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勝負を決定付けたのはやっぱりFF7がプレステで発売されたことだと思う。当時のスクウェアは本当に凄くて、もうFFシリーズが出るハード=次世代機の主要ハードみたいな風潮があったからなぁ。
実際には"発売"で差が付いたわけではなく"発表"です、当時のファミ通を見るとそれまで週間売り上げ台数の差がみられなかった両機でしたが、発表を機にPSが圧倒的優勢になっています
@@ぽんこつらーめん-v2z 発表されるまではSSの方が売れてたけどFF7の発表、そしてDQナンバリングのPS移籍であっという間に市場が動きましたね
そうですね。大学1回生時代にファイナルファンタジー7の為にプレステ買いましたから。
そう考えると、ファイナルファンタジーを持って行かれても何とかやっていけた任天堂は凄い。
@@サイサイ-h8s N64とGCは、何とかやっていけなかったんです……
アメリカで売れなかったのはソニックが出なかっただけではなくメガドラの延命を希望する声の方が圧倒的に多かったのもある。そしてSuper32Xがそれを叶えて余計に足を引っ張った。
毎回恒例の「君失礼だな」が好きです。
サターンはパワーメモリー(メモリーカード)が接触不良を起こしやすく、データが消えやすかったり、純正のRGBケーブルが欠陥品だったりと、ユーザーへの細かいながら無視できない配慮を欠いたのも評判を落とした原因だと思う
パワーメモリーは本当に糞だった。これが一番の原因だと思う。
分かります、私もそれで涙を流したことがありました...その点プレステのメモリーカードは有能でしたね。ただセガサターンの叡知なゲームには大変お世話になりました、てへへ ( ^ω^ )
メモリーカードも普通にダメでしたけどね。
特にダメだったことが思い当たらないのですがどこがダメだったんですか?
↑は宮田明さんへの質問です
セガサターン「…でも…セガサターンは…役に立ったんですよね……何か直接の手柄を立てたわけでなくても!!セガサターンの敗北は‼︎ドリキャスの糧になったんですよね‼︎?」SEGA「もちろ現実「何の成果も!!得られませんでした!!(販売台数245万台)」
海外ではセガサターンより売れたから…PS2とかいう化け物がいたのが悪い
@@ラインマーカー-p3w PS2発表前に決着ついてたぞ
@@santouhey 発売から1年弱で約160万台売れてた訳だからまだ戦えてたと思うよ。PS2が発売されてから売上が目に見えて下がって勝ち目がなくなってSEGAが撤退決断した訳だし
何だかセガサターンが哀れ。
当時の会長「モデム無かったらOK出さんかった」
20000円になった当時、ゲームショップの店長が仕入れ値が19900円だから1台売れても100円の儲けしかないと嘆いてたので申し訳なく思いながら購入して帰ったのを思い出すサクラ大戦やグランディアで十分元は取れたし最終的にはPSよりも購入したソフトは多かった
当時の低価格戦争は酷かったですね。そこから消費税増税でデフレに突入・・・
自分もPSよりも購入したソフトの数、遊んだ時間は多かった。本体発売翌年の95年のソフトが弱かったのが痛かった。
当時高校生でしたがスクエアがPS参入してFF7発表したあたりで流れが確定したイメージでしたねあとサターンはパワーメモリーが超品薄&すぐデータがふっ飛ぶのがね…(売り上げにどれだけ影響あるかはともかく)
ワイはフロッピーディスクドライブ買うたでw
セガには覇権とって欲しかったと愛好家としては今でも思ってます。
@@alexeycalvanov 俺も
セガの方がゲーム強いだろとどちらを買うか家族会議してましたけどやはりFFで流れ変わりましたね。後にセガサターンも買いました、パンツァードラグーンのRPGとか傑作もありましたが。当時のファイナルファンタジーにはそれほど魅力がありましたね
メモリーは末期はデータ飛ぶ欠陥が知れ渡ったせいで叩き売りされてましたよwむしろフロッピーの方が入手困難に......
個人的にセガサターンの悪いところはボタン電池でのゲームデータの管理やパワーメモリーカセットの不具合だと思ってる(これがなければサターンは長く使われてたと思う)
ハードとしては優れていたのに有力なサードパーティが付かなかったのが敗因ですね。FFⅦをPSに持っていかれたのが痛かったですね。
最初はナムコがSCEのハードをけん引したというくらいリッジレーサーがヒットしたからなぁ。あとは自由な雰囲気に触発された新興メーカーの成功もあったと思われる。
根本的な話として、自社においてチップレベルで開発機関と工場を持つソニーに対してアウトソーシングのセガではハードの性能とソフト開発環境やコスト面で勝負にならなかった。しかも次世代ハードで根幹となるCD-ROMのドライブとプレスにおいて重複するがソニーにコスト面で絶対にかなうわけがない。セガの中央演算で64bitはコスト的に厳しく32bitを2つ乗せ複数のDSPで補助するのは開発環境において非常にネックになっていたのに対し、ソニーのストレートなチップ構成に開発ライブラリを用意し、小規模ソフトメーカーに低価格(10数万円程度)に提供するだけでなく1億円の開発資金援助のコンペをぶら下げて才能を募っているわけだから、「獲りにいく商売」のレベルが違う。
性能よりも一番の要因はエニックスとスクウェアと契約できなかったのが大きいと思います。怪物タイトル2作もプレステに持ってかれたのは痛い。
いや、エニックスは参入してて、七つの風の島物語、MYST、忍ペンまん丸、日本代表チームの監督になろう! を出してました。当時、噂だけで終わったSS版ドラクエⅧがもし発売されてたら、歴史は変わってたかも知れません。
スクウェアエニックスって昔は2つに分かれてたんか…
@@おさかな-さん それを知らない世代でしたか・・・・ガチライバル同士でした、当時の合併は衝撃でしたねエニックスはスクウェアが持つ3D開発技術が喉から手が出るくらい欲しかった3Dゲーム技術で先行していたスクウェアは調子に乗ってファイナルファンタジー映画に手を出した結果大コケして負債を抱えてしまいましたのと数億円の3D開発機器投資が重荷でしたのでエニックスが有効利用してくれることに期待しての合併だったと思います
@@HIROAKI3721さん 横ですが、まだ合併前の当時、「クロノトリガー」が出た際にエニックスのドラクエの鳥山明キャラデザでスクウェアから発売だったから、遂に合併か⁈とか冗談半分で思ったんですけど、後に本当に合併してしまうとは思いませんでしたね😅
@@orion6337 うろ覚えですがスクウェアがエニックスをPS陣営に引き入れた話もありましたので
異世界おじさん見た後だからこの解説は助かる。
それなw😀
でもおじさんに記憶を消さ!?¥§¦¯¢¡~ª¨¡¡[¶~¡®£¤¤°£※◎◆□→※☆★◆☆§
わかりますw
サターンの撤退は知っていただろうが、ドリキャスの結末を知ったら・・・イキュラス・キオラ!
せがた三四郎~せがた三四郎~の歌を浮かべるCMには本郷猛が起用されたんだよな
あのCMで指へし折ったり足の裏凍傷寸前になったりしたらしいしな。それも相まって球を直接体で受け止めてたり足でホームラン打ってるのも実際やってたとか言われてたりな。
「野球やろうぜ~」としか言っていない少年達に「背負い投げ」「背負い投げ」「裸締め」という鬼畜の所業ww今では絶対流せないCMですねぇ~😅
最後の「セガサターンの失敗は次世代機の役に立ったんですよね?」が進撃の巨人の序盤の「息子の死は人類の反撃の糧になったんですよね?」と問い詰めてたお母さんみたいで悲しい…
残念ながら生かされなかったね。セガはカリンスキーを切るという愚行をしでかしていますから。
当事者世代じゃないから分からんが、つまりはまるっきりの無駄死にだったということ?
@@hydy6013 せっかくの死を…スタートダッシュの失敗で、台無しにしました!
あの時代はハード争いが激し過ぎたんだあと鬼みたいに売れてるソフトが競合に多すぎた
敗北したとはいえ当時楽しんでた世代にとっては最高のハードです「PSで格ゲーとかスローモーションやんけwww」と揶揄されるくらいセガサターンは最高のハードでした
CAPCOMのVSシリーズで重宝してました。ゲーセンと同じように2on2できるのは嬉しかった。PS版は1対1になっちゃってたし。
DQ7は確かプロトタイプはSF発売を目指して作ってしまったんじゃなかったかな。んで、セガだか任天堂だかに誘われたけど技術がエニクスになくて断って技術が揃ってたPSに行くんだった。裏切り者ってサターン誌や64誌からは書かれてた覚え
プレステに魅力を感じたのは、あの斬新なデザインのコントローラーくらいでしたかね?あとは、ディスクの読み込み面が黒く塗られているところ。コントローラーは結構手にしっくりくるので感動しましたが、当時はまだまだ主流だった格ゲーには全く向かなかったですが・・・
@とうや このコメントで思い出した事。FF6のオペラが絶賛されてた(ウチのまわりだけ?)んだけど、PC-EならCD音源で歌流れてるやんけ。だった。負けハードと言われたのでも、良い点は沢山ありますよね
@とうや ドラクエ7も本来セガサターンで出すつもりではあったらしいけど…延期しまくったからね…
僕はシンプルにスクエニをセガに取り込めなかった事が敗因と思ってます。やっぱFFとDQが出なかったのは大きい…変わりにカプコンは頑張ってくれたんですけどね
セガサターンはアーケードゲームの移植に強かった。当時人気だった格ゲーやシューティングの移植度はPSの同タイトルと比べても優れていたし、セガサターンでも移植が難しいタイトルはメモリを増やすカートリッジを増設する事でほぼ完全再現する力業を見せた。ただ、それがウケるのは熱心なマニアにだけで、一般に対して訴求力は弱かった。さらにセガ人気が強かったアメリカでもスタートダッシュに失敗したのが痛かった。反面PS陣営はイメージ重視のCMや、みんゴルやトロなどで普段あまりゲームをしない人向けにもアピールをし、さらには家庭用RPGの王者だったFFとDQを引き入れる事が出来たため、マニア以外にも爆発的ヒットし、最終的にはサターンを圧倒するようになった。ただ、サターンでしか遊べない名作ゲームは沢山あるし、復刻もあまりされないんで現在のレトロ中古市場では人気が高い。特に当時売り上げが振るわなかった海外のマニアがこぞって買い集めている。
普及台数的に互角といってもSSはユーザーの質が悪かったんですね。スクウェアから見て。セガ絶対という、いわゆるセガ信者みたいのが多くて他社は受け入れられない感じだった。
理由はわかりませんがサターンのゲームは次世代機にほとんど移植もされず、VCでもアケアカでもまったくといっていいくらい配信されていないので、実機の需要が高いんですよね。知る限りではナイツとDOA1くらいしかなかったと思います。エミュレータも不完全なものが多いそうで…
サターンの時期ってまだまだ2Dアケゲー全盛期でしたからね。ゲーセン事業やっているセガもそれを見込んでいたと思うし一般層は見えていなかったのはそうかもしれないね。ドリームキャストでその反省点が見えたような気がしたけど、どっちからもウケなかったね。(撤退原因とは違うけど良い時代だったと思うよ
@@marineblu9584 SSはハードの構成が複雑でエミュレーターも100%再現とはいかないんですよ
@@matatabi9973 サターンミニがほぼムリだろうって言われてるのもそのあたりが原因らしいですね...半導体不足も相まってなかなか厳しい
パッドが格ゲーと相性良かったなぁ晩年はR18ゲー専用機
ドリキャスも末期のソフトラインナップは、エロゲの移植作専用機と化してたな.....
