ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
やっぱり、日々、後から後から起きてくるいろいろな問題に対して、誠実に思考し、国民に問題の難しさも説明しながら、それでもこう決断したよということを政治のトップが見せてゆくなら、変に何かを隠しているんじゃないかと常に疑われる政治より国民がずっと一体感を持てるんじゃないかと思う。
宮台さんのこの話を聞くと「君より可愛くて良い子僕よりずっと優しい人そんなのいくらでもいるよ君の心が嫌だった僕は心が痛かったでも君が好きだった」My hair is badって言う若者に人気のロックバンドの歌詞を思い出す
生きる意味なんてものはないけど俺は楽しく生きていけると言えればいいが、厳しい現実は無能な僕を受け入れてくれない
自分を「代替可能な存在」と思ってしまうこと自体が現代病だよ。何でも「商品化」されてしまったツケだね。
どんどん決まりきった仕事は、機械化されるし、AIが解決していくし。なので〇〇さんが作ったとかが、価値が出てくる時代のような気がする。 もちろん、ひとまず安い物に飛びつくというのは、続くと思うけど。
天才的なピッチャーがいてもバッターが打ってくれないとチームは永遠に勝てない。天才的なバッターがいてもピッチャーが打たれてそれ以上に点を入れられればチームは負ける。90年代以降の日本という国はいつもこれで、勝てない巨人のようなもので、選手のスペック値だけを追い求めてチームとして負け続けてる。なぜなら監督が自分達がやっている事のゲーム性を理解していないから。
不誠実な社会に対して誠実である必要などない
必要な時に必要な能力だけカスタマイズできる社会になって、人材らが採用の競争すると不誠実な社会に対して誠実である必要などないが、誠実である偽装の仮面はかぶるだろうね。誠実に見えた人がある日突然仮面を外すことが横行して疑心暗鬼になりそう。
ジョーカーってどう言う意味?詳しく教えて
社会に不誠実に対応してる人に対して、誠実な環境は与えられない。誠実、と捉える誠実さ。
@@lemoncake9353仰ることは理解できますが、綺麗ごとだと思いますね私はそれを愚直としか思えないです
@@jy6713 へー
* 不可分の権利* 保守主義(西部邁が言っていた意味の保守)天皇の話と昭和30年代懐古の話が挟まってなんだか分からなくなってしまった。昭和ではない脱臭された社会は、何でもお金で変える社会、何でも合理的価値として測れる社会になっているって意味?
私もよく考えますが、この役割は自分じゃなくてもいいというのは、どこか生きる意味も失ってしまいそうになりながら過ごしています。
@@akilucksonda1904 入れ替え可能で草
現在はそれを通り越し、肉体を持つ事が嫌になっていますね。また他人が肉体を持つ事を許さないようになっています
狂ってますね
引きこもりだけどどうしたらいいですか?精神疾患の症状で働けなくて終わってる人間としての生活ができないまま生かされてるような感覚です。
精神疾患さんに早起きはむずいから、運動だけしてみて 生活リズム変わるから
今日は玄関の方向に5歩歩きましょう。次の日は玄関の近くまで行きましょう。次の日は玄関まで行きましょう。次の日は靴を出してみましょう。次の日は靴を片方だけ履きましょう。それだけで全然OK。そこまで行った自分を褒めればよい。いきなり外に出ることはない。みんなそうやって成長したのです。もう一度学べばいい。昨日の自分が背中を後押ししてくれます。
〜だからは入れ替え可能になるのか。薄くはいいけど、濃ゆくは危なくなるのか。社会的な実りあるコミュニケーションが大切。
ありがとうございます。可能であればソース、または年月日場所イベントタイトル同席者などあるとありがたいです。神保さんいるからViewNews関係?
宮台さんの話は濃いな💦私もフィールドワークが好きなので女性に他に可愛い子はいくらでもいるでしょということはよく言われる。
宮台さんはやっぱり深い❤斎藤環は表面的な思考で常に違和感があった…。
社会、コワイヨ!
