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かつてこんなに立派でカッコいい機体があったという事実を永久に記憶にとどめておきたい。
なんでなんでしょうね、あの存在感は。今の飛行機には、あまり無い物ですよね。
本当に素晴らしい飛行機でしたね。まさにジャンボの名に恥じぬ偉大な存在でした
ジャンボは二階席は凄く静かで快適でしたし、一階先端部は面白いシート配列と1970年代生まれとしては思い出たっぷりの機種です。もうすぐあれから35年ですね。信頼性の高い機材がどんどん登場して、またジャンボのように愛されますように。
ジャンボは、確かに人々に愛される機体でしたね。
日本は枠が無かったから一度に人を入れられるからジャンボは日本路線で使われていた。
初めての飛行機搭乗が海外出張、それもNYへ。その時に搭乗した747SP。ノンストップでJFK。その以降何度も海外へ、ほとんどのフライトが747でした。-100、200、400。アッパーデッキもよく利用させてもらいました。本当にご苦労様です。
今は亡きパンナムのSPに乗れたのは、羨ましい限りです。
ヨーロッパ路線でたまに2階がエコノミーに設定されていたことがあって、それに当たると本当に幸せでした。静かで、離陸したのがはっきりいつかわからないくらいだった。。。本当に流線の美しい機体でした。
国内線で1度だけ2階席に乗った事がありますが、なんか特別感はありますよね。
私も羽田から飛行機に乗る時は、車で5時半に着くように行っているので、カンタスの747をいつも見ながら空港に入ってました。「747健在」と言う安心感があったのですが、、、退役が早まってしまって残念です。
赤と白のカンタスの塗装は、目立ちますよね。
一般人が普通に乗れることを可能にしてくれた‼️ 今までお疲れさまでした❗️
そう考えると偉大だと思います。
ルフトハンザのジャンボ機を見てたら心底飛行機での旅をしたくなりました。アレのせいで旅行が難しい世の中が1日も早く終わりますように❗
確かに早くアレが収束して欲しいですね。
私が物心がついて初めて乗った飛行機が日本航空のB747-100でした。生まれて初めて飛行機に乗るという事で、前日から興奮して夜も眠れず、ほぼ徹夜に近い状況で空港へ行きました。勿論、空港へ行く際も興奮状態は続き、寝不足でふらふらということは全くなく、空港まで目をらんらんとさせて向かったの覚えております。いざ搭乗手続きを済ませ、親に連れられて送迎デッキで飛行機を眺め、これから飛行機に乗るというワクワク感に包まれてバスに乗って搭乗スポットへ向かい、バスを降り立った目の前には朝日に輝く鶴丸を尾翼に付けたジャンボが佇んでおり、興奮が最高潮に達したのを今でも鮮明に覚えています。暫くタラップの外からジャンボを眺めた後に機内に入って、離陸時のジャンボの力強いエンジン音と加速力に圧倒されました。なので私にとってジャンボは今でも空の王者といった特別な存在です。生産が中止になることは残念で仕方ありませんが、これも時代の流れなのでしょうね。だけど今、空の主役となっている大型の双発機にもジャンボの開発時に生み出された技術やノウハウが生かされているのも事実です。機内の2本通路や、高バイパス比エンジンなどはジャンボの開発時に考案された技術そのもので、今でも進化を続けております。さらにジャンボは私の様な庶民にも空の旅を身近にして、夢や感動を与えてくれました。なので、生産終了に当たっては、「大変お疲れさまでした。そして夢と感動を与えてくれて本当にありがとう‼」と声を大にして言いたいですね。
とても、素晴らしい体験だったのですね。コメント有難うございます。
俺も子供の頃からずっと大好きだった747。生産終了がてら退役しても、747は今も俺達の記憶の中で飛び続けている。747の思い出は永遠に不滅。
力強いけれども流れる様な美しさがある。だから私は好きだ。だから私の1番最初のモデルプレーンなんだ。日本はジャンボ帝国だったな。
ジャンボ帝国でしたけど、あっという間に全て引退してしまいましたね。もっと乗っておけば良かったと、少し後悔しています。
NORITOBI そうですね。もっと写真や動画、チケットを取っていればよかった
初めて乗った飛行機がジャンボでアンカレッジ経由ヒースローでした。あの背中を押される加速感が未だに忘れられません。
アンカレッジのうどん屋を見てみたかったです。高くておいしくないかったと言う話もありますけど。
確かバブル期には、JALのB747保有機数は、記憶違いかも知れませんが、128機位で世界中で運行している1/4以上が集まっていた様で、日本の会社という事も有り、嬉しかったですね。B747からですよ、食事のサービスにトロリー(米系では、カート)を押して通路にやって来たのは。所が、パンナムとワードエアー(元加の会社)は、カートがギャレーに固定されていて、そこからトレイを両手に持って、席まで運んできて居ました。1970年代は両者共、E/Cでメーンコースが3種類から選べました。陶器の食器とガラスのワイングラスでした。カナダ太平洋航空は、ノリタケの食器。ワードエアーはロイヤルドゥルトンでした。三社共会社自体が無くなったので、こっそりカトラリーを集めた事もいい思い出です。
JALの保有機数が世界一だったことは、確かにありましたね。CMもジャンボを前面に出していた物も多かったし。食事のサービスの話、興味深く読ませていただきました。有難うございます。
JALは747と767しか保有していない時代があった
@@LASREPLASMA さん 今はもう会社が吸収合併で無いのですが、カナディアン航空はいっ時、コスト節約の為に、国際線をDC10と767機に統一をしていました。日本へ行く時はDC10で、トロントから成田まで1万キロ+をノンストップで飛び、帰国がうんと近くなり、皆度肝を抜かれました。懐かしいDC10です。
@@sawakodouglas186 みんな大好きDC10
バンコク成田間を飛んだUAの747には特別な思い出がたくさんある。パイロットやFA、本当に素晴らしい方々ばかりでした。今でも、それらの写真を見て何度も何度も飛んだフライトを思い出します。
私にとって印象深かったのは、初めて乗った東販間のジャンボですね。なぜかと言われるとよく分かりませんが、それがきっかけで、飛行機好きになりました。
NORITOBI きっと、言葉で表現できない或いはしにくい様な、でも素晴らしい経験をされたのではないのでしょうかね。そう言う私も飛行機大好き人間です。残念な事に今年は、フライトゼロです。
初飛行&就航当初の747は、とても巨大な飛行機でとてもかっこ良く、俺も釘付けになった。因みに、1960年代当時の超大型機は、C-5と747の2機種しか存在しなかったため、大変貴重だった。現在も747を大変誇りに思う。
よく乗ってたのは400Dの寿司詰めジャンボだったけどアッパーデッキはご機嫌だったし、大空の貴婦人と言わしめた堂々たる優雅さが有る機体で、大好きです。
THEジェット旅客機って感じですよね。
ジャンボは32回乗りました。内訳は200B:3回/300:8回/300SR:4回/400:3回/400D:14回です。中でも、07:27のJA8162 エグゼクティブエクスプレスに2回乗れたのは良かったです。螺旋階段を昇降出来たのもこの2回のみでした。ちなみに 08:40のSORA STAGE、ウィングレットの左側にあるファンブレードは300型で使われたJT9Dエンジンのモノですよね。展望デッキ側にも同じくJT9Dのカウルがあって、触ったり中をくぐったり出来たのが嬉かったです。
SOLA STAGE行かれたのですね。あまり期待しないで行った所、思いのほか楽しめました。エグゼクティブエクスプレスに乗られたのは、凄い羨ましいです。
B747はホノルルへ行った時にJALWaysの-300に数回、ニューヨークへ行った時にデトロイトまで乗ったNORTHWESTの当時最新鋭の-400、そして数年前にソウル経由でコナに行った時にソウルホノルル間で-8、国内線では伊丹発着線で東京や福岡線でよく乗りました。今振り返ってみると、恐らく人生で一番乗った事のある機種で、私にとって今でも非常に思い入れのある機種です。
今では有り得ませんが、私が初めてフライト中のコックピットに入れてもらったのは747-200でした。3人乗務のナビゲーターがいたのが印相的でした。
昔は、そのような事が出来たみたいすね。羨ましい限りです。
私も小学生の頃に1人で乗った際に入れてもらったことがあります。上も下も計器類がビッシリ。パイロットの方々の凛々しい姿。そして、何よりも凄かったのがコクピットの窓のパノラマビューを通しての普段は絶対に見ることのない「雲上の世界」。あれから年月は流れましたが、今だにはっきりと記憶しています。現在の「保安上の理由により、子供達のコクピット見学はできない」という話を聞き、とても残念に思います。いつか子どもたちに「普段は見られない、未知なる空の世界を見て感動した特別な日」がまた来て欲しいものですね。
JALの747には赤ちゃんの頃から沢山お世話になったなぁ。アッパーデッキへ登るあのワクワク感はたまらなかった。自分の中では永遠の鶴丸ジャンボです。
昔JALのスーパーリゾートエクスプレス沖縄に乗った事があり使用機材はB747300SUDという300型の国内線版でした。往復伊丹⇄那覇に搭乗し1階席2階席両方乗る事ができました。2階席の特別感は今でも印象に残ってます。
いわゆるリゾッチャって奴ですね。一度乗って見たかったけれど、結局乗れずじまいでした。
チビッコの頃から飛行機のビデオを見まくっていたせいか、今でも「航空機と言えばジャンボ」というイメージが明確に残っています。顔と思えてしまう大きな上半部、4基のエンジンを携えた巨大な翼、そしてあの轟音と共に巨体からは想像できない程に優雅に空に舞う離陸の瞬間。全てが懐かしい思い出です。完全に余談ですが、日本航空で旅行してた影響もあり「ジャンボと言えばJAL、JALと言えばジャンボ」というイメージもまた健在です。どこかで日本航空のロゴが残ったジャンボはいないものか・・・
JALは、CMでも良くジャンボを使用していたので、JAL=B747って印象の方が多いですよね。私もそうですが。
@@NORITOBI 最近知ったばかりですが、JALのジャンボが転売・改造の末に空中消火機スーパータンカーとして今も活躍しているらしいです。確か名前はスピリット・オブ・ジョン・ミューアだとか
私が初めて海外出張に行ったのがNY。その時に搭乗したのが747-SPでのノンストップ便。40年以上も昔の話です。それ以降、海外の仕事が長く、747-100、200、400、-8と搭乗。-400のビッグトップの2階席。1階の最も先端の1C席などいろいろなところに座りました。今では良い思い出です。
