(第345話)【川上村唯一現存の盆踊り、烏川神社(十二社神社)のノスタルジックな夏】ELCAFLORA Mitsukoのトキジク日記

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  • เผยแพร่เมื่อ 15 ก.ย. 2024
  • 突然ですが。
    ここは《もう一つの八咫烏神社》と、密かに考えています。
    吉野郡川上村大字東川(うのかわ)
    そうです、うのかわ という場所にある 烏川神社(十二社神社)。
    とても印象的だと思って見ていました。
    偶然に盆踊りがあることを知り、夕闇に紛れてお邪魔してみます。
    ご祭神は
    国常立命
    国狭槌命
    豊斟渟命(トヨクムノミコト)
    泥土煎命(ウヒジニノミコト)
    沙土煎命(スヒジニノミコト)
    大戸之道命(オオトノジノミコト)
    大苫辺命(オオトマベノミコト)
    面足命(オモダルノミコト)
    惶根命(カシコネノミコト)
    伊弉諾命
    伊弉冊命
    正哉吾勝勝速日天忍穂耳命
    彦火火出見命
    天津日高彦火瓊瓊杵命
    彦波瀲武鸕鷀草葺不合命(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)
    神武天皇を案内した八咫烏を祀る神社のようです。
    場所が場所だけに信憑性ありすぎですね(^^)
    少し薄暗くなった19時、太鼓の音、真ん中の矢倉に登った村の長老の唄声を聴いているうちにどうしようもない懐かしさと肌に疼くような痛みにも似た感傷が襲う、、?
    とにかく、トキジク日記に残したい!
    そう思い撮りながら踊る老若男女のゆらめきと長老の唄声に、永えんと撮り続けてしまいそうな、トランス??
    に襲われる。。
    恐るべしいにしえの祭祀力とは、これに近いのだろうか、と。
    5年ぶりの開催だそうです。
    川上村に唯一残る盆踊りはもう此処だけとなりましたと、村の方々がいわれます。
    どうか、これが続きますようにと願いを込めて。
    十二社神社については別途お話したいなと考えております。
    村の方に了解をいただき、アップといたします。
    画像なぜか掠れたように映っていてお粗末ですが、これがまたノスタルジック感あるなぁと、自己満足😊
    皆さまいつもありがとうございます♪
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    天津日高彦火瓊瓊杵命
    彦波瀲武鸕鷀草葺不合命

ความคิดเห็น • 25

  • @Himawari-f4l
    @Himawari-f4l หลายเดือนก่อน +5

    山あいに響く
    長老のまったりとした歌声と
    太鼓の音♪
    躍る村人の掛け声も
    1/fのゆらぎを感じます。
    盆踊りも
    現代風に進化してゆく中で、
    昔ながらの調べと響きを
    そのまま残している
    このような光景は
    貴重になりましたね。
    前半の暗闇の中で
    虚ろに光る提灯の灯りが
    神隠しにでも遭うように
    別次元へといざないます。
    【烏川神社】
    天照大御神以前の神さまが
    ぞろぞろと沢山
    お祀りされているのも
    興味深いですね。
    烏川とは
    【八咫烏】と【鵜飼い】を
    かけているのでしょうか?!
    葛木御歳神社の宮司さまは
    この地【東川(うのかわ)】との
    御縁があるのでしょうね。
    東へ東へ
    東征をした神武天皇
    更に約束の地を目指すシオンの民
    そして、ドラビタ族🌱
    渡れぬ川を渡り
    新天地に根を張った人たちですね。
    初代大王をお護りするお役目を
    担っておられる宮司さまだと、
    勝手に思っています。

