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1992年にアクティブサスのF1でチャンピオンになった翌年の1993年にパッシブサスのCARTでチャンピオンになったナイジェル・マンセルの適応能力が凄かったことが分かりました。
@@Joseph-Henri 当時は私も侮ってました。今はマンセルを尊敬してます。
@@ogaso-web 様マンセル自身も1992年F1世界王者獲得出来たのがアクティブサスペンションFW14Bだったからと言う世間の見方を払拭してドライバーの実力で勝ち取った事をインディーカーシリーズで証明したかったのでは無かったでしょうか?特に「ウィリアムズFW14Bであれば誰でも世界王者になれる?」と豪語したフランク・ウィリアムズ卿に対して強烈アピールしたかったのでは?そのマンセルもF1が懐かしくなって1994年スポット参戦する事に?しかも古巣ウィリアムズで‼️
スタート後、一周回って戻ってくる前にどっかでコースアウトしてたイメージしかない
@@thekus5939 クラッシュして宙を舞ってたので、かなり危険でもありました。
フィリップ・モリスだけでなく、フォードのプッシュもあったみたいです当初フォードはマクラーレンにもっと早いタイミングでワークスエンジンを供給する予定でしたが、ブリアト-レの妨害にあってしまい供給が遅れましたが…ロン・デニスとフォード(コスワ-ス)の間で「約束が違うじゃないか💢」みたいな揉め事に巻き込まれてしまった感が有りましたね。
@@孫悟空-q5i そうですか、フォードの後押しもやはりあったんですね。
これ、翌年についても触れると良かったのではと思います。インディに復帰したマイケル・アンドレッティはマンセルとの直接対決となった開幕戦ではマンセルを下しレイナードとチップ・ガナッシチームの初勝利というオマケ付きで飾りシーズンではペンスキーの3台につぐ4位。一方、セナはイタリアで事故死、マクラーレンとハッキネンは1勝もできない、プジョーとも1年だけで決別という散々な結果でしたね。
@@nf-104 翌年のインディ開幕戦はそうでしたか、本人としてはリベンジできたんですね!すっかり忘れてました。
違うカテゴリーのF1に挑戦チャレンジするのは素晴らしい事だけれども、やはり慣れ親しんだインディーカーの方が「水に馴染む?」って事でしょうか?両方制覇したドライバーが数少ない事でも分かりますね‼️エマーソン・フィッティパルディ、マリオ・アンドレッティ、ナイジェル・マンセルなど
ジャックみたいにしっかりテストさせてれば結果は違ってたと思います。
@@fujimu0001 ジャックはしっかり走りこんだ上に最速マシン、恵まれていました。
翌年について動画作って頂けたらなぁと。翌年のインディでのマイケルとマンセルとの直接対決について触れたチャンネルって多分無いと思います。
もうひとりインディーカー王者でマイケルのライバルに当たるアル・アンサーJrですが、ウィリアムズからの招待受けてFW14もしくはFW14Bのデモドライブした画像記事を見たような記憶が有りました?時期的にマイケルがマクラーレンでF1参戦する前だったかも知れないですが、おそらく話題造りのための企画だけで本当にウィリアムズはアル・アンサーJrを正式にレギュラードライバーとして契約して参戦させる雰囲気は全く感じられませんでした‼️マンセルがインディーカーに転向したりマイケルがF1挑戦するなど?F1とインディーカーの交流が盛んだった頃だった気がしましたね‼️後にウィリアムズがインディーカー王者のジャック・ビルヌーブを正式ドライバーとして迎えるのは数年先になりますが?
@@中村佳己-t4r マンセルは楽勝で乗りこなしてましたね。そこはさすがと思いました。アル・アンサーJrはウイリアムズに試乗したんですか、まあたしかに何かの宣伝という要素が強いでしょうね。ビルヌーブがF1に来たのは、ロスマンズからの意向なんですかね?初テストでたいして速くなかったのに雇われたのが不思議です。
@ogaso-web 様ハイテク満載のF1マシンからオーソドックス古典的なインディーカーが逆にマンセルにとっては新鮮に感じたのかも知れないですね?‼️笑それでもマンセルは楕円形オーバルコースは初めての経験だったので少しずつ慣れる必要有ったようですね‼️所属チームのニューマン・ハース・ローラでチームメイトであるマリオ・アンドレッティからオーバルコース攻略のアドバイス受けたでしょうね‼️ジャック・ビルヌーブの1996年F1参戦ウィリアムズ入りはFOCA会長バーニー・エクレストンのアイデア画策らしいとの事ですが?セナも1993年F1活動休止ほのめかしていた時に、ブラジル🇧🇷同朋大先輩だったエマーソン・フィティパルディからの薦めも有ってロジャー・ペンスキー代表ペンスキー・シボレーのインディーカーに実際乗り込んで試乗ドライブしましたね‼️このペンスキー・シボレーのインディーカーマシンがマルボロ赤白カラーだったので一瞬マクラーレンMP4マシンと見違えるほどでした‼️おそらくマルボロの親会社フィリップモリスの宣伝企画によるモノかと?マイケルの父マリオ・アンドレッティもエマーソン・フィティパルディもF1とインディアンーカー両方タイトル獲得した偉大なるドライバーでしたね‼️
テスト回数を増やす方向性に持って行けないのアンドレッティの存在感、プロストはウィリアムズから10000Kmテストに対してはマクラーレンから追加テストを引き出せないアンドレッティ。アンドレッティ3戦連続リタイア+セナをフル参戦に方向性に変えたい+テストに真剣なハッキネンを出場させたいが、マイケル・アンドレッティの運命を決めた気がします。南アフリカとブラジルとドミントンの結果に付いて、ミカ・ハッキネンとゲルハルト・ベルガーとカール・ベンドリンガーに意見を求めてみたいです。MP4/8のテストはセナとハッキネンでやっていそうです。
@@Supra52-j5d シーズン序盤に接触ばかりしたのも、立場を余計に危うくしたの間違いないでしょう。
@ogaso-web ハッキネン支持層がチーム内に出来たのもありそうです。
