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5:39これは懐かしい! かつて亡き両親と一緒にサロンエクスプレス踊り子に乗りました。伊豆稲取で降りて、私はバカチョンカメラを持って急いで先頭車両のEF5861に向かいました。今のように撮り鉄がいるわけでもない一人だけの撮影会。すると運転手さんが白い手袋の人差し指で上を指してます👆。何だろ?と思って見てたらなんとヘッドライトを点灯してくれました。ハイビームがなんだと騒ぐのではなく、これは本当にサプライズ。嬉しかったなぁ。撮影した後、ありがとうございます!と一礼したら、汽笛を鳴らして下田方面に向けて発車。今でも忘れられない思い出です。昭和の頃、EF58のけん引する御召列車も見ましたね。
バカチョンカメラ、懐かしい言い方ですね。祖父も写ルンですとかインスタントカメラをバカチョンカメラとか呼んでました(笑)。
高速性能、例えば時速70km→95kmはEF65より性能が良く乗務員にも好評だったようですね。ブルトレでEF65が足りずEF58になったら乗務員がかえって喜んだとういうのを鉄道趣味誌で読みました。
元からそれだけ高い潜在性能を持っていて 新車体化されてそれが遺憾無く発揮された訳ですね。
関西ブルトレにゴハチが復活できたのは平行ダイヤ化で速度出さなくて良くなったからでしょ
@@さゆり-f9nそうです。最高時速が110キロは、EF65やEF66が有利ですが、85〜95キロ程度で、客車8〜10両くらいならEF58の方がピッタリでした。
関西ブルトレが客車8輌から10輌だったのか調べるのめんどくせえけどな
EF58が旧車体の頃は恐ろしく評判が悪かったのは有名ですよねEF58が新車体に換装した一方、登場から数年で限界を迎えてたEF13は渡りに船の如く次々と58の旧車体に換装していきました結果、EF58もEF13もお互い迷車から名車に変貌していきましたとさ
「これが、あの58か...? 😲」(当時、新車、新車体35、36を配置された、高崎区職員の言葉)
旧車体がEF13に流用されたのはあまりに有名なお話ですね。
ピッタリ31機ずつだったのですよね。
すると不評の車体をもらい受けたEF13が嫌われる結果になったのですか
@ 様 車体だけなので逆に装備の戦前並への更新を含めて、信頼性が向上し良い電気機関車になりました。
旧車体のEF58は本当にかっこいい。バランスの取れた端正なデザインが魅力的。一方で新たな車体は完全に未来先取りですよね。一気に飛躍した感があり、これはこれで凄いと改めて思います。余談ながら客貨兼用のEF65より足が速かったみたいですね。
そこそこしっかり作り上げたEF58の旧車体がEF13の載せ替え車体として使われて、箱替えが鉄道車両にもあったことが驚きです。
確か浜松に貨物用に歯数比変えたEF18ってのが最後まで残っていたような……。
箱車体のEF58が旧客の前に立つりりしい姿を見たのはこちらの動画が初めてだったので、ものすごく感動しました。やっぱりデッキ付きの電気機関車は最高ですね。
因みにEF58は、ゴジラによって最初に破壊される鉄道車両という名誉な役目をやりました。その撮影に使用した模型は、交通博物館で制作された模型だそうです。
確か、GHQが製造停止を出して、デッキタイプのEF58は31両のみで、その影響で32〜34が欠番で更に東芝が既に製造していた分がキャンセルとなり、その後、流線型となって再生産の時に側面窓が7枚という仕様に…。ちなみに旧車体はEF13に載せ替えられ、改造ではなく、車体譲渡だそうです。
電車の車体載せ替えは数多いものの 機関車の載せ替えは珍しく その意味でも『記憶に残る』カマですね。
…旧型機関車唯一無二の “湘南顔” のEF-58…そしてカラーバリエーションも多かったのは、やはり唯一無二のEF-58…😅
カラーバリエーションだけじゃなく外装⁈や先台車・パンタ等も色々ありましたね。😅
全然旧車体もカッコ良いと思えるんよ実用性や安全性はアレだけど…
ブレーキシューが車輪の両側についているのは、軸受けが平軸受けで左右から均等に抑えないと軸がずれるからですなEF58とEF15にはロングラン運用に備えて軸受にローラーベアリングを採用したことで軸がずれなくなり、ブレーキシューが片側でよくなった