  • @nihontaro9
    @nihontaro9 หลายเดือนก่อน +4

    偶然だと思いますが、地名が中鴨🦆社 葛城御歳神社の宮司さんのお名前と同じで、社名は同じ読み方の烏川神社さんなのですね。珍しい読み方だと思っていました。
    烏繋がりで例えば八咫烏の別称が仮に鵜の学名Phalacrocoracidaeは、烏の英名「cormorant shags」中世ラテン語の鵜「Cormorant ・corvus marinus 」に由来するらしい。(「海のカラス」の意)や、ラテン語ウルガタ訳では,鵜であることを示すためにメルグルス(「潜る者」)という語が使われています。鵜(Phalacrocorax)はペリカン科の鳥の類縁です。だそう。
    また『古事記』上つ巻「大国主の神が天つ神に葦原中国を譲るとき、祝いの言葉を申し上げた櫛八玉神(饒速日?奇日方?トキジク日記の潜象神?)は、鵜に姿を変え、海の底に潜り、底の赤土を口でくわえてきて、たくさんの平らな皿を作り、海藻の茎を刈って板と杵を作って火を起こしました。宣るに、「私がキリ出した火🔥は、高天原では、神産巣日御祖命(神産巣日神)の宮殿に煤が垂れ下がるまで焚き上がる火であり、云々♪。忌部小人さんと柿本人麻呂さんは、出雲熊野大社の火切り臼火切り杵神事をこの様に官史に残していたのですね。
    鵜(pelican)は鴨(goose) 🦆の意味も含まれるらしいので、まさに鳥さんだらけです。烏にも鴨にも繋がる西方からのユダヤ子孫饒速日🔥と、(北方)大和の東のドラビタ子孫の櫛火🔥方が両方でアマテルクニテル・・・クシタマ・・で大和の大元の始まりである天(海🏖)村雲を讃えている気がしてw、ここは向日葵🌻さんと同感です。何しろ歌の歌詞にも 西も東も分かれぬ娘〜♪ さても優しい巡礼姿〜♪ これって誰のことでしょうか? 村雲のお后の踏鞴五十鈴姫さんでしょうか。それとも饒速日のお后の市杵嶋姫さんでしょうか?
    良い雰囲気ですね。
    物部を大和へ引き入れた八咫烏の太田タネ彦が呼ばれたのが、なぜ金鵄の方ではなく烏だったのか、この辺からも来ている気がします。鳶は海中には潜らないのでしょうw。
    御祭神がぎょうさんの十五柱なのに、十二社と呼ばれる謂れがあるのでしょうね。勤務先の会社のある新宿近くの中央公園にも十二社神社があるので楽しみです。

  • @yoshi-min6875
    @yoshi-min6875 หลายเดือนก่อน +3

    稲光が印象的でした。
    東川(うのかわ)がドンピシャのタイミングでした。
    東とは十二支では「卯(うさぎ)」です。
    「う(ノ)かわ」で「卯川」が隠れていたようです。
    「昴」のようです。(東の太陽で日出る所かもしれませんね)
    伊勢神宮内宮摂社「棒原神社・天須波留女御魂」
    農耕神とも言われているようです。
    農耕神・・味鋤高彦根命(雷神)
    天なるや弟棚機の項がせる玉の御統(みすまる)~~~~
    五百箇御統(いおつみすまる)は昴とも表現されています。
    東の空に昴が出る頃、天の川は北東~南西にかけて出ています。←弟棚機
    倭姫巡行とは違うコースになりますが
    照巣→→→四社神社(宇陀御杖村)→→御杖神社→→棒原神社→→江神社(伊勢市二見町)
    〇四社神社・・酢の香り(Mitsukoさんが以前、照巣で嗅いだ香りはこれでしょうか)
    〇江神社・・祭神・長口女命(天須波留女命の娘)
        ・・「江之姫」と言い、弁才天と同じ神です。←宗像三女神がにおいます。
    私なら東に昇る太陽をめがけてこの一直線コースをたどります。
    倭姫命世記の五十鈴宮編はホツマツタエを参考にして書かれたようです。
    いくつかの時代が折り重なっているようです。
    ちょうどこのタイミングで私が見ているブログで「USA」を掲載されています。
    まだ途中経過でどんな展開になるのかわかりませんがご紹介しておきます。
    「雲は完璧な姿だと思う」
    2024.8.13・8.17「USA」
    皆さん、色々な角度からコメントされていますね。
    とても勉強になります。
    ありがとうございます😄