@@ogaso-web チーム内にハッキネン支持層が出来てハッキネンをレースに出そう論が出来たそうで、マクラーレン関係者じゃなくてもアメリカ路線は自分も合わないのでセナ指数を引き上げました。
アンドレッティをマクラーレンから追い出すことしか考えてないデニスがアンドレッティがテストしたいと言ったところで受け入れてくれるか?という疑問はある。
@@山坂沙武朗 テストチームの関係者がロン・デニスに進言した様ですね。
セナが予定通り1年休養して、ハッキネンとアンドレッティのコンビで1年を戦ったらどうなったんだろうか、という興味はありますね。
@@polarismissing_you7057 プロストが走ってるのに、セナが走らないで我慢できたかどうか、そちらが気になります。休んだ場合マクラーレンの成績はかなり地味になりますかね。
アンドレッティの名誉を守ってくれてありがとうございます当時なんて我儘自分勝手な出鱈目な契約だよと思てました
@@タイちゃん-l3w こちらこそコメントありがとうございます。来たれアンドレッティ!と待ち望んでたはずなのに、と私も不思議に思います。
アンドレッティが想定外だったのは当初ハッキネンはウィリアムズ入りするはずだったのにウィリアムズがチョンボして【93年の事前エントリーを忘れ93年シーズンにエントリーするには全チームの承認が必要でハッキネンを引き抜かれそうだったロータスが承認をごねたことによりウィリアムズ入りが破談に】マクラーレンに来てしまったことよねセナはウィリアムズとの破談後休養やインディ行きをチラつかせてたとはいえパワーあるいいエンジンなら残るつもりだったろうしただハッキネンがウィリアムズ入りしてたとしても94年にマクラーレンはハーバートとも交渉してる【こちらもロータスのコリンズがあの手この手を使い破談に】ので解雇は待ったナシだったと思いますがね
93年の総集編のサンマリノGPでの城達也さんのナレーションが思い出深いです。「マイケル、バリアンテ・アルタの手前でもう一回仕掛けるが立ち上がりで膨らんでしまう・・・そして最後はクローバーの花の中」力なく終わっていくところに加えてこのナレーションで思わず笑ってしまいましたが、本人は悪戦苦闘してたんですね😥パッシブサスのマシンで戦っていたらどんな戦績を残したでしょうかね?
@@zmaster432 パッシブならもうちょっとマシだったような気はします。
タイヤの幅が変わったのが可哀想だったな
@@bvr-f4t あれタイヤで余計に乗りづらかったでしょうね、他のドライバーにも不評でした。
いろんな事情があるにせよ実際見てたらあんな走りじゃ到底無理だろうなとは思った。とにかく他人に絡んでいったりと危なすぎた印象。
@@user-detteiu 他のCARTドライバーもほとんどが苦労しましたから、やはりF1の方がハイレベルということですね。
そもそもモントーヤやヴィルヌーヴやマンセルの適応能力が桁違いなだけでマシンの形状もパーツもレースディスタンスもまるまる違うので苦戦するのは当然なんですよね当時スチールブレーキを使用していたCARTとカーボンブレーキのF1オーバルが多いのでドラフティングを多用するCART と高速コースやストレート以外はコーナーでしか抜けないF1タイヤのインチも違いますから
プロスト、ビルヌーブみたいにたくさんテストさせないとダメですね。
@@アイミーブ 走り込まなくちゃ誰でも無理ですよね。
とんだ一杯喰わせ者になっちゃいました😅😅😅
F1の世界で孤立していた印象がありますね。マイケル奥さんが「奥さん組合を作ろう!」と呼び掛けてたのもマイナスな心証を与えてたような。本来ロンデニスなりがもっと守ってあげるべきだったんでしょうけど。
@@508gou 奥さんはかなりキャラが強かったようですね、アメリカ流を持ち込みすぎましたかね。
@@508gou アメリカでは妻がレースに帯同するのが普通だが、ヨーロッパでは表には出てこないのが普通だと教えてあげないといけないんだけど。
@@山坂沙武朗日本で言うところの「郷に行っては郷に従え」は海外だと悪いイメージで見られますからね。
@@508gou ちなみにその妻とは離婚していて、今の妻は3人目です。
この年のマクラーレンで自動車文化の欧米戦状態に成りました、レースはアメリカのはシルベスター・スタローンかトム・クルーズの主演映画でEUはF-1とWECとWRCで向かい撃つ感じで。日米で同一メーカー同一車種で、日本圧勝でしたし。マイケル・アンドレッティを差し引いてもアメリカ方式の自動車文化は合わないです、アメリカは米軍と航空機製造メーカー組が猛威を振るってる印象に成りましたよ。
イタリアでセナ離脱がアナウンスされ、次戦ポルトガルでは速攻乗り替わりでしたね。来季セナはもういない、そして期待のハッキネンはセナの跡目を継げる器なのか否か?を早急に判断する必要がありましたからね。
ウィートマッシュがアル・アンサーjrの名前を挙げたのはアンサーjrがF1に乗る気がないから。インディ500では父アルsrが4勝、父の兄ボビー・アンサーが3勝してるのにアンサーjrは92年にようやくインディ500初優勝したばかりだし、ボビーの息子ロビー・アンサーなどアンサー家のレーサーが次々と失敗に終わったのでアンサー家最後の砦として、アンサーjrがインディカーから離れることは不可能だっただろう。
@@山坂沙武朗 アンサー家はそんな事情があったんですね、知りませんでした。情報ありがとうございます。
@ogaso-web F1参戦の可能性がほぼないのにF1に試し乗りをしたのは、もしかしたらアンサー家のプレッシャーから解放されたいという願望があったのかもしれない。
@@ogaso-web その後、アンサーjrは息子のアンサー3世の育成に失敗、3世はレーサーをあきらめて不動産会社に就職。アンサー家のレーサーとしての血統は途絶えてしまった。
@山坂沙武朗 そうなんですか、知りませんでした。ほっといてもレーサーになりそうなのに、難しいものですね。
@@ogaso-web アンサーjrはデビューしてすぐに好成績を残したけどその才能は受け継がれなかったですね。
拝見しました。当時CARTチャンピオンがF1に来るので非常に楽しみでした。ローリングスタートとの違いが成績に繋がらなかったのかと思ってましたがテストさせてもらえなかったとは。残念です(+_+)
