浄土真宗と他宗派は○○が決定的に違う【親鸞聖人の教え】
ฝัง
- เผยแพร่เมื่อ 10 ก.ย. 2024
- こうしたユーチューブにせよ何にせよ、情報発信している人は、聞き手、読み手の心を考えて言ったり、書いたりすることに努めているものです。
私も文章を書きながら、読み手のことを考えます。
読者から「それでもか」との声も飛びそうですが、すみません、これでもそうなんです。
読み手の気持ちになって自分の文章を読むと、声なき声がいろいろ聞こえてきます。
「もっと核心を書けよ」とか、逆に「こんな難しいこと書いても読者は共感しないよ」とか、「こんなことを書いてて、ひまだなあ」などなど。。。
そういうサイレントクレームを、ものを書く人は背中で感じて書いています。
「書くことは恥をかくことだ」と、書いている本人は自覚しているのです。
時にはサイレントではなく、回り回って私の耳に届く批評もありますし、匿名で批判してくる人も度々です。
いただく批判の中には図星もあれば、的外れな指摘もありますが、いずれも向上の糧になりますので、有難く拝聴しています。
一方で「じゃお前、同じことやってみろよ、そしてオレと同じくらい結果出してみろよ」と思わないでもありません。
書いてて一番悩むのは、「どこまで書くか」です。
読んでおられる一般の人がわかる内容でなければ書いている意味がないですし、さればといってどこにでもある無難な内容になってしまうと、仏教、親鸞聖人の教えの核心を鮮明にもできません。
そういうことをいつも悩んでいるせいか、哲学者・三木清の「表現者は、表現の機会に言わなかったことに対する責任がある」との言葉が心に残りました。
大臣の失言が国会で問題になり、辞職を迫られたり、テレビでのコメンテーターの発言が物議を醸したり、ブログの記事が炎上したりするので、つい情報発信者は、角が立たず一般受けする無難な言い方ばかりに終始するようになります。
それは「言ったことへの責任」を気にしているのですが、それよりも問題とすべきは「言わなかったことに対する責任だ」と、三木は言います。
表現の機会を与えられながら、言うべきことを言わない。声を上げなければならない時なのに、責められるのを嫌って声を上げようとしない、としたら、表現者としての責任を果たしていない、と彼は言っているのです。
軍部と皇道右翼を批判し、治安維持法違反で投獄された三木清は、劣悪な衛生状況の刑務所内で疥癬を患い、獄中死しています。
守らねばならない家族もいながら、思想や信条を理由に殺されたようなものです。
その彼の「表現者の言わなかったことの責任」との言葉は重いですね。
自分も親鸞聖人の教えを説く親鸞学徒の一人として、言うべきことは言わねばならない責任があります。
どれだけその自覚を強く持っているか、突きつけられたような気がした三木清の言葉でした。
三木清は晩年、親鸞聖人の著書『 教行信証』に心酔し、「『教行信証』は思索と体験とが渾然として一体をなした稀有の書である」と、感嘆しています。
また「ぼくは親鸞の信仰によって死ぬだろう」と友人の本多顕彰氏に語り、「私はほんとうにびっくりした。合理主義の理論家三木が、私の抵抗しつづけてきた、あの地獄極楽の浄土真宗の信仰によって死ぬなんて!」と驚かせています。
遺稿となった未完の原稿のタイトルは『親鸞』でした。
-----------------------------------------------------------------
20回の無料メール講座はこちら
-----------------------------------------------------------------
peraichi.com/l...
↑無料メール講座では、仏教に説かれている「生きる意味」の答えを明らかにしています。
登録された方には、特典小冊子「あなたを幸せにさせない5つの間違った常識」をプレゼント!
-----------------------------------------------------------------
TH-camチャンネル登録はこちら
-----------------------------------------------------------------
/ @bybuddhism
-----------------------------------------------------------------
ブログ
「生きる意味がハッキリ分かる親鸞の教え」
-----------------------------------------------------------------
shinran-mail.com/
-----------------------------------------------------------------
自己紹介
-----------------------------------------------------------------
shinran-mail.c...
(自己紹介)
1988年早稲田大学を中退し、仏教講師の道を目指す。
浄土真宗親鸞会で仏教講師の資格を取得、全国各地で公開講座を始める。
2010年からメールマガジンをはじめ、読者12000人の仏教最大級のメルマガ執筆
2014年からは全国をつなぐオンライン講座の動画レクチャーでも活動中。
-------------------------------------------------------------------------------
プレゼント
-------------------------------------------------------------------------------
◆小冊子「あなたを幸せにさせない5つの間違った常識」
peraichi.com/l...