    • @Himawari-f4l
      @Himawari-f4l 29 วันที่ผ่านมา +3

      YOSHI MIN さま
      東川宮司さまも
      【東=兎】とおっしゃっていました。
      《兎の川》ですね。
      月の兎・日の兎
      日の兎は星なんですね。
      【棒原神社】
      どうして「スギハラ」と
      読めるのか不思議。
      やはり、【棒=鋤】ですかね⁉
      【棒(ぼう)=昴(ぼう)】🌟
      【江神社】の
      長口女命→弁財天
      大歳御祖神
      宇迦之御魂神
      弁財天を市杵島姫とすると、
      全部、徐福関係になりますね。
      内宮→日
      外宮→月
      棒原神社・江神社→星
      3つ揃いましたね。
      倭姫は
      籠神社へよっていないですね。
      籠神社に伝承される
      天照大御神とは
      豊鍬入姫のことですね。
      ひとり二役。☀🌕️
      天照大御神と豊受大神が
      一緒に籠神社に滞在した
      伝承があります。

    • @yoshi-min6875
      @yoshi-min6875 29 วันที่ผ่านมา +3

      @@Himawari-f4l さま
      皆様
      棒・・鋤、あると思います。
      私個人の目印としてのとらえ方になりますが、
      棒(すぎ)・・杉
      もう一つの読み方として「おいはら」と読むそうです。
      お(5)い(2)・・52(反転)
      下宮のせんぐう館入口には豊受大神宮正殿の上に北極星と星々(円になってる)の映像がありました。
      もう、普通に出ているんだと思いました。
      下宮正殿を向くと北極星を拝む形になります。
      月夜見宮がある理由がこれかな?と(外宮が月なら月が二つになっちゃいます)
      倭姫についてはまだまだパーツ集めの段階で時系列がごちゃごちゃです。
      持統天皇時代・垂仁天皇時代・物部一次東征時代・それ以前が混ざっているような感じです。
      イニエ大王が大和に来てないとなると、崇神天皇時代に起こったとされる出来事に違和感を感じます。
      (この時代にオオタタネコが出てくるので)
      ちょっと沼ってます😂
      以前お伝えした外宮内の伊我理・井中神社の大きな女性の顔があると書きました。
      ようやくわかりました。
      倭姫です。瀧原宮の看板にアニメ調の倭姫が描かれています。
      よく似ているでしょ🤭

    • @Himawari-f4l
      @Himawari-f4l 29 วันที่ผ่านมา +3

      @@yoshi-min6875 さま
      【杉】ですか…
      そうかも🦆ですね。
      豊受さんは北極星ですね。
      きっちり、北を拝する位置です。
      月夜見宮は
      1時ぐらいの傾斜です。
      ついでに見ると、
      何と、内宮・月讀宮も
      ピッタリ真北🌟です。
      凄い計算されていますね。
      倭姫宮は若干ずれています。
      月讀宮は
      お社が4つありますが、
      ⽉読宮 ⽉読尊 ①
      ⽉読荒御魂宮 ⽉読尊荒御魂 ②
      伊佐奈岐宮 伊弉諾尊 ③
      伊佐奈弥宮 伊弉冉尊 ④
      境内にある
      【葭原神社(あしはらじんじゃ)】が
      興味深いです。
      佐佐津比古命(ささつひこのみこと)
      宇加乃御玉御祖命
      (うかのみたまのみおやのみこと)
      伊加利比賣命(いかりひめのみこと)
      ウカノミタマは
      海部の宇賀魂で、
      御祖神🌟であり、
      豊受さんになりますが、
      【伊加利比賣】がいらっしゃる。
      とすると、
      佐佐津比古とは
      村雲でしょうか?!
      瀧原宮の姫の絵
      似てますね。(⁠^⁠^⁠)

