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しかし、その反面自動車産業が飛躍的に発展した事も無視できません。🙏三菱重工から発展したのが今の三菱自動車、中島航空機から発展したのが今の富士重工である事も忘れないで欲しいです。✌
中島から出た自動車メーカーはもう一つあって、プリンスがそれにあたります※プリンスは、立川飛行機と中島航空機の発動機部門が基になっています
@@takhyde8208 さんご指摘有難うございます、実は私は以前プリンス系の自動車部品メーカーに勤務して居たのですが、知らなかったです。🙏プリンスの自動車で最も有名なスカイライン2000GT-Bは日本で唯一ウエーバー(ホリゾンタル)型のキャブレーターを搭載していて日本を代表する名車です。✌(調べたら、零式艦上戦闘機の栄エンジンの部品を製造していた様です。✌)
航空機が発展したら、新幹線は実現しなかったか、かなり史実より遅く登場になるんでしょうね~
禁止されていなかったらもっと航空産業が発展していかもしれないな
今よりは発展したかもしれんが、何方にしろボーイングとエアバスには勝てん車と違い開発や生産に金がかかりすぎる、日本の国力では航空機業界で勝負するのは難しいと思う
敗戦時の航空産業は工業全体から見ると規模が小さく、海軍工廠がアメリカに接収されなかったら、のほうが影響が大きかったのでは、と思います。ただ、航空、造船、自動車など、敗戦によってアメリカの技術や品質管理などが導入出来た面も有りますので、航空禁止が無かったら品質管理などが稚拙な状況が続いて、戦前の様な品質な状態で航空産業が再建されたのかもしれません動画の通りYS11が開発された場合、エンジンがダートでは出力不足で4発になったと思います。※ダートの初期モデルは1000shp、史実でYS11が積んでいたモデルが3060shpらしいですね
デミングの品質管理の偉大さよ
航空機産業禁止の禁止も短く、技術的にも日本よりはるかに進んでいた西ドイツの航空機産業のその後を考えれば、わかるかなと。A300、A310が売れなかったらその時点で欧米の航空機産業は終わっていたし、その前にドイツの航空機製造企業独力ではどうにもならなかった。
産業として見た場合、需要がなければ業界の振興はありません。これは航空だけでなく他の分野も同じです。むしろ武器輸出禁止の方が悪しき影響を与えたと思います(正確な言い方ではありませんが実質的な禁止です)。多くの需要がなければ技術開発も遅れれ価格も高くなります。今に至る防衛予算と日本の国際競争力に与えたものは計り知れません。
多分ボンバルディアやセスナ、ビーチクラフトの日本版の会社が出来て現代より発展してない新幹線の変わりに飛んで居た
YS−11は全日空や日本航空、東亜国内航空など国内航空会社で使われていましたが、日本の空から引退したYS−11はハワイの航空会社(社名は忘れました🙏😥)が纏めて購入しました。日本の航空会社で、行き届いた整備をされていたので故障も少なく、スペアーパーツも渡されたので、ハワイの航空の経営陣はYS−11に大満足していたそうです。
安保闘争などをみると戦闘機の海外輸出は近年にならないと無理だったのでは。
今と大差ないでしょうね
負ければ賊軍…。国産で良いと思うけど
もう一つ、航空禁止が無かったら、日本のエンジンメーカーが複数存在した、となっていたでしょう。中島、三菱、川崎、愛知、日立とか神戸製鋼とか東京瓦斯電とかですかねでもおそらく昭和30年代に、国際競争力を高めるためとかの理由で政府主導で合併したろうなぁ
久々に戦国武将解説してほしいです!マイナーながら上杉謙信や多くの有名武将と一緒に書物に表記された、里見氏の家臣槍大膳こと正木時茂を解説してほしいです
YS-11はロールスロイス社ダート搭載のターボプロップ双発機です。レシプロ機ではありません。ちなみにYS-11の呼称は「ワイエスイチイチ」ですよ。
投稿お疲れ様です!技術的発展は大いにしましたね!桜花は特攻兵器にならずに活用できたかもしれません!
