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いやもう 最高だ 津川さん
津川さんはやっぱスゴいわ。76年の日本グランプリ、11歳からF1見てきて、そういう話凄く胸にしみます。
工具箱を荷台に乗せて・・・メカとして今、まさにそんな仕事スタイルです。何時聴いても津川さんのお話は聴いて頭の中にシーンが浮かび赤いペガサスの世界ですね。
ジル・ビルニューブは私の永遠のアイドルです、彼のエキサイティングな走りをリアルタイムで体験できたのは本当にラッキーでした、記録より記憶に残るドライバー
ジルとアルヌーのホイルトゥーホイル、後のアメリカGPでセナと競ったアレジにジルがかぶって見えました(^_-)-☆そしてお約束でフェラーリ行ったけど車に恵まれませんでしたね( ;∀;)’77富士での1コーナー、フェラーリのフロントウイングをかっぱらって行った奴は家宝になっているんでしょうか、、、
ですね、セナ様も、ジルに憧れて同じゼッケン27を付けてましたから。小学生のころ、富士でマクラーレンで走っていた、ジル様を見て感動しましたよ。
哲爺のお話は、F1がピカピカに輝いていた時代の話と思います。死ぬかもしれないけど速く走りたい連中、まさにF1パイロットだと思います。「安全第一」のF1には、輝きがありません。安全を求めるなら、F1に近寄らなければいいだけ。リスクを負って、速さに挑戦することで、尊敬と報酬を得ることができるのだと思います。
津川さん、お疲れ様です、貴重なお話、ありがとうございます。もっともっと色々聞きたい!また、色々聞かせて下さい😊
セナの前、ジル・ヴィルヌーヴのお話は貴重です。本当にありがとうございます。ステファン・ベロフについても、何か思い出があればお願いします。
ジル・ヴィルヌーブ、子供の頃から大好きでした。彼のエピソードをまた一つ知ることができて嬉しいです。鈴鹿のホテルからバスで帰って行くジョン・サーティースに両手を振りながら『またねー』って叫んだ時、満面の笑みで彼も両手を振ってくれたことは一生忘れません。日本GPに来ていたルネ・アルヌーにサインをもらった時、当時の現役ドライバーたちとは違った、より強いオーラを感じたことも良い思い出です。私たちが知り得ない、津川さんの貴重なご経験の話、これからも楽しみにしています!
フレディ・スペンサーのサイン会には昔行きました😊1時間以上遅れてきて皆殺気立ってたのもいい思い出です。片山敬済の事ユーモア交えながらディスッてたのが面白かった笑セナは遠くから見た事しかないなジルはほんとに生で見たかった😭
本当に貴重な実話で、津川さんの素晴らしい経験の一ページなのですね!刃物のような表現やいろんな人の人物像など、津川さんしかわからない、まさに宝物のような経験談を聞かせていただき、とても感謝です!ありがとうございます。またヨロシクお願いします!
さすが、バレンティーノの解説も分かっている。津川先生ありがとうございます。
嫁さんが鈴鹿でバレンティーノの走りを実際に見たことがあるのですが、「まるで子ザルがバイクに乗ってるようだった」と言ってました。なるほど・・・と津川先生の解説に合点がいきましたよ。
HNがしょこパパwwwww
亡くなった当時ウィリアムズにいたメカニックの中矢龍二さんが“ジルは来年ウィリアムズに来る事になっていた”とauto sportの連載コラムに書いていたよね。ホンダF1ターボエンジンを載せたウィリアムズF1駆るジル・ヴィルヌーブ。観たかったなあ。
中矢さんお亡くなりになってたんですね、当時中学生から高校生の頃、今のように情報がないなか、AUTO SPORTは唯一と言っていいバイブルのような雑誌だったな、中矢さんのコーナーは特に現場の空気が感じられて、よくエンサインの津川さんは、話題に出てきたな~中矢さんのご冥福を今更ながら願います
確かウイリアムズとマクラーレンがオファーかけてたんですよね。
中矢さんはラリーが好きでウィリアムズ時代にはご自分でラリーに出てました
これってホントかな?ジルではなくピローニの間違いだと思うけど?御大エンツォに可愛い柄れたジルが移籍するなんて考えられないからさ!ピローニだと思うがなー!
