ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
修学旅行の帰り、大阪から東能代までこれに乗りました。当時はまだそれほど鉄分の濃い人間では無かったのですが、「うおっ20系!」とは思ったw底辺高校だったので長時間停車してる駅で勝手にドアを開けてホームへ飲み物を買いに出る馬鹿もおり、車掌さんは大変だったと思います。ともあれ、人生最初で最後の20系となりました。間に合って良かった。
おたんこなすび さまワタシ、京都駅で急行あおもりを見たんですが同じように修学旅行の高校生が乗ってましたええーボロい!って反応でしたね(笑)横であんたら20系に乗れてうらやましいがな!って見ながら思いましたよ秋田、青森から関西方面の修学旅行は帰りがあおもり指定やったんでしょうか?583系のあおもりでも修学旅行の高校生見たなぁもちろん、うらやましい気持ちでいっぱいでした後々、列車が日本海になってさらに日本海廃止後2年ぐらい修学旅行臨があったけど東日本から24系が全廃されて完全に無くなりましたねワタシなんか子供の頃、毎日銀河で走る20系を見てたのに一回も乗れずじまいムリしてでも乗ったらよかったっていまだに後悔しております
@@dai2asakaze >秋田、青森から関西方面の修学旅行は帰りがあおもり指定やったんでしょうか?どうなんでしょう?料金がちょっと安いから、ですかね?ちなみに往路はボンネット白鳥でした。めちゃくちゃ疲れました。その数年前、中学校の修学旅行で東能代から青森まで583に乗ったのですが、あれも「あおもり」だったのかなぁ?中学校3校程が合同で利用していたので、もしかしたら修学旅行臨だったのかもしれません。ド田舎底辺のアホ中学校だったのでホームでは他校の生徒と一触即発の緊迫した空気が流れ、走行中は生徒が他の車両へ行かないように教師達がデッキに陣取って見張っておりました。まあ修学旅行絡みは変な思い出ばかりですが(汗)、今は昔みたいな楽しい列車・電車が無くなって寂しいものですね。
おたんこなすび さまええー!白鳥で東能代から大阪まで!うらやましい限りですよ白鳥は子供の頃、1500番代が入ってて大好きでしたそやけど白鳥も見るだけで終わりましたずっと東北からの修学旅行は往路は飛行機で帰りがあおもりかな?って思ってたんで長年の疑問が解決です(笑)ありがとうございましたそやけど白鳥で大阪まで、、、最初はワクワクするけど途中から飽きてきてグダグダになるパターンでしょうね
最後尾のナハネフ23、なんとなく悲哀と哀愁を帯びてますな
コメントありがとうございます。オハネフ23 そんなイメージですよねぇ……
お宝列車満載の貴重な動画⤴️今の近代的な駅舎と違って大阪駅もに何とも言えない味がありますね~😆楽しませてもらいました🎶
コメントありがとうございます。映像ありますように ホーム先端の 花壇?雑草?とか当たり前に生えてました( ´∀` )これぞ 大阪駅 なんですよねぇ~ 懐かしいっス!!
20系青森懐かしいです。当時京都から青森まで乗車しました。編成は西日本所属のカヤを入れての7両編成で24系や583系の寝台を経験した後ではベッド狭っ!と驚きましたね。3段寝台の3段を利用しましたが狭すぎて寝ている間にベッドから落ちたと家族から聞かされました。(結構高さあるのに全然記憶に無い)区間によって発車の衝撃がすごかったり衝撃無く発車したりと運転士の技術でこうも変わるのかと感じました。(夜間の方が衝撃が酷かった)途中で寝台を座席に解体する人が乗ってきてテキパキとベッドの解体作業シーンを見れたのもいい思い出です。映像の編成JR東日本の編成みたいですね。ナハネフ23の車掌室側に白帯が無いのは東日本の車輌だったと思います。最後の運転の時はヘッドマークを掲げて運転されたと鉄道雑誌で記事を見ました。長文すみません。懐かしい映像ありがとうございます。
いつもコメントありがとうございます。発車の衝撃はたしかに感じましたねぇ 急行運用、短い編成でしたが 20系の姿はいいなぁ~ と当時ファインダー越しに思ってました。 HMは知りませんでした 情報ありがとうございます。m(__)m
凄い良い時代でしたね、今の大阪駅は何もワクワクしないです…
シュプール号廃止にしたのは許さん。あとだいせん ちくま きたぐに 銀河 白鳥等多数
これから,サンダーバードも廃止となると大阪駅で殆ど特急を見られなくなるかも知れない