イヴバーストエラーは超名作これをやらなければその後エロゲにハマることはなかったわ
@@neokaazu この世の果てで恋を唄う少女も超名作だよね。
@@nekodama3055 最近になってリメイク&アニメ化で再評価されたな
PCE「せやな」
このハード戦争の幕開け時、参入メーカー、昔でいう所の「ソフトハウス」にて学生アルバイトをしていたので、社内や業界の空気を感じる限りはサターン優勢でしたし開発者も同機で開発がしたい派が多かったです。やはり、FF7で流れが、口に出さすも誰もがもう勝負ありと思い知らされた瞬間だったなぁ
FF7で二匹目のドジョウを狙うためにとりあえずムービーゲー出しとけって参入したメーカーが爆増しましたよね。伊藤忠商事まで謎のムービーゲー出すくらいでしたし。
95年末のバーチャ2やデイトナが出た頃は、ユーザー目線でもサターン優勢に感じてましたね。その少し後のFF7で流れが大きく変わり、DQ7で完全にトドメを刺されたといったところでしょうか。それでも98年春までは良作も多く、まだいける!なんて思ってたんですが・・・直後のDC発表で自分は心が折れましたw
自分は発売当日などに買ったサターン派ではなかったですが、ドリキャスはアーケードと同じNAOMI基板を活かせるためアーケード異色の完成度は高かったと思います。サターンもそれなりに良かったのではないかと思ってます。他にはわずかなサイズではあったとはいえ、本体にも当時としては珍しく?メモリー機能もあったし。(記憶媒体を本体のみに限定するというリスクもありますが)グラフィック機能を向上させる拡張RAMカートリッジ(正式名忘れましたが)を、拡張スロットに挿すことで「ダンジョンズ&ドラゴンズ」や「X-MEN VS ストリートファイター」など、快適に遊べたのが良かったです。自分はあまり魅力を感じませんでしたが、コントローラーは格ゲーがやりやすいという評価は高いですし、一長一短だったような気はしますね。
@@piezou2 95年だとどちらが優勢というよりもまだ次世代機を「様子見」してる人が多かったと思うんだよね自分はその時期だと末期SFCの枯れた名作や中古ソフト漁りに夢中で次世代機はまだいいやと思ってたDQ6の発売が95年12月だしロマサガ3も同年11月、遊べるゲームは沢山あったググってみると96年2月の電撃PlayStationバレンタイン号でスクエアのプレステ参入が発表されFF7が特集された、とあるからそれで一気に動いたんだろうねえ自分がプレステ買ったのもその頃だったと記憶している
プレステやプレステ2と比べても、同タイトルで遊ぶ時のロード時間やカクつきなどのストレスが少なかった。当然プレステ側はそういうの我慢出来るタイトルで戦うわけで。自分の遊びたいものはそういうのがストレスになりやすいものが多かったのでサターン派だったその意味でドリキャスより快適だった
需要に合わせて供給すれば儲かるって理屈は分かるけど、実際はすごい難しいことなんだなあ…
需要が何かわかってから供給し始めた頃には、既に先人がいて二番煎じだった…って事になるもんな。一番の席を取るのは本当に難しそうや
需要が分かってからでは遅いから需要が増える前の段階で新しい需要を見つけないといけないんですよね、でないと先手を打てない、でもその為には売れるかどうか分からない物を先行して作っていかないといけない……そして需要が起きなければただの邪魔物にしかならない……本当に難しい先駆者になることは。
尚先取りし過ぎたバ○チ○ルボ○イ
セガサターンといえば 当時の売り文句として『32ビットCPUを2個搭載!実質64ビット!』と広告や雑誌で謳っていたのが印象に残っています思いっきり騙されていたんだよなぁw
ソニーの「いくぜ100万台!」のCMが流れてたときにプレステはまだ100万台到達してなくて、サターンは到達してたってのがもうネ
異世界おじさん始まったので解説嬉しい。そういえばスーファミ、プレステ世代だけどセガ持って友達は居なかったな。
当時 セガサターン(セガ)の他に Vサターン(ビクター)とHiサターン(日立)というのもあったのが懐かしいですね。
Panasonic製ゲームキューブ(DVD再生機能あり)よろしく、ビデオCDやフォトCD再生に特化したハードでしたっけ?
サターンに両社がそれぞれ部品を提供していたからこそ出せたOEM機だなビクター版のサターンパッドがかっこよかった記憶があるちなみに、前世代のメガドライブ&メガCDも、同じようなOEM機がビクターより出ていた(ワンダーメガ)
サターンは日立に新規に作って貰った32bit CPUでは他社の3D性能に勝てないからとCPUを2個搭載して2チップで挑んだためどうしても高コストになってしまいましたね。後期型は1チップになったけどCPUは変わらず2個入っていたようですし、これでは売れば売るだけ赤字になってしまう。チップを作っていた日立はセガのおかげで量産体制が整い、他にも転用できたので良かったようですが。
ドラクエとFFがどっちで出るか待ってる人が大半だった印象FFがプレステに決まって勝負ありだったドラクエはその時代の最も売れてるハードに出すってのがあったからその流れでドラクエもプレステに決まってさよならサターンって感じだったんじゃないかな
スクエニは流通を握らせることが条件だったが任天堂・SEGA両陣営ともNGでsonyが了承した為移籍となった。因みに発表前週の本体販売はPS
そうそうその通りだと思う自分もこの時期はまだSFCで戦えるだろと思って様子見してたし、実際FF6,ロマサガ3,ドラクエ6なんかをSFCで遊んでた96年2月にFFがプレステに決まって、それでプレステを買うことに決めた結局性能だとか3Dだとかは関係ないんよねやりたいソフトがそのプラットフォームで出来るかどうかが全て
もしサターンで出てたら3Dギザギザのガタガタだったろうな
ドリキャスはネットワーク対応の先進的なハードだったけど、日本のネットワークインフラが追いついてなくて時代が早すぎた。当時のセガはいろいろ早すぎる理解されない天才みたいな感じのメーカー、、、頑張ってほしいw
TVコマーシャルの違いも大きかったと思う。サターンのCMはブランディング戦略ばっかりでどんなゲームなのかCMだけでは分からず、CMを見て「買いたい」と思わせるものが少なかった。対してプレステのCMは限られた秒数の中でどういったゲームなのか分かりやすくアピールし、購買意欲をそそる内容にしっかりなっていたと思う。
言われてみれば、PSのCMは全く興味を示さなかったうちの父親は、せがた三四郎のCMには反応してた。そしてうちの父親はゲーム機なんて全く触らない…。ゲーム層には刺さってなね。
今じゃプレステさんも下火に…任天堂switchはまだまだ絶好調なんですがね
サターンはハードが優れていた為にソフト開発が難しくてコストも掛かったと聞いた事もありますね。 PSとSSどちらでも出たゲーム(悠久幻想曲とかソウルハッカーとか)で比較すると確かにロード時間やサウンドはSSの方が優れてましたね。
CPUは2つ乗ってたし、GPU、サウンドICも優れていましたが、その分高コストで、ソフト製作も面倒臭かったそうです。各ソフトハウスにセガ本体から、プログラマーが指導に行ったそうですが・・・
音はモッサリしてるイメージですけどね。psのほうが断然音はキレイでした。
個人的にはサターンは海外展開の失敗が最大の敗北要因だったと思います。まだメガドライブが現役の状態なのにPS発売前にどうしても先にだしたいがためにソフトが揃わず小売り店を絞り弾かれた小売りから反発を受けて売り場を確保できなかった、と言う事情もあったそうですし。
サターン発売する一週前にメガドラタワーのオプション品を出したりして、あっちのセガファンはめちゃくたゃ困惑したんだろうね。
@@モノマリス セガの北米支社の反対押し切って発表翌日にサプライズ発売だったそうですからね、しかも一部のチェーン店だけで、そりゃ反発されますね。
北米市場で人気だった、ソニックの大作ゲームを出さなかった(厳密にはミニゲームやスピンオフ的なものしか出さなかった)のも響いたようですね。ソニックシリーズはメガドライブや32Xですでに相当数が発売されていたから、サターンは高性能かつ大人向けのマルチメディア機だから、ソニックのような低年齢層向けのキャラクターはなるべく出さないようにしようというセガ本社の意向によるもの、など理由は諸説あるそうです。
スーパー32Xはセガファンの視点から見ても最悪の戦犯だと思うわあれ装備したところでサターンの足元に及ばないスペックだし.....それだったらサターン側にメガドラ&メガCDのソフトを使えるようにする周辺機器でも出すべきだった
たらればですが、フル3Dに拘らず、DSで出したソニックラッシュのような物であれば、サターンの性能を十分に発揮できて、北米でも売れたかもしれませんね…
「RPGに弱いセガ」と言われてたのもあるかと。バーチャやソニックといったアクションは人を選ぶから「誰でも時間をかければクリアできる」というRPGほどの牽引力はなかったのかも。
当時すでに家庭用ゲームの主流はRPGに移って久しかったですね。ナムコも家庭用ゲーム機の夢を長年捨てられなかったようですが、自社でRPGのキラーソフトを生み出せないということで断念しました。このあたりはセガにとっても事情は同じだったのですけどね。FFなりDQなりが取れなければその時点で終わりでした。そして、それらが取れる可能性は最初から高くありませんでした。
RPGは正直DQとFFなわけでその2タイトルが任天堂以外のハードで出るなんて誰も考えられなかっただからセガは時前でRPGを用意しなきゃって気持ちがあったファンタシースターシャイニングシリーズ頑張ったけどその作品の良さがきっちり認められたのが
セガのRPGのキラータイトルもメガドラで散々出しておいて、サターンじゃなかなか出さなかったもんね。ファンタシースターシリーズとかシャイニングフォースシリーズとか
ソニックは人を選ぶの?という事はスーパーマリオとかも人選ぶのか?アクションゲーム=人を選ぶマニアックなゲームって事か?バカじゃね?