@@2QR0XB 貴方がどう思っても、auto sportの連載コラムに書かれていたのは事実。名探偵コナンの決め台詞じゃないけど「真実はいつもひとつ」。ジルではなくピローニだと思いたいのであれば、どうぞご勝手に。
ジョン・サーティースは相手の隙を伺う作戦が得意なイギリス人F1レーサージル・ヴィルヌーヴは自分の尊敬するF1レーサーの1人
哲爺のバイク話面白いです。もっと聞きたい!
チャンピオンになるよりも一戦一戦での勝利を目指し、そのレースで勝つみこみがないならファステストラップを記録しようと、とにかくいつでも速く走ることだけを考えていたヴィルヌーブ。だから事故も多く、危険なドライバーと言われた事もあったけど、まさにレーサーとしての理想の精神を持っていたと思う。6勝しかしていない、チャンピオンにもなった事がないドライバーで、これだけ後世の語り草になる人は他にはいないだろう。有名なアルヌーとのディジョンのバトルも、あれだけきわどくホイールをぶつけあいながらも決定的な接触は起こさずに素晴らしいドッグファイトになったのは彼の激しい闘争心と同時に併せ持つフェアプレイ精神があったからこそだったと思う。彼が亡くなった後にプロストが「ジルは非凡でかけがえのないレーサーだった。彼のいないF1は、もう同じF1ではない」との言葉を残しているけど、この言葉がヴィルヌーヴを最も簡潔に良く表現した言葉だと思う。時代が変わったからもうこんな走りをするレーサーは2度と現れないだろうけど、彼の精神を受け継ぐようなレーサーには居て欲しいと思う。最後に津川さんご自身が言っておられるように、そんな鋭利で危険な匂いのあった古いレーサーたちと一緒に戦えた事は津川さんにとっても本当にかけがえのない宝物なのだと思いますね。
お話ありがとうございます。ジル・ヴィルヌーブがモナコで勝って40年なんですね。CSでジル・ヴィルヌーブの81年のモナコ走りを見て、見慣れたはずのF1が恐ろしく感じました。当時のマシンのカウルを上げた写真を目にすると、その簡素で安全対策の乏しい作りに驚きます。鎧を着た真剣勝負と言うより、素肌の真剣勝負に近い感じでまさに剣豪の勝負の様ですね。でも車の安全性が向上して良かったです。
126C1のセミモノコックは312T4の余剰を改造したものだったそうですね。
津川さんジルの逸話ありがとうございます。メディアや噂では聞いていましたが、実物のジルと同じ空気を吸っていたから方からの真実・・・ホント勉強になります。私はジルのレースはyoutubeでしか見たことしかありまし、逸話も雑誌等からでした。10年以上前ですが、息子がレーシングカート参戦した時にヘルメットはジルでした。当時はほとんどがセナデザインでしたが、今にしてみればいい思い出です。仕事も#27と言う自己満足にブランド名に使用しています。もし機会がありましたら、世代を越えた伝説のドライバーの話して頂きたいです。ありがとうございます。\FORZA FERRARI/
いつも楽しいお話をありがとうございます。需要があるのか判りませんが、ヨハンソンのデビュー当時のお話もお聞きしたいです。
かなり昔のことなので、うろ覚えですが、オートスポーツ誌かベストカー誌に渡英したころからの、津川さん自身のことを書いた連載コラムがありましたよねまだ、F1含めて海外のモータースポーツ情報が少ない時代だったので毎回すごく楽しみにしてた記憶があります
いやー、すげー話だな!
四輪レースのコメンテーターで、ここまでバイクレースも語れる人って結構珍しいですよね。
こういう自分が知らない時代のお話ありがとうございます。
津川さん、藤池さん、中矢さん、メカニック3羽カラスの話をお聞きしたいです。
自分もジルの大ファンだったので、興味津々で拝見させて貰いましたが、まさか津川さんから、ジルのエピソードが聞けるとは思いませんでした。機会があれば中矢さんや伊藤さん等々、当時F1村での日本人同士のあれこれも聞かせて下さい。同窓会なんかも見てみたいですね〜
1984年、トールマンのエアトン セナ ダ シルバのチームメイトだったジョニー チェッコットも2輪のGPライダーでしたよね❕😊
興味深く拝見させて頂きました。
鋭利な刃物で思い出したが、耐久レースのドライバー交代でピットレーンに立つ片山義美さんを「抜き身の日本刀が立っている様だ」と形容した人が居たなぁ
西山平夫さんだっけ?