#生きる意味を親鸞に学ぶ無料メール講座はブログから登録ください
信心獲得した人=浄土に行ける人なんですね。信心を持った人とはただ一つの救う道が見えた人であり
極楽浄土に行ける身なんですよね。菊谷先生、今日も大事な教えをありがとうございました。
今日も大変、わかり学びになりました。ありがとうございました。
今回もありがとうございます🙇
菊谷先生の話は、素人でも良く分かる。先生を尊敬しています。
浄土真宗だけが他力の信心なのですね… 。😢
一念の信心。一瞬感じた信心でもいいのだろうか?
18願を思い、これはもうすべてお任せしますと感じた一瞬。
交通事故で、救急病棟のベットで、全身の痛みに耐えていた。
弱肉強食の動物の世界に人も住んでいる。
恨んだり復讐したり。人を、自分を、哀れに感じた。
矢印が、自分から出ていたら、願いは自力に違いない。
法蔵菩薩さまの言葉は矢印が自分に向いていた。帰命は他力に違いない。
恨みが薄れ、心が楽になる、不思議な感覚を覚えた。
因果律の雲から、一瞬だけ、上空に出るような、俯瞰する感覚。
浄土はわからない。
もしかして平生業成に近い感覚だったかもしれない。
2024年7月3日(水曜日☀2時25分)菊谷先生、本日も貴重な大切なお話を学ばせて頂きました。ありがとう御座いました🙇♂🙏✌😊
先生ありがとうございました。
菊谷先生 こんばんは😊
本日もありがとうございます。
本日のテーマは、『浄土真宗と他宗派の決定的な違い』というお話しでした。
浄土真宗と他宗派は『他力信心・真実信心を知っているか否か』が決定的に違う[親鸞聖人の教え]
日本における仏教の宗派というのは13宗派といって、法相宗・華厳宗・
律宗・天台宗・真言宗・融通念仏宗・浄土宗・浄土真宗・時宗・臨済宗・曹洞宗・黄檗宗・日蓮宗である
これらの13宗派は、飛鳥時代・奈良時代と時代順に並べてみたが、この13宗派の中で『浄土真宗』は、親鸞聖人を開祖とする教えであるが、その浄土真宗と他の仏教の宗派とどこが違うのか、いろいろ違いはあるが決定的な教えの違いはどこなのか?
なぜ我々は親鸞なのか?
なぜ我々は数ある宗派の中で浄土真宗を学ぶのか?また浄土真宗を伝えたいと思っているのか?ということの答えにもなる
1 祖師聖人御相伝一流の肝要
2 一念の信心定まらん輩は
3 聖人一流の御勧化の趣は
1 蓮如上人
祖師聖人とは親鸞聖人のこと
御相伝とは代々伝わってきた
一流とは親鸞聖人の教え
肝要とは要の中の要ということ
でこれ以上大事なものはないと
いう時に使う言葉
親鸞聖人の教えの最も大事な とは
↓
※信心一つである
この信心は
他力信心
真実信心
これが親鸞聖人の教えの肝要だ
親鸞聖人はこの他力信心を早く受け取りなさいと!!
生涯これ一つを教えていかれた
この他力信心を受け取ったことを
『信心獲得』と言う
今、我々がこうしてこの動画を視聴しているのも『信心獲得』するため!!
生きてる時に頂くことができる
平生生きてる時に!!
※※
これを知らないのが浄土真宗以外の宗派である この他力の信心・真実の信心を知っているのが浄土真宗である
そこに浄土真宗と他の宗派の違いがある
※ 他力信心・真実信心を知るか否か
2 今日浄土真宗で、他力信心・真実
信心というのを良く伝えられてい
ない 信心獲得が大事だというこ
とさえ知らない浄土真宗の人達は
多い
『一念の信心定まらん輩は、
十人は十人ながら
百人は百人ながら、
みな浄土に往生すべき事、
更に疑なし』
他力信心・真実信心を一念信心ともいう
一念の信心定まらん輩はとは
↓
※一念で信心決定した人がどんな人
でも浄土に往ける
と言われている
信心定まる(信心決定)
※ 誰でも彼でも浄土に行けるとは言
っていない一念で信心獲得(信心
決定)した人はどんな人でも浄土
に往ける と!! 蓮如上人は言われ
ている
※ 信心が大事!!
