではと思いますね。
続きの動画も見てみてね!
既にこのときの日本海軍は空からの援護を受けられない状況だったので、作戦を進める中栗田艦長もこのまま戦い続けることに限界を感じたからではないでしょうか。早めに引き返したのは、このまま作戦を遂行して全滅させられるよりは、本土防衛に備え少しでも海軍戦力を残しておきたいという、彼なりの判断だったのではないかと思います。
なるほどそうかもしれないです!
@@user-rh4wo3dr4c 全般的に的を得た意見だと思います。
艦隊を温存しても次の作戦行動は燃料不足で不可能であった。レイテで全艦隊最後の戦闘をすべきであった。
@@弘行稲川栗田艦隊が帰ったからこそ生きて帰れた人がその子孫が敗戦後の日本を復興したんですよ。何も犬死しに行けなんて言うのはおかしい
こんばんわ。以前から拝聴していたのですが、「don't tell me」の「私に言わないで」とは「反論無用」の意味でしょうか?あなたの世界・日本中の危険地帯や戦跡からの現地レポートには、その胆力と好奇心は歓待できますが、あまりにも一方的な言い方で、良く下調べしたした様子は見受けられますが、それですべてを集約しているとも思えません。東大や京大出の人が陥りやすい「無知な意見や感想は論議に値しない」という上から目線の考え方です。 ご自分の意見がないので「don't tell me!!」(問答無用!)ということでよろしいですか?歴史、とくに近現代史は、今生きている私達よりも、あと100年しないと「確定的な結論」は出ません。 大本営に「戦略思想」があれば、真珠湾攻撃において上空攻撃だけでなく陸軍を上陸させてワイキキビーチを占領していたはずです。しかしながら日本軍はそんなものは持ち合わせていません。 あくまでも過去の資料や文献からの現在の「想像的な結論」に過ぎません。実は当方も「もし、フィリピン沖海戦で終戦していれば・・・」と言う動画を出しています。 あのNHKが出した、一方的な「マリアナ沖海戦」の反省と検証の動画です。もちろんVT信管や「マリアナ沖の七面鳥撃ち」も出てきます。当方の亡父は、実は「北回りルート」の栗田艦隊で重巡洋艦「鈴谷」に乗艦していました。 あと1時間半ほどでレイテ湾突入という時に、「取り舵180度」の号令を受けます。「謎の反転」の瞬間です。亡父は「ここで反転はおかしい」とは思っていたそうが、このときはすでに米軍の艦載機の上空攻撃により「機関停止状態」だったそうで、艦長の「生存者総員退艦」の号令で戦友と共に僚船に移乗したそうです。 その後「鈴谷」は僚船の魚雷で自沈処分されています。しかしボルネオ泊地に戻っても、レイテ湾突入の直前での反転理由は知らされず、乗員には分からなかったそうです。さらに台湾沖航空戦の「大勝利」は知らなかったそうです。 戦後、のちの戦友会では、「謎でもなんでもなく、無電や機関・砲などだいぶやられたから、このままでは戦にならないと艦長が判断、生存者だけでの反転帰投なのだろう」ということを仲間と話した覚えがあるそうです。 当方は、海軍が集めたマニラ市街戦や大本営の「レイテ島侵攻」に反対していた山下泰文大将の意見に賛成しています。劣勢になった日本軍でのフィリピンのゲリラ戦は妥当な作戦でした。もし、帝国海軍の壊滅したこの時点で「終戦」の勅語を出していれば、のちの沖縄戦での戦艦大和での特攻作戦や東京大空襲、もちろん広島・長崎の原爆投下もなかったハズです。 昭和天皇を長野県の「松代大本営」に疎開されてまでの「本土決戦」が大目標である大本営が「終戦」の決断をするわけもありませんが、それぞれの戦地において、陸海軍のできることを精一杯の戦闘した事実があります。 それをわずか戦後78年しか経たずに云々することは不遜と考えます。今でも毎日、世界の各地で戦争が起きている現実のなかで、日清・日露戦争以来、負け知らずの日本が初めて負けた大東亜戦争以来、日本が78年間戦争をしていないだけ、ということです。 戦争はいつの時代でも、どこで起きても悲惨でみじめなものです。朝鮮戦争やベトナム戦争、イラン・イラク戦争、もちろん現在のウクライナ戦争も同じです。「ニュース」の無くなった今の日本のメデイアは、「日本も再び戦争になればいい」と思っているフシがあります。上皇陛下が平成の時代の終わりを告げられるときの記者会見で。国民に「平成の時代に日本が戦争にならなかったことに安堵しています」と涙ながらに語られたことを覚えています。 令和の時代に日本が戦争にならないことを祈ります。
真珠湾攻撃に参加した6隻の空母の最後に残っていた瑞鶴も沈んだんですよね・・・
それあります
台湾を占領したような言い方は、間違いですね。無力化でしょう。しかし、レイテを巡る、マクロな解説はいいですね。どうも各戦闘の局面ごとの文献を多く読んできたため、総情勢をまとめかねていました。ありがとう、、
なるほど、確かにそうですね、、ご指摘ありがとうございます!
もう兵学校で戦術を学んだ幹部とは思えない発想
こういうの解説された後に映画をみると理解しやすいんだよなぁー男たちのヤマト見直すか
よいね!!
扶桑などの旧型、瑞鶴などの空母軍の損害を考えると、作戦の遂行に重きを置いてほしかった。。例外にとらわれ過ぎてるのも、艦隊を率いる者としてはどうなのかと思ってしまう。戦後、栗田氏が黙して語らずというのは、分かる気もするが、せめて書き物だけでもしてほしかったな。。。それにしても情報を扱う部門が損害に会うとどうしようもなくなる。。情報軽視は日本の対戦を通じての共通の問題。
輸送船を何十隻と破壊するよりも戦艦を撃破して方がより多くのポイントがつくから、そしてこのポイント制が大きく昇進に関わってるからという説もあるらしい(永遠のゼロで読みました)
なんとも本質的じゃない…
日本の首脳は補給、輸送を軽視していた節がありますよね。ガ島であれだけ餓死者、犠牲を出したのになんにも反省してない。
日本軍の作戦で部下がかわいそうだな😢
それはある
航空機が戦艦の遥か上から攻撃するという説明は間違いだと思います。当時、戦艦を沈めるためには航空魚雷を使わなければ無理だったからです。航空魚雷は低空を飛ばないと撃てません。
確かに対空母と対戦艦で戦い方が違うんですね、教えてくださってありがとうございます。
戦後アメリカの物量に負けたとか言っていた人が多かったのも騙されていただけですね。日本人は兵器どうのというよりものの考え方を改めないとこの先も国際社会では厳しいですね。根本は教育だと思います。でも、遅れていたアジアでよく頑張ったと思います。感謝。
ミッドウェー海戦の敗戦の教訓が生かされていないね。目的は輸送船団の撃滅で一本化しておかないと。
硫黄島防衛作戦の様な、敵を苦しめる発想が海軍には無かったのでしょうか。😞どうも海戦で、敵艦撃沈など 単純な戦果にこだわり過ぎに 思えました。
内情はもう少し複雑だと思いますが、なんとも淡白ですよね…
海戦要務令という海軍の戦闘マニュアルに敵艦隊撃滅が第一目的とされていたせいです。これは東郷平八郎という凡将の発想にあまりにも拘泥しすぎたせいだと大本営海軍参謀であった祖父の従弟(真珠湾攻撃の基本作戦も立案した)が述べていたことである。
@@Chu2007pae そうなんですね~。もっと柔軟さがあれば、敵を苦しめる事が出来たでしょうね。 ご教授下さり有難うございます。🌸
@@リック石丸 わかりやすい解説動画から引用しますね『実は陸戦と違って、海戦で敵艦隊を補足するのってかなり難しいんだよ。なにしろ海はものすごく広い上に誰も住んでいないからねぇ?だから実際に自国の商船が襲われて初めて敵艦の存在に気付くことなんて珍しくない。そしてそれから慌てて艦隊を派遣しても大抵は間に合わない。まあ長く伸びた補給線を防衛するのは陸戦でも難しいんだけどね?その上海には城とか砦とか作ることできないから敵の通商破壊を防ぐのは更に難しいんだ。一応「護送船団」商船をまとめてそのうえで護衛艦隊をつけるという方法もあるけど、これだと一番遅い船に速度を合わせないといけないから輸送効率が落ちるんだよね。まあ、もちろん護衛なしで出航させて敵に襲われるよりは遥かにいいんだけど。でも効率落ちるってことは、結局通商妨害されてるってことだよなぁ。これじゃあ制海権を確立したとは言えないよなぁ?輸送船団守ってるだけで他の海域襲われるかもしれないから。そこで制海権を確立する方法が2つあります。①敵艦隊の殲滅及びそれができる海軍の整備まあ、船全部ぶっ壊せば敵は悪さできんよなぁ?海上の交易路全部守るのは無理やからなぁ?マハンの理論によると制海権確保というか海戦は攻撃的であるべきなんだ。別の言い方をすれば、海戦は攻撃側有利と、彼は考えていたようだ。だから自国艦船はできるだけ集中して、それで敵の艦船を攻撃する。そのほうが結果的に自国の通商も保護できる。違う言い方をすれば、「敵艦隊が自国領海を攻撃できている」時点で制海権は確保できていない。「襲ってきた敵艦船を排除できる」はせいぜい「海上優勢」だろう。旧帝国海軍が攻撃とか艦隊決戦を重視していたのは、関係あるだろうねぇ。まあとにかく敵艦隊しばいたら制海権確保できるんやで?特に海軍てのは育成に時間もお金もかかるからね?敵国を圧倒できる海軍力を持ってしまえば、相手の国がそれに追いつくにはかなりの時間がかかる。それまでの間は自軍が有利だから相手は攻撃を仕掛けてこないはずだし、攻撃仕掛けられても自軍が有利やから勝てるはずやでぇ?例えば艦隊を敵基地の近くに移動させておいてな?それで宣戦布告直後に攻撃させる。基地にいる艦隊全滅させたらもう制海権の心配せんでもよくなるで。敵国海軍に決戦を仕掛け全滅もしくは無力化させる。これが実現すれば制海権は間違いなく把握できる。実際に日本の艦船見てもとくに大砲とか魚雷をたくさん積めるように設計されてるし。敵海軍と決戦を行って一気に勝負を決めるのを前提としていたんだろうね。そしてその決戦が奇襲というこちらに有利な状況でおこなわれるならこの上ない。②敵の海軍基地を占領する』(th-cam.com/video/_zo0ztswcGY/w-d-xo.html)
他にも解説して欲しい海戦はありますか?