エンサイン、セオドールが買いました!津川さん、家内の父がテディのパートナーのハーマン・シュウです。テディ・シニアの話しを聞きたがってます。
セオドールがいなかったらマカオも草レース止まりでした。
@@maruhiroya417 ありがとうございます。しかし残念ながら今年も国際レースではなく中華選手権。出る幕なく、参加しません。
@@macau_live F3は開催されないのですね。
やはり実際に中にいて経験した方の言葉は説得力がある。再びワイルドなレースカテゴリーが出来ないかな…
次回はベルガーの初優勝の話をお願いします!
かつて私にとって最高はジル・ビルニューブだった。ジルにはには最高の瞬間がいくつもあった。しかしセナがマシンに乗ると・・・最高の瞬間しかない!
それジェレミーのセリフw
デイモン・ヒルも元々2輪出身ですよね
津川さんの話は現場の空気感を感じられるのでいいですね。今度モナコにある「tip top」での話があれば聞きたいです。
ジルの逸話をありがとうございます。
話がすごすぎ 流石レジェンド リスペクト
ジルの3輪走行はオランダGPでリヤタイヤバーストしたマシンでピットまで戻った話では?走らないF126CKでモナコとハラマでブロックしまくりで後続を抑え込んでかったのが印象に残ってます
ワイン・ガードナーやファスト・フレディーもやってましたよ あと高橋國光さんもペンスキーの思い出はアンサー親子でブロックしまくった挙げ句トム・スニーバ(高校の教師)に優勝されたアンサー・シニアのチームオーナーだった事ですね ロニー・ピーターソンとジル・ヴィルニューヴとセナが私のアイドルでした あとフレディー・スペンサー。
いや~本当に面白い話
天才、天才って言われる人は色々いるけどロッシは混じりっけなしの天才だなと思います。異次元の人。
高橋国光も二輪四輪両方やってませんでしたっけ?ジルはそうですよね。ディジョンのアルヌーとの一騎打ちやノーズが飛ぼうがリアタイやがバーストしてドライブシャフトがぶち折れようが戦闘速度で走り続ける。リアタイやがバーストした時はまだ走るつもりでタイヤ交換を要求して、メカニックに「いや、もうダメだ」と言われて初めてドライブシャフトが折れていたことに気付いたとか。でもそれだからこそエンツォ御大に実の息子のようにかわいがられたんですよね。
ジルとセナが最高この2人以外好きになったドライバーは居ない!
異論は無いが、少し前のRピーターソンもだね。
ロッシの名前をツガーのジッちゃまから聞くとは思わなかった。理由を聞いたら納得できたけど。
やっぱ、ペンスケですよね(^^)
正確にはペンスキー
テツジイすっきりしましたー!私ガスリー大好き。でも今回の発言だけは???でした。そんな私の有耶無耶をスッキリさせてくれました。今回のガスリーの発言はやっぱり間違い、まだまだ若い、ジュールの件は分かるけど、確かに、やっぱり、ピエールの発言は間違ってる。これからもピエール・ガスリーを応援し続けます!。
トールマンを操っていた、ジョニー・チェコット選手は確か、バイクのチャンピオンではありませんでしたか❓
確か350ccクラスのチャンピオンですね。翌年は片山敬済氏が同クラスのチャンピオン獲得したんじゃなかったかな?