完全にFF。それ一つだけで決まった。それ以前はむしろサターンの方が勢いもあった。当時子供だったからこそ分かる。そんな俺も今やホストゲーとか言いたくなるほどFFアンチ気味。
私個人の視点ですが、一にも二にも「ソフトの魅力」に尽きますね動画内で挙がっていたアクション・レース・戦争シミュレーションより、DQやFFなどのRPG・BEMANIなどのリズムゲームは勿論、theBest/SuperLiteなどの廉価版も強かったです
それに至る方針の違い、が大きかったよねwps1の当時の目標は反任天堂であり、すべての生産采配を牛耳り、もうかるかどうかは任天堂の胸先三寸、をぶち壊すための努力が良い芽を出した形。対するセガは、旧態依然。さすが任天堂のライバルで基本方針は似たり寄ったり。 加えてセガハードで良いソフトが出るのは皆セガかセガ配下のとこばっかwいくぜ100万台!の勢い出してる時には野良開発者までサポートしてたのが功を奏し、ついにスクエアのFF開発宣言をゲット。大物がなびいた、って話と、第2任天堂のごとき経営方針のセガが嫌われた、ってののWパンチで、サードパーティやインディーズwがPS1に雪崩を打ったからねぇ。・・・が、セガを下したソニーは天狗になり、PS2では第3の任天堂に成り下がったのはまた別の話w
謎ゲー、奇ゲー、擁護不可能のクソゲー達も、王道に飽きたコアゲーマーのニッチな需要を満たしていました。
SSは非常に使いにくいデュアルプロセッサとそれを補えないライブラリなど開発環境面でPS1との差が凄かったときいています。PS1は新規参入しやすい開発環境がととのっていて、比較的使いやすいライブラリなどの提供で思い付きをゲーム化するハードルが比較的低かった事が多様なゲームソフトを生んだ背景にあると思います。ちなみにPS2では逆に変態ハードで開発環境が悪化したのでバカゲーは一気に減りました。セガはドリキャスで簡単な開発環境を用意したけど、すでに大勢はPS側になってたのと、ディスクメディアでやらかしたことで巻き返しには失敗しています。
どんなに性能がいいハードでも、ソフトが面白くなかったら売れるわけない(任天堂山内溥元社長の持論)任天堂ですらVB、N64と当時の売上としては低かったみたいですしね。
@@猪竹 エコールの社長がそんな話していたな嫌がらせレベルで使いにくかったそうだ
タカラの闘神伝など一部プレステとサターン双方に同じタイトルが出ていたものを比較すると、エリスの衣装のシースルー部分の半透明の描画に差がありプレステの方が綺麗でした。
ゲーム機の栄枯盛衰は面白いけど昔は据え置き型のゲーム専用機があったんだぜ?って時代がすぐ来るだろね
セガの敗北は、ハードさえよければ売れると思って営業努力が低かった社風にもあったと思います。任天堂はテレビのCMを見ただけで欲しくなるような魅力的な宣伝の力が強かったです。個人的にファミコンウォーズやミュージカル風ゼルダの伝説はすぐにゲームが欲しくなりました。けれどセガは、よくわからん汽車風が走ってきて最後にぶつかり合いそうになるというどんなゲームなんだ?というわけのわからないCMを多数作っていたりしました。訳の分からないCMを見せられて子供が千円札を数枚握りしめてゲームを買いに行くと本気で思っていたところがセガの営業の頭の悪さだと思いました。
いつもセガは根本的なところを解っていないということですね。
セガ信者にとってはそれでよかったんです。だけど確かにあれじゃ新規は入ってこないですねw
それでも私はセガサターンを愛してる
プレステよりセガサターンにお世話になったなギャルゲ~をやりまくったFFとは違う 感動作が多かったな
一番の大きな違いは、SEGAは競合するメーカーからのソフトが出なかったんです。そして、ソフトメーカー向けの発表会で、あのソニーが「何としてもお願いします。と、頭を下げた」というのが話題に上がっていました。発表会では、ポリゴンの描画能力のデモやらで、開発者は当時3D=ポリゴンの一択になっていましたので、SEGAとの比較以前でした。
サターンはバーチャファイターショックは凄かったが、如何せんパワーメモリーのセーブが飛ぶ病が悩みのタネだった。スーパー32Xがサターンソニック開発を遅らせた一因だろう。アメリカでGenesis(メガドライブ北米版)が売れ過ぎ問題も有った・・・
セガハード全般に言えるけど、開発環境の整備に全然力入れないのがねファーストで足りない分、サードをローンチに合わせなきゃいけないのに開発機がクソ高かったり全然無かったりとかドキュメントやサンプルプログラムの整備とかロクにやらないから、そらみんな慣れたPSに行くよって言うまぁPSもPS3あたりで近い自爆やって、任天堂も一時期同じことやってたけど
同時期に存在した3DOやPC-FXなんかもいつか取り上げて頂けたら嬉しいです。特に3DOは次世代期の開発している途中で辞めて事業から撤退した経緯があるのでこのチャンネルのコンセプトにも合致していると思います。
SCEが最初から値下げ合戦によるサターン追い込みを前提とした価格戦略を組んでいたって説をよく見かけたなあ
64も安さで出したけど相手のSEGAとSONYが価格を値下げされていて値段が他社よりも高くなる位置になってSONYに負けてしまいましたね。
製造コスト的にDualCPUで低コスト化できないっていうのもあったにしろ一番の問題はサターンって日本ではそれなりに売れていただけで全体の総売上がダメでセガの家庭用ゲーム機事業にダメージだったらしいからなあ…
コンビニでソフトを売り始めたのはプレステからでしたよね?あれは結構な衝撃でした。FF7がどこにも売ってなくて、ふと入ったパチンコ屋で見かけて勝負に出て大勝ちしてFF7 2個取って友人に売って泣くほど感謝されたのが良い思い出となりました。
当時のゲームショップ思い出すと確かにソフト陳列棚もプレステとサターン半々くらいで並んでたサターンが調子良かった頃は64の方が隅に追いやられてた気がするわFF7で一気に流れ変わったよね
これはドリキャス版の動画もでますよねw
サターンはセーブデータ管理がPCエンジン寄りだったのも敗因かと。PSのメモリーカードは容量はともかく当時として画期的だった。
セガサターンのコントローラーは格ゲーやる時に凄く使いやすいデザインだったなぁ。
わかる、あのコントローラーはストリートファイターシリーズのためのものとも言えるくらい使いやすかった
確かに、カプコンの格ゲーには最適だったね!
未だにUSB用で復刻されて飛びつく人も多かったりするもんねあれはアナログスティックがないパッドの中で最も使いやすい
ガングリフォン・ガンダム外伝・ゲーム天国etc…思い出深いゲームが多いのでうちではこれらのタイトルと共にセガサターン2台(ツインオペレーター付き)が現役です
コミックボンボンと、コロコロコミックの関係に似てるな。
データが消えるがサターンだったな。ゴジラ列島が好きだった。
似たようなチャンネルがたくさんあるけど、このチャンネルが一番好きだな。セガは昔からサードパーティがないから出来るゲームが少ないんだよな。
ソフト全部セガだったってこと?
@@user-in7_w6uu4w そんなことはない。サターンに関しては、プレステと同時に参入したサードパーティーはたくさんあった。だがプレステと同時発売のはずが、サターンのみ発売中止となるタイトルが多かった。特にハードの普及台数に差がついてからは。
@@user-in7_w6uu4w 違う違う。当時のプレステって有名メーカーのから同人サークル活動レベルまでたくさんのサードパーティが参入できるほど開発の敷居が異常に低くてて、開発用のプレステもサードパーティに貸してたくらいだもの。だからプレステのソフトって有名なメーカーしか買わなかった人なら知らないかもしれんけど、プレステソフトの粗製濫造が起きてた。アンシャントロマンとか黄昏のオードとかな。そんな粗製濫造が起きてるとこと比べるのは酷だよ。
パンツァードラグーン、ガーディアンヒーローズ、グランディア、ガングリフォン、バーチャコップ、パロディウス、ブルーディスティニーその他最終的な覇権争いにこそ負けたけど、その面白さはほんとに素晴らしかった
加えてギレン、クオヴァディス2、2D格闘全般にハマりました。PSはアーマードコアぐらいでした。
サターンもPSもけっこう遊んだけども3D関連の処理能力がサターンの方が低かったのが時代に乗れなかった最大の問題だよなあ
サターンはコントローラーに関しては今でも歴代ゲーム機No.1だと思うまず単純に形状が持ちやすく、十字キーは一つのボタンとしてまとまってて指擦れしないし、前のボタンが6つあるのも使いやすかった
格ゲー向きなのは間違いないね。
セガサターン。こんなにたくさん遊んだハードは無いよ。最高のマシンでした。
今でも3Dより2Dドット絵が好きでRPGより格ゲーやシューティングが好きだったからサターン一択だった。ドリキャスはPS2と比べてサターンのソフトが遊べないのが致命的だったな。コントローラーも異様に持ちにくかったしなあ。サターンパッドがあれだけ良い出来だったのに。
バーチャファイターは凄かった。あんな立体的に動くキャラクターを見て感動した
サターンでバーチャ2をプレイした時の感動は未だに忘れられない・・・
いや。他の面も大きいよ。プレステはCDプレイヤーとしても使えたのが大きかった。またプレステ2が爆発的大ヒットになったのは、更にDVD再生もできるようになったからさ。
ビクターのVサターンや日立のHiサターンも思い出してあげて下さい。某国ではサムスンサターンなんてイロモノも有ったらしい…
セガはいつも未来を見すぎてるからなあ
他チャンネルの紹介になるけど、ゲーム夜道さんのプレイステーション誕生物語も一緒に視聴したらセガサターンが負けた理由が更に分かると思います(全部見るのがめんどかったら後編だけ)
たまたまちょっと前に観ました。全メーカーで開発技術共有とか反則やわ。
キラーソフト展開の失敗だろうなぁ。つか、SEGAハードは、ソフトハウス側との交渉が本当に下手だった。
ゑろゐゲームするために中古を買ったなぁ慟哭、そして…は素晴らしいおぱんつゲーム
ドリームキャストの衰退敗退はゑろゐゲームの発売を辞めたことが一因だと思う。
ゑろゐは地球、もとい息子を救う…
ゑろゐゲーム(X指定/R指定)を取り扱っていたことで悪目立ちしたことで、ファミリー層に避けられたのがね。ただそれならそれでもう開き直ってヲタ向けにゑろゐゲーム出し続ければよかったんじゃないかと思わなくもない。(勿論ゾーニングは行ったうえで)一方で、後に出たPS2がDVDプレイヤーとしても優秀でゑろゐDVD見放題になるとは皮肉なことでした。
ドラクエ7はもうプレステ2の時代なので、プレステ2がなかったら、そんなに売れていません。
この終わり方は次回ドリームキャストに繋げる布石か!?
