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馬鹿なフリをしていないと、自分だけでなく、自分を支えてくれる家臣までマークされますからね。「良いんだよ、僕はボロクソに言われても。だけど、自分も含めて助かった命。大事に使わせてもらおうじゃないか。」みたいな感じだったのかもしれませんよね。
在位40年って普通に凄いです。カダフィが41年、金日成が44年、カストロが49年。それに匹敵する超長期政権ですよ。
徳川家斉は50年
チートだらけの連中と同じ土俵に放り込まれた一般人の生き様何故か劉禅には不思議な魅力を感じる・・・
国を滅ぼしたけど暗殺されず、家名を残したのだから、今川氏真路線で有能な人物だったように思えます。
劉禅が司馬昭の前でここは楽しい~と言ったのは、少しでも蜀の事を思い出すようであれば命があぶないと判断して言ったんだと思います。劉備が曹操から英雄と呼ばれるのは君と余だ!って言われた時もカミナリが鳴った時とっさに情けないフリ?をして机の下に隠れた時の話が頭に浮かびました。それにしても蜀という僻地であろうと国を40年間も統治する「暗君」て・・・何か凄いような気がします。。。
秀でた能力はなかったが、自分の限界をわきまえて余計なことはしなかった。これはなかなかできることではないと思います。暗君かどうかはこれからも議論され続けると思いますが、好きか嫌いかで言うなら個人的には決して嫌いではないです。
劉禅は王としては、凡庸かも知れないが、人として生き方は上手だと思える。辛くなければ其れで満足でき、野心を持たずにいたから生涯を全うできたと言える。
話を聞いていて感動した。。
蜀を支え続けた旧蜀臣としてはたまらない発言かもしれませんが、結果的には旧蜀臣が魏で再雇用されやすくなる発言となってますね上手な滅び方ではあります
10年以上前だが、ゲーム三國志8で劉禅でプレイして根性で全パラメーターを100にして名君にしたなあ。
劉禅が故郷を泣かしむ素振りを見せなかったのは暗殺される恐れがあったからという説もあります。姜維が反乱を起こして失敗した後なのでもし「懐かしい」と答えていた場合反乱を起こす可能性のある危険人物とみなされる、というわけです。
無事これ名馬を地で行く人物だったんだな名君ではないが仁君だったようで
晋建国と同時に滅んだ魏。それを見ていた劉禅はこんなことを考えたかも。「自分は何もできなかったが、権力欲を持たない家臣たちに恵まれていたというべきか。宦官の黄皓を重用したのは失敗だったが。でも、蜀の民の命は助かった。自分は役目などない。自分は暗愚と言われても仕方ない。このまま消えていこう。」
三国志1周読み終えて、劉禅、許せねぇええ!って気持ちになったから見に来た
やはり荊州を失ったのが痛すぎるよね
結局自分をわきまえて、その中では最良の動きをしたのではないか。孫権の晩年、統一後の司馬炎とかもひどいもんだぜ。
蜀の民の視点に立つと、一番犠牲が少ない終わり方をしてくれたよね変に粘ったり、一度降伏しても反乱を疑われれば国土は荒らされてたし最後の国王としては、侵略する側にも、侵略される側の自国民にもベストな選択をしたんじゃないかな
勝算のほぼないといえる軍事的抵抗で国土を戦火にさらし、いたずらに領民を苦しめるような振る舞いは民を慈しんだ劉備玄徳の息子、後継者としてできない相談だったんでしょうね。
自分が大学生のときに、大学で陳舜臣さんの公演がありました。そのとき陳氏は冒頭の話に触れ、劉ぜんが蜀を懐かしむことをいきなり答えていたら、魏に殺されていただろう、敢えて「ここが楽しい」と答え、ある意味道化を演じて自分を暗君に見せかけて身を守ったと言われました。自分は、そこまで計算はしてなかったとは思います。しかし劉ぜんには、のらりくらりと世を渡っていく術というのが天賦の才として身についていたのではないでしょうか?
劉禅が降伏せずに滅ぼされていたら?皇帝礼遇を与えられず袁術と同じような扱いになった可能性が高い。されば「三国志」という辞句があったのは劉禅の英断あってのこと。
司馬昭と劉禅との会話。雷鳴に箸をわざと落とした玄徳となぜかリンクする。
親子二代でとぼけるスキルは高いのかwww
歴史上の人物評なんて、書き手次第で幾らでも偏向するからなぁ。日本ですら、明智光秀や田沼意次の人物像が変わってきているし。
「蜀が懐かしくはないですか?」って訊かれて「懐かしいですねえ!」なんて答えたら懐かしい=蜀の再興を望んでいる=謀反のおそれあり ってされる可能性もあるからなあしょうがないね
バカだから敵無しみたいな考え方はありますね。宮沢賢治のどんぐりと山猫にもあるように。
でも諸葛亮の防備を解いて結果そこをつかれて滅亡したのも事実、この言葉自体も自分が助かりたかったためという見方もできる
劉備没後即位したのが223年、蜀漢が滅亡したのが262年。つまり40年間統治して魏や呉のように国内での大きな内乱やクーデターは起きていないのだから及第点。(諸葛亮没後の魏延と楊儀の争いぐらい?北伐続けるべきかで国内の方針での討論はあったが)舵取りを家臣に任せていたからと言われるだろうが、任せられるのも優れた資質でも有ると思う。
前にも出てますが、劉禅が『蜀が懐かしい』と発言したら、反旗を翻す恐れありと命を狙われたかも知れないので、阿呆のふりをしていた、というのも捨てがたい話と思いました。実戦経験がないのもありますし。
懐かしいですか?の下りを聞く度に司馬昭って本当に腹黒だなって思うわ
賈充が独断で曹髦暗殺を実行した際は、司馬昭も肝を冷やしたろう。