自分的には、ジョニー・チェコットは350ccよりもF750世界選手権チャンピオンだったというイメージがある。ヤマハ・ワークスとしてスポーツランドSUGOで開催されていたTBCビックロードレースなんかにも来日して走ってた。当時は当たり前のように地上波で放送されていたんだよね。
2輪ではケニー、F1ではセナの噛ませ犬・・・。
大変ためになる話でした。ありがとうございました。当時のドライバーってサーキットに入ると睨み合い(といえばよいのですかね?)バチバチした空気感だったんですかね?手までは出さないにしても睨み合いですでにバチバチが何十回もしてるような感覚なんですかね?個人的にF1デビュー前の佐藤琢磨氏と目に前で話したことありますが・・・どこか殺気立って切り殺されるような感覚を感じたことあります。
エンサインといえばレガツォーニにですね。何か思い出はありますか。
津川さんとは一緒にならなかったのかなぁ?トールマンに乗ったジョニーチェコットも2輪経験者ではなかったでしょうか?
当時のメカニックは、週給だったんですか?
ジルと片山のヘルメットって今でもかっこいいと思いません?
ダ・シルバの時代。カートで会いましたよ。南コースで^^
シルバ・ザ・コメット時代!!
南コースではなく菅生ではないでしょうか?黒いスーツでDAPに乗って4位に入った記憶があります。
ナイジェル・ベネットってペンスキーに居たんですね。F1ではキャリアに恵まれなかった印象ですが。
70年代からレース追っかけてる人間からするとペンスキーじゃなくてペンスケだし、アイルトンじゃなくてエアトンなんだよな( ´△`)
ネルソン・ピケット!
ジルとセナは良くも悪くも比較されることが多いですね。あまり人付き合いというか社交的でない感じふとした瞬間の憂いのある表情、ドライビングの哲学やスタイル刃物のような危険性を感じさせるドライビングは観客をゾクゾクさせ魅了するカリスマ性がありましたねその生涯も二人重なるような思いがします。WGPとF1のお話の中に国さんはチラッといれてほしかったチャンピオンじゃなかったけどWGP日本人初の優勝もあるし中嶋さんより先にティレルF1をドライブしてますし(1戦だけですけど)
国光ティレル=前年に星野さんが乗ってた個体でしたね。
いやぁ、いくらでも酒飲めます
カートをやってるとき、初めてヘルメットを自分でデザインして塗った。新品のアライ。供給してもらって。全部コピーじゃ失礼だから(ちょっと変えて💛)。ジルは永遠。大体、当時のアルミモノコック、厚何ミリなん??今じゃ「ごめんね」レベル。ピロ―二を責めるのではなく、軟弱なアルミモノコックを造ったコンストラクターに責任はある。
フェラーリもカーボン導入は相当遅かったですよね。
衝撃でリベット留めのバルクヘッドが剥がれてしまいました。
モナコの角田さん、大丈夫かなぁ?
モーリス・ナンとの揉め事って、2速ギアのハナシでしょうか?
、
ブウランズハッチの1コーナーって・・ラグナ・セカよりコークスクリュー。やっぱ、疑惑のモナコよねぇ~。まだ、南米に対する偏見あった。
津川さんは、世界中を旅から旅をして、水にあたってお腹を壊したりすることはなかったのですか?世界中のどこのお水が美味しかったり、思い出はありませんか?
ペンスキィー?!
