(第335話)【菟田という場所とお能と阿紀神社】ELCAFLORA Mitsukoのトキジク日記

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  • เผยแพร่เมื่อ 15 ก.ย. 2024
  • 宇佐家伝承を今中休みしております。
    前回訪れた宇陀市阿紀神社でのお能と、阿紀神社能舞台、そして菟田松山城(秋山城)にまつわる個人的なお話です(^^)
    初めて観た幽玄なお能の世界。
    なんだろ、、これは。
    そう感じたことをなんともタイムリーに別チャンネルさま(トゥーランド さん)で解説して下さったのには驚きました!
    あの、虚を見据える視線は明後日を観る。
    その先から自分を観る。
    まさに!
    鏡板の松を背に、まるで天中から吊り下げられ、自分の軸を地に繋ぎ降ろす。
    まさに!  でした。
    三山 みつやま
    というお能を観せていただきました。
    大和三山のあの三つ山の、天智天皇の歌で知られる香久山、耳成、畝傍の妻争いの話です。
    観ているうちに、これも何やら別のストーリーを三山で表している暗喩なのか。。
    お能の深さにハマりそうです♪
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ความคิดเห็น • 55

  • @girasole4172
    @girasole4172 3 หลายเดือนก่อน +4

    Mitsuko さん
    いつもありがとうございます♪
    宇陀周辺のシリーズで、
    Mitsuko さんの視界に
    いつも美しい伊那佐山が
    映っていたことが
    驚きと高揚とともに
    伝わってきていました。
    西洋では、
    教会を中心に町が広がり、
    どこからでも眺められる鐘楼が
    シンボルのように
    そびえたっていますが、
    伊那佐山に同じものを感じました。
    これは、
    文献や地図を眺めていただけでは
    分からないことです。
    現地に立ってみて、
    その空間に身を置いて、
    実感できることなのです。
    Mitsuko さんの伝えてくださることや、
    みなさまのコメントが
    わたしの世界を飛躍的に
    広げてくれます。
    いつもありがとうございます。❣️

    • @girasole4172
      @girasole4172 3 หลายเดือนก่อน +3

      最初、伊那佐山と聞いたとき、
      国譲りの逸話から
      とられた名だと思いました。
      ですが、何度もこの辺りを
      見せていただいているうちに、
      縄文時代からこの山を中心に
      集落が造られていただろうと
      思うようになりました。
      特に、八咫烏神社と伊那佐山は
      セットであるように観えます。
      【八咫烏神社】と言う名は、
      あとからお社が出来てから
      乗せられたお名前と感じますが、
      社ができる遥か以前から、
      ここでは太陽の祭祀が
      行われていただろうと確信しました。
      何故って、
      伊那佐山が真東に位置するからです。
      春分秋分の日には、
      ここで祭りが行われただろうと。
      現在でも、
      境内から鳥居を見ると、
      絵画のフレームのように
      丁度中央に
      伊那佐山がすっぽり入ります。
      縄文のころからのこの聖地に、
      寄り添って来た多くの御魂が、
      正史にも反映されて行ったように
      感じます。
      正史には宇陀の表記が
      とても多いですね。

  • @tokoko-dp4li
    @tokoko-dp4li หลายเดือนก่อน

    またまた、興味津々な話題を…。
    すみません。書いちゃいます。
    大和三山(畝傍山をめぐる香具山と耳成山)の争いの話を解説してる方の動画を見たのですが、
    ●耳成山:耳梨村の倭系。天日別命(天日鷲命)。倭文部。椎根津彦・隼人。大物主、大国玉、大神神社。
    (多氏・伊勢津彦が、倭氏・天日鷲命と出会って度会氏に?)
    ●香具山:磯城系。和邇氏。但馬、紀国、尾張。熊野。
    ●畝傍山:葛城系。高尾治。神沼河耳尊(綏靖天皇)。媛蹈鞴五十鈴媛。
    という感じの人たちが住んでいたらしいです。
    ●天火明命(ニギハヤヒ)ー天香具山命ー高倉下(妻:久米の娘)ー天村雲命(射立神・神武天皇)ー天忍人命…。
    という系図もある。
    お能では、耳成山は桂子・鏡池・天神山(梅)、畝傍山は桜子。
    磐長姫と木花咲耶姫みたいですね。
    ホツマツタヱでは、ソサノヲに斬られた八岐のオロチ(ハヤコ)の転生が、天津真浦の娘、磐長姫となったとされています。
    ハヤコは天照の北局の内侍で、宗方三女神を生んだとされています。ハヤコとは隼人の姫のことでしょうね。
    耳成山は耳梨山で、水無神社や田無神社の梨でもある。
    梨というと、積羽八重事代主神と玉櫛姫命(三島溝咋の娘)の子であり、天日方奇日方命(ワニヒコ)の弟、蹈鞴五十鈴媛の兄である櫛梨(ナカヒコ)。
    中山道、金山彦、水無神社、美濃の瓜生姫ナカコ。
    出雲族と出会って、瓜が梨になったらしい。
    秋の女神は竜田姫、春の女神は佐保姫。
    秋はアグで「火」かと思ってたのですが、暁という意味もあるようです。
    暁の女神はエオス(オーロラ)とか。
    桜はサカ族(釈迦・幸)、仏主。