旧型客車とか、気動車、客車、電車、急行、特急、新旧入交る大阪駅は最高でしたから。
鉄道は、公共交通機関であり「移動の手段」ですからね。「ワクワクしない」「許さん」等と言われても…。「馬車でトコトコと旅するのが味わい深いのに、蒸気機関を搭載した巨大な鉄の塊がとんでもない爆走しているようでは風情がない」と言っているのと同じです。
この20系には、日本海の時に乗車しました。ドアが手動で昔は降りられなかったという人もいたそうです。普段、普通列車で移動するので寝台は贅沢です。自分だけのスペースで横になれるだけで幸せでした。それにしても、大阪駅の雑草、何かやばいものでもあるのでしょうか。
いつもコメントありがとうございます大阪発着 寝台特急日本海私は 行きは東京経由で帰りは日本海のパターンでした(´▽`)日本海経由の寝台列車復活させたら再び人気列車になるのにね、といつもおもって ます20系 窮屈だけど 元祖プルトレの偉大さを噛みしめて利用していました(´▽`)
最後尾は中間車両っぽい雰囲気ですね。通常の最後尾客車は角が丸くなっているから、異彩を放っている。また、貫通扉が中間車両の感じを強調しているのでしょうね。
20系あおもりは先ほどの583系映像の時にコメントさせてもらいましたが、20系あおもりの牽引機関車は東日本長岡のひさし付きが頻繁に入ってましたね😃
主様の動画をいつも楽しみに拝見しております。どれも今となっては国宝級の動画ですよね。20系は小生にとって思い入れが深い車両です。東京駅10:30頃着のあさかぜ82号に出会ってからハマり、あちこち出かけては20系客車を撮影しました。鉄道模型も一番初めに購入したのがKATOの20系客車6両セット&EF65でした。20系新塗装も、賛否両論あれど個人的に好きです。品川まで撮りに行きました。エンディングにて初め…瞬間で「○○○○」と予想。途中…退避途中の車両で確信。最後…予想とヘッドマークが違ってた。
コメントありがとうございます。20系や583系は まさに我々の年代の鉄ちゃん界のアイドルですよね(笑)カトーの 旧20系懐かしい 何気にメチャ持っているという……
確かねぶたや竿灯祭りの際は、あおもり号の他に、東北夏祭り号と言うのもありましたね。あれも最初は20系を使用していました。
コメントありがとうございます。そうなんですね、大阪発で沢山運用されていたんですね~
いいね! 特に秋頃運転のあおもり号は修学旅行ご用達でしたね。
コメントありがとうございます。20系 山陽線でも 集約臨で活躍してましたよね~13両とか たまに ホリパル混結で (笑))
私が昔利用していた頃は、大阪(関西圏)〜青森は夜行バスもなく、天候も不安定で、飛行機もなく日本海の乗車率結構高かったイメージあるんですが、、、。実際どうだったんでしょうか?いつも素晴らしい動画をありがとうございます。後みやづの5両編成はめちゃめちゃ貴重な映像だと思います。実家が福知山線沿線ですが、2両編成以外の記憶がありませんので。
コメントありがとうございますおっしゃる通り寝台列車やプチ夜行が日本海側の移動手段だったのでしょうね あれだけの列車が走っていた鉄道主役の時代が懷かしさ溢れます(´;ω;`) みやづ号 不定期と言いながら毎日確実に2両基本で運転していましたね動画見て頂きありがとうございます(´;ω;`)
銀河が14系に刷り変わった1985/3で全廃になったかと思ったら、他形式やジョイフルトレイン改造等を経てその後も10年以上も保った20系………😅
コメントありがとうございます。走るホテル20系とも呼ばれた 憧れの寝台特急から 急行や波動用へ格下げされ末期は6両とか4両とか めちゃ短編成で走ってましたね動画見て頂きありがとうございます。m(__)m
東日本の20系臨時は基本急行表示だったのが西日本は絵入マーク付けてもらえて車両も幸せだったでしょうね。さすが20系寝台急行(ブルーエクスプレスって言う人もいた。ナハ21を連結した十和田とだいせんはそう言われてない)の中で宮原のたっての要望で銀河に絵入りマークを入れさせた心意気がJRになっても健在だったんでしょうね。ただ窓上の帯がなくなったのは残念ですが。
コメントありがとうございますあの20系車両さまの堂々としたバックサインに 急行はちょつと寂しいですよね~ 最悪の蛍光灯剥き出しも酷かった(´;ω;`)全て同感です(笑)動画見て頂きありがとうございますm(_ _)m