劉備も無能なふりをした。(雷こわい)司馬懿も無能なふりをした。(ボケちゃった)劉禅も無能なふりをした。演技の凄さはNo.1。後世の人間まで騙しちゃった。
豊臣秀頼が滅ぼされたのは、明君であると家康に悟られたからなんですよね。そう考えると、劉備も司馬懿も、劉禅も賢いですね。
能ある鷹は爪を隠すとは言うが劉禅の場合は爪はないけど隠さなかったら危険人物として殺された可能性高いからね。
42年間、国を保ったのは評価する。暗君でもなく名君でもない。
元々孔明が亡き後すでに蜀の運営自体が無理ゲー状態だったしなぁ・・・。
クーデターや権力争いでボロボロでしたから(笑)
諸葛亮にフリーハンドを与えた時点で凡君ではあっても暗君ではない。
長坂の戦いで趙雲に助けられたけど、父親に放り投げられたときに頭打って覚醒しちゃったのかも。
陳寿の評価は、一見すると手厳しい批判に見えますが、厳しい中にも劉禅の本質を冷静に評価した言葉であると言えますね。
最も賢い人は最も評価されにくいのかもしれないね。孔明や曹操とはまた異なった賢さを持った人だったのかも。
大賢は愚なるが如し。🤓💖
皇帝に実権があるにはあるのですが、実際は臣下が決めたことにGOサインを出すだけですので、後世の立憲君主国の君主のような存在であったと言えるかもしれません優秀な臣下がずっといればこのような評価はされなかったというのは裏返せば蜀の四相がいなければ魏に滅ぼされる前に内部崩壊していたかもしれません晋の恵帝(司馬衷)には嵆紹のエピソードがある一方で、劉禅には司馬昭とのやり取りがあるのでより評価が低いのですが、実際のところどちらのほうが君主としてより良かったのでしょうか
帝王学を学ん出なかったからかな?(蜀滅亡の原因)でも40年間も国を存続させた点は評価されるべき。
貨幣経済の話は初めて聞いた!これは他とは違う視点だ!宴会の席での劉禅の発言は、親父譲りの天下人からの疑いを逸らす、深謀遠慮からの行動だったのでしょう・・・「余と君だ!」
「ことを起こすより、そのことを継続することの方が倍も難しい」「偉人の次に任される者は貧乏クジ」あるあるの事柄を、劉禅はいくつも抱えてましたね。凡庸な人間同士として、同情する所がいくつかあります。
呉、蜀共に敵対し破れたのがあの司馬氏なのだから現存している資料も何処まで信用出来るのやら。劉禅の逸話にろくな物が残ってないのも司馬氏や後年の毛沢東等の時の権力者達に資料を処分されたのではないかと妄想。
《三國演義》中劉禪是「昏君」。然而後世的中国歷史學家,卻有不同的看法。1.在蜀國滅亡在即,他選擇開城降服,沒有選擇「玉碎」,以保全成都94萬領民和兵士的性命。这是「仁」。2.他到洛陽時,師馬昭刻意演奏蜀國的音樂,家臣們聽到都哭泣,只有劉禪顯示非常快樂。如果他表現出思念故国,有可能會被猜忌,有謀反之心。所有他有「智」。所以他是暗君,也不完全是。
日本で似たようなのがいる今川氏真と織田信雄
織田宗家で唯一、子孫を残せたのは信雄だけ。彼がいなかったら、松平長七郎や織田信成も存在しなかった。
荊州を守れなかった事と、人材不足。魏が強大過ぎた。
鳳統 法正 徐庶がいれば…荊州を守れたのに…もしくは趙雲が守ってたら行けたかも…劉備さんは来世で幸せになって下さい
そもそも趙雲が戦場で拾って無ければね(笑)
地位や権力にしがみついて民を戦に引っ張るのは容易い逆にそれらを捨てる事には勇気が要る事を起こすより閉める方が体力が居るものそういった意味で慶喜や劉禅は評価されるべきだと思うけどなぁ魏に下った後 蜀を懐かしんだりすれば旗印にされ身に危険が及ぶ波風を立てないためには愚鈍に徹する方が良い 西郷さんもそれぐらい演じれれば西南戦争は無かったかもしれない
徳川慶喜は元々権力欲とは無縁の人で目的は飽くまで破滅的内戦を回避しつつ日本の近代化を成し遂げる事無論徳川主導がベストでしたが薩長主導でもノーマルエンド、無血開城がなされた時点で彼の目的は達成されてるのです…
三国無双3のゲームでは、阿斗は1分間無双乱舞が使い放題になる最強のアイテムだったよな趙雲の阿斗救出するステージをやりまくってた
甘寧「加速装置!!」
@@島悟-o3u さんあれは楽しかったwww
@@ラーメン大好きそこらのオッサン さん。サイボーグ00甘寧(笑)。ネタが古いけど。
劉禅が暗愚であったと言う記録はどこにもない。と言うのを読んだことがあります。実際に暗君であったと言う証拠は何処にもないはず。
劉禅がアホな主君だったら蜀は早々に滅亡している。蜀滅亡後に懐かしくないか?という質問に対して、これ以上抵抗しないと言う意思表明しているから決してアホでは無いと思う。
徳川慶喜路線の実は賢人に見えます結局、孔明の北伐失敗の時点で、蜀はおしまいですから後はどうやって魏に上手く降伏するだけです
つまりタイミングを見てた可能性があると?
この動画見るまでの劉禅の評価ヤクザ紛い親分の息子で、幼少期から不憫な思いをしてきた二代目この動画を見た後の評価自身の能力を知り、時には道化を演じつつも積極的にならず蜀の民たちの事を考えて行動した凡君※当時の蜀の経済的に軍事的に判断した場合、有能な配下(主に諸葛亮)いなくなった後は遠からず蜀は滅びるだろうくらいには思っていたと思うからでなければあそこまでアホ扱いされないと思うしそう思いたいから
凡人かもし知れないが無能ではないな。憎めないキャラだ。無能な働き者でなかったことは評価できる。
少なくとも蜀漢の国土や民を戦火に巻き込むことはなかった。たとえ結果オーライだったとしても、そこは評価すべきだと思います。
統治者は結果が唯一にして最大の評価基準となる。そこに当事者個人の美点の入る余地はない。厳しい世界ですね。
毛利輝元に近いのかな?