1Fの先端って、いわゆる艦長席というやつですね。一度座ってみたいとは思ってましたけど、残念ながら私には縁がありませんでした。
エアポート75という映画で、小型機と衝突しても生還した747に驚きました。当時DC8と727にしか乗った事の無かった私が初めて搭乗したとき、その巨大さ、中の広さ、飛んだあとの静粛性や安定性に感動しました。でもそれが日常のことになり、90年台などは成田は色とりどりの747だらけでしたね。2000年以降は殆ど飛ぶこともなくなり、たまに乗ってもA320。気がつけばどんどん747は数が減り、何かとてもさみしい次第です。
エアポート75って、小型飛行機がジャンボに衝突してパイロットが死亡してしまう話でしたっけ?子供の頃、見た記憶があります。
@@NORITOBI そうです。小型機がコックピットをかすって穴が開き操縦者が怪我等で全滅します。CH53(?)ヘリからワイアで操縦資格者が降りてきて開口部から乗り移って操縦を引き継ぐ、という感じでした。ジェットヘリとはいえ、747とヘリが等速で飛べるというのもなかなかショッキングな映像でした。747ってあんなに低速で水平飛行できるんですね。
私は飛行機をしょっちゅう乗る訳ではありませんが、ボーイング747にはお世話になりました。本当にロングセラーの名機でした。
私も数えるくらいしか乗っていませんが、飛行機が好きになったのは、ジャンボに乗ったことがきっかけでした。
わかりやすい動画ありがとうございます😊
こちらこそ、御視聴いただきまして、有難うございます。動画作成の励みになります。
もう20年以上前になりますがヨーロッパやアメリカに出張に行く際はいつもB747でした。国内便でもB747に搭乗するのは何だか特別な気分がしたものです。2014年にヨーロッパ~アジアを海外の航空会社で飛んだ際にB747に乗ったのが最後ですね。その時既にB747の運航は少なくなっていましたし、退役も間近だったのか、シートアレンジも一昔前のタイプでした。
国際線では載ったことが無いのですが、国内線で、B767やA300に囲まれた中でのB747は、存在感ありましたよね。
子供の頃羽田空港に行って初めて見たパンナムの747を見て以来747が大好きでした!!初めて747に搭乗したのは200811月にJALボーイング747ー400DJA8904でしたが、アッパーデッキの窓席からの眺めは感動したのを覚えています!!その後ANAボーイング747ー400DJA8099が1回、JA8965が2回と合計5回沖縄行きで搭乗させて頂きました!!ANAの747−400Dがアメリカに向けて離日した夜も羽田空港第2ターミナルで見送りました。政府専用機も引退し貨物機しか残っていなくたまに航空科学博物館で見に行くだけになってしまい2022年に生産終了と聞き残念な話題ばかりですがずっと747を見続けて行きたいです!!For ever747!!😊
パンナムの747は、格好良かったですよね。それだけに、ロッカビーでテロにあった時は悲しかったです。
旅客機としての使命を終えても元々貨物機設計なので十八番の荷物運びで更に活躍出来る4発だからこそ双発では手が出せないパワーや冗長性で双発機では真似できないその他の運用にも用いやすい飛行機の中で最高に器用なモデルだと思います自分が乗った頃はまだ循環式トイレが付いてた古い時代でしたがもっと乗っとけばよかった…
私の場合、気が付いたら引退していました。(その時は、飛行機趣味から離れていたので。)
新幹線0系と同様、姿が本当に美しい。時流とはいいえ、退役は残念ですね。
人々の記憶に深く刻まれたスタイルですね。
私がまだ小さい頃飛行機が好きになったきっかけがジャンボジェット機でした。 子供の頃はジャンボで覚えていて飛行機と言ったらジャンボでした。大きくて,大きいエンジンが4つ付いてるエンジンが当たり前のように昔は空港に離発着していましたね〜 747が当たり前で逆に他の航空機が珍しく感じていました💦 ただいつかは世代交代が来る事は分かっていましたが、いよいよその時が近づいたように感じます。自分は成田空港によく撮影しに行くのですが、めっきり747が減っています。 ほとんどが貨物機で運用されています, 今までの思い出をカメラに記録し,楽しい人生を歩んで行こうと思います! 長文失礼しました。
貨物機としての活躍が、最後の活躍になるのでしょうね。B747登場時にボーイングが想定した、最終的には貨物機に、と言う考えに、ようやくたどり着きましたね。私も、撮れるうちに撮っておきたいと思っています。
ただ一度だけ乗った旅客機がB747-100。それも今は無き日本アジア航空。行き先は台湾のこれまた今は無き中正国際空港。会社の出張でしたが、懐かしい思い出です。
昔は、国際線は、ほとんどジャンボでしたね、今考えるとすごい時代です。
@@NORITOBI 母親が昔香港旅行した時もキャセイパシフィック航空のB747でしたね。弟がアメリカ留学で旅立つ時はさすがに違ってデルタ航空のMD-11でしたけど笑でも当時の名古屋空港に飛来する外国機はほとんどB747。昔はスタンダードだったんですよねぇ。
初めて飛行機を好きになった時、当時まだ私は3歳で、あの頃はJALの経営破綻でそのジャンボが消えつつあった頃でした。そんな中で幼かった私は図鑑で見たジャンボに虜になっていました。ANAの方はそれから4年間は飛んでいたわけですが、我が家がお盆の帰省にしか飛行機を使わない主義の家庭だったので鹿児島に親の実家がある私はジャンボに乗ることなく、また引退も知ることなく小3の頃まで推移していました。ある日空港の滑走路脇の展望公園で飛行機を眺めていた時に父が突然に「昔はあんなにたくさんのジャンボがいたのに」と言い出して、知らない間に引退していたことを知って軽いショックを受けると同時に、そこで見たB777のジャンボに負けない雄大さに虜になり、現在私の最も好きな機種はB777-300ERだったりします。追記上記のようなことが原因で実は私が乗ったことにある2通路機(ワイドボディ/セミワイドボディ)はB767-300だけで、他は全てナローボディやリージョナル、プロペラ機なんです…長々と面白くもない話申し訳ございません。
体験談やその機体に対する思い入れをコメント頂けるのは大歓迎なので、大丈夫ですよ!
問答無用で一番好きな機体。「空の女王」、見た目も威風堂々、とにかくカッコいいし、いい「表情」の機体。各国の747の機体の画像を、自分のパソコンのデスクトップ画像にしてニヤニヤしてる(笑)でも時代の流れからか、当たり前に国内でも飛んでたのがなくなってしまい、悲しく切ない。エコや効率を優先するのはしょうがない、でもこういう「レガシー」は残してもらいたくもある。そういう意味でも、古き良き「昭和」がなつかしくもなり。
たまに、ハッとする光景があるんですよね、ジャンボって。
お返事、ありがとうございます、光栄です!いつも貴重な、有益な、興味深い動画をあげていただき、ありがとうございます!
成田では旅客機ではなく貨物機のジャンボがまだ活躍してるので、しばらくはその勇姿を見ることができます。ただそのかわりに、世界最大の死者数を出してしまった飛行機(単独機、1事故の死者数)であることも忘れてはいけないです。あしたで日航機の墜落事故から35年。あっという間というべきか、もうそんなに経ったというべきか。
B747は、-400以前の機体は、大きな事故も割りと多かったし、それ以外にもテロの標的になる事も多かったですね。本日で、あの事故から35年ですが、それ以降大きな事故が無く来たのは、航空会社や関係機関の努力の賜物でしょうか?今後とも事故ゼロで行って欲しい物です。
LA 在住の者ですがニューヨークの同時多発テロが起きた際女房が日本に行っており、世界の旅客機が再度飛べるようになってすぐ大韓航空の 747 でこちらに帰ってきましたが、あのどでかい飛行機に乗客がたったの11人。CA さんの人数のが多かったようで機内のシートベルト着用サインが消えると同時にインド人風の男性がいきなりスクッと立ったので、女房も含め残りの乗客は「えぇ、ここでぇ」と心臓が止まるほど全員びっくり仰天したそうです。その彼は単にトイレに行くのをずっと我慢していただけのようです。
あの時も、国際線はコロナ禍の様な感じでしたか。9.11の約1週間後に乗った国内線は、あまり変わらなかった印象だったのですが。
いやアメリカの号令で1,2週間世界中の国際線全ての飛行機を飛ばせなくしましたよね。日本の国内線は関係なかったんですか。
子どもの頃、飛行機と言えばB747でしたし、東京へ行く時は必ずB747で、二階席に座るのが楽しみでした。初めての海外旅行はパンアメリカンのB747。懐かしい思い出です。優雅なスタイルのジャンボ機は貫録さえ感じられます。時代の流れを感じます。
B747ほど愛された機体は無いかもしれませんね。
人生の中で、一度も搭乗したことがないけども旅客機の王者として記憶に留まる美しい機体。っていうか、まだ生産していたことに驚きました。
2階席のコブがアイデンティティーであり、愛嬌かつ優雅さの源となってますね。残念ながら、B747も今年の夏ごろに生産終了のニュースが流れ、一つの時代が終わったような感じです。
亡き父が1970年の導入時から23年間に亘り乗務していました。私が子供の頃、就航開始が近づいてくると、計器を模した実物大の紙をふすまに貼って家でも「訓練」していたのを思い出します。
やはり、今のようにシミュレーターも無かったでしょうから、プライベートでも研鑽は必要だったのですね。
@@NORITOBI シミュレーター(窓の景色はCGではなく小型カメラがジオラマを撮影し、それを映写機で投映する初期のもの)はあったようですが、たぶんその訓練前の予習だったんだと思います。
初めて乗った飛行機がノースウエスト航空の747-200bだった記憶があります。その後、JALの200b、300、100sud、300sr、400、400d、ANAのsr、400、400dと国内の航空会社でもいろんな派生型の747を乗りました。やっぱり747には777には無い独特ないい雰囲気がありますね。空港で離着陸機が747だとつい見入ってしまいます。
やはり空港でも存在感がありますよね。
貨物型がアッパーデッキを拡張しないのは、2階席部分のせいで1階席部分が圧迫されるのを避けるという理由もあるそうですね。
そうみたですね。アッパーデッキの下は、1階部分の天井が低くなるそうで、それで搭載量が減るのを嫌ったとか。
@@NORITOBI でも、貨物型の747の後継はどうなるのでしょうね…少しづつながらも多少は需要があると思うのですが…777-8Fとかあったりしないかなと個人的には思ってます
まあ、順当に行くと、777Fでしょうね。結局、貨物機も双発機に取って代わられる運命なんでしょうか?