なんで日本人はペンスキーをペンスケって呼ぶのかナゾ
初めて観たスポンサーロゴやローマ字を、なんでもとにかく自分たちがわかりやすいカタカナ読みにした70'sの若者の間で何年かだけ流行った独特の風潮みたいなモノの名残りですね^ ^レースブームで当時は最先端のファッションだったようです笑笑サーキットレースではオープニングラップやスタート時のシグナルが消えるまで、アイドリングでエンジンが冷えて止まらないように吹かすのを観た当時の若者が、意味も分からずカッコいいと形だけ真似をして公道で吹かすようになり、当時の若者の間で伝言ゲームのようにファッションとして流行って伝わったのが形骸化して、今も暴走族の空ぶかしとして残っています…
ビークルをビハイクルと言っていた時代もありました。
ティレル(Tyrrell)を「たいれる」ってひらがなで入れてたよ。その昔。P34に。乗ってたのは「しえくたあ」と「どぱいえ」ね。🤭。
いやもう 最高だ 津川さん
津川さんはやっぱスゴいわ。
76年の日本グランプリ、11歳からF1見てきて、そういう話凄く胸にしみます。
工具箱を荷台に乗せて・・・
メカとして
今、まさにそんな仕事スタイルです。
何時聴いても津川さんのお話は
聴いて頭の中にシーンが浮かび
赤いペガサスの世界ですね。
ジル・ビルニューブは私の永遠のアイドルです、彼のエキサイティングな走りをリアルタイムで体験できたのは
本当にラッキーでした、記録より記憶に残るドライバー
ジルとアルヌーのホイルトゥーホイル、後のアメリカGPでセナと競ったアレジにジルがかぶって見えました(^_-)-☆そしてお約束でフェラーリ行ったけど車に恵まれませんでしたね( ;∀;)
’77富士での1コーナー、フェラーリのフロントウイングをかっぱらって行った奴は家宝になっているんでしょうか、、、
ですね、セナ様も、ジルに憧れて同じゼッケン27を付けてましたから。
小学生のころ、富士でマクラーレンで走っていた、ジル様を見て感動しましたよ。
哲爺のお話は、F1がピカピカに輝いていた時代の話と思います。
死ぬかもしれないけど速く走りたい連中、まさにF1パイロットだと思います。
「安全第一」のF1には、輝きがありません。
安全を求めるなら、F1に近寄らなければいいだけ。
リスクを負って、速さに挑戦することで、尊敬と報酬を得ることができるのだと思います。
津川さん、お疲れ様です、
貴重なお話、ありがとうございます。
もっともっと色々聞きたい!
また、色々聞かせて下さい😊
セナの前、ジル・ヴィルヌーヴのお話は貴重です。
本当にありがとうございます。
ステファン・ベロフについても、何か思い出があればお願いします。
ジル・ヴィルヌーブ、子供の頃から大好きでした。彼のエピソードをまた一つ知ることができて嬉しいです。鈴鹿のホテルからバスで帰って行くジョン・サーティースに両手を振りながら『またねー』って叫んだ時、満面の笑みで彼も両手を振ってくれたことは一生忘れません。日本GPに来ていたルネ・アルヌーにサインをもらった時、当時の現役ドライバーたちとは違った、より強いオーラを感じたことも良い思い出です。私たちが知り得ない、津川さんの貴重なご経験の話、これからも楽しみにしています!
フレディ・スペンサーの
サイン会には昔行きました😊
1時間以上遅れてきて皆殺気立ってたのも
いい思い出です。
片山敬済の事ユーモア交えながら
ディスッてたのが面白かった笑
セナは遠くから見た事しかないな
ジルはほんとに生で見たかった😭
本当に貴重な実話で、津川さんの素晴らしい経験の一ページなのですね!
刃物のような表現やいろんな人の人物像など、津川さんしかわからない、まさに宝物のような経験談を聞かせていただき、とても感謝です!ありがとうございます。
またヨロシクお願いします!
さすが、バレンティーノの解説も分かっている。
津川先生ありがとうございます。
嫁さんが鈴鹿でバレンティーノの走りを実際に見たことがあるのですが、
「まるで子ザルがバイクに乗ってるようだった」と言ってました。
なるほど・・・と津川先生の解説に合点がいきましたよ。
HNがしょこパパwwwww
亡くなった当時ウィリアムズにいたメカニックの中矢龍二さんが“ジルは来年ウィリアムズに来る事になっていた”とauto sportの連載コラムに書いていたよね。
ホンダF1ターボエンジンを載せたウィリアムズF1駆るジル・ヴィルヌーブ。
観たかったなあ。
中矢さんお亡くなりになってたんですね、当時中学生から高校生の頃、今のように情報がないなか、AUTO SPORTは唯一と言っていいバイブルのような雑誌だったな、中矢さんのコーナーは特に現場の空気が感じられて、よくエンサインの津川さんは、話題に出てきたな~
中矢さんのご冥福を今更ながら願います
確かウイリアムズとマクラーレンがオファーかけてたんですよね。
中矢さんはラリーが好きでウィリアムズ時代にはご自分でラリーに出てました
これってホントかな?ジルではなくピローニの間違いだと思うけど?御大エンツォに可愛い柄れたジルが移籍するなんて考えられないからさ!ピローニだと思うがなー!
