ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
もともと新造電車が出来るまでの暫定的な存在だったから、715系の方がむしろ正常な扱いで、419系が長らく運用していたのには当時からスゲーと思ってました
東北の715系が1000番台なのは、仙台をもじったもの。本当の話。
1996年くらいだったか、715系は東北本線で一時期通勤で利用していました。たまたま座ったボックスシート部の二重窓になっている間に、人工芝が敷かれてなぜかセサミストリートのアーニーとバートの指人形?みたいなのが置いてあって、JRの人の遊び心を感じました😃2009年くらいに一時石川県に仕事で移動、北陸本線で再び食パン列車と出会うことに・・・
東北のラッシュ時の8連運用は、ある意味壮観だったな……
西日本の419系が長生きすぎた
東北本線黒磯-郡山で乗ったことありますが、二重窓はそのままで外側と内側の窓ガラス間に鉄道模型が飾ってあった編成もあったな。
冷夏の`93年7月下旬に黒磯から福島まで乗ったのを覚えてます。冷房が効き過ぎて(車内温度計18~19℃)寒くて切ってくれと車掌に話したら「自動なので調整出来ません」と呆気なく断られたのが印象に残ってますw
@@ケイン-u6qこのような国鉄時代の古い車両は、JR車両のように温度センサーからコンピュータ制御で自動運転ではなく、サーモスタットだけでオンオフする極めてアナログの冷暖房自動運転だったからね。でも車端部辺りにサーモスタット調整の温度ダイヤルスイッチがあるから、車掌に言わなくても自分で温度上げれたが。
モハネ580・581ユニットは、もともとから12ユニットしか作られなかったということもあって、全部九州の715系向けに改造されてしまったわけです。なお小さい頃、食パン電車によく乗せてもらって、市内から家に帰っていました。
細かいことで、失礼いたします。九州の715系ですが、1999年6月5日に北九州市に旅行した時、門司駅側の関門トンネル出口横の線路に、複数編成が留置されているのを目撃しました。廃車は1998年で間違いないでしょうが、完全に解体されたのは、それから1年ほど後と思われます。ちなみに2022年4月現在では、同じ場所に、415系数編成が、廃車留置されているようです。
419系は北陸本線の交流区間が陸の孤島になってるから、直流区間も走行できないと困るからと種車の交直切り替えをそのまま残し、715系は交流区間限定でも運用上特に困らないから、交流専用にしてしまったってところか。
別に影に隠れて無かった気がする。デカイから物理的な意味ではないよw当時から715の事は食パン電車って言ってたもんな〜廃車が419よりかなり早かったから、記録媒体のデジタル化前でTH-cam上では取り扱いが少ないだけだと思う。
これにはよく乗りました!席がフカフカだったのでこれが来たらラッキー!!!ってか大喜びしました!!