@@NORITOBI 新造機はB777-200Fだけですが、B777-300ERの貨物改修機も発表されてますよ。噂によれば、B767-400ERの貨物型を新造するとか・・・
@@strikeeagle451 -400ERだとエンジン換装しない限り胴体の長さの割に搭載量は少なくなると思いますし、777-200と機体規模にそこまで差がある訳でもないので個人的には無いと思います
私が初めてB747に搭乗したのは、日本の航空会社から全機引退した後でした。仕事の都合でアメリカへ行くことになり、最近まであった?デルタ航空B747の成田ーデトロイト線に乗りました(行きのみで帰りはB777)。4発機だったからかわかりませんが、あの安定した飛行はとても頼もしかったことを覚えています(まぁ、帰りの成田が荒れてたのは置いといてw)。退役が進んでいることは惜しいですが、あの大きな翼に乗れたことは良い思い出です。今までお疲れさまでございました。
長い期間、飛んでいたこともあって、様々な方に、様々な思いがありますよね。未だに、漫画の空港での別れのシーンでは、コブのあるジャンボっぽい飛行機だったりしますし。それだけ絵になる機体だったのだと思います。
ジャンボお疲れ様でした。私が初めて乗ったジャンボはパンナム香港-成田間、機種は747SP。1985年頃だったかと
パンナムは、乗ったことも、直に見たこともありませんでしたが、あのカラーが憧れでした。ロンドン近郊でテロにあった時はショックでした。
@@NORITOBI カラー格好よかったです。CAさんがベテランの方ばかりだった記憶あり(笑)
札幌に住んでいると北海道から出るには飛行機一択で千歳空港利用となりますが、10年前くらいまではほぼ747-400でしたね。多数の方が言及されていますが、2階席が静かで好きでした
2F席は1度だけ乗った事がありますが、貴重な体験でした。
カンタス航空の747と言えば、羽田空港の隅っこにいるのを、モノレールから何度も見かけました。
早朝に羽田に飛んできて、夜オーストラリアに帰っていくまで、羽田空港の隅で昼寝していましたね。
コロナが死滅(終息)しても、退役した747は、もう、帰ってこない😭でも、747の事は一生忘れないよ。747が大好き!!♥️
旅客機も基にした民間貨物機で機首部分の貨物扉(通称、ノーズカーゴドア)を設置できるのは747フレーターのみ。元々、747は貨物機構想から誕生した機種であり、二階にコックピットを設け、前脚を機首の斜め下に設けたのも、機首の貨物扉を設けるため。特に、機体左側の貨物扉からは積み込めない長尺物は、機首の貨物扉からなら積み込める。747フレーター以外の民間貨物機は長尺物を積めるが、機首の貨物扉は設けられない。
着陸時揚力を保つ為のフラップが、主翼の前縁にもあり複雑で繊細な構造をしているなーって感心した記憶を思い出しました。まだ運行しているエアラインで乗ってみたいですね。
ジャンボに乗れた時は、そこまで飛行機に興味が無かったので、今となっては、もっと観察しておけばよかったと後悔しております。
現在だからこそ、747は燃費が非常に悪い、維持費がとても嵩む、操縦できるパイロットも乗務できる客室乗務員も整備できる整備士も乗り入れられる空港も離着陸できる滑走路も全座席をも満席にできる乗客も限られると言う理由に加え、ハブ&スポーク方式の衰退とコロナ禍による航空不況に見舞われて退役が大幅に加速してしまっているが、航空ファンの記憶の中では永遠に飛び続けている。俺も大好きな747の勇姿と思い出は永遠に忘れないよ😂
非常に懐かしい機体です。もちろん乗りました。SR100。動画を見ていて当時最高水準を誇っていたプラット&ホィットニーJT9Dエンジンが記憶に蘇りました。静かでハイパワー。ボーイングはP&Wとの相性がベストマッチでした。ふと日航123便がB6だったら結果が違っていたのではと思ってしまいました。当時のPLATOは優秀だったと記憶してます。
JT9Dは、独特な音なエンジン音らしいですね。B747--300に乗った事があるので、(もしかしたら767でも)その音は聞いている筈ですが、当時飛行機にあまり詳しくなかったので、残念ながら、よくわかりませんでした。
交通科学博物館に大型模型で展示されていたのが747でしたね。
ジェット機=B747って風潮も有りましたし、飛行機の代表と言うことでB747だったのかもしれませんね。
@@NORITOBI 最近知ったことですが、引退したJALのジャンボが転売・改造の末に空中消化機スーパータンカーとして今も活躍しているらしいです。名前はスピリット・オブ・ジョン・ミューアだとか
お疲れ様です 期待を保存して ホテルやレストランみたいなことはできないのでしょうか?旅行でなくても飛行機気分を満喫とかみたいな
巨大なので、輸送費、地代が膨大になってしまうのでしょうね。海外には、DC-10やA320をレストランに改装したものもあるようですね。ニュージーランドの、とあるマクドナルドでは、リタイアしたプロペラ機の中で食べられる様になっている所もあるみたいです。また、スウェーデンにはB747を改装したホテルがあります。
小生の女房は南米ウルグアイ出身で、ウルグアイにいた時に知り合ったのだが、長男が2歳ぐらいの時だったか、長男を連れて初の里帰りをした時の事。機内は比較的空席があって、エコノミークラスの搭乗券だったにも拘わらず、CAは2階のビジネスクラスの席をあてがってくれた。このサービスには女房も大感激だったようだ。あれから30年近く経った。余談だが我々は今は別々の道を歩んでいるが、、、。
長い間に渡り、沢山のお客さんを運んだだけあって、色々な人に色々な思い出を作ってきたのですね、ジャンボは。
初飛行&就航当時の747は、C-5に次いで二番目に大きかったが、旅客機としては世界最大の旅客機及び旅客機の王様だった。特に、1970年代から90年代までは、世界中の航空大手各社が長距離または超長距離路線で747を大量運航しており、ライバルの大型三発ワイドボディ旅客機(DC-10、L-1011、MD-11)も大型四発ワイドボディ旅客機(IL-86、IL-96、A340)も、座席数では747より右には出られなかった。しかし、全長では777-300とA340-600に抜かれ、航続距離も777-200LRとA340-500に抜かれ、2000年代には座席数もA380に抜かれてしまい、世界最大の旅客機の座をA380に譲った。しかし、民間用貨物機としては、現在も747が世界最大の民間用貨物機。(747フレーターに太刀打ちできる他社製と同じボーイング製の貨物機は存在しない)
B747の後継としての地位を確立したB777でさえも退役が始まっていることに、時代の流れを感じました。話は変わりますが、2階建ての乗り物と言えば上越新幹線のMaxとき(E4系)も2021年10月17日がラストランとのことです。最近はめっきり乗る機会が減りました。寂しいですね。斎藤紘丈
E4は、長野の基地が水没した影響で、廃車が延期されましたよね。とうとうですか。
機内に階段や別室(二階席)があるのは魅力的ですけど、バリアフリー云々以前に非常脱出時の事を考えるとワンフロアの方がいいのでしょうね。燃料消費量も含めてオールツーフロアのA380は尚更。ANAはスカイマークの前経営陣が残しまくった泥水をやむを得ず被ったようなものですし。
2階席の脱出シューターから降りるのは、怖そうですね。
'80年前後に東京とNYの間を行き来する事がよくありました。当時は、アンカレッジ経由で運行されていて、パンナムが直行便を飛ばすと言うので私もJALからパンナムにスイッチしました。1時間の短縮になりましたが、長いので一回アンカレッジで降りてタダのうどんを貰うのもアリかと思いました。あと、二発で太平洋便を飛ばせないので三発のDC10が登場しましたが、B747に比べるとキャビン中がしょぼかったので好きでなかった思い出があります。余談ですが、元JALのB747と同じく元JALのDC10の二機が山火事消火のタンカーに改造され、その二機が一緒にカリフォルニアで活動しているTH-camを見た事があります。【編集】見つけた。6:30辺りで合流→ th-cam.com/video/mW0XQI525UE/w-d-xo.html
直行便とアンカレッジ経由で、1時間しか変わらないのですか?思ったより短縮されていなくて驚きです。
@@NORITOBI 14時間が13時間になったと記憶しています。自分も、それだけ?と思いました。
10年以上前に北海道へ旅行で羽田から札幌へ飛ぶ際に、朝 早い便で早めに行って展望台に上がったら、黄色と青色のポケモンジャンボが二機並んでいて感激して時間が少ない中 写真を撮影したのですが、すぐに動き出して落ちついて撮影できなかったのを覚えています。多分、その旅行の帰りが機種がジャンボに変更になってまたもや感激! 往復で何か不思議な縁を感じました。それからしばらくしてからジャンボ機の退役が発表されて寂しい思いを抱きました。
ジャンボは、日本人に愛されいたのか、色々な思い出をお持ちの方が多いですね。記憶に残る飛行機です。
自分の中では飛行機=B747-400だった名機よ永遠なれ
いまでも、普通に日本の空を飛んでいるような気がしてしまうのですけどね。それだけ日常に溶け込んでいたでしょうね。
NORITOBI ほんとそうですよね。空から消えても人々の記憶から消えることはないでしょう。飛行機に全然詳しくない人に飛行機の絵を描かせたら殆どの人がこれを描くはずです。
747こそ空の皇帝!747があったから飛行機好きになったけど、それも終わりか。。。残念です。悲しいです。
B747どころか、B777も怪しくなってきました。
10:12が787-8Iになっていますよ!
すみません、動画作成中に、なぜかB747とB787が混同してしまった所があったので、直したつもりだったのですが。ご指摘有難うございます。
いつか2階に乗ってみたいと思ってたなぁ🥺
1度だけ、2階席乗ったことあります。
JA8127が最後の北極回りでした。 成田→アンカレッジ→ヅッセルドルフ→シャルルドゴール 帰路がベルリンシェネゥェルト→フランクフルトアムマイン→成田でJA8177でした。 同時多発テロの時にアッパーデッキに乗りましたが静かでした上に自分一人でした。
成田発アンカレッジ経由の欧米行きって、80年代の定番でしたね。アンカレッジの空港に立ち食いソバ屋もあったようですし。
@@NORITOBI 様 1991年10月30日 437便です。 アンカレッジはうどんでしたがどん兵衛に似た味でした。 最後にJA8127を見たのが2003年9月羽田で沖縄便だったと思います。1971年の夏、亡き伯父に連れられて九州の実家に行ったときに子供に747のプラモデルが配られました。 機内で伯父が「あそこに大きな飛行機が見えるね、 DC-8といって北極を回ってヨーロッパに行くと(九州弁)。 アラスカは昨日の時間ね。 そして北極を通ると。 しかしこれからは(プラモデルの)こん飛行機がDC-8に代わる。 そして多くの人が世界を訪れる。」と言ったのが初めてジェット機に乗った時の記憶です。思い過ごしになりますが日航の747でレジナンバーが末尾が9だと思うことがあります。 JA8109がドバイ事件、そしてJA8119が123便です。 ドバイ事件の8109は焼け残った後部をKLMに売却されましたがテネリフェで衝突事故をおこした機体に移植されたと聞きます。
ボーイング747、通称ジャンボジェット機は大量輸送時代の象徴だ。昔、国際空港は羽田と伊丹のみで、当時はジェット機発着枠制限が厳しく規制されて、B707やDC−8にCV880等のクラスでは限界が来ており、1970年に初めてジャンボジェット機が羽田に来たときは感動しましたね。ジャンボ機の登場で発着枠制限問題が解決して、運賃も下がりこれ迄の問題を解消する出来事でしたね。私は北海道に帰省していた頃、よく日航や全日空のジャンボジェット機に世話になりましたねぇ。−SR、−200B、−400Dに乗りましたなあ〜。今じゃ777−ERに置き換えられてしまいました。いずれ姿を消す事になるががんばって活躍して欲しい次第である。👋🤓
今の技術なら双発のジャンボとかできそうですが、見てみたい様な、見てみたくない様な・・・。
@@NORITOBIさんへ私にとっては…ビミョーですよ❗現に全日空がA380がありますからね😂
JALが就航した時、380名程度で20人もスチワーデスが乗っていましたwww、72期とかです、
20人は凄いですね。それだけJALとしては気合が入っていたのでしょうか?