南太平洋海戦ですね
ミッドウェーの仇討ちとして挑んだ南雲機動部隊最後の活躍
海戦ではなくソ連の満州侵攻ですね。
海戦ではないですけど「台湾沖航空戦」についてお願いします🙇♂️
海戦では ないですが 沖縄戦を詳しく知りたいです。
ぜひ、お願いします。
硫黄島の戦いですね~
レイテの敗戦が予想より簡単に決着した理由がこれでやっと理解が出来ました。すばらしい解説を有難うございます。
父方の祖父が海兵隊でした。父が産まれて少しで戦死したようで、遺影に「ルソン島沖で」と書かれており子ども故に「どこだろう」と思っていましたが、荒井さんのお陰で場所はもちろん、なぜ、どうして祖父が戦死することになったのかわかった気がします。
今の私にはどうすることもできない過去ですが、なにか心のつかえが取れたような気がします。
自分の父の思い出を1つも持たずに育っていった父を大切に、祖父への想いを馳せていきたいと思います。
まさかTH-camでこんな気持ちになることがあるとは思いませんでした。ありがとうございます!
これからも頑張ってください!!
はじめまして 私の伯父さんも海軍でフイリピン西方沖海戦戦死と(多分レイテ島海戦)で海に散りました 私達を守り亡くなったとおもっています お彼岸もお墓に参ってきました 地元のお墓に 英霊の皆様と眠っています
動画の配信を、ありがとうございます。
非常に良質な説明だと思いました。素晴らしい。
嬉しいです!他の動画も見てみてくださいね
これなんかも良いですか。th-cam.com/video/Fm5SrNkU7a8/w-d-xo.html
ミリオタなんだね
分かりやすい解説ありがとうございます!
こちらこそご視聴ありがとうございました
ほぼすべてのコメント(肯定・否定問わず)に返信している姿勢に好感を持ちます。他の方からの指摘にも真摯な受け答えしている所は見習いたいものです。僕はほぼ全ての動画での最初のタイトルコールが好きです。これからも動画たのしみにしております。
ありがとうございます!タイトルコール張り切ってやりますね!
"情報を制する者が戦いを制す"という言葉が真実であることを実感します。
最近登録した者ですが、分かりやすい解説と独特の抑揚(?)に引き込まれ、ついつい見入ってしまいます。BGMもBSプレミアムの歴史ドキュメンタリー顔負けのセンスの良さ!これからもこのチャンネルで歴史を学んで行きたいです。
登録ありがとうございます!これからもよろしくお願いしますね
栗たんは、戦前戦後とわず、真実を報告すべきでした。失敗の分析をして、次の対策を考えるなど、貴重な材料があったはずです。
失敗に学ぶことは決して恥ずかし事ではないのです。
呼び方www
うん?と思った点を...
1、例外事項に関して
これはマニラで行われた作戦説明会で決まった事なんですが、まずこの会議に栗田は出席していません。
元々作戦決定時点で本土にいなかった栗田艦隊に作戦説明をするためにマニラで双方の代表が集まって1944年8/10に説明会がもたれました
ここに参加したのは連合艦隊からは神参謀他1名
栗田艦隊からは小柳参謀長他1名
栗田艦隊と同様に本土におらずマニラに司令部を置いていた南西方面艦隊司令部から三川司令長官他
という構成でした
ここで小柳参謀長が言われている様な付帯条項を神参謀から引き出すのですが、これの意味は動画でいっている意味とは全く違います
輸送船団を攻撃しろと命令にあっても、周囲に敵の主力がいる状況の場合、これを無視して輸送船団だけに突っ込んでも、当然周囲の主力は妨害行動してくる訳で、栗田艦隊は挟撃されてしまいます
小沢艦隊が囮になってるといっても「ハルゼーが主力全部隊を引き連れて」囮に引っかかるかどうかは、ハルゼーの判断次第なんですから、一部主力を残している可能性もあるわけです(むしろ残している方が常識的判断)
だから、突入するにしても、周囲にそういった危険要素があるならまずそこを叩くというのは突入する側としては常識的判断であり、小柳参謀長が神参謀に意見して同意を得た付帯条項も、趣旨はそういう意味で、艦隊決戦に拘ったからとかではないですよ
小柳自身、戦後の書籍などでこの時の会話を紹介してるし、艦隊決戦に拘った、輸送船団攻撃を軽視していた、だなんて事は一切ないですよ
また、栗田が艦隊決戦に固執していたとも言ってますが、実際は栗田ら艦隊司令部は輸送船団攻撃に否定的な部下の指揮官たちを抑えています
例えば作戦会議後の1944年9/20
麾下の第一戦隊司令官宇垣纏中将の座乗する戦艦大和に小柳参謀長が立ち寄った際に宇垣は
「輸送船団を攻撃するよりも敵主力部隊との決戦を模索すべきだ」
と意見した事を宇垣自身が日記に書いています
小柳自身も作戦内容を麾下指揮官に伝えた後も、こういった作戦に批判的な意見が、指揮官たちからあって説得に苦労した事を記述してます
確かに輸送船団攻撃に艦隊をすり潰すことに栗田艦隊内で異論があったのは事実ですが、栗田ら艦隊司令部までがそういった考えに支配されていた訳ではないですし、この動画でいう例外事項ってのは、そもそもそれとは別の意味でつけられた付帯条項ですよ
※佐藤和正著「レイテ沖海戦〜日米海軍最後の大激突」
小柳冨次著「栗田艦隊」
などを参考に記述
2、基地航空部隊
レイテ沖海戦での日本側作戦である捷一号作戦での日本側主力は基地航空部隊である第一航空艦隊及び第二航空艦隊です
戦史叢書37巻「海軍捷号作戦1台湾沖航空戦まで」で作戦立案の経緯が説明されてますが、日本側の作戦骨子は
1、主力を基地航空隊とするので戦備再編は此方を優先する
2、空母機動部隊の再編も行うが主力とせず、反撃戦力の一翼とする
3、航空戦力は空母機動部隊殲滅を目的とする
4、水上部隊(栗田艦隊)は航空戦力が敵空母機動部隊を叩く事で航空支援を受け、敵攻略部隊を捕捉し殲滅する。既に攻略部隊が上陸を開始していたら2日以内に突入してこれを叩く
というもので、輸送船団だけを叩く作戦ではありません
ですが台湾沖航空戦で基地航空部隊は半壊してしまいます。作戦の根幹が潰れてしまったのです
そして米軍のレイテ島沖出没は台湾沖に叩いた筈の米機動部隊が発見され、航空戦の戦果が誤認だと判明する10/16の次の日でした
こういった米軍の性急な侵攻に日本側は後手に回り、結局実際に発令した作戦では一部手直しはあるものの、基地航空隊は空母機動部隊殲滅、小沢艦隊は米機動部隊を北方に誘導して基地航空隊と共同してこれを叩く、栗田艦隊はそういった間接支援を受けながら攻略部隊を殲滅する
という基本形は変えずに発令しています
空母機動部隊殲滅も立派な作戦目的だったんですよ
基地航空部隊が台湾沖航空戦で壊滅したので、レイテ沖海戦では全く触れない書籍とか多いですが、実際は作戦の根幹だし、栗田も基地航空隊の米機動部隊への攻撃が間接支援として突入成功に重要な要素である事は認識していて、何度も基地航空隊に攻撃支援要請や結果を教えてほしいという電文を打っています
※因みに言えばレイテ沖海戦で最も戦果を挙げたのは基地航空隊だったりします
通常攻撃で米空母プリンストンを撃沈し、駆逐数隻にも損害を与え、神風特攻でも護送空母1隻を沈めています
マリアナ沖海戦でも、台湾沖航空戦でも得られなかった撃沈戦果を、戦力があった水上部隊ではなく、半壊していた基地航空部隊が果たしていたというのはある意味皮肉です
3、栗田ターンについて
この25日のターンは、早朝にあったサマール沖海戦での攻撃とちょっと事情が異なります
サマール沖海戦での米護送空母部隊への攻撃は、これを主力と誤認した栗田艦隊が、前述する1の様に輸送船団突入に妨害となる敵を事前に無力化するための攻撃で、攻撃も途中で切り上げて突入を再開しています
(主力決戦肯定派だった宇垣はこの時の切り上げ命令に不満があった様な事を日記に書き残しています)
ですが昼頃の所謂栗田ターンについては例外事項の適応ではありません
これは
「突入は成功の見込みがなくなりましたので中止します。北方から近づく敵機動部隊を叩くのはできそうなので其方を叩きに行きます」
というような趣旨での反転で、そもそも作戦自体はもう無理と現場判断した上での機動部隊攻撃へ向かったんですよ
この判断は結局は間違いで、北方の機動部隊の話は誤報だった訳ですが、栗田艦隊が作戦継続はもう無理と判断し、北方の米機動部隊攻撃を叩こうと判断した事は、当時栗田が知り得た情報や、栗田艦隊が置かれた状況から見て、致し方ない面が大きいと思います
長文失礼しました
なるほど詳しく教えていただきありがとうございます!他の動画にも気になる点があったらコメントしてくださると助かります
作戦とはいえ『おとり』を命じられた兵士の気持ちを考えると胸が苦しい。
末端の兵士にはおとりであることすら伝えられていなかったようです
令和日本人のメンタルで、当時の日本海軍軍人のメンタルを語るべからず。
陽動作戦なんて普通でしょ。
囮の空母部隊は日本方向へ全速力で逃げていたので高速で北へ行く艦隊に逆に安心感があったという瑞鶴や伊勢乗員の証言もある。瑞鶴は沈んだけど多くの乗員は救助されたし伊勢も日向も無事に日本へ帰還しました。
性能も操縦も未熟な状態で行けってのは、死ねって言われてるようなもんだよな。
マラソンランナーがペースメーカーを任される気持ちと似ている。
情報漏洩や士気を乱さない観点から末端の現場兵士には作戦内容が何なのかは伝えられないのが常で、これは米兵も同じことで後に証言が残ってますね。
とても分かりやすいです!本当にありがとうございます!!