私が小学校2~3年生くらいで2系が最後くらいだったのを覚えています。機関車もたまにトワイライトエクスプレス用が運用に入ったのも、覚えています。
コメントありがとうございます。 そうそう! 日本海同様 トワイライト釜牽引もありましたよね~(笑)
臨時寝台急行あおもり号の源泉は臨時寝台特急日本海51、52号に始まります。これが昭和62年頃から日本海53、54号に変更となり、平成改元頃から日本海81、82号になった記憶があります。そして「さすがにあの寝台設備で特急は無理じゃね?」となって、ついに急行化と。20系客車は上記の日本海53号と、男鹿線内快速としての急行おが号で利用しましたが、24系を当たり前として利用して来た者としては寝台幅の狭さに驚きましたね。ギリギリ24形車の三段寝台時代は知っているのですが、比較にならない。あと、おが号では真冬の男鹿線利用だった為、降車駅で折戸が開かなかった覚えがあります。20系の扉は半自動で、開ける時は手動。凍てつく真冬の秋田県で、駅員も少ない男鹿線ではヤバいw 察した駅員さんに駆け付けてもらわなければ、完璧に乗り過ごすところでした。でも、乗り心地は良かった。私の20系乗車経験は上記の2度のみでしたが、たびたび乗車した方に言わせれば、14系以降の寝台客車は合理化時代に設計された車両の為、乗り心地に関してははグレードダウンしていたと言いますね。
コメントありがとうございます。20系の狭い寝台 幅520mm よくあの幅で寝てたなぁ と思いながら 時々 寸法感覚再現して寝ています ( ´∀` )
晩年のホリデーパルの塗色にはチョット面食らってしまいました。(小郡だったと思います)
コメントありがとうございます。ホリパルは 団体用として下関に配属 活躍しましたが、 JR時代 変わり果てた姿を見てがく然としましたよね(笑)
やっぱり20系の深いブルーは良かった。
ナハネフ23の車掌室側、帯が入ってると寝台特急って雰囲気なのに、帯が無いと物凄い違和感(10系客車っぽいですがこんな塗装もあったんですね。)
コメントありがとうございます走るホテル 20系客車も都落ちして 急行運用へ転落してしまい 特急客車の証である帯を1本消されてしまいましたね~(´;ω;`)動画見て頂きありがとうございます。
私が高校生だった ころ😌 授業が終わり駅に 行って16時39分の列車に乗ると(個人的には地獄の4時列車と言っていました)途中の鶴ヶ坂駅で8分止まり寝台特急日本海2号と583系 急行津軽と通過待ち して さらに津軽新城で 臨時急行あおもりと通過待ちその時の 車両は確か20系客車だったと思います。
コメントありがとうございます。奥羽本線 青森発着列車も凄いばかりが 毎日走っていましたね! 日本海2号 津軽2号 あおもり 毎日出会えるなんて すごーい その 乗られていた 普通列車が気になりました( ´∀` )懐かしいお話 お聞かせ頂きありがとうございます m(__)m
@@railroad-mellowFilm さま返信ありがとー😉👍️🎶 その時乗ってた列車は秋田駅を13頃発車して青森駅に確か🤔17時20分頃着く プレハブ形7013両 編成でした。 その他にも長岡の EF81が貨物列車を 引っ張ていたり12系客車を青森のED75や田端EF81(北斗星の間合い運用)引っ張ていたり 津軽線には 485系電車6両編成を使用した普通列車が走っていました。 なおグリーン車は開放して車内で販売していた模様です。
懐かしいですね~☺️
コメントありがとうございます。20系 あおもり ほんとそそられますよね~いつも 動画見て頂きありがとうございます。m(__)m
ナハネフ23最初に買った9ミリでした。
銀河はすでに20系ではなかったのかな?気になったのはスーパー雷鳥12号、車両はグレードアップ車両だったのですかね?
銀河はそこの頃は14系だと思います。東海道で20系運用はこの頃は玄海かあさかぜ82号のどちらかだと記憶してます。
20系で一番いい席は下段のベッド。中段狭い上段揺れ酷くサスもヘタってたんでこの頃は揺れがひどかったなぁ(-o-;)あさかぜ82号や玄海ですが
コメントありがとうございます。20系、縮こまって 横にさせてもらい 移動してました~(笑)
581系は1994~2002ねんまでのわずか8年?
ナハネフ23-4あさかぜに使ってた車輌ですかね?
特急日本海との違いは停車駅とか所要時間くらいでしょうか?