五八教信者として嬉しいです。取り上げて下さってありがとうございます。
GHQによる緊縮財政政策、所謂「ドッジ・ライン」の影響で製作途中で作業中止で保留されたEF58 32・33・34号機は後に貨物機EF18として先導輪2軸台車等の外観はそのまま、歯車比をEF15並みに落として完成、貨物機なのでSG不要でもあり原型EF58の姿を1979年の廃車時まで留めていた。3両のみの形式だがEF58時代のナンバーを継承し「EF18 32〜34」を名乗っていた。次いで作られた35、36は旧車体で製造途上で新車体採用となり旧車体に新車体の運転席を貼り合わせた形になり側窓7つ(通常は5)の変形車に。つまり新車体としての最古参EF58は35になる。終戦直後の工業荒廃、経済混乱に朝鮮戦争特需による高度経済成長の歴史も製造歴に刻み込んでいるのがEF58。EH10の高速試験が電車に劣るとの結果から旅客型EH50が幻となり、新世代機でも取り敢えず旅客用として作られたEF61も不調で少数に終わると実質EF58が「最後の旅客電機」として耐用年数一杯迄使われる事に。
EF58、EF13、モハ63、戦後間もない時代の粗製だったけれど改良を重ねて(生まれ変わって)長寿命でした。
まぁ電気の絶縁が【PCBに浸けるダケ】というビックリ仕様の機体もあったからなぁ🤪
でもデッキがある分クラッシャブルゾーンがあるから新車体より運転手的には安全と言ってた当時を振り返る記事を鉄道雑誌をみたような
半流線形ノーズもあるけど旧車体の妻部あたりの位置から新車体の妻部に向けてサイドが僅かに絞り込まれているのもスリムな感じに見える理由かもしれませんね。(旧車体の車体幅のまま伸ばすと車両限界を超過するため絞り込むことで限界内に収めたとか)
只今73歳,小学生のとき朝礼で駅でのお召列車に小旗を振る役に出されEF58-61の牽引お召列車をプラットホームから見ることが出来た。駅でも速度を維持しての走行で一瞬だったが外観の輝き具合に感動した! そのころは58は一段とカッコよく見えた!
4:34〜 ちゃんとEF18にも触れててよきよき
EF58でも茶色のが一番かっこいいな!
冒頭の50系曳くのは……新製直後の回送ですね。貸しレイアウトで50系遊びする際の変化球として使いたいところ。そういえばゴハチは新潟雪中阿房列車でも急行「越路」牽引で登場したけど、暖房装置故障で応急処置するもどうにもならず高崎にて機関車交換、という詫びアナウンスしていた記述がありましたね。
この形もめちゃくちゃカッコイイんだよなぁ〜
EF58は最初は箱型だった。すげぇ武骨だな。流線形の58は、カッコいいな。EF58−61号機は、東京総合車両センターの一般公開の時に見た記憶があります。カッコよかったです。
ef58型の新車体のデザインは、イタリア国鉄のelのデザインからパクりである。しかし、イタリア国鉄のelが古代ローマのグラディエーター的なデザインなのに対し、ゴハチは戦国武将的なイメージである。まだ、サムライspiritsが残っていた時代だったからだろう。
旧車体ベースの新車体になった機体もあったらしい。窓の数で判別が付くとか。 EF58も形態変化が著しいんで沼よ…。
方押し式ブレーキシュー、最近のもあったね、電車で。
初めて見たときは57か59の変形だと思ってたら58だったので驚きました。
乗務員の椅子も座り心地も良く社長の椅子と言われた!
あの有名なef58は元々は失敗作だったんだな……新車体に改造された事を機に伝説の機関車になったんだな。それにデッキの下が57とは比べてスカスカだし、旧車体はそのままef13へ流用したとは。
載せ替えってだけで魔改造ではナイ
3:58しかも真っ先に廃車。
粗悪品だらけの機関車だったけど言い換えれば粗悪品を使わないといけないくらい当時の日本はズタボロだったと言うことがわかる…(既に作られてた戦前製の物は除く)
同じEF58なのに紫電と紫電改C50とMD50Z34並に別物だ…Nゲージで旧58欲しいのにM社だしなぁ…
デッキ付きの方が好き
EF15と同じ形
ん? じゃぁモーター4個のままでずーっと生き残ってたの?