中将のミスでまとめず現代の尺度で見てはいけないまとめが非常に良いです
三年前に定年退職した元中学校数学教師です。数学教師でありながら日本史が好きです。現代史はあまり好きではありませんが、太平洋戦史は
若干の興味がありその関係の書籍を読んでいたりしましたが、そのレイテ沖海戦の「栗田の謎の反転」の意味がよくわかりませんでした。この動画はとてもわかりて良かったです。
いつも勉強させていただいてます
ありがとうございます。
祖父(元海軍軍人)から聞いた話ですが、作戦中は、通信の仕事も大変なようです。
お茶を飲むつもりが、間違えて、インクの瓶を掴んで飲もうとしていた方がいたそうです。
過労…ですね…
@@donttellmearai 追伸▪はい、そうです。
捷一号作戦には、祖父の部隊(第二航空艦隊)も参加していましたから…。
最新の、研究では、レイテ
湾内のアメリカの補助戦艦
の、弾薬数は かなり有りますから、仮に突入しても
栗田艦隊に かなりダメージ
有ったのでは? と、数学的
計算が出てます。
事実大和は大ダメージ受けてましたからね
いつも本当にありがとうございます😊
こちらこそいつもありがとうございます!
th-cam.com/video/Fm5SrNkU7a8/w-d-xo.html
「もう太平洋戦争ものはいいや…」と思いつつも観てみたら、やあ面白くて全部観てしまいました。なぜでしょう、ワクワクしてしまいますね。状況が二転三転し、「もしかしたら…いけるか…!」と思いながら観ていましたが…。しかし、戦場は予想外のことだらけですね。現場の指揮官によっても違うしなぁ。今回も、興味深い解説を、ありがとうございました。
見どころ多いですよね!
戦場は想像以上にカオスですよね…そんな中でだれか個人の判断が、全体の戦局を大きく変えてしまうんですよね…
コメントありがとうございました、もう少し太平洋戦争ものも続くので、よかったら見てみてください!
賢いですね。編集も上手です。歴史とはいえ、日本が負けていく様子を淡々と知っていくのは複雑な気持ちがあります。思わず日本ガンバレ、と思うことがあります。
おっしゃる通りです。勝てたらどうなっていたのかとは考えてしまいますよね
賢いかな❓ th-cam.com/video/Fm5SrNkU7a8/w-d-xo.html
本当に謎の反転としか思ってなかったですけど、こんな例外事項が両軍にあったのですね! これは謎はもう解けてますね。
とても詳しい解説で大変参考になりました。レイテの核心部分の整理にとても有益だと思います。ですが二つほど気になる事があります。一つは、栗田艦隊をレイテに誘導するために特攻が行われていたという事実。それと、戦後GHQの取り調べで栗田は小沢艦隊がハルゼーを引き付けていたという事実を知っており、動向も把握していたと自白しているという2点です。更にはハルゼーが来たという通信も捏造の疑いもあり、反転に関しレイテ特攻を主張する宇垣と揉めていたという当時の搭乗員からの指摘もありました。特攻と小沢艦隊・・・いずれもレイテ突入を支援するための陽動と自己犠牲なわけで、その点を鑑みれば、例外事項を理由に本懐を果たさないというのは仲間の犠牲を顧みない事を意味し、人として、軍人としての誇りがあるのなら(あるのならですが)その選択はは有り得ないと思います。例外事項は、要は逃げるための方便に過ぎなかった可能性ですね。小沢が栗田との共闘を避けるようになったのも過去にも敵前逃亡の前科があって信頼できなかったという話もあります。その点を踏まえれば栗田に対する解釈ももう少し違ったものになったのかな、と思います。
たしかに…
>小沢艦隊がハルゼーを引き付けていたという事実を知っており、動向も把握していたと自白している
小沢艦隊の電文の内、肝心の物は何一つ艦隊の外には届いていないのにね、だから大本営すら小沢艦隊の動向は港に帰ってきてようやく把握したのに。
よくこれだけ調べてましたね。凄い❗️の一語に尽きます。
ちょうど、戦争映画の「野火」という映画を観たので、レイテ島について学ぼうと思っていたところでした。
わかりやすい解説ありがとうございます。
野火僕も読みたいです
人間の条件、ビルマの竪琴、野火
..戦争を考えさせられる映画でしたね. .
ありがとうございます!ほんと為になります感謝してます!!
こちらこそご視聴ありがとうございました!
結局は情報の軽視という日本軍にある根本的な問題なのかな…
西村艦隊や小沢艦隊などの犠牲があるだけにこの作戦は本当に辛いな。。
作戦の前提が既に破綻してるのに作戦を強行した連合艦隊の責任は重い。
いい動画すねーめちゃくちゃ面白かったです次回も期待してます。状況、地理的立ち位置、戦術、戦略そして戦況が分かるのはいいと思いました。傑作だと思います。取り扱ってほしい出来事は香港九龍市を制圧からイギリス軍香港島に撤退あたりですかね。
高い評価を頂けたようで良かったです!
なんとも渋い所ですね!調べてみます!ご提案ありがとうございます!
何時も忠実な戦史を発信頂きまして有難うございます。
海戦では無いのですがレイテ島オルモック、タクロバン、リモン峠等のフィリピン陸戦史をお願いします。
私は、高校生のとき、栗田健男の弟、栗田久成先生に英語を教わっていました。東大法学部卒業ですが、
水戸一高で英語の教師をしていたのです。兄弟のほとんどは東大卒ですが、栗田健男は例外的に
海兵卒です。祖父の栗田寛は、徳川光圀が編纂を始めた「大日本史」を完成させた人物として知られ、
東大教授にもなっています。水戸の名家ですが、今は知る人も少なくなっています。
無能な上司は悪やなあって
うはー!まってました!まってました!
内容はいかがでしたか??
@@donttellmearai 面白かったです!初めて聞いたお話だったのでワクワクでした!
聞きながら栗田ぁ頑張れぇ!ってなってました
@@DJ-yy3xm これもいいですよ。th-cam.com/video/Fm5SrNkU7a8/w-d-xo.html
@@DJ-yy3xmそれはちょっとちがくない?
いかに情報とその解析が必要か‼️と言う事ですね。
おっしゃる通りです
日本人の悪いところ、言い訳をしない、棺桶まで持っていく。事実を検証しない。栗田さんは沈んだ船の乗組員、戦場に残していった戦艦武蔵とかの責任をまるで他人事のように無視するのは非常によろしくない。とおもうのは私だけ??
いつも勉強させてもらってます!!米西戦争についてお願いします!!
調べてみますね!
左になっちゃいますよ。。。th-cam.com/video/Fm5SrNkU7a8/w-d-xo.html
@@yantom701 ハングルわからないんですがこれはいったいどういう内容なんですか、、、売春婦の像の真似ごと、、?