末期の停車駅急行「あおもり」青森行 大阪、新大阪、京都、敦賀、福井、金沢、高岡、富山、糸魚川、直江津、鶴岡、酒田、象潟、羽後本荘、秋田、八郎潟、東能代、鷹ノ巣、大館、大鰐温泉、弘前、青森急行「あおもり」大阪行青森、弘前、大鰐温泉、大館、鷹ノ巣、東能代、八郎潟、秋田、羽後本荘、象潟、酒田、鶴岡、直江津、糸魚川、富山、高岡、金沢、福井、敦賀、京都、新大阪、大阪寝台特急「日本海」青森行 大阪、新大阪、京都、敦賀、福井、加賀温泉、金沢、高岡、富山、魚津、糸魚川、直江津、新津、鶴岡、酒田、羽後本荘、秋田、東能代、鷹ノ巣、大館、大鰐温泉、弘前、青森寝台特急「日本海」大阪行 青森、弘前、大鰐温泉、大館、鷹ノ巣、東能代、秋田、羽後本荘、酒田、鶴岡、新津、直江津、糸魚川、魚津、富山、高岡、金沢、加賀温泉、福井、敦賀、京都、新大阪、大阪大阪→青森 1991年あおもり 15時間57分 20:50 12:47日本海3号 15時間22分 20:20 11:42日本海1号 14時間38分 17:47 8:20
@@railroad-mellowFilm 返信いただきありがとうございます。やはり所要時間で格差が着きますね
この映像と同じ頃、20系4両電源車付きの団体専用列車が、西へ東へと走ってなかった?( ゜o゜)
コメントありがとうございます。この年境に 20系本当に徐々に消え始めましたね、4両で運転はこのチャンネルで1本うpしていますが 山陰線最後の入線しか記憶にありません、またこの山陰線4両映像と同じ日、加太峠越え最後の20系が設定されていましたが、こちらは急遽14系寝台に変更されて撮影組撃沈したとか…… その20系団臨気になりまよね~
急行あおもりっちゅうたら京都駅で青森に帰るであろう修学旅行の高校生が入線してきた20系のボロさにええーこんなのーってブーイング浴びせてたけど文句言うんやったら代わりに乗せてくれって思いたなそやけど車体の1番上のラインを省略された20系、、、カヤ21やナハネフ22なんかなんか間抜けって思ってたけどナハネフ23はもっとひどいな
コメントありがとうございます。めちゃくちゃその場面 目に浮かびました(笑)ほんと にーちゃんいつでも代わってあげるよ! ですよね思い切りあるある話 お聞かせ頂きありがとうございました。 m(__)m動画見て頂きありがとうございまーす
@@railroad-mellowFilm ワタシの記憶やと国鉄末期まで20系の臨時は特急扱いやったけど日本海があおもり、あかつきが雲仙、なはが霧島とやっとJR化後に急行扱いにして格下げされてましたねもっとも急行扱いでもすでにだいせんやちくまは2段ハネやったからそれでも、、、あおもりにトワ釜も見た記憶がありますが、めちゃくちゃヘンでした
旧式とは言え、急行料金でブルトレに乗れるってのは、結構穴場的列車だと思うが・・・
コメントありがとうございます設備がいまいち、三段なだけで十分特急スジでしたね〜あの狭さがたまりませんでした(笑)動画見て頂きありがとうございますm(_ _)m
急行で安かったから良く利用して楽しかったよ
コメントありがとうございます。当時は 夜行”急行”の存在は 大きかったです! 楽しかったなぁ ( ´∀` )
[あおもり] [あおもり]
コメントありがとうございます。[あおもり] [あおもり] 文字マークしか知らないんですが、絵柄テールマーク あったんでしょうかね~
京都鉄道博物館にあったら・・・。
コメントありがとうございます。そう、元祖ブルトレ 20系は保存してもらいたかったですねぇ~
20系と言えば大宮の鉄道博物館
コメントありがとうございます。ナハネフ22は多少 実物残りましたが 当時ケツ見てがっかりした 映像のナハネフ23は現存せず KATOのNゲージで懐かしんでいます(笑)
いくら急行とはいえ、全て、B寝台車じゃ、がっかり‼️
寝台幅は52センチ!スリルをもって,就寝できますよ!
