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Busmap North Japan
เข้าร่วมเมื่อ 21 ธ.ค. 2018
【路線見学】Jrバス・函館線代行①長万部→昆布
◆車内放送風の合成音声を使用しております。苦手なかたはお引取りください。
函館本線長万部-小樽間(山線)は、北海道新幹線札幌延伸と同時にバス転換されますが、
市街地整備の妨げになるとして、25年度中の休止・バス代行化も求められています。
しかし、延伸開業見込みが繰り延べられ、今から青函トンネル本坑をくり抜くほど時間が
かかることが判明し、地元はすっかり白けムード。
14年後のバス路線を論じることに意味はなく、その行方にも関心はなくなりました。
そんな沿線を、鉄路からではなく、代行バス目線で巡ります。
転換バスも、だいたい同じような道を走ることになります。
蒸気機関車を追って、沿線をさまよって以来の方も是非どうぞ。
<山線代行>有珠山噴火で不通となった室蘭線の列車をう回させるため、00年3月30日から
6月7日まで、普通列車の一部をバス代行とし、4月29日から全便ワンマン化した。
有珠山は20~30年毎に噴火するため、もう一度運行される可能性がある。
■おもな停車駅(遠いです。)
0:04:50長万部
0:15:20二股
0:22:10蕨岱
0:29:41黒松内
0:41:18熱郛
0:58:41目名
1:09:56蘭越
1:17:55昆布
前の動画:新札幌-緑丘2 th-cam.com/video/PZNNlRtH6wk/w-d-xo.html
次の動画:②昆布→銀山 th-cam.com/video/UmnhpGxsJB0/w-d-xo.html
※「前面展望」風動画ですが、実際の営業車内で収録したものではありません。
イメージです。
※今回のツバ美ちゃんは後志在住者。車窓が退屈なので、沿線薀蓄を喋り倒します。
煩いと思われる場合は、下5分の1をマスキングしてください。
※この代行では貸切用車と都市間用車が充当され、車内放送はマイク使用でしたが、
つまらないので、日高線代行風の合成音声を使用しています。
この放送は、史実上存在しません。
※代行ルートは、時期や時間帯により相違があります。また、25年の間には道路切替や
改良が進んでおり、当時のルートを忠実には再現していない区間があります。
函館本線長万部-小樽間(山線)は、北海道新幹線札幌延伸と同時にバス転換されますが、
市街地整備の妨げになるとして、25年度中の休止・バス代行化も求められています。
しかし、延伸開業見込みが繰り延べられ、今から青函トンネル本坑をくり抜くほど時間が
かかることが判明し、地元はすっかり白けムード。
14年後のバス路線を論じることに意味はなく、その行方にも関心はなくなりました。
そんな沿線を、鉄路からではなく、代行バス目線で巡ります。
転換バスも、だいたい同じような道を走ることになります。
蒸気機関車を追って、沿線をさまよって以来の方も是非どうぞ。
<山線代行>有珠山噴火で不通となった室蘭線の列車をう回させるため、00年3月30日から
6月7日まで、普通列車の一部をバス代行とし、4月29日から全便ワンマン化した。
有珠山は20~30年毎に噴火するため、もう一度運行される可能性がある。
■おもな停車駅(遠いです。)
0:04:50長万部
0:15:20二股
0:22:10蕨岱
0:29:41黒松内
0:41:18熱郛
0:58:41目名
1:09:56蘭越
1:17:55昆布
前の動画:新札幌-緑丘2 th-cam.com/video/PZNNlRtH6wk/w-d-xo.html
次の動画:②昆布→銀山 th-cam.com/video/UmnhpGxsJB0/w-d-xo.html
※「前面展望」風動画ですが、実際の営業車内で収録したものではありません。
イメージです。
※今回のツバ美ちゃんは後志在住者。車窓が退屈なので、沿線薀蓄を喋り倒します。
煩いと思われる場合は、下5分の1をマスキングしてください。
※この代行では貸切用車と都市間用車が充当され、車内放送はマイク使用でしたが、
つまらないので、日高線代行風の合成音声を使用しています。
この放送は、史実上存在しません。
※代行ルートは、時期や時間帯により相違があります。また、25年の間には道路切替や
改良が進んでおり、当時のルートを忠実には再現していない区間があります。
มุมมอง: 354
วีดีโอ
【路線見学】Jrバス・函館線代行②昆布→銀山
มุมมอง 24921 วันที่ผ่านมา
◆車内放送風の合成音声を使用しております。苦手なかたはお引取りください。 函館本線長万部-小樽間(山線)は、北海道新幹線札幌延伸と同時にバス転換されますが、 市街地整備の妨げになるとして、25年度中の休止・バス代行化も求められています。 しかし、延伸開業見込みが繰り延べられ、今から青函トンネル本坑をくり抜くほど時間が かかることが判明し、地元はすっかり白けムード。 14年後のバス路線を論じることに意味はなく、その行方にも関心はなくなりました。 そんな沿線を、鉄路からではなく、代行バス目線で巡ります。 転換バスも、だいたい同じような道を走ることになります。 蒸気機関車を追って、沿線をさまよって以来の方も是非どうぞ。 <山線代行>有珠山噴火で不通となった室蘭線の列車をう回させるため、00年3月30日から 6月7日まで、普通列車の一部をバス代行とし、4月29日から全便ワンマン化した。 有珠...
