市電ものがたり
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- เผยแพร่เมื่อ 30 ก.ย. 2024
- 作品概要
撮影/制作:中山富美子
無声 8mmフィルム撮影 カラー(無声) 23分33秒
京都市電を撮影した珍しい作品。
京都市電(京都市交通局の資料より)
京都市電は明治45年6月11日、壬生車庫前~千本丸太町~烏丸丸太町~烏丸塩小路間および四条西洞院~四条小橋間の計7.7キロメートルに営業を開始したことが始まりです。これよりさき、明治28年2月1日には京都電氣鐵道株式会社が我が国最初の路面電車の営業を始めていましたが、大正7年7月1日京都市は市内交通一元化の方針からこれを買収し「わが国初の路面電車」を受け継ぎ順次路線を拡大、大正・昭和にかけて「市民の足」として、活躍しました。
京都市の発展に伴って営業規模を拡大し、昭和30年代には隆盛期を迎えます。最盛時の市電は路線長74キロメートル、367両の車両で一日約60万人の人々に利用されました。しかし急速な経済成長にともなう自動車の急増によるモータリゼーションの発展、人工のドーナツ化など、路面交通にも都市化の波が押し寄せ、年々厳しさを増しました。これにより市電の利用者が漸減し、路面交通事業の財政は年々悪化したため、市街地の軌道上を走る市営電車はその影響をまともに受け、昭和45年の4月の伏見・稲荷線の営業廃止を皮切りに,逐次廃止されていき、昭和53年9月末日をもって、京都電氣鐵道以来83年の歴史を閉じました。
彼らは松山などに転勤になり
広島に転勤になった者は1900形としてパンタグラフの更新などを受けながら
今日も広島の街を走ってます。
時々電制が入ります。
まだ残ってたら修学旅行で重宝しただろうになぁ、、、
調べてみると、16:21の『「さようなら 河原町・七条・烏丸線」電車は、1977年(昭和52年) 9月30日運行。翌10月1日烏丸線全線廃止』とあります。個人的に感じたのは、ほとんどの70年代映像は公害で大気がモヤってる事が多い中、抜けるような真夏の青空とそれをバックに走る市電を広角レンズで捉えられたカットがとても印象的でした。6:18
「さようなら 河原町・七条・烏丸線」電車は最終日だけでなく1週間ぐらい前から運転されていました。逆に1年後の全廃となる「さようなら 京都市電」電車1978年9月30日のみの運転となりました。これは全廃にはもっと絢爛の花電車をという声が交通局内では出ましたが、市電廃止を強力に進めた京都市会の当時の自民、社会、公明、民社が強固に横やりを入れ簡易な装飾でさえ最終日だけにしろと言ったためです。
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都電も1968年廃止分のみは通常の広告のみで終了したのは学生運動に配慮したかと思います。
ちなみに1972年廃止分は華やかな装飾で有終の美を飾りました。
どのシーンがいつ(いつ頃や、年代の上限・下限などが分かればそういった情報)の撮影なのか、という情報があるといいかも。(調査に手間暇がかかるので実際には難しいとは思いますが。)
子供の頃よく関西に行ってましたので、非常に懐かしいです。昭和52〜53年くらいだったでしょうか?早朝から響く市電の音が思い出されました。町の雰囲気とトヨペットコロナやニッサンバイオレットのタクシーがまた懐かしいです。
みんな元気にしてるかなぁ
地下鉄工事が始まるかなり前に、烏丸線全線を実際に乗ったことがあるから、見ていてよけい懐かしい。
偶然乗り合わせた電車の前に事故を起こした車が。雪でスリップした車にぶつけられて、軌道内でストップして電車が非常停止したみたいですね。その車を乗客でしょうか市民の方々でしょうか皆さんで軌道内の車を押してどけていたのが印象的ですね。
この電車の一部が広島市内で走ってるのですね。あとどれ位車両が動いてるのかな?
1900形の直接制御車15両が健在ですね。大型電動幕化に冷房設置、近年ではシングルアームパンタへの載せ替えもされました。
当時小学生でしたが、何度も乗った記憶があります。とても懐かしいですね。太秦を走る市電が一番乗ったかなぁ。
市電は太秦は走って無かったので、現在も走る嵐電(京福電車)では無いでしょうか?ただ太秦に近い路線を走ったのは四条大宮〜松尾橋間をトロリーバスが走ってました。
❤🧡💛💚💙💜🤎🖤🤍
烏丸車庫…
La toma de la manija es hermosa