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151系・20系は国鉄時代の最高傑作。配色も含め、今でも優美なデザインは色褪せませんな。
新幹線の父とも呼ばれる島秀雄さんにとって、自身の鉄道人生の中で最も嬉しかったことは、このこだまが走り始めた時だったそうだ。
この形式は日本の鉄道史で本当にトップレベルに輝く最高級の車両だと思う
余談ながら神田須田町にかつて存在した旧交通博物館に存在した食堂は、151系全車食堂車のサシ151製造前に検討材料として製作された実寸法モックアップモデルの部品や調度品を、交通博物館食堂に流用したと聞いたことがあります。クーラーの形状、壁時計、会計用レジスター、テーブルとイスなどに面影がありました。
一度だけスパゲッティを食べました^_^
181系となって 山陽路の特急として走るようになった頃 新大阪からジャイアンツの選手団が新幹線から乗り継いで来た。それを見た車掌さんが 元国鉄のカネやんを 「どうぞ。」とクロハの区分室に招待したとか。
@@toriri-service 阪神の監督コーチがミーティングに使ったとかいう記述も見た事があります。もうまともに使われなくてどうせ誰も使わないならって事でテキトーに人入れてたみたいですね
パーラーカーいいよね
総定員18名は令和に例えたら「グランクラス」
151系って思い切った発想でしたね。つばめはとの電車化の時にはモロありました。山陽特急になってからクロハ181の個室コンパートメントに乗車しました。本当に静かだったのを覚えてます。
非電化区間にもこだま形をのリクエストに応えて登場したのがキハ81形。こだま形に似せて苦労して作られたボンネット形だったものの寸詰まりな格好で「ブルドッグ」と呼ばれました。
『はつかり』が走るようになった東北地方の沿線住民からも初めてそのスタイルを見た時は「カッコ悪い。」と不評だったとか。車内も シート背面のモケットが省略されて化粧板張りになるなど 若干のコストダウンが行われました。
151電車の華々しい活躍と対象的に、キハ81は非力と故障に悩まされ続けたそうで、動力近代化の多難を象徴するような特急気動車だったようです。イメージが良くなかったのかブルドックは早々に貫通扉のキハ82に交代されてしまいました。
ある意味この時代こそ東海道本線の黄金期かも知れませんねそれにしても151系の様に食堂車付の在来線特急は現代人の鉄オタに取っては憧れちゃいます😊
食堂車を持つ形式は特急車両の中でも格上に感じます。151/181系後に続く直流特急車両に食堂車が無かった事は、食堂車がある485系を国鉄を代表する特急にした要因に思えます
クロ151は今後も現れないであろう最高の車両ですね。防弾仕様は貴賓車予備の12のみです。わ
戦前の一等車やあじあ号用客車製造に関わった人々が関与した上に、戦後復興を遂げ国家の威信をかけた車輌なので、後年のビジネスライクな車輌や近年に成金趣味な自称豪華車輌とは向いているベクトルが違う。
最晩年、特急あさまで一度乗車しました。サロ151から改造のサロ181に、音楽室みたいな多孔板の天井とビジネスデスクがあったのが記憶に残っています。
昭和35年上映のフランキー堺主演映画《特急にっぽん》でモノクロだけど車内の様子がよく分かる。
151系のこだま号は、スゴかったですよね。東京~大阪を日帰り出来るため…行って帰る事で、愛称を「こだま」にしたとか…。また停車駅を東京、横浜、名古屋、京都、大阪にしたとか…。なんと横浜~名古屋300㌔をノンストップと当時では、考えられない列車でした。運転席すぐ後ろの客席を待機運転士席にして、安倍川鉄橋通過の時に….田町電車区の運転士から大垣電車区の運転士に交代していたから、驚きですよね。上りは、その逆ですけど…。とにかく、今では考えられない列車でした。
客用座席を待機席に使ってて車内でトラブルが頻発したらしいですね。いかにも国鉄というか公務員らしい思考でした
のちに静岡駅停車して、静岡駅で運転士交代をしたとか…。
歴史は繰り返すのですね。特急つばめも蒸気機関車時代にはノンストップに拘るあまり、走行中の機関士交代をやっていた時期が。
今風に言えばグランクラスには内線電話があって、飲食物を運んでくれるサービスがあった気がします。