JALで運航が始まって半年から1年位後だったかなぁ、大学3年の時に乗りました。フランクフルト直行だったと思います。搭乗する時に外観がでかいな~と思ったものです、勿論客室が異常に広~く講義室にでも入った感じでした。しかしエンジンの高周波音がきつくて快適な気分ではなかった記憶があります。
エンジンの高周波の話は、実際乗って見ないと分からない話ですよね。
初めて見たときは、こぶのようなデザインが嫌いでしたが、着陸時の、すだれのようなフルフラップは、白鳥の着水時の翼に酷似していて感動的です。
当時は、あまり注意してみていなかったのですが、すごいフラップですよね。
私にとっての飛行機はB747-400です。退役してしまうことは残念ですが、それも時代の流れです。
より良いものに取って代わられるのは、世の常ですが、名残惜しい気がします。
747貨物型最新型の747ー8フレーターは世界最大の民間貨物機だけでなく、C-5よりも一回り大型で最大貨物積載量も多い。747ー8フレーターにはまだまだ現役で活躍してほしい(完全退役は2030年~2040年頃?)。
2003年10月にANAのマイルタダ券で東京-福岡線で1度だけ2階席に乗りました。想像以上に高く感じました。この日はダイエー阪神の日本シリーズ初日で大勢のタイガースのユニフォームを着た連中が乗っており、スチュワーデスが飛行機を降りるトラキチ一人一人に「楽しんでください」と声をかけていました。福岡空港に降りると空港は元より福岡空港駅も福岡市内もトラキチばかり。飛行機の大型化とタイガース人気を痛感した日でした。相手が中日のときは中日ファンなど福岡で見かけることはなかった。試合は我がホークスのサヨナラ勝ちと日本シリーズ優勝。それにしてもタイガースファンも新幹線で見に行ける甲子園ではなくわざわざ九州まで乗り込むとは(福岡の試合が土日だったというのもあるけど、タイガースファンは平日会社休んででも見に行く)
よく、「どこにでもいる阪神ファン、どこにでも行くロッテファン」と言われますが、それでも熱心な阪神ファンは、追いかけていくものなのですね。
@@NORITOBI でもビジターファンが日本シリーズで福岡ドームを占めたのはカープファンが一番でした。広島-福岡は新幹線で1時間、バスで4時間の近さ。次いで阪神、巨人、横浜の順。ヤクルトや中日の時はビジターファンは皆無に等しかったです。
日本の国情に1番マッチしていた飛行機。日本には747と767しか保有していなかった会社もあった
今,羽田でも小型機が多くて少し寂しいですね。
@@NORITOBI 737 320、エンブラだらけで寂しい
A380は遅かったか
ANAの東京-長崎線にも就航していたから、長崎空港でも見れました。残念ですが、乗ったことは無いです。
ANAは、準幹線にもよくジャンボを入れてましたね。
人生初フライトはB747で始まり、当時は小型機=恐いイメージが強く、国内移動もわざわざ羽田まで行って搭乗してました。これまでに乗ったB747の航空会社はJAL・ANAの2社、搭乗機種は-100SR(ドリームエクスプレス塗装含む)・-100SR(SUD)・-300(JAA塗装)・-400・-400Dでした。アッパーデッキのスーパーシート(現国内ファーストクラス)は限られたスペースでVIPになった気分だったのも思い出です。今でもイチバン好きな機種であり、イチバン思い出のある機種で、B747がこの世に存在しなかったら旅客機を好きにならなかったでしょう…厳しいでしょうが、またいつか復活する日を待ってます。
私がジャンボに乗っていたときは、あまり飛行機に詳しくなかったので、国内線で、アッパーデッキが長いものは全て‐400Dだと思っていました。なので、何に乗ったのか良く分かってないです。ただ‐SR100と、機種変更でやって来た、JAAの-300は分かったので、それは区別が出来ました。
十数年前に、成田発伊丹行きの全日空の 747-400のポケモンジェットに乗った記憶があります
ポケモンジェット、懐かしいですね。そういえば、今度スカイマークでポケモンジェットやるらしいですよ。
「こんなにでっかいオーラシップがいるのか!」ってバイストンウェルの兵士の人が言ってた。
羽田空港のでの動画。東海汽船のセブンアイランド大漁が写っていますね。
ジェットフォイルの事ですね。ボーイング929ですね。
ETOPSは機種一括ではなく機体別に認定される→へぇ!ANAの場合はドアの下にETOPSと書いてある→へぇ!ジャンボの感想じゃなくてすいません…
ある意味 最も縁のあった機体だった日本初飛来?のパンナム747を偶然羽田で観たね 修学旅行でね1970年だった 初めて乗った機体も747747を経験してからのMD87?だったかな 非常に狭く感じたもの世界で最も名を馳せた旅客機と思うなあっ
こKまで存在感のある機体は、もう出てこないかもしれませんね。
現在だからこそ、旅客機のして役目は殆ど終焉を迎えてしまった747だが、貨物機としてはまだまだ現役で活躍できる。特に、最新型747-8フレーターは、C-5よりも一回り大きく、最大貨物積載量も140トンと多く、重量物や長尺物も運べる。747フレーターには、まだまだ現役で活躍してほしい。
仕事の関係で全国各地に飛行機を利用させていただきますが、機材が747だと安心感というか「今日は揺れないな。」と安堵している自分が居ました。今でもこの先もずっと747、好きです。そうですか、羽田でANAやルフトハンザの747が居なくなって、赤いカンガルーの747にモノレールの車窓から「お前が最後かな?頑張れよ。」と思いながら挨拶してました。もう会えないのですかね。
ルフトハンザの747-400は、A380と共に終了のお知らせがありましたが、747-8は、また羽田に戻ってきてくれると信じています。
@@NORITOBI いつか、また、きっと( ´∀` )。
747は民間機(旅客型、貨物型、貨客混在型全て含む)だけでなく、軍用機(米空軍のE-4、VC-25)としても活躍している。かつては、NASAもシャトル輸送機の747を、航空自衛隊の特別航空輸送隊も747の政府専用機を運航していたが、現在は共に退役させてしまった。
カンタスのジャンボ、私も羽田行くといつも昼寝してた印象が強いですね。-4001度は乗ってみたいですがもう難しいですかね...
日本に乗り入れてくるのは、羽田に来るルフトハンザの747-8(今はコロナ禍で運休中ですが)だけですかね?タイ国際航空も、どうなるか分かりませんし。少なくなりましたね。
NORITOBI 那覇がー新千歳がーってたまに聞くんですがあっちはどうなんですかね?確実なのは日本人は乗れませんが横田や嘉手納がありますね笑
大昔の話ですが1976年に生まれて初めてのそれも一人旅でオーストラリアの親戚の家に遊びに行った事があり、当時は香港の啓徳空港経由でシドニーに飛ぶ便しかなかったと記憶しています。メインの機体はB707だったのですが帰りの香港から東京羽田への便がB747でした。なんか大きすぎる機内に物凄い違和感を覚えたのが印象に残っています。あっ会社は”PAN-AM”でした。今の人達からすると知らない事ばかりでしょうね(^^; 因みにJALのB747は家族旅行の時、一度だけ搭乗した事があります。1990年頃はJALのチケットは高くて個人の一人旅では買えませんでした。その後もノースウエストのB747でアメリカの西海岸に行ったりしていましたが、2013年にホノルル に行った時のユナイテッドのB747が最後のジャンボへの搭乗の記憶です。搭乗していて最後まで”デカイ機体だなぁ”というイメージでしたね。個人的にはアメリカンのDC-10の方が”なんか落ち着く”って感じでした。とはいえ海外旅行の概念を変え、気軽に行けるようになったのはB747のおかげだと感謝しています。いつまでも飛んでいて欲しかった❣️
パンナムは、子供の頃から知ってはいましたが、物心ついた時には潰れていました。写真等で見る白地に青い文字と地球儀は、今見ても格好いいと思います。
1950年代~60年代就航の大型ナローボディ旅客機(707&DC-8&CV880&CV900)よりも一回り以上も大型で座席数と航続距離も2倍~3倍を誇った世界初のワイドボディ四発旅客機、それが747。しかし、就航当初の747はあまりにも大き過ぎて、全座席を埋め尽くす乗客はいなかった。そこで、747を導入した航空各社は、それまで割高だった航空運賃を値下げし、高嶺の花だった海外旅行を庶民化させた。747のお陰で俺達一般庶民が気軽に海外旅行へ行ける様になった。
今まで一番利用した機材が747ですね!個人的には767やA330などのシートピッチ(2-3-2)か2-4-2の配置のほうが好きです
確かに乗る方にとっては、ジャンボの3-4-3の座席より、767とかの座席配列の方がありがたいですね。
アバター航空ってどうなるんでしょうかね
アバター航空は、残念ながら知らなかったので、調べてみましたけれど、B747×30機のLCCなんて、とても魅力的ですね。でも素人が考えても、上手くいかなそうな気が・・・。5月上旬にアメリカ運輸省に申請を却下された情報までは追えましたが、その後が不明ですね。
ジャンボジェット、何と美しい機体。カッコ良さと美しさで航空機史上最高だと思う。ジャンボジェット機は揺れも少なく安心して乗れる。正に大船に乗った気で乗れた。777はそれ程大きさは変わらないのにジャンボ機の方が揺れない感じるがする。恐らく、777はビビリ音やきしみ音が以外と多くジャンボ機はそんなのは皆無だった。飛行機が余り好きでは無い妻はジャンボ機なら文句なく搭乗を嫌がらなかった。アメリカ出張もハネムーンもジャンボ機ばかりだったのに…。もう乗れないのは寂しい。
ジャンボの、あの独特のフォルムは、飛行機が詳しくない人でさえ知ってますよね。それだけ日本人に愛されたのだと思います。
世界一ジャンボ機密度が高かった日本の空。海外のように大きな空港が無かった頃、発着回数の制限を機体の大きさでカバーした苦肉の策がジャンボ機導入。いい時代だった。地方への路線でも国内仕様のジャンボ機が就航していた。
旅客機としての活躍はあと10年くらいで終焉を迎えそうだけど貨物としての活躍は、ここまでB4が活躍してきた期間くらいあるのでは?-8も22年まで製造されるし。何より飛行機の歴史に偉大な功績を残してきた機体だから一機くらいはレストアしたりしてアクティブに保存されそうな気もしなくはないと都合よく思ってます。
中華航空も引退させるようですし、どんどん乗れる機体が減ってきていますよね。
日本では、旅客型だけでなく、政府専用機の747も全機退役してしまったが、貨物機としてはまだまだ現役の747。貨物機の747は、当面の間、現役で活躍できるだろう。
ぶっちゃけジャンボは【ボーイング社】ですら「何故売れるか⁉️」分からなかった機体😅オーダーしたパンナム社経営陣の慧眼が光りまくってた時代の寵児。ただ、最近は空港を筆頭に【邪魔者】扱いが酷かった…なのに、エアバス社は何故にA380を開発したのか⁉️意味不明😁
大型機受難の時代ですね。
いや、むしろ【乗り手側主体の時代】と前向きに考えましょう😄遠い隅っこの搭乗口まで歩かされる事もなく、乗り降りに異常に長い時間を強いられる事もなくなったと。
9:34成田空港じゃね?
そうっすよ。
昔、パンナムのB747SPを成田で見たこと有ったな😂
かなり昔、旅行に行ってきたおばちゃんにどんな飛行機だった?って聞いたら、「行きはジャンボジェットだったけど、帰りは空襲しにきたようなボロい飛行機だった」って言ってました。それだけジャンボジェットは見た目にインパクトが強い飛行機だったと思います。
ジャンボは、飛行機に詳しくない人も知っていますからね。昔、同僚と出張に行った際、飛行機がB767だったのだけど、ジャンボじゃなくて文句言ってました。あと、空襲しにきたようなボロい飛行機が、何だったのか知りたいですね(笑
1985年8月12日に発生した、日本航空123便墜落事故に、運用されていたのも、ボーイング747型ジャンボ機です。520人の乗客が、犠牲になりました。
あの事故は、かなりトラウマでした。
後退翼ですごく馬力がありますよね!NARITA34L離陸で滑走路中央からvrしてるのが見えました。燃費がめちゃめちゃ悪い!ANAが昔改良した73がNaritaムンバイまで行った燃料で74だとNarita福岡までしか行けないとパイロットが言ってました。74は元々軍事用機体を改良してるのでコックピット上部が狭いって言ってましたね。一番は燃費の悪さだと思いますね:残念です
そんなに燃費が違うんですね。
個人的にはa380の方が好きだな
A380の方が基本設計が新しいですからね。そのような方もいらっしゃると思います。
夏休みの那覇行きのB777-200ERから見えた羽田の片隅に置かれていた謎の赤と白のB747。この動画で謎が解けました。あれはカンタスのB 747だったんですね。
カンタスのジャンボは、早朝に羽田にやってきて、夜にシドニーに帰るスケジュールだったので、その間、羽田の隅に置かれていました。色が色だから、目立ちますよね。
747は100はさすがにないけど、-200SR以降、特に-400はよく乗りましたねぇ。ほとんどNHですけど、BA,QF,TGとか海外のキャリアも乗りました。最後に乗ったのはTGのBKK→HND便が5年くらい前てしたか。B747シリーズとして最後に乗ったのはCAの-8ICで、PEK→JFKでしたねぇ。LHなんかにも乗りたかったのですけど、この状況で、あと乗れるかどうか微妙です。
今年の初めくらいまで、TGの-400とか、LHの-8は羽田に来てましたけれど、また来ると良いですね。私も乗って見てたいです。
ブルーバックスのジャンボジェットはどう飛ぶか、は名著。こう言う書籍が存在すると言う事が、B747がどれだけエポックメイキングな航空機かと言う事が判る。ある意味新素材を多用し此までの航空機と一線を画すB777ですら、B747の足元にも及ばないと言う事を示している様に思う。然し、恐らくはもっと大型の航空機でもなければ、四発機は作られる事は無くなるのだろう。
よく野球選手で、記録に残る選手、記憶に残る選手というのがありますが、旅客機にも当てはまるような気がします。
大量輸送に特化した機体で成功を納めた!ならば積載規模で倍以上のアントノフムリーヤを旅客化したら?其れは無理ーや!現代は双発機しか通用せんからね?
