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中一です!小名木先生のお話、とっても分かりやすくて、聞いていて楽しいです。
学校の歴史ってストーリーがないと分かりづらくて、つまんないんよな
授業中にこの動画見ていたいくらいですねw
小名木さんの話は面白すぎる!こういう話を子供達に聴かせてあげたい。
刺青にそんな意味があったとは知りませんでした。勉強になります。
すっかり先生のファンになりました😀冷え対策に入れ墨は凄く理解出来ます。私は暑がりなので、顔にファンデーション塗ったら、一気に暑くなります。皮膚の表面を少し覆うだけなのにと、いつも思っています。考古学を少し勉強したので、古代の事に興味あります。先生のお話 説得力あります。
知らない分野です。楽しい講義ありがとうございます。
心のもやもやがすっきり晴れ渡るお話しをありがとうございました
海洋民族から農耕民族への転換の話は、なんだか海幸山幸の話を思い起こされますね。7300年前の破局噴火から1300年前の農耕完全転換までは幅がありすぎではありますが。海幸が天候不良などで生活が苦しくなるのに対し、山幸は徐々に豊かになっていきますから。日本人が実際に漁撈主体から農耕主体となっていった経緯があの話の中に織り込まれているように思います。
「日本人は自由人」は非常に納得しました。ヨーロッパの地下鉄では昔からスリに気を付けるように言われています。数年前にローマに行った時にもしっかりとスリに遭遇しました。日本人からすると考えられないことで、それぞれの人がより暮らしやすくなることを考えているためだと思います。
すごい仮説ですね、こんなにわくわくしたのは初めてです。
まだまだ謎過ぎてこっちの価値観で、縄文時代の前を「旧石器時代」と決め付けてる時代があるけどあの時代もロマンあるよなぁ・・・。このチャンネルで触れられてるけど、その時代からある程度文明が発達しててそれこそ、その時代からご先祖が日本の外に船で飛び出してても全然不思議じゃないと思う。
南米での縄文土器の発見などもあるので、やはり、太平洋には大きな文化があったのではないかと思っていました。アカホヤの大噴火により、散らばった民族が、東を目指したとすると、ものすごく長い期間、東の果ての国での生活の記憶が人々の中に受け継がれてきたのかと思うと、すごいですね♪
お祖母様から聞いた話しとよく似ています‼️若い時海で漁師と一緒にフカを取り、同じ背丈程のフカの尻尾を担いで、鉈の様な大きな出刃包丁で料理をしたと話して下さいましたw とても沢山の魚料理をして下さいました。大きな魚も骨まで叩いて、大きなすり鉢で擦って、その魚の身を生で入れてほっぺが落ちそうな美味しい料理を食べさせて下さいました。刺青の話も納得です‼️皆褌いっちょでモリを投げて海に入り魚を取っていたと話して下さっていました。母は、神社や古墳の側で海辺で育ったと言っていました。ほこらがあって中には勾玉や色んなものが沢山あったそうです。もっと、色んな話を聞きたかったと思っても、仕方ないですね🥲神武天皇の神社があるとか古墳が沢山あるとか、名前だけでも覚えておきたかったですお祖母様は神武天皇の時代に遡る話をして下さったことも有りました。多くの古代史の武勇伝の絵本を読んでは、話して下さいました。小さな頃なので、もう殆ど忘れておぼろげで断片を、先生の話を聞く事で思い出しています初めは唯聞いていたのですが、投稿したくなり書いています🤭🙏感謝です🙇♀️
是非、また思い出したらコメントお願いします。私達もそのお婆様のお話聞きたいです(^^)お布団の中で聞いた昔話を聞くようで素敵です!そして真実の伝承が見え隠れしてワクワクします。
@@mizusun5617 さん、有難うございます❣️🙏個人的な事を書いてもと思いながら、先生の本を何冊も読み、ずーっと聞いて来ましたが、何だかよく似た話だったりなので、思わず書き出しました🤭😅戦後生まれなので、お祖母様は、中学へ行く頃に亡くなり、母も早世でした。でも母が亡くなる前は、母の故郷の日向を回る事になっていました。細島にも行く予定でしたが、何度か転勤が有り、神戸の須磨で育ったそうです。母もほこらの思い出が強くて、そこを探して、訪ねていく事になっていました。本当に今も残念に思っています。山窩の話も聞いていました。半信半疑な気持ちも有りましたが、自然と話すお祖母様の話が好きでした。話では古代からずーっとお付き合いがあったとの事で、物々交換で、お金は殆どお持ちにならなかったそうです。そして、決して敷居を跨がない方だったそうです。でも精悍で気高い方だったと言っておられました。何処に引っ越してもその季節になると勝手口へ来られたそうです‼️子供心に忍者さんだ〜と思いましたw 空襲で何もかも燃えてしまったそうです‼️焼け野原になった時、御先祖様に申し訳ないと思い、必死で子供達を育てたと言っておられました。そんなこんなで、又機会が有れば、投稿しますね‼️有難うございました🙇♀️⛩🇯🇵
日本人は、海洋民族で、しかも自由な考え方を持っていた、さらに、、、と仮説は広がり、本当にワクワクします‼️学校でも聞かせたい話ばかり✨
良いお話でした ありがとうございます
面白い着眼点だなと思ってグーグルアースで見てみました。2万年前の海面が-140m前後としたら大島から南5km地点から神津島の南西10km地点にわたって地続きの三日月型の陸地が浮上します。従って内海状の湾が出来上がり伊豆半島から大島までは約10km大島から三日月型の陸地まで5kmと航海距離はぐんと短くなります。神津島までは今よりもっと簡単に行き来出来てた可能性も見えてきました。
ウエットは夏場に着て冬はドライスーツ着るのが普通かな!?潜水士、漁師の方たちは海難で亡くなって顔がわからなくなっても刺青で誰かわかるように入れてる方が多いですね
ウンサンギガは、無理があるが、実際、日本人が世界に散らばった説はありますよね。面白いですね!