@@bluebluewood たしかにローリングスタートとの違いによる不慣れも大きいですね!それもすっかり忘れてました。
@ogaso-web 返信ありがとうございます。テストが少なかった事に衝撃を受けました!ジャックヴィルヌーヴもF1参戦時にかなりの時間テストしてましたね(+_+)
@@bluebluewood こちらこそありがとうございます。ジャックは相当走り込んでたので、あれなら活躍できるかなと思います。個人的にはあまり速いドライバーだとは思えないです。
CART転向直後のマンセルもローリングスタートに慣れるまで時間が掛かり、インディ500では最後のリスタートで失敗して優勝を逃しましたからね。また、94年のフランスGPでF1に復帰したときは、派手にひホイルスピンをしてスタートに失敗してましたね。
@@和弘-h6n やはりスタート方法が違うと感覚を掴むのは難しいんですね。
なんだかんだでマクラーレンにも問題があったけど、アンドレッティにも問題があった。アンドレッティがイギリスもしくはヨーロッパに住んでいれば、もう少しマクラーレンのマシンに慣れていたはず。
アンドレッティが92年のフェラーリに迎えられていたら、お家騒動に巻き込まれるだけですね。おそらく、ハッキネンに比べて年俸が高すぎたんでしょうね。セナもものすごい金額を吹っかけてきたから、ロンとしても、どうしようもなかったらしいです。金策が大変だったらしいですからね。おそらく、マールボロだけでなく、フォードからの圧力もあったと思いますからね。
@@伊藤宏憲-y4u 年俸が高かったんですかね?たしかにハッキネンよりは高そうです。フォードも関わってたとすれば、結局最新エンジンをなかなか貰えなくて、あまり意味がなかったような気もします。
@@ogaso-web フォードの契約を結んだときにお古のエンジンだったから、そんなことはないと思いますが、セナの法外な年俸を考えると、マイケルの契約上の金額を出すことが困難だったというのが本音ですね。エクレストンだったか忘れましたが、某レース関係者という人の発言では、ロンは銀行強盗もしかねないような顔つきだったというコメントがありました。ベルガーより高額だったんですかね?
@@伊藤宏憲-y4u ベルガーよりも高いなら、お高いですね。どこかの後押しがあったのなら、実際高い金額だったのでしょう。
@@ogaso-web 年俸はそんなに貰ってないはず。アンドレッティは身包み剥がされてアメリカに戻りました。契約条項に予選でセナとのタイム差で減俸される条項があったらしい(うろ覚え)。
😅シーズン前の「グラトク」の1993年3月号?の記事だった。冒頭ページにセナがインディを試乗した記事を見た時は驚いたな。エマーソンの紹介でペンスキーのマルボロカラーに乗るセナには何の違和感もなかった。マクラーレンのマシンとそっくりだった。逆にマイケルがマクラーレンに入るから、セナとマンセルが今度はインディで競り合う可能性があるかもと思ったな。ただ、可能性は低いかと。マイケルは予選ではそこそこ速かったが、序盤でクラッシュが多くてあまり期待できなくなってしまった。他チームの間では今日は何周持つかと賭けの対象になる始末。皮肉にも最期のレースでようやく表彰台だった。クルマの違いを理由に挙げているが、アメリカからの通勤参戦でF1慣れできなかったかと思う。ニューヨークからロンドンは当時、超音速のコンコルドが飛んでいて4時間で行くことができた。マイケルは「コンコルド通勤」をしていた。コンコルドだとすぐそばからヘリで急ぐこともできたのでマイケルは多分そうしただろう。なお、1985年にアメリカとイギリスで同時開催された世界規模のチャリティーライブ「ライブ・エイド」(日本からは小田和正と矢沢永吉が中継参加し両会場の大画面で放映)ではフィル・コリンズがコンコルドを利用し両会場にハシゴ出演した。ジャッキー・スチュワードが雑誌「GPX」のインタビューで、F1の水に慣れろ、母国に帰るのはクリスマス位でよいという言葉を話していた。デビュー前は、「毎回記事になるドライバーになりたい」とヤル気満々だったかと思うが、2輪GP500の片山敬済みたいにヨーロッパに住んで参戦していたら少しは違ったかもしれない。ひょっとしたらイギリスやヨーロッパに対してなにがしかの引け目や偏見もあったのかなぁ?名前はイタリア系だから、それこそ1992年にフェラーリに入って無茶苦茶な迷車F92Aで暴れてもらった方が案外よかった?ホンダロスとリアタイヤのサイズ感を心配した1993年だったが、セナの達人ぶりと鈴木亜久里の予選順位が面白かった年だった。マクラーレンのアクティブサスを入手して、それこそ良いフットワークだった。余談だが、昔のグラトクや雑誌はまだまだたくさん手元にあります。
ブラジルGPオープニングラップの派手な大クラッシュでよう生還したな、と思う
顔面BigMac😁ゴツイ人かと思ったら、体重は50kg代だったんだな🤔
@@balmst3445 身長は低いんですね、私ももっと巨漢かと思いました。
あまりふれられてないけど、カナダGPでのマクラーレン側の失態はないよね。バッテリーが充電されていないなんて‥名門チームとしては‥ありえない。せっかくの北米圏でのレースを台無したマクラーレン‥。アンドレッティのモチベーションもだだ下がりしたはず。
@@あつしくん-g3s そんなひどい理由でしたか!知りませんでした。
報われなかったのではなく、甘く見ていた。セナやプロストと張り合えると思っていた。
事前に大口を叩いていたらしいですね、それも嫌われた一因なのか。
マクラーレンはセナが5勝したものの散々だった
マイケルはフェラーリに行っといた方がマクラーレンよりもマシだったと思うわ。
顔面ビックマックですね。あの頃の古舘は顔面シリーズにハマってましたけど、どれもなかなか面白い。
@@鍛冶屋-w6m 走るマクドナルドも言われてましたよね。おもろいです。
ニューマンハースって頂点のチームから苦労知らず乗り込んだから、環境が違いすぎて大変だったんでしょうか?近年のキャデラックF1プロジェクトでもぞんざいな扱い見てると、ちょっと癖のある方なのかな?