ムリーヤベースの旅客機も見てみたい気がします。
380にはない美しい形をしてるよなホント(380アンチみたいな発言でごめんなさい)
日本人にあまりにも馴染み過ぎました。747は。(いい意味で)
かつてこんなに立派でカッコいい機体があったという
事実を永久に記憶にとどめておきたい。
なんでなんでしょうね、あの存在感は。
今の飛行機には、あまり無い物ですよね。
本当に素晴らしい飛行機でしたね。
まさにジャンボの名に恥じぬ偉大な存在でした
ジャンボは二階席は凄く静かで快適でしたし、一階先端部は面白いシート配列と
1970年代生まれとしては思い出たっぷりの機種です。
もうすぐあれから35年ですね。
信頼性の高い機材がどんどん登場して、またジャンボのように愛されますように。
ジャンボは、確かに人々に愛される機体でしたね。
日本は枠が無かったから一度に人を入れられるからジャンボは日本路線で使われていた。
初めての飛行機搭乗が海外出張、それもNYへ。その時に搭乗した747SP。ノンストップでJFK。その以降何度も海外へ、ほとんどのフライトが747でした。-100、200、400。アッパーデッキもよく利用させてもらいました。本当にご苦労様です。
今は亡きパンナムのSPに乗れたのは、羨ましい限りです。
ヨーロッパ路線でたまに2階がエコノミーに設定されていたことがあって、それに当たると本当に幸せでした。静かで、離陸したのがはっきりいつかわからないくらいだった。。。
本当に流線の美しい機体でした。
国内線で1度だけ2階席に乗った事がありますが、なんか特別感はありますよね。
私も羽田から飛行機に乗る時は、車で5時半に着くように行っているので、カンタスの747をいつも見ながら空港に入ってました。「747健在」と言う安心感があったのですが、、、退役が早まってしまって残念です。
赤と白のカンタスの塗装は、目立ちますよね。
一般人が普通に乗れることを可能にしてくれた‼️ 今までお疲れさまでした❗️
そう考えると偉大だと思います。
ルフトハンザのジャンボ機を見てたら心底飛行機での旅をしたくなりました。アレのせいで旅行が難しい世の中が1日も早く終わりますように❗
確かに早くアレが収束して欲しいですね。
私が物心がついて初めて乗った飛行機が日本航空のB747-100でした。
生まれて初めて飛行機に乗るという事で、前日から興奮して夜も眠れず、ほぼ徹夜に近い状況で空港へ行きました。
勿論、空港へ行く際も興奮状態は続き、寝不足でふらふらということは全くなく、空港まで目をらんらんとさせて向かったの覚えております。いざ搭乗手続きを済ませ、親に連れられて送迎デッキで飛行機を眺め、これから飛行機に乗るというワクワク感に包まれてバスに乗って搭乗スポットへ向かい、バスを降り立った目の前には朝日に輝く鶴丸を尾翼に付けたジャンボが佇んでおり、興奮が最高潮に達したのを今でも鮮明に覚えています。暫くタラップの外からジャンボを眺めた後に機内に入って、離陸時のジャンボの力強いエンジン音と加速力に圧倒されました。
なので私にとってジャンボは今でも空の王者といった特別な存在です。生産が中止になることは残念で仕方ありませんが、これも時代の流れなのでしょうね。だけど今、空の主役となっている大型の双発機にもジャンボの開発時に生み出された技術やノウハウが生かされているのも事実です。機内の2本通路や、高バイパス比エンジンなどはジャンボの開発時に考案された技術そのもので、今でも進化を続けております。さらにジャンボは私の様な庶民にも空の旅を身近にして、夢や感動を与えてくれました。なので、生産終了に当たっては、「大変お疲れさまでした。そして夢と感動を与えてくれて本当にありがとう‼」と声を大にして言いたいですね。
とても、素晴らしい体験だったのですね。コメント有難うございます。
俺も子供の頃からずっと大好きだった747。生産終了がてら退役しても、747は今も俺達の記憶の中で飛び続けている。747の思い出は永遠に不滅。
力強いけれども流れる様な美しさがある。だから私は好きだ。だから私の1番最初のモデルプレーンなんだ。日本はジャンボ帝国だったな。
ジャンボ帝国でしたけど、あっという間に全て引退してしまいましたね。
もっと乗っておけば良かったと、少し後悔しています。
NORITOBI そうですね。もっと写真や動画、チケットを取っていればよかった
初めて乗った飛行機がジャンボでアンカレッジ経由ヒースローでした。あの背中を押される加速感が未だに忘れられません。
アンカレッジのうどん屋を見てみたかったです。
高くておいしくないかったと言う話もありますけど。
確かバブル期には、JALのB747保有機数は、記憶違いかも知れませんが、128機位で世界中で運行している1/4以上が集まっていた様で、日本の会社という事も有り、嬉しかったですね。B747からですよ、食事のサービスにトロリー(米系では、カート)を押して通路にやって来たのは。所が、パンナムとワードエアー(元加の会社)は、カートがギャレーに固定されていて、そこからトレイを両手に持って、席まで運んできて居ました。1970年代は両者共、E/Cでメーンコースが3種類から選べました。陶器の食器とガラスのワイングラスでした。カナダ太平洋航空は、ノリタケの食器。ワードエアーはロイヤルドゥルトンでした。三社共会社自体が無くなったので、こっそりカトラリーを集めた事もいい思い出です。
JALの保有機数が世界一だったことは、確かにありましたね。
CMもジャンボを前面に出していた物も多かったし。
食事のサービスの話、興味深く読ませていただきました。
有難うございます。
JALは747と767しか保有していない時代があった
@@LASREPLASMA さん 今はもう会社が吸収合併で無いのですが、カナディアン航空はいっ時、コスト節約の為に、国際線をDC10と767機に統一をしていました。日本へ行く時はDC10で、トロントから成田まで1万キロ+をノンストップで飛び、帰国がうんと近くなり、皆度肝を抜かれました。懐かしいDC10です。
@@sawakodouglas186 みんな大好きDC10
バンコク成田間を飛んだUAの747には特別な思い出がたくさんある。パイロットやFA、本当に素晴らしい方々ばかりでした。今でも、それらの写真を見て何度も何度も飛んだフライトを思い出します。
私にとって印象深かったのは、初めて乗った東販間のジャンボですね。
なぜかと言われるとよく分かりませんが、
それがきっかけで、飛行機好きになりました。
NORITOBI きっと、言葉で表現できない或いはしにくい様な、でも素晴らしい経験をされたのではないのでしょうかね。そう言う私も飛行機大好き人間です。残念な事に今年は、フライトゼロです。
初飛行&就航当初の747は、とても巨大な飛行機でとてもかっこ良く、俺も釘付けになった。因みに、1960年代当時の超大型機は、C-5と747の2機種しか存在しなかったため、大変貴重だった。現在も747を大変誇りに思う。
よく乗ってたのは400Dの寿司詰めジャンボだったけどアッパーデッキはご機嫌だったし、大空の貴婦人と言わしめた堂々たる優雅さが有る機体で、大好きです。
THEジェット旅客機って感じですよね。
ジャンボは32回乗りました。内訳は
200B:3回/300:8回/300SR:4回/400:3回/400D:14回です。
中でも、07:27のJA8162 エグゼクティブエクスプレスに2回乗れたのは良かったです。螺旋階段を昇降出来たのもこの2回のみでした。
ちなみに 08:40のSORA STAGE、ウィングレットの左側にあるファンブレードは300型で使われたJT9Dエンジンのモノですよね。
展望デッキ側にも同じくJT9Dのカウルがあって、触ったり中をくぐったり出来たのが嬉かったです。
SOLA STAGE行かれたのですね。あまり期待しないで行った所、思いのほか楽しめました。
エグゼクティブエクスプレスに乗られたのは、凄い羨ましいです。
B747はホノルルへ行った時にJALWaysの-300に数回、ニューヨークへ行った時にデトロイトまで乗ったNORTHWESTの当時最新鋭の-400、そして数年前にソウル経由でコナに行った時にソウルホノルル間で-8、国内線では伊丹発着線で東京や福岡線でよく乗りました。
今振り返ってみると、恐らく人生で一番乗った事のある機種で、私にとって今でも非常に思い入れのある機種です。
今では有り得ませんが、私が初めてフライト中のコックピットに入れてもらったのは
747-200でした。3人乗務のナビゲーターがいたのが印相的でした。
昔は、そのような事が出来たみたいすね。羨ましい限りです。
私も小学生の頃に1人で乗った際に入れてもらったことがあります。
上も下も計器類がビッシリ。
パイロットの方々の凛々しい姿。
そして、何よりも凄かったのがコクピットの窓のパノラマビューを通しての普段は絶対に見ることのない「雲上の世界」。
あれから年月は流れましたが、今だにはっきりと記憶しています。
現在の「保安上の理由により、子供達のコクピット見学はできない」という話を聞き、とても残念に思います。
いつか子どもたちに「普段は見られない、未知なる空の世界を見て感動した特別な日」がまた来て欲しいものですね。
JALの747には赤ちゃんの頃から沢山お世話になったなぁ。アッパーデッキへ登るあのワクワク感はたまらなかった。
自分の中では永遠の鶴丸ジャンボです。
昔JALのスーパーリゾートエクスプレス沖縄に乗った事があり使用機材はB747300SUDという300型の国内線版でした。往復伊丹⇄那覇に搭乗し1階席2階席両方乗る事ができました。2階席の特別感は今でも印象に残ってます。
いわゆるリゾッチャって奴ですね。
一度乗って見たかったけれど、結局乗れずじまいでした。
チビッコの頃から飛行機のビデオを見まくっていたせいか、今でも
「航空機と言えばジャンボ」というイメージが明確に残っています。
顔と思えてしまう大きな上半部、4基のエンジンを携えた巨大な翼、そしてあの轟音と共に巨体からは想像できない程に優雅に空に舞う離陸の瞬間。
全てが懐かしい思い出です。
完全に余談ですが、日本航空で旅行してた影響もあり「ジャンボと言えばJAL、JALと言えばジャンボ」というイメージもまた健在です。
どこかで日本航空のロゴが残ったジャンボはいないものか・・・
JALは、CMでも良くジャンボを使用していたので、
JAL=B747って印象の方が
多いですよね。私もそうですが。
@@NORITOBI 最近知ったばかりですが、JALのジャンボが転売・改造の末に空中消火機スーパータンカーとして今も活躍しているらしいです。
確か名前はスピリット・オブ・ジョン・ミューアだとか
私が初めて海外出張に行ったのがNY。その時に搭乗したのが747-SPでのノンストップ便。40年以上も昔の話です。それ以降、海外の仕事が長く、747-100、200、400、-8と搭乗。-400のビッグトップの2階席。1階の最も先端の1C席などいろいろなところに座りました。今では良い思い出です。
1Fの先端って、いわゆる艦長席というやつですね。
一度座ってみたいとは思ってましたけど、残念ながら私には縁がありませんでした。
エアポート75という映画で、小型機と衝突しても生還した747に驚きました。当時DC8と727にしか乗った事の無かった私が初めて搭乗したとき、その巨大さ、中の広さ、飛んだあとの静粛性や安定性に感動しました。でもそれが日常のことになり、90年台などは成田は色とりどりの747だらけでしたね。2000年以降は殆ど飛ぶこともなくなり、たまに乗ってもA320。気がつけばどんどん747は数が減り、何かとてもさみしい次第です。
エアポート75って、小型飛行機がジャンボに衝突してパイロットが
死亡してしまう話でしたっけ?