最近、エクアドルで縄文土器が出て来ました。
先生の話には、夢とロマンがありますよね。話を聴きながら、ふと太古の昔を夢想してみました。日本は、豊葦原瑞穂国です。私の想像では、倭人達は当時無尽蔵にあった葦で造った大型の船を使って、全世界を航海していたのかも知れません。どこかの国には、葦で造った浮島に家を建て、畑を作り、魚を釣って暮らしている民族がいますが、もしかすると、倭人達も葦船の上で畑を作り魚を釣っていたのかも。さすればかなり遠くまで航海が可能ですね。
藁で造った、浮き島は、南平に、現代も在りますね❗ペルーとチリとボリビアの国境地帯に在るそうですね⁉️
縄文土器は世界最古の土器なのに日本に古代文明が無い?て腑に落ちない話ですが、じつはもしかしたら、文明の発祥民族かも?大変面白い話で腑に落ちます。
ついこの前放送の「世界ふしぎ発見」でニュージーランドのクック諸島で伝統の競技が紹介されました。日本の竹馬と同じで、竹ではなく木を削って作ってました。何か繋がってるのかもしれませんね。
このチャンネルの本骨頂の入り口に来ましたね!ちょっとまだ早いかなとも思いますが、大変面白い!なぜか? いま文化的にも学術的にも世界で覇権を謳歌する西欧文明を根こそぎひっくり返すからです! それこそ根こそぎです。もしかしたらプラトンからデカルト、マルクス、フロイト(ユングは別w)、そして現代ならドーキンス、スティーブ-ピンカー、そしてジョーダン-ピーターソンまで。西欧の知性の結晶を粉々に打ち砕く! 小名木先生ならやれる!w
海洋民族…鹿児島、小田原、仙台までと(他にもあるかもしれませんけど)かまぼこの名産地が日本の太平洋側に沿ってあるということが以前から興味深いと思っていました。神社の多くも海上から拝めるようなところにありますし。
大抵は『わだつみの神殿』として、海の護り神様を、祀る、建物で🇯🇵文化の始まりだったのでしょうね⁉️
日本が多神教であるのも、小名木先生のおっしゃる通りかもしれませんね。
外洋に出た。と言うことは星や風や潮や気象を読み、360度海ばかりの独りぼっちでも方向を見誤らないだけの知識とそれに見合う技術が有ったということでしょうか。凄いです。
九州と東北の言葉は、今でも良く似ています。良く出身を間違えられます。7,300年前、九州から多くの倭人が、東北に移住したのでしょうね。
京都を中心に同心円でイントネーションがにかよるのでは?
中心部の文明文化が届きにくいので、古くからの言葉が残っているのだと思います。古くは京都、現在は東京が文明の中心部で人口の多い都会では次々に新しい言葉が生まれだんだん広がります。円を書くとわかりますが、外側が一番伝わりにくいです。縄文時代の言葉の名残がより残っているという事だと思います。
母が漁港文化圏の生まれですが,お酒に強いのは事実です.
フィリピンから沖縄、南鹿児島、長崎、朝鮮半島の南の一部あたりまでを活動領域とする海洋民族がいたという話があります。一方、東北部では縄文期に、栗を栽培するという、一種の農耕文化があったと聞いたことがあります。
日本の『和の文化』の基本は船に複数人が乗る文化から来ているじゃないですか? 海上の船の上では一致団結しないと船が転覆しますよね。自ずと『和の文化』が形成されるんじゃないですかね!