【路線見学】Jrバス・函館線代行③銀山→小樽
มุมมอง 28721 วันที่ผ่านมา
◆車内放送風の合成音声を使用しております。苦手なかたはお引取りください。 函館本線長万部-小樽間(山線)は、北海道新幹線札幌延伸と同時にバス転換されますが、 市街地整備の妨げになるとして、25年度中の休止・バス代行化も求められています。 しかし、延伸開業見込みが繰り延べられ、今から青函トンネル本坑をくり抜くほど時間が かかることが判明し、地元はすっかり白けムード。 14年後のバス路線を論じることに意味はなく、その行方にも関心はなくなりました。 そんな沿線を、鉄路からではなく、代行バス目線で巡ります。 転換バスも、だいたい同じような道を走ることになります。 蒸気機関車を追って、沿線をさまよって以来の方も是非どうぞ。 <山線代行>有珠山噴火で不通となった室蘭線の列車をう回させるため、00年3月30日から 6月7日まで、普通列車の一部をバス代行とし、4月29日から全便ワンマン化した。 有珠...
【路線見学】Jrバス・空知線 ○新札幌駅―緑ヶ丘2丁目『札幌市東部計画50年』
มุมมอง 914ปีที่แล้ว
◆車内放送風の合成音声を使用しております。苦手なかたはお引取りください。 厚別・清田両区にまたがる丘陵地1,265haを、一大ニュータウンにしようという 「札幌市東部地域開発基本計画」策定から、今年で50年を迎えます。 これにちなみ、かつてこの地域を走った路線を2本(+おまけ1)ご案内します。 ここから巣立ち、なかなか帰省できない方も、完成した「東部」を是非どうぞ。 横浜南区や大阪淀川区とほぼ同じ面積の森林と開拓農場だった「東部地域」では、 想定人口11万人規模の、計画的な街づくりが進められました。 地域東端を貫く幹線道路が「厚別東通」で、完成直後の一時期、この道路を経由して 厚別副都心地区と里塚緑ケ丘を結ぶバスが運行されていました。 <空知(厚別東通)線>2004年開業(系統89)。06年「もみじ台西2丁目線」に編入(新70)。 最終期には利用の見込めない2往復のみが残され、10年...
【路線見学】国鉄バス・美瑛線 ①美瑛駅-中学校前『美瑛線開業75周年』
มุมมอง 404ปีที่แล้ว
◆車内放送風の合成音声を使用しております。苦手なかたはお引取りください。 十勝線が75年ということは、美瑛線も75年。 これにちなみ、オーバーツーリズムに揺れる丘の街を、現在の観光コース とは全く異なるルートで巡ってみます。 まずは、旭川撤退後に新設された「市街地循環バス」。ごく短距離とはいえ、 国鉄当局が全廃を前提としている地区に敷いた、異例の新規路線です。 当時は、対外的に「輸送人員5人未満」の区間を廃止するとされていましたが、 特定地方交通線の考え方とは異なり、これは計算次第でどうにでもなる数字。 ある意味、残す残さないは当局の一存ですから、常に存廃の当落線上にある 美瑛・伊達などでは、自治体、利用者はもちろん、乗務員らも必死です。 国鉄は美瑛町に対し、昭和50年代初頭から撤退の意向を示していましたが、 町内交通のほぼ全てを国鉄バスに依存していた町は、全町挙げての猛反対。 強力...
【路線見学】国鉄バス・北十勝線 ④村山→士幌駅『十勝線開業75周年』
มุมมอง 270ปีที่แล้ว
◆車内放送風の合成音声を使用しております。苦手なかたはお引取りください。 ここから、元祖「北十勝線」です。 帯広と中鈴蘭を往復するだけだった北十勝線、昔は上士幌まで延びていました。 開業の翌年、拓殖鉄道東瓜幕・上士幌間が廃止され、東瓜幕駅で士幌方面へ接続が 図られていた時代もありましたが、貨客の集散地だった東瓜幕地区も人口が激減。 今は汽車もバスもなく、地域の人が立てた駅跡の看板と、大きな郵便局舎がなければ、 この集落がターミナルだったことには気づかずに通過してしまいそうです。 列島改造論ブームの頃には、この地区の畑を新幹線が突き抜ける話も出たのですが。 <北十勝線>1948年開業。55年に帯広-北上-士幌直通となるが、65年東瓜幕-士幌に短縮。 その後、士幌町内区間は「新田線」となり、営業所廃止の75年まで運行された。 現在は、士幌高原-新田-士幌間が混乗スクールバス。 ■おもな通...
【路線見学】国鉄バス・北十勝線 ③芽室駅→元駅逓・村山『十勝線開業75周年』
มุมมอง 404ปีที่แล้ว
◆車内放送風の合成音声を使用しております。苦手なかたはお引取りください。 再び、初期開業区間の旧「十勝本線」に入ります。 十勝本線は、根室本線北側の開拓集落を経由して新得と池田を結ぶ、文字どおり 十勝の本線として計画されたものの、こちらも開業したのは御影ー帯広間のみで、 帯広以東は道東バスの運行となりました。 これからご案内する区間は、大正ー鹿追間に計画された路線の一部で、村山まで は本線として同時に開業しました。 しかし、元駅逓ー村山間は書類上開業しているものの、運行された形跡がありま せん。当時ここは相当な悪路で、道路整備が開業に間に合わなかったようです。 バス路線の誘致に成功すれば、附帯的に道路整備も促進されるため、地元も運動 には熱が入ったようですが、バス道路が完成した頃には利用見込みがなくなり、 開業後一度も運行されることなく廃止された区間が、道内にいくつかあります。 芽室...