  • @kazu-358
    @kazu-358 2 หลายเดือนก่อน +3

    耳成山は天神さんなのですね。
    耳成山口神社
    ご祭神、高皇産例大神、大山祇大神
    大山祇大神の娘は岩長比売命、木花咲耶姫命。ホツマツタヱで、大山祇はサクラウチという名前だとか。
    同境内には金刀比羅神社・稲荷神社・白龍大神も祀られている。
    桜か葛かどっち?って感じなのですが😅宇佐の月信仰からの桂児なのでしょうか(月にはえている不老不死の桂)。
    万葉歌の「櫻兒伝説」の、櫻兒の墓と伝わる「娘子塚(をとめづか)」が大窪村(今の大久保町)にあるようです。畝傍山に存在した「洞村(ほらむら)」から移転した町で、「丸山宮跡」を明治の移転まで代々守ってきた村だとか。
    桂児と櫻児の伝説は、モテすぎて自タヒするバージョンもあるんですよね🙄喧嘩をやめて~ってやつです。
    方形の古墳であると記される娘子塚は、 以前、小丘の上に一本の松の木が残っていたが、現在はミカンの木が植えられている。また、かつて娘子塚を挟んで西にはコガネ塚、東にはスクネ塚 という塚があり、櫻子を愛した二人の壮士の墓だとも云われているが実態は不明とのこと。
    中大兄皇子は、昔から畝傍山を巡り、耳成山と香久山が争ったと歌ってます。
    でも神武東征時、香久山が要のようなのですよね。山頂に国常立尊を祀り、ホツマツタヱでは、香久山は富士山を型どった山で、カグヤマ宮があったとか。カグヤマ親王クシタマホノアカリの後継ニギハヤヒ。
    東征の時、香久山の土を取って祭器を作り、喜んだ神武天皇はうた(宇陀?)に、天照大神と豊受大神の神霊を遷したとか(照巣でしょうか?)
    香久山は橘山(トキジクのカグのみのカグ山)=富士(不死)の山、で、古代朝廷の祭祀が行われていたとか。ハハカの木が今でもありますね。
    ホツマツタヱについて読んだ事がないので、間違えてたらごめんなさいです。でも「畝傍山」は、天香久山の畝がここまで尾を引いていた事が名前の由来という説があったり。
    ちなみに畝傍山の畝火山口坐神社は大山祇命と豊受日売。そして、東大谷日女神社は媛蹈鞴五十鈴媛命が祀られています。
    2人の姫様は何を語るのでしょう。神様としては色んな投影があるかと。歴史を語るなら、本丸はあるかもしれませんね。

    • @kazu-358
      @kazu-358 2 หลายเดือนก่อน +3

      似た話に、千葉に、真門の手児名という話も残っていて、モテモテバージョンを「妻争い伝説」というらしいです。
      兵庫県の芦屋に残る妻争い伝説は
      菟原処女(うないおとめ)という娘がいて、同じ里の菟原壮士(うないおとこ)と、和泉国から来た茅渟壮士(ちぬおとこ)という男性が彼女を愛し争った。娘は卑しい自分のために立派な男たちが争うのを見て嘆き悲しみ、黄泉で待ちますと命を絶っ
      た。茅渟壮士はその夜、夢を見て彼女が愛していたのは自分だと知り、後を追った。菟原壮士も負けるものかと小太刀をとって後を追った。その後、親族たちは集まって、このことを長く語り継ごうと、娘の墓を中央に男の墓を両側に作ったとか。
      菟原処女を元に、万葉集や戯曲、近代の作家までが作品に展開させていてますが、これってかぐや姫伝説の元ネタですよね?
      中国の神仙説話に、桂児ならぬ「桂男」という話があるそうです。
      男の妻が不義をし、男はその相手をあやめてしまうが、相手は時の帝の孫であった。
      帝は男を神の力で月に流し、そこに生える桂の樹を伐り取るまで帰れない罰を与える。しかし神の樹は不死の木で、男は永遠に月で作業をし続けている。
      妻の不義で生まれた3人の子は、「ウサギ」「ヒキガエル」「ヘビ」になった🐰🐸🐍

    • @kazu-358
      @kazu-358 2 หลายเดือนก่อน +3

      観光パンフ?「大阪あそ歩」より
      阪神本線「姫島」はかつて稗島(へじま)と発音された事もある。天日鉾から逃げたアカルヒメが、大分県姫島経由で難波に来た事が由来。
      「摂津風土記逸文」に、軽島豊阿岐羅かるしまのとよあきら宮(明宮とも)の、応仁天皇の世に、新羅の女が夫から逃げ、筑紫の伊波比に住んだが、夫がやって来たので難波に逃れた。日本書紀に、安閑天皇の頃、姫島は新砂の松原で、牛の放牧をしたと記される。
      🐮👸
      神名の「阿加流」は「明る」で「比売」への美称だそうです。阿紀神社の語源はこっちでしょうか?