@@サクミー このJTBCの二人は反日番組では有名なキャスターでまあいいようにノセラレて【東大生】の看板を利用されたんでしょうね。
自分の正義を押し付ける左翼ですかね。
@@yantom701 反日番組にでるのは良くないですね、、 何をおもってこんな番組に出たのか、真意を知りたいですね😿
戦争で1番大事なのは情報
情報の大切さを学んだ米国はGAFAやMicrosoftを産んだ
日本は学ばず情報産業が遅れて未だにハンコ文化
>戦争で1番大事なのは情報。情報の大切さを学んだ米国はGAFAやMicrosoftを産んだ。日本は学ばず情報産業が遅れて未だにハンコ文化。←ご指摘。全くその通り。
今の日本はあの戦争時から全く学んでいない。批判もできないということに気が付くであろう。なぜなら改革を望まない最大の抵抗勢力が現政治家と官僚機構だから。
日本も作ってたけど潰されたんよね
@@YuumaOfuji
トロンか。
少し話はそれますが、探偵ナイトスクープの「レイテ島からの手紙」は30年近い番組の最高傑作です。
DVD借りてみる価値ありますよ。たしかVol15か16あたりに収録されています。
私はもうネットで書かれているあらすじ読むだけでも泣けます。
見てみたい!教えてくださってありがとうございます!
変なプライドにこだわらず、柔軟な考えのある司令官がいたら戦況は変わったかも知れませんね。
でも、歴史にたられば言っても仕方ないですが(苦笑)
でも、こう言ったことを分かりやすく解説してくれるドントテルミー荒井さんの動画は本当に面白くてタメになります。
たらればを言うなら、そもそも真珠湾攻撃を思いとどまることができていたら、戦況どころか戦争の勝敗も戦後の国際秩序も変わってたかもですね。
>変なプライドにこだわらず、柔軟な考えのある司令官がいたら
真珠湾攻撃にも言えるが、日本海軍は自軍に有利な希望的観測に基づいて作戦立案をする。
レイテ沖海戦でも、栗田から見れば最早作戦立案段階の情報が間違っていて、レイテ湾に敵輸送船団が居るのかどうかも怪しいとなる。
敵偽装艦隊がそこに居て湾に閉じ込められれば全滅、退路には狭い海峡があり逃げ場は亡くなる
インパール作戦でも
ギリギリの綱渡りを作戦立案時に盛り込むので、作戦遂行時にその綱が切れたり、そもそも綱が張れていないなんて状況になった時の事を大本営が考慮もしない。
結局は戦う前から負けてたから、栗田が引き返したのは正解だろ
第二次世界大戦でも太平洋側ではなく、スターリングラード攻防戦やノルマンディー上陸作戦、独ソ戦のヨーロッパ側も知りたいですw
私も スターリングラード攻防戦、本チャンネルの解説で、聞きたいです。
これから艦これ2期観るにあたって復習しにきました
もうそのシーズンか
外弁慶の腰抜け栗田はミッドウェーでも逃げ廻った。一矢報いる機会を「怯懦」にて逃した栗田は万死に値する。
万死…
頭の中が昭和30年代で止まってて草
今迄レイテ沖海戦のドキュメンタリー映像を数多く観てきましたが、いずれも断片的にしか理解する事ができませんでした。
ですが今回地図付きの映像を観て、初めてレイテ沖海戦の全体像を把握する事が出来ました。
良かったです!!他の動画も見てみてくださいね!
マッカーサーが孤立して死を覚悟したのがこのレイテ沖海戦
栗田の反転で一番恩恵を受けたのが後のGHQ司令長官ダグラスマッカーサー
そうなんですね…
小沢機動部隊の犠牲を無駄にしたと批判される栗田の反転ですが、当時の栗田艦隊の状態や戦況を見れば反転の判断は妥当であったと言えます。
1:共撃するはずだった志摩艦隊は撤退、西村艦隊は壊滅し栗田艦隊は孤立していたこと
2:手持ちの重巡は全て損傷を受け、サマール沖海戦で砲弾、魚雷の殆どを消費していたこと
3:米艦隊が小沢の囮に食いついたかどうかは不明であったこと
4:タフィ3、タフィ2らの護衛空母艦隊にボコボコにされていたこと(栗田はこれを米正規空母の攻撃と認識、小沢の囮は失敗したと判断した)
5:既に米軍は揚陸を終えており、輸送船団の撃滅という当初の作戦目標が破綻していたこと 上記は栗田艦隊が持っていた情報であり、これだけでもレイテ突入の構想が崩壊していたことは明白でしょう。 この他、西村の艦隊は確かに囮としての役割を果たしましたが誘引できたのはハルゼー艦隊のみであり、レイテ湾内の輸送船団にはキンケイド艦隊(弾薬、燃料共にもう一戦分はあった)が護衛についていました。結果的に小沢の誘因失敗という栗田の読みは正しかったわけです。 加えて反転の直接的要因になったのは敵機動部隊発見の誤報でした。自分たちが航空攻撃を受けていることと合わせて「小沢の誘因は失敗、レイテ湾内及び近海には空母を含む艦隊によって固められている」と判断しても仕方ありません。 以上の要因から栗田は突入を諦め北方にいるとされる機動部隊を牽制しつつ撤退したのです。 仮に突入したとしても、戦力に勝る米艦隊に殲滅され、良くて空っぽの輸送船をいくらか撃沈して無駄死にが関の山でしょう。
≪ではなぜ批判されるのか≫
当時の世論は空母4隻を喪失した小沢を非難し、一応の生還を果たした栗田は好意的に評価されました。 しかし敗戦後の情報開示により、小沢は囮として壊滅したことが知らされると「小沢が自らを犠牲にして掴んだチャンスを栗田の逃げ腰が無駄にした」といった論調が支配的になります。 レイテ湾内の米上陸部隊は無防備だった、栗田艦隊の戦闘力は高かった、突入さえしていれば勝っていた、というような願望交じりの不正確な情報により、栗田艦隊の状況は歪曲されて広まりました。 レイテ沖海戦は日本軍があまりに惨めに、一方的に叩きのめされる結果となりました。 それを受け入れられない人間が「誰かの責任にしたい、ソイツさえ失敗しなければ皇軍は善戦できたという論調にしたい」という作為の元「謎の反転」を吹聴したのかもしれません。南雲や牟田口らの無能論にも同じような意図を感じますし、このような責任のかぶせ方は現代の学校や企業でも広くみられるものです。こういった責任に対する姿勢はある意味「日本人らしさ」なのかもしれません。 近年では栗田らの状態や米軍の動向がより詳しく判明したため栗田の反転に肯定的、同情的な見方が多くなってきています。戦中は小沢に、戦後すぐは栗田にひっ被せられた責任は戦後数十年経った今、正当な評価う受けつつあると言えるでしょう。
ゆっくり解説者のコミュニティより
確認ですけど、動画に参考書籍として貼ってる「戦史叢書」
本当に読んでますか?
ある方のコメントで「台湾は占領されてない」とのご指摘に「そうだったんですか?」と返しておられますが、戦史叢書読んでたらそんな誤解するわけないんですが?
実際レイテ沖海戦を扱っている巻の
「海軍捷号作戦2フィリピン沖海戦」
※フィリピン沖海戦はレイテ沖海戦の日本側呼称
でも、連合艦隊司令長官豊田副武は部下2名とフィリピン視察をした帰路、台湾沖航空戦が発生したので台湾に足止めとなり(14-5p)、引き続き10/17にレイテ方面に米船団が襲来してきたので10/18に台湾を発
天候不良で搭乗機が九州大村に避難して2日足止めされて10/20に漸く日吉の連合艦隊司令部に帰還する(33p)
という話を早い段階で掲載してますし、捷一号作線発令後、台湾の基地航空部隊をフィリピンに移動するという話も書いてますし、読んでたらそんな誤解するわけがないんですが?
重ねてお聞きしますが、本当に戦史叢書読んでるですか?参考にされてるんですか?
まあこんな方ですから。th-cam.com/video/Fm5SrNkU7a8/w-d-xo.html
@@yantom701
後発のコメントには返事してて、ここにはしないという事はそういった事なんでしょうね
よく分かりました
こん◎◎わ。
最近ちょくちょく楽しませていただいてます。
ナレーションの抑揚の付け方がとても好ましくついつい聞き入ってます。
沖縄戦について掘り下げて頂きたいと思い、書き込みました。
よろしくお頼みします。
沖縄戦必ずやるのでお楽しみに!