演技でバカなふりをしたとかいう話もあるが個人的には良くも悪くも純粋?な人や無かったのやないかなと思う・・・劉禅やなくてもっと優秀な皇帝が居ても人材的にも国力的にもいづれ滅ぶ運命やったのやないかな・・
じの 呉の孫皓の事か
かつて自分に仕えた旧家臣に対する彼なりの精一杯の援護射撃、と思いたいですね。
降伏後の魏からの蜀は恋しいかなという質問に対し劉禅はここは楽しい蜀は恋しくありませんと答え魏も元蜀の家臣も唖然したとか、逆に恋しいと答えたら危険人物と見なされ暗殺された可能性が高い。もしかしたら劉禅の処世術かもしれない。やっぱ名君かも。
それは世渡り上手なだけでは?名君とは違うと思う
劉禅が恋しいと答えたら危険人物と見なされ、他の蜀の政治家、官僚等も危険人物と見なされ粛正される恐れあるから、家臣を救った事と降伏して戦火から救った事。ある意味名君かも
俺もこの人三國志被害者で、能力はかなり高い思います。宴会でアホなふりは、最善おもいますよ
「真・三国無双6」に登場した時は、とても驚いた。
劉禅の評価を決定づけたのはやはり、司馬昭との宴会での「職を思い出すことはない」という回答でしょうね。良くも悪くも「素直」な人間ではなかったのでしょうか。諸葛亮・蒋琬・費禕らがいた時は彼らの言葉を素直に聞き、黄コウの時も彼の言葉を素直に聞いてしまった。あの宴会での発言も司馬昭の言葉に素直に返しただけな気がします。
有能な臣下も、劉備や孔明の人を見極める能力や人望で集めた人で劉禅の下で自分の能力を生かそうとする賢人はいなかったのかな
生まれる時代を間違えたのかも知れませんな。政権が安定した王朝に生まれていたら、あるいはとも思います。
この蜀漢二代目皇帝劉禅と西晋二代目恵帝の司馬衷を比較してみるのも面白いかもwどちらも暗愚だと叩かれてるけど実はバカを装っていたという評価も。🐉🦁🐯
劉禅と劉璋、どちらが暗君?
阿斗はよく白い糸に例えられるよね
はい。この動画でも語られている通りに。
劉禅が無能扱いされるのは自分の意志が見えてこないからでしょう。蜀のビジョンを立てられない君主なら暗君と呼ばれてもしかたありません。”暗君だったの?”というタイトルだから、そうじゃないと皆コメントしているだけで”明君 だった”というタイトルだったら、そうじゃないと皆コメントするでしょう。要するに皆、劉禅と同じレベルです。
劉禅は戦乱の時代には合わない存在だけど平和な時代なら色んな文化を推奨、開花させた名君とかになっても不思議ではない気もする。そもそも戦乱の時代だと評価される才能って間接直接に関わらず戦争に関係する方向に行っちゃうし…
「より強い国が侵略してきたら降伏し、国土と領民を平和的に明け渡す」孔明が没した時点で劉禅の心は決まっていたのかもしれません。ただ孔明の影響が強く残っている時期にいきなりその本心を表に出し、実行しようとしてしまいますと、国内が混乱し、内乱状態になるのは目に見えています。劉禅にとって、孔明死後の三十数年間は、理念的に破綻した国家を維持しつつ、その本心を実行に移すタイミングを待つ彼なりの「雌伏の時」だったのかもしれません。
警戒されないように無能を装ったんでしょうね旧蜀漢の家臣の命も守ったんだから懸命な判断だと思います魏から晋に政権が変わっても生き延びたんだから、これで良かったんでしょう
日本で言う所の徳川家光みたいなキャラクターなのかな
徳川慶喜の方が当てはまるかな。
もし、わざと劉禅が暗愚を装おってたら……かなりの大物だけど…………そりゃ無いかぁ〰️……アト、トップが下の人の話に耳を傾けるのは劉禅の良い資質だと思います。
生き延びる為に馬鹿なフリをして、野心を見せない様に、臣下からアドバイスを貰っていたエピソードの様な気がしました。余りにも馬鹿すぎるので。劉備も曹操の前で雷に怯えて箸を落として、大したことの無い奴に見られようとしたのと似ているけど、降伏した後なので、殺されない為の知恵だったのかもと思います。
蜀では人の問題、本当それなしか言えない孔明が仮に優れた人物であっても信用しすぎて信頼しすぎも良くなかったかも
りゅうぜんは、捕虜下にある中、わざと言ったと思うなあ。敵地の中で賢いとされると殺されるでしょう。自分の身の丈や分をよく知っている賢さがあったと思う。本当に馬鹿なボンなら臣下の言うことを聞かずに好き勝手やって自滅してるよ。
曹操の子どもに産まれてたら有能な君主になれたのかな……って妄想もある。
リュウゼンは、暗君ではありません。現にリュウゼンが君主になってから8年間、蜀の内紛や内争などは一切ありませんでした。むしろ、蜀は平和だったということです。リュウゼンが亡君や暗君であった記述はないのです。平和な世の中であったなら、リュウゼンはむしろ名君であったと言えます。主さんが、お話ししている話は全て後世の創作で作られた話の三国志演義の話ですね
8年間ではないです。40年間だったかな?