子供の頃、見た記憶があります。
@@NORITOBI そうです。小型機がコックピットをかすって穴が開き操縦者が怪我等で全滅します。CH53(?)ヘリからワイアで操縦資格者が降りてきて開口部から乗り移って操縦を引き継ぐ、という感じでした。ジェットヘリとはいえ、747とヘリが等速で飛べるというのもなかなかショッキングな映像でした。747ってあんなに低速で水平飛行できるんですね。
私は飛行機をしょっちゅう乗る訳ではありませんが、ボーイング747にはお世話になりました。本当にロングセラーの名機でした。
私も数えるくらいしか乗っていませんが、飛行機が好きになったのは、
ジャンボに乗ったことがきっかけでした。
わかりやすい動画ありがとうございます😊
こちらこそ、御視聴いただきまして、有難うございます。
動画作成の励みになります。
もう20年以上前になりますがヨーロッパやアメリカに出張に行く際はいつもB747でした。国内便でもB747に搭乗するのは何だか特別な気分がしたものです。2014年にヨーロッパ~アジアを海外の航空会社で飛んだ際にB747に乗ったのが最後ですね。その時既にB747の運航は少なくなっていましたし、退役も間近だったのか、シートアレンジも一昔前のタイプでした。
国際線では載ったことが無いのですが、
国内線で、B767やA300に囲まれた中でのB747は、存在感ありましたよね。
子供の頃羽田空港に行って初めて見たパンナムの747を見て以来747が大好きでした!!初めて747に搭乗したのは200811月にJALボーイング747ー400DJA8904でしたが、アッパーデッキの窓席からの眺めは感動したのを覚えています!!その後ANAボーイング747ー400DJA8099が1回、JA8965が2回と合計5回沖縄行きで搭乗させて頂きました!!ANAの747−400Dがアメリカに向けて離日した夜も羽田空港第2ターミナルで見送りました。政府専用機も引退し貨物機しか残っていなくたまに航空科学博物館で見に行くだけになってしまい2022年に生産終了と聞き残念な話題ばかりですがずっと747を見続けて行きたいです!!For ever747!!😊
パンナムの747は、格好良かったですよね。
それだけに、ロッカビーでテロにあった時は悲しかったです。
旅客機としての使命を終えても元々貨物機設計なので十八番の荷物運びで更に活躍出来る
4発だからこそ双発では手が出せないパワーや冗長性で双発機では真似できないその他の運用にも用いやすい
飛行機の中で最高に器用なモデルだと思います
自分が乗った頃はまだ循環式トイレが付いてた古い時代でしたがもっと乗っとけばよかった…
私の場合、気が付いたら引退していました。
(その時は、飛行機趣味から離れていたので。)
新幹線0系と同様、姿が本当に美しい。
時流とはいいえ、退役は残念ですね。
人々の記憶に深く刻まれたスタイルですね。
私がまだ小さい頃飛行機が好きになったきっかけがジャンボジェット機でした。 子供の頃はジャンボで覚えていて飛行機と言ったらジャンボでした。大きくて,大きいエンジンが4つ付いてるエンジンが当たり前のように昔は空港に離発着していましたね〜 747が当たり前で逆に他の航空機が珍しく感じていました💦 ただいつかは世代交代が来る事は分かっていましたが、いよいよその時が近づいたように感じます。自分は成田空港によく撮影しに行くのですが、めっきり747が減っています。 ほとんどが貨物機で運用されています, 今までの思い出をカメラに記録し,楽しい人生を歩んで行こうと思います! 長文失礼しました。
貨物機としての活躍が、最後の活躍になるのでしょうね。
B747登場時にボーイングが想定した、
最終的には貨物機に、と言う考えに、ようやくたどり着きましたね。
私も、撮れるうちに撮っておきたいと思っています。
ただ一度だけ乗った旅客機がB747-100。それも今は無き日本アジア航空。行き先は台湾のこれまた今は無き中正国際空港。会社の出張でしたが、懐かしい思い出です。
昔は、国際線は、ほとんどジャンボでしたね、
今考えるとすごい時代です。
@@NORITOBI 母親が昔香港旅行した時もキャセイパシフィック航空のB747でしたね。
弟がアメリカ留学で旅立つ時はさすがに違ってデルタ航空のMD-11でしたけど
笑
でも当時の名古屋空港に飛来する外国機はほとんどB747。昔はスタンダードだったんですよねぇ。
初めて飛行機を好きになった時、当時まだ私は3歳で、あの頃はJALの経営破綻でそのジャンボが消えつつあった頃でした。そんな中で幼かった私は図鑑で見たジャンボに虜になっていました。ANAの方はそれから4年間は飛んでいたわけですが、我が家がお盆の帰省にしか飛行機を使わない主義の家庭だったので鹿児島に親の実家がある私はジャンボに乗ることなく、また引退も知ることなく小3の頃まで推移していました。ある日空港の滑走路脇の展望公園で飛行機を眺めていた時に父が突然に
「昔はあんなにたくさんのジャンボがいたのに」と言い出して、知らない間に引退していたことを知って軽いショックを受けると同時に、そこで見たB777のジャンボに負けない雄大さに虜になり、現在私の最も好きな機種はB777-300ERだったりします。
追記
上記のようなことが原因で実は私が乗ったことにある2通路機(ワイドボディ/セミワイドボディ)はB767-300だけで、他は全てナローボディやリージョナル、プロペラ機なんです…
長々と面白くもない話申し訳ございません。
体験談やその機体に対する思い入れをコメント頂けるのは大歓迎なので、大丈夫ですよ!
問答無用で一番好きな機体。
「空の女王」、見た目も威風堂々、とにかくカッコいいし、いい「表情」の機体。
各国の747の機体の画像を、自分のパソコンのデスクトップ画像にしてニヤニヤしてる(笑)
でも時代の流れからか、当たり前に国内でも飛んでたのがなくなってしまい、悲しく切ない。
エコや効率を優先するのはしょうがない、でもこういう「レガシー」は残してもらいたくもある。
そういう意味でも、古き良き「昭和」がなつかしくもなり。
たまに、ハッとする光景があるんですよね、ジャンボって。
お返事、ありがとうございます、光栄です!
いつも貴重な、有益な、興味深い動画をあげていただき、ありがとうございます!
成田では旅客機ではなく貨物機のジャンボがまだ活躍してるので、しばらくはその勇姿を見ることができます。
ただそのかわりに、世界最大の死者数を出してしまった飛行機(単独機、1事故の死者数)
であることも忘れてはいけないです。
あしたで日航機の墜落事故から35年。あっという間というべきか、もうそんなに経ったというべきか。
B747は、-400以前の機体は、大きな事故も割りと多かったし、
それ以外にもテロの標的になる事も多かったですね。
本日で、あの事故から35年ですが、それ以降大きな事故が無く来たのは、
航空会社や関係機関の努力の賜物でしょうか?
今後とも事故ゼロで行って欲しい物です。
LA 在住の者ですがニューヨークの同時多発テロが起きた際女房が日本に行っており、世界の旅客機が再度飛べるようになってすぐ大韓航空の 747 でこちらに帰ってきましたが、あのどでかい飛行機に乗客がたったの11人。CA さんの人数のが多かったようで機内のシートベルト着用サインが消えると同時にインド人風の男性がいきなりスクッと立ったので、女房も含め残りの乗客は「えぇ、ここでぇ」と心臓が止まるほど全員びっくり仰天したそうです。その彼は単にトイレに行くのをずっと我慢していただけのようです。
あの時も、国際線はコロナ禍の様な感じでしたか。
9.11の約1週間後に乗った国内線は、あまり変わらなかった印象だったのですが。
いやアメリカの号令で1,2週間世界中の国際線全ての飛行機を飛ばせなくしましたよね。日本の国内線は関係なかったんですか。
子どもの頃、飛行機と言えばB747でしたし、東京へ行く時は必ずB747で、二階席に座るのが楽しみでした。初めての海外旅行はパンアメリカンのB747。懐かしい思い出です。優雅なスタイルのジャンボ機は貫録さえ感じられます。時代の流れを感じます。
B747ほど愛された機体は無いかもしれませんね。
人生の中で、一度も搭乗したことがないけども旅客機の王者として記憶に留まる美しい機体。っていうか、まだ生産していたことに驚きました。
2階席のコブがアイデンティティーであり、愛嬌かつ優雅さの源となってますね。
残念ながら、B747も今年の夏ごろに生産終了のニュースが流れ、一つの時代が終わったような感じです。
亡き父が1970年の導入時から23年間に亘り乗務していました。私が子供の頃、就航開始が近づいてくると、計器を模した実物大の紙をふすまに貼って家でも「訓練」していたのを思い出します。
やはり、今のようにシミュレーターも無かったでしょうから、
プライベートでも研鑽は必要だったのですね。
@@NORITOBI シミュレーター(窓の景色はCGではなく小型カメラがジオラマを撮影し、それを映写機で投映する初期のもの)はあったようですが、たぶんその訓練前の予習だったんだと思います。
初めて乗った飛行機がノースウエスト航空の747-200bだった記憶があります。その後、JALの200b、300、100sud、300sr、400、400d、ANAのsr、400、400dと国内の航空会社でもいろんな派生型の747を乗りました。やっぱり747には777には無い独特ないい雰囲気がありますね。空港で離着陸機が747だとつい見入ってしまいます。
やはり空港でも存在感がありますよね。
貨物型がアッパーデッキを拡張しないのは、2階席部分のせいで1階席部分が圧迫されるのを避けるという理由もあるそうですね。
そうみたですね。
アッパーデッキの下は、1階部分の天井が低くなるそうで、
それで搭載量が減るのを嫌ったとか。
@@NORITOBI でも、貨物型の747の後継はどうなるのでしょうね…少しづつながらも多少は需要があると思うのですが…
777-8Fとかあったりしないかなと個人的には思ってます
まあ、順当に行くと、777Fでしょうね。
結局、貨物機も双発機に取って代わられる運命なんでしょうか?