【路線見学】北海道中凹バス・札支線 ①札幌駅前→石山陸橋〔支笏湖とまこまい号〕
มุมมอง 721ปีที่แล้ว
異常な暑さが続きますので、暑気払いにアイスバーンはいかがでしょうか。 4か月後にはあの寒さが戻ると考えれば、この暑さも多少はいとおしく... 三笠経由のふらの号、雄冬経由のるもい号があるなら、支笏湖経由があっても という架空系統ですが、そもそも北海道内では鉄板の周遊路線であったはずの 「札支線」自体が消滅してしまいました。 なお、南6東1ー石山陸橋間の各駅に停車しておりますが、札支線は特急です ので、本来停車するのは幌平橋、南22条橋、真駒内本町、真駒内駅のみです。 <札支線>1969年開業。当初は北炭系のバスとも競合する繁忙路線だった。 08年京王プラザ発着・豊水通経由に変更されたものの、09年を最後に運行 されておらず、現在は定期観光便のみが通過する。国鉄周遊指定地接続線 ■おもな通過停留所 03:56札幌ターミナル 13:46幌平橋 25:20真駒内駅 この続き:②...
【路線見学】国鉄バス・北十勝線 ②栄小学校前→芽室駅『十勝線開業75周年』
มุมมอง 384ปีที่แล้ว
◆車内放送風の合成音声を使用しております。苦手なかたはお引取りください。 事業として成立する路線は民間に運営させ、どう転んでも不採算だが、インフラ として欠かざる路線は国の直轄で、という終戦直後のGHQ指示により、基本的 には裏道を走る省営バスでしたが、突如梯子を外され独立採算制になると、幾度 となく表通りを窺うものの叶うことはなく、やがて各地から敗走していきます。 国鉄バス「芽室線」は、根室本線南側の開拓集落を経由して帯広と十勝清水を結ぶ 計画でしたが、御影までしか延伸されませんでした。 芽室町内では、黄色い会社と競うように支線も開設していましたが、昭和50年頃 までに、官民揃ってほとんど撤収してしまいました。 それでも、帯広市内を除けば日に2~3往復がせいぜいの十勝線で、栄・日の出 方面には8往復も運行されていた時期がありました。 <北十勝(芽室)線>1956年に帯広―日の出・芽...
【路線見学】国鉄バス・和寒線 ②北斗→和寒駅『鷹栖町開村130周年』
มุมมอง 478ปีที่แล้ว
◆車内放送風の合成音声を使用しております。苦手なかたはお引取りください。 終戦直後から、全国各地で省営自動車誘致運動が展開される一方、バス事業者 による反対・払下げ要求も激化。北海道でも赤は勿論、黄や緑のバスと激しい 鍔迫り合いとなりましたが、この「知遠別」を巡っては、何と現国交省本省で 公聴会が開かれるほどの争いになりました。 高速バスや過疎路線を通じてすっかり蜜月の両社ですが、当時は地元の運動を 邪魔して開業を遅らせ、経路変更や増便ができない不平等条約を飲ませた上で、 まさかのダブルトラッキングを仕掛けるなど、徹底的に追い込みます。 そんな民営バスに住民は良い感情を抱きませんが、村内に基地を設け、細やか に営業展開するなどし、ついには国鉄に白 を揚げさせました。 このとき、引換えに旭川・白金間急行の自社持分を国鉄に譲っているのですが、 この路線を美瑛への観光路線とトレードするな...
【路線見学】Jrバス・北十勝線 ①帯広営業所前→北伏古『十勝線開業75周年』
มุมมอง 904ปีที่แล้ว
◆車内放送風の合成音声を使用しております。苦手なかたはお引取りください。 今は道東道芋特急1路線3系統しか残っていませんが、Jrの前身である国鉄が 帯広地区でバス運行を始めて今年で75年、帯広営業所が廃止されて来年で25年を 迎えます。とはいえ、セレモニーなどはなさそうなので、勝手にオンラインツアー を催行したいと思います(不定期連載)。 Jr北海道バスの5周年誌に「十勝管内の芽室ー士幌ー池田ー更別を結ぶ大環状 線や……いまやそこに乗合バスが走っていたことすら想像できない区間に路線網が 敷かれ、後の経営に大きな負担となった。」という記述がありますが、一体どの ような所を走っていたのでしょう。 1948年に芽室・村山ー帯広ー自衛隊間など173kmの運行を始めた国鉄バスは、 「普段の生活で自動車を見ることはない」地区に次々と進出し急拡大、15年で 路線延長600kmに達しますが、次の15...
【路線見学】国鉄バス・和寒線 ①旭川駅→北斗『旭橋架設90周年』
มุมมอง 775ปีที่แล้ว
◆車内放送風の合成音声を使用しております。苦手なかたはお引取りください。 旭川で燕のバスといえば、たまに来る高速あさひかわ号ですが、国鉄時代には、 旭川のシンボル「旭橋」を渡り、近文原野を縦断し、裏山を越えて和寒へ向かう 郊外線がありました。路線の性格としては「開拓」です。しかし、その当時鈍行 が中長距離客で大混雑する一方、増発に必要な機関車は全国規模の取り合いで、 電化で不要になった戦前製の寄集めである道内局にその力はなく、近距離客は バスで「補完」しようと、札鉄や釧鉄が考え始めます。同じ事情の旭川近郊でも、 美瑛、当麻に基地を置いて、包囲を始めるのですが...... もしも、Jrが鷹栖町に何らかの弱みを握られ、バス運行を約束させられたら、 というあり得ない想定で、動画は盆地特有の朝もやを進みます。 凍えるほど寒くはありませんが、布団からは出たくない、ベバストヒーターの 音と匂いが...
