しきのてつや
しきのてつや
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外宮の神の正体 ~豊受大神の謎を解く~
今回は謎に包まれた伊勢外宮の神、豊受大神について考察していきます。
#外宮、#伊勢神宮、#豊受大神、#豊受大御神、#卑弥呼、#台与、#豊鍬入姫、#垂仁天皇、#倭姫
มุมมอง: 16 630

วีดีโอ

邪馬台国東遷説は有りなのか? 吉備編
มุมมอง 15K2 หลายเดือนก่อน
今回は卑弥呼の出身地と神武東征の謎について考察していきます。 #卑弥呼、#邪馬台国、#誓約、#神武東征、#饒速日、#長髄彦、#箸墓古墳、#吉備、#岡山、#楯築、#墳丘墓
邪馬台国東遷説は有りなのか? 九州北部編
มุมมอง 15K4 หลายเดือนก่อน
今回は卑弥呼の出身地について考察していきます。 #卑弥呼、#邪馬台国、#誓約、#四道将軍、#孝元天皇、#彦国牽、#東遷説、#纏向、
崇神天皇は暗殺されたのか? 天岩戸と天孫降臨の謎を解く
มุมมอง 16K5 หลายเดือนก่อน
今回は崇神天皇と垂仁天皇の時代について考察していきます。 #卑弥呼、#邪馬台国、#崇神天皇、#垂仁天皇、#天忍穂耳、#瓊瓊杵、#ニニギ、#天孫降臨、#葦原中国 今回の動画内の記紀の現代語訳の部分はウェブサイト<古代日本.com>から引用させていただいています。kodainippon.com/
卑弥呼死後の内戦はなぜ起こったのか? 開化天皇に隠された謎を解く
มุมมอง 18K6 หลายเดือนก่อน
今回はミステリアスな天皇である開化天皇の謎に迫っていきます。 #卑弥呼、#開化天皇、#孝霊天皇、#孝元天皇、#天照大神、#スサノオ、#武埴安彦
欠史八代は実在した2 卑弥呼の兄弟と天照大神の兄弟神
มุมมอง 18K8 หลายเดือนก่อน
今回は卑弥呼の兄弟と天照大神の兄弟神の関係を考察していきます。 #卑弥呼、#百襲姫、#天照大神、#欠史八代、#孝霊天皇、#孝元天皇、#スサノオ、#ツクヨミ、#三貴子、#鬼退治
欠史八代は実在した 1 神世七代の神々
มุมมอง 18K9 หลายเดือนก่อน
今回は卑弥呼以前の大和の歴史を考察していきます。欠史八代の最初の六代の天皇を取り上げています。 #卑弥呼、#百襲姫、#天照大神、#欠史八代、#神世七代、#天地開闢、#孝霊天皇、#倭国大乱
箸墓の「はし」とは何か?
มุมมอง 18K10 หลายเดือนก่อน
箸墓古墳の「はし」とはいったい何であったのかを、箸墓伝説の内容を手がかりとして解き明かしていきます。 #卑弥呼、#箸墓古墳、#百襲姫、#日本書紀、#天照大神、#伊勢神宮、#心御柱
ミステリアスクイーン卑弥呼とは何者か 総集編
มุมมอง 17K11 หลายเดือนก่อน
これまで全10回の「ミステリアスクイーン卑弥呼とは何者か」の動画シリーズの総集編となります。これまでの動画を一度もご覧いただいていない方には分かりにくい内容かと思われますので、過去動画の方を先に観ていただくことをお勧めします。 <過去動画> 1回目 th-cam.com/video/dP88Bx6gCjg/w-d-xo.html 2回目 th-cam.com/video/mqBl55cnw7M/w-d-xo.html 3回目 th-cam.com/video/PYTHA3_KdzA/w-d-xo.html 4回目 th-cam.com/video/-8q8tYLxgv4/w-d-xo.html 5回目 th-cam.com/video/uMFJBmc2I0s/w-d-xo.html 6回目 th-cam.com/video/DWVJb5jGVUA/w-d-xo.html 7回目 th...
ミステリアスクイーン卑弥呼とは何者か 日本神話の謎を解く 6
มุมมอง 17Kปีที่แล้ว
邪馬台国の女王卑弥呼とはどのような人物だったのかを、記紀に残された日本神話から考察していきます。今回は封印された神とも呼ばれる瀬織津姫の正体に迫ることで、女王卑弥呼の謎を解き明かしていきたいと思います <過去動画> シリーズ 第1回(箸墓伝説編) th-cam.com/video/dP88Bx6gCjg/w-d-xo.html 前回動画 th-cam.com/video/nKrEVGCfbMY/w-d-xo.html #卑弥呼、#箸墓古墳、#百襲姫、#日本書紀、#天照大神、#伊勢神宮、#瀬織津姫、#棚機津女、#橋姫
ミステリアスクイーン卑弥呼とは何者か 日本神話の謎を解く 5
มุมมอง 16Kปีที่แล้ว