人は自分の物語を生きていい。そのためには社会を利用してもいい。そのための場所があるならそれがいいが、別になくても人は一人でも自分の物語を生きられる。別に悪い方に捉える必要はない。嫌な役をやらされるバスならさっさと降りちまえばいい。徒歩で行けばいいのさ。
映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲
ふふってなった❤
テーマとして社会問題化してそれぞれの市とか、またはabemaTVとかTwitterなどで議論してもいいけど、それをしないならしないで、家賃下げて精神的に不健康になった人は休んでもらう、で良いんじゃない?別に必要とするされる、必要としないされない、の二通りの日本人を同じところに長く置いておく必要ないじゃん。自信持てなきゃ1年数万とかで家で趣味の時間に没頭しながら、安く生活してけばいい。食費も光熱費も下げて、家賃も下げれば全て解決ー。・・・え?出来ない、無理だって?なら、宮台さんの言ってた日本社会の問題、これからもずっと永遠に続くことなー
宮台×神保×香山
この内容・・・。日本企業、会社の中で「宮台真司さんの仰ってるその指摘、うちでは全く問題ないよ」と言いきれる、クリアーしているとこってあるんだろうか・・・( ^ω^)あるならその市、会社近くに直ぐにでも引っ越ししたい。
入替可能のニヒリズムな
天皇と国民の労働意識、自己肯定感がどう具体的に関連してるのか?と思ったけど、不安と笑い、この日本人の特性を前半の内容とつなぎ合わせると、「中庸」の本質が見えてきて、天皇のあり方、象徴としての役割(と自分)というところが見えてくるね。こういうのは100年前から変わってないのだと思う。日本人が民主主義のレベルを1(仮定)から2へと永遠に高め切れていない要因。選民思想、空気読め、能力を活かせ、これらはそれぞれの個人、県民性、社訓などそういったところからルーツとして出てきてはいない。あくまでも天皇を中心として我々は、となる。個が消える。単細胞な個しか残らなくなる。優秀な兵隊蟻、ってところだな。なるほどね。この内容を何時か竹田恒泰さんに解説、語ってもらいたい。まあ、うん。
ポルシェとかバカでも中古でローン組んで乗ってるからあんま価値ないよな。会社にいた911乗ってるオッサンはローンきついみたいで毎日すき家で牛丼くってたよ。
逃れないと自由じゃないけど、逃げると自分もない。
利己的な自分を超えて、利他的になれる事はより自由です。自分を犠牲にしても誰かを守ろうとする事ができる方が真に己があるなと思う。と思っていたら今読んでいる見田宗介の本にその事が。
約束を守るから自分があるんじゃなく、約束を破るから自分があるんだよ、とのジョージ秋山の言葉も。
実人生で守るべき人がいない人にとっては利他性は実感を持たない空虚な幻想でしょう。ポスト構造主義以降、主体も客体も解体され、誰も世界の外には出れないし、誰も自己や言葉の檻からは自由ではない。しかし目の前にいる大事な誰かを守る事ができる、守りたいと思う事も出来ないようなヤツにどんな己があり何の自由があるのか。仮に最終的に全ては幻想だとしても引き受ける事に(宮台用語で言えば)閉ざされへの開かれがある。言語的規定で世界や自己の外に立てると思う事こそ奴隷。逆に体験質として、言葉では規定できない圧倒的なクオリアや、カテゴリーを超えて相手の存在と一体になる感覚は、外からやってくるものを示してやまない。今それが問題になっている。成長過程で言うと、利己的な子供時代に始まって、社会的義務や非合理な身体性の限界による全能感からの覚まされで一段大人になる。しかしさらに、与えられた使命をただこなすのではなく、自分が引き受けるという構えに転じると社会性を獲得した大人になる。大事なのは二番目の過程で自意識に目覚める際、やむにやまれぬ内発性に突き動かされる事や命の非合理に向き合う事の葛藤(人を好きになる事や死のようなモノへの直面)が無ければ、中身のない自動機械のクズな大人になるし、内面の衝動と社会的抑圧やコントロールの体得とが噛み合わず、折り合いがつかないと様々な弊害や時として犯罪につながる(天才的な才能にもつながるかも)。