サターンの敗因が一つ抜けてますよ。セーブが消えやすかったという事です。PSでのメモリーカードに相当する、メモリーパックがありましたが、これが頻繁にセーブデータが消える欠陥品でした。ハード本体に記憶させる事も出来ましたが、電池式で記憶容量も少なかったです。「セーブが頻繁に消える」は大手RPGメーカーを誘致する上で致命的な欠点になりますよね。
次回はドリームキャストだなwそれはともかく、PS成功の要因は、サードパーティの障壁を低くしたということとCD-ROMになったこととライブラリ(いわゆる開発ソフト)をSCEが提供したことで開発コストを下げられたこと・開発しやすくなったこともあったかなと。あとは、ナムコの参入が大きかったとも言われている。セガもサードパーティを集めたんだけど、SCEには及ばなかったのよね・・・。
もし、初動でナムコにソフトを独占供給してもらえたなら、PSは目玉ソフトを失い、初動で大コケした可能性が高いです。ですがナムコは2Dに全くやる気が無かったので、サターンには参入すらしなかったですね。結局サターンが2D重視設計になっていたことが敗着点になってしまったように思います。ですが、この時点で3Dを重視した設計にするのは非常に難しく、セガには最初から勝ち目はなかったのかもしれません。
まぁ原価割れとかソフトの供給が〜は後のプレステもやっちゃうし…
そういや「行くぜ100万台」とかCMやってたなあ…プレステが。
せがた三四郎「セガサターン、シロ!」
同時プレステが売り切れで仕方なくサターンを買いました
セガサターンがPSに負けた要因の一つには、3Dだけでなくムービー再生能力でもPSに見劣りした面もあったと思う。当時のゲーム屋の店頭販促でも、セガサターン実機が再生するムービー映像が画面解像度が粗くてあまり印象が良くなかった。2D能力ではPSに勝っていたぶんゲーセンの2Dゲームの移植には大活躍だっただけに惜しい。
サターンで最初に使われていたCodecは CinePackだったけど、心無いユーザーから「死ねパック」なんて言われたな。その後、TrueMotionになって、だいぶ画質は改善されたんだが。
何言ってるんですかー別売りのムービーカードを使えばMPEG再生できたんですよー(棒
@@nurechin 大枚叩いてMPEGカードつけてもVCDのAV観るのとLUNARの入浴シーン観る以外の役に立ったんでしたっけ?
サターン:2Dの化け物PS:3Dの化け物と両者それぞれ際立った特徴があった時代、懐かしい
ガングリフォンの綺麗なムービー観たくてサターンのムービーカード買ったなぁ~
セガが世界に先駆けて3D格闘のバーチャ作っときながら古い2Dに固執して敗北したのがかつて日本が戦争で他国に先駆けて空母作っときながら古い戦艦同士の戦いに固執して負けたのに似てる
とは言ってもセガサターンでシェンムー作ってぐらいのハードだったので3Dも作れるぐらいの性能はあったんだよね。
湯川さん亡くなったんだっけ
確かに序盤はPS劣勢でFF7を機に一気に覇権って意見には賛同ですが、序盤からPSを支えてたナムコも忘れてはいけない、ローンチでリッジレーサーを出したのを皮切りにスターブレードα、鉄拳、エスコンと次々にソフトを供給してくれた。
ナムコは、セガサターンにも参入はしていたらしいですね。結局ソフトは一本も発売されませんでしたが。
序盤は確かに SEGA vs SONY じゃなくて、SEGA vs NAMCO っていう面もありましたね。本社大田区の永遠のライバル。
FFやドラクエがPSで発売されたのがデカかった。自分はSS派だったけど。パンツァーシリーズやデビルサマナーシリーズは最高だった。
当時、3D性能がいいからっていう理由でプレステを選ぶ人はほとんどいなかったよ。FF7が出るからって買う人が多かったな。やはりユーザーにとって重要なのはハードよりソフト。サターンはハードはよかったのに販売戦略で負けてしまった感じだったな。
いわゆるアーリーアダプターに限ってはそうでも無かったんです。普及100~200万台くらいの範囲ではそういう層の期待感が大きくてサターンはPSを振り切れなかったんです。あと、ゲーム開発者の間では2Dに限界を感じるというか、もううんざりという感もあって全体として3Dを待望する雰囲気はありました。
10:39セダサターン「…うぅ……うぁ……うああああぁぁうぁああぁああう…うぅ……でも…私は…役に立ったのですよね…………!!!!セガサターンの敗北は!!SEGAの反撃の糧になったのですよね!!?」SEGA「もちろんーー!………………………イヤ…次世代機のドリームキャストで…我々は……………!!なんの成果も!!得られませんでした!!」スーパーファミコン黄金期にメガドライブを買い、プレイステーションの黄金期にセガサターンを買った身としては複雑ではある
DQとFFがPSで発売することが発表されてから、一気にPSが売れ始めて勝負あり。ただ、敗北図鑑にはピピンやネオジオCDやワンダースワンの方が相応しいかもw
初めて入手したセガのゲーム機でした。本体性能はともかく、セーブすんのに本体の電池を入れないといけないのが嫌だったんだよ、面倒だし。パワーメモリーは便利ではあったけどすぐデータ消えたし。
近所のゲームショップで見た記憶はあれど、なんとなくPSより黒っぽいゲーム機みたいなのがあったなぁ程度にしか記憶がないそれ程に当時小学生だったらSFC→PS(or64)のコース辿る子が大半だったと思うPSか64を、それぞれ持ち寄って各友達の家に遊びに持っていっても、セガハード持ってる子は一人もいなかったなぁ
黒っぽいゲーム機は草
なぜって、そりゃあPS1 がいたからだろこんなクソがサイコー!なんて悦んでたのは杉田のこうすけくれーだろw
なんならPS1って2D描画の機能自体を持ってないからね。PS1の2D(に見える)ゲームは平べったいポリゴン板にテクスチャを貼って表現してる。それぐらい思い切った取捨選択設計をしたプレステが凄すぎる。それにしてもいままでは「先見の明はあるが技術が足りない」感じの尖りを感じるセガが、サターンでは従来の2Dを重視しつつ3D描画も出来る高価なチップで面制圧を狙う保守的な設計で負けてしまったのは皮肉でしかない。
おじさん「、、、、イキュラスキオラ」
サターンPS 64の中で一番性能高いのは実は圧倒的に64 カセットにしなければ覇権だった
64は発売が2年も後だから性能的に優れていても不思議はない。だが、2年も遅れては覇権をとるのは無理だ。
@Pポップコーン そして64はゲーム開発も難しく、それも影響したのか、サードパーティの取り込みにおいても在ろう事か前世代で負かしたセガと同じような失敗をやらかすというね次のゲームキューブである程度反省したけどやはりPS2が強すぎたのか巻き返しはならず、立て直すまでに結構かかった時期もあったのが今思うと任天堂にしては珍しいかも。(それでも堅実に黒字を確保してたのは流石)
それはない、スクウェアが64でポリゴンモデルを作ってまともに動作しなかったからPSに鞍替えしたんだしロックマンダッシュやバイオハザード2を見ても分かるようにPSと変わらないかむしろやや劣るまである もし64がCD媒体にしていたら本体価格がもっと高くなってただろうし64はロムカセットで正解、ロード時間がないって利点もあるし
個人的にはメモリーカードが最大の決め手だったと思う。セーブの消えない、プレイ本数が多くなればなるほど一つ2000円のメモカが売れる。メモカ20個くらい持ってるからアレだけで4万はソニーに貢いでる計算になるもの。ソフトメーカーの誘致に成功したのが大きいのはもちろんなんだけど。
CD、DVD、MD等の規格の専有化の強みをソニーは知っているから(なおベータマックス)
俺よく考えたら、このサターンもドリキャスもサクラ大戦のために買ってそれしかやってなかった
①ファミ通による執拗なサターンディスり②カートリッジスロットの仕様の問題を認めず改善もしなかったセガの自滅
すぐ壊れたからセガサターンは複数買いが当たり前でユーザー数は更にすくねぇんだよなぁ
1996年12月までは若干だけど販売台数はセガサターンが上でほぼ互角な感じだけど、1997年からPSが本領発揮、スクエアがFF7を皮切りにラインナップが充実、SSは本体をけん引できるほどのソフトが無く、ラインナップが微妙だったんだよな~。
中古販売を承認したから売れるようになったのです当初SONYは、ゲームの価格抑えて販売してるから、値下げ販売も中古販売もいけませんとお店に押しつけ、それを破った対応として出荷取りやめをするとお店側に承諾させたんですよくサターンに勝ったものだと思う次第ですよこれ知らんでしょ
@@仰げば空を 中古問題が続いたとしてもセガの負けですよ。PSはみんなのゴルフやグランツーリスモで新規ユーザーを取り入れているのに対してSSはセガユーザーありきで新規が取り込めてない。1月FF7で300万本 7月みんなのゴルフ200万 12月グランツーリスモ255万 サターンでミリオンに届いたソフトは95年のVF2のみ。累計ではあるけど、この数字だけでPSに軍配が上がる。ミリオンを超えると本体販売に大きく影響出るのが数字でもわかる。1997年1月500万台、ここまではSSも500万台と互角だけど、1997年12月にPSが1000万台突破、SSは細かい数字はないけど最終的な販売台数が580台ということは1997年がターニングポイントなのがよくわかる。
@@仰げば空を 大幅に前提が異なっていて大草原SFC・MG時代に定価1万だったソフトを限りなく安くし価格破壊を起こしたのがソニーで、ゲームが買いやすい価格になったから一般顧客を取り込んだんだけどなCDになった分再販を出来るだけ早め、在庫を作りすぎないように流通そのものを大幅に変えたんだが任天堂はそれ以上の小売イジメをしてるし、中古市場は裁判されるまでずっとソフトハウスの悩みの種だったんだからあたかもソニーだけがというのはおかしいこれ知らんでしょwwww
@@仰げば空を公正取引委員会に注意されたから、後にセガもドリームキャストで同じことをやらかして注意された。
ffかドラクエのどちらかを引き込めればまだ未来はあったのになぁ。
子供心に「まーた電気屋が調子乗って糞ゲーム機出すのかよw」とか思ってたけど、プレステはハードの大きさやメモリーカードの性能など含め、洗練されててたまげたそれまでの電気屋とはまるで違うと感じた
まあ最終的にはハード性能よりソフトだよな。あの時代にドラクエ、FF、ビーマニシリーズ、テイルズを独占されたらどこも太刀打ちできないよ。
いったぜ100万台!とか誇らしげに言ってた時代が懐かしい
1996年春まではSSの方が優位だった1月 ガーディアンヒーローズ 発売2月 ヴァンパイアハンター 発売3月 新世紀エヴァンゲリオン 発売3月 セガサターンを2万円に値下げ3月 ドラゴンフォース 発売4月 野々村病院の人々 発売7月 ナイツ 発売8月 同級生 発売9月 サクラ大戦 発売11月 バーチャロン 発売
サターン→ドリキャスにソフトの互換性が無かったのが痛かった
ドリームキャストは読み込みの音がうるさかったし。
セガのハードはゲームオタク向けのイメージが段々と付きだした、SONYのプレステはゲームに興味のない人を引き付ける魅力もあった。
勝負を決定付けたのはやっぱりFF7がプレステで発売されたことだと思う。当時のスクウェアは本当に凄くて、もうFFシリーズが出るハード=次世代機の主要ハードみたいな風潮があったからなぁ。
実際には"発売"で差が付いたわけではなく"発表"です、
当時のファミ通を見るとそれまで週間売り上げ台数の差がみられなかった両機でしたが、発表を機にPSが圧倒的優勢になっています
@@ぽんこつらーめん-v2z
発表されるまではSSの方が売れてたけど
FF7の発表、そしてDQナンバリングのPS移籍で
あっという間に市場が動きましたね
そうですね。大学1回生時代にファイナルファンタジー7の為にプレステ買いましたから。
そう考えると、ファイナルファンタジーを持って行かれても何とかやっていけた任天堂は凄い。
@@サイサイ-h8s
N64とGCは、何とかやっていけなかったんです……
アメリカで売れなかったのはソニックが出なかっただけではなく
メガドラの延命を希望する声の方が圧倒的に多かったのもある。
そしてSuper32Xがそれを叶えて余計に足を引っ張った。
毎回恒例の「君失礼だな」が好きです。
サターンはパワーメモリー(メモリーカード)が接触不良を起こしやすく、データが消えやすかったり、純正のRGBケーブルが欠陥品だったりと、ユーザーへの細かいながら無視できない配慮を欠いたのも評判を落とした原因だと思う
パワーメモリーは本当に糞だった。これが一番の原因だと思う。
分かります、私もそれで涙を流したことがありました...