イギリスで言えば、プランタジネット朝のエドワード2世ですね。
>蜀の内紛や内争などは一切ありませんでした。224年 南中反乱231年 劉冑の乱247年 汶山の乱248年 徐巨の乱…
そもそも、本当に劉禅が暗愚であったなら諸葛亮も早々に適当にあしらっていたし、孫呉や曹魏の様に内乱で滅んでいたでしょう。
ソクラテスの無知の知に一番近いなあ
やたらと「する」を持て囃す世ですが「しない」もそれそこに意義はある物です、そりゃぁ覇道じゃないですが
11:44
至誠=愚直 ですからね(^^;
私は劉禅と言う人物は真っ当に生きた人物だと思います。それは劉禅は父親を選べないからです。蜀を奪い劉備は皇帝を名乗りました。この行為はハッキリ言って逆賊です。関羽の敗北から夷陵の戦い、孔明の北伐、蜀の国力は衰退していたのは間違いない事実だと。それを全て劉禅のせいにするのはよくないと思います。劉禅だってアホではありません。色々考えて降伏しているのです。蜀の環境は悪すぎた。その悪い環境を作ったのは関羽、劉備、孔明、姜維であると思います。
劉諶一家の憤死、皇后・皇太子のどさくさ紛れの死。これだけでも、蜀に帰りたくないわ。
父親の世代とは違って「漢」に対する信仰がなかったのでしょう。あるブロガーさんは、劉禅を「東晋の桓温の野望対策のために作られた蜀漢正統論の犠牲者だ」と評価していました。
それにしても、姜維が日々命をかけて魏軍と戦っているのに、自分は宮中で女酒で骨抜きになっているのは、同じ漢としてどうかと思うが…。
@佐分利流28号 ただその姜維が、蜀の国力を疲弊させてる原因を作ってるんだが…。
宮中での宴会は、自国の有力者の接待と資金援助要請のためではないか、と思います。蜀は漢として、魏を倒して復興することをスローガンにしていましたから。
でも劉禅って三国志の英雄を祭る武侯祠には結局祭られていないんだよなぁ
多分本人は気にしていないと思いますよ。「自分にはその資格はない」って。
オヤジが赤ちゃんの頃落とすからやwww
劉禅のイメージて無能なイメージしかないけどでも諸葛孔明が必死で劉禅を支えたけどね
ウィルヘルム二世と比べれば一目瞭然、劉禅は名君だぞ。
老荘の思想を地でいった人なのかな。
無謀とはいえ、姜維が日夜命懸けで死力を尽くして魏軍と対峙していた時に、宮中で女酒に耽っていたとは、同じ男として恥ずかしい限りや‼
まぁ・・・・そうは言うけどそれ以外することない皇帝だし内政は臣下がやるし
@@じの-w4p さん。それならばせめて一人の男として、人並みに武芸の鍛練をしたりして戦える姿勢は見せてほしかったと思いました。姜維が遠い地で、毎日命をかけて国を守るため戦っていただけに…
横山光輝さんの三國志の最後を見るような発言ですね。姜維が降ったときに「何故、もっと早く降伏しなかったのか?」との問いに姜維が「これでも早かったのです。」がどれだけの無念を持っているかわかります。そして、劉禅の忠義に応えるために旧日本軍もびっくりの玉砕をした張嶷ェ・・・・。彼もときどきでいいので思い出してあげて下さい。
@@島悟-o3u さん。張嶷!地味ながらその活躍ぶりは、蜀漢にあって功績大ですよね。病をおしての出陣。姜維を助けるために徐質に討たれるも、その仇は姜維が自らきっちり取ってくれた。逸話としても、夏侯覇とのやり取りや、費偉の不用心さを危惧していたなど興味深いものが多いですよね。紛れもなく隠れた名将でしょう。そして姜維の鍾会への一言。全ての思いがそこに詰まっていたからこそ、鍾会も思わず共感したのでしょうね。
っつーてもそれって無能っぷりを誇張する為に後で作られたイメージで正史の記述じゃ特に酒や女に溺れることなく、家臣から言われた仕事を黙々とこなす人みたいですよ今で言えば重役の指示が無いと何も出来ない二代目社長って所でしょうかまあ有能か無能かで言えば完全に後者なのは否定出来ませんがね
この動画を見ると劉禅=鳩山由紀夫でしょうか。回りに居た人物次第で色々変わってた可能性が。蜀の弱点は・土地が奥地過ぎる・人口が少ないので労働力(兵士)の数が少ない色々な発明で労働生産性を高めてるが(猫車とか)限界が有りますね。中国の歴史でも四川は僻地で、文化は北京商売は南京や上海広州等々料理や言語でも特性が伺えます。
文字通り、劉禅をぶん投げた劉備が悪いw
孔明が死んだ蜀に未来はないのか
キングダムのもうごう将軍のような皇帝だったのだろうか?普通に働き、普通に統治する。
無能だけど、処罰もなかったのでは?周辺のサポートがよかったので、もし劉禅がポンコツであれば、政治も戦場も暴君にならなかったのかも。
無謀な北伐を繰り返すバカな丞相が居なければ劉禅の代くらいは滅亡せずに保ってたんじゃないの蜀滅亡は劉禅の問題では無いと思います
長安~漢中の間は山脈があるから少数兵でも守備が可能。だから北伐で涼州方面を荒らし続ければ、蜀は独立を維持できるというわけ。
暗君在家の坊ちゃんならいざ知らず天子を名乗るのであれば妄臣を信頼して重用したのは致命的たとえ蜀が滅んでなかったにしても名君はない権力を与えられなかったのではなく権力に値しない人物であった
才覚はなかったけど、特別ヤラカシもしなかった印象。何もしなかった無能といった感じ。
ヤンぱち 少なくとも自分が才覚がない、無能であることは知っていた。無能なりに考え、最善の選択をしたとも言えるのではないでしょうか。
Shinpei Kitajima 読んでいる限り嫌なヤツではないんですよね。逸話を聞いても、素直な感じはあるし。謙虚さ(実際無能なので、ちょっと違うかも)と素直さで臣下の言うことしっかり聞いてるのは最高機関としては良かったし、そんなところに劉姓特有の器の大きさは感じますね。
宴会の話を好意的に見るなら姜維のやらかしの後だから旧臣守る為に暗愚を演じて司馬昭も劉禅や蜀の旧臣を害する必要はないって言ってる・・か?
単に「自分に自信がなかった」だけなのでは? 親父に色々教わる前に他界され、苦労知らず(赤子の時に趙雲の活躍で難を逃れてはいるが┅)で皇帝になってしまえば、自分の意見に責任なんて持てないだろう。だから有能と言われる家臣の意見を聞くし、自分の事を「ヨイショ」するだけの家臣の言う事も聞く💧 そんな人だと思うよ😅
降伏したっていう事実だけでもうダメだと思います。
劉禅って、長い間即位し国を貶めた点では昭和天皇やフランクヨーゼフに似ている。
劉禅は大阪の女を嫁にもらってカカア天下で良い夫になりそう
全部関羽のせい
阿斗さんは、魏、晋の王朝におけるお笑い芸人としての仕事を一生懸命にやっていたに過ぎないのでは?