逆に89年に43歳でアルアンサーjrに勝ったエマーソンフィッティパルディ闘争心化け物かよチーム起こさなかったら少なくとも86年頃でも現役やったやろ…
余談ですが?2輪世界GP500王者のエディ・ローソンは2輪引退した後に4輪レースに転向してインディーカーの下位カテゴリーになるvしたけれども事故で負傷しましたね‼️マイケルはF1では成果を出ませんでしたがインディーカーの名手です‼️F1で成功したからと言ってインディーでも上手く行くとは限らない?プロストはインディーカーには興味無く感心も無いでしょうね?おそらく‼️
@@中村佳己-t4r エディ・ローソンは4輪に挑戦しましたね!忘れてました。プロストはインディに全く興味なさそうですね。
@ogaso-web 様想像ですが、プロストはインディーカーをF1よりも劣るカテゴリーと見なしているのでは無いかと?決してインディーカーがF1に引けを取らないカテゴリーだと思っています‼️見方によってはF1よりも優れている部分有るかと?互いに切磋琢磨して影響受け合いながら良い所を取り入れる‼️F1で見かけなくなったドライバーがインディーカーシリーズ参戦で目撃すると何だか嬉しくて懐かしい気分になったりしましたね‼️エディ・チーバーやステファン・ヨハンソンなど?
@@中村佳己-t4rレイシストのバレストルに影響されてたからな、そもそもフランス自体が湾岸戦争でイラク側についたような国だし。
ガードナーは日本でトムスからGTに参戦してましたね、プライベートでやらかしたのが残念。
@maruhiroya417 GT選手権で活躍してましたよね。なぜか逮捕されてましたね、気性が荒いのかな?
マイケル・アンドレッティには申し訳ないけど、彼はF1のサーキットで闘うには明らかにスキル不足(ドライビングテクニック・レースの駆け引き含め)92年にフェラーリからデビューしてたかもしれないと言う話は初耳でしたが、もし、マクラーレンではなくアンドレッティが92年のフェラーリのマシンに乗っていたら、もっと悲惨な状況だったと思います。当時のフェラーリはエンジンのパワー不足に加え、シャシーも不安定でコーナリングにしてもシビアなマシンで、あのJ・アレジやE・カペリですら、マシンをドライブするのに手こずっていましたから・・・アンドレッティがフェラーリF92Aに乗っていたら、完走どころか、全レース、リタイアに終わっていた可能性大だったですね。確かに1年間、世界各国のサーキットを転戦するF1において、アメリカの自宅から通勤というスタイルでは、各レースごとにわざわざアメリカから移動しなければならないし、その移動時間の間にマシンのテスト走行する時間もあっただろうけど、それも出来なかった。マーティン・ウィットマース氏がおっしゃる事もわかる気がしますよね。😫
背景、裏事情は色々あったにせよ、レースで結果を出せなかったことが全てかとチームの手抜き?によるマシントラブル頻発での低迷ならばまだしも、実際は接触連発による低迷な訳で、まがりなりにも「F1パイロット」なら不慣れなアクティブカーでもぶつからない走りくらいはできる筈当時に比べて、より安全を重んじる近年以降ならばチームに先んじてFIAがライセンスを取り上げた可能性もある。(井出有治の如し)
@@信-d5m まあ、たしかにいきなり乗ってもそれなりに走れるドライバーがトップドライバーなので、そこまでではないのかなと。今ならスーパーライセンス取り下げは審議されそうですね。
…あれかな‥せめてここ数年の出来のいいシミュレータなんかででも走り込めていたら…なんてこの動画を見て思いました‥。 あとアクティブサスにも言えますね、もっと性能のいいコンピュータがあったら…というのは‥😔💧…。
ブルーオーバルのワークスが一番の理由じゃなかった?マクラーレン商業的にアメリカに目を向いていたのは事実だけど
元々、ブルース御大がCan-Amで無双してた時代という下地があるからアメリカでのマクラーレン人気は絶大ですしね。
よくもまあ、コクピットに収まったなって感想しかなかった。
ポストベルガーとも言われてたかな?
@@yassnko2615 言われてましたね、結果で見るとベルガーの圧勝ですが。
テキスト読み上げた後に「はい」って言う癖は無くした方が良いですよ。雑に聞こえます。数少ない硬派なコンテンツなので、長く続くことを期待しています。
@@Nikaidougaikich そうですか、わかりました。今後も頑張ります!