@@2QR0XB 貴方がどう思っても、auto sportの連載コラムに書かれていたのは事実。
名探偵コナンの決め台詞じゃないけど「真実はいつもひとつ」。
ジルではなくピローニだと思いたいのであれば、どうぞご勝手に。
ジョン・サーティースは相手の隙を伺う
作戦が得意なイギリス人F1レーサー
ジル・ヴィルヌーヴは自分の
尊敬するF1レーサーの1人
哲爺のバイク話面白いです。もっと聞きたい!
チャンピオンになるよりも一戦一戦での勝利を目指し、そのレースで勝つみこみがないならファステストラップを記録しようと、とにかくいつでも速く走ることだけを考えていたヴィルヌーブ。だから事故も多く、危険なドライバーと言われた事もあったけど、まさにレーサーとしての理想の精神を持っていたと思う。6勝しかしていない、チャンピオンにもなった事がないドライバーで、これだけ後世の語り草になる人は他にはいないだろう。有名なアルヌーとのディジョンのバトルも、あれだけきわどくホイールをぶつけあいながらも決定的な接触は起こさずに素晴らしいドッグファイトになったのは彼の激しい闘争心と同時に併せ持つフェアプレイ精神があったからこそだったと思う。彼が亡くなった後にプロストが「ジルは非凡でかけがえのないレーサーだった。彼のいないF1は、もう同じF1ではない」との言葉を残しているけど、この言葉がヴィルヌーヴを最も簡潔に良く表現した言葉だと思う。時代が変わったからもうこんな走りをするレーサーは2度と現れないだろうけど、彼の精神を受け継ぐようなレーサーには居て欲しいと思う。最後に津川さんご自身が言っておられるように、そんな鋭利で危険な匂いのあった古いレーサーたちと一緒に戦えた事は津川さんにとっても本当にかけがえのない宝物なのだと思いますね。
お話ありがとうございます。ジル・ヴィルヌーブがモナコで勝って40年なんですね。
CSでジル・ヴィルヌーブの81年のモナコ走りを見て、見慣れたはずのF1が恐ろしく感じました。
当時のマシンのカウルを上げた写真を目にすると、その簡素で安全対策の乏しい作りに驚きます。
鎧を着た真剣勝負と言うより、素肌の真剣勝負に近い感じでまさに剣豪の勝負の様ですね。
でも車の安全性が向上して良かったです。
126C1のセミモノコックは312T4の余剰を改造したものだったそうですね。
津川さんジルの逸話ありがとうございます。メディアや噂では聞いていましたが、実物のジルと同じ空気を吸っていたから方からの真実・・・ホント勉強になります。私はジルのレースはyoutubeでしか見たことしかありまし、逸話も雑誌等からでした。10年以上前ですが、息子がレーシングカート参戦した時にヘルメットはジルでした。当時はほとんどがセナデザインでしたが、今にしてみればいい思い出です。仕事も#27と言う自己満足にブランド名に使用しています。もし機会がありましたら、世代を越えた伝説のドライバーの話して頂きたいです。ありがとうございます。\FORZA FERRARI/
いつも楽しいお話をありがとうございます。
需要があるのか判りませんが、ヨハンソンのデビュー当時のお話もお聞きしたいです。
かなり昔のことなので、うろ覚えですが、オートスポーツ誌かベストカー誌に
渡英したころからの、津川さん自身のことを書いた連載コラムがありましたよね
まだ、F1含めて海外のモータースポーツ情報が少ない時代だったので
毎回すごく楽しみにしてた記憶があります
いやー、すげー話だな!