歴史をありがとう。
151系つばめに連結されたパーラーカーは、マルスの対象外であったために乗車券の取得がかなり大変であったそのため、基本的に誰も利用することなく空気輸送に従事していたそうなまあ、利用するにあたっての料金が高かったのも理由の一つだったようです
151系、特にパーラーカーは実質3年で東海道のトップを譲った事になりますね。昭和30年代高度成長期時代の技術革新の速さを伺えます。ちなみに151系は本来3等モノクラスで検討されてました。でも諸事情により最終的にパーラーカーや食堂車まで揃えた為に形式数が増えすぎたのが反省的に。その為新幹線0系は初期151系のようなシンプルな車両構成に改らためられました。
交直流481系でも同じ理由で形式数を絞っていました。
481系の発展型485系はモハ2種類のみで登場し、他は481系共用というシンプルさ。しかし時代が移ると様相が一変、耐寒耐雪型、クロ、クロハ、クモハ、パノラマグリーン車、あげくには様々なジョイフルトレインまで登場して、もはや全部を挙げるのが難しい形式にw
昭和33年当時にして、ビュッフェでアイスクリームはすごい。今のスイーツ感覚??
高速度試験が行われたのは 昭和34年なので もう『こだま』は走っていましたよ。それはともかく 改めて性能や設備面で本当に画期的な車両だった事を実感します。先頭から5両連続で1等車が続き サシ(食堂車🍴)とモハシ(ビュフェ☕)が共に入った編成なんて圧巻過ぎます。他の方も仰るように 当時の日本映画に登場する機会も多く『天国と地獄』では 予備編成を丸々レンタルしての撮影も行われました。
これのベースになったかもしれないけど、機関車のEF66よく似てるな!やっぱり私は非貫通の流線形より貫通型のほうが好きだな。
やはりボンネットはカッコイイね
国鉄のマーク、特急のマークは、デザインがとても良い。無駄がない感じです。今のJRマークは、物足りなさがあります。特急マークも、消えてしまい、上品さが無くなった感じがします。妄想だけど、JRは、合併して、新国鉄として、新151系の車両を開発して、インバウンド向けにしたらどうだろうかと、考えた。(デザインは、151系に準じる)
JNRのロゴマークのデザイン性と比べて、JRのロゴマークのセンスは民営化当時の困窮ぶりを覗わせるものに感じます。デザイナーに依頼するなり準備ができていればもっとそれっぽいロゴマークになったのでは。車体側面にセンスの無いJRロゴを入れられた国鉄車両達に幻滅したものです。まじやめれ
パーラーカー
3000形(小田急)や151系(国鉄)は新幹線の🚅🚄ルーツなり。
151系の登場当時は丁度空き番号になっていた20台形式で登場したが程なく形式称号で151系になった。登場時は今から思えば思いのほか単純な構成でクハ+モハ+モハシ+サロで基本編成扱いにして、それを前後反転させサロ同士で繋いで8連としたもの。サシではなくモハシで登場したのは[ビジネス特急]として当初は[つばめ][はと]よりやや格下(つばめ・はとを両横綱とすれば不定期のさくらが大関でこだまは関脇級?)の扱いで本格的な食堂車より軽食供給のビュッフェ方式が良いと判断されたのと、客レと違い編成両端にクハ或いはクモハが入る関係で食堂車に行くハザ客がロザ車内を通るのを避ける為にサロの前後に供食設備のある車輛を用意したかったこと、更にMGからの電源供給の兼合いもあった。後年食堂車が登場した時には食堂車を境に下り側1号車から全車ロザ車だったのはこれもハザ客をロザ車内を通させない為。ただこれには弊害もあった。客レなら何処に繋いでも最後尾に後部標識吊るしておけば済むが、電車は編成組成の制約が色々ある。151系の最盛期の東海道特急は12両編成に11形式、ほぼ全車輛形式が違うってことになってしまった。後の485系ではその点を反省し形式ラインアップも車種を増やさない方向に進み標準化が行き届いた。もう半世紀前になるが[L特急]化した山陽特急群、[しおじ]に運用されていた151系クロハ181を先頭とする編成に、かつての東海道時代の栄光を偲んだのも懐かしい思い出だ(^^)/
481と比べると交流機器が無いぶん、軽くて疾走りやすかった。とはとある糸崎のお方の記録。クロ見てみたかったな・・・。
4:20 今やばいもの言ってなかった?
