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大変貴重な動画の公開をありがとうございました。フルート学習者としてたくさん学ぶことがありました。歴史と音もそうでしたが、とくに最後の応力を取る方法は初めて聞くことばかりで驚きの連続でした。ドルチェ楽器さんの取り組みにも感心し、試奏に行ってみたいと思いました。👏👏👏👍👍👍
有田さんの為になるフルートの歴史の話から、フルートメーカーのくだらない販売戦略の話になったのは残念でした。飽和状態になっているフルート産業の販売戦略に、皆さんも惑わされないように!
「フュルステナウ式多鍵フルートの音楽性は、ベーム式フルートの利便性、機能性に優る」とのパリ高等音楽院の判断には納得です。あまりにも均等すぎるベーム式フルートの音色に比べ、音域によって音色が変化するフュルステナウ式多鍵フルートは、、いくらモーツァルトに「この楽器にはイライラさせられる」と酷評されても、18世紀的美学で敢えて不均等が良しとされたタンギングが人間の心の陰影を反映しているようで好感が持てる。特にシューベルト時代のウィーンの場合には、晩年のベートーヴェンやシューベルトが愛したコンラート・グラーフのハンマーフリューゲルの音色が、音域によって弦やハンマーの材質を変えて音色に変化させていたから、合わせるのならどうしてもフュルステナウ式多鍵フルートでなければ合わない。これをモダンのピアノとベーム式フルートに置き換えてしまうと、魅力が半減してしまう。-そもそも、キーのない本来のフルートは、ブロックフレーテや竜笛などの和楽器同様、指使いもシンプル。ベーム式フルートの指使いは、興味深いことに、特殊なトリル用のキーなどを除けば、この本来の指使いに回帰している。ならば、フュルステナウ式多鍵フルートのあの複雑怪奇な指使いは、いったい何のためだったのか、ということですよ。私には、敢えて音色に複雑な陰影をつけて、表情を豊かにするためだったように思えてなりません。それを合理性重視で、わざわざすべての穴にキーを取り付けて、すべての音を均等にだせるようにするなんて。しかもそのために大掛かりなキーを取り付けているから、ベーム式フルート反応が遅くなるのではありませんか?*****「楽器は軽い方が吹きやすく、演奏に集中できる」という点について。私がウィーンのドロテウムの楽器オークションで競り落とした20世紀初頭のランポール(フランス製?)の楽器、洋銀に銀メッキのH管のベーム式フルートなのですが、頭部菅に何と、複数の天然石で装飾された悪魔の頭部の彫刻が3つもついているのです。当然、頭部菅だけで物凄く重い。C管に替えるための別の足部管が別にあり、そちらを使う場合には、バランスをとるために、装飾のない軽い頭部菅に付け替えられるようになっている。頭部菅と足部管を交換してC管にすれば、当然楽器は遥かに軽くなる。でも、オリジナルの悪魔の彫刻が就いた重い頭部菅を付けてH管にした時の方が、なぜか音色に深みがあるように感じるのです。-私はフルート制作者でも、フルーティストでもないので、この違いがどこから来るのかはわかりません。でも、この時代の欧州で、「フルートは軽い方がいい」とは必ずしも思わない価値観があったのは確かですね。確かにキーが何もついていない本来の木製のフルートは軽い。でも、素材には、黒檀など、密度が高くて比較的重い木や、象牙などがこのんで使われていたわけでしょう? 水晶製のフルートもありませんでしたっけ?金属の中でも重い金がベーム式フルートで好まれるのも、機能性ではなく、少なくとも音色的には、「軽ければいい」わけでは必ずしもないからだと思います。-まぁ、日本の場合には、フルートを吹く人は若くて華奢な女性が多いのだろうから、私がドロテウムで競り落としたようなずっしりと重い楽器は好まれないのかもしれませんね。でも欧州人は体格が日本人とは異なし、職業音楽家の多くは伝統的に男性。だからそもそも、そのくらいの楽器の重さは何とも思わないような人達がフルートを吹いていたのかもしれませんし。
大変貴重な動画の公開をありがとうございました。フルート学習者としてたくさん学ぶことがありました。歴史と音もそうでしたが、とくに最後の応力を取る方法は初めて聞くことばかりで驚きの連続でした。ドルチェ楽器さんの取り組みにも感心し、試奏に行ってみたいと思いました。👏👏👏👍👍👍
有田さんの為になるフルートの歴史の話から、フルートメーカーのくだらない販売戦略の話になったのは残念でした。
飽和状態になっているフルート産業の販売戦略に、皆さんも惑わされないように!