四輪レースのコメンテーターで、ここまでバイクレースも語れる人って
結構珍しいですよね。
こういう自分が知らない時代のお話ありがとうございます。
津川さん、藤池さん、中矢さん、メカニック3羽カラスの話をお聞きしたいです。
自分もジルの大ファンだったので、興味津々で拝見させて貰いましたが、まさか津川さんから、ジルのエピソードが聞けるとは思いませんでした。
機会があれば中矢さんや伊藤さん等々、当時F1村での日本人同士のあれこれも聞かせて下さい。
同窓会なんかも見てみたいですね〜
1984年、トールマンの
エアトン セナ ダ シルバの
チームメイトだった
ジョニー チェッコットも
2輪のGPライダーでしたよね❕😊
興味深く拝見させて頂きました。
鋭利な刃物で思い出したが、耐久レースのドライバー交代でピットレーンに立つ片山義美さんを「抜き身の日本刀が立っている様だ」と形容した人が居たなぁ
西山平夫さんだっけ?
エンサイン、セオドールが買いました!
津川さん、家内の父がテディのパートナーのハーマン・シュウです。
テディ・シニアの話しを聞きたがってます。
セオドールがいなかったらマカオも草レース止まりでした。
@@maruhiroya417 ありがとうございます。しかし残念ながら今年も国際レースではなく中華選手権。出る幕なく、参加しません。
@@macau_live
F3は開催されないのですね。
やはり実際に中にいて経験した方の言葉は説得力がある。
再びワイルドなレースカテゴリーが出来ないかな…
次回はベルガーの初優勝の話をお願いします!
かつて私にとって最高はジル・ビルニューブだった。ジルにはには最高の瞬間がいくつもあった。
しかしセナがマシンに乗ると・・・最高の瞬間しかない!
それジェレミーのセリフw
デイモン・ヒルも元々2輪出身ですよね
津川さんの話は現場の空気感を感じられるのでいいですね。
今度モナコにある「tip top」での話があれば聞きたいです。
ジルの逸話をありがとうございます。
話がすごすぎ 流石レジェンド リスペクト
ジルの3輪走行はオランダGPでリヤタイヤバーストしたマシンでピットまで戻った話では?
走らないF126CKでモナコとハラマでブロックしまくりで後続を抑え込んでかったのが印象に残ってます
ワイン・ガードナーやファスト・フレディーもやってましたよ あと高橋國光さんも
ペンスキーの思い出はアンサー親子でブロックしまくった挙げ句トム・スニーバ(高校の教師)に優勝されたアンサー・シニアのチームオーナーだった事ですね ロニー・ピーターソンとジル・ヴィルニューヴとセナが私のアイドルでした あとフレディー・スペンサー。
いや~本当に面白い話
天才、天才って言われる人は色々いるけど
ロッシは混じりっけなしの天才だなと思います。
異次元の人。
高橋国光も二輪四輪両方やってませんでしたっけ?
ジルはそうですよね。
ディジョンのアルヌーとの一騎打ちやノーズが飛ぼうがリアタイやがバーストしてドライブシャフトがぶち折れようが戦闘速度で走り続ける。
リアタイやがバーストした時はまだ走るつもりでタイヤ交換を要求して、メカニックに「いや、もうダメだ」と言われて初めてドライブシャフトが折れていたことに気付いたとか。
でもそれだからこそエンツォ御大に実の息子のようにかわいがられたんですよね。
ジルとセナが最高
この2人以外好きになったドライバーは居ない!
異論は無いが、少し前のRピーターソンもだね。
ロッシの名前をツガーのジッちゃまから聞くとは思わなかった。
理由を聞いたら納得できたけど。
やっぱ、ペンスケですよね(^^)
正確にはペンスキー
テツジイすっきりしましたー!
私ガスリー大好き。でも今回の発言だけは???でした。
そんな私の有耶無耶をスッキリさせてくれました。今回のガスリーの発言はやっぱり間違い、まだまだ若い、ジュールの件は分かるけど、確かに、やっぱり、ピエールの発言は間違ってる。
これからもピエール・ガスリーを応援し続けます!。
トールマンを操っていた、ジョニー・チェコット選手は確か、バイクのチャンピオンではありませんでしたか❓
確か350ccクラスのチャンピオンですね。翌年は片山敬済氏が同クラスのチャンピオン獲得したんじゃなかったかな?