邪馬台国の女王卑弥呼とはどのような人物だったのかを、記紀に残された日本神話から解き明かしていきます。今回は卑弥呼没後の大和で起こった出来事と、天照大神がなぜ伊勢で祀られたのかということについて考えていきます。 <過去動画> シリーズ 第1回(箸墓伝説編) th-cam.com/video/dP88Bx6gCjg/w-d-xo.html 前回動画 th-cam.com/video/7xzehITz3mY/w-d-xo.html #卑弥呼、#箸墓古墳、#百襲姫、#日本書紀、#天照大神、#大神神社、#三輪山、#伊勢神宮、#台与、#倭姫 ※シリーズ動画のため、最初から順に観られている方へのネタバレ予防のためにコメント欄は封鎖しております。
ミステリアスクイーン卑弥呼とは何者か 日本神話の謎を解く 4
มุมมอง 16Kปีที่แล้ว
邪馬台国の女王卑弥呼とはどのような人物だったのかを、記紀に残された日本神話から解き明かしていきます。今回は日本書紀に残された百襲姫の記述について推理してみます。 参照サイト:kodainippon.com/日本書紀・現代日本語訳(完全訳)/ <次回動画> th-cam.com/video/nKrEVGCfbMY/w-d-xo.html <過去動画> シリーズ 第1回(箸墓伝説編) th-cam.com/video/dP88Bx6gCjg/w-d-xo.html 前回動画 th-cam.com/video/rLcGYBxX5-0/w-d-xo.html #卑弥呼、#箸墓古墳、#百襲姫、#日本書紀、#アマテラス、#天照大神、#大神神社、#大物主 ※シリーズ動画のため、最初から順に観られている方へのネタバレ予防のためにコメント欄は封鎖しております。
ミステリアスクイーン卑弥呼とは何者か 日本神話の謎を解く 3
มุมมอง 16Kปีที่แล้ว
邪馬台国の女王卑弥呼とはどのような人物だったのかを、記紀に残された日本神話から解き明かしていきます。今回は神武東征と天照大神の起源となった太陽神ついて考察していきます。 <次回動画> th-cam.com/video/7xzehITz3mY/w-d-xo.html <過去動画> 箸墓古墳編 第1回 th-cam.com/video/dP88Bx6gCjg/w-d-xo.html 日本神話編 第1回 th-cam.com/video/uMFJBmc2I0s/w-d-xo.html #卑弥呼、#箸墓古墳、#百襲姫、#日本書紀、#アマテラス、#天照大神、#神武東征 ※シリーズ動画のため、最初から順に観られている方へのネタバレ予防のためにコメント欄は封鎖しております。
ミステリアスクイーン卑弥呼とは何者か 日本神話の謎を解く 2
มุมมอง 16Kปีที่แล้ว
邪馬台国の女王卑弥呼とはどのような人物だったのかを、記紀に残された日本神話から解き明かしていきます。今回は天照大神とスサノオの物語の謎について推理してみます。 <次回動画> th-cam.com/video/rLcGYBxX5-0/w-d-xo.html <過去動画> 箸墓古墳編 第1回 th-cam.com/video/dP88Bx6gCjg/w-d-xo.html 日本神話編 第1回 th-cam.com/video/uMFJBmc2I0s/w-d-xo.html #卑弥呼、#箸墓古墳、#百襲姫、#日本書紀、#アマテラス、#天照大神、#スサノオ、#誓約、#天岩戸 ※シリーズ動画のため、最初から順に観られている方へのネタバレ予防のためにコメント欄は封鎖しております。
ミステリアスクイーン卑弥呼とは何者か 日本神話の謎を解く 1
มุมมอง 16Kปีที่แล้ว
邪馬台国の女王卑弥呼とはどのような人物だったのかを、記紀に残された日本神話から解き明かしていきます。 <次回動画> th-cam.com/video/DWVJb5jGVUA/w-d-xo.html <過去動画> 第1回 th-cam.com/video/dP88Bx6gCjg/w-d-xo.html 第2回 th-cam.com/video/mqBl55cnw7M/w-d-xo.html 第3回 th-cam.com/video/PYTHA3_KdzA/w-d-xo.html 第4回 th-cam.com/video/-8q8tYLxgv4/w-d-xo.html #卑弥呼、#箸墓古墳、#魏志倭人伝、#百襲姫、#日本書紀、#アマテラス、#天照大神、#三貴子、#ツクヨミ、#スサノオ、#伊勢 ※シリーズ動画のため、最初から順に観られている方へのネタバレ予防のためにコメント欄は封鎖しております。
ミステリアスクイーン卑弥呼とは何者か 箸墓伝説の謎を解く 4
มุมมอง 17Kปีที่แล้ว
ミステリアスクイーン卑弥呼とは何者か 箸墓伝説の謎を解く 4
ミステリアスクイーン卑弥呼とは何者か 箸墓伝説の謎を解く 3
มุมมอง 18Kปีที่แล้ว
ミステリアスクイーン卑弥呼とは何者か 箸墓伝説の謎を解く 3
ミステリアスクイーン卑弥呼とは何者か 箸墓伝説の謎を解く 2
มุมมอง 17Kปีที่แล้ว
ミステリアスクイーン卑弥呼とは何者か 箸墓伝説の謎を解く 2
ミステリアスクイーン卑弥呼とは何者か 箸墓伝説の謎を解く 1
มุมมอง 23Kปีที่แล้ว
ミステリアスクイーン卑弥呼とは何者か 箸墓伝説の謎を解く 1