当時の日本軍は、輸送船を沈めるより艦隊を沈めたほうが評価ポイントが高かったから、栗田は出世ポイントを稼ぎたかったから艦隊を優先した、という考察が他のとこであったなぁ。
それはないな、北に機動部隊がいるという事はレイテ迄絶え間なく空襲を受けるって事。
栗田が反転させず、そのまま突撃したとしても、さしたる戦果は上げられなかったというのが近年の研究から明らかです。敵潜水艦には好き放題やられ、空母部隊は脆弱。やられるためだけの出撃なので、突撃すれば最後の華とはなったでしょうけれどね。
それが冷静な見方だと思います。
日本軍の話を聞くたびに思うんだけど
1億人の日本国民の未来か、しょうもない1個人のみみっちいプライドどっちが大切か考えないのかな
考えないからこうも悪手ばかり選ぶんやろうなぁ
栗田艦隊の反転は思いのほかダメージを受けていたからだと思う。
武蔵を失い、大和も左舷鎖描庫に爆撃を受け艦首が折れそうになり大量の海水流入で5度も傾くなどボロボロで戦える状態になかった。
米艦載機が放った250k爆弾ですが大和の装甲の薄い部分を狙ったラッキーパンチだったんですね。
突入してもそれまでに疲弊しているだろうから、大して戦果あげられなかったかもしれないけど、レイテ湾に侵攻するためにあらゆる犠牲を払ってるわけだから、突っ込んで欲しかったって気持ちもある
まさしく日本的な考え方ですね
正確な情報を得られないうえに、機動部隊が米空母群を引き付けたか分からない状況かつ
度重なる空襲や、潜水艦の接触で、成功するか分からず適主力がいるかもしれない状況で、
突入は無理かなと感じました。
それに戦闘で弾薬や燃料なども消費しているので、栗田中将の判断は、この状況では
撤退しかないと思います。
そうなんですよね、勝てないから撤退する
これが異常だと捉えられる雰囲気が異常です
@@donttellmearai さま
今でも栗田さんへの評価は逃げたとか臆病とか言われていますよね。特に軍事系の動画などで顕著だと思います。
批判している人の内容も当時と同じような思考だと思います。
@@コーヒーうまい-t1e これはheinkelさんという軍事系の解説動画を出してる人の投稿です
「小沢機動部隊の犠牲を無駄にしたと批判される栗田の反転ですが、当時の栗田艦隊の状態や戦況を見れば反転の判断は妥当であったと言えます。
1:共撃するはずだった志摩艦隊は撤退、西村艦隊は壊滅し栗田艦隊は孤立していたこと
2:手持ちの重巡は全て損傷を受け、サマール沖海戦で砲弾、魚雷の殆どを消費していたこと
3:米艦隊が小沢の囮に食いついたかどうかは不明であったこと
4:タフィ3、タフィ2らの護衛空母艦隊にボコボコにされていたこと(栗田はこれを米正規空母の攻撃と認識、小沢の囮は失敗したと判断した)
5:既に米軍は揚陸を終えており、輸送船団の撃滅という当初の作戦目標が破綻していたこと 上記は栗田艦隊が持っていた情報であり、これだけでもレイテ突入の構想が崩壊していたことは明白でしょう。 この他、西村の艦隊は確かに囮としての役割を果たしましたが誘引できたのはハルゼー艦隊のみであり、レイテ湾内の輸送船団にはキンケイド艦隊(弾薬、燃料共にもう一戦分はあった)が護衛についていました。結果的に小沢の誘因失敗という栗田の読みは正しかったわけです。 加えて反転の直接的要因になったのは敵機動部隊発見の誤報でした。自分たちが航空攻撃を受けていることと合わせて「小沢の誘因は失敗、レイテ湾内及び近海には空母を含む艦隊によって固められている」と判断しても仕方ありません。 以上の要因から栗田は突入を諦め北方にいるとされる機動部隊を牽制しつつ撤退したのです。 仮に突入したとしても、戦力に勝る米艦隊に殲滅され、良くて空っぽの輸送船をいくらか撃沈して無駄死にが関の山でしょう。
≪ではなぜ批判されるのか≫
当時の世論は空母4隻を喪失した小沢を非難し、一応の生還を果たした栗田は好意的に評価されました。 しかし敗戦後の情報開示により、小沢は囮として壊滅したことが知らされると「小沢が自らを犠牲にして掴んだチャンスを栗田の逃げ腰が無駄にした」といった論調が支配的になります。 レイテ湾内の米上陸部隊は無防備だった、栗田艦隊の戦闘力は高かった、突入さえしていれば勝っていた、というような願望交じりの不正確な情報により、栗田艦隊の状況は歪曲されて広まりました。 レイテ沖海戦は日本軍があまりに惨めに、一方的に叩きのめされる結果となりました。 それを受け入れられない人間が「誰かの責任にしたい、ソイツさえ失敗しなければ皇軍は善戦できたという論調にしたい」という作為の元「謎の反転」を吹聴したのかもしれません。南雲や牟田口らの無能論にも同じような意図を感じますし、このような責任のかぶせ方は現代の学校や企業でも広くみられるものです。こういった責任に対する姿勢はある意味「日本人らしさ」なのかもしれません。 近年では栗田らの状態や米軍の動向がより詳しく判明したため栗田の反転に肯定的、同情的な見方が多くなってきています。戦中は小沢に、戦後すぐは栗田にひっ被せられた責任は戦後数十年経った今、正当な評価う受けつつあると言えるでしょう。
」
私の叔父は、レイテ沖海戦で戦死しました。(戦艦山城)
とても分かりよく他で得られなかった情報を知ることが出来ました!~☆
他ではどんなふうに勉強されているんですか??参考にしたいです
th-cam.com/video/Fm5SrNkU7a8/w-d-xo.html
良く言われるのは、我が聯合艦隊は
東郷ターンに始まり、栗田ターンで消滅した…とされるそうです。
ミッドウェー作戦でも栗田提督は反転しており
この時、吉川・山口・角田・田中等の各提督が指揮していれば
どのような展開になったのか、知りたいと思うのは僕だけでしょうか?
戦艦大和が沖縄特攻するより、ここでレイテ湾突入すべきだったような。ただ反転して救われた命も多かったと思うし・・・
うーん、話を一通り聞いた感じ、栗田は出撃前からある程度戦って帰ってくる気だったんだと思う。
レイテ沖の時点で空母無しで空母込みの艦隊に勝負挑むのは自殺行為。
レイテ沖侵入作戦は艦隊特攻。栗田は艦隊特攻したくなかったんだろう。自分が死んじゃうからね。
ただ、艦隊特攻なんか嫌だ!って言うと、貴様!臆病者め!って言われるし、地位も格下げになる。
ここで栗田が考えたアイデアが、例外の「敵艦隊を見つけたらそちらを優先して叩きに行く」だった。
こうする事により、敵と戦って疲弊したから帰ってきました!って構図が可能となった。
レイテ沖海戦では、栗田は自分のアイデアを遂行したに過ぎない。
だから、小艦隊とだって必死に戦ったし、空母も執拗に探し回った。
こうする事により、例外事項を一生懸命やりました!
作戦目的は果たせてないけど、元々言ってあった例外が起こったのでそっちの行動取りました!私は仕事しました!私には何の責任もありません!ってポーズを作りたかったんだろうな。
まぁ、いつの時代もお偉いさんあるあるやな。
身の保身のためよ。
それが証拠に栗田は生き残り何も言わない。
結局お偉いさん現代も昔もパフォーマー。
口ではカッコいい事言うけど、実際は自分が利権を得る事しか考えてない。
庶民は騙されない様にしなくちゃね!
言ってることが矛盾してますよ。空母機動部隊に戦艦部隊で挑むことが自殺行為ならなんで保身の為に機動部隊攻撃に移ったんですか?
@@tsuchi3609 無謀という訳ではないですよ。戦艦には一応対空砲があったので、空母から出る戦闘機を爆撃しに来た戦闘機を落とせるので、1部の硬い艦船は生き残って、至近距離で沈めることだってできます。さらに、バレないように敵に接近して撃てば、栗田が指揮する巡洋艦ならそこそこの威力と素早さを持つからヒットアンドアウェイで被害を与えた上で逃げ、敵の射程圏外まで逃げれば少ないとはいえ、被害を与える事が可能です
小沢機動部隊の犠牲を無駄にしたと批判される栗田の反転ですが、当時の栗田艦隊の状態や戦況を見れば反転の判断は妥当であったと言えます。
1:共撃するはずだった志摩艦隊は撤退、西村艦隊は壊滅し栗田艦隊は孤立していたこと
2:手持ちの重巡は全て損傷を受け、サマール沖海戦で砲弾、魚雷の殆どを消費していたこと
3:米艦隊が小沢の囮に食いついたかどうかは不明であったこと
4:タフィ3、タフィ2らの護衛空母艦隊にボコボコにされていたこと(栗田はこれを米正規空母の攻撃と認識、小沢の囮は失敗したと判断した)
5:既に米軍は揚陸を終えており、輸送船団の撃滅という当初の作戦目標が破綻していたこと 上記は栗田艦隊が持っていた情報であり、これだけでもレイテ突入の構想が崩壊していたことは明白でしょう。 この他、西村の艦隊は確かに囮としての役割を果たしましたが誘引できたのはハルゼー艦隊のみであり、レイテ湾内の輸送船団にはキンケイド艦隊(弾薬、燃料共にもう一戦分はあった)が護衛についていました。結果的に小沢の誘因失敗という栗田の読みは正しかったわけです。 加えて反転の直接的要因になったのは敵機動部隊発見の誤報でした。自分たちが航空攻撃を受けていることと合わせて「小沢の誘因は失敗、レイテ湾内及び近海には空母を含む艦隊によって固められている」と判断しても仕方ありません。 以上の要因から栗田は突入を諦め北方にいるとされる機動部隊を牽制しつつ撤退したのです。 仮に突入したとしても、戦力に勝る米艦隊に殲滅され、良くて空っぽの輸送船をいくらか撃沈して無駄死にが関の山でしょう。
≪ではなぜ批判されるのか≫
当時の世論は空母4隻を喪失した小沢を非難し、一応の生還を果たした栗田は好意的に評価されました。 しかし敗戦後の情報開示により、小沢は囮として壊滅したことが知らされると「小沢が自らを犠牲にして掴んだチャンスを栗田の逃げ腰が無駄にした」といった論調が支配的になります。 レイテ湾内の米上陸部隊は無防備だった、栗田艦隊の戦闘力は高かった、突入さえしていれば勝っていた、というような願望交じりの不正確な情報により、栗田艦隊の状況は歪曲されて広まりました。 レイテ沖海戦は日本軍があまりに惨めに、一方的に叩きのめされる結果となりました。 それを受け入れられない人間が「誰かの責任にしたい、ソイツさえ失敗しなければ皇軍は善戦できたという論調にしたい」という作為の元「謎の反転」を吹聴したのかもしれません。南雲や牟田口らの無能論にも同じような意図を感じますし、このような責任のかぶせ方は現代の学校や企業でも広くみられるものです。こういった責任に対する姿勢はある意味「日本人らしさ」なのかもしれません。 近年では栗田らの状態や米軍の動向がより詳しく判明したため栗田の反転に肯定的、同情的な見方が多くなってきています。戦中は小沢に、戦後すぐは栗田にひっ被せられた責任は戦後数十年経った今、正当な評価う受けつつあると言えるでしょう。
あるゆっくり解説者のコミュニティより
@@メーテロ ごめんなさい、私が無謀とか自殺行為とか言ってる訳じゃないんですが…
大和の通信士だった人の話を聞いた事があるんだが、栗田艦隊がレイテ湾に突入したとしても関東平野と同じくらい広い湾のどこに敵が居るのか全く情報が無い状態で、それまで武蔵などを撃沈されて疲弊していた栗田艦隊は時間をかけて敵を探すうちに全て撃沈されて全滅となる公算が極めて高かったと。
なので艦隊の反転は後に言われるような謎というほどのものでも無く、あの状況下では特に疑問も無い至極妥当な判断と思われるとの事だった。
なるほどそうだったんですね、教えてくださってありがとうございます
いつも動画拝見させてもらっています!チャンネル登録しました!