最近中国の行き過ぎたナショナリズムで「古墳時代の倭人に漢民族の血が流れてる!」とか訳わからん事言ってて引いてしまった。そもそも中華で漢民族としての民族性が確立され始めたのは、かなり先の時代だしその時代の大陸の人間にそんな意識はない。
漢民族かは置いておいて古墳は大陸からやって来た王族やそのテクノクラートが初めたことであろうトリリスはおにの仕事
昔の漢民族は殆ど殺されて絶滅状態だと聞いた事アル。だから、今の漢民族と昔の漢民族は別物なんだって。
嘘を作って、関係のない人々を漢民族になれ、その後は武力統治をかけ、漢民族なれ思わさせ作戦ですよ。日本国をはじめ、アジア諸国は、あの国に騙され、いろんな攻撃例えばサイバー攻撃を受けてありますよ。
チャイナ、コリアとはっきり言うのがいいね
たしかに、基礎のない人に応用を説明しても気が遠くなる。海洋民族といっても、全員がそういうことでもなかったのでしょう。お米は、精米の程度によりますが、精米して、たんぱく質が少ないほどおいしい。野菜と、お魚や獣のお肉、あるいは大豆のようなたんぱく質がないと、栄養がそろいません。意外と日本人はすんなりと「分業」が出来たのでしょうね。木工、金属工、石器工、土器工、土木工、稲作工、遠洋工、漆工など、農閑期に行えますね。農業による余暇は、文化の創出の源ですね。その日暮らしの民族にはたどり着けない。
小名木先生の《日本人海洋民族説》を始めて聞いたとき、、、『チチカカ湖のリードボート』の映像を思い出しました。
面白い!!!面白い!!!ありがとう!!!
日本・日本人とは、何者か?中川八洋 著『超先進国日本』渡部昇一 著『かくて歴史は始まる』ボブ・フィックス 著『時を超える聖伝説』千賀一生 著『ガイアの法則』シリーズ
先生のファンです!!私のルーツの安曇野は安曇族の地みたいで九州の地名(有明など)あります中学生の頃に海にまつわるものが多すぎてずーーっと疑問でした是非取り上げてほしいです!!自由人のところですがADHDなどは海洋族と関係あるんじゃないかなって思いました
漁師は、お百姓さんと違って気が荒い。漁をする事は命がけやからって聞いた事アル。
まだ物々交換の時代陸路を重い荷物運んで利を得るより水路で船を使う方が利があるのは当たり前で当然移動先の土地が豊かであればそこに定住したりしていわゆる混血が進むわけでそういうふうに集落が形成されたんじゃないかと
縄文文明の世界展開だったらきっかけがアカホヤならば、アカホヤ文明ですね😂ロマンがあって好きですね
ジャワ島のスラバヤの近くにスメル山という山があります。これも関係ありますか?
漁師町のおっちゃんたちおっかちゃんたちは「てやんでぃっ!!」みたいは感じの人が多いですよね。こういう「やんちゃ」なのにいざとなったら一致団結してしまうとある町が私のご先祖様の出身地なのですが、これを方便で「やわしい」と言ってしました。「ここは漁師町だからやわしい子が多いのよ」という使い方をします。ということで、自分も大変「やわしい」子供であったなぁと思います。いやあ、日本人でよかったですよ♪
和服は農耕民族より海洋民族に向いた服装では?海に落ちた時すぐに脱げるし、帯はロープとして使えるし、褌はスイミングパンツそのものです。
自由が極まると秩序
アレクサンダー大王が東へと突き進んでいたのは東方にある日本を見たかったのではと、今日のお話を聞いて思いました。理想の国である東方から来た人達の伝説を聞いて、平和な理想郷に辿りつきたかったのではないかと。海洋民族の自由で捉われない精神は失いたくないです。
アレキサンダー大王は、ヒマラヤを、越えられず、西方に退いた説が、今は固定化して居ますが、一部の部隊(先見隊?・落後隊?)がインドシナ半島迄辿り着いた説も在りましたね❓其の先も知りたいですね⁉️
全ての謎が解けた感じです。日本は上海以南の中国の稲作の揚子江文明に言葉も文化も近い。北京中心の漢族の黄河の麦作文明とは相いれないものがある。現代の海洋国家はイギリス(と英語圏)と日本ですよね。船の上ではキャプテンが一番偉いので、船が一つの国家ですよね。庭(ガーデニング)に精を出して小宇宙をつくるのが好きなのもイギリス人と日本人ですね。
今迄の定説としてるものを…一回ガラガラポンしてみるのも面白いかもね〜😅💦
縄文初期の頃ということであるなら今の日本国内の平野は殆ど海だったわけですから海洋民族という定義もおかしくないと思います。
倭人とは海洋民族だった!九州北部や東北地方に見られる古い方言で、自分たちのことを「わ」と言う。自分の国のことを「わんくに」「わーのくに」という。倭の国とは「おれらの国」という意味で発した言葉の音をあてたものかもしれない。
交易目的の黒曜石を運搬するだけでは無く石のセールスマンや稲作家族御一行様や徐福御一行様やを賃走して居たのでは無いでしょうか?