「フュルステナウ式多鍵フルートの音楽性は、ベーム式フルートの利便性、機能性に優る」とのパリ高等音楽院の判断には納得です。
あまりにも均等すぎるベーム式フルートの音色に比べ、音域によって音色が変化するフュルステナウ式多鍵フルートは、、いくらモーツァルトに「この楽器にはイライラさせられる」と酷評されても、18世紀的美学で敢えて不均等が良しとされたタンギングが人間の心の陰影を反映しているようで好感が持てる。
特にシューベルト時代のウィーンの場合には、晩年のベートーヴェンやシューベルトが愛したコンラート・グラーフのハンマーフリューゲルの音色が、音域によって弦やハンマーの材質を変えて音色に変化させていたから、合わせるのならどうしてもフュルステナウ式多鍵フルートでなければ合わない。
これをモダンのピアノとベーム式フルートに置き換えてしまうと、魅力が半減してしまう。
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そもそも、キーのない本来のフルートは、ブロックフレーテや竜笛などの和楽器同様、指使いもシンプル。ベーム式フルートの指使いは、興味深いことに、特殊なトリル用のキーなどを除けば、この本来の指使いに回帰している。
ならば、フュルステナウ式多鍵フルートのあの複雑怪奇な指使いは、いったい何のためだったのか、ということですよ。
私には、敢えて音色に複雑な陰影をつけて、表情を豊かにするためだったように思えてなりません。
それを合理性重視で、わざわざすべての穴にキーを取り付けて、すべての音を均等にだせるようにするなんて。しかもそのために大掛かりなキーを取り付けているから、ベーム式フルート反応が遅くなるのではありませんか?
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「楽器は軽い方が吹きやすく、演奏に集中できる」という点について。
私がウィーンのドロテウムの楽器オークションで競り落とした20世紀初頭のランポール(フランス製?)の楽器、洋銀に銀メッキのH管のベーム式フルートなのですが、頭部菅に何と、複数の天然石で装飾された悪魔の頭部の彫刻が3つもついているのです。
当然、頭部菅だけで物凄く重い。C管に替えるための別の足部管が別にあり、そちらを使う場合には、バランスをとるために、装飾のない軽い頭部菅に付け替えられるようになっている。
頭部菅と足部管を交換してC管にすれば、当然楽器は遥かに軽くなる。でも、オリジナルの悪魔の彫刻が就いた重い頭部菅を付けてH管にした時の方が、なぜか音色に深みがあるように感じるのです。
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私はフルート制作者でも、フルーティストでもないので、この違いがどこから来るのかはわかりません。
でも、この時代の欧州で、「フルートは軽い方がいい」とは必ずしも思わない価値観があったのは確かですね。
確かにキーが何もついていない本来の木製のフルートは軽い。でも、素材には、黒檀など、密度が高くて比較的重い木や、象牙などがこのんで使われていたわけでしょう? 水晶製のフルートもありませんでしたっけ?
金属の中でも重い金がベーム式フルートで好まれるのも、機能性ではなく、少なくとも音色的には、「軽ければいい」わけでは必ずしもないからだと思います。
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まぁ、日本の場合には、フルートを吹く人は若くて華奢な女性が多いのだろうから、私がドロテウムで競り落としたようなずっしりと重い楽器は好まれないのかもしれませんね。
でも欧州人は体格が日本人とは異なし、職業音楽家の多くは伝統的に男性。だからそもそも、そのくらいの楽器の重さは何とも思わないような人達がフルートを吹いていたのかもしれませんし。