第三四三海軍航空隊、紫電改について詳しく知りたいです!
調べてみますね!!
@@donttellmearai ご返答ありがとうございます!
楽しみにしています(^^)
栗田中将は大和の前の旗艦愛宕に乗船していて沈没させられ海に投げ出され大和に引き上げられたがそこでもショックで震え続けていたという。臆病風に吹かれたというのは事実だ。
栗田中将はその前にもミスをやっていたが処分はなにもされないまま、日本は上層部には甘く下部には厳しい体質は今でも同じ。この戦いで死んでいった徴兵で駆り出された兵隊さんがあまりにもかわいそう。
それが立場だと思います
次はミッドウエイ海戦をお願いします。特に何故裸空母を前面に出し、戦艦群が後方に居のか。また遅かった敵空母発見の理由などお願いします。
聯合艦隊の栄光は東郷ターンで始まり、栗田ターンで終焉を迎えた。
大東亜戦争で私の伯父さん 父親の兄 三兄弟の長男は お墓に フイリピン西方沖海戦戦死 機関士二等兵曹と昭和19年確か12月13日 だいぶ 風化していてすいません 真ん中の兄は戦争には行ってませんが 大東亜戦争中船で物資をはこんでいました 西方を調べると レイテ島海戦かと 思いました
どの動画もとてもわかりやすくて最近勉強させていただいてます!
ちょうどさっき神風特攻隊についての動画を観ていたところで、レイテの動画もやって欲しいな〜と思っていたところだったので嬉しいです(^^)
ありがとうございます!!
こちらこそご視聴ありがとうございました!次の動画もお楽しみに!
でも、特攻隊や天皇陛下侮蔑のトリエンナーレに賛同して慰安婦コスプレするかたですからね。 th-cam.com/video/Fm5SrNkU7a8/w-d-xo.html
日本軍のお粗末具合ったらない。実際の戦いで命を落とされた方も浮かばれない…
台湾の航空部隊は囮を兼ねて体当たり攻撃をしました。
レイテ沖でレイテ湾に突入して、陸軍へ艦砲射撃を浴びせることが出来たら、その人員被害の大きさに政治が動いたでしょうね。陸軍部隊の再構築に時間がかかります。沖縄戦ほか、戦えません。それを狙ったんでしょう。
陸軍から陸に撃つなと太い釘をねじ込まれていたからそれはあり得ませんよ。
@@nagoyashimin569 この文章で「陸に砲弾を」というのは、上陸途中の、あるいは上陸済のまだ海の近くにいる部隊のことです。物資でもある。そして揚陸前の物資を積んだ船。
捷1号では、アメリカに人的被害と上陸用に訓練された兵、いわゆる海兵隊を痛めつければ、その訓練に超期日を要するため、島嶼への砲撃や航空攻撃はできても占領できないという期間が出来る。
陸に打つなという陸軍の希望は知らないのですが、夜襲をかける予定だったのか?
まあ、陸海軍の指揮命令や作戦方法は入り乱れた部分があったようですね。
捷1号の目的は揚陸中の利区分部隊に艦砲射撃を加え、船を沈めることでしょう?
まあ、内陸まで打つつもりもないでしょうし、いいところ海岸線から10kmでしょうね。
それとも海軍は海軍で作戦を勝手に解釈し、陸軍は陸軍で勝手に解釈数という習慣があったんなら、負けは必然ですね。大将や元帥が机を並べて建てた作戦は前線では実施されないのか。
@@爆睡-e7s
揚陸中の敵を叩くためには上陸後48時間以内にレイテに着かなければならなかったと見積もられていたんですが、栗田の出発は栗田が念のために確保したタンカーの燃料を使い上陸から48時間たってから出撃しています、当然突入時間はズルズル後ろ倒しにされ激しい空襲でさらに後ろに倒れるわけです。
まともな指揮官なら敵に先手を取られた時点で次の作戦に切り替えるんですが史実はご覧の有様となっております。
情報が一番大事だね
この時代は特にね
悲しいが、搭乗パイロット不在の空母をオトリって終戦間近❤
いやー素晴らしい!解説デス 勉強になりました。これは私見ですが日本の、バルジ大作戦ですね。小沢治三郎の言葉である、将兵に残した言葉「君死んじゃいけないよ」の意味が心に、
突き刺さります。
敗戦の理由は戦力差や国力差より知力の差が大きい気がする。軍という武が尊ばれる組織で知力を尊重した人事を行えるかどうかが分かれ目な気がする。
あ号作戦の立案から作戦実行、その敗退迄解説ください。
南京事件がわからないので解説してくださいお願いします🙇⤵️
調べてみますね!
是非取り上げて頂きたい戦いは、牟田口のインパール作戦です
もう取り上げてるよ!探してみて
結果的におとり部隊を活用できなかったのは非常に残念。
西村艦隊にいたっては悲劇としか言いようがない。
悲しいです
ロタ島(グワム島の近く)の戦い、マーシャル諸島のウォッゼ島の戦いを掘り起こしてください。
レイテ島をとられたら、石油搬送ルートをとられたことになる。石油が停まったら、船も飛行機も工場も・・・・。
結局 栗田が見誤ったことを隠すために格好つけて言及しただけだと思う。。
どうなんですかね…
@@donttellmearai 個人的意見ですが囮になった方々が気の毒過ぎて
いつも そう思う。栗田が怖じ気付いただけ
この太平洋戦争は上官がいつも腰抜け
1:共撃するはずだった志摩艦隊は撤退、西村艦隊は壊滅し栗田艦隊は孤立していた。
2:手持ちの重巡は全て損傷を受け、サマール沖海戦で砲弾、魚雷の殆どを消費していた。
3:米艦隊が小沢の囮に食いついたかどうかは不明であった。
4:タフィ3、タフィ2らの護衛空母艦隊にボコボコにされていた。(栗田はこれを米正規空母の攻撃と認識、小沢の囮は失敗したと判断した)
5:既に米軍は場陸を終えており、輸送船団の撃滅という当初の作戦目標が破綻していた。
上記は栗田艦隊が持っていた情報であり、これだけでもレイテ突入の構想が崩壊していたことは明白。この他、西村の艦隊は確かに囮としての役割を果たしたが誘引できたのはハルゼー艦隊のみであり、レイテ湾内の輸送船団にはキンケイド艦隊(弾薬、燃料共にもう一戦分はあった)が護衛についていた。結果的に小沢の誘因失敗という栗田の読みは正しい。加えて反転の直接的要因になったのは敵機動部隊発見の誤報。自分たちが航空攻撃を受けていることと合わせて「小沢の誘因は失敗、レイテ湾内及び近海には空母を含む艦隊によって固められている」と判断することが臆病者なのか?上述の情報からこの様な判断に至るのは普通ではないか。以上の要因から栗田は突入を諦め北方にいるとされる機動部隊を牽制しつつ撤退したわけ。仮に突入したとしても、戦力に勝る米艦隊に残滅され、良くて空っぽの輸送船をいくらか撃沈して無駄死にが関の山。
戦時中の世論は空母4隻を喪失した小沢を非難し、一応の生還を果たした栗田は好意的に評価されたが、敗戦後の情報開示により、小沢は囮として壊滅したことが広まると「小沢が自らを犠牲にして掴んだチャンスを栗田の逃げ腰が無駄にした」といった論調が支配的になる。レイテ湾内の米上陸部隊は無防備だった、栗田艦隊の戦闘力は高かった、突入さえしていれば勝っていた、というような願望交じりの不正確な情報が混じりながら、栗田艦隊の状況は歪曲されて広まってしまった。レイテ沖海戦の結果は日本軍があまりに惨めに、一方的に叩きのめされたが、それを受け入れられない奴らが「誰かの責任にたい、ソイツさえ失敗しなければ皇軍は善戦できたという論調にしたい」という作為の元「謎の反転」を吹聴したのかもね。このような責任のかぶせ方は現代の学校や企業で問題が起きた時とかによく見るし、こういった責任に対する姿勢はある意味「日本人らしい」かも。
戦後に説明責任を果たさなかった。この事実だけで、栗田という男は卑怯者であると思ふ。
アメリカ軍解説パートと日本軍解説パートでBGMを変えている🎵
プレゼン上手いですね。
細かいところまで見てくださってありがとうございます!