その点プレステのメモリーカードは有能でしたね。
ただセガサターンの叡知なゲームには大変お世話になりました、てへへ ( ^ω^ )
メモリーカードも普通にダメでしたけどね。
特にダメだったことが思い当たらないのですがどこがダメだったんですか?
↑は宮田明さんへの質問です
セガサターン「…でも…セガサターンは…役に立ったんですよね……何か直接の手柄を立てたわけでなくても!!セガサターンの敗北は‼︎ドリキャスの糧になったんですよね‼︎?」
SEGA「もちろ
現実「何の成果も!!得られませんでした!!(販売台数245万台)」
海外ではセガサターンより売れたから…
PS2とかいう化け物がいたのが悪い
@@ラインマーカー-p3w PS2発表前に決着ついてたぞ
@@santouhey 発売から1年弱で約160万台売れてた訳だからまだ戦えてたと思うよ。PS2が発売されてから売上が目に見えて下がって勝ち目がなくなってSEGAが撤退決断した訳だし
何だかセガサターンが哀れ。
当時の会長「モデム無かったらOK出さんかった」
20000円になった当時、ゲームショップの店長が
仕入れ値が19900円だから1台売れても100円の儲けしかないと嘆いてたので
申し訳なく思いながら購入して帰ったのを思い出す
サクラ大戦やグランディアで十分元は取れたし最終的にはPSよりも購入したソフトは多かった
当時の低価格戦争は酷かったですね。そこから消費税増税でデフレに突入・・・
自分もPSよりも購入したソフトの数、遊んだ時間は多かった。
本体発売翌年の95年のソフトが弱かったのが痛かった。
当時高校生でしたがスクエアがPS参入してFF7発表したあたりで流れが確定したイメージでしたね
あとサターンはパワーメモリーが超品薄&すぐデータがふっ飛ぶのがね…(売り上げにどれだけ影響あるかはともかく)
ワイはフロッピーディスクドライブ買うたでw
セガには覇権とって欲しかったと愛好家としては今でも思ってます。
@@alexeycalvanov 俺も
セガの方がゲーム強いだろとどちらを買うか家族会議してましたけどやはりFFで流れ変わりましたね。後にセガサターンも買いました、パンツァードラグーンのRPGとか傑作もありましたが。当時のファイナルファンタジーにはそれほど魅力がありましたね
メモリーは末期はデータ飛ぶ欠陥が知れ渡ったせいで叩き売りされてましたよw
むしろフロッピーの方が入手困難に......
個人的にセガサターンの悪いところはボタン電池でのゲームデータの管理やパワーメモリーカセットの不具合だと思ってる(これがなければサターンは長く使われてたと思う)
ハードとしては優れていたのに有力なサードパーティが付かなかったのが敗因ですね。
FFⅦをPSに持っていかれたのが痛かったですね。
最初はナムコがSCEのハードをけん引したというくらいリッジレーサーがヒットしたからなぁ。
あとは自由な雰囲気に触発された新興メーカーの成功もあったと思われる。
根本的な話として、自社においてチップレベルで開発機関と工場を持つソニーに対してアウトソーシングのセガではハードの性能とソフト開発環境やコスト面で勝負にならなかった。
しかも次世代ハードで根幹となるCD-ROMのドライブとプレスにおいて重複するがソニーにコスト面で絶対にかなうわけがない。
セガの中央演算で64bitはコスト的に厳しく32bitを2つ乗せ複数のDSPで補助するのは開発環境において非常にネックになっていたのに対し、ソニーのストレートなチップ構成に開発ライブラリを用意し、小規模ソフトメーカーに低価格(10数万円程度)に提供するだけでなく1億円の開発資金援助のコンペをぶら下げて才能を募っているわけだから、「獲りにいく商売」のレベルが違う。
性能よりも一番の要因はエニックスとスクウェアと契約できなかったのが大きいと思います。
怪物タイトル2作もプレステに持ってかれたのは痛い。
いや、エニックスは参入してて、七つの風の島物語、MYST、忍ペンまん丸、
日本代表チームの監督になろう! を出してました。
当時、噂だけで終わったSS版ドラクエⅧがもし発売されてたら、歴史は
変わってたかも知れません。
スクウェアエニックスって昔は2つに分かれてたんか…
@@おさかな-さん それを知らない世代でしたか・・・・ガチライバル同士でした、当時の合併は衝撃でしたね
エニックスはスクウェアが持つ3D開発技術が喉から手が出るくらい欲しかった
3Dゲーム技術で先行していたスクウェアは調子に乗ってファイナルファンタジー映画に手を出した結果大コケして負債を抱えてしまいましたのと数億円の3D開発機器投資が重荷でしたのでエニックスが有効利用してくれることに期待しての合併だったと思います
@@HIROAKI3721さん
横ですが、まだ合併前の当時、「クロノトリガー」が出た際にエニックスのドラクエの鳥山明キャラデザでスクウェアから発売だったから、遂に合併か⁈とか冗談半分で思ったんですけど、後に本当に合併してしまうとは思いませんでしたね😅
@@orion6337 うろ覚えですがスクウェアがエニックスをPS陣営に引き入れた話もありましたので
異世界おじさん見た後だからこの解説は助かる。
それなw😀
でもおじさんに記憶を消さ!?¥§¦¯¢¡~ª¨¡¡[¶~¡®£¤¤°£※◎◆□→※☆★◆☆§
わかりますw
サターンの撤退は知っていただろうが、ドリキャスの結末を知ったら・・・イキュラス・キオラ!
せがた三四郎~せがた三四郎~の歌を浮かべる
CMには本郷猛が起用されたんだよな
あのCMで指へし折ったり足の裏凍傷寸前になったりしたらしいしな。
それも相まって球を直接体で受け止めてたり足でホームラン打ってるのも実際やってたとか言われてたりな。
「野球やろうぜ~」
としか言っていない少年達に
「背負い投げ」「背負い投げ」「裸締め」という鬼畜の所業ww
今では絶対流せないCMですねぇ~😅
最後の「セガサターンの失敗は次世代機の役に立ったんですよね?」が
進撃の巨人の序盤の「息子の死は人類の反撃の糧になったんですよね?」と
問い詰めてたお母さんみたいで悲しい…
残念ながら生かされなかったね。セガはカリンスキーを切るという愚行をしでかしていますから。
当事者世代じゃないから分からんが、つまりはまるっきりの無駄死にだったということ?
@@hydy6013 せっかくの死を…スタートダッシュの失敗で、台無しにしました!
あの時代はハード争いが激し過ぎたんだ
あと鬼みたいに売れてるソフトが競合に多すぎた
敗北したとはいえ当時楽しんでた世代にとっては最高のハードです
「PSで格ゲーとかスローモーションやんけwww」と揶揄されるくらいセガサターンは最高のハードでした
CAPCOMのVSシリーズで重宝してました。
ゲーセンと同じように2on2できるのは嬉しかった。
PS版は1対1になっちゃってたし。
DQ7は確かプロトタイプはSF発売を目指して作ってしまったんじゃなかったかな。んで、セガだか任天堂だかに誘われたけど技術がエニクスになくて断って技術が揃ってたPSに行くんだった。裏切り者ってサターン誌や64誌からは書かれてた覚え
プレステに魅力を感じたのは、あの斬新なデザインのコントローラーくらいでしたかね?あとは、ディスクの読み込み面が黒く塗られているところ。
コントローラーは結構手にしっくりくるので感動しましたが、当時はまだまだ主流だった格ゲーには全く向かなかったですが・・・
@とうや このコメントで思い出した事。
FF6のオペラが絶賛されてた(ウチのまわりだけ?)んだけど、
PC-EならCD音源で歌流れてるやんけ。だった。
負けハードと言われたのでも、良い点は沢山ありますよね
@とうや
ドラクエ7も本来セガサターンで出すつもりではあったらしいけど…延期しまくったからね…
僕はシンプルにスクエニをセガに取り込めなかった事が敗因と思ってます。
やっぱFFとDQが出なかったのは大きい…変わりにカプコンは頑張ってくれたんですけどね
セガサターンはアーケードゲームの移植に強かった。当時人気だった格ゲーやシューティングの移植度はPSの同タイトルと比べても優れていたし、セガサターンでも移植が難しいタイトルはメモリを増やすカートリッジを増設する事でほぼ完全再現する力業を見せた。
ただ、それがウケるのは熱心なマニアにだけで、一般に対して訴求力は弱かった。
さらにセガ人気が強かったアメリカでもスタートダッシュに失敗したのが痛かった。
反面PS陣営はイメージ重視のCMや、みんゴルやトロなどで普段あまりゲームをしない人向けにもアピールをし、さらには家庭用RPGの王者だったFFとDQを引き入れる事が出来たため、マニア以外にも爆発的ヒットし、最終的にはサターンを圧倒するようになった。
ただ、サターンでしか遊べない名作ゲームは沢山あるし、復刻もあまりされないんで現在のレトロ中古市場では人気が高い。特に当時売り上げが振るわなかった海外のマニアがこぞって買い集めている。
普及台数的に互角といってもSSはユーザーの質が悪かったんですね。
スクウェアから見て。
セガ絶対という、いわゆるセガ信者みたいのが多くて他社は受け入れられない感じだった。
理由はわかりませんがサターンのゲームは次世代機にほとんど移植もされず、VCでもアケアカでもまったくといっていいくらい配信されていないので、実機の需要が高いんですよね。知る限りではナイツとDOA1くらいしかなかったと思います。エミュレータも不完全なものが多いそうで…
サターンの時期ってまだまだ2Dアケゲー全盛期でしたからね。
ゲーセン事業やっているセガもそれを見込んでいたと思うし一般層は見えていなかったのはそうかもしれないね。
ドリームキャストでその反省点が見えたような気がしたけど、どっちからもウケなかったね。(撤退原因とは違うけど
良い時代だったと思うよ
@@marineblu9584 SSはハードの構成が複雑でエミュレーターも100%再現とはいかないんですよ
@@matatabi9973
サターンミニがほぼムリだろうって言われてるのもそのあたりが原因らしいですね...