臨時の特急や急行の20系は仕方なく乗るハズレ列車と言う印象。寝台が狭すぎる。走るホテルと言うよりも走る収容所
平均身長が160cmにも満たなかった時代に設計された車両です。仕方ありません。それでも三等客車の床に新聞紙を敷いて寝たり買い出し列車のように屋根にまで乗っていた世代からすれば冷暖房完備で固定窓は十分過ぎる程度には快適だったでしょう。
修学旅行の帰り、大阪から東能代までこれに乗りました。当時はまだそれほど鉄分の濃い人間では無かったのですが、「うおっ20系!」とは思ったw
底辺高校だったので長時間停車してる駅で勝手にドアを開けてホームへ飲み物を買いに出る馬鹿もおり、車掌さんは大変だったと思います。
ともあれ、人生最初で最後の20系となりました。間に合って良かった。
おたんこなすび さま
ワタシ、京都駅で急行あおもりを見たんですが同じように修学旅行の高校生が乗ってました
ええーボロい!って反応でしたね(笑)
横であんたら20系に乗れてうらやましいがな!って
見ながら思いましたよ
秋田、青森から関西方面の修学旅行は帰りがあおもり指定やったんでしょうか?
583系のあおもりでも修学旅行の高校生見たなぁ
もちろん、うらやましい気持ちでいっぱいでした
後々、列車が日本海になって
さらに日本海廃止後2年ぐらい修学旅行臨があったけど
東日本から24系が全廃されて完全に無くなりましたね
ワタシなんか子供の頃、毎日銀河で走る20系を見てたのに
一回も乗れずじまい
ムリしてでも乗ったらよかったっていまだに後悔しております
@@dai2asakaze
>秋田、青森から関西方面の修学旅行は帰りがあおもり指定やったんでしょうか?
どうなんでしょう?料金がちょっと安いから、ですかね?
ちなみに往路はボンネット白鳥でした。めちゃくちゃ疲れました。
その数年前、中学校の修学旅行で東能代から青森まで583に乗ったのですが、あれも「あおもり」だったのかなぁ?
中学校3校程が合同で利用していたので、もしかしたら修学旅行臨だったのかもしれません。
ド田舎底辺のアホ中学校だったのでホームでは他校の生徒と一触即発の緊迫した空気が流れ、走行中は生徒が他の車両へ行かないように教師達がデッキに陣取って見張っておりました。
まあ修学旅行絡みは変な思い出ばかりですが(汗)、今は昔みたいな楽しい列車・電車が無くなって寂しいものですね。
おたんこなすび さま
ええー!
白鳥で東能代から大阪まで!
うらやましい限りですよ
白鳥は子供の頃、1500番代が入ってて大好きでした
そやけど白鳥も見るだけで終わりました
ずっと東北からの修学旅行は往路は飛行機で帰りがあおもりかな?って思ってたんで
長年の疑問が解決です(笑)ありがとうございました
そやけど白鳥で大阪まで、、、
最初はワクワクするけど途中から飽きてきてグダグダになるパターンでしょうね
最後尾のナハネフ23、なんとなく悲哀と哀愁を帯びてますな
コメントありがとうございます。
オハネフ23 そんなイメージですよねぇ……
お宝列車満載の貴重な動画⤴️今の近代的な駅舎と違って大阪駅もに何とも言えない味がありますね~😆楽しませてもらいました🎶
コメントありがとうございます。
映像ありますように ホーム先端の 花壇?雑草?とか当たり前に生えてました( ´∀` )
これぞ 大阪駅 なんですよねぇ~ 懐かしいっス!!
20系青森懐かしいです。
当時京都から青森まで乗車しました。編成は西日本所属のカヤを入れての7両編成で
24系や583系の寝台を経験した後ではベッド狭っ!と驚きましたね。
3段寝台の3段を利用しましたが狭すぎて寝ている間にベッドから落ちたと
家族から聞かされました。(結構高さあるのに全然記憶に無い)
区間によって発車の衝撃がすごかったり衝撃無く発車したりと
運転士の技術でこうも変わるのかと感じました。(夜間の方が衝撃が酷かった)
途中で寝台を座席に解体する人が乗ってきてテキパキとベッドの解体作業シーンを見れたのもいい思い出です。
映像の編成JR東日本の編成みたいですね。ナハネフ23の車掌室側に白帯が無いのは東日本の車輌だったと思います。
最後の運転の時はヘッドマークを掲げて運転されたと鉄道雑誌で記事を見ました。
長文すみません。懐かしい映像ありがとうございます。
いつもコメントありがとうございます。発車の衝撃はたしかに感じましたねぇ 急行運用、短い編成でしたが 20系の姿はいいなぁ~ と当時ファインダー越しに思ってました。 HMは知りませんでした 情報ありがとうございます。m(__)m
凄い良い時代でしたね、今の大阪駅は何もワクワクしないです…