ある意味06年の井出よりひどい。
@@user-ri5vh6es3t 井出選手の時は処分がやたらと早かったです、やはり日本人には差別?かと思います。
1992年にアクティブサスのF1でチャンピオンになった翌年の1993年にパッシブサスのCARTでチャンピオンになったナイジェル・マンセルの適応能力が凄かったことが分かりました。
@@Joseph-Henri 当時は私も侮ってました。今はマンセルを尊敬してます。
@@ogaso-web 様
マンセル自身も1992年F1世界王者獲得出来たのがアクティブサスペンションFW14Bだったからと言う世間の見方を払拭してドライバーの実力で勝ち取った事をインディーカーシリーズで証明したかったのでは無かったでしょうか?
特に「ウィリアムズFW14Bであれば誰でも世界王者になれる?」と豪語したフランク・ウィリアムズ卿に対して強烈アピールしたかったのでは?
そのマンセルもF1が懐かしくなって1994年スポット参戦する事に?しかも古巣ウィリアムズで‼️
スタート後、一周回って戻ってくる前にどっかでコースアウトしてたイメージしかない
@@thekus5939 クラッシュして宙を舞ってたので、かなり危険でもありました。
フィリップ・モリスだけでなく、フォードのプッシュもあったみたいです
当初フォードはマクラーレンにもっと早いタイミングでワークスエンジンを供給する予定でしたが、ブリアト-レの妨害にあってしまい供給が遅れましたが…
ロン・デニスとフォード(コスワ-ス)の間で「約束が違うじゃないか💢」みたいな揉め事に巻き込まれてしまった感が有りましたね。
@@孫悟空-q5i そうですか、フォードの後押しもやはりあったんですね。
これ、翌年についても触れると良かったのではと思います。
インディに復帰したマイケル・アンドレッティはマンセルとの直接対決となった開幕戦ではマンセルを下しレイナードとチップ・ガナッシチームの初勝利というオマケ付きで飾りシーズンではペンスキーの3台につぐ4位。
一方、セナはイタリアで事故死、マクラーレンとハッキネンは1勝もできない、プジョーとも1年だけで決別という散々な結果でしたね。
@@nf-104 翌年のインディ開幕戦はそうでしたか、本人としてはリベンジできたんですね!すっかり忘れてました。
違うカテゴリーのF1に挑戦チャレンジするのは素晴らしい事だけれども、
やはり慣れ親しんだインディーカーの方が「水に馴染む?」って事でしょうか?
両方制覇したドライバーが数少ない事でも分かりますね‼️
エマーソン・フィッティパルディ、マリオ・アンドレッティ、ナイジェル・マンセルなど
ジャックみたいにしっかりテストさせてれば結果は違ってたと思います。
@@fujimu0001 ジャックはしっかり走りこんだ上に最速マシン、恵まれていました。
翌年について動画作って頂けたらなぁと。
翌年のインディでのマイケルとマンセルとの直接対決について触れたチャンネルって多分無いと思います。
もうひとりインディーカー王者でマイケルのライバルに当たるアル・アンサーJrですが、ウィリアムズからの招待受けてFW14もしくはFW14Bのデモドライブした画像記事を見たような記憶が有りました?
時期的にマイケルがマクラーレンでF1参戦する前だったかも知れないですが、おそらく話題造りのための企画だけで本当にウィリアムズはアル・アンサーJrを正式にレギュラードライバーとして契約して参戦させる雰囲気は全く感じられませんでした‼️
マンセルがインディーカーに転向したりマイケルがF1挑戦するなど?
F1とインディーカーの交流が盛んだった頃だった気がしましたね‼️
後にウィリアムズがインディーカー王者のジャック・ビルヌーブを正式ドライバーとして迎えるのは数年先になりますが?
@@中村佳己-t4r マンセルは楽勝で乗りこなしてましたね。そこはさすがと思いました。アル・アンサーJrはウイリアムズに試乗したんですか、まあたしかに何かの宣伝という要素が強いでしょうね。
ビルヌーブがF1に来たのは、ロスマンズからの意向なんですかね?初テストでたいして速くなかったのに雇われたのが不思議です。
@ogaso-web 様
ハイテク満載のF1マシンからオーソドックス古典的なインディーカーが逆にマンセルにとっては新鮮に感じたのかも知れないですね?‼️笑
それでもマンセルは楕円形オーバルコースは初めての経験だったので少しずつ慣れる必要有ったようですね‼️
所属チームのニューマン・ハース・ローラでチームメイトであるマリオ・アンドレッティからオーバルコース攻略のアドバイス受けたでしょうね‼️
ジャック・ビルヌーブの1996年F1参戦ウィリアムズ入りはFOCA会長バーニー・エクレストンのアイデア画策らしいとの事ですが?
セナも1993年F1活動休止ほのめかしていた時に、ブラジル🇧🇷同朋大先輩だったエマーソン・フィティパルディからの薦めも有って
ロジャー・ペンスキー代表ペンスキー・シボレーのインディーカーに実際乗り込んで試乗ドライブしましたね‼️
このペンスキー・シボレーのインディーカーマシンがマルボロ赤白カラーだったので一瞬マクラーレンMP4マシンと見違えるほどでした‼️
おそらくマルボロの親会社フィリップモリスの宣伝企画によるモノかと?