    • @kazu-358
      @kazu-358 2 หลายเดือนก่อน +3

      天日鉾さんとツヌガアラシトさんは違う時代の人なのかな?と。妻となる女性が、赤玉と白玉で違う。
      皇位継承しなかった新羅の王子を受け入れた倭人は、越とか、九州のウサの人々とか、四国とか難波の三島さんとか、出雲王家とも和合していた縄文の人々で、「オチ(オロチ?)」とか「トヨ」とか「ムナカタ」になった。
      大分の姫島界隈の一族の女性と結婚した男性は、白玉(乳白色の黒曜石)の採掘で潤った。
      別の新羅の王子は、赤玉が何かわからないのですが、水銀朱とか、黄金の国ジパングの金とか?を採掘する倭人と結婚したのかも。日光で妊娠する話が賀茂と共通するので、太陽信仰の事かもしれません。
      赤玉姫も白玉姫も半島出身のような話になったのは、財産請求権が正統なものであるとの印象操作か、
      それとも主張か(部下だった人物が新羅王になった云々)。神功皇后は、母方は日鉾さんと但馬の倭人女性との子孫ですが、父方は倭人の息長氏なのですよね?息長氏も、既に和合した氏族だったかもですが、受け入れた側でしょう。しかも何代か前の相続権なのですよね🙄
      アカルヒメが難波に落ち着いたのは、新羅の王子が三島のお姫様と和合した事か?後にその地に渡来した機織女の神格化と合体して、織姫伝説として広まった。
      かもなあ…というザックリした想像です😆伝承本と違ってたら教えて下さいね。
      大阪の池田も織姫色が強いですね。池田最古の神社とされる伊居太神社は、池田の名前の由来らしいですが、本殿が全国唯一の千鳥唐破風寄棟造りの三社造だそうです。
      穴織姫はあや織り、漢織りからでしょうね。綾織とも関係あるかも。

    • @girasole4172
      @girasole4172 2 หลายเดือนก่อน +3

      ​@@kazu-358さま
      伝承本には
      都怒我阿羅斯等のことは
      表記がないのですね。
      ヒボコについては
      事細かく記されており、
      子孫の方も実際に
      墓を護っておられますので、
      実在した人物であろうと思います。
      半島からやって来た人は
      時代を問わず
      凄く沢山いたと思うのですね。
      その象徴的名が
      【都怒我阿羅斯等】
      (ツノがある人)として
      お祀りされていったのかな…
      とも思います。
      半島からやって来た人の中で、
      最も重要な家系となっていったのが、
      ヒボコ家だと言うことで、
      それは神功皇后が出たせいですが、
      他の半島系の伝承も
      ヒボコの伝承と重ねて
      正史に記されたのかも
      知れません。
      みなさまが沢山
      調べてくださったお陰で、
      アカルヒメが何故、
      難波に着いたのか
      腑に落ちました。
      神功皇后の凱旋であり、
      河内王朝の拠点となったからです。
      【天之日矛】って、
      半島から来たわりには
      無茶苦茶、日本的名だな‥
      と不思議だったのです。
      日本神話の一部ですね。☀
      神功皇后の父方は
      彦坐王から出ている
      磯城王朝の系統の息長氏です。
      彦坐王
       Ι
      山代之大筒木真若王
       Ι
      迦邇米雷王
       Ι
      息長宿禰
       Ι
      息長帯比売命

    • @kazu-358
      @kazu-358 2 หลายเดือนก่อน +2

      @@girasole4172 さま
      皆様
      では、日鉾さんより早く日本に来た体のアカルヒメ伝承地も、神功皇后の足取りありきなのですね。アカルヒメを祭る古い神社も、応仁天皇あたりに出来てるのですものね。納得です。
      息長氏が磯城王朝の系統というのは、以前に教えて下さいましたよね。すっかり忘れてました。ごめんなさい💦
      息長水依比賣も父は天之御影神の六世孫の国忍富命ですものね。
      なぜか、息長氏は沖縄辺りがルーツと思ってしまう私です。翁長知事や、おきなわ、の音がおきながと似てるので😅