足元広いよってキャリーバッグも余裕で置けたな
分かりみが深いさすがもと特急列車って感じだった
門司港駅の反対側に在る九州鉄道記念館には581系カラーに復元された715系先頭車の他にもJR九州モケットに張り替えられ最期まで九州への寝台列車として活躍したスハネフさんも居るよ。二軸石炭車のセラ1も奥でひっそりと来館者を待ってるぜ。
715系は盛岡-北上間で一度だけ乗った記憶があるけど、事情を知らずモノを大切にするのはいいことだ。と呑気に思っていました。
電GOプロフェッショナルに登場する食パンが715系だった気がする
いわゆる「国鉄ひょうきん族」ですね。
419系は平成23年(2011年)3月11日限りで引退だったと思います。これは高山本線のキハ58が引退した日でもあります。高岡の工場に一両だけポツンと置かれていますが錆が浮き出て状態は非常に悪く、いずれ撤去されてしまうかもしれません。北陸本線では国鉄型電車は東へと追いやられていき、419系引退のころは主に金沢~直江津で475・413系が走っていました。
すみません。完全にやらかしていました。
@@hiratsuka-103 3月11日というと、どうしても東北地方太平洋沖地震ばかり話題となってしまいますが、14時46分頃まではごく普通の日(になるはず)だったわけで、私はキハ58と419系に乗りに行っていていました。まあ、帰り、直江津駅で電車がものすごく揺れているのも見て、地震だと分かったのですが。津波は1m程度で被害はなく良かったです。列車もその日のうちに復旧し、無事帰宅できました。
食パン後に入る電車が減車キハ40後に入るでーぜる車で減車なんていうか詰め込むのは一緒
九州の715-0はほぼ長崎線と佐世保線専用やった 肥前大浦とか有田・肥前山口の行先幕掲げて走ってた 東北の715-1000は黒磯~一ノ関が主やったな 一ノ関以北盛岡へは行ってへんかったハズ 715-0・1000はクリーム1号に緑14号帯の塗り分け違い(九州は緑一本帯・東北は下端両隅が斜め)でデビューして…クリーム10号(アイボリー)に青23号帯の九州色・715-1000は455系・475系がクリーム10号に緑14号の東北色まとうのに合わせて塗色変わった寝台電車転用やから高い天井と広いシートピッチ・効き過ぎなくらいの冷房に薄暗い照明が印象的やったね 切妻正面(いわゆる食パン)とオリジナル前面の先頭車が両端になるんが基本やけど715-0は両先頭車が食パンの編成いてた クハ714-モハ714-0-モハ715-0-クハ715-100や
日豊本線でも走ってたんだよなぁ・・・
大宮の鉄道博物館に715系1000番台が一両だけでもいいから保存してほしかった。
0番台なら(583カラーになって)門司の九州鉄道記念館に保存されてるよ
もう少しBGMの音量を小さくしたほうがいいかも。BGMの音声がでかすぎて説明が聞きにくい。
419系や715系が製造された背景には、交流電車や交直流電車を新造するのにコストがかかるというのが主な理由ですな
折り畳みドアは、手で開けるんですが、これが結構重かった。狭いドアだから、荷物を持っていると不便。クーラーが故障して、水漏れを起こしていたこともあった。寝台だったから、シートピッチが広いのだけは良かった。独特のモーター音。何だかんだと、北陸線で419系は活躍しました。419系3連が廃止されて、2連の521系が配属されたら、今度は朝のラッシュ時に混雑が激しくなって抗議したことを思い出します。
ある時期から「車内保温」を名目に自動ドアなのに手動で開閉なっていましたね
運転台が高い普通列車は稀少な存在でしょう。新車を作るより経済的でありますが、誰がこんな思いきった改造を思い付いたのでしょうね?
新製する金がなかったから
長距離用としてはもう「ニートレイン」となって行き場がない。
2:08 先頭車化改造を食パン化改造と言ってる。笑