@@NORITOBI 新造機はB777-200Fだけですが、B777-300ERの貨物改修機も発表されてますよ。
噂によれば、B767-400ERの貨物型を新造するとか・・・
@@strikeeagle451 -400ERだとエンジン換装しない限り胴体の長さの割に搭載量は少なくなると思いますし、777-200と機体規模にそこまで差がある訳でもないので個人的には無いと思います
私が初めてB747に搭乗したのは、日本の航空会社から全機引退した後でした。仕事の都合でアメリカへ行くことになり、最近まであった?デルタ航空B747の成田ーデトロイト線に乗りました(行きのみで帰りはB777)。4発機だったからかわかりませんが、あの安定した飛行はとても頼もしかったことを覚えています(まぁ、帰りの成田が荒れてたのは置いといてw)。
退役が進んでいることは惜しいですが、あの大きな翼に乗れたことは良い思い出です。今までお疲れさまでございました。
長い期間、飛んでいたこともあって、様々な方に、様々な思いがありますよね。
未だに、漫画の空港での別れのシーンでは、コブのあるジャンボっぽい飛行機だったりしますし。
それだけ絵になる機体だったのだと思います。
ジャンボお疲れ様でした。私が初めて乗ったジャンボはパンナム香港-成田間、機種は747SP。1985年頃だったかと
パンナムは、乗ったことも、直に見たこともありませんでしたが、あのカラーが憧れでした。
ロンドン近郊でテロにあった時はショックでした。
@@NORITOBI カラー格好よかったです。CAさんがベテランの方ばかりだった記憶あり(笑)
札幌に住んでいると北海道から出るには飛行機一択で千歳空港利用となりますが、10年前くらいまではほぼ747-400でしたね。多数の方が言及されていますが、2階席が静かで好きでした
2F席は1度だけ乗った事がありますが、貴重な体験でした。
カンタス航空の747と言えば、羽田空港の隅っこにいるのを、モノレールから何度も見かけました。
早朝に羽田に飛んできて、夜オーストラリアに帰っていくまで、
羽田空港の隅で昼寝していましたね。
コロナが死滅(終息)しても、退役した747は、もう、帰ってこない😭でも、747の事は一生忘れないよ。747が大好き!!♥️
旅客機も基にした民間貨物機で機首部分の貨物扉(通称、ノーズカーゴドア)を設置できるのは747フレーターのみ。元々、747は貨物機構想から誕生した機種であり、二階にコックピットを設け、前脚を機首の斜め下に設けたのも、機首の貨物扉を設けるため。特に、機体左側の貨物扉からは積み込めない長尺物は、機首の貨物扉からなら積み込める。747フレーター以外の民間貨物機は長尺物を積めるが、機首の貨物扉は設けられない。
着陸時揚力を保つ為のフラップが、主翼の前縁にもあり複雑で繊細な構造をしているなーって感心した記憶を思い出しました。まだ運行しているエアラインで乗ってみたいですね。
ジャンボに乗れた時は、そこまで飛行機に興味が無かったので、
今となっては、もっと観察しておけばよかったと後悔しております。
現在だからこそ、747は燃費が非常に悪い、維持費がとても嵩む、操縦できるパイロットも乗務できる客室乗務員も整備できる整備士も乗り入れられる空港も離着陸できる滑走路も全座席をも満席にできる乗客も限られると言う理由に加え、ハブ&スポーク方式の衰退とコロナ禍による航空不況に見舞われて退役が大幅に加速してしまっているが、航空ファンの記憶の中では永遠に飛び続けている。俺も大好きな747の勇姿と思い出は永遠に忘れないよ😂
非常に懐かしい機体です。もちろん乗りました。
SR100。動画を見ていて当時最高水準を誇っていた
プラット&ホィットニーJT9Dエンジンが記憶に蘇りました。
静かでハイパワー。ボーイングはP&Wとの相性がベストマッチでした。
ふと日航123便がB6だったら結果が違っていたのではと思ってしまいました。
当時のPLATOは優秀だったと記憶してます。
JT9Dは、独特な音なエンジン音らしいですね。
B747--300に乗った事があるので、(もしかしたら767でも)その音は聞いている筈ですが、
当時飛行機にあまり詳しくなかったので、残念ながら、よくわかりませんでした。
交通科学博物館に大型模型で展示されていたのが747でしたね。
ジェット機=B747って風潮も有りましたし、
飛行機の代表と言うことでB747だったのかもしれませんね。
@@NORITOBI 最近知ったことですが、引退したJALのジャンボが転売・改造の末に空中消化機スーパータンカーとして今も活躍しているらしいです。
名前はスピリット・オブ・ジョン・ミューアだとか
お疲れ様です 期待を保存して ホテルやレストランみたいなことはできないのでしょうか?旅行でなくても飛行機気分を満喫とかみたいな
巨大なので、輸送費、地代が膨大になってしまうのでしょうね。
海外には、DC-10やA320をレストランに改装したものもあるようですね。
ニュージーランドの、とあるマクドナルドでは、リタイアしたプロペラ機の中で
食べられる様になっている所もあるみたいです。
また、スウェーデンにはB747を改装したホテルがあります。
小生の女房は南米ウルグアイ出身で、ウルグアイにいた時に知り合ったのだが、長男が2歳ぐらいの時だったか、長男を連れて初の里帰りをした時の事。機内は比較的空席があって、エコノミークラスの搭乗券だったにも拘わらず、CAは2階のビジネスクラスの席をあてがってくれた。このサービスには女房も大感激だったようだ。あれから30年近く経った。余談だが我々は今は別々の道を歩んでいるが、、、。
長い間に渡り、沢山のお客さんを運んだだけあって、
色々な人に色々な思い出を作ってきたのですね、ジャンボは。
初飛行&就航当時の747は、C-5に次いで二番目に大きかったが、旅客機としては世界最大の旅客機及び旅客機の王様だった。特に、1970年代から90年代までは、世界中の航空大手各社が長距離または超長距離路線で747を大量運航しており、ライバルの大型三発ワイドボディ旅客機(DC-10、L-1011、MD-11)も大型四発ワイドボディ旅客機(IL-86、IL-96、A340)も、座席数では747より右には出られなかった。しかし、全長では777-300とA340-600に抜かれ、航続距離も777-200LRとA340-500に抜かれ、2000年代には座席数もA380に抜かれてしまい、世界最大の旅客機の座をA380に譲った。しかし、民間用貨物機としては、現在も747が世界最大の民間用貨物機。(747フレーターに太刀打ちできる他社製と同じボーイング製の貨物機は存在しない)
B747の後継としての地位を確立したB777でさえも退役が始まっていることに、時代の流れを感じました。
話は変わりますが、2階建ての乗り物と言えば上越新幹線のMaxとき(E4系)も2021年10月17日がラストランとのことです。最近はめっきり乗る機会が減りました。寂しいですね。
斎藤紘丈
E4は、長野の基地が水没した影響で、廃車が延期されましたよね。
とうとうですか。
機内に階段や別室(二階席)があるのは魅力的ですけど、バリアフリー云々以前に非常脱出時の事を考えるとワンフロアの方がいいのでしょうね。燃料消費量も含めてオールツーフロアのA380は尚更。ANAはスカイマークの前経営陣が残しまくった泥水をやむを得ず被ったようなものですし。
2階席の脱出シューターから降りるのは、怖そうですね。
'80年前後に東京とNYの間を行き来する事がよくありました。当時は、アンカレッジ経由で運行されていて、パンナムが直行便を飛ばすと言うので私もJALからパンナムにスイッチしました。1時間の短縮になりましたが、長いので一回アンカレッジで降りてタダのうどんを貰うのもアリかと思いました。あと、二発で太平洋便を飛ばせないので三発のDC10が登場しましたが、B747に比べるとキャビン中がしょぼかったので好きでなかった思い出があります。余談ですが、元JALのB747と同じく元JALのDC10の二機が山火事消火のタンカーに改造され、その二機が一緒にカリフォルニアで活動しているTH-camを見た事があります。【編集】見つけた。6:30辺りで合流→ th-cam.com/video/mW0XQI525UE/w-d-xo.html
直行便とアンカレッジ経由で、1時間しか変わらないのですか?
思ったより短縮されていなくて驚きです。
@@NORITOBI 14時間が13時間になったと記憶しています。自分も、それだけ?と思いました。
10年以上前に北海道へ旅行で羽田から札幌へ飛ぶ際に、朝 早い便で早めに行って展望台に上がったら、黄色と青色のポケモンジャンボが
二機並んでいて感激して時間が少ない中 写真を撮影したのですが、すぐに動き出して落ちついて撮影できなかったのを覚えています。
多分、その旅行の帰りが機種がジャンボに変更になってまたもや感激! 往復で何か不思議な縁を感じました。
それからしばらくしてからジャンボ機の退役が発表されて寂しい思いを抱きました。
ジャンボは、日本人に愛されいたのか、
色々な思い出をお持ちの方が多いですね。
記憶に残る飛行機です。
自分の中では
飛行機=B747-400だった
名機よ永遠なれ
いまでも、普通に日本の空を飛んでいるような気が
してしまうのですけどね。
それだけ日常に溶け込んでいたでしょうね。
NORITOBI
ほんとそうですよね。
空から消えても人々の記憶から消えることはないでしょう。飛行機に全然詳しくない人に飛行機の絵を描かせたら殆どの人がこれを描くはずです。
747こそ空の皇帝!747があったから飛行機好きになったけど、それも終わりか。。。残念です。悲しいです。
B747どころか、B777も怪しくなってきました。
10:12が787-8Iになっていますよ!
すみません、
動画作成中に、なぜかB747とB787が混同してしまった所があったので、直したつもりだったのですが。
ご指摘有難うございます。
いつか2階に乗ってみたいと思ってたなぁ🥺
1度だけ、2階席乗ったことあります。
JA8127が最後の北極回りでした。 成田→アンカレッジ→ヅッセルドルフ→シャルルドゴール 帰路がベルリンシェネゥェルト→フランクフルトアムマイン→成田でJA8177でした。 同時多発テロの時にアッパーデッキに乗りましたが静かでした上に自分一人でした。
成田発アンカレッジ経由の欧米行きって、80年代の定番でしたね。
アンカレッジの空港に立ち食いソバ屋もあったようですし。
@@NORITOBI 様 1991年10月30日 437便です。 アンカレッジはうどんでしたがどん兵衛に似た味でした。 最後にJA8127を見たのが2003年9月羽田で沖縄便だったと思います。
1971年の夏、亡き伯父に連れられて九州の実家に行ったときに子供に747のプラモデルが配られました。 機内で伯父が「あそこに大きな飛行機が見えるね、 DC-8といって北極を回ってヨーロッパに行くと(九州弁)。 アラスカは昨日の時間ね。 そして北極を通ると。 しかしこれからは(プラモデルの)こん飛行機がDC-8に代わる。 そして多くの人が世界を訪れる。」と言ったのが初めてジェット機に乗った時の記憶です。
思い過ごしになりますが日航の747でレジナンバーが末尾が9だと思うことがあります。 JA8109がドバイ事件、そしてJA8119が123便です。 ドバイ事件の8109は焼け残った後部をKLMに売却されましたがテネリフェで衝突事故をおこした機体に移植されたと聞きます。
ボーイング747、通称ジャンボジェット機は大量輸送時代の象徴だ。昔、国際空港は羽田と伊丹のみで、当時はジェット機発着枠制限が厳しく規制されて、B707やDC−8にCV880等のクラスでは限界が来ており、1970年に初めてジャンボジェット機が羽田に来たときは感動しましたね。ジャンボ機の登場で発着枠制限問題が解決して、運賃も下がりこれ迄の問題を解消する出来事でしたね。私は北海道に帰省していた頃、よく日航や全日空のジャンボジェット機に世話になりましたねぇ。−SR、−200B、−400Dに乗りましたなあ〜。今じゃ777−ERに置き換えられてしまいました。いずれ姿を消す事になるががんばって活躍して欲しい次第である。👋🤓
今の技術なら双発のジャンボとかできそうですが、
見てみたい様な、見てみたくない様な・・・。
@@NORITOBIさんへ
私にとっては…ビミョーですよ❗現に全日空がA380がありますからね😂
JALが就航した時、380名程度で20人もスチワーデスが乗っていましたwww、72期とかです、
20人は凄いですね。それだけJALとしては気合が入っていたのでしょうか?
JALで運航が始まって半年から1年位後だったかなぁ、大学3年の時に乗りました。フランクフルト直行だったと思います。搭乗する時に外観がでかいな~と思ったものです、勿論客室が異常に広~く講義室にでも入った感じでした。
しかしエンジンの高周波音がきつくて快適な気分ではなかった記憶があります。
エンジンの高周波の話は、実際乗って見ないと分からない話ですよね。
初めて見たときは、こぶのようなデザインが嫌いでしたが、
着陸時の、すだれのようなフルフラップは、白鳥の着水時の翼に酷似していて感動的です。
当時は、あまり注意してみていなかったのですが、
すごいフラップですよね。
私にとっての飛行機はB747-400です。退役してしまうことは残念ですが、それも時代の流れです。
より良いものに取って代わられるのは、世の常ですが、名残惜しい気がします。
747貨物型最新型の747ー8フレーターは世界最大の民間貨物機だけでなく、C-5よりも一回り大型で最大貨物積載量も多い。747ー8フレーターにはまだまだ現役で活躍してほしい(完全退役は2030年~2040年頃?)。
2003年10月にANAのマイルタダ券で東京-福岡線で1度だけ2階席に乗りました。想像以上に高く感じました。この日はダイエー阪神の日本シリーズ初日で大勢のタイガースのユニフォームを着た連中が乗っており、スチュワーデスが飛行機を降りるトラキチ一人一人に「楽しんでください」と声をかけていました。福岡空港に降りると空港は元より福岡空港駅も福岡市内もトラキチばかり。飛行機の大型化とタイガース人気を痛感した日でした。相手が中日のときは中日ファンなど福岡で見かけることはなかった。試合は我がホークスのサヨナラ勝ちと日本シリーズ優勝。それにしてもタイガースファンも新幹線で見に行ける甲子園ではなくわざわざ九州まで乗り込むとは(福岡の試合が土日だったというのもあるけど、タイガースファンは平日会社休んででも見に行く)
よく、「どこにでもいる阪神ファン、どこにでも行くロッテファン」と言われますが、
それでも熱心な阪神ファンは、追いかけていくものなのですね。
@@NORITOBI でもビジターファンが日本シリーズで福岡ドームを占めたのはカープファンが一番でした。広島-福岡は新幹線で1時間、バスで4時間の近さ。次いで阪神、巨人、横浜の順。ヤクルトや中日の時はビジターファンは皆無に等しかったです。
日本の国情に1番マッチしていた飛行機。日本には747と767しか保有していなかった会社もあった
今,羽田でも小型機が多くて少し寂しいですね。
@@NORITOBI 737 320、エンブラだらけで寂しい
A380は遅かったか
ANAの東京-長崎線にも就航していたから、長崎空港でも見れました。
残念ですが、乗ったことは無いです。
ANAは、準幹線にもよくジャンボを入れてましたね。
人生初フライトはB747で始まり、当時は小型機=恐いイメージが強く、国内移動もわざわざ羽田まで行って搭乗してました。
これまでに乗ったB747の航空会社はJAL・ANAの2社、搭乗機種は-100SR(ドリームエクスプレス塗装含む)・-100SR(SUD)・-300(JAA塗装)・-400・-400Dでした。
アッパーデッキのスーパーシート(現国内ファーストクラス)は限られたスペースでVIPになった気分だったのも思い出です。
今でもイチバン好きな機種であり、イチバン思い出のある機種で、B747がこの世に存在しなかったら旅客機を好きにならなかったでしょう…
厳しいでしょうが、またいつか復活する日を待ってます。
私がジャンボに乗っていたときは、あまり飛行機に詳しくなかったので、
国内線で、アッパーデッキが長いものは全て‐400Dだと思っていました。
なので、何に乗ったのか良く分かってないです。
ただ‐SR100と、機種変更でやって来た、JAAの-300は分かったので、それは区別が出来ました。
十数年前に、成田発伊丹行きの全日空の 747-400のポケモンジェットに乗った記憶があります
ポケモンジェット、懐かしいですね。
そういえば、今度スカイマークでポケモンジェットやるらしいですよ。
「こんなにでっかいオーラシップがいるのか!」ってバイストンウェルの兵士の人が言ってた。
羽田空港のでの動画。東海汽船のセブンアイランド大漁が写っていますね。
ジェットフォイルの事ですね。ボーイング929ですね。
ETOPSは機種一括ではなく機体別に認定される→へぇ!