純粋な利他とか、絶対的な自己とか、客観的な外部現実とか、純粋な絵画自体とか、純粋な即興、というのはモダニズムの終わりに解体され尽くして否定された。それ自体がコントロール厨だから。カントも批判されヘーゲル→フッサール→ハイデガー→ウィトゲンシュタイン→ポスト構造主義というように。でも今再び言語的規定を超えた〈存在〉が問題になっている。
やっぱり、日々、後から後から起きてくるいろいろな問題に対して、誠実に思考し、国民に問題の難しさも説明しながら、それでもこう決断したよということを政治のトップが見せてゆくなら、変に何かを隠しているんじゃないかと常に疑われる政治より国民がずっと一体感を持てるんじゃないかと思う。
宮台さんのこの話を聞くと
「君より可愛くて良い子
僕よりずっと優しい人
そんなのいくらでもいるよ
君の心が嫌だった
僕は心が痛かった
でも君が好きだった」
My hair is badって言う若者に人気のロックバンドの歌詞を思い出す
生きる意味なんてものはないけど俺は楽しく生きていけると言えればいいが、厳しい現実は無能な僕を受け入れてくれない
自分を「代替可能な存在」と思ってしまうこと自体が現代病だよ。何でも「商品化」されてしまったツケだね。
どんどん決まりきった仕事は、機械化されるし、AIが解決していくし。なので〇〇さんが作ったとかが、価値が出てくる時代のような気がする。
もちろん、ひとまず安い物に飛びつくというのは、続くと思うけど。
天才的なピッチャーがいてもバッターが打ってくれないとチームは永遠に勝てない。
天才的なバッターがいてもピッチャーが打たれてそれ以上に点を入れられればチームは負ける。
90年代以降の日本という国はいつもこれで、勝てない巨人のようなもので、選手のスペック値だけを追い求めてチームとして負け続けてる。
なぜなら監督が自分達がやっている事のゲーム性を理解していないから。
不誠実な社会に対して誠実である必要などない
必要な時に必要な能力だけカスタマイズできる社会になって、人材らが採用の競争すると
不誠実な社会に対して誠実である必要などないが、誠実である偽装の仮面はかぶるだろうね。
誠実に見えた人がある日突然仮面を外すことが横行して疑心暗鬼になりそう。
ジョーカーってどう言う意味?詳しく教えて
社会に不誠実に対応してる人に対して、誠実な環境は与えられない。
誠実、と捉える誠実さ。
@@lemoncake9353
仰ることは理解できますが、綺麗ごとだと思いますね
私はそれを愚直としか思えないです
@@jy6713 へー
* 不可分の権利
* 保守主義(西部邁が言っていた意味の保守)
天皇の話と昭和30年代懐古の話が挟まってなんだか分からなくなってしまった。
昭和ではない脱臭された社会は、何でもお金で変える社会、何でも合理的価値として測れる社会になっているって意味?
私もよく考えますが、この役割は自分じゃなくてもいいというのは、どこか生きる意味も失ってしまいそうになりながら過ごしています。
@@akilucksonda1904 入れ替え可能で草
現在はそれを通り越し、肉体を持つ事が嫌になっていますね。また他人が肉体を持つ事を許さないようになっています
狂ってますね
引きこもりだけどどうしたらいいですか?精神疾患の症状で働けなくて終わってる人間としての生活ができないまま生かされてるような感覚です。
精神疾患さんに早起きはむずいから、運動だけしてみて 生活リズム変わるから
今日は玄関の方向に5歩歩きましょう。
次の日は玄関の近くまで行きましょう。
次の日は玄関まで行きましょう。
次の日は靴を出してみましょう。
次の日は靴を片方だけ履きましょう。
それだけで全然OK。
そこまで行った自分を褒めればよい。
いきなり外に出ることはない。
みんなそうやって成長したのです。
もう一度学べばいい。
昨日の自分が背中を後押ししてくれます。
〜だからは入れ替え可能になるのか。
薄くはいいけど、濃ゆくは危なくなるのか。
社会的な実りあるコミュニケーションが大切。
ありがとうございます。可能であればソース、または年月日場所イベントタイトル同席者などあるとありがたいです。
神保さんいるからViewNews関係?
宮台さんの話は濃いな💦私もフィールドワークが好きなので女性に他に可愛い子はいくらでもいるでしょということはよく言われる。
宮台さんはやっぱり深い❤
斎藤環は表面的な思考で常に違和感があった…。
社会、コワイヨ!