マイケルの父マリオ・アンドレッティもエマーソン・フィティパルディも
F1とインディアンーカー両方タイトル獲得した偉大なるドライバーでしたね‼️
テスト回数を増やす方向性に持って行けないのアンドレッティの存在感、プロストはウィリアムズから10000Kmテストに対してはマクラーレンから追加テストを引き出せないアンドレッティ。
アンドレッティ3戦連続リタイア+セナをフル参戦に方向性に変えたい+テストに真剣なハッキネンを出場させたいが、マイケル・アンドレッティの運命を決めた気がします。
南アフリカとブラジルとドミントンの結果に付いて、ミカ・ハッキネンとゲルハルト・ベルガーとカール・ベンドリンガーに意見を求めてみたいです。
MP4/8のテストはセナとハッキネンでやっていそうです。
@@Supra52-j5d シーズン序盤に接触ばかりしたのも、立場を余計に危うくしたの間違いないでしょう。
@ogaso-web ハッキネン支持層がチーム内に出来たのもありそうです。
@@ogaso-web チーム内にハッキネン支持層が出来てハッキネンをレースに出そう論が出来たそうで、マクラーレン関係者じゃなくてもアメリカ路線は自分も合わないのでセナ指数を引き上げました。
アンドレッティをマクラーレンから追い出すことしか考えてないデニスが
アンドレッティがテストしたいと言ったところで受け入れてくれるか?という疑問はある。
@@山坂沙武朗 テストチームの関係者がロン・デニスに進言した様ですね。
セナが予定通り1年休養して、ハッキネンとアンドレッティのコンビで1年を戦ったらどうなったんだろうか、という興味はありますね。
@@polarismissing_you7057 プロストが走ってるのに、セナが走らないで我慢できたかどうか、そちらが気になります。休んだ場合マクラーレンの成績はかなり地味になりますかね。
アンドレッティの名誉を守ってくれてありがとうございます
当時なんて我儘自分勝手な出鱈目な契約だよと思てました
@@タイちゃん-l3w こちらこそコメントありがとうございます。来たれアンドレッティ!と待ち望んでたはずなのに、と私も不思議に思います。
アンドレッティが想定外だったのは当初ハッキネンはウィリアムズ入りするはずだったのにウィリアムズがチョンボして【93年の事前エントリーを忘れ93年シーズンにエントリーするには全チームの承認が必要でハッキネンを引き抜かれそうだったロータスが承認をごねたことによりウィリアムズ入りが破談に】マクラーレンに来てしまったことよね
セナはウィリアムズとの破談後休養やインディ行きをチラつかせてたとはいえパワーあるいいエンジンなら残るつもりだったろうし
ただハッキネンがウィリアムズ入りしてたとしても94年にマクラーレンはハーバートとも交渉してる【こちらもロータスのコリンズがあの手この手を使い破談に】ので解雇は待ったナシだったと思いますがね
93年の総集編のサンマリノGPでの城達也さんのナレーションが思い出深いです。
「マイケル、バリアンテ・アルタの手前でもう一回仕掛けるが立ち上がりで膨らんでしまう・・・そして最後はクローバーの花の中」
力なく終わっていくところに加えてこのナレーションで思わず笑ってしまいましたが、本人は悪戦苦闘してたんですね😥
パッシブサスのマシンで戦っていたらどんな戦績を残したでしょうかね?
@@zmaster432 パッシブならもうちょっとマシだったような気はします。
タイヤの幅が変わったのが可哀想だったな
@@bvr-f4t あれタイヤで余計に乗りづらかったでしょうね、他のドライバーにも不評でした。
いろんな事情があるにせよ実際見てたらあんな走りじゃ到底無理だろうなとは思った。とにかく他人に絡んでいったりと危なすぎた印象。
@@user-detteiu 他のCARTドライバーもほとんどが苦労しましたから、やはりF1の方がハイレベルということですね。
そもそもモントーヤやヴィルヌーヴやマンセルの適応能力が桁違いなだけでマシンの形状もパーツもレースディスタンスもまるまる違うので苦戦するのは当然なんですよね
当時スチールブレーキを使用していたCARTとカーボンブレーキのF1
オーバルが多いのでドラフティングを多用するCART と高速コースやストレート以外はコーナーでしか抜けないF1
タイヤのインチも違いますから
プロスト、ビルヌーブみたいにたくさんテストさせないとダメですね。
@@アイミーブ 走り込まなくちゃ誰でも無理ですよね。
とんだ一杯喰わせ者になっちゃいました😅😅😅
F1の世界で孤立していた印象がありますね。マイケル奥さんが「奥さん組合を作ろう!」と呼び掛けてたのもマイナスな心証を与えてたような。
本来ロンデニスなりがもっと守ってあげるべきだったんでしょうけど。
@@508gou 奥さんはかなりキャラが強かったようですね、アメリカ流を持ち込みすぎましたかね。
@@508gou
アメリカでは妻がレースに帯同するのが普通だが、ヨーロッパでは表には出てこないのが普通だと教えてあげないといけないんだけど。
@@山坂沙武朗
日本で言うところの「郷に行っては郷に従え」は海外だと悪いイメージで見られますからね。
@@508gou
ちなみにその妻とは離婚していて、今の妻は3人目です。
この年のマクラーレンで自動車文化の欧米戦状態に成りました、レースはアメリカのはシルベスター・スタローンかトム・クルーズの主演映画でEUはF-1とWECとWRCで向かい撃つ感じで。
日米で同一メーカー同一車種で、日本圧勝でしたし。
マイケル・アンドレッティを差し引いてもアメリカ方式の自動車文化は合わないです、アメリカは米軍と航空機製造メーカー組が猛威を振るってる印象に成りましたよ。
イタリアでセナ離脱がアナウンスされ、次戦ポルトガルでは速攻乗り替わりでしたね。
来季セナはもういない、そして期待のハッキネンはセナの跡目を継げる器なのか否か?を早急に判断する必要がありましたからね。