細かい突っ込みだけど、419は2012ではなく、2011年に置き換えられた これは、確かだよ2012年まで生きてくれれば良かったのにと、今も悔いてるぐらい明確に覚えてる
鉄板以上の迷いたやろ、
九州の食パンって急行運用にもついてたんですよね。
ひのくにですよね
しかもロングシートが指定席だったとか()
@@NAGADEN-dz4yk そうです!タウンシャトルの下に控えめに表示してたみたいですが。
@@tkrgt7749 タウンシャトルHM下の種別幕は[急行]やった
2:16 九州に左遷?されたグループは最初は寝台小窓は残されたままでした それが却って可哀想な印象でした それでも本来の電車特急より長く運用された419系が幸せか と聞かれれば微妙です 特急運用とほぼ同じ時間だけ運用されるくらいがベストでしょうね
2:45からのBGMは何処の曲ですか?出来ればURLをお願いします。
八代→やつしろ かと
419系は高岡に1両だけブン投げられてたな…なんでもそこの従業員の休憩用だとか。
タイトル日本語おかしい
絵が見づらい、絵が足りない、BGMがうるさい、誤字が多く文章がおかしい。
もともと新造電車が出来るまでの暫定的な存在だったから、715系の方がむしろ正常な扱いで、
419系が長らく運用していたのには当時からスゲーと思ってました
東北の715系が1000番台なのは、仙台をもじったもの。
本当の話。
1996年くらいだったか、715系は東北本線で一時期通勤で利用していました。
たまたま座ったボックスシート部の二重窓になっている間に、人工芝が敷かれてなぜかセサミストリートのアーニーとバートの指人形?みたいなのが置いてあって、JRの人の遊び心を感じました😃
2009年くらいに一時石川県に仕事で移動、北陸本線で再び食パン列車と出会うことに・・・
東北のラッシュ時の8連運用は、ある意味壮観だったな……
西日本の419系が長生きすぎた
東北本線黒磯-郡山で乗ったことありますが、二重窓はそのままで外側と内側の窓ガラス間に鉄道模型が飾ってあった編成もあったな。
冷夏の`93年7月下旬に黒磯から福島まで乗ったのを覚えてます。
冷房が効き過ぎて(車内温度計18~19℃)寒くて切ってくれと車掌に話したら「自動なので調整出来ません」と呆気なく断られたのが印象に残ってますw
@@ケイン-u6q
このような国鉄時代の古い車両は、JR車両のように温度センサーからコンピュータ制御で自動運転ではなく、サーモスタットだけでオンオフする極めてアナログの冷暖房自動運転だったからね。
でも車端部辺りにサーモスタット調整の温度ダイヤルスイッチがあるから、車掌に言わなくても自分で温度上げれたが。
モハネ580・581ユニットは、もともとから12ユニットしか作られなかったということもあって、全部九州の715系向けに改造されてしまったわけです。
なお小さい頃、食パン電車によく乗せてもらって、市内から家に帰っていました。
細かいことで、失礼いたします。
九州の715系ですが、1999年6月5日に北九州市に旅行した時、門司駅側の関門トンネル出口横の線路に、複数編成が留置されているのを目撃しました。廃車は1998年で間違いないでしょうが、完全に解体されたのは、それから1年ほど後と思われます。ちなみに2022年4月現在では、同じ場所に、415系数編成が、廃車留置されているようです。
419系は北陸本線の交流区間が陸の孤島になってるから、直流区間も走行できないと困るからと種車の交直切り替えをそのまま残し、715系は交流区間限定でも運用上特に困らないから、交流専用にしてしまったってところか。
別に影に隠れて無かった気がする。
デカイから物理的な意味ではないよw
当時から715の事は食パン電車って言ってたもんな〜
廃車が419よりかなり早かったから、記録媒体のデジタル化前でTH-cam上では取り扱いが少ないだけだと思う。
これにはよく乗りました!席がフカフカだったのでこれが来たらラッキー!!!ってか大喜びしました!!