  • @yoshi-min6875
    @yoshi-min6875 3 หลายเดือนก่อน +3

    今回のお話でパチパチとワードがハマっていきました。
    流れでしか書けません😅事実とは異なると思います。ベンチマーク程度です。
    威徳天神社(宇陀市大宇陀麻生田331)←伊那佐山・八咫烏神社・威徳天神社と横並びです
    吉野山金峯山寺横にある「威徳天満神社」
    祭神は菅原道真公ですが、お社を見ると朱塗りで豪華です(あやしいなあ)
    い(5)と(17)く(8)=30 この「30」の意味を模索していました。
    30番目は「ヒ」
    今回のお能は「30回目」←ここにバチンとハマりました。
    平成復活・平安時代・・「平」です。
    「能」は「ヒ・ヒ」「月」・・・日が2つはおかしいと納得がいっていませんでした。
    「明後日」・・・月の日と太陽の日だったんですね。
    月の日は元は太陽の日なので「能」の右側に並べてあるんですね(これで納得できました)
    「月の光(明)」の後ろには「太陽の光(日)」がある
    かしわできんなり・・・膳臣・金(金山彦が臭います)←吉野山
    桂子(か)・桜子(か)が太陽へ・・日抱神事
    かか→かに(蟹)→KANI→KIN(金)/INKA(インカ)
    (吉野山へ行ったときに小さな蟹の焼き物(置物)を買っています🤭)
    阿紀神社・・開き (目の前に天香久山天益寺がありますね)
    平を分解すると八十一・・・81(ひかり)
    平成・平安で2つの81
    安・・うかんむりの女・・・安寧??
    イナンナ(星のメラム)のお洋服、絵は洋なのに和(風)に仕上がってるのに驚きました(私の感覚です)
    後ろのお洋服の緑が「鏡板の松」に見えてしまします。
    緑の反対色が赤・・Mitsukoさんが着ているマゼンダに近いモノがあり、ちゃんと2枚作っていらっしゃる☺
    それを阿紀神社のお能に着ていくなんて・・
    潜象の流れを見せて頂いてる。と思いました。
    緑色のお洋服は威徳天満宮の色でもあるようです。
    北斗七星はひしゃくでもあるので、ひしゃくですくい取った水の中の世界を覗き見しているようですね。
    Mitsukoさんの語り口調でとてもそう感じられました。
    愉しいお話をありがとうございました。

  • @girasole4172
    @girasole4172 3 หลายเดือนก่อน +2

    螢能‥✨
    観てみたいですね。
    子どものころから、
    伝統文化に触れられるのは
    幸せですね。
    Tolando さんでのお話のように、
    今ではすっかり失われてしまった
    日本人の生活様式だからこそ、
    茂山さんらが伝えてゆく意味は
    大きいと思います。
    【あきの螢能】の説明を読んで、
    気になることがあります。
    春の桜児(さくらこ)
    秋の縵児(かづらこ)
    とあるんですね。
    【阿紀の葛児】と
    読めませんか?!
    葛・国栖・九頭の民です。
    そして、縵児(かづらこ)は
    桜子に【後妻(うわなり)うち】を
    するのです。
    桜子の方が
    美しいだけでなく
    若かったように観えます。
    磐長姫と木花咲耶姫ですね。
    磐座の民(縄文)と
    稲作の民(弥生🌸)
    とも言えそうです。
    神武東征で宇陀を通りますが、
    そこでこんな歌が
    歌われるのです。
    宇陀の高城に
    鴫罠(しぎわな)張る
    我が待つや鴫は
    障(さや)らず
    いすくはしくじら障る
    前妻(こなみ)が肴乞(なこ)はさば
    立柧棱(たちそば)の
    實(み)の無けくを
    こきしひゑね
    後妻(うわなり)が肴乞はさば
    柃(いちさかき)實の多けくを
    こきだひゑね
    ええしやごしや
    此は伊能碁布曾(いのごふそ)
    ああしやごしや
    此は嘲咲(あざわら)ふぞ
    この前妻が縵児(かづらこ)で、
    後妻が桜子にも観えます。
    歌うのは神武天皇
    酷い歌だよな〜と思っていたのですが、
    記されるには
    何か意味があったに違いないのです。
    鴫とは磯城王朝は分かるのですが、
    【くじら】とは⁈
    【兄宇迦斯・弟宇迦斯】は
    この地を通ったとき、
    逆らった人と恭順した人を
    意味するであろうと思います。
    弟宇迦斯には菟田邑が与えられ、
    菟田県主となります。
    【兄磯城・弟磯城】と
    同じパターンですね。
    常に若い方が優遇される…
    新しい時代に入ったということか。
    【畝傍の白橿原宮】が
    東征して来た神武天皇の
    新しい宮だとしたら、
    【畝傍山に住む桜児】は、
    木花咲耶姫が生んだ
    彦火火出見🔥の子孫を
    表しているようにも感じます。
    【耳成山に住む縵児】は
    【三島溝咋耳の生んだ先妻】
    つまり、磯城王朝とも
    捉えられます。
    間に立つ【香具山の膳金也】
    膳部は大彦の子孫でありながら、
    物部と融合していった人たちです。
    縵児も桜児も
    最後は朝日の光の中に
    消えてゆきます。
    生きるということは
    泡沫の夢なのかも知れません。
    神武東征には
    沢山の歌が綴られています。
    このあと、久米歌が続きますが、
    まだまだ解読不明です。
    でも、
    【久米】の枕詞が
    【みつみつし】とは笑えます。😆
    あきの螢能保存会の会長さん
    【太田三千男】さんも
    なかなかうけます。😂