シュプール号廃止にしたのは許さん。あとだいせん ちくま きたぐに 銀河 白鳥等多数
これから,サンダーバードも廃止となると大阪駅で殆ど特急を見られなくなるかも知れない
旧型客車とか、気動車、客車、電車、急行、特急、新旧入交る大阪駅は
最高でしたから。
鉄道は、公共交通機関であり「移動の手段」ですからね。
「ワクワクしない」「許さん」等と言われても…。
「馬車でトコトコと旅するのが味わい深いのに、蒸気機関を搭載した巨大な鉄の塊がとんでもない爆走しているようでは風情がない」と言っているのと同じです。
この20系には、日本海の時に乗車しました。
ドアが手動で昔は降りられなかったという人もいたそうです。
普段、普通列車で移動するので寝台は贅沢です。
自分だけのスペースで横になれるだけで幸せでした。
それにしても、大阪駅の雑草、何かやばいものでもあるのでしょうか。
いつもコメントありがとうございます
大阪発着 寝台特急日本海
私は 行きは東京経由で帰りは日本海のパターンでした(´▽`)
日本海経由の寝台列車復活させたら
再び人気列車になるのにね、と
いつもおもって ます
20系 窮屈だけど 元祖プルトレの偉大さを噛みしめて利用していました
(´▽`)
最後尾は中間車両っぽい雰囲気ですね。通常の最後尾客車は角が丸くなっているから、異彩を放っている。
また、貫通扉が中間車両の感じを強調しているのでしょうね。
20系あおもりは先ほどの583系映像の時にコメントさせてもらいましたが、20系あおもりの牽引機関車は東日本長岡のひさし付きが頻繁に入ってましたね😃
主様の動画をいつも楽しみに拝見しております。どれも今となっては国宝級の動画ですよね。
20系は小生にとって思い入れが深い車両です。
東京駅10:30頃着のあさかぜ82号に出会ってからハマり、あちこち出かけては20系客車を撮影しました。鉄道模型も一番初めに購入したのがKATOの20系客車6両セット&EF65でした。
20系新塗装も、賛否両論あれど個人的に好きです。品川まで撮りに行きました。
エンディングにて
初め…瞬間で「○○○○」と予想。
途中…退避途中の車両で確信。
最後…予想とヘッドマークが違ってた。
コメントありがとうございます。
20系や583系は まさに我々の年代の鉄ちゃん界のアイドルですよね(笑)
カトーの 旧20系懐かしい 何気にメチャ持っているという……
確かねぶたや竿灯祭りの際は、あおもり号の他に、東北夏祭り号と言うのもありましたね。あれも最初は20系を使用していました。
コメントありがとうございます。そうなんですね、大阪発で沢山運用されていたんですね~
いいね! 特に秋頃運転のあおもり号は修学旅行ご用達でしたね。
コメントありがとうございます。20系 山陽線でも 集約臨で活躍してましたよね~13両とか たまに ホリパル混結で (笑))
私が昔利用していた頃は、大阪(関西圏)〜青森は夜行バスもなく、天候も不安定で、飛行機もなく日本海の乗車率結構高かったイメージあるんですが、、、。実際どうだったんでしょうか?いつも素晴らしい動画をありがとうございます。後みやづの5両編成はめちゃめちゃ貴重な映像だと思います。実家が福知山線沿線ですが、2両編成以外の記憶がありませんので。
コメントありがとうございます
おっしゃる通り寝台列車やプチ夜行が日本海側の移動手段だったのでしょうね あれだけの列車が走っていた鉄道主役の時代が懷かしさ溢れます(´;ω;`) みやづ号 不定期と言いながら毎日確実に2両基本で運転していましたね
動画見て頂きありがとうございます(´;ω;`)
銀河が14系に刷り変わった1985/3で全廃になったかと思ったら、他形式やジョイフルトレイン改造等を経てその後も10年以上も保った20系………😅
コメントありがとうございます。
走るホテル20系とも呼ばれた 憧れの寝台特急から 急行や波動用へ格下げされ
末期は6両とか4両とか めちゃ短編成で走ってましたね
動画見て頂きありがとうございます。m(__)m
東日本の20系臨時は基本急行表示だったのが西日本は絵入マーク付けてもらえて車両も幸せだったでしょうね。さすが20系寝台急行(ブルーエクスプレスって言う人もいた。ナハ21を連結した十和田とだいせんはそう言われてない)の中で宮原のたっての要望で銀河に絵入りマークを入れさせた心意気がJRになっても健在だったんでしょうね。ただ窓上の帯がなくなったのは残念ですが。
コメントありがとうございます
あの20系車両さまの堂々としたバックサインに 急行はちょつと寂しいですよね~