GHQの介入は戦後の話だから桜花とは全く関係無いが……
もちろん戦争を行わずと言うことも加味しての別視点でのifです
@@SMK皇帝ファントム陛下Japan 戦争を行わないIFならGHQは存在しない、、ロケットエンジン開発ならわざわざ桜花にする意味が無い
新幹線がもっと中途半端な形で実現されていて大阪出張が片道5時間ぐらいのちょっと速い特急ぐらいになってた。その為 新幹線は東海道だけでいいや。と云う話になり山陽、上越、東北新幹線も作られる事無く遠い所は飛行機でと云う感じになる。
そうすると寝台特急はまだまだ活躍していたでしょうね。
私の個人的な考えですが、高性能の国産ジェットエンジンを開発しても、世界シェアを取れなければ、航空機産業で日本が世界を席巻するのは難しいのかなと感じます。失礼な物言いすみません。例えば、日本からアメリカに飛行した旅客機が、アメリカの空港で部品の故障が見つかった場合、交換用の部品を用意する訳ですが、ボーイングやエアバスは世界シェアを握っている為、主要な空港に交換用、バックアップ用の部品がある訳です。仮に、国産のジェット機を運用し、出先の空港で部品トラブルがあった場合、交換用の部品のストックが有れば良い訳ですが、少数しか運行していない航空機の為に部品をストック出来るか、そういった点が難しいのかなと感じます。商用は難しいにしても、国防上、技術やノウハウの継承やいざとなった場合の保障の為にも、一定水準での技術の保持は大切ですね。づけづけと言ってしまいすみません。お話し面白かったです。
残念ながら航空機レベルになると日本人の手に負えません。部品や素材を作る程度ならできる。
史実通りYS11止まりでしょそして自動車産業への技術流入が無く自動車産業も発展が遅れてたかもね
マッカーサーが言っていたことがある
疾風と紫電改は残っていたが大和武蔵は沈んだので証拠隠滅。もし大和武蔵が健在なら造船も禁じられていた。
ネジさえ真面に造れないのに。
資源がアメリカと変わらなければ、日本が、勝っていたと技術力は、日本のほうが上だったから
技術力が日本の方が上ってのは何かのギャグだろうか。
資源がアメリカと同じだったら?戦争なんて起こらないんです。標準化の「へ」の字すら知らないのに技術?芸術品で戦うのかよ
ギャグだろうね
ギャグにしてもレベルが低すぎるぜ
そういうのは、まともな航空機用の無線機を作ってからほざけよ。
しかし、その反面自動車産業が飛躍的に発展した事も無視できません。🙏
三菱重工から発展したのが今の三菱自動車、中島航空機から発展したのが今の富士重工である事も忘れないで欲しいです。✌
中島から出た自動車メーカーはもう一つあって、プリンスがそれにあたります
※プリンスは、立川飛行機と中島航空機の発動機部門が基になっています
@@takhyde8208 さん
ご指摘有難うございます、実は私は以前プリンス系の自動車部品メーカーに勤務して居たのですが、知らなかったです。🙏
プリンスの自動車で最も有名なスカイライン2000GT-Bは日本で唯一ウエーバー(ホリゾンタル)型のキャブレーターを搭載していて日本を代表する名車です。✌
(調べたら、零式艦上戦闘機の栄エンジンの部品を製造していた様です。✌)
航空機が発展したら、新幹線は実現しなかったか、かなり史実より遅く登場になるんでしょうね~
禁止されていなかったらもっと航空産業が発展していかもしれないな
今よりは発展したかもしれんが、何方にしろボーイングとエアバスには勝てん
車と違い開発や生産に金がかかりすぎる、日本の国力では航空機業界で勝負するのは難しいと思う
敗戦時の航空産業は工業全体から見ると規模が小さく、海軍工廠がアメリカに接収されなかったら、のほうが影響が大きかったのでは、と思います。
ただ、航空、造船、自動車など、敗戦によってアメリカの技術や品質管理などが導入出来た面も有りますので、航空禁止が無かったら品質管理などが稚拙な状況が続いて、戦前の様な品質な状態で航空産業が再建されたのかもしれません
動画の通りYS11が開発された場合、エンジンがダートでは出力不足で4発になったと思います。
※ダートの初期モデルは1000shp、史実でYS11が積んでいたモデルが3060shpらしいですね
デミングの品質管理の偉大さよ
航空機産業禁止の禁止も短く、技術的にも日本よりはるかに進んでいた西ドイツの航空機産業のその後を考えれば、わかるかなと。
