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今回の大河、本当に藤原や源だらけ、遠い親戚だらけで訳が分からなかったのですが、大河に出演されている俳優の写真を使った家系図を見せて頂いたので、大変分かりやすかったです。有難うございました。
宇多源氏の氏祖、左大臣源雅信も母が藤原忠平の兄弟である時平の娘。源雅信の父である敦実親王の母、雅信には祖母も北家の藤原高藤の娘。鎌足、不比等に始まる藤原氏の繁殖力は凄まじいですね。
源だらけと言っても、それは臣籍降下した際に着く姓=皇族ではないと言うこと。現在では、内親王が結婚する際、結婚した相手の姓が着くのと少し似てますね。 意味合いは違うけど、子沢山の天皇の場合、財政上や皇位継承の不都合が出てくる訳で。そこで、それぞれ生計を立てられるよう、「いっそのこと、臣下になって、自分の財布を管理してもらおう」と、始まったのが臣籍降下の起こりのようです。 それで有名なのが、清和源氏。追手門の変が起きた時の天皇が清和天皇で、藤原良房が結果的に、大伴家持を輩出した伴氏を廃した事件。清和源氏は、後世からみて摂関家の警備や警護を担当する職に就き、院政期になっても、保元の乱が起きるまで続きました。 その正反対なのが、宇多天皇の皇孫・源雅信を始めとする宇多源氏。倫子姫は藤原兼家の五男・道長の嫡妻となり、頼通・教通・彰子・妍子・威子・嬉子(産まれ順ではない)を産み、一家三后の成功に導いたこと。楽器や蹴鞠をお家芸とし、そちらの方面から、婆娑羅大名である佐々木道誉がいたり、足利将軍家の四職の一つ・京極氏。室町時代から戦国時代へと移り行くと、公家ではないけど、公家並みの粘り強さと言うか何とか華族として生き残り、無事、現代までいるのではないか。 ちなみに、この京極氏は家臣に下剋上されました。浅井亮政→久政→長政の三代は、有名ですね。
@@ae3779 鎌倉殿で義時と間違われて襲われ、「寒いんだよぉ!!」と絶叫して果てた源仲章も、左大臣源雅信から数えて7代目の後裔。あと、保元・平治の乱の一因である藤原忠実・忠通、悪左府頼長、後鳥羽に疎まれた九条兼実と慈円はみんな藤原兼家、道長の後裔。
四納言の関係が勉強になりました。聞きやすく、解りやすい!有り難うございます。
この動画のおかげですなん度もみることが出来確認してしながら小倉百人一首の勉強してます
源俊賢まだ出てきてませんが、いい予習ができました。ありがとうございます。
今日のドラマは、最初に家系図により説明を受けていた花山天皇出家の事件がありました説明を受けているので、とてもわかりやすかったです、これなんだな、と思いました。今日は、四納言の一人ひとりのことが、これからの関係もよくわかりました。俳優さんも個性があるし、ほんとに解説が聞き取りやすいしわかりやすく、ドラマも楽しみです。有り難うございます。
物凄く面白かったです。ありがとうございます。人間の感情的なものは千年前も現代も殆ど変わってない気がしました。出世欲や嫉妬や媚びなどは永遠に変わることはないのかもしれないと思いました。
やすひろさん 凄い学びをして またそれを よーく教えて下さり 感謝致します!無学な私も 大学で学べた気持ちです。有難うございます。😅 70のおばばです。
ありがとうございます。素晴らしい説明でした。
四納言の説明がとてもわかりやすくて大河ドラマもまた深く楽しめそうです
初めて見ました。まだ大河ドラマには登場していない源俊賢のことが知りたかったので、よく分かりました。この四納言、年も近く関係も従兄弟などとても近しい間柄なんですね。表と分かりやすい解説で、理解しやすかったです。また他のやすひろさんの動画も見てみようと思います。
ドラマの中で、この人道長とどう云う関係だっけ?と、わからなくなった時はやすひろさんのこの動画を観て、勉強しています。、とても、分かりやすくて助かります。ありがとうございます。、
登録しました。これまでもいくつか読みましたが、この四納言は、血統、官位、道長との関係など、実際の俳優の写真を効果的に使って、いろいろな面から四人を説明しているので、大変わかりやすかった。わかりやすいと言っても複雑な関係なので、これから先もちょくちょくお世話になるだろう。今後もいろいろわかりやすい解説をしていただけるようお願いしたい。