151系は客車特急の電車化をめぐって今以上のデラックスな車両は不要という意見もありサロやモロ相当の「クロ」を作る案もあってパーラーカーをもつ車両は「クパロ」もしくは「クロパ」として格上の扱いを受けていました製造にあたり、東海道の昼行特急が全廃になる新幹線開業までに十分稼げるので格下げ改造をして東海道の準急にでも使って構わない下手をすれば157系相当で晩年を過ごす可能性も製造前に考えられていたようです蛇足ですが、1962年に151系の交直流版として分割併合を考え制御車はキハ82風とした463系が計画されていましたもし481系の登場を待たず463系が製造されていたらボンネットの意匠も受け継がれず歴史の中に埋もれていたかも?
「パ」ってパーラーカーそのまんまですねw むしろ「イ」の方が国鉄らしい気がしますが、等級制廃止の方向性に逆行してるから避けたとかその手の事情でもあったのかも?前面扉型の特急電車は月光型581系に準じたデザインに統一された訳ですが、気動車顔の電車も見たかったですね。
6:54オ~リンピアァ~(昔々の海外アニメ😅)
先生 私にはわかります。♫ハーキュリ〜 僕らのみ〜か〜た〜6:15 エロガッパ
「イッ!」
軽量化しすぎてやらかしている。台車枠に亀裂、車軸折損。台車枠厚6㎜→9㎜、車軸 中空軸→中実軸。あとから登場した161系はこの仕様。
進駐軍専用列車をお願い
元祖「垂れ流し特急」という認識
客車時代から垂れ流しですぞ
>181系に改造151系って鳴り物入りで登場した割に途中から消えていたからどこ行ったんだろって思っていたら…あなただったのか
電動機を強化型に載せ替えられて181系としてあずさやときに使われました。特に豪雪地帯のときは晩年ボロボロになるまで使い倒されました。
国鉄のヴァカな所はこの時点での最高級な設備を何10年も基準としたとこやな。この車で使われたコンパートメントや特別席などはNEXやグランクラスまで誕生しなかった
だから 昭和40年代後半辺りでアコモデーションのレベルは 大手私鉄の特急電車に追いつかれ追い越されましたね。
あれで良いとは国鉄上層部は思っていなかった。本当はもっともっとアップグレードしたかったのだが…生憎1964/昭和39年より単年度赤字会計になってしまいその一方大都市圏の混雑緩和、主要幹線の輸送力増強が喫緊の課題となった上に労使対立もあって結果的に[質より量]に追われてしまったもの。やりたくても出来なかった。
クロ181やパーラーカーの再来かと言われた253系N'EXの顛末を見ると豪華でも需要がなければ意味がないのです
まさに151系を意識して登場したのが、東武鉄道DRC1720系。
鉄道輸送需要の爆発的な増加で主要幹線は全て逼迫して、押し寄せる旅客をいかにさばくかという大量輸送の課題をこなすのに手一杯で、特別室などの設備向上など二の次になってしまいました。
走る快活クラブかな?