無難でいいじゃん
身の振り方は上手な方だと思いますよ
馬鹿なフリをしていないと、自分だけでなく、自分を支えてくれる家臣までマークされますからね。「良いんだよ、僕はボロクソに言われても。だけど、自分も含めて助かった命。大事に使わせてもらおうじゃないか。」みたいな感じだったのかもしれませんよね。
在位40年って普通に凄いです。カダフィが41年、金日成が44年、カストロが49年。それに匹敵する超長期政権ですよ。
徳川家斉は50年
チートだらけの連中と同じ土俵に放り込まれた一般人の生き様
何故か劉禅には不思議な魅力を感じる・・・
国を滅ぼしたけど暗殺されず、家名を残したのだから、
今川氏真路線で有能な人物だったように思えます。
劉禅が司馬昭の前でここは楽しい~と言ったのは、少しでも蜀の事を思い出すようであれば命があぶないと判断して言ったんだと思います。劉備が曹操から英雄と呼ばれるのは君と余だ!って言われた時もカミナリが鳴った時とっさに情けないフリ?をして机の下に隠れた時の話が頭に浮かびました。
それにしても蜀という僻地であろうと国を40年間も統治する「暗君」て・・・何か凄いような気がします。。。
秀でた能力はなかったが、自分の限界をわきまえて余計なことはしなかった。これはなかなかできることではないと思います。暗君かどうかはこれからも議論され続けると思いますが、好きか嫌いかで言うなら個人的には決して嫌いではないです。
劉禅は王としては、凡庸かも知れないが、人として生き方は上手だと思える。
辛くなければ其れで満足でき、野心を持たずにいたから生涯を全うできたと言える。
話を聞いていて感動した。。
蜀を支え続けた旧蜀臣としてはたまらない発言かもしれませんが、結果的には旧蜀臣が魏で再雇用されやすくなる発言となってますね
上手な滅び方ではあります
10年以上前だが、ゲーム三國志8で劉禅でプレイして根性で全パラメーターを100にして名君にしたなあ。
劉禅が故郷を泣かしむ素振りを見せなかったのは暗殺される恐れがあったからという説もあります。
姜維が反乱を起こして失敗した後なのでもし「懐かしい」と答えていた場合反乱を起こす可能性のある危険人物とみなされる、というわけです。
無事これ名馬を地で行く人物だったんだな
名君ではないが仁君だったようで
晋建国と同時に滅んだ魏。それを見ていた劉禅は
こんなことを考えたかも。
「自分は何もできなかったが、権力欲を持たない
家臣たちに恵まれていたというべきか。
宦官の黄皓を重用したのは失敗だったが。
でも、蜀の民の命は助かった。自分は役目などない。
自分は暗愚と言われても仕方ない。このまま消えていこう。」
三国志1周読み終えて、劉禅、許せねぇええ!って気持ちになったから見に来た
やはり荊州を失ったのが痛すぎるよね
結局自分をわきまえて、その中では最良の動きをしたのではないか。
孫権の晩年、統一後の司馬炎とかもひどいもんだぜ。
蜀の民の視点に立つと、一番犠牲が少ない終わり方をしてくれたよね
変に粘ったり、一度降伏しても反乱を疑われれば国土は荒らされてたし
最後の国王としては、侵略する側にも、侵略される側の自国民にもベストな選択をしたんじゃないかな
勝算のほぼないといえる軍事的抵抗で国土を戦火にさらし、いたずらに領民を苦しめるような振る舞いは民を慈しんだ劉備玄徳の息子、後継者としてできない相談だったんでしょうね。
自分が大学生のときに、大学で陳舜臣さんの公演がありました。そのとき陳氏は冒頭の話に触れ、劉ぜんが蜀を懐かしむことをいきなり答えていたら、魏に殺されていただろう、敢えて「ここが楽しい」と答え、ある意味道化を演じて自分を暗君に見せかけて身を守ったと言われました。自分は、そこまで計算はしてなかったとは思います。しかし劉ぜんには、のらりくらりと世を渡っていく術というのが天賦の才として身についていたのではないでしょうか?
劉禅が降伏せずに滅ぼされていたら?
皇帝礼遇を与えられず袁術と同じような扱いになった可能性が高い。
されば「三国志」という辞句があったのは劉禅の英断あってのこと。
司馬昭と劉禅との会話。
雷鳴に箸をわざと落とした玄徳と
なぜかリンクする。
親子二代でとぼけるスキルは高いのかwww
歴史上の人物評なんて、書き手次第で幾らでも偏向するからなぁ。
日本ですら、明智光秀や田沼意次の人物像が変わってきているし。
「蜀が懐かしくはないですか?」って訊かれて「懐かしいですねえ!」なんて答えたら
懐かしい=蜀の再興を望んでいる=謀反のおそれあり ってされる可能性もあるからなあ
しょうがないね
バカだから敵無しみたいな考え方はありますね。宮沢賢治のどんぐりと山猫にもあるように。
でも諸葛亮の防備を解いて結果そこをつかれて滅亡したのも事実、この言葉自体も自分が助かりたかったためという見方もできる
劉備没後即位したのが223年、蜀漢が滅亡したのが262年。
つまり40年間統治して魏や呉のように国内での大きな内乱やクーデターは起きていないのだから及第点。
(諸葛亮没後の魏延と楊儀の争いぐらい?北伐続けるべきかで国内の方針での討論はあったが)
舵取りを家臣に任せていたからと言われるだろうが、任せられるのも優れた資質でも有ると思う。
前にも出てますが、劉禅が『蜀が懐かしい』と発言したら、反旗を翻す恐れありと命を狙われたかも知れないので、阿呆のふりをしていた、というのも捨てがたい話と思いました。
実戦経験がないのもありますし。
懐かしいですか?の下りを聞く度に司馬昭って本当に腹黒だなって思うわ
賈充が独断で曹髦暗殺を実行した際は、司馬昭も肝を冷やしたろう。
劉備も無能なふりをした。(雷こわい)
司馬懿も無能なふりをした。(ボケちゃった)
劉禅も無能なふりをした。演技の凄さはNo.1。後世の人間まで騙しちゃった。
豊臣秀頼が滅ぼされたのは、明君であると家康に悟られたからなんですよね。
そう考えると、劉備も司馬懿も、劉禅も賢いですね。
能ある鷹は爪を隠すとは言うが劉禅の場合は爪はないけど隠さなかったら危険人物として殺された可能性高いからね。
42年間、国を保ったのは評価する。暗君でもなく名君でもない。
元々孔明が亡き後すでに蜀の運営自体が無理ゲー状態だったしなぁ・・・。
クーデターや権力争いでボロボロでしたから(笑)
諸葛亮にフリーハンドを与えた時点で凡君ではあっても暗君ではない。
長坂の戦いで趙雲に助けられたけど、
父親に放り投げられたときに頭打って覚醒しちゃったのかも。
陳寿の評価は、一見すると手厳しい批判に見えますが、厳しい中にも劉禅の本質を冷静に評価した言葉であると言えますね。
最も賢い人は最も評価されにくいのかもしれないね。孔明や曹操とはまた異なった賢さを持った人だったのかも。
大賢は愚なるが如し。🤓💖
皇帝に実権があるにはあるのですが、実際は臣下が決めたことにGOサインを出すだけですので、後世の立憲君主国の君主のような存在であったと言えるかもしれません
優秀な臣下がずっといればこのような評価はされなかったというのは裏返せば蜀の四相がいなければ魏に滅ぼされる前に内部崩壊していたかもしれません
晋の恵帝(司馬衷)には嵆紹のエピソードがある一方で、劉禅には司馬昭とのやり取りがあるのでより評価が低いのですが、実際のところどちらのほうが君主としてより良かったのでしょうか
帝王学を学ん出なかったからかな?(蜀滅亡の原因)でも40年間も国を存続させた点は評価されるべき。
貨幣経済の話は初めて聞いた!これは他とは違う視点だ!