コリアは貧しく雑穀(モロコシ)だったから, 現在は朝昼晩 豚肉だけ食べます。(誇らしい)
黒曜石は信州諏訪でも取れます。
大きな倭。沖縄県。古代倭は琉球王朝地方。
(22:15) チャリで来た!を思い出した
確かに船で魚を捕って暮らしていたら理論上世界中を移動することは可能だ。ただ日本人以外にも海洋民族は他にいなかったのか、彼らが世界文明に影響を与えたことはないのか。果たして噴火が原因なのか。
入れ墨の保温効果?亜熱帯に住む民族の格闘家は入れ墨が多い。保温効果があったら格闘技にとって不利になるのでは?
入れ墨をお洒落でやっているか、日本との気候の違い(日本は多湿だが亜熱帯は乾燥)で影響が少ないかでしょうね。
文字は残っていないですが、シュメール以前のメソポタミアに存在したウバイドやウバイド以前のハラスなどの灌漑農業牧畜文化をどのようにお考えなのでしょうか。
楽しい〜この説で決まり
帆があったと思われる舟って出土してないって聞いたことあるけどなあ。
アイヌの女性の口に入れ墨の記憶がある…海洋民族の風習を受け継いだものなのだろうか
縄文人が海洋民族なのは理解できるが神話でニニギの尊が降臨したのは宮崎の高千穂、その次に奈良盆地に都を移す、その次は京都盆地。。。海から離れているのはなぜ?。。。。
宮崎から奈良に移った理由はわからないですけど、京都と奈良はたぶん船で川を遡れるかどうかの問題。奈良盆地に都が置かれていた奈良時代は船で奈良盆地まで行けるくらいに海面が高かった時期らしいですよ。(その頃、河内長野市は湖だったらしい)海面が下がって、船で奈良盆地にいけなくなったから、船で行ける京都に都を移したと考えられています。
岡山県蒜山高原に高天ヶ原伝説があり、鳥取県中部が天孫降臨と言う話しです。隠岐の島との関係も深く今まで隠されていた説ですが、中国山脈を挟み色々由来のある地名がありますよ。アカホヤの噴火では山陰は守られてます。光格天皇の御生母もこの辺りからあがられてます。
巨大文明は良く言うと高次文明悪く言うと征服背乗り文明ばかりですから(そもそも”civilization”の原意は「市民化」即ち「領民化」ですし)、長江文明が生じる(=大規模国家が建つ)以前から稲作を営み高床式住居に住む者が居たと考える方が自然でしょうね。
ヤクザは冷たい海に強い
刺青を入れると 水が冷たくない??
日本列島 人口一万人は違うだろ 畿内なら分るけど
然し、『矮躯』(小柄な体格)の意味は、倭人倭には含まれますね⁉️
まごには旅
東テイ人は波照間島から能登半島を行き来していた海洋民族で、ヤマト系の琉球王府が最後に討伐したのがアカハチか?呉服について調べている。なんで呉なのか?当時に現地の呉服の衣装と日本に来た呉服の違いを検証してよ。
氷河期、島しょ部は陸地だった。航海しなくても小笠原諸島の先端まで歩いて行けた。だから、その時代に海洋民族だったと言い切るのは違うとは思います。
日本は北からの狩猟民族、南からの農耕、海洋民族が一つになった〔和〕森が海を育てるのを知っているのは日本人だけ?小生はこう認識しています。
ピラコチャでしょ
神津島の行き来に葦船は使っていた可能性は低いだろう海流が強く抵抗が大きい葦船では厳しいだろう丸木船は加工次第でかなりのものが作れるがそのようなものは出土していなそう皮を使ったカヤックなら現実的
何時も <多分こうでした> というお話。
四大文明も、事実かどうか疑われているらしい。歴史とは、どんどん変わるもの。
ネタ切れ前振り言い訳うざい
中一です!小名木先生のお話、とっても分かりやすくて、聞いていて楽しいです。
学校の歴史ってストーリーがないと分かりづらくて、つまんないんよな
授業中にこの動画見ていたいくらいですねw
小名木さんの話は面白すぎる!