正直【まだ、生まれてなかったw】から、戦前とか昭和とか良く分からないが😅ぶっちゃけ新幹線の新路線開業って、この「こだま号の感動再び❗️」というか焼き直しな希ガス😂
151系・20系は国鉄時代の最高傑作。
配色も含め、今でも優美なデザインは色褪せませんな。
新幹線の父とも呼ばれる島秀雄さんにとって、自身の鉄道人生の中で最も嬉しかったことは、このこだまが走り始めた時だったそうだ。
この形式は日本の鉄道史で本当にトップレベルに輝く最高級の車両だと思う
余談ながら神田須田町にかつて存在した旧交通博物館に存在した食堂は、151系全車食堂車のサシ151製造前に検討材料として製作された実寸法モックアップモデルの部品や調度品を、交通博物館食堂に流用したと聞いたことがあります。クーラーの形状、壁時計、会計用レジスター、テーブルとイスなどに面影がありました。
一度だけスパゲッティを食べました^_^
181系となって 山陽路の特急として走るようになった頃 新大阪からジャイアンツの選手団が新幹線から乗り継いで来た。
それを見た車掌さんが 元国鉄のカネやんを 「どうぞ。」とクロハの区分室に招待したとか。
@@toriri-service 阪神の監督コーチがミーティングに使ったとかいう記述も見た事があります。もうまともに使われなくてどうせ誰も使わないならって事でテキトーに人入れてたみたいですね
パーラーカーいいよね
総定員18名は令和に例えたら「グランクラス」
151系って思い切った発想でしたね。つばめはとの電車化の時にはモロありました。山陽特急になってからクロハ181の個室コンパートメントに乗車しました。本当に静かだったのを覚えてます。
非電化区間にもこだま形をのリクエストに応えて登場したのがキハ81形。こだま形に似せて苦労して作られたボンネット形だったものの寸詰まりな格好で「ブルドッグ」と呼ばれました。
『はつかり』が走るようになった東北地方の沿線住民からも初めてそのスタイルを見た時は「カッコ悪い。」と不評だったとか。
車内も シート背面のモケットが省略されて化粧板張りになるなど 若干のコストダウンが行われました。
151電車の華々しい活躍と対象的に、キハ81は非力と故障に悩まされ続けたそうで、動力近代化の多難を象徴するような特急気動車だったようです。
イメージが良くなかったのかブルドックは早々に貫通扉のキハ82に交代されてしまいました。
ある意味この時代こそ東海道本線の黄金期かも知れませんね
それにしても151系の様に食堂車付の在来線特急は現代人の鉄オタに取っては憧れちゃいます😊
食堂車を持つ形式は特急車両の中でも格上に感じます。
151/181系後に続く直流特急車両に食堂車が無かった事は、食堂車がある485系を国鉄を代表する特急にした要因に思えます
クロ151は今後も現れないであろう最高の車両ですね。防弾仕様は貴賓車予備の12のみです。わ
戦前の一等車やあじあ号用客車製造に関わった人々が関与した上に、
戦後復興を遂げ国家の威信をかけた車輌なので、
後年のビジネスライクな車輌や近年に成金趣味な自称豪華車輌とは向いているベクトルが違う。
最晩年、特急あさまで一度乗車しました。
サロ151から改造のサロ181に、音楽室みたいな多孔板の天井とビジネスデスクがあったのが記憶に残っています。
昭和35年上映の
フランキー堺主演映画
《特急にっぽん》でモノクロだけど
車内の様子がよく分かる。
151系のこだま号は、スゴかったですよね。
東京~大阪を日帰り出来るため…行って帰る事で、愛称を「こだま」にしたとか…。
また停車駅を東京、横浜、名古屋、京都、大阪にしたとか…。
なんと横浜~名古屋300㌔をノンストップと当時では、考えられない列車でした。
運転席すぐ後ろの客席を待機運転士席にして、安倍川鉄橋通過の時に….田町電車区の運転士から大垣電車区の運転士に交代していたから、驚きですよね。上りは、その逆ですけど…。
とにかく、今では考えられない列車でした。
客用座席を待機席に使ってて車内でトラブルが頻発したらしいですね。いかにも国鉄というか公務員らしい思考でした
のちに静岡駅停車して、静岡駅で運転士交代をしたとか…。
歴史は繰り返すのですね。
特急つばめも蒸気機関車時代にはノンストップに拘るあまり、走行中の機関士交代をやっていた時期が。
今風に言えばグランクラスには内線電話があって、飲食物を運んでくれるサービスがあった気がします。