宴会の席での劉禅の発言は、親父譲りの天下人からの疑いを逸らす、深謀遠慮からの行動だったのでしょう・・・
「余と君だ!」
「ことを起こすより、そのことを継続することの方が倍も難しい」
「偉人の次に任される者は貧乏クジ」
あるあるの事柄を、劉禅はいくつも抱えてましたね。
凡庸な人間同士として、同情する所がいくつかあります。
呉、蜀共に敵対し破れたのがあの司馬氏なのだから現存している資料も何処まで信用出来るのやら。劉禅の逸話にろくな物が残ってないのも司馬氏や後年の毛沢東等の時の権力者達に資料を処分されたのではないかと妄想。
《三國演義》中劉禪是「昏君」。
然而後世的中国歷史學家,卻有不同的看法。
1.在蜀國滅亡在即,他選擇開城降服,沒有選擇「玉碎」,以保全成都94萬領民和兵士的性命。这是「仁」。
2.他到洛陽時,師馬昭刻意演奏蜀國的音樂,家臣們聽到都哭泣,只有劉禪顯示非常快樂。
如果他表現出思念故国,有可能會被猜忌,有謀反之心。所有他有「智」。
所以他是暗君,也不完全是。
日本で似たようなのがいる
今川氏真と織田信雄
織田宗家で唯一、子孫を残せたのは信雄だけ。
彼がいなかったら、松平長七郎や織田信成も存在しなかった。
荊州を守れなかった事と、人材不足。魏が強大過ぎた。
鳳統 法正 徐庶がいれば…
荊州を守れたのに…
もしくは趙雲が守ってたら行けたかも…
劉備さんは来世で幸せになって下さい
そもそも趙雲が戦場で拾って無ければね(笑)
地位や権力にしがみついて民を戦に引っ張るのは容易い
逆にそれらを捨てる事には勇気が要る
事を起こすより閉める方が体力が居るもの
そういった意味で慶喜や劉禅は評価されるべきだと思うけどなぁ
魏に下った後 蜀を懐かしんだりすれば旗印にされ身に危険が及ぶ
波風を立てないためには愚鈍に徹する方が良い
西郷さんもそれぐらい演じれれば西南戦争は無かったかもしれない
徳川慶喜は元々権力欲とは無縁の人で目的は飽くまで破滅的内戦を回避しつつ日本の近代化を成し遂げる事
無論徳川主導がベストでしたが薩長主導でもノーマルエンド、無血開城がなされた時点で彼の目的は達成されてるのです…
三国無双3のゲームでは、阿斗は1分間無双乱舞が使い放題になる最強のアイテムだったよな
趙雲の阿斗救出するステージをやりまくってた
甘寧「加速装置!!」
@@島悟-o3u さん
あれは楽しかったwww
@@ラーメン大好きそこらのオッサン さん。サイボーグ00甘寧(笑)。ネタが古いけど。
劉禅が暗愚であったと言う記録はどこにもない。と言うのを読んだことがあります。
実際に暗君であったと言う証拠は何処にもないはず。
劉禅がアホな主君だったら蜀は早々に滅亡している。蜀滅亡後に懐かしくないか?という質問に対して、これ以上抵抗しないと言う意思表明しているから決してアホでは無いと思う。
徳川慶喜路線の実は賢人に見えます
結局、孔明の北伐失敗の時点で、蜀はおしまいですから
後はどうやって魏に上手く降伏するだけです
つまりタイミングを見てた可能性があると?
この動画見るまでの劉禅の評価
ヤクザ紛い親分の息子で、幼少期から不憫な思いをしてきた二代目
この動画を見た後の評価
自身の能力を知り、時には道化を演じつつも積極的にならず蜀の民たちの事を考えて行動した凡君
※当時の蜀の経済的に軍事的に判断した場合、有能な配下(主に諸葛亮)いなくなった後は遠からず蜀は滅びるだろうくらいには思っていたと思うから
でなければあそこまでアホ扱いされないと思うしそう思いたいから
凡人かもし知れないが無能ではないな。憎めないキャラだ。無能な働き者でなかったことは評価できる。
少なくとも蜀漢の国土や民を戦火に巻き込むことはなかった。
たとえ結果オーライだったとしても、そこは評価すべきだと思います。
統治者は結果が唯一にして最大の評価基準となる。そこに当事者個人の美点の入る余地はない。厳しい世界ですね。
毛利輝元に近いのかな?
