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東京と北海道で公開講座の案内はこちらです。【東京】kikutani.hp.peraichi.com/sinnjyuku【北海道】kikutani.hp.peraichi.com/sapporo
今日もありがとうございます🙇
菊谷先生いつも本当にありがとうございます。〜一日も片時も急ぎて信心決定して今度の往生極楽を一定して〜心より深く感謝申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝🙏🙏🙏
今日も,尊い、ご説法ありがとうございました。
毎日真剣に聴聞していても、信心決定してない驚喜が起きない。早く信心獲得したい😂
信心決定というのがどうもよく分かりません。😢
@岡田耕治-s7e 何度も繰り返し聴聞します。阿弥陀仏を憑む(たの)阿弥陀仏を心の拠り所にする。疑情の心がまったく無くなった時、きっと信心決定、信心獲得することでしょ。疑情の心が無くなる迄、真剣に聴聞してください。
ありがとうございます😊😊
こんにちは。❤今日も、ありがとうございます。❤
ありがとうございました。
ありがとうございます
自力で獲得できない心を信心というんですよね.そして悪人正機の教えで皆が浄土にゆけるわけではないんですね.菊谷先生、今日も大事な教えをありがとうございました.
教えが自分事に一致し関与しているか関与していないかで 信心決定という境地に至るか至ってないかが決まるとも思います ありがとうございました
笑顔が固定化されると笑顔という無表情です いろんな宗教上のルールに浄土真宗が至高の宗教であると関与していないと 信心決定しても幸福未満です ありがとうございました
浄土教は来世浄土ですが、浄土自体は十方浄土と言って多くあります。涅槃経にはこの穢土にて成仏した唯一の仏、釈迦牟尼仏陀の浄土、無勝世界も語られます。そんな仏陀への敬愛だけでもあれば悪趣(地獄など)に墜ちることはないとお経にあるように、仏への浄信は大乗仏教の要です。
とても分かりやすい動画でした。ならばどうすれば信心を獲得できるのか。獲得していない人が大船に乗るための切符を得るには「御布施」が必要なのでしょうか。また、いったん獲得したら生きている間有効なんでしょうか。
仏、法、僧が必要です。聴聞だけでは、解決しないと思います。
ごく最近、信心獲得された方がおみえでしたら聞いてみたい。普段仏教にどの程度携わって見えます?何をしている時に、『ああ、私は今信心獲得したんだ』と確信されましたか?一旦信心獲得したと思ったけど、そうでは無かったと思われた方がみえたら聞いてみたい。どんな時に『まだだった。』と思われましたか?
「信心獲得」の説明を今まで聞いても漠然として要領が悪い、菊谷氏の説明では解らない、私が凡夫の為かな。不定の境の解釈はまだほかにありますね、「後生の一大事」にいずれ直面して「因果応報」の理によって「輪廻転生」しなければならない。極楽往生が約束されている訳ではないという「不定の境」と見た方がすっきりしますね。「信心獲得」と「信心決定」と「安心決定」は同じ意味ではないと解釈する方が自然です。誰に教わったのかな、少し「自力本願」を混ぜていますね。臨終で「信心決定」していない人たちは衆生だけではなかったようですね、居並ぶ弟子たちも含んでいる言葉ですね。一休禅師も蓮如上人を認めていたが、それ以外の弟子の僧たち(浄土真宗や禅宗)は認めていなかった。蓮如上人も親鸞上人と同じに、晩年に肯定を破門していますね、残念な事です。「信心獲得」の解釈もほかに出来そうですね。煩悩が生み出した「自我」に心の目が塞がれて無明の闇を感じてしまうのが凡夫です。人生を送るうちに迷い苦しむ事で「自我」が「善」ではない事に気が付く、修行を修めるうちに煩悩が「一切皆苦」である事に気が付く時に仏教の教え「煩悩を捨てましょう」という言葉にたどり着きます。親鸞上人は「煩悩」が捨てられない事で悩んで比叡山を降りられた。法然上人は「煩悩が捨てられないならば無視しなさい」と教えて「他力本願」を説かれた。信心獲得という意味は「阿弥陀如来の本願」を獲得して「他力本願」を身に付けるという事に思えましたね。煩悩の判断を無視して「専心念仏」する事で阿弥陀如来のお導きが有る事が解る時「信心獲得」出来たと言えますね。
因果の道理を含む仏法のお話はとてもありがたく聞かせていただいておりますが、仏法を聞くのはこの世で生きるのが楽になるからで極楽浄土に行きたいからではありません。仏法を聞くことで勝手に信心獲得されても困ってしまいます。仏国土に行けるのでしたら阿弥陀様よりはお釈迦様の方へ行きたいです。
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菊谷先生いつも本当にありがとうございます。〜一日も片時も急ぎて信心決定して今度の往生極楽を一定して〜心より深く感謝申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝🙏🙏🙏
今日も,尊い、ご説法ありがとうございました。
毎日真剣に聴聞していても、信心決定してない驚喜が起きない。早く信心獲得したい😂
信心決定というのがどうもよく分かりません。😢
@岡田耕治-s7e 何度も繰り返し聴聞します。阿弥陀仏を憑む(たの)阿弥陀仏を心の拠り所にする。疑情の心がまったく無くなった時、きっと信心決定、信心獲得することでしょ。疑情の心が無くなる迄、真剣に聴聞してください。
ありがとうございます😊😊
こんにちは。❤今日も、ありがとうございます。❤
ありがとうございました。
ありがとうございます
自力で獲得できない心を信心というんですよね.そして悪人正機の教えで皆が浄土にゆけるわけではないんですね.