ここらへん!歴史のなかであまり掘らなかったしややこしいし😢でしたが、とってもわかりやすいです。
一条天皇の四納言は、割と知られた人物が多いので覚え易いですね。 田辺聖子著の小倉百人一首で、解説していたのと、合わせて、分かり易いです。 一番印象強いのが、書家で有名な行成。祖父(謙徳公45番 本名は伊尹これただ)と父(藤原義孝50番)が、小倉百人一首に入っている上に、行成ご本人は書家で有名。 三世代ともども、普通の人には考えつかない美意識の強さが特徴的。祖父を同じくする花山天皇も、優美なセンスの持ち主であるともされているようですし。 祖父が四十九歳、父親も二十一歳で亡くなり、母親の父、外祖父である源 保光のお陰で、努力したようですし。外祖父の保光は、醍醐天皇の皇孫、醍醐源氏の一員なのに、文章生(もんじょうしょう)となって立身出世しているから、同じ道を進むよう、教え導いたようですね。人生をどう生きていくのか、を考えさせられます。
「一条朝の四納言」について、詳細に解説していただき、ありがとうございました。道長をめぐる人物関係の理解にものすごく役に立ちます。公任の概要は知っていましたが、斉信・行成・俊賢に関してはほとんど知識がなかったので、本当に助かりました。これからもよろしくお願いします。
「一条天皇の四納言」の源 俊賢と藤原公任、斉信(ただのぶ)、行成。 一帝二后や一家三后を成し遂げた道長を、積極的に政権確立のため支え、何らかの関係で道長と縁を築いている公卿。実資のイメージが強いけど、違ったんですね。 公任に関しては、大江匡衡と匡衡衛門こと赤染衛門の夫婦仲が割と知られてますね😊 公任に辞表を書いてやった話が有名で、匡衡に、「公任と言う人は、見栄坊のようだ。だから、自分の家の先祖が、やんごとなき一族なのに、昇進が遅れて可哀想である、ということを書けば、公任は喜ぶでしょう」と言った。その通り書いたら、公任の位が上がった、と話が何かで読んだことがあります。 紫式部関係でも、「この辺りに、若紫はいらっしゃいませんか❔」と、声を書けたこと。その年が、敦成親王が産まれた1008年11月1日。
行成は苦労人で人柄も良かったイメージですよね、、
とても分かりやすい解説、有難うございます。私も家系図を書いて少しずつ理解しています。これからも動画、楽しみにしています。😊
「シナゴン」って怪獣か!と言われそう(笑)
いつも分かりやすく有り難いです🎵~理系出身の自分にはこの歳になって聴くのは嬉しいですね
わかりやすい
ありがとうございます.°ʚς*´꒳`*ʔɞ°🍀.💗💞ますますドラマが楽しみです。
本当に毎回有難うございます。ドラマ の空間平安時代の天空からの照明 お月様が照らさなかった夜が 暗いのは よーく分かりますが、にしても暗すぎませんか?眼を凝らして観てますがやすひろさんのせいではありませんね失礼しました😅
藤原家と言うのは、天皇から賜与された名前です。中臣鎌足が死ぬ直前の669年頃に天智天皇が与えました。その後、息子の藤原不比等の子4人が、南家、北家、京家、式家と別れ藤原4家と言われる様に成りますが、次男の房前の北家か天皇の近くで使え栄て行きます。950年頃出て来る藤原家は皆北家出身です。京家、式家は滅び、南家は地方に派遣される国司となり、佐藤、加藤、伊藤などと名前が変わります。この頃の苗字はさほど重要ではなく伊豆の藤原で伊藤氏、伊藤氏の東に分家した伊東氏と名乗っていきます。伊東は源頼朝が流罪になった時の監視役であった伊東家ですので1150年頃、伊東と名乗っていたものと思われます。
分かりやすい!!!九条流かぁ。
藤原公任は、娘と藤原教通の祝儀の引き出物として贈られた和漢朗詠集でも有名ですね。
和泉式部ののことは、男にだらしがないと言っていましたが、赤染衛門のことは良く言っていたはずですよ。
いずれも、一条天皇の時、蔵人頭を経験して、正二位、大納言が極位極官でしたね。この後、だんだん、家格で官位が大体決まるようになります。
わかりやすく、ありがとうございます!! 欲を言えば、難しい名前だけでも、ふりがながあるとなおいいです😅。
小野宮と九条流が分からんなぜ兄弟のに流派がちがうのかな?
入内した娘に子ができるかどうかで天と地の差がありますね!あと従兄弟同士の結婚がいかに多いか!近親婚の弊害もあったのかなと。平安貴族ってひ弱なイメージしかない!