こういう話を子供達に聴かせてあげたい。
刺青にそんな意味があったとは知りませんでした。
勉強になります。
すっかり先生のファンになりました😀
冷え対策に入れ墨は凄く理解出来ます。
私は暑がりなので、顔にファンデーション塗ったら、一気に暑くなります。
皮膚の表面を少し覆うだけなのにと、いつも思っています。
考古学を少し勉強したので、古代の事に興味あります。
先生のお話 説得力あります。
知らない分野です。楽しい講義ありがとうございます。
心のもやもやがすっきり晴れ渡るお話しをありがとうございました
海洋民族から農耕民族への転換の話は、なんだか海幸山幸の話を思い起こされますね。
7300年前の破局噴火から1300年前の農耕完全転換までは幅がありすぎではありますが。海幸が天候不良などで生活が苦しくなるのに対し、山幸は徐々に豊かになっていきますから。日本人が実際に漁撈主体から農耕主体となっていった経緯があの話の中に織り込まれているように思います。
「日本人は自由人」は非常に納得しました。ヨーロッパの地下鉄では昔からスリに気を付けるように言われています。数年前にローマに行った時にもしっかりとスリに遭遇しました。日本人からすると考えられないことで、それぞれの人がより暮らしやすくなることを考えているためだと思います。
すごい仮説ですね、こんなにわくわくしたのは初めてです。
まだまだ謎過ぎてこっちの価値観で、縄文時代の前を「旧石器時代」と決め付けてる
時代があるけどあの時代もロマンあるよなぁ・・・。
このチャンネルで触れられてるけど、その時代からある程度文明が発達してて
それこそ、その時代からご先祖が日本の外に船で飛び出してても全然不思議じゃないと思う。
南米での縄文土器の発見などもあるので、やはり、太平洋には大きな文化があったのではないかと思っていました。
アカホヤの大噴火により、散らばった民族が、東を目指したとすると、ものすごく長い期間、東の果ての国での生活の記憶が人々の中に受け継がれてきたのかと思うと、すごいですね♪
お祖母様から聞いた話しとよく似ています‼️若い時海で漁師と一緒にフカを
取り、同じ背丈程のフカの尻尾を担いで、鉈の様な大きな出刃包丁で料理を
したと話して下さいましたw とても沢山の魚料理をして下さいました。
大きな魚も骨まで叩いて、大きなすり鉢で擦って、その魚の身を生で入れて
ほっぺが落ちそうな美味しい料理を食べさせて下さいました。
刺青の話も納得です‼️皆褌いっちょでモリを投げて海に入り魚を取っていた
と話して下さっていました。母は、神社や古墳の側で海辺で育ったと言って
いました。ほこらがあって中には勾玉や色んなものが沢山あったそうです。
もっと、色んな話を聞きたかったと思っても、仕方ないですね🥲神武天皇の
神社があるとか古墳が沢山あるとか、名前だけでも覚えておきたかったです
お祖母様は神武天皇の時代に遡る話をして下さったことも有りました。
多くの古代史の武勇伝の絵本を読んでは、話して下さいました。小さな頃なの
で、もう殆ど忘れておぼろげで断片を、先生の話を聞く事で思い出しています
初めは唯聞いていたのですが、投稿したくなり書いています🤭🙏感謝です🙇♀️
是非、また思い出したらコメントお願いします。私達もそのお婆様のお話聞きたいです(^^)お布団の中で聞いた昔話を聞くようで素敵です!そして真実の伝承が見え隠れしてワクワクします。
@@mizusun5617 さん、有難うございます❣️🙏個人的な事を書いてもと思いながら、先生の本を何冊も読み、ずーっと聞いて来ましたが、何だかよく似た話だったりなので、思わず書き出しました🤭😅戦後生まれなので、お祖母様は、中学へ行く頃に亡くなり、母も早世でした。でも母が亡くなる前は、母の故郷の日向を回る事になっていました。細島にも行く予定でしたが、何度か転勤が有り、神戸の須磨で育ったそうです。母もほこらの思い出が強くて、そこを探して、訪ねていく事になっていました。本当に今も残念に思っています。山窩の話も聞いていました。半信半疑な気持ちも有りましたが、自然と話すお祖母様の話が好きでした。話では古代からずーっとお付き合いがあったとの事で、物々交換で、お金は殆どお持ちにならなかったそうです。そして、決して敷居を跨がない方だったそうです。でも精悍で気高い方だったと言っておられました。何処に引っ越してもその季節になると勝手口へ来られたそうです‼️子供心に忍者さんだ〜と思いましたw 空襲で何もかも燃えてしまったそうです‼️焼け野原になった時、御先祖様に申し訳ないと思い、必死で子供達を育てたと言っておられました。
そんなこんなで、又機会が有れば、投稿しますね‼️有難うございました🙇♀️⛩🇯🇵
日本人は、海洋民族で、しかも自由な考え方を持っていた、さらに、、、と仮説は広がり、本当にワクワクします‼️学校でも聞かせたい話ばかり✨
良いお話でした ありがとうございます
面白い着眼点だなと思ってグーグルアースで見てみました。
2万年前の海面が-140m前後としたら大島から南5km地点から神津島の南西10km地点にわたって地続きの三日月型の陸地が浮上します。従って内海状の湾が出来上がり伊豆半島から大島までは約10km大島から三日月型の陸地まで5kmと航海距離はぐんと短くなります。
神津島までは今よりもっと簡単に行き来出来てた可能性も見えてきました。
ウエットは夏場に着て冬はドライスーツ着るのが普通かな!?潜水士、漁師の方たちは海難で亡くなって顔がわからなくなっても刺青で誰かわかるように入れてる方が多いですね
ウンサンギガは、無理があるが、実際、日本人が世界に散らばった説はありますよね。面白いですね!