    • @Himawari-f4l
      @Himawari-f4l 28 วันที่ผ่านมา +3

      ​@@yoshi-min6875さま
      古事記の構図を整理すると、
      天孫降臨から神武東征までは、
      第二次東征→第一次東征
      と時間を遡り、
      第一次東征中に
      村雲の家族が登場します。
      ヤマトで即位してからは、
      村雲の逸話になり、
      第一次東征の
      ヤマト入り以降の逸話は
      (大彦と大田田根子)
      崇神天皇の項に、
      第二次東征の
      ヤマト入り以降の逸話は
      (沙本毘古・沙本毘売と
      田道間守🍊)
      垂仁天皇の項に
      書かれています。
      ちゃんと意識的に
      分けてありますね。
      だから、フトニ王の時代の大彦が
      崇神天皇の御代に登場するのですね。
      ストンと落ちました。
      長髄彦は
      第一次・第二次東征時
      両方いますが、
      この方はどちらも
      神武東征の項になりますね。
      ですので、
      時間がかなり交差していて、
      メビウスの輪のような
      不思議な空間となっています。
      欠史八代の出来事は
      そのほとんどが、
      神武東征までの逸話か、
      崇神・垂仁天皇の項に
      描かれているので、
      あのようにぽかっと空白に
      なっています。
      ここに書かなかったことは、
      吉備の逸話が
      そのままフトニ王の項に、
      大彦の子孫と
      武内宿禰の子孫は
      第8代孝元天皇の項に、
      第9代開化天皇の項には
      日子坐王の子孫が
      無茶苦茶詳しく記されています。
      これらは
      マッチした時代のところへ
      記述してありますね。
      小説家や
      台本作家の視点で
      古事記を見ると、
      すごくきっちり構成されていることが
      分かります。
      これも
      出雲口伝があって
      分かることですが…。

    • @yoshi-min6875
      @yoshi-min6875 28 วันที่ผ่านมา +2

      @@Himawari-f4l さま
      古事記の整理ありがとうございます。
      頑張って落とし込みます。
      内宮も真北ですね。
      天武・持統天皇朝にお社を創建との考え方もありそうですが(道教)
      これは、あくまで私見ですが、
      内宮は南中の太陽ということでしょうか。
      一番高く照らす太陽。
      「高照姫」に繋がってきちゃうんですよね~~。
      ああ、だから葛城御歳神社と内宮が同じ感じがしたんだと合致しました。
      佐佐津比古命、可能性ありでしょうね。
      まだ断言はできませんが、引き出しにいれておいてください😀

  • @yoshi-min6875
    @yoshi-min6875 29 วันที่ผ่านมา +3

    前回のアワヌコさんの動画コメントの吉備の土器について
    ウィキの元伊勢一覧で吉備地方に「伊勢」という対象名が数か所あります。
    吉備だけにしかない「伊勢」の名前。
    豊来入姫の巡幸地なのですが、なんでこんなに飛んだのかな~?と謎なのですが・・
    「吉備」を訴えているような気がしますね。

    • @Himawari-f4l
      @Himawari-f4l 29 วันที่ผ่านมา +3

      YOSHI MIN さま
      東征軍は吉備を通って
      吉備王国を滅ぼしています。
      出雲口伝の記述だと
      豊国軍は
      豊玉姫の療養のために
      宮島におり、
      吉備王国を滅ぼしたのは
      物部勢のようですが、
      豊姫もいたかも知れませんね。
      一緒にか、その後か‥
      どちらにしても、
      ヤマト入りする前の
      通り道だと思います。
      阿蘇(熊本弁)では、
      【結う】を【吉備る】
      と言うようです。
      葛木御歳神社の【新高照丸】🗡️は
      御歳山の砂鉄と
      吉備の鉄で造られるようです。

    • @yoshi-min6875
      @yoshi-min6875 28 วันที่ผ่านมา +3

      @@Himawari-f4l さま
      唐古鍵遺跡から伊勢遺跡(滋賀)と纏向遺跡(奈良)に二手に分かれたと推測していたのですが・・
      吉備の「伊勢」は和歌山の名草という説があるということですが、
      葛城御歳神社さんの吉備鉄も使うということなので
      個人的には吉備も関係あるのだなと。
      御歳神社の新しいご朱印が刀を持つ女性ですが、中心が「赤」ですね。←赤玉持ってますよ。
      思わぬところでつながりました。
      ありがとうございます😄
      あ、うさぎは白地に赤(目)ですね🤗

    • @Himawari-f4l
      @Himawari-f4l 27 วันที่ผ่านมา +3

      ​@@yoshi-min6875さま
      吉備・名草は
      豊姫の東征ルートを
      豊鍬入姫の巡幸に
      入れてあると思います。
      【毛見郷🐰濱宮】です。
      宇佐→安芸→吉備→紀伊→ヤマト
      と通ったと想像しています。