【路線見学】Jrバス・札幌駅循環線 ○札幌駅-札幌コンベンションセンター(菊水あと回り)『さようなら札幌営業所』
มุมมอง 9342 ปีที่แล้ว
◆車内放送風の合成音声を使用しております。苦手なかたはお引取りください。 長沼とともに、もうひとつ営業所が消えました。 国鉄時代から「手稲営業所前」にあったのが「札幌営業所」で、札幌駅前にあったのは「中央支所」でした。 民営化後「札幌中央営業所」に昇格、分社化の際に「札幌営業所」の名を奪って看板所の座に就きました。 高架下と線路跡の遊休地を活用していましたが、新幹線建設のため立ち退くことになり閉所。 1934年開設の「札幌自動車所」以来続いた「札幌」の名称が途絶えました。 これにちなみまして、札幌営業所所管の廃止路線へご案内します。 札幌営業所は元々各郊外線の札幌側拠点であって、都市間路線以外には単独で運行する路線は ありませんでしたが、のちに、この系統と北郷線(現存)の運行にあたりました。 <札幌駅循環線>JRタワー開業に合わせ2003年に運行開始(循環3)。05年に循環運転をやめ...
【路線見学】国鉄バス・生花線 ○大樹駅→生花
มุมมอง 6892 ปีที่แล้ว
◆車内放送風の合成音声を使用しております。苦手なかたはお引取りください。 これで、末期の大樹営業所管内コンプリートです。 廃止前に、町内に温泉施設が開業しましたが、乗り入れることはありませんでした。 <生花線>生花苗線として1955年に開業し、60年から75年までは晩成へ延伸。 84年に全線廃止され、しばらくは町が有償運送していたが、 忠類経由便は早々に打切られ、現在は歴舟経由の混乗スクールバス。 ■おもな通過停留所 12:34忠類 19:58明和 31:02生花 前の動画:②広島市街-長高 th-cam.com/video/KhQioathd6k/w-d-xo.html 次の動画:札幌-コンベンション th-cam.com/video/EtAB-SjVAJE/w-d-xo.html のりかえ:大樹-旭浜 th-cam.com/video/eSnJFp6WuK4/w-d-...
【路線見学】Jrバス・長沼線 ①中央長沼→広島市街(北の里経由)『さようなら長沼営業所』
มุมมอง 1.1K2 ปีที่แล้ว
【路線見学】Jrバス・長沼線 ①中央長沼→広島市街(北の里経由)『さようなら長沼営業所』
【路線見学】苫小牧市営バス・美園大成線 ○バスターミナル→バスターミナル【緑跨線橋改築記念】
มุมมอง 4.9K3 ปีที่แล้ว
【路線見学】苫小牧市営バス・美園大成線 ○バスターミナル→バスターミナル【緑跨線橋改築記念】
【路線見学】Jrバス・ていね山線 ○地下鉄宮の沢駅→手稲山ロープウェイ(ていねプール経由)『オリンピック記念』
มุมมอง 3.2K3 ปีที่แล้ว
【路線見学】Jrバス・ていね山線 ○地下鉄宮の沢駅→手稲山ロープウェイ(ていねプール経由)『オリンピック記念』
【路線見学】Jrバス・日高代行(昔のルート) ④静内→豊郷 『さようなら日高本線』
มุมมอง 7343 ปีที่แล้ว
【路線見学】Jrバス・日高代行(昔のルート) ④静内→豊郷 『さようなら日高本線』
【路線見学】Jrバス・日高代行(昔のルート) ⑥鵡川→苫小牧『乗って残そう日高線』
มุมมอง 1.1K3 ปีที่แล้ว
【路線見学】Jrバス・日高代行(昔のルート) ⑥鵡川→苫小牧『乗って残そう日高線』
【路線見学】Jrバス・日高代行(昔のルート) ⑤豊郷→鵡川 『さようなら日高本線』
มุมมอง 7683 ปีที่แล้ว
【路線見学】Jrバス・日高代行(昔のルート) ⑤豊郷→鵡川 『さようなら日高本線』
【路線見学】Jrバス・日高代行(昔のルート) ③日高三石→静内 『さようなら日高本線』
มุมมอง 8723 ปีที่แล้ว
【路線見学】Jrバス・日高代行(昔のルート) ③日高三石→静内 『さようなら日高本線』
【路線見学】Jrバス・日高代行(昔のルート) ②絵笛→日高三石 『さようなら日高本線』
มุมมอง 1.1K3 ปีที่แล้ว
【路線見学】Jrバス・日高代行(昔のルート) ②絵笛→日高三石 『さようなら日高本線』
【路線見学】Jrバス・日高代行(昔のルート) ①様似→絵笛 『さようなら日高本線』
มุมมอง 1.2K3 ปีที่แล้ว
【路線見学】Jrバス・日高代行(昔のルート) ①様似→絵笛 『さようなら日高本線』
代行バスか。最初はこのように狭い道だったのですね。
「各駅停車」の代行や、駅間で停止した列車の乗客を迎えに いくときは、かなり狭い道を通ることがあります。
地下鉄東西線琴似駅から南北線地下鉄真駒内駅から石山一区まで 石山高校定時制に通った
東部緑地入り口 ちょいちょい利用しました。もみじ台のホクノースーパー前の停留所で新札幌行きの循環便と間違えて乗ってる人結構な確率でいました。あらあらと動揺しながら上野幌駅で降りてました。運転士さんもきちんと新札幌いきませんよってアナウンスしてるのに聞いてない。
ホクノー前のバス停は、出来て以来数十年、全てのバスが 新札幌へ通じていたので、「新札幌へ行かない」という 意味が通じなかったかもしれませんね。