    • @girasole4172
      @girasole4172 3 หลายเดือนก่อน +3

      高山波 雲根火雄男志等 耳梨與
      相諍競伎 神代従
      如此尓有良之 古昔母
      然尓有許曽 虚蝉毛
      嬬乎 相挌良思吉
            中大兄皇子
      香具山は 畝火(うねび)雄々(をを)しと
      耳成(みみなし)と
      相(あひ)争ひき 神代より
      かくにあるらし 古(いにしえ)も
      しかにあれこそ うつせみも
      妻を争ふらしき
      〜🐦〜🐦〜🐦〜🐦〜
      これ…原文
      凄くないですか?!
      香具山→【高山】
      畝傍→【雲根火】
          そして雄男しいという。
      キャラクターが違いませんか?!
      (⁠(⁠(⁠;⁠ꏿ⁠_⁠ꏿ⁠;⁠)⁠)⁠)

    • @nihontaro9
      @nihontaro9 3 หลายเดือนก่อน +3

      向日葵🌻様、
      神武さん、多分村雲さんではなくイクメさんに畝傍山の神様が変えられていたので、推古さんの女神復活だったのかもしれないと思いました。

    • @girasole4172
      @girasole4172 3 หลายเดือนก่อน +3

      ​@@nihontaro9さま
      一人のキャラクターに
      何人もの人が
      かぶさってゆく様子は、
      何種類もの解釈が可能で、
      その観える世界が増えるほど、
      味わいも深くなってゆくように
      感じます。
      これが正しい
      あれが間違い
      の世界観では味わえない
      奥深い色合いですね。
      【縵児(かづらこ)】の《縵》
      田道間守が持って来た
      非時香菓🍊の《縵八縵・矛八矛》
      と同じ字です。
      【縵】
      音 マン・バン
      訓 ゆるやか
      意味
      ①無地の絹。🟨むじぎぬ。
      ②ゆるい。ゆるやか。
      ③つれびき。合奏する。
      最後は桜児と
      つれびきをして
      美しい調べを奏でていたかも
      知れません。

    • @nihontaro9
      @nihontaro9 2 หลายเดือนก่อน +3

      @@girasole4172🌻様
      かずら なのですね。
      いつもありがとうございます。
      いとへんに曼、の字が出て来ない~W

    • @girasole4172
      @girasole4172 2 หลายเดือนก่อน +3

      @@nihontaro9 さま
      【糸曼】で検索すると
      出て来ます。
      当用漢字にないものだったり、
      日本語にはない文字も
      探し出せる環境になりましたね。
      凄いです。
      【八幡と八縵】が繋がるなんて、
      出雲口伝とコンピューターの
      賜物ですね。
      【橘】って、
      【田道花】ってお説も
      あるようです。
      橘は既に
      田道間守の時代には
      日本で生息していたと思われます。
      【幡】をもらって来たと書けないので、
      【橘】にしたのですね。

  • @nihontaro9
    @nihontaro9 3 หลายเดือนก่อน +2

    畝傍山、、、ですよねえ。
    耳成山が天神なら、益々難しいですねえ💦。
    でも、なんで推古女帝、豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめのみこと)は、サイノカミ信仰復活⁉︎のシンボルの陰陽石🪨として、石の宝殿と益田岩船を畝傍山に運ぼうとしたのか?何か理由があるはずなんですけど、、、
    ウィキでは明治に入ってから、国は神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされる畝傍山の麓に橿原神宮を興し、それまで多武峰で奉斎してきた神武天皇の「御霊」を移したとされる。
    当時は蘇我氏と物部氏の宗教闘争というか権力争いが熾烈な時代だったらしいので、単純に初代天皇を復活させたかった原点回帰だったのかも。うーん🤔むずいですね。
    お能の話で、耳成山桂子の鏡池🪞💦に畝傍山桜🌸子は、火山の火🔥、磐長姫と阿多津姫👸木花咲耶姫の姉妹喧嘩、そうすると、香具山は邇邇芸さん?
    うわなり打ちの神事からすると、失礼ながら耳成山は先妻の水💦の出雲系磯城王家で、畝傍山は後妻の火🔥の物部王家で、その仲を取り持って繋いだのは海部家香具山さんと村雲さん親子という象徴でしょうか。でも二人とも既に山の名前になってるし💦むず
    ということで、結局根拠は特にない勘だけなのですが、サイノカミ三神につながるような気がします。天香具山さんと天村雲さんの耳成山を繋いだとすると、畝傍山はたぶん幸姫佐毘売大神の気がします。幸姫は、東出雲王家富家の宮殿が物部秋上家に接収された後に、現在の神魂神社として神社になる際に、元の神の名前を使うのは好まなかった。佐毘売大神をイザナミノ尊と変えた。とあった気がするのと、伝承ではないですが、確か別名は菊理姫という説もあるようです。
    いずれにせよ、サイノカミ信仰の復活^^にはピッタリな女神様👸の山⛰だったのではないでしょうか笑