半導体不足も相まってなかなか厳しい
パッドが格ゲーと相性良かったなぁ
晩年はR18ゲー専用機
ドリキャスも末期のソフトラインナップは、エロゲの移植作専用機と化してたな.....
イヴバーストエラーは超名作
これをやらなければその後エロゲにハマることはなかったわ
@@neokaazu
この世の果てで恋を唄う少女も超名作だよね。
@@nekodama3055
最近になってリメイク&アニメ化で再評価されたな
PCE「せやな」
このハード戦争の幕開け時、参入メーカー、昔でいう所の「ソフトハウス」にて学生アルバイトをしていたので、社内や業界の空気を感じる限りはサターン優勢でしたし開発者も同機で開発がしたい派が多かったです。
やはり、FF7で流れが、口に出さすも誰もがもう勝負ありと思い知らされた瞬間だったなぁ
FF7で二匹目のドジョウを狙うためにとりあえずムービーゲー出しとけって参入したメーカーが爆増しましたよね。
伊藤忠商事まで謎のムービーゲー出すくらいでしたし。
95年末のバーチャ2やデイトナが出た頃は、ユーザー目線でもサターン優勢に感じてましたね。その少し後のFF7で流れが大きく変わり、DQ7で完全にトドメを刺されたといったところでしょうか。それでも98年春までは良作も多く、まだいける!なんて思ってたんですが・・・直後のDC発表で自分は心が折れましたw
自分は発売当日などに買ったサターン派ではなかったですが、ドリキャスはアーケードと同じNAOMI基板を活かせるためアーケード異色の完成度は高かったと思います。サターンもそれなりに良かったのではないかと思ってます。
他にはわずかなサイズではあったとはいえ、本体にも当時としては珍しく?メモリー機能もあったし。
(記憶媒体を本体のみに限定するというリスクもありますが)グラフィック機能を向上させる拡張RAMカートリッジ(正式名忘れましたが)を、拡張スロットに挿すことで「ダンジョンズ&ドラゴンズ」や「X-MEN VS ストリートファイター」など、快適に遊べたのが良かったです。
自分はあまり魅力を感じませんでしたが、コントローラーは格ゲーがやりやすいという評価は高いですし、一長一短だったような気はしますね。
@@piezou2
95年だとどちらが優勢というよりもまだ次世代機を「様子見」してる人が多かったと思うんだよね
自分はその時期だと末期SFCの枯れた名作や中古ソフト漁りに夢中で次世代機はまだいいやと思ってた
DQ6の発売が95年12月だしロマサガ3も同年11月、遊べるゲームは沢山あった
ググってみると96年2月の電撃PlayStationバレンタイン号でスクエアのプレステ参入が発表されFF7が特集された、とあるからそれで一気に動いたんだろうねえ
自分がプレステ買ったのもその頃だったと記憶している
プレステやプレステ2と比べても、同タイトルで遊ぶ時のロード時間やカクつきなどのストレスが少なかった。
当然プレステ側はそういうの我慢出来るタイトルで戦うわけで。
自分の遊びたいものはそういうのがストレスになりやすいものが多かったのでサターン派だった
その意味でドリキャスより快適だった
需要に合わせて供給すれば儲かるって理屈は分かるけど、実際はすごい難しいことなんだなあ…
需要が何かわかってから供給し始めた頃には、既に先人がいて二番煎じだった…って事になるもんな。
一番の席を取るのは本当に難しそうや
需要が分かってからでは遅いから需要が増える前の段階で新しい需要を見つけないといけないんですよね、でないと先手を打てない、でもその為には売れるかどうか分からない物を先行して作っていかないといけない……そして需要が起きなければただの邪魔物にしかならない……本当に難しい先駆者になることは。
尚先取りし過ぎたバ○チ○ルボ○イ
セガサターンといえば 当時の売り文句として『32ビットCPUを2個搭載!実質64ビット!』と広告や雑誌で謳っていたのが印象に残っています
思いっきり騙されていたんだよなぁw
ソニーの「いくぜ100万台!」のCMが流れてたときにプレステはまだ100万台到達してなくて、サターンは到達してたってのがもうネ
異世界おじさん始まったので解説嬉しい。
そういえばスーファミ、プレステ世代だけどセガ持って友達は居なかったな。
当時 セガサターン(セガ)の他に Vサターン(ビクター)とHiサターン(日立)というのもあったのが懐かしいですね。
Panasonic製ゲームキューブ(DVD再生機能あり)よろしく、ビデオCDやフォトCD再生に特化したハードでしたっけ?
サターンに両社がそれぞれ部品を提供していたからこそ出せたOEM機だな
ビクター版のサターンパッドがかっこよかった記憶がある
ちなみに、前世代のメガドライブ&メガCDも、同じようなOEM機がビクターより出ていた(ワンダーメガ)
サターンは日立に新規に作って貰った32bit CPUでは他社の3D性能に勝てないからとCPUを2個搭載して2チップで挑んだためどうしても高コストになってしまいましたね。後期型は1チップになったけどCPUは変わらず2個入っていたようですし、これでは売れば売るだけ赤字になってしまう。チップを作っていた日立はセガのおかげで量産体制が整い、他にも転用できたので良かったようですが。
ドラクエとFFがどっちで出るか待ってる人が大半だった印象
FFがプレステに決まって勝負ありだった
ドラクエはその時代の最も売れてるハードに出すってのがあったからその流れでドラクエもプレステに決まってさよならサターンって感じだったんじゃないかな
スクエニは流通を握らせることが条件だったが任天堂・SEGA両陣営ともNGでsonyが了承した為移籍となった。因みに発表前週の本体販売はPS
そうそうその通りだと思う
自分もこの時期はまだSFCで戦えるだろと思って様子見してたし、実際FF6,ロマサガ3,ドラクエ6なんかをSFCで遊んでた
96年2月にFFがプレステに決まって、それでプレステを買うことに決めた
結局性能だとか3Dだとかは関係ないんよね
やりたいソフトがそのプラットフォームで出来るかどうかが全て
もしサターンで出てたら3Dギザギザのガタガタだったろうな
ドリキャスはネットワーク対応の先進的なハードだったけど、日本のネットワークインフラが追いついてなくて時代が早すぎた。当時のセガはいろいろ早すぎる理解されない天才みたいな感じのメーカー、、、頑張ってほしいw
TVコマーシャルの違いも大きかったと思う。
サターンのCMはブランディング戦略ばっかりでどんなゲームなのかCMだけでは分からず、CMを見て「買いたい」と思わせるものが少なかった。
対してプレステのCMは限られた秒数の中でどういったゲームなのか分かりやすくアピールし、購買意欲をそそる内容にしっかりなっていたと思う。
言われてみれば、PSのCMは全く興味を示さなかったうちの父親は、せがた三四郎のCMには反応してた。
そしてうちの父親はゲーム機なんて全く触らない…。ゲーム層には刺さってなね。
今じゃプレステさんも下火に…
任天堂switchはまだまだ絶好調なんですがね
サターンはハードが優れていた為にソフト開発が難しくてコストも掛かったと聞いた事もありますね。
PSとSSどちらでも出たゲーム(悠久幻想曲とかソウルハッカーとか)で比較すると確かにロード時間やサウンドはSSの方が優れてましたね。
CPUは2つ乗ってたし、GPU、サウンドICも優れていましたが、その分高コストで、ソフト製作も面倒臭かったそうです。各ソフトハウスにセガ本体から、プログラマーが指導に行ったそうですが・・・
音はモッサリしてるイメージですけどね。
psのほうが断然音はキレイでした。
個人的にはサターンは海外展開の失敗が最大の敗北要因だったと思います。
まだメガドライブが現役の状態なのにPS発売前にどうしても先にだしたいがために
ソフトが揃わず小売り店を絞り弾かれた小売りから反発を受けて売り場を確保できなかった、
と言う事情もあったそうですし。
サターン発売する一週前にメガドラタワーのオプション品を出したりして、あっちのセガファンはめちゃくたゃ困惑したんだろうね。
@@モノマリス
セガの北米支社の反対押し切って発表翌日
にサプライズ発売だったそうですからね、
しかも一部のチェーン店だけで、そりゃ反発されますね。
北米市場で人気だった、ソニックの大作ゲームを出さなかった(厳密にはミニゲームやスピンオフ的なものしか出さなかった)のも響いたようですね。ソニックシリーズはメガドライブや32Xですでに相当数が発売されていたから、サターンは高性能かつ大人向けのマルチメディア機だから、ソニックのような低年齢層向けのキャラクターはなるべく出さないようにしようというセガ本社の意向によるもの、など理由は諸説あるそうです。
スーパー32Xはセガファンの視点から見ても最悪の戦犯だと思うわ
あれ装備したところでサターンの足元に及ばないスペックだし.....
それだったらサターン側にメガドラ&メガCDのソフトを使えるようにする周辺機器でも出すべきだった
たらればですが、フル3Dに拘らず、DSで出した
ソニックラッシュのような物であれば、サターンの性能を十分に発揮できて、
北米でも売れたかもしれませんね…
「RPGに弱いセガ」と言われてたのもあるかと。バーチャやソニックといったアクションは人を選ぶから
「誰でも時間をかければクリアできる」というRPGほどの牽引力はなかったのかも。
当時すでに家庭用ゲームの主流はRPGに移って久しかったですね。
ナムコも家庭用ゲーム機の夢を長年捨てられなかったようですが、自社でRPGのキラーソフトを生み出せないということで断念しました。
このあたりはセガにとっても事情は同じだったのですけどね。
FFなりDQなりが取れなければその時点で終わりでした。
そして、それらが取れる可能性は最初から高くありませんでした。
RPGは正直DQとFFなわけで
その2タイトルが任天堂以外のハードで出るなんて誰も考えられなかった
だからセガは時前でRPGを用意しなきゃって気持ちがあった
ファンタシースター
シャイニングシリーズ
頑張ったけど
その作品の良さがきっちり認められたのが
セガのRPGのキラータイトルもメガドラで散々出しておいて、サターンじゃなかなか出さなかったもんね。
ファンタシースターシリーズとかシャイニングフォースシリーズとか
ソニックは人を選ぶの?という事はスーパーマリオとかも人選ぶのか?アクションゲーム=人を選ぶマニアックなゲームって事か?バカじゃね?