足元広いよってキャリーバッグも余裕で置けたな
分かりみが深い
さすがもと特急列車って感じだった
門司港駅の反対側に在る九州鉄道記念館には581系カラーに復元された715系先頭車の他にもJR九州モケットに張り替えられ最期まで九州への寝台列車として活躍したスハネフさんも居るよ。二軸石炭車のセラ1も奥でひっそりと来館者を待ってるぜ。
715系は盛岡-北上間で一度だけ乗った記憶があるけど、事情を知らずモノを大切にするのはいいことだ。と呑気に思っていました。
電GOプロフェッショナルに登場する食パンが715系だった気がする
いわゆる「国鉄ひょうきん族」ですね。
419系は平成23年(2011年)3月11日限りで引退だったと思います。これは高山本線のキハ58が引退した日でもあります。
高岡の工場に一両だけポツンと置かれていますが錆が浮き出て状態は非常に悪く、いずれ撤去されてしまうかもしれません。
北陸本線では国鉄型電車は東へと追いやられていき、419系引退のころは主に金沢~直江津で475・413系が走っていました。
すみません。完全にやらかしていました。
@@hiratsuka-103
3月11日というと、どうしても東北地方太平洋沖地震ばかり話題となってしまいますが、14時46分頃まではごく普通の日(になるはず)だったわけで、私はキハ58と419系に乗りに行っていていました。
まあ、帰り、直江津駅で電車がものすごく揺れているのも見て、地震だと分かったのですが。津波は1m程度で被害はなく良かったです。列車もその日のうちに復旧し、無事帰宅できました。
食パン後に入る電車が減車
キハ40後に入るでーぜる車で減車
なんていうか詰め込むのは一緒
九州の715-0はほぼ長崎線と佐世保線専用やった 肥前大浦とか有田・肥前山口の行先幕掲げて走ってた 東北の715-1000は黒磯~一ノ関が主やったな 一ノ関以北盛岡へは行ってへんかったハズ
715-0・1000はクリーム1号に緑14号帯の塗り分け違い(九州は緑一本帯・東北は下端両隅が斜め)でデビューして…クリーム10号(アイボリー)に青23号帯の九州色・715-1000は455系・475系がクリーム10号に緑14号の東北色まとうのに合わせて塗色変わった
寝台電車転用やから高い天井と広いシートピッチ・効き過ぎなくらいの冷房に薄暗い照明が印象的やったね 切妻正面(いわゆる食パン)とオリジナル前面の先頭車が両端になるんが基本やけど715-0は両先頭車が食パンの編成いてた クハ714-モハ714-0-モハ715-0-クハ715-100や
日豊本線でも走ってたんだよなぁ・・・
大宮の鉄道博物館に715系1000番台が一両だけでもいいから保存してほしかった。
0番台なら(583カラーになって)門司の九州鉄道記念館に保存されてるよ
もう少しBGMの音量を小さくしたほうがいいかも。BGMの音声がでかすぎて説明が聞きにくい。
419系や715系が製造された背景には、交流電車や交直流電車を新造するのにコストがかかるというのが主な理由ですな
折り畳みドアは、手で開けるんですが、これが結構重かった。狭いドアだから、荷物を持っていると不便。クーラーが故障して、水漏れを起こしていたこともあった。寝台だったから、シートピッチが広いのだけは良かった。独特のモーター音。何だかんだと、北陸線で419系は活躍しました。419系3連が廃止されて、2連の521系が配属されたら、今度は朝のラッシュ時に混雑が激しくなって抗議したことを思い出します。
ある時期から「車内保温」を名目に自動ドアなのに手動で開閉なっていましたね
運転台が高い普通列車は稀少な存在でしょう。
新車を作るより経済的でありますが、誰がこんな思いきった改造を思い付いたのでしょうね?
新製する金がなかったから
長距離用としてはもう「ニートレイン」となって行き場がない。
2:08 先頭車化改造を食パン化改造と言ってる。笑
細かい突っ込みだけど、419は2012ではなく、2011年に置き換えられた
これは、確かだよ
2012年まで生きてくれれば良かったのにと、今も悔いてるぐらい明確に覚えてる
鉄板以上の迷いたやろ、
九州の食パンって急行運用にもついてたんですよね。
ひのくにですよね
しかもロングシートが指定席だったとか()
@@NAGADEN-dz4yk
そうです!
タウンシャトルの下に控えめに表示してたみたいですが。
@@tkrgt7749 タウンシャトルHM下の種別幕は[急行]やった
2:16 九州に左遷?されたグループは最初は寝台小窓は残されたままでした それが却って可哀想な印象でした それでも本来の電車特急より長く運用された419系が幸せか と聞かれれば微妙です 特急運用とほぼ同じ時間だけ運用されるくらいがベストでしょうね
2:45からのBGMは何処の曲ですか?
出来ればURLをお願いします。
八代→やつしろ かと
419系は高岡に1両だけブン投げられてたな…なんでもそこの従業員の休憩用だとか。
タイトル日本語おかしい
絵が見づらい、絵が足りない、BGMがうるさい、誤字が多く文章がおかしい。