運賃表が表示されていてとても情報量のある素晴らしい動画! と思ったら240円から210円に下がる整理券番号があったり 1番とか2番の運賃が消えたり 凄く不思議で素人には理解不能😅
途中北広島市を挟むからだと思います。札幌市の均一区間ではなくなるからだと思います。もみじ台と上野幌の間には虹ヶ丘という停留所があったかな、、、。
環状線の運賃の決め方は、会社によって違います。 例えば山手線で東京から有楽町へ行く場合、内回りに 乗っても、短い外回りで計算した150円です。 もし山手線がワンマン電車で、運賃表示器が付いていれば、 東京を出てから150...170...と金額が上がり、大塚で210。 その後代々木で180に下がり、有楽町では150になります。 そして、一度通った東京に戻ると、運賃計算は打切られ (=表示が消える)、2周目の運賃が必要になります。 JR系のバスはこの方法で計算しますが、乗ったとおり 田端経由で計算する例や、入口で「乗車料金」を払えば 何周しても構わない例もあります。
このアナウンスの声好きだなぁ。聞きやすい
白金線は国鉄バスは東小学校経由、現在の道北バスは町立病院経由です。
もし美瑛営業所旭川支所が、JR北海道バスの旭川営業所として残っていたら、旭川白金線のほか、高速あさひかわ号、特急オホーツク号、流氷もんべつ号、ノースライナー号にも参入してたかな。ノースライナー号は帯広営業所が残ってたら、共同管理かな。高速あさひかわ号、流氷もんべつ号は琴似営業所との共同管理かな。
「みくに号」を新設するとき、1往復だけ参入させてもらえた かもしれませんね。むしろ、本所が残っていれば、白金温泉 -札幌は始めていたと思います。
見たことない路線バスと思ったら廃止線でしたか。しかもあの空知線の名残りか。
この路線は、運行開始にあたってPRに力を入れた様子がなく、廃止時も話題にならなかったので、沿道住民ですら記憶にないかもしれません。
たしかこの路線は2010年廃止でしたよね?住んでいるところが違ったので乗れなかったので、一度は乗ってみたかったですねぇ…昔はテクノパークを循環する路線などあったのですが、やはり時代の流れには逆らえないですね…やっぱり緑ヶ丘2丁目止まりというのが信じられないです。そういえば車内表示機は、何のソフトでお作りになられたのですか?
車内表示機は、プレゼンテーションソフトと、 動画編集ソフトの合わせ技です。
この路線って確かJRバスで宮72•発72かなんかで運行されてたような気がしたのですが、気のせいですかね?
JRに移管後、「発72」を掲げて運行されていました。
@@busmapnorthjapan2981 さん、わざわざありがとうございます!
町内循環線の道は朧げな記憶しかなかったです。まさか高校前や中学校前に停車していたとはと思いました。また憩い町に行くはなかったのですね。そして村山スキー場線の記憶はなかったです。また千代田線などがあると楽しみです。正しい道の記憶がないので。そしてサムネイルのイラストのバスこれは美瑛営業所にあった最後のバスではなかったか?ですね。
本当は憩町始発のフルバージョンにしたかったのですが、 橋の架け替えにより、再現が難しくなりました。
西中音更の交差点左角にはJAと商店、右角にはホクレンのGSがあったのですがサラ地になっちゃってますね。 東瓜幕のバス停左脇には、かつての駅前商店があり、2000年初頭頃まで老夫婦によって営まれていましたが、その後ご高齢のため店を閉められ、こちらもサラ地になってしまいました。近年、拓鉄駅跡を示す立派な案内看板と小公園が設置された記事を勝毎で見ました! 中音更にもバス停があったのは初耳でしたが、拓鉄の駅があったところからは結構離れていたようですね。
視聴者の方から、拓鉄バス時代の東瓜幕車庫が、納屋として使われていたはずとも伺いました。駅跡近くに、客車庫ほどの納屋が写っていますが、あれではなさそうです。既に解体されたのかな。
@@busmapnorthjapan2981情報ありがとうございます。拓鉄東瓜幕駅についてはホーム停車中の列車の写真は見たことがありますが、駅舎正面や駅前の現存写真はこれまで見たことが無く、どこにバスの車庫があったのかも形状も不明ですが、平成中期に当時まだ営業していた元駅前商店を訪れた時は、元駅前付近にそれらしい車庫は見当たらなかったような気がします。(民家も少なく、駅前広場らしきスペースもありませんでした)
中鈴蘭までのバスではなかったのですか。いかに路線が多かったかですね。十勝地方では士幌町と大樹町のバスしか地方線は記憶にないです。
ウインカーは、じょうてつ、運賃箱は、函館バス、ジェイ・アール北海道バス
北伏古には美味しい手打ちそば屋(びばいろ)があって、広尾道開通前によく通っていたのですが、国鉄バスが走っていたのは知りませんでした。終点の記念碑は転回場としておあつらえ向きの場所ですね。北伏古バス停裏のAコープが旧乗車券販売所?現在は閉店してるのかな?? 最後の乗車券は実際のもの?あのタイプだとツーマン用なのかと思いますが、何年ごろに使われていたものでしょうか。 次回、戸蔦とか伏見仙境に行っていた路線の前面展望も見たいところです。
運行していたらこの道になるか。前の黄色のバスは十勝バス?