菊谷先生、今日も大事な教えをありがとうございました.
教えが自分事に一致し関与しているか関与していないかで 信心決定という境地に至るか至ってないかが決まるとも思います ありがとうございました
笑顔が固定化されると笑顔という無表情です いろんな宗教上のルールに浄土真宗が至高の宗教であると関与していないと 信心決定しても幸福未満です ありがとうございました
浄土教は来世浄土ですが、浄土自体は十方浄土と言って多くあります。
涅槃経にはこの穢土にて成仏した唯一の仏、釈迦牟尼仏陀の浄土、無勝世界も語られます。
そんな仏陀への敬愛だけでもあれば悪趣(地獄など)に墜ちることはないとお経にあるように、仏への浄信は大乗仏教の要です。
とても分かりやすい動画でした。
ならばどうすれば信心を獲得できるのか。
獲得していない人が大船に乗るための切符を得るには「御布施」が必要なのでしょうか。
また、いったん獲得したら生きている間有効なんでしょうか。
仏、法、僧
が必要です。
聴聞だけでは、
解決しないと思います。
ごく最近、信心獲得された方がおみえでしたら聞いてみたい。
普段仏教にどの程度携わって見えます?
何をしている時に、『ああ、私は今信心獲得したんだ』と確信されましたか?
一旦信心獲得したと思ったけど、そうでは無かったと思われた方がみえたら聞いてみたい。
どんな時に『まだだった。』と思われましたか?
「信心獲得」の説明を今まで聞いても漠然として要領が悪い、菊谷氏の説明では解らない、私が凡夫の為かな。
不定の境の解釈はまだほかにありますね、「後生の一大事」にいずれ直面して「因果応報」の理によって「輪廻転生」しなければならない。極楽往生が約束されている訳ではないという「不定の境」と見た方がすっきりしますね。
「信心獲得」と「信心決定」と「安心決定」は同じ意味ではないと解釈する方が自然です。
誰に教わったのかな、少し「自力本願」を混ぜていますね。
臨終で「信心決定」していない人たちは衆生だけではなかったようですね、居並ぶ弟子たちも含んでいる言葉ですね。
一休禅師も蓮如上人を認めていたが、それ以外の弟子の僧たち(浄土真宗や禅宗)は認めていなかった。
蓮如上人も親鸞上人と同じに、晩年に肯定を破門していますね、残念な事です。
「信心獲得」の解釈もほかに出来そうですね。
煩悩が生み出した「自我」に心の目が塞がれて無明の闇を感じてしまうのが凡夫です。
人生を送るうちに迷い苦しむ事で「自我」が「善」ではない事に気が付く、修行を修めるうちに煩悩が「一切皆苦」である事に気が付く時に仏教の教え「煩悩を捨てましょう」という言葉にたどり着きます。
親鸞上人は「煩悩」が捨てられない事で悩んで比叡山を降りられた。
法然上人は「煩悩が捨てられないならば無視しなさい」と教えて「他力本願」を説かれた。
信心獲得という意味は「阿弥陀如来の本願」を獲得して「他力本願」を身に付けるという事に思えましたね。
煩悩の判断を無視して「専心念仏」する事で阿弥陀如来のお導きが有る事が解る時「信心獲得」出来たと言えますね。
因果の道理を含む仏法のお話はとてもありがたく聞かせていただいておりますが、仏法を聞くのはこの世で生きるのが楽になるからで極楽浄土に行きたいからではありません。仏法を聞くことで勝手に信心獲得されても困ってしまいます。仏国土に行けるのでしたら阿弥陀様よりはお釈迦様の方へ行きたいです。
今日もありがとうございます🙇