完全にFF。それ一つだけで決まった。それ以前はむしろサターンの方が勢いもあった。当時子供だったからこそ分かる。そんな俺も今やホストゲーとか言いたくなるほどFFアンチ気味。
私個人の視点ですが、一にも二にも「ソフトの魅力」に尽きますね
動画内で挙がっていたアクション・レース・戦争シミュレーションより、DQやFFなどのRPG・BEMANIなどのリズムゲームは勿論、theBest/SuperLiteなどの廉価版も強かったです
それに至る方針の違い、が大きかったよねw
ps1の当時の目標は反任天堂であり、すべての生産采配を牛耳り、もうかるかどうかは任天堂の胸先三寸、をぶち壊すための努力が良い芽を出した形。
対するセガは、旧態依然。さすが任天堂のライバルで基本方針は似たり寄ったり。 加えてセガハードで良いソフトが出るのは皆セガかセガ配下のとこばっかw
いくぜ100万台!の勢い出してる時には野良開発者までサポートしてたのが功を奏し、ついにスクエアのFF開発宣言をゲット。
大物がなびいた、って話と、第2任天堂のごとき経営方針のセガが嫌われた、ってののWパンチで、サードパーティやインディーズwがPS1に雪崩を打ったからねぇ。
・・・が、セガを下したソニーは天狗になり、PS2では第3の任天堂に成り下がったのはまた別の話w
謎ゲー、奇ゲー、擁護不可能のクソゲー達も、王道に飽きたコアゲーマーのニッチな需要を満たしていました。
SSは非常に使いにくいデュアルプロセッサとそれを補えないライブラリなど開発環境面でPS1との差が凄かったときいています。
PS1は新規参入しやすい開発環境がととのっていて、比較的使いやすいライブラリなどの提供で思い付きをゲーム化するハードルが比較的低かった事が多様なゲームソフトを生んだ背景にあると思います。
ちなみにPS2では逆に変態ハードで開発環境が悪化したのでバカゲーは一気に減りました。
セガはドリキャスで簡単な開発環境を用意したけど、すでに大勢はPS側になってたのと、ディスクメディアでやらかしたことで巻き返しには失敗しています。
どんなに性能がいいハードでも、ソフトが面白くなかったら売れるわけない(任天堂山内溥元社長の持論)
任天堂ですらVB、N64と当時の売上としては低かったみたいですしね。
@@猪竹 エコールの社長がそんな話していたな
嫌がらせレベルで使いにくかったそうだ
タカラの闘神伝など一部プレステとサターン双方に同じタイトルが出ていたものを比較すると、エリスの衣装のシースルー部分の半透明の描画に差がありプレステの方が綺麗でした。
ゲーム機の栄枯盛衰は面白いけど
昔は据え置き型のゲーム専用機があったんだぜ?って時代がすぐ来るだろね
セガの敗北は、ハードさえよければ売れると思って営業努力が低かった社風にもあったと思います。任天堂はテレビのCMを見ただけで欲しくなるような魅力的な宣伝の力が強かったです。個人的にファミコンウォーズやミュージカル風ゼルダの伝説はすぐにゲームが欲しくなりました。けれどセガは、よくわからん汽車風が走ってきて最後にぶつかり合いそうになるというどんなゲームなんだ?というわけのわからないCMを多数作っていたりしました。訳の分からないCMを見せられて子供が千円札を数枚握りしめてゲームを買いに行くと本気で思っていたところがセガの営業の頭の悪さだと思いました。
いつもセガは根本的なところを解っていないということですね。
セガ信者にとってはそれでよかったんです。だけど確かにあれじゃ新規は入ってこないですねw
それでも私はセガサターンを愛してる
プレステよりセガサターンにお世話になったな
ギャルゲ~をやりまくった
FFとは違う 感動作が多かったな
一番の大きな違いは、SEGAは競合するメーカーからのソフトが出なかったんです。
そして、ソフトメーカー向けの発表会で、あのソニーが「何としてもお願いします。と、頭を下げた」
というのが話題に上がっていました。発表会では、ポリゴンの描画能力のデモやらで、
開発者は当時3D=ポリゴンの一択になっていましたので、SEGAとの比較以前でした。
サターンはバーチャファイターショックは凄かったが、如何せんパワーメモリーのセーブが飛ぶ病が悩みのタネだった。
スーパー32Xがサターンソニック開発を遅らせた一因だろう。アメリカでGenesis(メガドライブ北米版)が売れ過ぎ問題も有った・・・
セガハード全般に言えるけど、開発環境の整備に全然力入れないのがね
ファーストで足りない分、サードをローンチに合わせなきゃいけないのに開発機がクソ高かったり全然無かったりとか
ドキュメントやサンプルプログラムの整備とかロクにやらないから、そらみんな慣れたPSに行くよって言う
まぁPSもPS3あたりで近い自爆やって、任天堂も一時期同じことやってたけど
同時期に存在した3DOやPC-FXなんかもいつか取り上げて頂けたら嬉しいです。
特に3DOは次世代期の開発している途中で辞めて事業から撤退した経緯があるのでこのチャンネルのコンセプトにも合致していると思います。
SCEが最初から値下げ合戦によるサターン追い込みを前提とした価格戦略を組んでいたって説をよく見かけたなあ
64も安さで出したけど相手のSEGAとSONYが価格を値下げされていて値段が他社よりも高くなる位置になってSONYに負けてしまいましたね。
製造コスト的にDualCPUで低コスト化できないっていうのもあったにしろ一番の問題はサターンって日本ではそれなりに売れていただけで全体の総売上がダメでセガの家庭用ゲーム機事業にダメージだったらしいからなあ…
コンビニでソフトを売り始めたのはプレステからでしたよね?あれは結構な衝撃でした。FF7がどこにも売ってなくて、ふと入ったパチンコ屋で見かけて勝負に出て大勝ちしてFF7 2個取って友人に売って泣くほど感謝されたのが良い思い出となりました。
当時のゲームショップ思い出すと
確かにソフト陳列棚もプレステとサターン半々くらいで並んでた
サターンが調子良かった頃は64の方が隅に追いやられてた気がするわ
FF7で一気に流れ変わったよね
これはドリキャス版の動画もでますよねw
サターンはセーブデータ管理がPCエンジン寄りだったのも敗因かと。
PSのメモリーカードは容量はともかく当時として画期的だった。
セガサターンのコントローラーは格ゲーやる時に凄く使いやすいデザインだったなぁ。
わかる、あのコントローラーはストリートファイターシリーズのためのものとも言えるくらい使いやすかった
確かに、カプコンの格ゲーには最適だったね!
未だにUSB用で復刻されて飛びつく人も多かったりするもんね
あれはアナログスティックがないパッドの中で最も使いやすい
ガングリフォン・ガンダム外伝・ゲーム天国etc…思い出深いゲームが多いので
うちではこれらのタイトルと共にセガサターン2台(ツインオペレーター付き)が現役です
コミックボンボンと、コロコロコミックの関係に似てるな。
データが消えるがサターンだったな。
ゴジラ列島が好きだった。
似たようなチャンネルがたくさんあるけど、このチャンネルが一番好きだな。
セガは昔からサードパーティがないから出来るゲームが少ないんだよな。
ソフト全部セガだったってこと?
@@user-in7_w6uu4w
そんなことはない。サターンに関しては、プレステと同時に参入したサードパーティーはたくさんあった。だがプレステと同時発売のはずが、サターンのみ発売中止となるタイトルが多かった。特にハードの普及台数に差がついてからは。
@@user-in7_w6uu4w
違う違う。当時のプレステって有名メーカーのから同人サークル活動レベルまでたくさんのサードパーティが参入できるほど開発の敷居が異常に低くてて、開発用のプレステもサードパーティに貸してたくらいだもの。だからプレステのソフトって有名なメーカーしか買わなかった人なら知らないかもしれんけど、プレステソフトの粗製濫造が起きてた。アンシャントロマンとか黄昏のオードとかな。
そんな粗製濫造が起きてるとこと比べるのは酷だよ。
パンツァードラグーン、ガーディアンヒーローズ、グランディア、ガングリフォン、バーチャコップ、パロディウス、ブルーディスティニーその他
最終的な覇権争いにこそ負けたけど、その面白さはほんとに素晴らしかった
加えてギレン、クオヴァディス2、2D格闘全般にハマりました。PSはアーマードコアぐらいでした。
サターンもPSもけっこう遊んだけども
3D関連の処理能力がサターンの方が低かったのが時代に乗れなかった最大の問題だよなあ
サターンはコントローラーに関しては今でも歴代ゲーム機No.1だと思う
まず単純に形状が持ちやすく、十字キーは一つのボタンとしてまとまってて指擦れしないし、前のボタンが6つあるのも使いやすかった
格ゲー向きなのは間違いないね。
セガサターン。こんなにたくさん遊んだハードは無いよ。最高のマシンでした。
今でも3Dより2Dドット絵が好きでRPGより格ゲーやシューティングが好きだったからサターン一択だった。
ドリキャスはPS2と比べてサターンのソフトが遊べないのが致命的だったな。
コントローラーも異様に持ちにくかったしなあ。サターンパッドがあれだけ良い出来だったのに。
バーチャファイターは凄かった。あんな立体的に動くキャラクターを見て感動した
サターンでバーチャ2をプレイした時の感動は未だに忘れられない・・・
いや。他の面も大きいよ。プレステはCDプレイヤーとしても使えたのが大きかった。またプレステ2が爆発的大ヒットになったのは、更にDVD再生もできるようになったからさ。
ビクターのVサターンや日立のHiサターンも思い出してあげて下さい。
某国ではサムスンサターンなんてイロモノも有ったらしい…
セガはいつも未来を見すぎてるからなあ
他チャンネルの紹介になるけど、ゲーム夜道さんのプレイステーション誕生物語も一緒に視聴したらセガサターンが負けた理由が更に分かると思います(全部見るのがめんどかったら後編だけ)
たまたまちょっと前に観ました。
全メーカーで開発技術共有とか反則やわ。
キラーソフト展開の失敗だろうなぁ。つか、SEGAハードは、ソフトハウス側との交渉が本当に下手だった。
ゑろゐゲームするために中古を買ったなぁ
慟哭、そして…は素晴らしいおぱんつゲーム
ドリームキャストの衰退敗退はゑろゐゲームの発売を辞めたことが一因だと思う。
ゑろゐは地球、もとい息子を救う…
ゑろゐゲーム(X指定/R指定)を取り扱っていたことで悪目立ちしたことで、ファミリー層に避けられたのがね。
ただそれならそれでもう開き直ってヲタ向けにゑろゐゲーム出し続ければよかったんじゃないかと思わなくもない。(勿論ゾーニングは行ったうえで)
一方で、後に出たPS2がDVDプレイヤーとしても優秀でゑろゐDVD見放題になるとは皮肉なことでした。
ドラクエ7はもうプレステ2の時代なので、プレステ2がなかったら、そんなに売れていません。
この終わり方は次回ドリームキャストに繋げる布石か!?