    • @yoshi-min6875
      @yoshi-min6875 3 หลายเดือนก่อน +3

      nihontaro9さま
      今年初めて、電車で畝傍山へ行った時に気づいたのですが、
      畝傍御陵駅前から畝傍山(西になります)を見ると三角の神奈備山に見えます(驚きました)
      少しポイントがズレると見えません。
      推古天皇は四天王寺に西向きの鳥居を建てていますね。西日でしたっけ?
      そちらが関係するのかな?と。
      現在浮かび上がっているのは、畝傍山に「丸山宮跡」があります←これが富雄丸山を臭わせています。
      畝傍山御陵が未来の軸だと思っています(北極星)
      ここに座る神武天皇とは・・・・10年程前から探索中です。
      それには豊玉姫の赤玉白玉が絡んでいます。
      まだまだ謎だらけです😂
      追伸
      藤原京跡の南西にある「飛驒町交差点」から綺麗な畝傍山が見えます。
      藤原京時代は裏鬼門対応に畝傍山が使われていたのかもしれませんね。

    • @yoshi-min6875
      @yoshi-min6875 3 หลายเดือนก่อน +3

      nihontaro9さま
      「国は神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされる畝傍山の麓に橿原神宮を興し、それまで多武峰で奉斎してきた神武天皇の「御霊」を移したとされる」
      見つかりました。有り難うございます。
      多武峰に「威徳院」がありました(大石ヶ峰ー照巣ライン上にあります)
      ここから畝傍山はよく見えるようです。
      畝傍山に「イトクの森古墳」があります。
      出雲伝承家系図・ウィキを参考にするなら、懿徳天皇は第4代目天皇
      ここでようやくクシヒカタ・アジスキタカヒコネの血が入った大王(孫・ひ孫)誕生ということになります。
      多武峯で奉斎してきた神武天皇の「御霊」・・・おそらく「タタ」の御霊です。
      神武の「神」とは「タタ」
      螢・・・火が2つに虫(虫は姫と変換できます)
      談・・・火が2つに言(言・事代主??)
      武・・・戈を止める(どなたかの記事に載っていました)
      多武峰・談山=八千矛・八重波津身
      螢=蛍・・・火と氵(水)
      notoおやっとさあ日記6月15日付
      ヒメタタライスズヒメご登場です(やっとです)
      うさ耳なんです(目立たないように寝かせてあるのか・・・笑)
      ホツマツタエではイスズヒメは「国の色」と形容されていたんですね(気づかなかった)
      「国の色」・・・現在では日の丸・・「赤と白」です。
      1つ前進です😄

    • @nihontaro9
      @nihontaro9 3 หลายเดือนก่อน +1

      @@yoshi-min6875 様、
      なるほど、4代目からだったのですね。とすると、2代目神渟名川耳沼綏靖天皇さんと、3代目磯城津彦玉手看安寧天皇さんは、お后は事代主系だけど、父上は村雲さんということで、クシヒカタ・アジスキタカヒコネの血ではなかった。ということなのですね。notoおやっとさあ日記さん、面白いです!😆
      でも、おやっとさあ て何?
      香川県の方言?

    • @girasole4172
      @girasole4172 3 หลายเดือนก่อน +1

      ​​@@yoshi-min6875さま
      nihontaro さま
      第4代懿徳天皇の妃
      【賦登麻和訶比売命】
      (ふとまわかひめのみこと)って、
      【己等乃麻知比売命】っぽく
      ないですか?!
      御子にタギシヒコがいます。
      【フトマニ】の女神って
      感じがするのです。
      で、その御父が
      【太真稚彦】(ふとまわかひこ)
      ですよ。
      ふとま・ワカヒメ
      ふとま・ワカヒコ
      櫛・真知・太占
      同じ香りですね。
      師木県主の祖です。
      もう一人の
      ワカヒコとワカヒメ…

