みちのく民話伝承、悲劇・安寿と厨子王、救いは地蔵の慈悲、史実と仏教説話のはさまに

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  • เผยแพร่เมื่อ 24 ก.ย. 2024
  • いわき市金山町の小高い丘に、安寿と厨子王のゆかりの地として、安寿と厨子王母子像が立っている。福島県には、安寿と厨子王に関する伝承が広く伝えられる。その伝承は、福島県浜通りの、相馬氏、岩城氏、楢葉氏、標葉氏などの桓武平氏流れの一族に関わる史実が含まれているようだが、時代背景が交錯しており、その解明は困難であり、ここでは福島県に伝わる伝説として紹介するにとどめる。
    岩城判官・平政氏は平将門の子孫で、康保4年(967)に賊将が朝廷にそむいたときに、それを討伐した恩賞として奥州の津軽郡、岩城郡、信夫郡を賜りいわきに入り、住吉館に居し、この地方を治めていた。政氏は、神社を再興したり、付近の浜から砂鉄を運ばせ鉄の生産を行ったりと、この地に善政を敷いた。しかしその後、讒言により、政氏は朝廷での勤めに怠りがあったということで筑紫の国に流されてしまった。

ความคิดเห็น • 4

  • @kumosukeponsuke
    @kumosukeponsuke ปีที่แล้ว +1

    すっかり忘れていたけど、亡父が自分がまだ小学生時代によくこの二人の名前を呟いていたな。。
    もう40年以上前のことだ。この動画を見て、ふとそのことを思い出した。。

    • @みちのく漂雲の記
      @みちのく漂雲の記  ปีที่แล้ว

      >亡父が自分がまだ小学生時代によくこの二人の名前を呟いていたな。< そうなんですか。本来は仏教説話のようですが「山椒大夫」が映画化され、国際的にも話題になったようで、お父上の時代はそのような時代だったのかもしれませんね。

  • @davidcoldstar6333
    @davidcoldstar6333 11 หลายเดือนก่อน +2

    なぜかこの物語が好きで、由緒の地を周ったことがあります。
    人買いに騙された越後の新潟県上越市直江津の関川には安寿と厨子王の供養塔があります。山椒大夫に酷使された丹後の京都府宮津市由良には文学碑が、山椒大夫屋敷跡のある石浦には安寿と厨子王の像があります。
    最後に厨子王は佐渡で盲目になった母と再会しますが、佐渡の達者海岸(達者に再会できたことから命名された地名です)では、安寿も佐渡で母に再会したが盲目の母が間違って安寿を殺めてしまったというもうひとつの悲劇の伝承が残っています。佐渡の外海府海岸の北片辺の鹿ノ浦には安寿と厨子王の歌碑、そして異説の安寿の墓(安寿塚)があります。
    安寿と厨子王丸の出自は福島県の岩城の他にも、岩木なので青森県の津軽の弘前にも伝承があり像があります。

    • @みちのく漂雲の記
      @みちのく漂雲の記  11 หลายเดือนก่อน

      >なぜかこの物語が好きで、由緒の地を周ったことがあります< 関連する各所を回ったみたいですね。安寿と厨子王丸の伝説は、岩城氏の出自に関する史実に行き当たるのでは思い、福島県内をまわりましたが、残念ながら伝説の域からは出ませんでした。青森弘前の伝説は、th-cam.com/video/A2-Asa6Tvoc/w-d-xo.html にアップしております。こちらは、史実とは全く無縁のようですが、伝説としては非常に面白いです。