失礼ながら、ご説明が少し違いますね。当初アメリカ軍はフィリピンには興味がなく、台湾や中国本土を狙っていました。しかし、1942年日本軍による侵攻
によって、フィリピンから命からがら逃げて、屈辱的な思いをしたマッカーサーにとっては、フィリピンを奪回する事にこだわり、フィリピンに来襲したの
です。それにしても 5:12では「海軍は陸軍の援助をするが、日本主力艦隊を見つけたら、それを先に叩く」という発想は、日本海軍の「艦隊決戦」思想と
同じですね。アメリカ海軍も同じ事を考えていたのですね。9:18で、しかし日本海軍の「艦隊決戦」思想にこだわりすぎてましたね。くだらないプライド
で、アメリカ輸送船(アメリカ陸軍)を叩く事をしなかった事は残念です。
日本陸軍も混乱がありました。第14軍司令官山下奉文大将は、ルソン島決戦を主張したのですが、南方軍寺内元帥からの強弁なレイテ島命令したし、山下も
これに従い、多号作戦という軍の緊急輸送を行いました。レイテ島に派遣された玉兵団を初め大勢の兵が亡くなりました。まったくムダな事をしました。
23:44 オルデンドルフ海軍少将率いる戦艦部隊ですね。明治生まれの旧式戦艦「扶桑」「山城」では、力の差は歴然。オルデンドルフ隊の猛砲撃と魚雷で
あえなく沈没し、西村艦隊は全滅してしまいました。
レイテ湾を目の前にして、反転した事になぜ小柳参謀長や参謀達が栗田長官をレイテ湾突入を説得しなかったのか?それは日本海軍の「官僚主義」があると
思います。「栗田を説得してレイテ湾に突入されて、もし失敗でもしたら、自分たちの首が飛ぶ」と参謀達は考えたのでしょう。「レイテ湾反転をしたのは
栗田さんの命令だから」と上層部に言えば、参謀達は安泰です。この「官僚主義」が日本海軍の特徴でもあったのです。
おおお!すごい!詳しくありがとうございます!他の動画も気になったところがあったら教えて欲しいです
@@donttellmearai ご返事ありがとうございます。批判めいた事を書いて申し訳ございません。でも私も勉強になりました。
台湾って、米軍の手に落ちましたっけ。台湾は戦後戦勝国に引き渡されたと記憶してますが確認してください。動画の表現の日本が台湾を失い、米軍が台湾に基地を設けんとは、一般にそう言う意味に取られますが、間違いなら修正ください。何処探しても、台湾占領の情報は見つかりません。
本当なら、台湾上陸戦の動画上げといてください
いつも本当にありがとうございます😁
こちらこそいつもコメントありがとうございます!これからもよろしくお願いします。
公明党の物、昨日、目にしたので、今日見ようと思ったのですが、どうされましたか!?
私の勘違いかも、知れません!間違ってたら、御免なさい!
栗田司令のとった行動が非難されるのが一般的ですが、気象などの環境により、他艦隊との連携不足、集中攻撃を一身に受けた艦隊の状況、陸上基地航空部隊との連携がとれない。その他理由もありますが、やむを得なかった行動だったと思います。
最近はあまり非難されることが少ない栗田ターンですが3年前はとんでもない批判で溢れてますね。小沢艦隊からの空母主力部隊の引き付け成功の電報が届いてない中逆にサマール沖までよく進撃したとおもいます
素晴らしいレポート有難う御座います。
こちらこそご視聴ありがとうございました
th-cam.com/video/Fm5SrNkU7a8/w-d-xo.html
硫黄島の戦いを詳しくお願いします!
必ずやります!待っててください!
この方に硫黄島語って頂くのは兵隊さんに
無礼になるかと。th-cam.com/video/Fm5SrNkU7a8/w-d-xo.html
個人的にレイテのMVPはタフィ3だと思う
確か、輸送船による荷揚げはほぼ終わってたんじゃなかったっけ?
それやったら空母を攻撃しにいったほうが良いと判断した説おすぜ
どうせ特攻するならハワイの時に徹底的に特攻すべきだったんだよな。
いつの時代も見えない敵ほど怖いものはない。
そしたら変わってたかな
アメリカ軍は、物流で、物を言わせることでしたね。日本軍は、どんどんと負けていつてしまいますね。山本五十六大将が心配していた通りになつていましたね。航空機で、戦闘をするのが、正論のはずです。戦艦での攻撃は、終わりではと思いますね。
続きの動画も見てみてね!
既にこのときの日本海軍は空からの援護を受けられない状況だったので、作戦を進める中栗田艦長もこのまま戦い続けることに限界を感じたからではないでしょうか。
早めに引き返したのは、このまま作戦を遂行して全滅させられるよりは、本土防衛に備え少しでも海軍戦力を残しておきたいという、彼なりの判断だったのではないかと思います。
なるほどそうかもしれないです!
小沢機動部隊の犠牲を無駄にしたと批判される栗田の反転ですが、当時の栗田艦隊の状態や戦況を見れば反転の判断は妥当であったと言えます。
1:共撃するはずだった志摩艦隊は撤退、西村艦隊は壊滅し栗田艦隊は孤立していたこと
2:手持ちの重巡は全て損傷を受け、サマール沖海戦で砲弾、魚雷の殆どを消費していたこと
3:米艦隊が小沢の囮に食いついたかどうかは不明であったこと
4:タフィ3、タフィ2らの護衛空母艦隊にボコボコにされていたこと(栗田はこれを米正規空母の攻撃と認識、小沢の囮は失敗したと判断した)
5:既に米軍は揚陸を終えており、輸送船団の撃滅という当初の作戦目標が破綻していたこと 上記は栗田艦隊が持っていた情報であり、これだけでもレイテ突入の構想が崩壊していたことは明白でしょう。 この他、西村の艦隊は確かに囮としての役割を果たしましたが誘引できたのはハルゼー艦隊のみであり、レイテ湾内の輸送船団にはキンケイド艦隊(弾薬、燃料共にもう一戦分はあった)が護衛についていました。結果的に小沢の誘因失敗という栗田の読みは正しかったわけです。 加えて反転の直接的要因になったのは敵機動部隊発見の誤報でした。自分たちが航空攻撃を受けていることと合わせて「小沢の誘因は失敗、レイテ湾内及び近海には空母を含む艦隊によって固められている」と判断しても仕方ありません。 以上の要因から栗田は突入を諦め北方にいるとされる機動部隊を牽制しつつ撤退したのです。 仮に突入したとしても、戦力に勝る米艦隊に殲滅され、良くて空っぽの輸送船をいくらか撃沈して無駄死にが関の山でしょう。
≪ではなぜ批判されるのか≫
当時の世論は空母4隻を喪失した小沢を非難し、一応の生還を果たした栗田は好意的に評価されました。 しかし敗戦後の情報開示により、小沢は囮として壊滅したことが知らされると「小沢が自らを犠牲にして掴んだチャンスを栗田の逃げ腰が無駄にした」といった論調が支配的になります。 レイテ湾内の米上陸部隊は無防備だった、栗田艦隊の戦闘力は高かった、突入さえしていれば勝っていた、というような願望交じりの不正確な情報により、栗田艦隊の状況は歪曲されて広まりました。 レイテ沖海戦は日本軍があまりに惨めに、一方的に叩きのめされる結果となりました。 それを受け入れられない人間が「誰かの責任にしたい、ソイツさえ失敗しなければ皇軍は善戦できたという論調にしたい」という作為の元「謎の反転」を吹聴したのかもしれません。南雲や牟田口らの無能論にも同じような意図を感じますし、このような責任のかぶせ方は現代の学校や企業でも広くみられるものです。こういった責任に対する姿勢はある意味「日本人らしさ」なのかもしれません。 近年では栗田らの状態や米軍の動向がより詳しく判明したため栗田の反転に肯定的、同情的な見方が多くなってきています。戦中は小沢に、戦後すぐは栗田にひっ被せられた責任は戦後数十年経った今、正当な評価う受けつつあると言えるでしょう。
ゆっくり解説者のコミュニティより
@@user-rh4wo3dr4c 全般的に的を得た意見だと思います。
艦隊を温存しても次の作戦行動は燃料不足で不可能であった。レイテで全艦隊最後の戦闘をすべきであった。
@@弘行稲川栗田艦隊が帰ったからこそ生きて帰れた人がその子孫が敗戦後の日本を復興したんですよ。何も犬死しに行けなんて言うのはおかしい
こんばんわ。
以前から拝聴していたのですが、「don't tell me」の「私に言わないで」とは「反論無用」の意味でしょうか?
あなたの世界・日本中の危険地帯や戦跡からの現地レポートには、その胆力と好奇心は歓待できますが、あまりにも一方的な言い方で、良く下調べしたした様子は見受けられますが、それですべてを集約しているとも思えません。
東大や京大出の人が陥りやすい「無知な意見や感想は論議に値しない」という上から目線の考え方です。
ご自分の意見がないので「don't tell me!!」(問答無用!)ということでよろしいですか?