演技でバカなふりをしたとかいう話もあるが個人的には良くも悪くも純粋?な人や無かったのやないかなと思う・・・
劉禅やなくてもっと優秀な皇帝が居ても人材的にも国力的にもいづれ滅ぶ運命やったのやないかな・・
じの
呉の孫皓の事か
かつて自分に仕えた旧家臣に対する彼なりの精一杯の援護射撃、と思いたいですね。
降伏後の魏からの蜀は恋しいかなという質問に対し劉禅はここは楽しい蜀は恋しくありませんと答え魏も元蜀の家臣も唖然したとか、逆に恋しいと答えたら危険人物と見なされ暗殺された可能性が高い。もしかしたら劉禅の処世術かもしれない。やっぱ名君かも。
それは世渡り上手なだけでは?
名君とは違うと思う
劉禅が恋しいと答えたら危険人物と見なされ、他の蜀の政治家、官僚等も危険人物と見なされ粛正される恐れあるから、家臣を救った事と降伏して戦火から救った事。ある意味名君かも
俺もこの人三國志被害者で、能力はかなり高い思います。
宴会でアホなふりは、最善おもいますよ
「真・三国無双6」に登場した時は、とても驚いた。
劉禅の評価を決定づけたのはやはり、司馬昭との宴会での「職を思い出すことはない」という回答でしょうね。
良くも悪くも「素直」な人間ではなかったのでしょうか。
諸葛亮・蒋琬・費禕らがいた時は彼らの言葉を素直に聞き、黄コウの時も彼の言葉を素直に聞いてしまった。
あの宴会での発言も司馬昭の言葉に素直に返しただけな気がします。
有能な臣下も、劉備や孔明の人を見極める能力や人望で集めた人で
劉禅の下で自分の能力を生かそうとする賢人はいなかったのかな
生まれる時代を間違えたのかも知れませんな。政権が安定した王朝に生まれていたら、あるいはとも思います。
この蜀漢二代目皇帝劉禅と西晋二代目恵帝の司馬衷を比較してみるのも面白いかもw
どちらも暗愚だと叩かれてるけど実はバカを装っていたという評価も。🐉🦁🐯
劉禅と劉璋、どちらが暗君?
阿斗はよく白い糸に例えられるよね
はい。この動画でも語られている通りに。
劉禅が無能扱いされるのは自分の意志が見えてこないからでしょう。
蜀のビジョンを立てられない君主なら暗君と呼ばれてもしかたありません。
”暗君だったの?”というタイトルだから、そうじゃないと皆コメントしているだけで
”明君 だった”というタイトルだったら、そうじゃないと皆コメントするでしょう。
要するに皆、劉禅と同じレベルです。
劉禅は戦乱の時代には合わない存在だけど平和な時代なら色んな文化を推奨、開花させた名君とかになっても不思議ではない気もする。
そもそも戦乱の時代だと評価される才能って間接直接に関わらず戦争に関係する方向に行っちゃうし…
「より強い国が侵略してきたら降伏し、国土と領民を平和的に明け渡す」
孔明が没した時点で劉禅の心は決まっていたのかもしれません。
ただ孔明の影響が強く残っている時期にいきなりその本心を表に出し、実行しようとしてしまいますと、国内が混乱し、内乱状態になるのは目に見えています。
劉禅にとって、孔明死後の三十数年間は、理念的に破綻した国家を維持しつつ、その本心を実行に移すタイミングを待つ彼なりの「雌伏の時」だったのかもしれません。
警戒されないように無能を装ったんでしょうね
旧蜀漢の家臣の命も守ったんだから懸命な判断だと思います
魏から晋に政権が変わっても生き延びたんだから、これで良かったんでしょう
日本で言う所の徳川家光みたいなキャラクターなのかな
徳川慶喜の方が当てはまるかな。
もし、わざと劉禅が暗愚を装おってたら……かなりの大物だけど…………そりゃ無いかぁ〰️……アト、トップが下の人の話に耳を傾けるのは劉禅の良い資質だと思います。
生き延びる為に馬鹿なフリをして、野心を見せない様に、臣下からアドバイスを貰っていたエピソードの様な気がしました。
余りにも馬鹿すぎるので。
劉備も曹操の前で雷に怯えて箸を落として、大したことの無い奴に見られようとしたのと似ているけど、降伏した後なので、殺されない為の知恵だったのかもと思います。
蜀では人の問題、本当それなしか言えない孔明が仮に優れた人物であっても信用しすぎて信頼しすぎも良くなかったかも
りゅうぜんは、捕虜下にある中、わざと言ったと思うなあ。敵地の中で賢いとされると殺されるでしょう。
自分の身の丈や分をよく知っている賢さがあったと思う。
本当に馬鹿なボンなら臣下の言うことを聞かずに好き勝手やって自滅してるよ。
曹操の子どもに産まれてたら有能な君主になれたのかな……って妄想もある。
リュウゼンは、暗君ではありません。
現にリュウゼンが君主になってから8年間、蜀の内紛や内争などは一切ありませんでした。
むしろ、蜀は平和だったということです。
リュウゼンが亡君や暗君であった記述はないのです。
平和な世の中であったなら、リュウゼンはむしろ名君であったと言えます。
主さんが、お話ししている話は全て後世の創作で作られた話の三国志演義の話ですね
8年間ではないです。40年間だったかな?