3 親鸞聖人は一流章の中に
『聖人一流の御勧化の趣は
信心をもって本とせられ候』
と言われている
※※
親鸞聖人の本当の教えで一番大事なことは信心が大事であると教えられている『聖人一流章』
『不可思議の願力
として
仏の方より往生は
治定せしめたまう。』
想像を絶する本願力
往生治定
本日も貴重なお話しをありがとうございました。
弥陀の本願(他力)によって往生一定。の身にさせていただくんだこと。理解いたしました。ありがとうございます。
いつも有り難うございます。少しずつ深まって参りました。
人間生きることは仏教の話を聞いて信心獲得するためである、その言葉の通りですね
今日も有り難う御座います🙇
念仏を唱え続けたら、死んで極楽浄土に行ける。
確かそんな風に社会の歴史の教科書に書いてあった記憶がありますが、何か違和感があったんですよね。
まぁとにかく生きているうちに他力信心、信心獲得ができてるように聴聞を続けたいと思います。
ありがとうございました。
菊谷先生いつも大切なお話と尊い有り難い説法に心より深く感謝申し上げます。〜信の一念が肝要である〜今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。釈尊出世の本懐の中の本懐〜大無量寿経〜阿弥陀仏の御本願〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝🙏🙏🙏
浄土真宗には六道の概念はないのですかね?
ありがとうございました。
ふむ、菊谷さんの概要欄を見てみましたが、発信者としての責任を自分なりに背負おうとしている。
自分としては菊谷さんは1日の動画の中にひとまとめの情報をまとめるのではなく、視聴者の心を1つ目の動画である程度誘導してから、
2つ目3つ目の動画で核心へと導いていくような動画がいくつか見られます。
やはり、積み重ねた経験というのは違うなあ。
と若造ながら思っております。
つまり「信じるものは救われる」
浄土真宗は他のカルト宗教と何も変わらない
信心獲得するには聴聞すること、そしたら弥陀の本願により救われると言う、お話を繰り返しされていますが、より具体的な詳しい内容、心構え、理などはメンバーまたは、セミナーでないと聴けないのでしょうか? お釈迦さましか出離できてないとすると、数多の宗教はどれもダメと言うことなのでしょうか?
生きると言うことは、出会いや出来事から、真理に近づく気づきの機会を与えて貰える訳なので、その事に感謝しています。何事も自ら求め確信に至らなければ、例え分かりやすく真理が説かれたとしても、気づかないものだと思います。
あらゆる考え、捉え方があっても良いとおもうし、真理に行き着く道は一つとは限らないように感じます。
また、真っ向から反対する何かがあっても、それは必要だったりもします。
もし、世界が善や豊かさだけだったら、それが如何に有難い事かすら、理解できません。だから、悪や貧しさも時に必要だったりします。嫌なことですが…あらゆる事を経験し、自らを磨くしかありません。よね?
信心獲得はすばらしいです。自力では決して辿り着けない心というか意識というか生まれながらにある人間はいないはずです。
信心とは何か?、信心獲得とは、どういう状態なのか?、信心獲得するには、具体的に何を、どうすればいいのか?、これらのことが理解できませんでした。また、動画で解説願います。
貴方は親鸞上人と直接お話をした訳でもなく、ただその伝え?を読んだだけだと思われますが、何故そこまで親鸞上人が正しいと思われているのですか?