ความคิดเห็น

  • @ur-a-la
    @ur-a-la 3 วันที่ผ่านมา

    吉備、若武彦、末裔はここにいますよ

  • @關知佐子-b9c
    @關知佐子-b9c 8 วันที่ผ่านมา

    しかも、天皇は神の子孫だったのは、神后で終わりであると。

  • @關知佐子-b9c
    @關知佐子-b9c 8 วันที่ผ่านมา

    だからー、古事記とか、日本紀なんて、都合良く書かれているんです。神様が皆、違うって、言います。アマテル神は男神だし。中心の神ではないですよ。

  • @lebaronde3204
    @lebaronde3204 12 วันที่ผ่านมา

    垂仁天皇は日葉酢媛以下5人と結婚した際、竹野媛が不細工だからと送り返し、竹野媛は帰国途中で自殺しました。磐之媛を送り返して呪われたニニギと同じことしてますね。垂仁天皇=ニニギ説の補強です。

  • @洋介佐藤-f8f
    @洋介佐藤-f8f 28 วันที่ผ่านมา

    大変興味深く見せてもらいました。 外宮の禰宜さんが創建当時から明治の神宮改革まで、づっと度会氏(磯部氏)でしたが、ひょっとすると豊鍬入姫様と婚姻関係を結び、伊勢の地を大和朝廷に差し出したという仮説も立ちも考えられます。 今回の動画が初見でしたが、過去の動画も拝見させてもらいます。

  • @朽木涼-d5j
    @朽木涼-d5j 28 วันที่ผ่านมา

    とてもためになる考察ですね! なるほど!・・・卑弥呼は「太陽」神の声を聴く巫女(日の巫女)だとして・・・ 「豊」鍬入姫だから、魏志倭人伝で「台与(とよ)」の表音の当て字なのかな!🤔 それで、初代(卑弥呼:天照として)と次代(台与:豊受として)を『伊勢神宮』を創って祀った。 大陸(魏)に倣い、近代化のため、人の手による政治・統治を目指し、旧来の(神託)神による「政」を「宗教:象徴」として切り離し、脱却したのね。 ( ' ω ')o" ☀( •̄ ω •̄ )

  • @MrKohsin
    @MrKohsin หลายเดือนก่อน

    素晴らしい考察ありがとうございます。これまですべて見てきました。これからも楽しみにしています。

    • @shikino-kl3zp9ds4e
      @shikino-kl3zp9ds4e หลายเดือนก่อน

      ありがとうございます。大変励みになります。

  • @lebaronde3204
    @lebaronde3204 หลายเดือนก่อน

    孝元の妻・武埴安媛タケハニヤスヒメと、開化の妻・丹波竹野媛タニハタカノヒメは、竹と武の読み、そして名前全体の読みに共通点が多く、武埴安媛=丹波竹野媛の可能性がある。また、開化と丹波竹野媛の息子・彦湯産隅命と、異母兄弟の彦坐王は、日本書紀の異説で、ともに丹波道主の父とされており、彦坐王=彦湯産隅命の可能性がある。とすれば、祖母・丹波竹野媛と孫・丹波道主は、ともに丹波にゆかりがあり、元伊勢籠神社の宮司家として現存する、天火明の後裔氏族である可能性が考えられる。

    • @lebaronde3204
      @lebaronde3204 หลายเดือนก่อน

      一方、孝元の妻・欝色謎と、大綜麻杵の兄妹は、饒速日を祖とする物部系の人物であり、百襲媛(貴チャンネルでは女性偽装説ですが、祭祀で神を降ろせるのは女性のみと信じられていた古代においては、偽装を試みたというのは大いに納得できます)の死後、丹波系を母に持つ皇族と、物部系を母に持つ皇族の間に起きた内紛が、武埴安彦の乱なのではないか、というのが自説です。

    • @lebaronde3204
      @lebaronde3204 หลายเดือนก่อน

      また、それぞれの豪族の位置関係を考えると、物部系は饒速日の時代、北九州よりはじまり、大綜麻杵の時代には妻・阿波良姫の在地・阿波に位置した。大綜麻杵の妹・欝色謎と、娘・伊香色謎が、丹波系にはじまる皇族の孝元と婚姻関係にあったことを考えると、丹波系も、この時代、丹波から四国の阿波に移動していた可能性がある(理由は倭国大乱で丹波から阿波に避難していたのだろうか。そうだとすれば倭国大乱は、かなり広域の紛争だったと考えられる)。

    • @lebaronde3204
      @lebaronde3204 หลายเดือนก่อน

      倭国大乱には、少なくとも2つの時期があると、個人的には考えており、おおざっぱに言うと、卑弥呼前・卑弥呼後だと思う。 卑弥呼前の倭国大乱では、阿波に位置する丹波系(孝元)と物部系(大綜麻杵)が瀬戸の対岸の吉備と激突し、吉備津彦の活躍や、卑弥呼の祭祀により勝利するまで。卑弥呼後の倭国大乱は、先に述べた、通称・武埴安媛の乱。 卑弥呼後の倭国大乱の勝者は、物部系だと個人的には思う。開化・崇神の母が物部系であること、そして、丹波系と推定される日子坐王・丹波道主の父子より垂仁が5人の妃を迎えていることが、それを示唆していると考える。