自分的には、ジョニー・チェコットは350ccよりもF750世界選手権チャンピオンだったというイメージがある。
ヤマハ・ワークスとしてスポーツランドSUGOで開催されていたTBCビックロードレースなんかにも来日して走ってた。
当時は当たり前のように地上波で放送されていたんだよね。
2輪ではケニー、F1ではセナの噛ませ犬・・・。
大変ためになる話でした。ありがとうございました。
当時のドライバーってサーキットに入ると睨み合い(といえばよいのですかね?)バチバチした空気感だったんですかね?
手までは出さないにしても睨み合いですでにバチバチが何十回もしてるような感覚なんですかね?
個人的にF1デビュー前の佐藤琢磨氏と目に前で話したことありますが・・・どこか殺気立って切り殺されるような感覚を感じたことあります。
エンサインといえばレガツォーニにですね。何か思い出はありますか。
津川さんとは一緒にならなかったのかなぁ?トールマンに乗ったジョニーチェコットも2輪経験者ではなかったでしょうか?
当時のメカニックは、週給だったんですか?
ジルと片山のヘルメットって今でも
かっこいいと思いません?
ダ・シルバの時代。カートで会いましたよ。南コースで^^
シルバ・ザ・コメット時代!!
南コースではなく菅生ではないでしょうか?黒いスーツでDAPに乗って4位に入った記憶があります。
ナイジェル・ベネットってペンスキーに居たんですね。F1ではキャリアに恵まれなかった印象ですが。
70年代からレース追っかけてる人間からするとペンスキーじゃなくてペンスケだし、アイルトンじゃなくてエアトンなんだよな( ´△`)
ネルソン・ピケット!
ジルとセナは良くも悪くも比較されることが多いですね。
あまり人付き合いというか社交的でない感じ
ふとした瞬間の憂いのある表情、ドライビングの哲学やスタイル
刃物のような危険性を感じさせるドライビングは
観客をゾクゾクさせ魅了するカリスマ性がありましたね
その生涯も二人重なるような思いがします。
WGPとF1のお話の中に国さんはチラッといれてほしかった
チャンピオンじゃなかったけどWGP日本人初の優勝もあるし
中嶋さんより先にティレルF1をドライブしてますし(1戦だけですけど)
国光ティレル=前年に星野さんが乗ってた個体でしたね。
いやぁ、いくらでも酒飲めます
カートをやってるとき、初めてヘルメットを自分でデザインして塗った。新品のアライ。供給してもらって。全部コピーじゃ失礼だから(ちょっと変えて💛)。ジルは永遠。大体、当時のアルミモノコック、厚何ミリなん??今じゃ「ごめんね」レベル。ピロ―二を責めるのではなく、軟弱なアルミモノコックを造ったコンストラクターに責任はある。
フェラーリもカーボン導入は相当遅かったですよね。
衝撃でリベット留めのバルクヘッドが剥がれてしまいました。
モナコの角田さん、大丈夫かなぁ?
モーリス・ナンとの揉め事って、2速ギアのハナシでしょうか?
、
ブウランズハッチの1コーナーって・・ラグナ・セカよりコークスクリュー。やっぱ、疑惑のモナコよねぇ~。まだ、南米に対する偏見あった。
津川さんは、世界中を旅から旅をして、水にあたってお腹を壊したりすることはなかったのですか?世界中のどこのお水が美味しかったり、思い出はありませんか?
ペンスキィー?!
なんで日本人はペンスキーをペンスケって呼ぶのかナゾ
初めて観たスポンサーロゴやローマ字を、なんでもとにかく自分たちがわかりやすいカタカナ読みにした70'sの若者の間で何年かだけ流行った独特の風潮みたいなモノの名残りですね^ ^
レースブームで当時は最先端のファッションだったようです笑笑
サーキットレースではオープニングラップやスタート時のシグナルが消えるまで、アイドリングでエンジンが冷えて止まらないように吹かすのを観た当時の若者が、意味も分からずカッコいいと形だけ真似をして公道で吹かすようになり、当時の若者の間で伝言ゲームのようにファッションとして流行って伝わったのが形骸化して、今も暴走族の空ぶかしとして残っています…
ビークルをビハイクルと言っていた時代もありました。
ティレル(Tyrrell)を「たいれる」ってひらがなで入れてたよ。その昔。P34に。乗ってたのは「しえくたあ」と「どぱいえ」ね。🤭。