【正信偈】第5回 五劫思惟之摂受 重誓名声聞十方
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- เผยแพร่เมื่อ 15 ม.ค. 2023
- 身勝手な私達を等しく救うためには、どのような教えが必要なのか。
五劫という時間をかけて、数限りない仏方の救いの中から取捨選択を繰り返した阿弥陀仏は、最終的に「南無阿弥陀仏」というたった六文字の念仏を選び取ります。
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《過去動画はこちらにまとめてあります》
再生リスト①: • 正信偈
再生リスト②: • 教行信証
#正信偈 #仏教 #浄土真宗 - แนวปฏิบัติและการใช้ชีวิต
十方とはあらゆる方角を示す八方に過去未来のニ方が加わる事で、いつでもどこでもという意味です。
本願である四十八願の十八願も念仏一回でもではなく十回でもです。
この動画しか見てませんがこの人はいい加減な様なので試聴はお勧めしません。
ご指摘、ありがとうございます。
コメントいただいた通り、十方や念仏について、そのような解釈をされる方もいると思います。
私の見解を以下に書かせて頂きます。
天親菩薩は『浄土論』の中で、阿弥陀仏は知恵の光でもって、十方世界を照らしていると説き、阿弥陀仏を尽十方無礙光如来と呼んで、その功徳を称えています。
この十方世界とは、東西南北に、西北・西南・東北・東南の4つと上下の2つを合わせた10個の方角を指し、ありとあらゆる世界という意味で用いられています。また、これと同じ内容が無量寿経の上巻にも説かれています。
私はこのことから、十方を「全ての方角」「世界の隅々まで」と訳しています。
念仏については、確かに第十八願には十回と説かれています。
しかしこれは、漢文で「乃至十念」と書かれている原文を「わずか十回の念仏でも」と訳している例えです。
無量寿経の下巻、下輩の説明の中で、わずか十回でも念仏をして極楽浄土に生まれたいと願う人も救うし、わずか一回の念仏をする人でも極楽浄土に救われることができるということが説かれています。
長くなりましたが、以上が私の見解です。
何かの参考になれば幸いです。