明子は妾ではないよ❗ちゃんとした妻です🎵倫子よりは劣るけど道長には二人の妻がいたのです。~
今回の大河、本当に藤原や源だらけ、遠い親戚だらけで訳が分からなかったのですが、大河に出演されている俳優の写真を使った家系図を見せて頂いたので、大変分かりやすかったです。有難うございました。
宇多源氏の氏祖、左大臣源雅信も母が藤原忠平の兄弟である時平の娘。
源雅信の父である敦実親王の母、雅信には祖母も北家の藤原高藤の娘。
鎌足、不比等に始まる藤原氏の繁殖力は凄まじいですね。
源だらけと言っても、それは臣籍降下した際に着く姓=皇族ではないと言うこと。現在では、内親王が結婚する際、結婚した相手の姓が着くのと少し似てますね。
意味合いは違うけど、子沢山の天皇の場合、財政上や皇位継承の不都合が出てくる訳で。そこで、それぞれ生計を立てられるよう、「いっそのこと、臣下になって、自分の財布を管理してもらおう」と、始まったのが臣籍降下の起こりのようです。
それで有名なのが、清和源氏。追手門の変が起きた時の天皇が清和天皇で、藤原良房が結果的に、大伴家持を輩出した伴氏を廃した事件。清和源氏は、後世からみて摂関家の警備や警護を担当する職に就き、院政期になっても、保元の乱が起きるまで続きました。
その正反対なのが、宇多天皇の皇孫・源雅信を始めとする宇多源氏。倫子姫は藤原兼家の五男・道長の嫡妻となり、頼通・教通・彰子・妍子・威子・嬉子(産まれ順ではない)を産み、一家三后の成功に導いたこと。楽器や蹴鞠をお家芸とし、そちらの方面から、婆娑羅大名である佐々木道誉がいたり、足利将軍家の四職の一つ・京極氏。室町時代から戦国時代へと移り行くと、公家ではないけど、公家並みの粘り強さと言うか何とか華族として生き残り、無事、現代までいるのではないか。
ちなみに、この京極氏は家臣に下剋上されました。浅井亮政→久政→長政の三代は、有名ですね。
@@ae3779
鎌倉殿で義時と間違われて襲われ、「寒いんだよぉ!!」と絶叫して果てた源仲章も、左大臣源雅信から数えて7代目の後裔。
あと、保元・平治の乱の一因である藤原忠実・忠通、悪左府頼長、後鳥羽に疎まれた九条兼実と慈円はみんな藤原兼家、道長の後裔。
四納言の関係が勉強になりました。
聞きやすく、解りやすい!
有り難うございます。
この動画のおかげですなん度もみることが出来確認してしながら小倉百人一首の勉強してます
源俊賢まだ出てきてませんが、いい予習ができました。ありがとうございます。
今日のドラマは、最初に家系図により説明を受けていた花山天皇出家の事件がありました
説明を受けているので、とてもわかりやすかったです、これなんだな、と思いました。今日は、四納言の一人ひとりのことが、これからの関係もよくわかりました。俳優さんも個性があるし、ほんとに解説が聞き取りやすいしわかりやすく、ドラマも楽しみです。有り難うございます。
物凄く面白かったです。ありがとうございます。人間の感情的なものは千年前も現代も殆ど変わってない気がしました。出世欲や嫉妬や媚びなどは永遠に変わることはないのかもしれないと思いました。
やすひろさん 凄い学びをして またそれを よーく教えて下さり 感謝致します!