北海道バスのニュースター号ですねw
ニュースター号の乗務員さんでも、相当のマニアでなければ、ここがバス路線だったとは知りますまい。
90年代、ナウマン国道がようやく全線舗装化完了した頃、晩成温泉の帰りに生花の集落に立ち寄りました。当時は大樹町営バスが運行していて、郵便局の並びにあった年季の入った商店に [バス乗車券発売所] とあったため「記念に」ときっぷをと買い求めたところ、当時「宇宙の街」として売り出し始めていたせいか、スペースシャトルの地紋の入ったバスきっぷを渡されびっくりしました。その後ほどなく町営バスは無料となり、きっぷも不要となり消滅したため、今となっては貴重な一枚だと思っています。「生花苗沼や生花苗川があるのになぜ地名は生花?」の謎が今回の動画で解けました!。
<浜大樹>車で道内を回っていた時、2方から集中するような形で道が取り付けられている謎な土地が気になって行ってみました。行ってみてびっくり!漁港はかなり立派な施設で、高台にある集落も結構な数の住宅や水産物加工場がある…。だが、「商店や旅館、飲食店が一軒もない!」という事実でした。 のちにここが、鮭の水揚げもかなりな大樹町を代表する漁港であることを知り、国鉄バスも走っていた!ことも知りました。 浜大樹の回数券簡易委託発売所とは、商店への委託だったのか、国鉄バス専用の小屋?があったのか、などはご存じでしょうか。
個人商店への委託で、大樹地区には、国鉄バス専用の小屋は設けられなかったようです。
長沼界隈のバス事情は10年くらい前以降しか知らないのですが、JR(国鉄)バス「中央長沼」は駅として存在していたのですね。窓口があって乗車券の販売などもされていたかなどの情報はお持ちですか?。また、長沼町ふれあいターミナルが、昔の中央バスのターミナルだと思っていましたが、1:51[長沼ターミナル→]とあるのは、中央バス長沼ターミナルはかつてここに存在していた…ということでしょうか?(今は北海道銀行の駐車場になってますよね?) そして、終点の『南長都』にはびっくりです!。字面からもJR(国鉄)長都駅寄りではあるものの、「長恵線」の名からするとさすがに長都駅の南ではないだろう(千歳市だし)…。ではどこに???と謎でしたが、こんな集落とは呼べないような畑のど真ん中だったとは!。 しかしながら、旧版地形図や空中写真等を辿るとその謎が解けました!。このあたりは「かつてここの東に存在したドでかい長都沼(干拓で消滅)の南西サイドに位置し、開拓農家が点在する集落だった(なので南長都?)」「旧空知支庁(長沼町)の最南端集落にあたり、四方のうち三方は石狩支庁(千歳市)に囲まれた特異な立地」「バス停周囲にはポツポツと10戸以上の開拓農家があった(商店等はなかった模様)」「長沼から南下してくると道路はこの辺りで袋小路で、現在の長都駅方面に抜ける橋はなかった」「遠軽団地からショートカットで大学橋に抜けるカーブの多い道路は昭和初期からある旧道でこの道沿いにも農家が点在していた」「当時最寄りの国鉄駅(島松・恵庭)に行こうにも直行路線バスはなく、一度東舞鶴まで戻って乗換で所要約1時間(現在なら長都駅まで車で7~8分)」など新たな発見が多く、勉強になりました。!
コメントありがとうございます。 1:51の右矢印は、ターミナルへの進入路を示したもので、 ふれあいターミナルが、中央バスのターミナルで間違いありません。 また、中央長沼では乗車券のほか、指定券類や手小荷物の取扱いがありました。 町内に自衛隊施設があり、隊員の出張は国鉄利用が多く、近隣に旅行代理店もないため、 往時は委託窓口を維持するだけの需要があったようです。
札タの発車ベルも懐かしく。音声案内が自動放送化されたのはいつなんだろう。 平岸通を含めて国道?と思ったら内地に出た直後に昇格でした。
今度、道央道開通前の雁来経由特急札滝線と滝益線のルートも復刻していただきたいです。
リクエストありがとうございます。 滝益は運行当時の車窓をほぼ再現できそうですが、40年前の特急街道は、ターミナル跡地巡りですね。 収録済み分の整理が追いついておりませんので、少しお時間をください。
動画楽しいですね。 JRバスの場合当然当時はあかったのでしょうが 左折アラーム(バスが近づきますご注意ください)があると臨場感あがるかもと 思いました。
そうそう、東舞鶴の秋田商店前の自販機で、客ゼロで時間調整停車中に、「コーンポタージュ」買ったら「おしるこ」出てきたことがあった。補充の業者が間違って入れたんだろうけど🤣
ポタージュ、お汁粉、ココア... どれも温かくて甘いのですが、その時の気分で 押すので、他の商品が出てくると凹みますね。
東舞鶴のバス停は秋田商店の前にあったのでしょうか?かつては、恵庭からの路線と長沼からの路線の接続バス停で、結構な本数が分離運転されていたようですが、営業所または詰所、朝一便のための宿舎などの設備はあったのか気になります。 あと「長恵線」なのに、長沼~恵庭駅間の直通系統はなかったようですが、かつては運行されていたのか?なぜこの東舞鶴で分断されていたのか?なども謎な部分です。
この路線計画は あなたの感想じゃないですよね(笑)
この頃の鷹栖峠はどのような道だったのでしょう。この路線が国鉄バス路線とは知りませんでした。てっきり道北バスかと思いました。そして知遠別神社前の次の停留所の名前が知れて良かったです。
元は、アイヌの人が夏の間だけ通っていた踏み分け道を バスがぎりぎり通れる幅に拡げたそうです。
いや懐かしい、四線とか表記はすごい懐かしい、幼稚園の頃よく乗ってましたが終点北伏古まで乗ったことなくて場所をはじめて知りました、当時は五線の自衛隊前行きのほうが多く運行していたイメージがあります