最近、エクアドルで縄文土器が出て来ました。
先生の話には、夢とロマンがありますよね。
話を聴きながら、ふと太古の昔を夢想してみました。
日本は、豊葦原瑞穂国です。私の想像では、倭人達は当時無尽蔵にあった葦で造った大型の船を使って、全世界を航海していたのかも知れません。
どこかの国には、葦で造った浮島に家を建て、畑を作り、魚を釣って暮らしている民族がいますが、もしかすると、倭人達も葦船の上で畑を作り魚を釣っていたのかも。さすればかなり遠くまで航海が可能ですね。
藁で造った、浮き島は、南平に、現代も在りますね❗ペルーとチリとボリビアの国境地帯に在るそうですね⁉️
縄文土器は世界最古の土器なのに日本に古代文明が無い?て腑に落ちない話ですが、じつはもしかしたら、文明の発祥民族かも?大変面白い話で腑に落ちます。
ついこの前放送の「世界ふしぎ発見」で
ニュージーランドのクック諸島で伝統の競技が紹介されました。
日本の竹馬と同じで、竹ではなく木を削って作ってました。
何か繋がってるのかもしれませんね。
このチャンネルの本骨頂の入り口に来ましたね!ちょっとまだ早いかなとも思いますが、大変面白い!なぜか? いま文化的にも学術的にも世界で覇権を謳歌する西欧文明を根こそぎひっくり返すからです! それこそ根こそぎです。もしかしたらプラトンからデカルト、マルクス、フロイト(ユングは別w)、そして現代ならドーキンス、スティーブ-ピンカー、そしてジョーダン-ピーターソンまで。西欧の知性の結晶を粉々に打ち砕く! 小名木先生ならやれる!w
海洋民族…鹿児島、小田原、仙台までと(他にもあるかもしれませんけど)かまぼこの名産地が日本の太平洋側に沿ってあるということが以前から興味深いと思っていました。神社の多くも海上から拝めるようなところにありますし。
大抵は『わだつみの神殿』として、海の護り神様を、祀る、建物で🇯🇵文化の始まりだったのでしょうね⁉️
日本が多神教であるのも、小名木先生のおっしゃる通りかもしれませんね。
外洋に出た。と言うことは星や風や潮や気象を読み、360度海ばかりの独りぼっちでも方向を見誤らないだけの知識とそれに見合う技術が有ったということでしょうか。凄いです。
九州と東北の言葉は、今でも良く似ています。良く出身を間違えられます。
7,300年前、九州から多くの倭人が、東北に移住したのでしょうね。
京都を中心に同心円でイントネーションがにかよるのでは?
中心部の文明文化が届きにくいので、古くからの言葉が残っているのだと思います。古くは京都、現在は東京が文明の中心部で人口の多い都会では次々に新しい言葉が生まれだんだん広がります。円を書くとわかりますが、外側が一番伝わりにくいです。縄文時代の言葉の名残がより残っているという事だと思います。
母が漁港文化圏の生まれですが,お酒に強いのは事実です.
フィリピンから沖縄、南鹿児島、長崎、朝鮮半島の南の一部あたりまでを活動領域とする海洋民族がいたという話があります。一方、東北部では縄文期に、栗を栽培するという、一種の農耕文化があったと聞いたことがあります。
日本の『和の文化』の基本は船に複数人が乗る文化から来ている
じゃないですか? 海上の船の上では一致団結しないと船が転覆
しますよね。自ずと『和の文化』が形成されるんじゃないですかね!