歴史をありがとう。
151系つばめに連結されたパーラーカーは、マルスの対象外であったために乗車券の取得がかなり大変であった
そのため、基本的に誰も利用することなく空気輸送に従事していたそうな
まあ、利用するにあたっての料金が高かったのも理由の一つだったようです
151系、特にパーラーカーは実質3年で東海道のトップを譲った事になりますね。昭和30年代高度成長期時代の技術革新の速さを伺えます。
ちなみに151系は本来3等モノクラスで検討されてました。でも諸事情により最終的にパーラーカーや食堂車まで揃えた為に形式数が増えすぎたのが反省的に。その為新幹線0系は初期151系のようなシンプルな車両構成に改らためられました。
交直流481系でも同じ理由で形式数を絞っていました。
481系の発展型485系はモハ2種類のみで登場し、他は481系共用というシンプルさ。
しかし時代が移ると様相が一変、耐寒耐雪型、クロ、クロハ、クモハ、パノラマグリーン車、あげくには様々なジョイフルトレインまで登場して、もはや全部を挙げるのが難しい形式にw
昭和33年当時にして、ビュッフェでアイスクリームはすごい。今のスイーツ感覚??
高速度試験が行われたのは 昭和34年なので もう『こだま』は走っていましたよ。
それはともかく 改めて性能や設備面で本当に画期的な車両だった事を実感します。
先頭から5両連続で1等車が続き サシ(食堂車🍴)とモハシ(ビュフェ☕)が共に入った編成なんて圧巻過ぎます。
他の方も仰るように 当時の日本映画に登場する機会も多く『天国と地獄』では 予備編成を丸々レンタルしての撮影も行われました。
これのベースになったかもしれないけど、機関車のEF66よく似てるな!
やっぱり私は非貫通の流線形より貫通型のほうが好きだな。
やはりボンネットはカッコイイね
国鉄のマーク、特急のマークは、デザインがとても良い。無駄がない感じです。
今のJRマークは、物足りなさがあります。特急マークも、消えてしまい、上品さが無くなった感じがします。
妄想だけど、JRは、合併して、新国鉄として、新151系の車両を開発して、インバウンド向けにしたらどうだろうかと、考えた。(デザインは、151系に準じる)
JNRのロゴマークのデザイン性と比べて、JRのロゴマークのセンスは民営化当時の困窮ぶりを覗わせるものに感じます。
デザイナーに依頼するなり準備ができていればもっとそれっぽいロゴマークになったのでは。
車体側面にセンスの無いJRロゴを入れられた国鉄車両達に幻滅したものです。まじやめれ
パーラーカー
3000形(小田急)や151系(国鉄)は新幹線の🚅🚄ルーツなり。
151系の登場当時は丁度空き番号になっていた20台形式で登場したが程なく形式称号で151系になった。登場時は今から思えば思いのほか単純な構成でクハ+モハ+モハシ+サロで基本編成扱いにして、それを前後反転させサロ同士で繋いで8連としたもの。
サシではなくモハシで登場したのは[ビジネス特急]として当初は[つばめ][はと]よりやや格下(つばめ・はとを両横綱とすれば不定期のさくらが大関でこだまは関脇級?)の扱いで本格的な食堂車より軽食供給のビュッフェ方式が良いと判断されたのと、客レと違い編成両端にクハ或いはクモハが入る関係で食堂車に行くハザ客がロザ車内を通るのを避ける為にサロの前後に供食設備のある車輛を用意したかったこと、更にMGからの電源供給の兼合いもあった。後年食堂車が登場した時には食堂車を境に下り側1号車から全車ロザ車だったのはこれもハザ客をロザ車内を通させない為。
ただこれには弊害もあった。客レなら何処に繋いでも最後尾に後部標識吊るしておけば済むが、電車は編成組成の制約が色々ある。151系の最盛期の東海道特急は12両編成に11形式、ほぼ全車輛形式が違うってことになってしまった。
後の485系ではその点を反省し形式ラインアップも車種を増やさない方向に進み標準化が行き届いた。
もう半世紀前になるが[L特急]化した山陽特急群、[しおじ]に運用されていた151系クロハ181を先頭とする編成に、かつての東海道時代の栄光を偲んだのも懐かしい思い出だ(^^)/
481と比べると交流機器が無いぶん、軽くて疾走りやすかった。
とはとある糸崎のお方の記録。クロ見てみたかったな・・・。
4:20 今やばいもの言ってなかった?