その昔、自衛隊行きは10~15分おきに走っていたそうです。 後ほど、その自衛隊前の停留所跡にも寄りたいと思います。
東8条のバス停留所あたりの場所が見えて良かったです。一度でいいから乗って見たかったです。帯広駅前からは乗ったことがありますが。それとサムネイルの絵がうまいですね。
今回のサムネイルは、キャンペーンポスタをイメージして 描いてみました。
旭川は地元の組合が強く地元の企業が強いんですよね。だからJRも中央も殆どないんですよ。
規制緩和のときも、旭川発着の都市間路線に参入しようとした 会社があったはずですが、結局誰も手を出しませんでしたね。
当時の国鉄バス美瑛営業所旭川支所ってどんな感じだったのでしょうか?今跡地近くに別なバスの待機所があるのは何かの縁かな?あとは当時の路線がわかり良かったです。
付近一帯は鉄道用地で、何かの施設を転用したようです。 木造の小さな事務所に、多いときでもバスは3~4台。 駅の格に比べると、かなり寂しい陣容でした。
右下隅にたまに現れるキャラクター^^ 弥生町市営住宅に住んでいたので、ハイランド・総合体育館などに行くにもこの路線は便利でした
苫小牧のゆるキャラといえば、あの鳥のはず。
懐かしいすぎる、通学で使ってました
子供の頃よくしらかば町から駅に向かって使用してました。その頃覚えてるアナウンスは『おしゃれ泥棒へお越しの方はこちらでおりられかと便利です』というのが強く頭に残ってます✨ 昔は駅周りは活気があってワクワクしましたし夜までずっと駅周りで遊べました😊
コンベンション輸送は結局新札幌線の系統に組み込まれて、最後廃止。 札幌駅、新札幌の系統は札幌駅〜新札幌駅以外 もみじ台、ベニータウン経由の厚別始発以外全部廃止された。 昔10新札幌→厚別駅前経由→札幌駅 11新札幌→ひばりが丘駅経由→札幌駅 のちに17新札幌→大谷地経由→札幌駅とか 数本しかない意味の分からない系統があった また厚別担当で手稲方面へ直通便ありました 51厚別営業所始発→大谷地→時計台前→琴似本通(西区役所前)→手稲追分っていう系統があった 復路は51で手稲追分から、5号線のメインルートで琴似本通とか山の手一条通経由で札幌駅に戻る行路でした。
かつての東札幌駅跡を通るバスは知りませんでした。
JRバスの宮65番という宮の沢駅前⇔小樽駅前の便が減り、手65番という手稲駅南口⇔小樽駅前の便が増えました。宮65番は何度か乗った事がありますが宮の沢駅前から小樽方面まで乗る人は少なかったです。
ごく稀に車内が見渡せないほど混んでいると、おそらく列車が運転見合わせ中です。 昔は振替輸送をしていましたが、いまはそもそも便数が減りすぎて、 代替手段とは言えなくなりました。
現在でいうJR北海道バスの大34番のルートの一部ですね。JR北海道バス1日乗りほーだいきっぷ🎫は北広島駅より長沼,南幌方面が使用できないのは残念です。
有効区間を拡大すれば、多くの方が利用すると思われますが、均一型企画乗車券の売上げは 各路線の収支にほとんど反映されないため、いま正規運賃で利用している乗客が移行してし まうと、見かけの路線収支が非常に悪化してしまうので、難しいのかなと思います。
奈井江火力発電は北海道全域ブラックアウトの地震となった時には苫東発電所が ダウンした時は老骨にムチ入れて頑張ってくれましよ!
奈井江火力は、かなり以前から廃止の噂が絶えませんでしたが、一度ご隠居になってから 鮮やかに甦り、北海道民を救ってくださいました。2027年までは廃止されないそうです。
いまは袋地の沼の横から橋渡って砂川行くバス ないんですよね。砂川に通う高校生と病院(砂川市立)通いの年寄 いないっていうことですよね。 昭和57年だから=1982年ですか、自分 高校は砂川に通っていたんですが、当時の砂川の高校のうち 片っぽの話になりますが、 通学生の範囲は、市内のほか、新十津川・浦臼・奈井江・滝川・上砂川・歌志内・赤平と広範囲でした。 遠い奴は、浦臼ではオソキナイ・新十津川では大和市街 から通ってきている奴がいました。 浦臼からは、国鉄バス経由で。 新十津川からは、① 中央バス滝川ターミナル乗換組 ② 国鉄バス下四号線(花月)経由組 そして、最安の③国鉄バス滝川駅乗換国鉄組 がいました。 強風で国鉄バスが橋を渡れない と年に数度、運休になことがありました。そうなると、各クラス数人程度ずつ欠席が出ていましたね。 砂川駅の国鉄バスのりばが、現存するきれいな屋根の出来る前の「ぽろっちぃ待合室小屋」だったころの話ですね。 それが、今では 役場委託のワゴンで間に合う程度ですか。 それどころか、浦臼・新十津川から中央バス完全撤退。 寂しいものです。
袋地の沼のところに裏道があって、バスが花月の接続待ちで時間ロスしている間に、 新十津川からの高校生の爆チャリが追いついていましたね。 通学定期発行用の裏運賃表が、砂川から大和など広範囲に設定されていましたが、 その大和も路線バスは廃止。 朝のセラーズ前に、バスが3台続いてやって来た時代があったなんて、とても…
廃墟ビルは取り壊して滝川西高と滝川工業高校を合併した新設校を駅前に作れば活気出るだろうなぁ 市立と道立とかグランドの確保とか考えることはたくさんあるけどね 駅前再開発ってんならありきたりじゃあ無理なくらい寂れてしまったよ
なるほど、高校を建てれば雰囲気が変わりますね。 滝西と滝工なら野球場も必要だな...と思いましたが、駅裏の機関区跡地などなど、 野球場でもサッカー場でも、いくらでも造れそうなくらい空き地になっていました。
苫小牧も懐かしいなぁ〜
長沼営業所はなくなるのですね。知らなかったです。その後は新しい北広島営業所へですか。長沼の路線バスと南幌の路線バスを北広島にまとめるのかな?以上です。
「味川」という焼肉屋さん知っている人いませんか?