人は自分の物語を生きていい。そのためには社会を利用してもいい。そのための場所があるならそれがいいが、別になくても人は一人でも自分の物語を生きられる。別に悪い方に捉える必要はない。
嫌な役をやらされるバスならさっさと降りちまえばいい。
徒歩で行けばいいのさ。
映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲
ふふってなった❤
テーマとして社会問題化してそれぞれの市とか、またはabemaTVとかTwitterなどで議論してもいいけど、それをしないならしないで、家賃下げて精神的に不健康になった人は休んでもらう、で良いんじゃない?別に必要とするされる、必要としないされない、の二通りの日本人を同じところに長く置いておく必要ないじゃん。自信持てなきゃ1年数万とかで家で趣味の時間に没頭しながら、安く生活してけばいい。食費も光熱費も下げて、家賃も下げれば全て解決ー。・・・え?出来ない、無理だって?なら、宮台さんの言ってた日本社会の問題、これからもずっと永遠に続くことなー
宮台×神保×香山
この内容・・・。日本企業、会社の中で「宮台真司さんの仰ってるその指摘、うちでは全く問題ないよ」と言いきれる、クリアーしているとこってあるんだろうか・・・( ^ω^)あるならその市、会社近くに直ぐにでも引っ越ししたい。
入替可能のニヒリズムな
天皇と国民の労働意識、自己肯定感がどう具体的に関連してるのか?と思ったけど、不安と笑い、この日本人の特性を前半の内容とつなぎ合わせると、「中庸」の本質が見えてきて、天皇のあり方、象徴としての役割(と自分)というところが見えてくるね。こういうのは100年前から変わってないのだと思う。日本人が民主主義のレベルを1(仮定)から2へと永遠に高め切れていない要因。選民思想、空気読め、能力を活かせ、これらはそれぞれの個人、県民性、社訓などそういったところからルーツとして出てきてはいない。あくまでも天皇を中心として我々は、となる。個が消える。単細胞な個しか残らなくなる。優秀な兵隊蟻、ってところだな。なるほどね。この内容を何時か竹田恒泰さんに解説、語ってもらいたい。まあ、うん。
ポルシェとかバカでも中古でローン組んで乗ってるからあんま価値ないよな。会社にいた911乗ってるオッサンはローンきついみたいで毎日すき家で牛丼くってたよ。
逃れないと自由じゃないけど、逃げると自分もない。
利己的な自分を超えて、利他的になれる事はより自由です。
自分を犠牲にしても誰かを守ろうとする事ができる方が真に己があるなと思う。と思っていたら今読んでいる見田宗介の本にその事が。
約束を守るから自分があるんじゃなく、約束を破るから自分があるんだよ、とのジョージ秋山の言葉も。
実人生で守るべき人がいない人にとっては利他性は実感を持たない空虚な幻想でしょう。
ポスト構造主義以降、主体も客体も解体され、誰も世界の外には出れないし、誰も自己や言葉の檻からは自由ではない。
しかし目の前にいる大事な誰かを守る事ができる、守りたいと思う事も出来ないようなヤツにどんな己があり何の自由があるのか。仮に最終的に全ては幻想だとしても引き受ける事に(宮台用語で言えば)閉ざされへの開かれがある。言語的規定で世界や自己の外に立てると思う事こそ奴隷。
逆に体験質として、言葉では規定できない圧倒的なクオリアや、カテゴリーを超えて相手の存在と一体になる感覚は、外からやってくるものを示してやまない。今それが問題になっている。
成長過程で言うと、利己的な子供時代に始まって、社会的義務や非合理な身体性の限界による全能感からの覚まされで一段大人になる。しかしさらに、与えられた使命をただこなすのではなく、自分が引き受けるという構えに転じると社会性を獲得した大人になる。
大事なのは二番目の過程で自意識に目覚める際、やむにやまれぬ内発性に突き動かされる事や命の非合理に向き合う事の葛藤(人を好きになる事や死のようなモノへの直面)が無ければ、中身のない自動機械のクズな大人になるし、内面の衝動と社会的抑圧やコントロールの体得とが噛み合わず、折り合いがつかないと様々な弊害や時として犯罪につながる(天才的な才能にもつながるかも)。
純粋な利他とか、絶対的な自己とか、客観的な外部現実とか、純粋な絵画自体とか、純粋な即興、というのはモダニズムの終わりに解体され尽くして否定された。それ自体がコントロール厨だから。
カントも批判されヘーゲル→フッサール→ハイデガー→ウィトゲンシュタイン→ポスト構造主義というように。
でも今再び言語的規定を超えた〈存在〉が問題になっている。