  • @とりさん-c7h
    @とりさん-c7h หลายเดือนก่อน

    孝霊天皇の子、吉備津彦兄弟が温羅を討って吉備を征服しました。その頃対岸の讃岐に居たのが吉備津彦の姉、倭迹迹日百襲姫命。吉備の上東遺跡から大量の桃核が出土。その頃、吉備の人口が突如大きく減少している事。倭迹迹日百襲姫命はある年に「やまと」へ呼び戻されている事。初期の古墳には吉備と讃岐の古墳の特徴が強く入っている事。それらの事から東遷したのは吉備津彦の一族ではないか。そして大乱とは孝霊天皇の後継者争いでありましょう。

  • @岡電
    @岡電 2 หลายเดือนก่อน

    イワナガヒメと結婚しなかったせいで、不死から寿命があるようになってる途中だから200歳くらい生きても良いのでは?

  • @吉備磨剣
    @吉備磨剣 2 หลายเดือนก่อน

    いろいろなものを読んだり見たりしましたが、スッキリしました。共感度高い説です。 吉備の桃太郎伝説は、遷都後の話かもしれませんね。 吉備はその後何度もヤマトへの謀反で征伐されたのでしょうね。

  • @ゴーイチゴー丸
    @ゴーイチゴー丸 2 หลายเดือนก่อน

    この説も面白いですが、国生み神話は淡路島から始まって次が伊予の二名島…万葉集の歌とか普通に解釈すれば天武天皇くらいまでは四国の物語だったのかな〜と思ったりもしてます…

  • @hoisassa1234
    @hoisassa1234 2 หลายเดือนก่อน

    記紀を記した当時の関係者も魏志倭人伝は当然知っていた様です。日の巫女は罪人として処された。卑弥呼と変えられ 蔑まれたが、直後の天変地異(皆既日食)によってタタリ神となり恐れられた。天照の天岩戸伝説。あまの『イワト』 邪馬台国は、イワトに似た音韻でイバト国であり、茨城(イバラの命名エピソードは超古い)のこと。 後年の『隋書倭国伝』には、『今の邪薇台国は、昔の邪馬台国』とあり薇とはまさにイバラのこと。 罪人が神になったエピソードといえば、菅原道真ですが、卑弥呼も一緒です。大宰府も伊勢も藤原氏が一枚かんでます。 天照大御神も、伊勢も、記紀編纂も同時期であり、この一連は白村江の敗戦から神として防衛してもらう一大呪術です。 というのは妄想ですが、個人的に茨城説は今一番面白いので、是非いつか考察願いたいです。

  • @海原かもめ
    @海原かもめ 2 หลายเดือนก่อน

    とりあえず、思いついたことを言っておくのも、投資家な

  • @umiushi11
    @umiushi11 2 หลายเดือนก่อน

    別にあちこち移動していても良いんじゃない?

  • @MrKohsin
    @MrKohsin 2 หลายเดือนก่อน

    非常に興味深い考察と思います。邪馬台国はどこにあったかとよく話題になりますが、邪馬台国=大和国=ヤマト国でヤマト=ヤー・ウマト(神の民)ですから<神の民の国>がヤマト国になるわけでその意味では場所が移動したり複数あってもおかしな話ではありませんよね。まあ最終的には近畿の大和国になるわけですが。続編も楽しみにしています。

  • @mikumimic
    @mikumimic 3 หลายเดือนก่อน

    古代初級者ですがこういうのはどうでしょう。平城京の元が宮殿や住居の少ない政ごとのためと聞いたことがあります。畿内のどこかで四日市八日市みたいに集まる習慣があった。大名の江戸屋敷やインディアンの族長会議みたいな。交易や祭礼参加の目的で。神有り月に豪族神会議です。数千の兵を進めたのではなくて。そして部族長会議の議決数が3つと5つ。いやでもこれだと卑弥呼が負けかな。そこで反対派屋敷に突入だ。あるいは四方に四道将軍を進軍だ。     このこととは別に畿内人と九州人がうけいで同意とか通じる度合いに関心持ったし、九州人の軍事的進歩性の背景(戦術・運用)にも関心が向きました。

    • @shikino-kl3zp9ds4e
      @shikino-kl3zp9ds4e 3 หลายเดือนก่อน

      歴史は想像している時が一番楽しいですよね。誓約は選挙のようなものだったのではないかということは自分も考えたことがあります。

  • @mikumimic
    @mikumimic 3 หลายเดือนก่อน

    ヒミコによる孝元天皇の倒し方はどんなだろう。それぞれ年齢、母方の勢力地、官職なども知りたくなった。鬼道をもって治めたのは祭祀氏族なのか、女性の身代わりはいたのか、後宮千人は何歳のころだろうとか想像が刺激されます。