通風機って言ってるだろw
@@HopStepJunk おおおスマヌしかし、新ボディになっても通風モータ4個のままぽいねぇ。6個にすればよかったのに
通風モーターってマヌケ
@@さゆり-f9n 通風機、だったか要するにルーバーがあるだけ?それならなおさら新ボディにしたときに6個に増やせばいいのに
@@nyankorunaway2446 通風器でしょ、モーターでなくて、電車とかの屋根に乗っかっているグローブベンチレーダーやらガーランドベンチレーターも通風器、モーターで回ってる訳じゃない放熱が間に合えば良いだけのことで増やす必要が無かったのでしょうね現実的にそれで問題無かったのだから
5:39これは懐かしい! かつて亡き両親と一緒にサロンエクスプレス踊り子に乗りました。伊豆稲取で降りて、私はバカチョンカメラを持って急いで先頭車両のEF5861に向かいました。今のように撮り鉄がいるわけでもない一人だけの撮影会。すると運転手さんが白い手袋の人差し指で上を指してます👆。何だろ?と思って見てたらなんとヘッドライトを点灯してくれました。ハイビームがなんだと騒ぐのではなく、これは本当にサプライズ。嬉しかったなぁ。撮影した後、ありがとうございます!と一礼したら、汽笛を鳴らして下田方面に向けて発車。今でも忘れられない思い出です。
昭和の頃、EF58のけん引する御召列車も見ましたね。
バカチョンカメラ、懐かしい言い方ですね。祖父も写ルンですとかインスタントカメラをバカチョンカメラとか呼んでました(笑)。
高速性能、例えば時速70km→95kmはEF65より性能が良く乗務員にも好評だったようですね。ブルトレでEF65が足りずEF58になったら乗務員がかえって喜んだとういうのを鉄道趣味誌で読みました。
元からそれだけ高い潜在性能を持っていて 新車体化されてそれが遺憾無く発揮された訳ですね。
関西ブルトレにゴハチが復活できたのは平行ダイヤ化で速度出さなくて良くなったからでしょ
@@さゆり-f9nそうです。最高時速が110キロは、EF65やEF66が有利ですが、85〜95キロ程度で、客車8〜10両くらいならEF58の方がピッタリでした。
関西ブルトレが客車8輌から10輌だったのか調べるのめんどくせえけどな
EF58が旧車体の頃は恐ろしく評判が悪かったのは有名ですよね
EF58が新車体に換装した一方、登場から数年で限界を迎えてたEF13は渡りに船の如く次々と58の旧車体に換装していきました
結果、EF58もEF13もお互い迷車から名車に変貌していきましたとさ
「これが、あの58か...? 😲」
(当時、新車、新車体35、36を配置された、高崎区職員の言葉)
旧車体がEF13に流用されたのはあまりに有名なお話ですね。
ピッタリ31機ずつだったのですよね。
すると不評の車体をもらい受けたEF13が嫌われる結果になったのですか
@ 様 車体だけなので逆に装備の戦前並への更新を含めて、信頼性が向上し良い電気機関車になりました。
旧車体のEF58は本当にかっこいい。バランスの取れた端正なデザインが魅力的。
一方で新たな車体は完全に未来先取りですよね。一気に飛躍した感があり、これはこれで凄いと改めて思います。
余談ながら客貨兼用のEF65より足が速かったみたいですね。
そこそこしっかり作り上げたEF58の旧車体がEF13の載せ替え車体として使われて、箱替えが鉄道車両にもあったことが驚きです。
確か浜松に貨物用に歯数比変えたEF18ってのが最後まで残っていたような……。
箱車体のEF58が旧客の前に立つりりしい姿を見たのはこちらの動画が初めてだったので、ものすごく感動しました。
やっぱりデッキ付きの電気機関車は最高ですね。
因みにEF58は、ゴジラによって最初に破壊される鉄道車両という名誉な役目をやりました。その撮影に使用した模型は、交通博物館で制作された模型だそうです。
確か、GHQが製造停止を出して、デッキタイプのEF58は31両のみで、その影響で32〜34が欠番で更に東芝が既に製造していた分がキャンセルとなり、その後、流線型となって再生産の時に側面窓が7枚という仕様に…。
ちなみに旧車体はEF13に載せ替えられ、改造ではなく、車体譲渡だそうです。
電車の車体載せ替えは数多いものの 機関車の載せ替えは珍しく その意味でも『記憶に残る』カマですね。
…旧型機関車唯一無二の “湘南顔” のEF-58…
そしてカラーバリエーションも多かったのは、やはり唯一無二のEF-58…😅
カラーバリエーションだけじゃなく外装⁈や先台車・パンタ等も色々ありましたね。😅
全然旧車体もカッコ良いと思えるんよ
実用性や安全性はアレだけど…
ブレーキシューが車輪の両側についているのは、軸受けが平軸受けで左右から均等に抑えないと軸がずれるからですな
EF58とEF15にはロングラン運用に備えて軸受にローラーベアリングを採用したことで軸がずれなくなり、ブレーキシューが片側でよくなった