    • @yoshi-min6875
      @yoshi-min6875 2 หลายเดือนก่อน +3

      @@girasole4172 さま
      皆さま
      懿徳天皇とアジさんと同時進行になっているんですよね~🤔
      ちょっとアジさん、アカルヒメを回ってきました(行きたい場所マークをやっと)
      放出公園・西放出公園←おそらく対
      阿遅速雄神社行宮
      八劔神社
      姫嶋神社(やりなおし神社)
      阿遅速雄神社←最初にいくはずがコロッと忘れて又戻って行くという(とほほ)
      今日、目に止まったモノをサラッと書いておきます(考察の材料になれば・・)
      阿遅速雄神社行宮ではアジさん、「浦明神」「八劔大明神」と記載あり。・・和歌山県の浦神??
      八劔神社の脇に3組(6体)の狛犬像があり「松」を挟んでいます(グーグルマップはらたろうさん写真)
      摂社 野神社も、お社の後ろに「松」がドン!参道横にも松がずらずら
      姫嶋神社は帆立絵馬(白)&断ち玉(赤)があり
      神武天皇遥拝所にある石の碑の穴に赤玉を通すようです。
      帆立・・って、誕生のヴィーナスを彷彿させます。
      姫島公園と一体化すると♀のマークができています。
      先を三角に見立てると♂にも見えないことはない。
      陰陽和合が根底にあるんじゃないか・・・と。
      ほたて
      ほたる 火火田田照・・・タカテルヒメ??
      こちらの神社には2つの稲荷があります。楠木社・玉榮稲荷神社(火火)
      やりなおし・・もう一つの意味「槍(矛・剣)直し」 
      大阪ではタンスに「仕舞う」を「直す」と表現します。
      憶測はドンドン広がりますね。
      大本出版 五条桐彦著「人麻呂古事記と安万侶書記」買っちゃいました☺
      人麻呂・安万侶の切なさがヒシヒシと伝わってきます。
      人麻呂は古事記に矛盾を書き残すことで後生に真実を見抜くヒントを散りばめているようです。
      見抜いてくれ・・・・と後生に託しています。
      という風にこの本からは感じられました🙂
      「おやっとさあ」は鹿児島の方言らしいです(ご苦労様とかお疲れ様とか)
      追伸、八劔神社は「鴫野」です😄

  • @kazu-358
    @kazu-358 3 หลายเดือนก่อน +3

    能を領民と共に楽しもうとは愉快な殿様ですね。為政者の心意気いかんで、人々の暮らしぶりも違ったでしょうから
    放たれた蛍は、近くの川で生息するのでしょうか。子供の頃は毎年、蛍を見るのが当たり前でした。今思えば、いい環境だったんだなあ…と。
    コトノマツヒメの名前の系図が、他の事を検索してたのに今頃出てきました。系図がわかる方の御参考まで
    女神物語
    天石門別6 天石門別命・天背男命の謎(続)
    という方のサイトより
    「斎部宿禰本系帳」によれば天背男命は八倉比賣命に妻問いして、豪華絢爛たる子神達を生みました。
    天背男命の長女・許登能麻遅命は興台産霊命妃となり、天児屋根命の母となります。
    天児屋根命は叔母(許登能麻遅命の末妹)・天萬栲幡千幡比賣命と御合いして天忍雲根命・丹寫日女命の二子を得ます。
    これが「斎部宿禰本系帳」に見る「大中臣朝臣(天児屋根命系)の起源」です。
    この後、系図の比較が続いてましたが、系図は苦手なのでここまで😅

    • @girasole4172
      @girasole4172 3 หลายเดือนก่อน +3

      Kazu さん
      ありがとうございます♪
      前回動画に書いたのですが、
      何だか続いてゆきそうなので、
      こちらにも貼っておきますね。
      ​ @kazu-358 さま
      天押雲根命ですね。
      了解です。
      父は天児屋根命は有名ですが、
      母は栲幡千千姫でしたね。
      すっかり忘れていました。
      系図、ありがとうございます。
      以前、見たときは、
      なんとも不自然な
      栲幡千千姫でしたが、
      今見ると、
      何故だか納得できますね。
      織姫から生まれる叢雲です。
      とすると、
      【天美津玉照比売命】
      (あめのみつたまてるひめ)とは
      もう一人の織姫ですね。
      春日大社の【比売神】です。
      高照・下照・玉照
      天照・国照・櫛玉
      〜✨〜✨〜✨〜✨
      TOLAND さんのお能で、
      【春日若宮おん祭】が
      出ているんですよ。
      【影向の松】です。
      【宇陀松山藩織田家】って、
      出来すぎですね。
      そう言えば、
      今日は率川神社の
      【三枝祭】ですね。❣️

    • @girasole4172
      @girasole4172 3 หลายเดือนก่อน +3

      Kazu さん
      あ〜あ〜あ〜
      やっぱり…
      天押雲根命
      天忍雲根命
      天忍熊根命←もあるようです。
      【忍熊王】は村雲ですね。
      だとしたら、
      【香坂王】は香語山でしょう。
      カグサカ→【香日下】とも言えます。
      日下部は狭穂彦の子孫です。
      仲哀天皇の御子たちとされていますが、
      どれも磯城王朝の暗示です。
      神功皇后がヤマトへ凱旋するとき、
      わたし的には
      第三次東征と思っていますが、
      ヤマトに残っていた
      磯城王朝の子孫たちと、
      小さいながらもいざこざが
      あったのではないかと思います。
      迎え撃つ磯城王朝の大将は
      和邇氏の祖
      【難波根子武振熊】
      (なにわのねこたけふるくま)
      《根子》ですからね、
      大王なんですよ、この方。
      どこの大王かと謎でしたが、
      物部王朝が出ていったときの
      ヤマトの大王です。
      《和邇氏の祖》ですしね。
      そして、正史では、
      【香坂王・忍熊王】を撃つ将軍こそ、
      【難波根子武振熊命】なんですね。
      いつのものマッチポンプです。
      合図でしょう。
      そして、負けた磯城王朝の大王は、
      海部氏の姓を賜ったのです。
      全部、つながりました。
      ありがとうございます。❣️