  • @mikumimic
    @mikumimic 3 หลายเดือนก่อน

    動画もコメントも興味深いです。青森三内丸山遺跡の柱と掘った穴が男性器と女性器。柱の木組み加工。諏訪の御柱祭りにしても古代の人はそういうことを重要視していただろう。  思春期の処女のひめ巫女に神とも等しい有力勢力の王族が訪問する。戦争よりも婚姻政策だ。御はしらや竹やヘビが刺さって身ごもった。人の妻になったことを失われた、死んだと皆はがっかり。では、孫娘に期待しようか。  既婚により話題性、巫女性が喪失。竹取物語では誰も選ばないで神性を保った。関係者は現実世界と神性を分けた。リアルでは娘、鏡、銅や鉄の剣、勾玉のネックレス、古墳土木技術、機織り技術を交流する。神性としては神道祭祀で古代の作法をし、民に暗喩や改変した記紀、おとぎ話を使う。ヒミコは相当に婚姻価値の高い状況があったのではないだろうか。天皇家と祭祀集団はなんとしてもヒミコ前後祖先の神性を高めなければならない使命がある。それで分けたのか。  天下分け目の結婚がいくつかあったのだろうな豪族同士の結婚。彼らの姫の花嫁修業として乳母とかがお伽噺原型を作ったかもしれない。  てつやさんの説とささらちゃん起用を支持します。

  • @サイ数学で入試問題に挑戦
    @サイ数学で入試問題に挑戦 3 หลายเดือนก่อน

    神代7代と人代の対応は素晴らしい考察です。これは、オリジナルの考察でしょうか。そともと他の方の著作などを参考にされたものでしょうか。

    • @shikino-kl3zp9ds4e
      @shikino-kl3zp9ds4e 3 หลายเดือนก่อน

      基本的にオリジナルの考察です。ただあいまいな記憶ですが、神の系譜と人の系譜が似ていることを指摘した人は過去にもいたように思います。人と神を同一の存在と捉える説は多分まだ無いのではないかと思います。

  • @バハムード
    @バハムード 3 หลายเดือนก่อน

    トヨが女王について戦乱がようやく収まったのをどう見てるの?

  • @未来くん-x8w
    @未来くん-x8w 3 หลายเดือนก่อน

    先のコメントをさらに深堀すると人代にも二層構造のようなものがあることに気づくはずです。つまり応神天皇の五代前からの崇神・垂仁・景行・成務・仲哀の各古代天皇は、崇神天皇の五代前からの孝昭・孝安・孝霊・孝元・開化の各古代天皇と対応関係にあり、仲哀の后である神功皇后は開化の后である伊香色謎に対応するということです。

  • @未来くん-x8w
    @未来くん-x8w 4 หลายเดือนก่อน

    記紀の歴史は神代と人代の二層構造で書かれている、というのは当たっていると思います。しかし、神代上の天照大御神は女性(卑弥呼)、神代下の天照大御神は男性(饒速日)であることに気づかないことにはどうにもなりません。神代の神でその名に「神」の入るのは天照大御神のみ、人代では男性の天照大御神(饒速日)は崇神天皇、女性の天照大御神(卑弥呼)は神功皇后と、「神」の入る天皇及び皇后となります。天照大御神(饒速日)の御子は正哉吾勝勝速日天忍穂耳と両者に「速日」、崇神天皇(御間城入彦)の御子は垂仁天皇(活目入彦)と両者に「入彦」が共通しており父子であることは間違いないでしょう。

  • @海原かもめ
    @海原かもめ 4 หลายเดือนก่อน

    ゆけ!  妄想を語れ!