    • @yoshi-min6875
      @yoshi-min6875 26 วันที่ผ่านมา +3

      @@Himawari-f4l さま
      豊鍬入姫の巡幸
      ①笠縫邑(大和)
      ②吉佐宮(丹波)
      ③伊豆加志本宮(初瀬あたり)
      ④奈久佐濱宮(紀国)
      ⑤名方濱宮(吉備)
      ⑥御室嶺上宮(三輪山)
      ④奈久佐濱宮(紀国)が物部一次東征のような気がするんです。
      ①笠縫邑
      ②吉佐宮(0次)
      ③伊豆加志本宮
      ④奈久佐濱宮(1次)
      ⑤名方濱宮(2次)
      ⑥御室嶺上宮
      【毛見郷濱宮】・・出雲伝承によるとイツセの父はヒコナギサタケ
      古事記ではウガヤフキアエズとされていますね。
      イツセの母は玉依姫。
      イツセ・ウマシマジの母もウサ系になるのでしょうか(全くわかりませんが)
      (一番初めにウサの香りを感じたのは濱宮でした。また戻ってきちゃいました😱)
      頭がごちゃごちゃなのでうまく説明ができませんが・・

    • @Himawari-f4l
      @Himawari-f4l 26 วันที่ผ่านมา +3

      ​​​​@@yoshi-min6875さま
      【イツセの母が玉依姫】とは
      神武天皇の母のことですね。
      神話のお話です。
      ウマシマジの母ではないですね。
      この玉依姫は
      タタラ五十鈴姫の母のことです。
      【村雲の義母】
      =【初代天皇の母】
      正史は
      第二次東征から
      時間を遡って表記されているので、
      山幸から海幸へ
      バトンタッチをしています。
      第二次東征→ゼロ次東征
      イツセの父の
      ヒコナギサタケは
      神話でもありますが、
      実際の人間でもあり、
      第一次東征時の人です。
      この場合、神話とは別の人です。
      この【ヒコナギサタケ】が
      神話で
      豊姫の子につけられるのは、
      物部の王子であると
      主張しているように思えます。
      彦火火出見は
      ニギハヤヒ徐福の子ですが、
      神話では
      山幸彦と神武天皇に
      その名がつけられます。
      では、山幸彦の父が
      徐福かといえば、
      時代が違うので、
      現象では違います。
      ですが、徐福の子孫という意味で、
      潜象では筋が通ります。
      神武天皇は何人もいます。
      ★イツセと兄弟の神武天皇
      (ウマシマジ)
      ★彦ナギサタケの父の
      神武天皇(イニエ)
      ★彦ナギサタケと
      兄弟の神武天皇(イクメ)
      母はそれぞれ違います。
      【彦ナギサタケウガヤフキアエズ】
      という名は
      正史が作った名だと思います。
      実際に生きた彦ナギサタケは
      【ウガヤフキアエズ】とは
      言われていなかったと
      思います。
      【ウガヤフキアエズ朝】
      という名で呼ばれるように
      なったのも、
      正史編纂後です。
      徐福族の筑紫と融合した
      縄文時代からの歴史のある豊国を
      そのまま記することができなったので、
      【ウガヤフキアエズ朝】と
      言っていると思います。
      ウガヤフキアエズの妃が
      玉依姫と正史に記されたので、
      歴代のウガヤフキアエズの妃も
      玉依姫となったと思います。
      役職名です。
      玉依姫は宇佐だけでなく、
      どの地方にもいたと思います。
      【巫女】という意味です。
      時代をクルクル回りながら、
      行ったり来たりして
      伝承が創られていきます。
      答えは幾重にも重なっており、
      どこから何を見るか…です。
      物部と宇佐は
      徐福以来ずっと、
      ウケヒを重ねているので、
      イツセもウマシマジも
      当然、宇佐の血筋であり、
      宇佐と物部は最初から
      表裏一体です。

  • @石井健次-h1n
    @石井健次-h1n 28 วันที่ผ่านมา +1

    川上村⁇? 信州の川上村ですか⁇?

    • @yoshi-min6875
      @yoshi-min6875 28 วันที่ผ่านมา

      健次さま
      奈良県吉野郡 川上村東川です

    • @石井健次-h1n
      @石井健次-h1n 28 วันที่ผ่านมา

      @@yoshi-min6875 奈良にも有るんですね川上村が、了解です。有り難うございます。