最悪の蛍光灯剥き出しも酷かった(´;ω;`)
全て同感です(笑)
動画見て頂きありがとうございますm(_ _)m
私が小学校2~3年生くらいで2系が最後くらいだったのを覚えています。機関車もたまにトワイライトエクスプレス用が運用に入ったのも、覚えています。
コメントありがとうございます。 そうそう! 日本海同様 トワイライト釜牽引もありましたよね~(笑)
臨時寝台急行あおもり号の源泉は臨時寝台特急日本海51、52号に始まります。
これが昭和62年頃から日本海53、54号に変更となり、平成改元頃から日本海81、82号になった記憶があります。
そして「さすがにあの寝台設備で特急は無理じゃね?」となって、ついに急行化と。
20系客車は上記の日本海53号と、男鹿線内快速としての急行おが号で利用しましたが、24系を当たり前として利用して来た者としては寝台幅の狭さに驚きましたね。ギリギリ24形車の三段寝台時代は知っているのですが、比較にならない。
あと、おが号では真冬の男鹿線利用だった為、降車駅で折戸が開かなかった覚えがあります。
20系の扉は半自動で、開ける時は手動。凍てつく真冬の秋田県で、駅員も少ない男鹿線ではヤバいw 察した駅員さんに駆け付けてもらわなければ、完璧に乗り過ごすところでした。
でも、乗り心地は良かった。私の20系乗車経験は上記の2度のみでしたが、たびたび乗車した方に言わせれば、14系以降の寝台客車は合理化時代に設計された車両の為、乗り心地に関してははグレードダウンしていたと言いますね。
コメントありがとうございます。
20系の狭い寝台 幅520mm よくあの幅で寝てたなぁ と思いながら
時々 寸法感覚再現して寝ています ( ´∀` )
晩年のホリデーパルの塗色にはチョット面食らってしまいました。(小郡だったと思います)
コメントありがとうございます。ホリパルは 団体用として下関に配属 活躍しましたが、 JR時代 変わり果てた姿を見てがく然としましたよね(笑)
やっぱり20系の深いブルーは良かった。
ナハネフ23の車掌室側、帯が入ってると寝台特急って雰囲気なのに、帯が無いと物凄い違和感(10系客車っぽいですがこんな塗装もあったんですね。)
コメントありがとうございます
走るホテル 20系客車も都落ちして 急行運用へ転落してしまい 特急客車の証である帯を1本消されてしまいましたね~(´;ω;`)
動画見て頂きありがとうございます。
私が高校生だった ころ😌 授業が終わり駅に 行って16時39分の列車に乗ると(個人的には地獄の4時列車と言っていました)
途中の鶴ヶ坂駅で8分止まり寝台特急日本海2号と583系 急行津軽と通過待ち して さらに津軽新城で 臨時急行あおもりと通過待ちその時の 車両は確か20系客車だったと思います。
コメントありがとうございます。
奥羽本線 青森発着列車も凄いばかりが 毎日走っていましたね!
日本海2号 津軽2号 あおもり 毎日出会えるなんて すごーい
その 乗られていた 普通列車が気になりました( ´∀` )
懐かしいお話 お聞かせ頂きありがとうございます m(__)m
@@railroad-mellowFilm さま返信ありがとー😉👍️🎶 その時乗ってた列車は秋田駅を13頃発車して青森駅に確か🤔17時20分頃着く プレハブ形7013両 編成でした。 その他にも長岡の EF81が貨物列車を 引っ張ていたり
12系客車を青森のED75や田端EF81(北斗星の間合い運用)引っ張ていたり 津軽線には 485系電車6両編成を使用した普通列車が走っていました。 なおグリーン車は開放して車内で販売していた模様です。
懐かしいですね~☺️
コメントありがとうございます。
20系 あおもり ほんとそそられますよね~
いつも 動画見て頂きありがとうございます。m(__)m
ナハネフ23最初に買った9ミリでした。
銀河はすでに20系ではなかったのかな?
気になったのはスーパー雷鳥12号、車両はグレードアップ車両だったのですかね?
銀河はそこの頃は14系だと思います。東海道で20系運用はこの頃は玄海かあさかぜ82号のどちらかだと記憶してます。
20系で一番いい席は下段のベッド。中段狭い上段揺れ酷くサスもヘタってたんでこの頃は揺れがひどかったなぁ(-o-;)あさかぜ82号や玄海ですが
コメントありがとうございます。20系、縮こまって 横にさせてもらい 移動してました~(笑)
581系は1994~2002ねんまでのわずか8年?
ナハネフ23-4あさかぜに使ってた車輌ですかね?
特急日本海との違いは停車駅とか所要時間くらいでしょうか?