151系は客車特急の電車化をめぐって今以上のデラックスな車両は不要という意見もありサロやモロ相当の「クロ」を作る案もあって
パーラーカーをもつ車両は「クパロ」もしくは「クロパ」として格上の扱いを受けていました
製造にあたり、東海道の昼行特急が全廃になる新幹線開業までに十分稼げるので格下げ改造をして東海道の準急にでも使って構わない
下手をすれば157系相当で晩年を過ごす可能性も製造前に考えられていたようです
蛇足ですが、1962年に151系の交直流版として分割併合を考え制御車はキハ82風とした463系が計画されていました
もし481系の登場を待たず463系が製造されていたらボンネットの意匠も受け継がれず歴史の中に埋もれていたかも?
「パ」ってパーラーカーそのまんまですねw
むしろ「イ」の方が国鉄らしい気がしますが、等級制廃止の方向性に逆行してるから避けたとかその手の事情でもあったのかも?
前面扉型の特急電車は月光型581系に準じたデザインに統一された訳ですが、気動車顔の電車も見たかったですね。
6:54
オ~リンピアァ~
(昔々の海外アニメ😅)
先生 私にはわかります。
♫ハーキュリ〜 僕らのみ〜か〜た〜
6:15 エロガッパ
「イッ!」
軽量化しすぎてやらかしている。台車枠に亀裂、車軸折損。
台車枠厚6㎜→9㎜、車軸 中空軸→中実軸。あとから登場した161系はこの仕様。
進駐軍専用列車をお願い
元祖「垂れ流し特急」という認識
客車時代から垂れ流しですぞ
>181系に改造
151系って鳴り物入りで登場した割に途中から消えていたからどこ行ったんだろって思っていたら…あなただったのか
電動機を強化型に載せ替えられて181系としてあずさやときに使われました。
特に豪雪地帯のときは晩年ボロボロになるまで使い倒されました。
国鉄のヴァカな所はこの時点での最高級な設備を何10年も基準としたとこやな。この車で使われたコンパートメントや特別席などはNEXやグランクラスまで誕生しなかった
だから 昭和40年代後半辺りでアコモデーションのレベルは 大手私鉄の特急電車に追いつかれ追い越されましたね。
あれで良いとは国鉄上層部は思っていなかった。本当はもっともっとアップグレードしたかったのだが…生憎1964/昭和39年より単年度赤字会計になってしまいその一方大都市圏の混雑緩和、主要幹線の輸送力増強が喫緊の課題となった上に労使対立もあって結果的に[質より量]に追われてしまったもの。やりたくても出来なかった。
クロ181やパーラーカーの再来かと言われた253系N'EXの顛末を見ると豪華でも需要がなければ意味がないのです
まさに151系を意識して登場したのが、東武鉄道DRC1720系。
鉄道輸送需要の爆発的な増加で主要幹線は全て逼迫して、押し寄せる旅客をいかにさばくかという大量輸送の課題をこなすのに手一杯で、
特別室などの設備向上など二の次になってしまいました。
走る快活クラブかな?
正直【まだ、生まれてなかったw】から、戦前とか昭和とか良く分からないが😅
ぶっちゃけ新幹線の新路線開業って、この「こだま号の感動再び❗️」というか焼き直しな希ガス😂