サターンの敗因が一つ抜けてますよ。セーブが消えやすかったという事です。
PSでのメモリーカードに相当する、メモリーパックがありましたが、これが頻繁にセーブデータが消える欠陥品でした。
ハード本体に記憶させる事も出来ましたが、電池式で記憶容量も少なかったです。
「セーブが頻繁に消える」は大手RPGメーカーを誘致する上で致命的な欠点になりますよね。
次回はドリームキャストだなw
それはともかく、PS成功の要因は、サードパーティの障壁を低くしたということとCD-ROMになったこととライブラリ(いわゆる開発ソフト)をSCEが提供したことで開発コストを下げられたこと・開発しやすくなったこともあったかなと。
あとは、ナムコの参入が大きかったとも言われている。セガもサードパーティを集めたんだけど、SCEには及ばなかったのよね・・・。
もし、初動でナムコにソフトを独占供給してもらえたなら、PSは目玉ソフトを失い、初動で大コケした可能性が高いです。
ですがナムコは2Dに全くやる気が無かったので、サターンには参入すらしなかったですね。
結局サターンが2D重視設計になっていたことが敗着点になってしまったように思います。
ですが、この時点で3Dを重視した設計にするのは非常に難しく、セガには最初から勝ち目はなかったのかもしれません。
まぁ原価割れとかソフトの供給が〜は後のプレステもやっちゃうし…
そういや「行くぜ100万台」とかCMやってたなあ…
プレステが。
せがた三四郎「セガサターン、シロ!」
同時プレステが売り切れで仕方なくサターンを買いました
セガサターンがPSに負けた要因の一つには、3Dだけでなくムービー再生能力でもPSに見劣りした面もあったと思う。
当時のゲーム屋の店頭販促でも、セガサターン実機が再生するムービー映像が画面解像度が粗くてあまり印象が良くなかった。
2D能力ではPSに勝っていたぶんゲーセンの2Dゲームの移植には大活躍だっただけに惜しい。
サターンで最初に使われていたCodecは CinePackだったけど、心無いユーザーから「死ねパック」なんて言われたな。その後、TrueMotionになって、だいぶ画質は改善されたんだが。
何言ってるんですかー別売りのムービーカードを使えばMPEG再生できたんですよー(棒
@@nurechin 大枚叩いてMPEGカードつけてもVCDのAV観るのとLUNARの入浴シーン観る以外の役に立ったんでしたっけ?
サターン:2Dの化け物
PS:3Dの化け物
と両者それぞれ際立った特徴があった時代、懐かしい
ガングリフォンの綺麗なムービー観たくてサターンのムービーカード買ったなぁ~
セガが世界に先駆けて3D格闘のバーチャ作っときながら古い2Dに固執して敗北したのがかつて日本が戦争で他国に先駆けて空母作っときながら古い戦艦同士の戦いに固執して負けたのに似てる
とは言ってもセガサターンでシェンムー作ってぐらいのハードだったので
3Dも作れるぐらいの性能はあったんだよね。
湯川さん亡くなったんだっけ
確かに序盤はPS劣勢でFF7を機に一気に覇権って意見には賛同ですが、序盤からPSを支えてたナムコも忘れてはいけない、ローンチでリッジレーサーを出したのを皮切りにスターブレードα、鉄拳、エスコンと次々にソフトを供給してくれた。
ナムコは、セガサターンにも参入はしていたらしいですね。
結局ソフトは一本も発売されませんでしたが。
序盤は確かに SEGA vs SONY じゃなくて、SEGA vs NAMCO っていう面もありましたね。本社大田区の永遠のライバル。
FFやドラクエがPSで発売されたのがデカかった。自分はSS派だったけど。パンツァーシリーズやデビルサマナーシリーズは最高だった。
当時、3D性能がいいからっていう理由でプレステを選ぶ人はほとんどいなかったよ。
FF7が出るからって買う人が多かったな。やはりユーザーにとって重要なのはハードよりソフト。
サターンはハードはよかったのに販売戦略で負けてしまった感じだったな。
いわゆるアーリーアダプターに限ってはそうでも無かったんです。
普及100~200万台くらいの範囲ではそういう層の期待感が大きくてサターンはPSを振り切れなかったんです。
あと、ゲーム開発者の間では2Dに限界を感じるというか、もううんざりという感もあって全体として3Dを待望する雰囲気はありました。
10:39
セダサターン「…うぅ……うぁ……うああああぁぁうぁああぁああう…うぅ……でも…私は…役に立ったのですよね…………!!!!セガサターンの敗北は!!SEGAの反撃の糧になったのですよね!!?」
SEGA「もちろんーー!………………………イヤ…次世代機のドリームキャストで…我々は……………!!なんの成果も!!得られませんでした!!」
スーパーファミコン黄金期にメガドライブを買い、プレイステーションの黄金期にセガサターンを買った身としては複雑ではある
DQとFFがPSで発売することが発表されてから、一気にPSが売れ始めて勝負あり。
ただ、敗北図鑑にはピピンやネオジオCDやワンダースワンの方が相応しいかもw
初めて入手したセガのゲーム機でした。
本体性能はともかく、セーブすんのに本体の電池を入れないといけないのが嫌だったんだよ、面倒だし。
パワーメモリーは便利ではあったけどすぐデータ消えたし。
近所のゲームショップで見た記憶はあれど、なんとなくPSより黒っぽいゲーム機みたいなのがあったなぁ程度にしか記憶がない
それ程に当時小学生だったらSFC→PS(or64)のコース辿る子が大半だったと思う
PSか64を、それぞれ持ち寄って各友達の家に遊びに持っていっても、セガハード持ってる子は一人もいなかったなぁ
黒っぽいゲーム機は草
なぜって、そりゃあ
PS1 がいたからだろ
こんなクソがサイコー!
なんて悦んでたのは杉田のこうすけくれーだろw
なんならPS1って2D描画の機能自体を持ってないからね。PS1の2D(に見える)ゲームは平べったいポリゴン板にテクスチャを貼って表現してる。それぐらい思い切った取捨選択設計をしたプレステが凄すぎる。
それにしてもいままでは「先見の明はあるが技術が足りない」感じの尖りを感じるセガが、サターンでは従来の2Dを重視しつつ3D描画も出来る高価なチップで面制圧を狙う保守的な設計で負けてしまったのは皮肉でしかない。
おじさん「、、、、イキュラスキオラ」
サターンPS 64の中で一番性能高いのは実は圧倒的に64 カセットにしなければ覇権だった
64は発売が2年も後だから性能的に優れていても不思議はない。
だが、2年も遅れては覇権をとるのは無理だ。
@Pポップコーン
そして64はゲーム開発も難しく、それも影響したのか、サードパーティの取り込みにおいても在ろう事か前世代で負かしたセガと同じような失敗をやらかすというね
次のゲームキューブである程度反省したけどやはりPS2が強すぎたのか巻き返しはならず、立て直すまでに結構かかった時期もあったのが今思うと任天堂にしては珍しいかも。
(それでも堅実に黒字を確保してたのは流石)
それはない、スクウェアが64でポリゴンモデルを作ってまともに動作しなかったからPSに鞍替えしたんだし
ロックマンダッシュやバイオハザード2を見ても分かるようにPSと変わらないかむしろやや劣るまである
もし64がCD媒体にしていたら本体価格がもっと高くなってただろうし64はロムカセットで正解、ロード時間がないって利点もあるし
個人的にはメモリーカードが最大の決め手だったと思う。セーブの消えない、プレイ本数が多くなればなるほど一つ2000円のメモカが売れる。メモカ20個くらい持ってるからアレだけで4万はソニーに貢いでる計算になるもの。
ソフトメーカーの誘致に成功したのが大きいのはもちろんなんだけど。
CD、DVD、MD等の規格の専有化の強みをソニーは知っているから(なおベータマックス)
俺よく考えたら、このサターンもドリキャスもサクラ大戦のために買ってそれしかやってなかった
①ファミ通による執拗なサターンディスり
②カートリッジスロットの仕様の問題を認めず改善もしなかったセガの自滅
すぐ壊れたからセガサターンは複数買いが当たり前で
ユーザー数は更にすくねぇんだよなぁ
1996年12月までは若干だけど販売台数はセガサターンが上でほぼ互角な感じだけど、1997年からPSが本領発揮、スクエアがFF7を皮切りにラインナップが充実、SSは本体をけん引できるほどのソフトが無く、ラインナップが微妙だったんだよな~。
中古販売を承認したから売れるようになったのです
当初SONYは、ゲームの価格抑えて販売してるから、値下げ販売も中古販売もいけません
とお店に押しつけ、それを破った対応として出荷取りやめ
をするとお店側に承諾させたんです
よくサターンに勝ったものだと思う次第ですよ
これ知らんでしょ
@@仰げば空を 中古問題が続いたとしてもセガの負けですよ。PSはみんなのゴルフやグランツーリスモで新規ユーザーを取り入れているのに対してSSはセガユーザーありきで新規が取り込めてない。1月FF7で300万本 7月みんなのゴルフ200万 12月グランツーリスモ255万 サターンでミリオンに届いたソフトは95年のVF2のみ。累計ではあるけど、この数字だけでPSに軍配が上がる。ミリオンを超えると本体販売に大きく影響出るのが数字でもわかる。1997年1月500万台、ここまではSSも500万台と互角だけど、1997年12月にPSが1000万台突破、SSは細かい数字はないけど最終的な販売台数が580台ということは1997年がターニングポイントなのがよくわかる。
@@仰げば空を
大幅に前提が異なっていて大草原
SFC・MG時代に定価1万だったソフトを限りなく安くし価格破壊を起こしたのがソニーで、ゲームが買いやすい価格になったから一般顧客を取り込んだんだけどな
CDになった分再販を出来るだけ早め、在庫を作りすぎないように流通そのものを大幅に変えたんだが
任天堂はそれ以上の小売イジメをしてるし、中古市場は裁判されるまでずっとソフトハウスの悩みの種だったんだからあたかもソニーだけがというのはおかしい
これ知らんでしょwwww
@@仰げば空を公正取引委員会に注意されたから、後にセガもドリームキャストで同じことをやらかして注意された。
ffかドラクエのどちらかを引き込めればまだ未来はあったのになぁ。
子供心に「まーた電気屋が調子乗って糞ゲーム機出すのかよw」とか思ってたけど、
プレステはハードの大きさやメモリーカードの性能など含め、洗練されててたまげた
それまでの電気屋とはまるで違うと感じた
まあ最終的にはハード性能よりソフトだよな。
あの時代にドラクエ、FF、ビーマニシリーズ、テイルズを独占されたらどこも太刀打ちできないよ。
いったぜ100万台!とか誇らしげに言ってた時代が懐かしい
1996年春まではSSの方が優位だった
1月 ガーディアンヒーローズ 発売
2月 ヴァンパイアハンター 発売
3月 新世紀エヴァンゲリオン 発売
3月 セガサターンを2万円に値下げ
3月 ドラゴンフォース 発売
4月 野々村病院の人々 発売
7月 ナイツ 発売
8月 同級生 発売
9月 サクラ大戦 発売
11月 バーチャロン 発売
サターン→ドリキャスにソフトの互換性が無かったのが痛かった
ドリームキャストは読み込みの音がうるさかったし。
セガのハードはゲームオタク向けのイメージが段々と付きだした、SONYのプレステはゲームに興味のない人を引き付ける魅力もあった。