無学な私も 大学で学べた気持ちです。
有難うございます。😅 70のおばばです。
ありがとうございます。素晴らしい説明でした。
四納言の説明がとてもわかりやすくて
大河ドラマもまた深く楽しめそうです
初めて見ました。まだ大河ドラマには登場していない源俊賢のことが知りたかったので、よく分かりました。この四納言、年も近く関係も従兄弟などとても近しい間柄なんですね。表と分かりやすい解説で、理解しやすかったです。また他のやすひろさんの動画も見てみようと思います。
ドラマの中で、この人道長とどう云う関係だっけ?と、わからなくなった時は
やすひろさんのこの動画を観て、勉強しています。、とても、分かりやすくて
助かります。
ありがとうございます。、
登録しました。これまでもいくつか読みましたが、この四納言は、血統、官位、道長との関係など、実際の俳優の写真を効果的に使って、いろいろな面から四人を説明しているので、大変わかりやすかった。わかりやすいと言っても複雑な関係なので、これから先もちょくちょくお世話になるだろう。今後もいろいろわかりやすい解説をしていただけるようお願いしたい。
ここらへん!歴史のなかであまり掘らなかったしややこしいし😢でしたが、とってもわかりやすいです。
一条天皇の四納言は、割と知られた人物が多いので覚え易いですね。
田辺聖子著の小倉百人一首で、解説していたのと、合わせて、分かり易いです。
一番印象強いのが、書家で有名な行成。祖父(謙徳公45番 本名は伊尹これただ)と父(藤原義孝50番)が、小倉百人一首に入っている上に、行成ご本人は書家で有名。
三世代ともども、普通の人には考えつかない美意識の強さが特徴的。祖父を同じくする花山天皇も、優美なセンスの持ち主であるともされているようですし。
祖父が四十九歳、父親も二十一歳で亡くなり、母親の父、外祖父である源 保光のお陰で、努力したようですし。外祖父の保光は、醍醐天皇の皇孫、醍醐源氏の一員なのに、文章生(もんじょうしょう)となって立身出世しているから、同じ道を進むよう、教え導いたようですね。人生をどう生きていくのか、を考えさせられます。
「一条朝の四納言」について、詳細に解説していただき、ありがとうございました。道長をめぐる人物関係の理解にものすごく役に立ちます。公任の概要は知っていましたが、斉信・行成・俊賢に関してはほとんど知識がなかったので、本当に助かりました。これからもよろしくお願いします。
「一条天皇の四納言」の源 俊賢と藤原公任、斉信(ただのぶ)、行成。
一帝二后や一家三后を成し遂げた道長を、積極的に政権確立のため支え、何らかの関係で道長と縁を築いている公卿。実資のイメージが強いけど、違ったんですね。
公任に関しては、大江匡衡と匡衡衛門こと赤染衛門の夫婦仲が割と知られてますね😊 公任に辞表を書いてやった話が有名で、匡衡に、「公任と言う人は、見栄坊のようだ。だから、自分の家の先祖が、やんごとなき一族なのに、昇進が遅れて可哀想である、ということを書けば、公任は喜ぶでしょう」と言った。その通り書いたら、公任の位が上がった、と話が何かで読んだことがあります。
紫式部関係でも、「この辺りに、若紫はいらっしゃいませんか❔」と、声を書けたこと。その年が、敦成親王が産まれた1008年11月1日。
行成は苦労人で人柄も良かったイメージですよね、、
とても分かりやすい解説、有難うございます。私も家系図を書いて少しずつ理解しています。これからも動画、楽しみにしています。😊
「シナゴン」って怪獣か!と言われそう(笑)
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本当に毎回有難うございます。
ドラマ の空間
平安時代の天空からの照明 お月様が照らさなかった夜が 暗いのは よーく分かりますが、にしても暗すぎませんか?
眼を凝らして観てますが
やすひろさんのせいではありませんね
失礼しました😅
藤原家と言うのは、天皇から賜与された名前です。中臣鎌足が死ぬ直前の669年頃に天智天皇が与えました。その後、息子の藤原不比等の子4人が、南家、北家、京家、式家と別れ藤原4家と言われる様に成りますが、次男の房前の北家か天皇の近くで使え栄て行きます。950年頃出て来る藤原家は皆北家出身です。京家、式家は滅び、南家は地方に派遣される国司となり、佐藤、加藤、伊藤などと名前が変わります。この頃の苗字はさほど重要ではなく伊豆の藤原で伊藤氏、伊藤氏の東に分家した伊東氏と名乗っていきます。伊東は源頼朝が流罪になった時の監視役であった伊東家ですので1150年頃、伊東と名乗っていたものと思われます。
分かりやすい!!!
九条流かぁ。
藤原公任は、娘と藤原教通の祝儀の引き出物として贈られた和漢朗詠集でも有名ですね。
和泉式部ののことは、男にだらしがないと言っていましたが、赤染衛門のことは良く言っていたはずですよ。
いずれも、一条天皇の時、蔵人頭を経験して、正二位、大納言が極位極官でしたね。この後、だんだん、家格で官位が大体決まるようになります。
わかりやすく、ありがとうございます!! 欲を言えば、難しい名前だけでも、ふりがながあるとなおいいです😅。
小野宮と九条流が分からんなぜ兄弟のに流派がちがうのかな?
入内した娘に子ができるかどうかで天と地の差がありますね!あと従兄弟同士の結婚がいかに多いか!近親婚の弊害もあったのかなと。平安貴族ってひ弱なイメージしかない!
明子は妾ではないよ❗ちゃんとした妻です🎵倫子よりは劣るけど道長には二人の妻がいたのです。~