「阿弥陀如来の本願一つで救われる!」これを言いきっているのは、確かに浄土真宗しかないと思います。他の仏様方、薬師如来、釈迦如来、大日如来も全て尊き方々ですが、「悪人正機、悪人こそが救いの対象である」と言い切っておられるのは、阿弥陀様しかおられません。だからこそ「救い」を死に物狂いで求める凡夫は、阿弥陀仏にたどり着くのではないかと思います。だからこそ、浄土真宗の僧侶の方々には「誠なる哉、摂取不捨の真言、超世稀有の正法、門思して遅慮すること莫れ」を伝えて頂きたいと思います。
浄土真宗といったら一般的には浄土真宗本願寺派を言います。後の9派は真宗と呼称します。別に親鸞会を批判したい訳ではないですけど、堂々と親鸞会を名乗って下さい。
親鸞会と言われていますよ。
@@user-om3rw4sh3k
毎回言って下さい
初めてのひとは浄土真宗本願寺派と間違えます。
素朴な感想として、、浄土真宗寺院で行ってる事は、他宗派と変わらないと思う。 年間行事、年忌、葬式、納骨、夏の供養(他宗では盆供養)
本願=名号=信心=念仏
この四つはものがらとしては一つなんですよ。
どの立場から言うかで言い方が変わってくるだけで。
「春が来る」を冬の側から言えば「冬が去った」という言い方になるようなもので。
(「冬が去る」「春が来る」は別物で、①冬が去って②春が来る、のじゃない。「冬が去る」=「春が来る」、同じものをどちら側から言ってるかの違いでしかない)
阿弥陀様の側で言えば「本願」・・・阿弥陀様がすべてのものをすくう本願を起こされた
すくいが仕上がったところで言えば「名号」・・・名号(南無阿弥陀仏)が出来上がった
それが私に届いたところで言えば「信心」・・・信心賜わったという言い方になり、
それがはたらいている姿で言えば「念仏」・・・わたしの口からナモアミダブツと出て来て下さるという言い方になる。
信心獲得と言いますが、
これは太陽の光がここに届いてる、と言うようなもので、
別にこっちから獲りにいくようなものじゃないです。
一から十まで太陽の側の、阿弥陀様の側のご苦労です。
真宗は、聞いて救われる教えではありません、救われているを聞かせていただく教えです。
恐れ入ります。
浄土真宗における本願寺派と大谷派の違いも気になっております。
単に御本尊の後光の数だとか、御紋が違うだけではないようなのですが。
よろしくお願いします。
失礼しました。
昨年の
『本願寺が東西に分かれた意外な理由』
にて詳しくご説明頂いておりました。
👍も付けておりましたのに忘却しておりました。
なんかどれもどうでもよくなりました。
お力添えありがとうございます
空海も日蓮も法然も・・・皆々釈尊にあらず、と最近思うようになりました。さらに言えば、インドで「釈迦は、仏法を尊重してくれ、自分のことを間違っても尊重するな、と言った」と聞きました。つまり仏法が重要で、誰々の教えが重要ということではないと思います。その意味で、各宗派や僧侶(仏法の解説者)の流れや違いを知ることは重要とは思いますが、まずは自分で、難しくとも原典に当たっていくことが必要かと思いました。キリスト教もイスラム教も、まず聖書やコーランを自分で読み理解しようと考えます。日本の仏教にはこれがほとんど抜けていて、呪文のような念仏を聞き書き写し、法話という、仏法解説者の解釈だけを聞くというのは、片手落ちだと思います。
菊谷隆太先生、こんばんは。🌃🤱🌆🤱🌇🤱🌃🤱今日も、ありがとうございます。🌃🤱🌆🤱🌉🤱🌇🤱
お釈迦様の教えはお釈迦様の教えです、仏教って言ってる時点でどれも違うと思います。「ILoveYou」が日本語で「愛してる」という意味ではあっても「愛してる」そのものではないのと同じことです。
お釈迦様の教えではなく「仏教という宗教」を教えているのだというならそう言ってください、もう見ませんので
この世(地球上)で現れた仏様はお釈迦様ただおひとりです。その方が説かれたのがいわゆる御経であり、仏が説かれた教えなので仏教とも言います。
つまり、釈迦の説かれた教えイコール仏教です。
その教えは7000巻余りと言われています。その中でいちばん大切な教えはどれなのか、の違いによって仏教には多くの宗派があるのです。
現代においては、修行をして仏の悟りを得ようとする、いわゆる聖道仏教では誰も救われないと言われております。
浄土仏教、阿弥陀仏の力によらないと(他力)助からないと言われていて、仏法を聴聞するきっかけを作るために菊谷先生は日々お話をされています。
仏縁が深まると良いですね。
@@kitanokuma 様 凄く分かりやすく簡潔に、ご説明いただきありがとうございます。
勉強になりました。🙂
「他力」
これが答えです
何で20分も掛かるのか?
これで終わりだろう
あまりにも長過ぎる!
まあ、そうなんですが、普段から仏法を聞かれていない多くの方に いきなり 他力を言っても通じないでしょう。
阿弥陀仏の本願を易しく説くのは釈迦でも百千万年かけても足りないとお話されていますように、他力一つとっても5分10分でわかりやすく伝えるのはとても難しいこと。
だから菊谷先生の話は例え話を織り交ぜて分かりやすく伝えようとされているのです。
あなたのようによく理解されている方ばかりではないのですから、丁寧な説明が必要なんです。