    • @girasole4172
      @girasole4172 3 หลายเดือนก่อน +3

      Kazu さん
      【五十狭茅宿禰】
      (いさちのすくね)とは、
      古墳時代の豪族。
      『日本書紀』神功皇后摂政紀では
      五十狭茅宿禰、
      『国造本紀』では伊狭知直、
      『古事記』では伊佐比宿禰と表記される。
      正史における
      【香坂王・押熊王】側の
      将軍の名です。
      難波吉師氏の祖と言われ、
      渡来系と書かれていましたが、
      ウイキで【吉士氏】調べると、
      色々あるようです。
      渡来系氏族が多く、
      難波周辺を本拠としていた。
      この姓を持つ氏族としては
      1・大彦命を祖とする[注釈 1]。
      のちの難波吉士で、
      この一族に
      難波日鷹吉士(なにわのひたかのきし)
      大草香吉士(おおくさかのきし)がある。
      2・中国周人を祖先にもつ
      百済の努理使主(ぬり の おみ)を
      祖とする[2]。
      のちの調吉士(つきのきし)[3]
      3・新羅王子天日槍
      (あめ の ひぼこ)を祖とする。
      のちの三宅吉士(みやけのきし)
      神功皇后勢と戦ったのは、
      【五十狭茅宿禰】
      (いさちのすくね)と表記されるので、
      【五十】がつくのも大王級です。
      少なくとも皇族。
      五十猛・五十鈴姫だけでなく、
      崇神・垂仁天皇の名にも
      【五十】がつきます。
      とすると、この将軍は、
      1の大彦の子孫であった可能性が
      高いですね。
      戦いの舞台は
      【難波】だったのでしょう。
      アカルヒメ神功皇后が
      難波入りする様子が
      浮かんで来ます。
      難波歩き…😆

    • @kazu-358
      @kazu-358 3 หลายเดือนก่อน +3

      @@girasole4172 さま
      皆様
      なるほど、ヤマトで迎え撃つ側が「熊」って、突っ込み所だったんですよね。熊は雲!
      許登能麻遅(まち→まつ)命は天道比女=高照姫ですよね。
      「松」は、大日霊命から村雲さんへ続く天の道なのかも。
      「能」が入ってますね。おまけに「遅」「許」です😲
      オホ松は神の蚕(児)を産んだ。
      Nihontaroさん、天児屋根さんは、櫛真智命ですね。クシは父から、マチは母から。
      櫛真智命の「占いの神様」の性質はコト「事」ノマツヒメである母から、「知恵の神様」は父由来でしょうか。

    • @kazu-358
      @kazu-358 3 หลายเดือนก่อน +3

      向日葵さま
      皆様
      ↑隠れています。新しい順で。
      押熊八幡神社の紹介blogより
      元禄の頃に中山から押熊に分霊勧請されたことがうかがわれる。
      八幡神社の境内の西北に豊玉比古命を祀る八大竜王社がある。八大竜王は押熊の主神であったが、八幡神社の奉斎で主客転倒し、押熊八幡神社の末社となったのではないかと考えられる。
      明治維新当時まで境内に宮寺「フクジュウ寺」があった。「和州御領郷鑑」にも「福成寺」が記されている。この寺に安置されていた十一面観音菩薩像は現在、西方寺に寄託している。
      この神社の南隣に接する一部の土地を「ジョガキ」という。障子垣のことで結界を示したものであろう。
      隣接して忍熊王子・麛坂王子舊跡地があり、「おしくま王子 かごさか王子の墓」としている。
      皇后軍を迎え撃とうと菟餓野(大阪市北区、以前にトキジク日記コメントに出てましたね)に出てその吉凶を占うと狩を催したとき、兄の龐坂王は突然赤猪に襲われて亡くなられた。
      山背と近江の境の「逢坂」における最後の戦に敗れ、忍熊王は瀬田の渡し場付近で入水して亡くなられた。
      忍熊王子神社の祭日は四月十八日。
      農家は昔からこの日を「だんご休み」といって農作業を休み、「よもぎだんご」を作って祖先にお供えするとともに近隣縁者の家に配る風習がある。
      🐲☁️🍡
      私の祖母も、毎年ヨモギの季節には団子を大量に作ってくれました。ヨモギって、「蓬」と書くのですね。逢坂の「逢」に草冠👑
      奈良市神功の石のカラト古墳との関係もあるのですね
      難波歩きは知りませんでしたが、難波ウォークなら、「虹の町」の頃から知ってますよ