最近中国の行き過ぎたナショナリズムで「古墳時代の倭人に漢民族の血が流れてる!」とか
訳わからん事言ってて引いてしまった。
そもそも中華で漢民族としての民族性が確立され始めたのは、かなり先の時代だし
その時代の大陸の人間にそんな意識はない。
漢民族かは置いておいて
古墳は大陸からやって来た王族やそのテクノクラートが初めたことであろう
トリリスはおにの仕事
昔の漢民族は殆ど殺されて絶滅状態だと聞いた事アル。だから、今の漢民族と昔の漢民族は別物なんだって。
嘘を作って、関係のない人々を漢民族になれ、その後は武力統治をかけ、漢民族なれ思わさせ作戦ですよ。日本国をはじめ、アジア諸国は、あの国に騙され、いろんな攻撃例えばサイバー攻撃を受けてありますよ。
チャイナ、コリアとはっきり言うのがいいね
たしかに、基礎のない人に応用を説明しても気が遠くなる。
海洋民族といっても、全員がそういうことでもなかったのでしょう。
お米は、精米の程度によりますが、精米して、たんぱく質が少ないほどおいしい。
野菜と、お魚や獣のお肉、あるいは大豆のようなたんぱく質がないと、栄養がそろいません。
意外と日本人はすんなりと「分業」が出来たのでしょうね。
木工、金属工、石器工、土器工、土木工、稲作工、遠洋工、漆工など、農閑期に行えますね。
農業による余暇は、文化の創出の源ですね。その日暮らしの民族にはたどり着けない。
小名木先生の《日本人海洋民族説》を始めて聞いたとき、、、『チチカカ湖のリードボート』の映像を思い出しました。
面白い!!!面白い!!!ありがとう!!!
日本・日本人とは、何者か?
中川八洋 著
『超先進国日本』
渡部昇一 著
『かくて歴史は始まる』
ボブ・フィックス 著
『時を超える聖伝説』
千賀一生 著
『ガイアの法則』シリーズ
先生のファンです!!
私のルーツの安曇野は安曇族の地みたいで九州の地名(有明など)あります
中学生の頃に海にまつわるものが多すぎてずーーっと疑問でした
是非取り上げてほしいです!!
自由人のところですがADHDなどは海洋族と関係あるんじゃないかなって思いました
漁師は、お百姓さんと違って気が荒い。漁をする事は命がけやからって聞いた事アル。
まだ物々交換の時代陸路を重い荷物運んで利を得るより水路で船を使う方が利があるのは当たり前で
当然移動先の土地が豊かであればそこに定住したりしていわゆる混血が進むわけで
そういうふうに集落が形成されたんじゃないかと
縄文文明の世界展開だったらきっかけがアカホヤならば、アカホヤ文明ですね😂ロマンがあって好きですね
ジャワ島のスラバヤの近くにスメル山という山があります。これも関係ありますか?
漁師町のおっちゃんたちおっかちゃんたちは
「てやんでぃっ!!」みたいは感じの人が多いですよね。
こういう「やんちゃ」なのにいざとなったら
一致団結してしまうとある町が
私のご先祖様の出身地なのですが、
これを方便で
「やわしい」と言ってしました。
「ここは漁師町だからやわしい子が多いのよ」
という使い方をします。
ということで、自分も大変「やわしい」子供
であったなぁと思います。
いやあ、日本人でよかったですよ♪
和服は農耕民族より海洋民族に向いた服装では?
海に落ちた時すぐに脱げるし、帯はロープとして使えるし、褌はスイミングパンツそのものです。
自由が極まると秩序
アレクサンダー大王が東へと突き進んでいたのは東方にある日本を見たかったのではと、今日のお話を聞いて思いました。理想の国である東方から来た人達の伝説を聞いて、平和な理想郷に辿りつきたかったのではないかと。
海洋民族の自由で捉われない精神は失いたくないです。
アレキサンダー大王は、ヒマラヤを、越えられず、西方に退いた説が、今は固定化して居ますが、一部の部隊(先見隊?・落後隊?)がインドシナ半島迄辿り着いた説も在りましたね❓其の先も知りたいですね⁉️
全ての謎が解けた感じです。日本は上海以南の中国の稲作の揚子江文明に言葉も文化も近い。北京中心の漢族の黄河の麦作文明とは相いれないものがある。現代の海洋国家はイギリス(と英語圏)と日本ですよね。船の上ではキャプテンが一番偉いので、船が一つの国家ですよね。庭(ガーデニング)に精を出して小宇宙をつくるのが好きなのもイギリス人と日本人ですね。
今迄の定説としてるものを…
一回ガラガラポンしてみるのも
面白いかもね〜😅💦
縄文初期の頃ということであるなら今の日本国内の平野は殆ど海だったわけですから海洋民族という定義もおかしくないと思います。
倭人とは海洋民族だった!