イギリスで言えば、プランタジネット朝のエドワード2世ですね。
>蜀の内紛や内争などは一切ありませんでした。
224年 南中反乱
231年 劉冑の乱
247年 汶山の乱
248年 徐巨の乱
…
そもそも、本当に劉禅が暗愚であったなら諸葛亮も早々に適当にあしらっていたし、孫呉や曹魏の様に内乱で滅んでいたでしょう。
ソクラテスの無知の知に一番近いなあ
やたらと「する」を持て囃す世ですが「しない」もそれそこに意義はある物です、そりゃぁ覇道じゃないですが
11:44
至誠=愚直 ですからね(^^;
私は劉禅と言う人物は真っ当に生きた人物だと思います。それは劉禅は父親を選べないからです。蜀を奪い劉備は皇帝を名乗りました。この行為はハッキリ言って逆賊です。関羽の敗北から夷陵の戦い、孔明の北伐、蜀の国力は衰退していたのは間違いない事実だと。それを全て劉禅のせいにするのはよくないと思います。劉禅だってアホではありません。色々考えて降伏しているのです。蜀の環境は悪すぎた。その悪い環境を作ったのは関羽、劉備、孔明、姜維であると思います。
劉諶一家の憤死、皇后・皇太子のどさくさ紛れの死。これだけでも、蜀に帰りたくないわ。
父親の世代とは違って「漢」に対する信仰がなかったのでしょう。あるブロガーさんは、劉禅を「東晋の桓温の野望対策のために作られた蜀漢正統論の犠牲者だ」と評価していました。
それにしても、姜維が日々命をかけて魏軍と戦っているのに、自分は宮中で女酒で骨抜きになっているのは、同じ漢としてどうかと思うが…。
@佐分利流28号 ただその姜維が、蜀の国力を疲弊させてる原因を作ってるんだが…。
宮中での宴会は、自国の有力者の接待と資金援助要請のためではないか、と思います。
蜀は漢として、魏を倒して復興することをスローガンにしていましたから。
でも劉禅って三国志の英雄を祭る武侯祠には結局祭られていないんだよなぁ
多分本人は気にしていないと思いますよ。
「自分にはその資格はない」って。
オヤジが赤ちゃんの頃落とすからやwww
劉禅のイメージて無能なイメージしかないけどでも諸葛孔明が必死で劉禅を支えたけどね
ウィルヘルム二世と比べれば一目瞭然、劉禅は名君だぞ。
老荘の思想を地でいった人なのかな。
無謀とはいえ、姜維が日夜命懸けで死力を尽くして魏軍と対峙していた時に、宮中で女酒に耽っていたとは、同じ男として恥ずかしい限りや‼
まぁ・・・・そうは言うけどそれ以外することない皇帝だし
内政は臣下がやるし
@@じの-w4p さん。それならばせめて一人の男として、人並みに武芸の鍛練をしたりして戦える姿勢は見せてほしかったと思いました。姜維が遠い地で、毎日命をかけて国を守るため戦っていただけに…
横山光輝さんの三國志の最後を見るような発言ですね。姜維が降ったときに「何故、もっと早く降伏しなかったのか?」との問いに姜維が「これでも早かったのです。」がどれだけの無念を持っているかわかります。
そして、劉禅の忠義に応えるために旧日本軍もびっくりの玉砕をした張嶷ェ・・・・。彼もときどきでいいので思い出してあげて下さい。
@@島悟-o3u さん。張嶷!地味ながらその活躍ぶりは、蜀漢にあって功績大ですよね。病をおしての出陣。姜維を助けるために徐質に討たれるも、その仇は姜維が自らきっちり取ってくれた。逸話としても、夏侯覇とのやり取りや、費偉の不用心さを危惧していたなど興味深いものが多いですよね。紛れもなく隠れた名将でしょう。そして姜維の鍾会への一言。全ての思いがそこに詰まっていたからこそ、鍾会も思わず共感したのでしょうね。
っつーてもそれって無能っぷりを誇張する為に後で作られたイメージで
正史の記述じゃ特に酒や女に溺れることなく、家臣から言われた仕事を黙々とこなす人みたいですよ
今で言えば重役の指示が無いと何も出来ない二代目社長って所でしょうか
まあ有能か無能かで言えば完全に後者なのは否定出来ませんがね
この動画を見ると
劉禅=鳩山由紀夫
でしょうか。回りに居た人物次第で色々変わってた可能性が。
蜀の弱点は
・土地が奥地過ぎる
・人口が少ないので労働力(兵士)の数が少ない
色々な発明で労働生産性を高めてるが(猫車とか)限界が有りますね。中国の歴史でも四川は僻地で、文化は北京商売は南京や上海広州等々料理や言語でも特性が伺えます。
文字通り、劉禅をぶん投げた劉備が悪いw
孔明が死んだ蜀に未来はないのか
キングダムのもうごう将軍のような皇帝だったのだろうか?普通に働き、普通に統治する。
無能だけど、処罰もなかったのでは?周辺のサポートがよかったので、もし劉禅がポンコツであれば、政治も戦場も暴君にならなかったのかも。
無謀な北伐を繰り返す
バカな丞相が居なければ
劉禅の代くらいは
滅亡せずに保ってたんじゃないの
蜀滅亡は劉禅の問題では無いと思います
長安~漢中の間は山脈があるから少数兵でも守備が可能。
だから北伐で涼州方面を荒らし続ければ、蜀は独立を維持できるというわけ。
暗君
在家の坊ちゃんならいざ知らず
天子を名乗るのであれば妄臣を信頼して重用したのは致命的
たとえ蜀が滅んでなかったにしても名君はない
権力を与えられなかったのではなく権力に値しない人物であった
才覚はなかったけど、特別ヤラカシもしなかった印象。何もしなかった無能といった感じ。
ヤンぱち
少なくとも自分が才覚がない、無能であることは知っていた。
無能なりに考え、最善の選択をしたとも言えるのではないでしょうか。
Shinpei Kitajima
読んでいる限り嫌なヤツではないんですよね。逸話を聞いても、素直な感じはあるし。
謙虚さ(実際無能なので、ちょっと違うかも)と素直さで臣下の言うことしっかり聞いてるのは最高機関としては良かったし、そんなところに劉姓特有の器の大きさは感じますね。
宴会の話を好意的に見るなら姜維のやらかしの後だから旧臣守る為に暗愚を演じて司馬昭も劉禅や蜀の旧臣を害する必要はないって言ってる・・か?
単に「自分に自信がなかった」だけなのでは? 親父に色々教わる前に他界され、苦労知らず(赤子の時に趙雲の活躍で難を逃れてはいるが┅)で皇帝になってしまえば、自分の意見に責任なんて持てないだろう。だから有能と言われる家臣の意見を聞くし、自分の事を「ヨイショ」するだけの家臣の言う事も聞く💧 そんな人だと思うよ😅
降伏したっていう事実だけでもうダメだと思います。
劉禅って、長い間即位し国を貶めた点では昭和天皇やフランクヨーゼフに似ている。
劉禅は大阪の女を嫁にもらってカカア天下で良い夫になりそう
全部関羽のせい
阿斗さんは、魏、晋の王朝におけるお笑い芸人としての仕事を一生懸命にやっていたに過ぎないのでは?
無難でいいじゃん
身の振り方は上手な方だと思いますよ