  • @佐藤裕太-b1o
    @佐藤裕太-b1o 4 หลายเดือนก่อน

    参考までに……欠史八代の外戚諸氏族について見ると、初代神武天皇外戚諸氏族について『記』では美和つまり三輪の大物主神の子女であり『紀』では事代主神の子女としている。事代主神は『旧事紀』「天皇本紀」で「大三輪大神」と記されているため三輪地域の氏族の子女を后妃として迎え入れ、血縁関係を持ったと考えられよう。また『紀』の本文において、事代主神の血縁者については、二代綏靖天皇と三代安寧天皇が后妃として迎え入れられていることから、神武天皇統(以降「大和王権」)は三輪地域(奈良県桜井市)の氏族と血縁関係を取っていたと見る。  次に『記』では、師木県主と記される磯城県主について『記』の本文では二代綏靖天皇、三代安寧天皇と四代懿徳天皇と三代続けて后妃を輩出し『紀』の「一書云」という各分注でも、二代から四代はもちろん五代孝昭天皇紀と六代孝安天皇紀の分注にも磯城県主出身の后妃伝承ある。一方『紀』の本文で磯城県主出身后妃は七代孝霊天皇紀に伝承があり『記』の本文では同一后妃名で、十市県主出身の伝承であった。 十市県主については、先述の『記』の本文のみと『記』の一書云の分注での六代孝安天皇紀と七代孝霊天皇紀のみである。十市・十市郡は現在の磯城郡に当たる地域の氏族であり、磯城県主と同族とすると大和王権は地盤固めのために磯城・十市県主系と三輪地域(ここも磯城)系の氏族と婚姻による血縁関係を構築していったと見ることができる。また春日県主は『紀』の分注で綏靖天皇紀と孝霊天皇紀に記載されているが、 春日は、大和国添上郡春日郷(奈良市白毫寺町付近)であり、そこにいた氏族とも地盤強化のために血縁関係を結んだとも見える。   そして『記紀』での本文で后妃を輩出した氏族は五代孝昭天皇紀の尾張氏と八代孝元天皇紀、九代開化天皇紀での物部・穂積氏という饒速日命系の氏族と、血縁関係その中でも尾張氏という東海地域の氏族とも血縁を結んだと見える。  そして開化天皇紀・記の分注と本文には丹波(『記』で旦波大県主)という京都丹波地域とも血縁関係を結んで勢力を蓄えていたと見ることができる。  以上、外戚諸氏族伝承を見ていくと、三輪と磯城・十市地域を中心として尾張・東海地域及び河内・丹波地域という日本海側の一部に至るまで大和王権の権威が氏族連合体制の形で伸張していったという伝承を見ることができる。 これらについて、後述する架空及び後世造作論の一人の直木孝次郎氏は「〝やまと〟の範囲について」(1) で「天皇家と〝やまと〟とは密接な関係にあることが推測されるのであって、磯城・十市両郡地方を〝やまと〟とよぶことが比較的長くつづいたことは、この地域が天皇家にとって重要な勢力基盤であったことを暗示する」とし「(十代)崇神陵・(十二代)景行陵・桜井茶臼山古墳をはじめとする代表的前期古墳がこの地域に日本でも屈指の古墳群集地であることや、石上神社・大和神社・三輪(大神)神社など記・紀の神話伝承にすでに姿を表している霊威の高い神社がやはりこの地に多いことなどは、あらためて考慮してみる必要がある」 (2)と述べており、大和王権の発祥とヤマトの地の起源を十市・磯城地域という奈良盆地の東部山麓地域を中心として、時とともにヤマトの勢力が伸張するごとに「ヤマト」の範囲が広がっていたとみていた。 筆者は、直木氏の当該記述と欠史八代の外戚諸氏族伝承の流れが、ほぼ一致しているように思わざるをえなかった。 続いて、皇居の所在地伝承については、初代が橿原宮(橿原市)、二代が葛城高丘宮(御所市)、三代が片塩浮孔宮(大和高田市)、四代が軽曲峡宮(橿原市大軽町)、五代が掖上池心宮(御所市)、六代が秋津島宮(御所市)、七代が黒田廬戸宮(磯城郡田原本町)、八代が軽境原宮(橿原市大軽・見瀬町)そして九代が春日率川(奈良市)という流れで、今日の橿原地域と葛城地域を概ね往復している伝承で見て取れる。 次に陵墓伝承については、初代が畝傍山東北陵(橿原市)、二代が桃花田丘上陵(橿原市)、三代が畝傍山西南御陰井上陵(橿原市)、四代が畝傍山南繊沙渓上陵(橿原市)、五代が掖上博多山上陵(御所市)、六代が玉手丘上陵(御所市)、七代が片丘馬坂陵(葛城郡王寺町)、八代劔池島上陵(橿原市)そして九代が春日率川坂上陵(奈良市)という流れで橿原地域と葛城地域に集中している伝承が見て取れる。また九代は突如として現奈良市地域に皇居と陵墓所在地伝承が見て取れる。 このような伝承から鳥越憲三郎氏は「葛城王朝」と著作 (3)で欠史八代を名づけている。 (1)……飛鳥奈良時代の研究』所収 塙書房 一九七五(昭和五十)年 (2)……以上『同前』五〇九頁 (3)……神々と天皇の間』朝日新聞社 一九七〇(昭和四十五)年

  • @古屋公夫-s9s
    @古屋公夫-s9s 4 หลายเดือนก่อน

    貴説はあまりにも暴論です。  男王天照大御神は紀元前三世紀前半方であり、忍穂耳命の父親です。  忍穂耳命の皇子が、天孫降臨の主人公の邇邇芸命です。  邇邇芸命の皇子の一人が穂穂手見命です。  穂穂手見命の皇子が鵜草葺不合命です。  鵜草葺不合命の皇子の四男が神伊波禮日子命即ち神武天皇です。  神武天皇を初代とすると、崇神天皇は第十代天皇ですから、忍穂耳命とは全くの别人です。

  • @坂部光秋
    @坂部光秋 4 หลายเดือนก่อน

    卑弥呼の出身地は四国の徳島であるとは考えられませんか。理由としては以下の通りです。 国生みでの順番で九州や本州よりも早くに記載されていること、 四国がヤマトの勢力圏にいつの間にか入っており九州や東国のように反乱や武力行使の記述が四国にはないこと、 阿波国の別名であるオオゲツヒメは記紀ではスサノオかツクヨミに弑された後に、米・麦・大豆・小豆などの人間が生きていくために必要な穀物の素になったと記述があり、また、現在においても伊勢神宮で天照大神の食事を用意するのはオオゲツヒメ(ウケモチノカミ)であり、非常に重要な神であることが記載されていること