味川、知ってます。長沼では、炭火焼き無煙ロースターの「武八」が焼き肉では有名ですが、飲み屋街にさりげなく佇む「味川」は、リーズナブルに焼き肉が食べれるのでたまに行ってました。 こちらは、ガスの小型コンロで焼くので煙モクモクでしたが、肉の質は悪くはなかったです。 あと、馬刺しが美味かったです。 ワタクシが行ってたのは20数年前のハナシなので、変わってるかも知れませんが、当時はオバチャン一人で切り盛りしてました。 二次会は、「ファミリーナイト澤」が、JRバス長沼御用達でした、🤣
6年くらい前にランチで入りました、ランチ限定3食?のメガ盛り牛丼がなんと600円(くらい)で、たぶん吉牛の大盛り2杯分くらいのボリュームで食べきれませんでした。肉の質も、吉野家よりは肉々しい感じで、カルビの切り落としっぽいとこを薄切りにしたような部位でした。私の後に学生っぽい人が入ってきて頼んでいました。同じくおばちゃん一人+娘(またはバイト)さん?がサポートしていたような…。 特命神代さん情報の武八は夜と昼両方入りましたが、こちらもかなりリーズナブルですよね。恵庭の旧国道沿いにも同じ名前の店があるのですが、支店ってことでよいのかな?。恵庭の店は煙もくもくなのと店内の雰囲気も全然ちがうので、どうなのかな?と思っています。
この系統の天狗橋~手稲高校が西牧場2号線経由になったのは、うろ覚えですが地下鉄宮の沢開業あたりのタイミングだったと思います。新川通経由時代は一応途中区間にもバス停がありましたが、非公示便ですので時刻表は無く円盤とポールだけでのものが置かれていた記憶があります。 市営時代はどうだったか忘れてしまいましたが、少なくともJHBになってからは天狗橋~手稲高校間でもバス停に客がいればバスは停車し乗ることができました(=スクール便でしたが学生じゃなくても乗れた)。 いかんせん20年以上前の話ですので、間違いがありましたらご容赦ください。
交通局は新川高生の利用も認めていましたので、手稲高生に限らず乗車できました。 また、手稲高校行きは、新川線に入っても、満員でない限り停車していました。 逆に、発寒南行きは、途中「新川高校通」以外は降車のみだったような気がします。 ただ、JHBの学生以外お断り便は「スクール便」とだけ表示していたのに対し、 この路線は行き先を明示していましたから、乗りたそうな素振りを見せれば、 停車していたのかも知れません。 学生証は確認されませんし、贔屓するわけではありませんが、手稲高生が 他校生や一般客とトラブルを起こすとはあまり考えられませんから、 運転時刻や乗り場を知っていれば、それほどの度胸がなくても便乗できたとは思います。
小学生の頃、ハイランドスケートセンターへ行った時に西高裏門前からバスターミナル経由で公園通まで乗ってました。バスに長時間乗るのも楽しみで遠回りの大成美園線で行ったり美園大成線で帰ったりしてました。便利な路線でした。 25:44の右手が住んでいたところ。 小学生の頃はここまで来ていなく西高まで歩いてバスに乗ってました。
沿線からありがとうございます。 雨や雪の中、バス停で待つより反対回りに乗ってしまおう、という人で随分混んでしまい、 運行開始当初は「最短経路のほうに乗って」と市が呼びかけていたほどです。 バスに乗ってから気が変わり、学校前で降りずそのまま帰宅してしまったり、 街で降りたり、1周居眠りしてから登校してみたり、という人にも便利な路線でした。
平成6年の暮れから約6年間、長沼営業所で運転手やってましたが、この系統はありませんでした。それ以前なんですね?
循環運転は、たしか平成2年の春休み前で打切られました。 時刻表には載らない「北広島発長沼市街経由長沼高校行き」が、 大谷地発便の露払いをしていたはずですが、あれの前身です。
国鉄バス旭浜線以外も見れて良かったです。
大樹管内はコンプリートする予定です。
一回だけ忘れ物を引き取りに滝川営業所を訪れたことがあります 当時は温水プール行きはありませんでしたから、駅前のきっぷ売場の人に場所を教えてもらって歩いて行きました 荷札の付いた自分の手提げバッグを見た時はホッとしましたね
プール行きがなかったということは、まだバスだけの窓口があった頃ですね。 営業所やプールまでは、百数十円を払ってバスに乗るかどうか微妙な距離でしたが、 この温水プール行きは、多いときには一日8往復もありました。
滝川駅前のバス乗り場懐かしいですね。今は車の駐車場ですか。温水プールは営業所の方に行かなかっでしょうか?と思ったら行っていましたね。今は建物はないと思います。以上です。
パーク&トレイン専用駐車場になっておりました。 営業所を含む鉄道用地には、札幌まで特急で45分という立地を活かし、 ニュータウンを造成すると聞いておりましたが、今のところ手付かずのようです。
この路線色は乗りませんでしたが最後の美鉄バスは乗りました東急バスみたいでしたが。
この色のバスは夕張市内でも見かけました。 動態保存をしている方がいらっしゃるようなので、 目にする機会は、まだあるかも知れません。
国鉄バスの路線に乗りたかったなぁ。以上です。
国鉄バスがあった頃の、賑やかな時代に訪ねてみたかった所は たくさんありますね。