九州北部や東北地方に見られる古い方言で、
自分たちのことを「わ」と言う。
自分の国のことを「わんくに」「わーのくに」という。
倭の国とは「おれらの国」という意味で発した言葉の音をあてたものかもしれない。
交易目的の黒曜石を運搬するだけでは無く石のセールスマンや稲作家族御一行様や徐福御一行様やを賃走して居たのでは無いでしょうか?
コリアは貧しく雑穀(モロコシ)だったから, 現在
は朝昼晩 豚肉だけ食べます。(誇らしい)
黒曜石は信州諏訪でも取れます。
大きな倭。沖縄県。古代倭は琉球王朝地方。
(22:15) チャリで来た!を思い出した
確かに船で魚を捕って暮らしていたら理論上世界中を移動することは可能だ。ただ日本人以外にも海洋民族は他にいなかったのか、彼らが世界文明に影響を与えたことはないのか。果たして噴火が原因なのか。
入れ墨の保温効果?亜熱帯に住む民族の格闘家は入れ墨が多い。保温効果があったら格闘技にとって不利になるのでは?
入れ墨をお洒落でやっているか、日本との気候の違い(日本は多湿だが亜熱帯は乾燥)で影響が少ないかでしょうね。
文字は残っていないですが、シュメール以前のメソポタミアに存在したウバイドやウバイド以前のハラスなどの灌漑農業牧畜文化をどのようにお考えなのでしょうか。
楽しい〜この説で決まり
帆があったと思われる舟って出土してないって聞いたことあるけどなあ。
アイヌの女性の口に入れ墨の記憶がある…海洋民族の風習を受け継いだものなのだろうか
縄文人が海洋民族なのは理解できるが
神話でニニギの尊が降臨したのは宮崎の高千穂、
その次に奈良盆地に都を移す、その次は京都盆地。。。
海から離れているのはなぜ?。。。。
宮崎から奈良に移った理由はわからないですけど、
京都と奈良はたぶん船で川を遡れるかどうかの問題。
奈良盆地に都が置かれていた奈良時代は船で奈良盆地まで行けるくらいに海面が高かった時期らしいですよ。(その頃、河内長野市は湖だったらしい)
海面が下がって、船で奈良盆地にいけなくなったから、船で行ける京都に都を移したと考えられています。
岡山県蒜山高原に高天ヶ原伝説があり、鳥取県中部が天孫降臨と言う話しです。
隠岐の島との関係も深く今まで隠されていた説ですが、中国山脈を挟み色々由来のある地名がありますよ。アカホヤの噴火では山陰は守られてます。光格天皇の御生母もこの辺りからあがられてます。
巨大文明は良く言うと高次文明悪く言うと征服背乗り文明ばかりですから(そもそも”civilization”の原意は「市民化」即ち「領民化」ですし)、長江文明が生じる(=大規模国家が建つ)以前から稲作を営み高床式住居に住む者が居たと考える方が自然でしょうね。
ヤクザは冷たい海に強い
刺青を入れると 水が冷たくない??
日本列島 人口一万人は違うだろ 畿内なら分るけど
然し、『矮躯』(小柄な体格)の意味は、倭人倭には含まれますね⁉️
まごには旅
東テイ人は波照間島から能登半島を行き来していた海洋民族で、ヤマト系の琉球王府が最後に討伐したのがアカハチか?呉服について調べている。なんで呉なのか?当時に現地の呉服の衣装と日本に来た呉服の違いを検証してよ。
氷河期、島しょ部は陸地だった。
航海しなくても小笠原諸島の先端まで歩いて行けた。
だから、その時代に海洋民族だったと言い切るのは違うとは思います。
日本は北からの狩猟民族、
南からの農耕、海洋民族が
一つになった〔和〕森が
海を育てるのを知っている
のは日本人だけ?
小生はこう認識しています。
ピラコチャでしょ
神津島の行き来に葦船は使っていた可能性は低いだろう
海流が強く抵抗が大きい葦船では厳しいだろう
丸木船は加工次第でかなりのものが作れるがそのようなものは出土していなそう
皮を使ったカヤックなら現実的
何時も <多分こうでした> というお話。
四大文明も、事実かどうか疑われているらしい。歴史とは、どんどん変わるもの。
ネタ切れ
前振り言い訳うざい