    • @shikino-kl3zp9ds4e
      @shikino-kl3zp9ds4e 4 หลายเดือนก่อน

      国生み神話から考えると四国は早い段階でヤマトの一員になった可能性が高いと思います。ただ四国と深い関係があるのはツクヨミではないかと思います。なぜなら記紀には四国がヤマトに組み込まれた過程が書かれておらず、ツクヨミの事績もほぼ抹消されているからです。これはあくまで個人的予想なので、正解は分かりません。

  • @asa01053
    @asa01053 4 หลายเดือนก่อน

    やはり卑弥呼がアマテラスですか!男子だと思いましたが。

    • @shikino-kl3zp9ds4e
      @shikino-kl3zp9ds4e 4 หลายเดือนก่อน

      出身地以外の考察は一切変更してませんよ。

  • @tsutaenovick1036
    @tsutaenovick1036 4 หลายเดือนก่อน

    超古代史は ミステリ過ぎて 推測が多くなる

  • @tsutaenovick1036
    @tsutaenovick1036 4 หลายเดือนก่อน

    古代史はミステリより面白い 暗殺された天皇は多いのですね。仲哀天皇もそうだと思う

  • @yamatotakeru2008
    @yamatotakeru2008 5 หลายเดือนก่อน

    納得のいく説明で感心します。

  • @マイケル田吾作
    @マイケル田吾作 5 หลายเดือนก่อน

    面白いです。し、説得力も有るように思いました。卑弥呼の話はロマン有りますね。

  • @海原かもめ
    @海原かもめ 5 หลายเดือนก่อน

    日本史は文学だ

  • @つっちん猫次郎
    @つっちん猫次郎 5 หลายเดือนก่อน

    確かになあすごい

  • @坂部光秋
    @坂部光秋 5 หลายเดือนก่อน

    興味深い考察ありがとうございます。 オシホミミとニニギの次、ヒコホホデミとウガヤフキアエズは誰を当てていると思われますか? 名前と妻の系図から神武と綏勢と思われます。なぜこの2人が更に神に重ねられていると思われますか?

    • @shikino-kl3zp9ds4e
      @shikino-kl3zp9ds4e 5 หลายเดือนก่อน

      記紀ではニニギと神武天皇の間の考察が一番難しいと思うので、まだ自分なりの答えはないです。卑弥呼以前の時代は卑弥呼以後の時代よりはるかに難しいと感じます。そもそも神武天皇自体が誰かと重ね合わされている可能性もありますし。その辺の考察は次々回にする予定です。

  • @どうく-p8u
    @どうく-p8u 5 หลายเดือนก่อน

    海部氏勘注系図には二人の大倭姫があり女王と思われ、6世孫の宇那比姫はまたの名は天造日女命ですから卑弥呼と思われ、8世孫の天の豊姫は台与と思われます。卑弥呼は九州であり、台与は畿内に東遷してヤマトトトヒモモソヒメ即ち崇神天皇になったのではないでしょうか。

  • @johnsmith92eq2
    @johnsmith92eq2 5 หลายเดือนก่อน

    暇さえあればこればっかりみてます。本当にロマンがあってすきです。ありがとうございます。

  • @johnsmith92eq2
    @johnsmith92eq2 5 หลายเดือนก่อน

    衝撃すぎて5回くらい見かえしました。ありがとうございます。

  • @katumoku10
    @katumoku10 5 หลายเดือนก่อน

    邪馬台国はおっしゃるとおり、政治的な理由から作られた国名だと突き止めました。実在人物の卑弥呼(姫巫女、ヒメゴ)を倭国の女王に仕立てる必要があったからです。だから邪馬台国も女王国も幻想です。 しかし卑弥呼の居た場所も、邪馬台国への行程記事を書いた人物も考古学や民俗学などの成果から特定しました。よろしければ、「刮目天の古代史 伊都国の意味がヒントだった?」「邪馬台国は安心院(あじむ)にあった!」をご参照ください。! 日本神話がほとんど8世紀に藤原不比等が創作したということに気付かれていないので、いつまでたってもミステリーから脱出できないのだと思います。神話に登場する瀬織津姫も女神アマテラスも実在人物ではないのです(詳細は「刮目天の古代史 卑弥呼と天照大御神が同一人物?」参照)。どうもお邪魔しました。

  • @五尾の狐
    @五尾の狐 5 หลายเดือนก่อน

    世界が闇に包まれるって鬼界カルデラの大噴火? 神の世から人の世に変わったのがそもそもの間違いだったのでは?

  • @MrKohsin
    @MrKohsin 5 หลายเดือนก่อน

    素晴らしい考察ありがとうございます。非常に説得力がありその考察に引き込まれていきます。最後のヒントで言われている可能性は<孝のつく4代の天皇は日向にいた>ということでしょうか?