ウィートマッシュがアル・アンサーjrの名前を挙げたのはアンサーjrがF1に乗る気がないから。
インディ500では父アルsrが4勝、父の兄ボビー・アンサーが3勝してるのに
アンサーjrは92年にようやくインディ500初優勝したばかりだし、ボビーの息子ロビー・アンサーなどアンサー家のレーサーが次々と失敗に終わったので
アンサー家最後の砦として、アンサーjrがインディカーから離れることは不可能だっただろう。
@@山坂沙武朗 アンサー家はそんな事情があったんですね、知りませんでした。情報ありがとうございます。
@ogaso-web
F1参戦の可能性がほぼないのにF1に試し乗りをしたのは、もしかしたらアンサー家のプレッシャーから解放されたいという願望があったのかもしれない。
@@ogaso-web
その後、アンサーjrは息子のアンサー3世の育成に失敗、3世はレーサーをあきらめて不動産会社に就職。
アンサー家のレーサーとしての血統は途絶えてしまった。
@山坂沙武朗 そうなんですか、知りませんでした。ほっといてもレーサーになりそうなのに、難しいものですね。
@@ogaso-web
アンサーjrはデビューしてすぐに好成績を残したけどその才能は受け継がれなかったですね。
拝見しました。当時CARTチャンピオンがF1に来るので非常に楽しみでした。
ローリングスタートとの違いが成績に繋がらなかったのかと思ってましたがテストさせてもらえなかったとは。残念です(+_+)
@@bluebluewood たしかにローリングスタートとの違いによる不慣れも大きいですね!それもすっかり忘れてました。
@ogaso-web 返信ありがとうございます。
テストが少なかった事に衝撃を受けました!ジャックヴィルヌーヴもF1参戦時にかなりの時間テストしてましたね(+_+)
@@bluebluewood こちらこそありがとうございます。ジャックは相当走り込んでたので、あれなら活躍できるかなと思います。個人的にはあまり速いドライバーだとは思えないです。
CART転向直後のマンセルもローリングスタートに慣れるまで時間が掛かり、インディ500では最後のリスタートで失敗して優勝を逃しましたからね。
また、94年のフランスGPでF1に復帰したときは、派手にひホイルスピンをしてスタートに失敗してましたね。
@@和弘-h6n やはりスタート方法が違うと感覚を掴むのは難しいんですね。
なんだかんだでマクラーレンにも問題があったけど、アンドレッティにも問題があった。アンドレッティがイギリスもしくはヨーロッパに住んでいれば、もう少しマクラーレンのマシンに慣れていたはず。
アンドレッティが92年のフェラーリに迎えられていたら、お家騒動に巻き込まれるだけですね。おそらく、ハッキネンに比べて年俸が高すぎたんでしょうね。セナもものすごい金額を吹っかけてきたから、ロンとしても、どうしようもなかったらしいです。金策が大変だったらしいですからね。おそらく、マールボロだけでなく、フォードからの圧力もあったと思いますからね。
@@伊藤宏憲-y4u 年俸が高かったんですかね?たしかにハッキネンよりは高そうです。フォードも関わってたとすれば、結局最新エンジンをなかなか貰えなくて、あまり意味がなかったような気もします。
@@ogaso-web フォードの契約を結んだときにお古のエンジンだったから、そんなことはないと思いますが、セナの法外な年俸を考えると、マイケルの契約上の金額を出すことが困難だったというのが本音ですね。エクレストンだったか忘れましたが、某レース関係者という人の発言では、ロンは銀行強盗もしかねないような顔つきだったというコメントがありました。ベルガーより高額だったんですかね?
@@伊藤宏憲-y4u ベルガーよりも高いなら、お高いですね。どこかの後押しがあったのなら、実際高い金額だったのでしょう。
@@ogaso-web
年俸はそんなに貰ってないはず。
アンドレッティは身包み剥がされて
アメリカに戻りました。
契約条項に予選でセナとのタイム差
で減俸される条項があったらしい
(うろ覚え)。
😅シーズン前の「グラトク」の1993年3月号?の記事だった。冒頭ページにセナがインディを試乗した記事を見た時は驚いたな。
エマーソンの紹介でペンスキーのマルボロカラーに乗るセナには何の違和感もなかった。マクラーレンのマシンとそっくりだった。逆にマイケルがマクラーレンに入るから、セナとマンセルが今度はインディで競り合う可能性があるかもと思ったな。ただ、可能性は低いかと。
マイケルは予選ではそこそこ速かったが、序盤でクラッシュが多くてあまり期待できなくなってしまった。他チームの間では今日は何周持つかと賭けの対象になる始末。皮肉にも最期のレースでようやく表彰台だった。
クルマの違いを理由に挙げているが、アメリカからの通勤参戦でF1慣れできなかったかと思う。
ニューヨークからロンドンは当時、超音速のコンコルドが飛んでいて4時間で行くことができた。
マイケルは「コンコルド通勤」をしていた。コンコルドだとすぐそばからヘリで急ぐこともできたのでマイケルは多分そうしただろう。
なお、1985年にアメリカとイギリスで同時開催された世界規模のチャリティーライブ「ライブ・エイド」(日本からは小田和正と矢沢永吉が中継参加し両会場の大画面で放映)ではフィル・コリンズがコンコルドを利用し両会場にハシゴ出演した。
ジャッキー・スチュワードが雑誌「GPX」のインタビューで、F1の水に慣れろ、母国に帰るのはクリスマス位でよいという言葉を話していた。
デビュー前は、「毎回記事になるドライバーになりたい」とヤル気満々だったかと思うが、2輪GP500の片山敬済みたいにヨーロッパに住んで参戦していたら少しは違ったかもしれない。
ひょっとしたらイギリスやヨーロッパに対してなにがしかの引け目や偏見もあったのかなぁ?
名前はイタリア系だから、それこそ1992年にフェラーリに入って無茶苦茶な迷車F92Aで暴れてもらった方が案外よかった?