ANAの場合はドアの下にETOPSと書いてある→へぇ!
ジャンボの感想じゃなくてすいません…
ある意味 最も縁のあった機体だった
日本初飛来?のパンナム747を偶然羽田で観たね 修学旅行でね
1970年だった 初めて乗った機体も747
747を経験してからのMD87?だったかな 非常に狭く感じたもの
世界で最も名を馳せた旅客機と思うなあっ
こKまで存在感のある機体は、もう出てこないかもしれませんね。
現在だからこそ、旅客機のして役目は殆ど終焉を迎えてしまった747だが、貨物機としてはまだまだ現役で活躍できる。特に、最新型747-8フレーターは、C-5よりも一回り大きく、最大貨物積載量も140トンと多く、重量物や長尺物も運べる。747フレーターには、まだまだ現役で活躍してほしい。
仕事の関係で全国各地に飛行機を利用させていただきますが、機材が747だと安心感というか「今日は揺れないな。」と安堵している自分が居ました。今でもこの先もずっと747、好きです。そうですか、羽田でANAやルフトハンザの747が居なくなって、赤いカンガルーの747にモノレールの車窓から「お前が最後かな?頑張れよ。」と思いながら挨拶してました。もう会えないのですかね。
ルフトハンザの747-400は、A380と共に終了のお知らせがありましたが、
747-8は、また羽田に戻ってきてくれると信じています。
@@NORITOBI いつか、また、きっと( ´∀` )。
747は民間機(旅客型、貨物型、貨客混在型全て含む)だけでなく、軍用機(米空軍のE-4、VC-25)としても活躍している。かつては、NASAもシャトル輸送機の747を、航空自衛隊の特別航空輸送隊も747の政府専用機を運航していたが、現在は共に退役させてしまった。
カンタスのジャンボ、私も羽田行くといつも昼寝してた印象が強いですね。-4001度は乗ってみたいですがもう難しいですかね...
日本に乗り入れてくるのは、羽田に来るルフトハンザの747-8(今はコロナ禍で運休中ですが)だけですかね?
タイ国際航空も、どうなるか分かりませんし。少なくなりましたね。
NORITOBI 那覇がー新千歳がーってたまに聞くんですがあっちはどうなんですかね?
確実なのは日本人は乗れませんが横田や嘉手納がありますね笑
大昔の話ですが1976年に生まれて初めてのそれも一人旅でオーストラリアの親戚の家に遊びに行った事があり、当時は香港の啓徳空港経由でシドニーに飛ぶ便しかなかったと記憶しています。メインの機体はB707だったのですが帰りの香港から東京羽田への便がB747でした。なんか大きすぎる機内に物凄い違和感を覚えたのが印象に残っています。あっ会社は”PAN-AM”でした。今の人達からすると知らない事ばかりでしょうね(^^; 因みにJALのB747は家族旅行の時、一度だけ搭乗した事があります。1990年頃はJALのチケットは高くて個人の一人旅では買えませんでした。
その後もノースウエストのB747でアメリカの西海岸に行ったりしていましたが、2013年にホノルル に行った時のユナイテッドのB747が最後のジャンボへの搭乗の記憶です。搭乗していて最後まで”デカイ機体だなぁ”というイメージでしたね。個人的にはアメリカンのDC-10の方が”なんか落ち着く”って感じでした。
とはいえ海外旅行の概念を変え、気軽に行けるようになったのはB747のおかげだと感謝しています。
いつまでも飛んでいて欲しかった❣️
パンナムは、子供の頃から知ってはいましたが、物心ついた時には潰れていました。
写真等で見る白地に青い文字と地球儀は、今見ても格好いいと思います。
1950年代~60年代就航の大型ナローボディ旅客機(707&DC-8&CV880&CV900)よりも一回り以上も大型で座席数と航続距離も2倍~3倍を誇った世界初のワイドボディ四発旅客機、それが747。しかし、就航当初の747はあまりにも大き過ぎて、全座席を埋め尽くす乗客はいなかった。そこで、747を導入した航空各社は、それまで割高だった航空運賃を値下げし、高嶺の花だった海外旅行を庶民化させた。747のお陰で俺達一般庶民が気軽に海外旅行へ行ける様になった。
今まで一番利用した機材が747ですね!個人的には767やA330などのシートピッチ(2-3-2)か2-4-2の配置のほうが好きです
確かに乗る方にとっては、ジャンボの3-4-3の座席より、
767とかの座席配列の方がありがたいですね。
アバター航空ってどうなるんでしょうかね
アバター航空は、残念ながら知らなかったので、調べてみましたけれど、B747×30機の
LCCなんて、とても魅力的ですね。でも素人が考えても、上手くいかなそうな気が・・・。
5月上旬にアメリカ運輸省に申請を却下された情報までは追えましたが、その後が不明ですね。
ジャンボジェット、何と美しい機体。カッコ良さと美しさで航空機史上最高だと思う。
ジャンボジェット機は揺れも少なく安心して乗れる。正に大船に乗った気で乗れた。
777はそれ程大きさは変わらないのにジャンボ機の方が揺れない感じるがする。
恐らく、777はビビリ音やきしみ音が以外と多くジャンボ機はそんなのは皆無だった。
飛行機が余り好きでは無い妻はジャンボ機なら文句なく搭乗を嫌がらなかった。
アメリカ出張もハネムーンもジャンボ機ばかりだったのに…。もう乗れないのは寂しい。
ジャンボの、あの独特のフォルムは、
飛行機が詳しくない人でさえ知ってますよね。
それだけ日本人に愛されたのだと思います。
世界一ジャンボ機密度が高かった日本の空。海外のように大きな空港が無かった頃、
発着回数の制限を機体の大きさでカバーした苦肉の策がジャンボ機導入。
いい時代だった。地方への路線でも国内仕様のジャンボ機が就航していた。
旅客機としての活躍はあと10年くらいで終焉を迎えそうだけど貨物としての活躍は、ここまでB4が活躍してきた期間くらいあるのでは?-8も22年まで製造されるし。何より飛行機の歴史に偉大な功績を残してきた機体だから一機くらいはレストアしたりしてアクティブに保存されそうな気もしなくはないと都合よく思ってます。
中華航空も引退させるようですし、どんどん乗れる機体が減ってきていますよね。
日本では、旅客型だけでなく、政府専用機の747も全機退役してしまったが、貨物機としてはまだまだ現役の747。貨物機の747は、当面の間、現役で活躍できるだろう。
ぶっちゃけジャンボは【ボーイング社】ですら「何故売れるか⁉️」分からなかった機体😅
オーダーしたパンナム社経営陣の慧眼が光りまくってた時代の寵児。
ただ、最近は空港を筆頭に【邪魔者】扱いが酷かった…なのに、エアバス社は何故にA380を開発したのか⁉️意味不明😁
大型機受難の時代ですね。
いや、むしろ【乗り手側主体の時代】と前向きに考えましょう😄
遠い隅っこの搭乗口まで歩かされる事もなく、乗り降りに異常に長い時間を強いられる事もなくなったと。
9:34成田空港じゃね?
そうっすよ。
昔、パンナムのB747SPを成田で見たこと有ったな😂
かなり昔、旅行に行ってきたおばちゃんにどんな飛行機だった?って聞いたら、「行きはジャンボジェットだったけど、帰りは空襲しにきたようなボロい飛行機だった」って言ってました。
それだけジャンボジェットは見た目にインパクトが強い飛行機だったと思います。
ジャンボは、飛行機に詳しくない人も知っていますからね。
昔、同僚と出張に行った際、飛行機がB767だったのだけど、
ジャンボじゃなくて文句言ってました。
あと、空襲しにきたようなボロい飛行機が、何だったのか知りたいですね(笑
1985年8月12日に発生した、日本航空123便墜落事故に、
運用されていたのも、ボーイング747型ジャンボ機です。
520人の乗客が、犠牲になりました。
あの事故は、かなりトラウマでした。
後退翼ですごく馬力がありますよね!NARITA34L離陸で滑走路中央からvrしてるのが見えました。
燃費がめちゃめちゃ悪い!ANAが昔改良した73がNaritaムンバイまで行った燃料で74だとNarita福岡までしか行けないとパイロットが言ってました。74は元々軍事用機体を改良してるのでコックピット上部が狭いって言ってましたね。一番は燃費の悪さだと思いますね:残念です
そんなに燃費が違うんですね。
個人的にはa380の方が好きだな
A380の方が基本設計が新しいですからね。
そのような方もいらっしゃると思います。
夏休みの那覇行きのB777-200ERから見えた羽田の片隅に置かれていた謎の赤と白のB747。この動画で謎が解けました。あれはカンタスのB 747だったんですね。
カンタスのジャンボは、早朝に羽田にやってきて、
夜にシドニーに帰るスケジュールだったので、
その間、羽田の隅に置かれていました。
色が色だから、目立ちますよね。
747は100はさすがにないけど、-200SR以降、特に-400はよく乗りましたねぇ。
ほとんどNHですけど、BA,QF,TGとか海外のキャリアも乗りました。
最後に乗ったのはTGのBKK→HND便が5年くらい前てしたか。
B747シリーズとして最後に乗ったのはCAの-8ICで、PEK→JFKでしたねぇ。
LHなんかにも乗りたかったのですけど、この状況で、あと乗れるかどうか微妙です。
今年の初めくらいまで、TGの-400とか、LHの-8は羽田に来てましたけれど、
また来ると良いですね。私も乗って見てたいです。
ブルーバックスのジャンボジェットはどう飛ぶか、は名著。
こう言う書籍が存在すると言う事が、B747がどれだけエポックメイキングな航空機かと言う事が判る。ある意味新素材を多用し此までの航空機と一線を画すB777ですら、B747の足元にも及ばないと言う事を示している様に思う。
然し、恐らくはもっと大型の航空機でもなければ、四発機は作られる事は無くなるのだろう。
よく野球選手で、記録に残る選手、記憶に残る選手というのがありますが、
旅客機にも当てはまるような気がします。
大量輸送に特化した機体で成功を納めた!ならば積載規模で倍以上のアントノフムリーヤを旅客化したら?其れは無理ーや!現代は双発機しか通用せんからね?
ムリーヤベースの旅客機も見てみたい気がします。
380にはない美しい形をしてるよなホント(380アンチみたいな発言でごめんなさい)
日本人にあまりにも馴染み過ぎました。747は。(いい意味で)