    • @shikino-kl3zp9ds4e
      @shikino-kl3zp9ds4e 5 หลายเดือนก่อน

      そのあたりの話は次回以降にする予定ですが、初代は南九州にいたと思いますが、孝の時代にはいなかったのではと思います。あくまで個人的予想ですが。

  • @AtomMonado
    @AtomMonado 5 หลายเดือนก่อน

    動画配信ありがとうございます。こんな情報もあります。 黒髮神社は、崇神天皇16年に朝廷の勅願社として黒髮山を卜(ぼく)して鎮座されたと伝へられる、肥前最古の由緒をもつお社です。 この黒髪神社の位置(佐賀県武雄市山内町宮野)は松浦川の上流です。この東南約3kmに三間坂鎮守神社(山内町大字三間坂)と船ノ原鎮守神社(山内町大字鳥海)があります。

  • @古屋公夫-s9s
    @古屋公夫-s9s 6 หลายเดือนก่อน

    崇神天皇が崩御された後に垂仁天皇の兄の反乱がありました。  これが大乱とされています。

  • @古屋公夫-s9s
    @古屋公夫-s9s 6 หลายเดือนก่อน

    天照大御神と須佐之男命とのうけいは二人の間に交わされた約束です。  それ以上の意味はありません。

  • @MrKohsin
    @MrKohsin 6 หลายเดือนก่อน

    しきのてつやさんの動画を1から15まで一気に見せてもらいました。大変すばらしい考察で、小生大きな衝撃を覚えました。続編もぜひよろしくお願いします。

  • @MrKohsin
    @MrKohsin 6 หลายเดือนก่อน

    <ハシラ>はヘブライ語で<柱>を意味するそうです。またヘブライ語の<アシラ>は<神>を指すそうです。この辺の話は<古代ユダヤ人渡来説>とつながってくるかもしれませんね。

    • @shikino-kl3zp9ds4e
      @shikino-kl3zp9ds4e 6 หลายเดือนก่อน

      かなり際どい所を突いてきますね、、。デリケートな話になりそうなのでこれ以上のコメントは控えたいと思います。

  • @くわだけんいち
    @くわだけんいち 6 หลายเดือนก่อน

    箸墓伝説って、本当に奇妙な伝説ですね。性転換手術の失敗なのかも。現代でも、男性ながら女性的な人は、神秘的な能力を持つことが多いですよね。受精卵の発生過程で、ホルモンバランスが揺らいだ結果だとか。女性としての視点と、男性としての視点の両方を理解できるからかも。優れた芸術家なども、多いですよね。

  • @川人英央
    @川人英央 6 หลายเดือนก่อน

    孝霊天皇の伝承は伯耆や吉備の遠征など多く残る。また、吉備に始まる楯築墳丘墓や特殊器台の影響が纏向古墳群から箸墓に及んでいることから、孝霊天皇の存在が大きいことは確からしい。 神武天皇については、紀記以外に九州や中国に多くの伝承があるが、何故か紀記では触れられていない。一方、河内潟?突入の描写は地理的に妙に真実味がある。神武天皇陵は実際は旧洞村の丸山古墳で宮跡は旧柏原村が正しいとか?  欠史八代については、紀記の系図(磯城氏娘外戚関係)や豪族の系譜についての宝賀寿男氏等の研究から兄弟相続も考えられるとのこと。  大和は唐古・鍵遺跡時は王墓らしいものも見当たらないぐらい後進的で人口も多くなかった。(唐古墳で1000人、大和全体でも3万人程度との推計聞いた?)纏向古墳以降急に発展して、崇神天皇に繋がり全国制覇。  以上から、神武東征が真実としても、それは一部の部族の移住でしかなく、やっと磯城氏の勢力圏近くの磐余の落ち着き、その後は婚姻政策で磐余から葛城と周り、孝霊天皇あたりで磯城方面を抑えたのではないかという考えを書いている人もいます。ただ、欠史八代の陵墓、宮跡があまりはっきりしないのは不思議。単純に纏向古墳群あたりに比定しておけばいいのに、紀記はそう記していないのはかえって真実性を物語っているのでしょうか?(洞村の神武陵?が小さいことから、やはり初期王墓もしょぼいので見つからないのか)  倭国大乱や卑弥呼をどう絡めるかで、神武即位の推定が変わるようですが、大阪湾の状況、船技術や人口、遠征軍の補給考えると170年〜180年位までの研究者が多いようですが。(安本美典氏は卑弥呼=天照で、3世紀後半らしい)  後進地域の大和が100年くらいで統一したのが不思議だが、織田、徳川でも2〜3代で領国統一から全国制覇近く行き、秀吉10年で完成したのを見ると、タイミングと人材など条件揃えば強国化できるものだなと思う。  wikiやネットで興味持ったところ拾うぐらいで、古代史専門的なこと知らないが、このチャンネルはなかなか鋭いポイントをついていると思いました。

    • @shikino-kl3zp9ds4e
      @shikino-kl3zp9ds4e 6 หลายเดือนก่อน

      相当お詳しいですね、参考になります。神武東征については17回目と18回目の動画で再考察する予定です。

  • @古太郎-z3g
    @古太郎-z3g 6 หลายเดือนก่อน

    弥生時代中期〜末期に天皇制度が確立されていたのか興味が尽きないです。外国では男の祈祷師の方がイメージ湧き易いですが、性別から根底を覆す説は一裏ありそうですね。

  • @gigabite1968
    @gigabite1968 6 หลายเดือนก่อน

    異母兄弟で争ったり、額田王を取り合ったり、「孝」徳天皇がいたりと壬申の乱そっくりな気がする。歴史は繰り返すとはよく言ったものですね