五八教信者として嬉しいです。
取り上げて下さってありがとうございます。
GHQによる緊縮財政政策、所謂「ドッジ・ライン」の影響で製作途中で作業中止で保留されたEF58 32・33・34号機は後に貨物機EF18として先導輪2軸台車等の外観はそのまま、歯車比をEF15並みに落として完成、貨物機なのでSG不要でもあり原型EF58の姿を1979年の廃車時まで留めていた。
3両のみの形式だがEF58時代のナンバーを継承し「EF18 32〜34」を名乗っていた。
次いで作られた35、36は旧車体で製造途上で新車体採用となり旧車体に新車体の運転席を貼り合わせた形になり側窓7つ(通常は5)の変形車に。
つまり新車体としての最古参EF58は35になる。
終戦直後の工業荒廃、経済混乱に朝鮮戦争特需による高度経済成長の歴史も製造歴に刻み込んでいるのがEF58。
EH10の高速試験が電車に劣るとの結果から旅客型EH50が幻となり、新世代機でも取り敢えず旅客用として作られたEF61も不調で少数に終わると実質EF58が「最後の旅客電機」として耐用年数一杯迄使われる事に。
EF58、EF13、モハ63、戦後間もない時代の粗製だったけれど改良を重ねて(生まれ変わって)長寿命でした。
まぁ電気の絶縁が【PCBに浸けるダケ】というビックリ仕様の機体もあったからなぁ🤪
でもデッキがある分クラッシャブルゾーンがあるから新車体より運転手的には安全と言ってた当時を振り返る記事を鉄道雑誌をみたような
半流線形ノーズもあるけど旧車体の妻部あたりの位置から新車体の妻部に向けてサイドが僅かに絞り込まれているのもスリムな感じに見える理由かもしれませんね。(旧車体の車体幅のまま伸ばすと車両限界を超過するため絞り込むことで限界内に収めたとか)
只今73歳,小学生のとき朝礼で駅でのお召列車に小旗を振る役に出されEF58-61の牽引お召列車をプラットホームから見ることが出来た。
駅でも速度を維持しての走行で一瞬だったが外観の輝き具合に感動した! そのころは58は一段とカッコよく見えた!
4:34〜 ちゃんとEF18にも触れててよきよき
EF58でも茶色のが一番かっこいいな!
冒頭の50系曳くのは……新製直後の回送ですね。貸しレイアウトで50系遊びする際の変化球として使いたいところ。
そういえばゴハチは新潟雪中阿房列車でも急行「越路」牽引で登場したけど、暖房装置故障で応急処置するもどうにもならず高崎にて機関車交換、という詫びアナウンスしていた記述がありましたね。
この形もめちゃくちゃカッコイイんだよなぁ〜
EF58は最初は箱型だった。すげぇ武骨だな。
流線形の58は、カッコいいな。
EF58−61号機は、東京総合車両センターの一般公開の時に見た記憶があります。カッコよかったです。
ef58型の新車体のデザインは、イタリア国鉄のelのデザインからパクりである。しかし、イタリア国鉄のelが古代ローマのグラディエーター的なデザインなのに対し、ゴハチは戦国武将的なイメージである。まだ、サムライspiritsが残っていた時代だったからだろう。
旧車体ベースの新車体になった機体もあったらしい。窓の数で判別が付くとか。
EF58も形態変化が著しいんで沼よ…。
方押し式ブレーキシュー、最近のもあったね、電車で。
初めて見たときは57か59の変形だと思ってたら58だったので驚きました。
乗務員の椅子も座り心地も良く社長の椅子と言われた!
あの有名なef58は元々は失敗作だったんだな……
新車体に改造された事を機に伝説の機関車になったんだな。
それにデッキの下が57とは比べてスカスカだし、旧車体はそのままef13へ流用したとは。
載せ替えってだけで魔改造ではナイ
3:58
しかも真っ先に廃車。
粗悪品だらけの機関車だったけど言い換えれば粗悪品を使わないといけないくらい当時の日本はズタボロだったと言うことがわかる…(既に作られてた戦前製の物は除く)
同じEF58なのに
紫電と紫電改
C50とMD50
Z34並に別物だ…
Nゲージで旧58欲しいのにM社だしなぁ…
デッキ付きの方が好き
EF15と同じ形
ん? じゃぁモーター4個のままでずーっと生き残ってたの?
通風機って言ってるだろw
@@HopStepJunk おおおスマヌ
しかし、新ボディになっても通風モータ4個のままぽいねぇ。6個にすればよかったのに
通風モーターってマヌケ
@@さゆり-f9n 通風機、だったか
要するにルーバーがあるだけ?
それならなおさら新ボディにしたときに6個に増やせばいいのに
@@nyankorunaway2446
通風器でしょ、モーターでなくて、電車とかの屋根に乗っかっている
グローブベンチレーダーやらガーランドベンチレーターも通風器、モーターで回ってる訳じゃない
放熱が間に合えば良いだけのことで増やす必要が無かったのでしょうね
現実的にそれで問題無かったのだから