末期の停車駅
急行「あおもり」青森行
大阪、新大阪、京都、敦賀、福井、金沢、高岡、富山、糸魚川、直江津、鶴岡、酒田、象潟、羽後本荘、秋田、八郎潟、東能代、鷹ノ巣、大館、大鰐温泉、弘前、青森
急行「あおもり」大阪行
青森、弘前、大鰐温泉、大館、鷹ノ巣、東能代、八郎潟、秋田、羽後本荘、象潟、酒田、鶴岡、直江津、糸魚川、富山、高岡、金沢、福井、敦賀、京都、新大阪、大阪
寝台特急「日本海」青森行
大阪、新大阪、京都、敦賀、福井、加賀温泉、金沢、高岡、富山、魚津、糸魚川、直江津、新津、鶴岡、酒田、羽後本荘、秋田、東能代、鷹ノ巣、大館、大鰐温泉、弘前、青森
寝台特急「日本海」大阪行
青森、弘前、大鰐温泉、大館、鷹ノ巣、東能代、秋田、羽後本荘、酒田、鶴岡、新津、直江津、糸魚川、魚津、富山、高岡、金沢、加賀温泉、福井、敦賀、京都、新大阪、大阪
大阪→青森 1991年
あおもり 15時間57分 20:50 12:47
日本海3号 15時間22分 20:20 11:42
日本海1号 14時間38分 17:47 8:20
@@railroad-mellowFilm 返信いただきありがとうございます。やはり所要時間で格差が着きますね
この映像と同じ頃、20系4両電源車付きの団体専用列車が、西へ東へと走ってなかった?( ゜o゜)
コメントありがとうございます。この年境に 20系本当に徐々に消え始めましたね、4両で運転はこのチャンネルで1本うpしていますが 山陰線最後の入線しか記憶にありません、またこの山陰線4両映像と同じ日、加太峠越え最後の20系が設定されていましたが、こちらは急遽14系寝台に変更されて撮影組撃沈したとか…… その20系団臨気になりまよね~
急行あおもりっちゅうたら京都駅で青森に帰るであろう修学旅行の高校生が入線してきた20系のボロさに
ええーこんなのーってブーイング浴びせてたけど文句言うんやったら代わりに乗せてくれって思いたな
そやけど車体の1番上のラインを省略された20系、、、カヤ21やナハネフ22なんかなんか間抜けって思ってたけど
ナハネフ23はもっとひどいな
コメントありがとうございます。
めちゃくちゃその場面 目に浮かびました(笑)
ほんと にーちゃんいつでも代わってあげるよ! ですよね
思い切りあるある話 お聞かせ頂きありがとうございました。 m(__)m
動画見て頂きありがとうございまーす
@@railroad-mellowFilm ワタシの記憶やと国鉄末期まで20系の臨時は特急扱いやったけど
日本海があおもり、あかつきが雲仙、なはが霧島とやっとJR化後に急行扱いにして格下げされてましたね
もっとも急行扱いでもすでにだいせんやちくまは2段ハネやったからそれでも、、、
あおもりにトワ釜も見た記憶がありますが、めちゃくちゃヘンでした
旧式とは言え、急行料金でブルトレに乗れるってのは、結構穴場的列車だと思うが・・・
コメントありがとうございます
設備がいまいち、三段なだけで
十分特急スジでしたね〜
あの狭さがたまりませんでした(笑)
動画見て頂きありがとうございますm(_ _)m
急行で安かったから良く利用して楽しかったよ
コメントありがとうございます。
当時は 夜行”急行”の存在は 大きかったです!
楽しかったなぁ ( ´∀` )
[あおもり] [あおもり]
コメントありがとうございます。[あおもり] [あおもり] 文字マークしか知らないんですが、絵柄テールマーク あったんでしょうかね~
京都鉄道博物館にあったら・・・。
コメントありがとうございます。
そう、元祖ブルトレ 20系は保存してもらいたかったですねぇ~
20系と言えば大宮の鉄道博物館
コメントありがとうございます。ナハネフ22は多少 実物残りましたが 当時ケツ見てがっかりした 映像のナハネフ23は現存せず KATOのNゲージで懐かしんでいます(笑)
いくら急行とはいえ、全て、B寝台車じゃ、がっかり‼️
寝台幅は52センチ!スリルをもって,就寝できますよ!
臨時の特急や急行の20系は仕方なく乗るハズレ列車と言う印象。寝台が狭すぎる。走るホテルと言うよりも走る収容所
平均身長が160cmにも満たなかった時代に設計された車両です。
仕方ありません。
それでも三等客車の床に新聞紙を敷いて寝たり買い出し列車のように屋根にまで乗っていた世代からすれば冷暖房完備で固定窓は十分過ぎる程度には快適だったでしょう。