A300、A310が売れなかったらその時点で欧米の航空機産業は終わっていたし、その前にドイツの航空機製造企業独力ではどうにもならなかった。
産業として見た場合、需要がなければ業界の振興はありません。
これは航空だけでなく他の分野も同じです。
むしろ武器輸出禁止の方が悪しき影響を与えたと思います(正確な言い方ではありませんが実質的な禁止です)。
多くの需要がなければ技術開発も遅れれ価格も高くなります。
今に至る防衛予算と日本の国際競争力に与えたものは計り知れません。
多分ボンバルディアやセスナ、ビーチクラフトの日本版の会社が出来て現代より発展してない新幹線の変わりに飛んで居た
YS−11は全日空や日本航空、東亜国内航空など国内航空会社で使われていましたが、日本の空から引退したYS−11はハワイの航空会社(社名は忘れました🙏😥)が纏めて購入しました。
日本の航空会社で、行き届いた整備をされていたので故障も少なく、スペアーパーツも渡されたので、ハワイの航空の経営陣はYS−11に大満足していたそうです。
安保闘争などをみると戦闘機の海外輸出は近年にならないと無理だったのでは。
今と大差ないでしょうね
負ければ賊軍…。
国産で良いと思うけど
もう一つ、航空禁止が無かったら、日本のエンジンメーカーが複数存在した、となっていたでしょう。
中島、三菱、川崎、愛知、日立とか神戸製鋼とか東京瓦斯電とかですかね
でもおそらく昭和30年代に、国際競争力を高めるためとかの理由で政府主導で合併したろうなぁ
久々に戦国武将解説してほしいです!
マイナーながら上杉謙信や多くの有名武将と一緒に書物に表記された、里見氏の家臣
槍大膳こと正木時茂を解説してほしいです
YS-11はロールスロイス社ダート搭載のターボプロップ双発機です。レシプロ機ではありません。ちなみにYS-11の呼称は「ワイエスイチイチ」ですよ。
投稿お疲れ様です!技術的発展は大いにしましたね!
桜花は特攻兵器にならずに活用できたかもしれません!
GHQの介入は戦後の話だから桜花とは全く関係無いが……
もちろん戦争を行わずと言うことも加味しての
別視点でのifです
@@SMK皇帝ファントム陛下Japan
戦争を行わないIFならGHQは存在しない、、ロケットエンジン開発ならわざわざ桜花にする意味が無い
新幹線がもっと中途半端な形で実現されていて大阪出張が片道5時間ぐらいのちょっと速い特急ぐらいになってた。
その為 新幹線は東海道だけでいいや。と云う話になり山陽、上越、東北新幹線も作られる事無く遠い所は飛行機でと云う感じになる。
そうすると寝台特急はまだまだ活躍していたでしょうね。
私の個人的な考えですが、高性能の国産ジェットエンジンを開発しても、世界シェアを取れなければ、航空機産業で日本が世界を席巻するのは難しいのかなと感じます。失礼な物言いすみません。例えば、日本からアメリカに飛行した旅客機が、アメリカの空港で部品の故障が見つかった場合、交換用の部品を用意する訳ですが、ボーイングやエアバスは世界シェアを握っている為、主要な空港に交換用、バックアップ用の部品がある訳です。仮に、国産のジェット機を運用し、出先の空港で部品トラブルがあった場合、交換用の部品のストックが有れば良い訳ですが、少数しか運行していない航空機の為に部品をストック出来るか、そういった点が難しいのかなと感じます。商用は難しいにしても、国防上、技術やノウハウの継承やいざとなった場合の保障の為にも、一定水準での技術の保持は大切ですね。づけづけと言ってしまいすみません。お話し面白かったです。
残念ながら航空機レベルになると日本人の手に負えません。部品や素材を作る程度ならできる。
史実通りYS11止まりでしょ
そして自動車産業への技術流入が無く自動車産業も発展が遅れてたかもね
マッカーサーが言っていたことがある
疾風と紫電改は残っていたが大和武蔵は沈んだので証拠隠滅。もし大和武蔵が健在なら造船も禁じられていた。
ネジさえ真面に造れないのに。
資源がアメリカと変わらなければ、日本が、勝っていたと
技術力は、日本のほうが上だったから
技術力が日本の方が上ってのは何かのギャグだろうか。
資源がアメリカと同じだったら?
戦争なんて起こらないんです。
標準化の「へ」の字すら知らないのに技術?
芸術品で戦うのかよ
ギャグだろうね
ギャグにしてもレベルが低すぎるぜ
そういうのは、まともな航空機用の無線機を作ってからほざけよ。