歴史、とくに近現代史は、今生きている私達よりも、あと100年しないと「確定的な結論」は出ません。
大本営に「戦略思想」があれば、真珠湾攻撃において上空攻撃だけでなく陸軍を上陸させてワイキキビーチを占領していたはずです。
しかしながら日本軍はそんなものは持ち合わせていません。
あくまでも過去の資料や文献からの現在の「想像的な結論」に過ぎません。
実は当方も「もし、フィリピン沖海戦で終戦していれば・・・」と言う動画を出しています。
あのNHKが出した、一方的な「マリアナ沖海戦」の反省と検証の動画です。
もちろんVT信管や「マリアナ沖の七面鳥撃ち」も出てきます。
当方の亡父は、実は「北回りルート」の栗田艦隊で重巡洋艦「鈴谷」に乗艦していました。
あと1時間半ほどでレイテ湾突入という時に、「取り舵180度」の号令を受けます。
「謎の反転」の瞬間です。亡父は「ここで反転はおかしい」とは思っていたそうが、このときはすでに米軍の艦載機の上空攻撃により「機関停止状態」だったそうで、艦長の「生存者総員退艦」の号令で戦友と共に僚船に移乗したそうです。
その後「鈴谷」は僚船の魚雷で自沈処分されています。しかしボルネオ泊地に戻っても、レイテ湾突入の直前での反転理由は知らされず、乗員には分からなかったそうです。さらに台湾沖航空戦の「大勝利」は知らなかったそうです。
戦後、のちの戦友会では、「謎でもなんでもなく、無電や機関・砲などだいぶやられたから、このままでは戦にならないと艦長が判断、生存者だけでの反転帰投なのだろう」ということを仲間と話した覚えがあるそうです。
当方は、海軍が集めたマニラ市街戦や大本営の「レイテ島侵攻」に反対していた山下泰文大将の意見に賛成しています。
劣勢になった日本軍でのフィリピンのゲリラ戦は妥当な作戦でした。
もし、帝国海軍の壊滅したこの時点で「終戦」の勅語を出していれば、のちの沖縄戦での戦艦大和での特攻作戦や東京大空襲、もちろん広島・長崎の原爆投下もなかったハズです。
昭和天皇を長野県の「松代大本営」に疎開されてまでの「本土決戦」が大目標である大本営が「終戦」の決断をするわけもありませんが、それぞれの戦地において、陸海軍のできることを精一杯の戦闘した事実があります。
それをわずか戦後78年しか経たずに云々することは不遜と考えます。
今でも毎日、世界の各地で戦争が起きている現実のなかで、日清・日露戦争以来、負け知らずの日本が初めて負けた大東亜戦争以来、日本が78年間戦争をしていないだけ、ということです。
戦争はいつの時代でも、どこで起きても悲惨でみじめなものです。
朝鮮戦争やベトナム戦争、イラン・イラク戦争、もちろん現在のウクライナ戦争も同じです。
「ニュース」の無くなった今の日本のメデイアは、「日本も再び戦争になればいい」と思っているフシがあります。
上皇陛下が平成の時代の終わりを告げられるときの記者会見で。国民に「平成の時代に日本が戦争にならなかったことに安堵しています」と涙ながらに語られたことを覚えています。
令和の時代に日本が戦争にならないことを祈ります。
真珠湾攻撃に参加した6隻の空母の最後に残っていた瑞鶴も沈んだんですよね・・・
それあります
台湾を占領したような言い方は、間違いですね。無力化でしょう。
しかし、レイテを巡る、マクロな解説はいいですね。どうも各戦闘の局面ごとの文献を多く読んできたため、総情勢をまとめかねていました。ありがとう、、
なるほど、確かにそうですね、、ご指摘ありがとうございます!
もう兵学校で戦術を学んだ幹部とは思えない発想
こういうの解説された後に映画をみると
理解しやすいんだよなぁー
男たちのヤマト見直すか
よいね!!
扶桑などの旧型、瑞鶴などの空母軍の損害を考えると、作戦の遂行に重きを置いてほしかった。。例外にとらわれ過ぎてるのも、艦隊を率いる者としてはどうなのかと思ってしまう。戦後、栗田氏が黙して語らずというのは、分かる気もするが、せめて書き物だけでもしてほしかったな。。。それにしても情報を扱う部門が損害に会うとどうしようもなくなる。。情報軽視は日本の対戦を通じての共通の問題。
輸送船を何十隻と破壊するよりも戦艦を撃破して方がより多くのポイントがつくから、そしてこのポイント制が大きく昇進に関わってるからという説もあるらしい(永遠のゼロで読みました)
なんとも本質的じゃない…
日本の首脳は補給、輸送を軽視していた節がありますよね。ガ島であれだけ餓死者、犠牲を出したのになんにも反省してない。
日本軍の作戦で部下がかわいそうだな😢
それはある
航空機が戦艦の遥か上から攻撃するという説明は間違いだと思います。当時、戦艦を沈めるためには航空魚雷を使わなければ無理だったからです。航空魚雷は低空を飛ばないと撃てません。
確かに対空母と対戦艦で戦い方が違うんですね、教えてくださってありがとうございます。
戦後アメリカの物量に負けたとか言っていた人が多かったのも騙されていただけですね。日本人は兵器どうのというよりものの考え方を改めないとこの先も国際社会では厳しいですね。根本は教育だと思います。でも、遅れていたアジアでよく頑張ったと思います。感謝。
ミッドウェー海戦の敗戦の教訓が生かされていないね。
目的は輸送船団の撃滅で一本化しておかないと。
硫黄島防衛作戦の様な、敵を苦しめる発想が海軍には無かったのでしょうか。😞
どうも海戦で、敵艦撃沈など 単純な戦果にこだわり過ぎに 思えました。
内情はもう少し複雑だと思いますが、なんとも淡白ですよね…
海戦要務令という海軍の戦闘マニュアルに敵艦隊撃滅が第一目的とされていたせいです。これは東郷平八郎という凡将の発想にあまりにも拘泥しすぎたせいだと大本営海軍参謀であった祖父の従弟(真珠湾攻撃の基本作戦も立案した)が述べていたことである。
@@Chu2007pae そうなんですね~。もっと柔軟さがあれば、敵を苦しめる事が出来たでしょうね。 ご教授下さり有難うございます。🌸
@@リック石丸 わかりやすい解説動画から引用しますね
『実は陸戦と違って、海戦で敵艦隊を補足するのってかなり難しいんだよ。なにしろ海はものすごく広い上に誰も住んでいないからねぇ?だから実際に自国の商船が襲われて初めて敵艦の存在に気付くことなんて珍しくない。そしてそれから慌てて艦隊を派遣しても大抵は間に合わない。まあ長く伸びた補給線を防衛するのは陸戦でも難しいんだけどね?その上海には城とか砦とか作ることできないから敵の通商破壊を防ぐのは更に難しいんだ。一応「護送船団」商船をまとめてそのうえで護衛艦隊をつけるという方法もあるけど、これだと一番遅い船に速度を合わせないといけないから輸送効率が落ちるんだよね。まあ、もちろん護衛なしで出航させて敵に襲われるよりは遥かにいいんだけど。でも効率落ちるってことは、結局通商妨害されてるってことだよなぁ。これじゃあ制海権を確立したとは言えないよなぁ?輸送船団守ってるだけで他の海域襲われるかもしれないから。
そこで制海権を確立する方法が2つあります。
①敵艦隊の殲滅及びそれができる海軍の整備
まあ、船全部ぶっ壊せば敵は悪さできんよなぁ?海上の交易路全部守るのは無理やからなぁ?マハンの理論によると制海権確保というか海戦は攻撃的であるべきなんだ。別の言い方をすれば、海戦は攻撃側有利と、彼は考えていたようだ。だから自国艦船はできるだけ集中して、それで敵の艦船を攻撃する。そのほうが結果的に自国の通商も保護できる。違う言い方をすれば、「敵艦隊が自国領海を攻撃できている」時点で制海権は確保できていない。「襲ってきた敵艦船を排除できる」はせいぜい「海上優勢」だろう。旧帝国海軍が攻撃とか艦隊決戦を重視していたのは、関係あるだろうねぇ。まあとにかく敵艦隊しばいたら制海権確保できるんやで?特に海軍てのは育成に時間もお金もかかるからね?敵国を圧倒できる海軍力を持ってしまえば、相手の国がそれに追いつくにはかなりの時間がかかる。それまでの間は自軍が有利だから相手は攻撃を仕掛けてこないはずだし、攻撃仕掛けられても自軍が有利やから勝てるはずやでぇ?
例えば艦隊を敵基地の近くに移動させておいてな?それで宣戦布告直後に攻撃させる。基地にいる艦隊全滅させたらもう制海権の心配せんでもよくなるで。敵国海軍に決戦を仕掛け全滅もしくは無力化させる。これが実現すれば制海権は間違いなく把握できる。実際に日本の艦船見てもとくに大砲とか魚雷をたくさん積めるように設計されてるし。敵海軍と決戦を行って一気に勝負を決めるのを前提としていたんだろうね。そしてその決戦が奇襲というこちらに有利な状況でおこなわれるならこの上ない。
②敵の海軍基地を占領する』
(th-cam.com/video/_zo0ztswcGY/w-d-xo.html)