ホンダロスとリアタイヤのサイズ感を心配した1993年だったが、セナの達人ぶりと鈴木亜久里の予選順位が面白かった年だった。マクラーレンのアクティブサスを入手して、それこそ良いフットワークだった。余談だが、昔のグラトクや雑誌はまだまだたくさん手元にあります。
ブラジルGPオープニングラップの派手な大クラッシュでよう生還したな、と思う
顔面BigMac😁
ゴツイ人かと思ったら、体重は50kg代だったんだな🤔
@@balmst3445 身長は低いんですね、私ももっと巨漢かと思いました。
あまりふれられてないけど、
カナダGPでのマクラーレン側
の失態はないよね。
バッテリーが充電されていない
なんて‥名門チームとしては‥
ありえない。
せっかくの北米圏でのレースを
台無したマクラーレン‥。
アンドレッティのモチベーション
もだだ下がりしたはず。
@@あつしくん-g3s そんなひどい理由でしたか!知りませんでした。
報われなかったのではなく、甘く見ていた。
セナやプロストと張り合えると思っていた。
事前に大口を叩いていたらしいですね、それも嫌われた一因なのか。
マクラーレンはセナが5勝したものの散々だった
マイケルはフェラーリに行っといた方がマクラーレンよりもマシだったと思うわ。
顔面ビックマックですね。
あの頃の古舘は顔面シリーズにハマってましたけど、どれもなかなか面白い。
@@鍛冶屋-w6m 走るマクドナルドも言われてましたよね。おもろいです。
ニューマンハースって頂点のチームから苦労知らず乗り込んだから、環境が違いすぎて大変だったんでしょうか?近年のキャデラックF1プロジェクトでもぞんざいな扱い見てると、ちょっと癖のある方なのかな?
逆に89年に43歳でアルアンサーjrに勝ったエマーソンフィッティパルディ闘争心化け物かよチーム起こさなかったら少なくとも86年頃でも現役やったやろ…
余談ですが?
2輪世界GP500王者のエディ・ローソンは2輪引退した後に4輪レースに転向してインディーカーの下位カテゴリーになるvしたけれども事故で負傷しましたね‼️
マイケルはF1では成果を出ませんでしたがインディーカーの名手です‼️
F1で成功したからと言ってインディーでも上手く行くとは限らない?
プロストはインディーカーには興味無く感心も無いでしょうね?
おそらく‼️
@@中村佳己-t4r エディ・ローソンは4輪に挑戦しましたね!忘れてました。
プロストはインディに全く興味なさそうですね。
@ogaso-web 様
想像ですが、プロストはインディーカーをF1よりも劣るカテゴリーと見なしているのでは無いかと?
決してインディーカーがF1に引けを取らないカテゴリーだと思ってい
ます‼️
見方によってはF1よりも優れている部分有るかと?
互いに切磋琢磨して影響受け合いながら良い所を取り入れる‼️
F1で見かけなくなったドライバーがインディーカーシリーズ参戦で目撃すると何だか嬉しくて懐かしい気分になったりしましたね‼️
エディ・チーバーやステファン・ヨハンソンなど?
@@中村佳己-t4r
レイシストのバレストルに影響されてたからな、そもそもフランス自体が湾岸戦争でイラク側についたような国だし。
ガードナーは日本でトムスからGTに参戦してましたね、プライベートでやらかしたのが残念。
@maruhiroya417 GT選手権で活躍してましたよね。なぜか逮捕されてましたね、気性が荒いのかな?
マイケル・アンドレッティには申し訳ないけど、彼はF1のサーキットで闘うには明らかにスキル不足
(ドライビングテクニック・レースの駆け引き含め)92年にフェラーリからデビューしてたかもしれないと
言う話は初耳でしたが、もし、マクラーレンではなくアンドレッティが92年のフェラーリのマシンに乗って
いたら、もっと悲惨な状況だったと思います。当時のフェラーリはエンジンのパワー不足に加え、シャシーも
不安定でコーナリングにしてもシビアなマシンで、あのJ・アレジやE・カペリですら、マシンをドライブする
のに手こずっていましたから・・・アンドレッティがフェラーリF92Aに乗っていたら、完走どころか、
全レース、リタイアに終わっていた可能性大だったですね。確かに1年間、世界各国のサーキットを転戦する
F1において、アメリカの自宅から通勤というスタイルでは、各レースごとにわざわざアメリカから移動
しなければならないし、
その移動時間の間にマシンのテスト走行する時間もあっただろうけど、それも出来なかった。
マーティン・ウィットマース氏がおっしゃる事もわかる気がしますよね。😫
背景、裏事情は色々あったにせよ、レースで結果を出せなかったことが全てかと
チームの手抜き?によるマシントラブル頻発での低迷ならばまだしも、実際は接触連発による低迷な訳で、まがりなりにも「F1パイロット」なら不慣れなアクティブカーでもぶつからない走りくらいはできる筈
当時に比べて、より安全を重んじる近年以降ならばチームに先んじてFIAがライセンスを取り上げた可能性もある。(井出有治の如し)
@@信-d5m まあ、たしかにいきなり乗ってもそれなりに走れるドライバーがトップドライバーなので、そこまでではないのかなと。
今ならスーパーライセンス取り下げは審議されそうですね。
…あれかな‥せめてここ数年の出来のいいシミュレータなんかででも走り込めていたら…なんてこの動画を見て思いました‥。 あとアクティブサスにも言えますね、もっと性能のいいコンピュータがあったら…というのは‥😔💧…。
ブルーオーバルのワークスが一番の理由じゃなかった?マクラーレン商業的にアメリカに目を向いていたのは事実だけど
元々、ブルース御大がCan-Amで無双してた時代という下地があるからアメリカでのマクラーレン人気は絶大ですしね。
よくもまあ、コクピットに収まったなって感想しかなかった。
ポストベルガーとも言われてたかな?
@@yassnko2615 言われてましたね、結果で見るとベルガーの圧勝ですが。
テキスト読み上げた後に「はい」って言う癖は無くした方が良いですよ。雑に聞こえます。数少ない硬派なコンテンツなので、長く続くことを期待しています。
@@Nikaidougaikich そうですか、わかりました。今後も頑張ります!
ある意味06年の井出よりひどい。
@@user-ri5vh6es3t 井出選手の時は処分がやたらと早かったです、やはり日本人には差別?かと思います。