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樽見線が全通していたら、大垣駅は凄いターミナル駅だったんだろうなー
本巣は以前長期出張で半年くらい居ましたが、ド田舎だけど川の水は最高に綺麗で手付かずの自然が素晴らしかったです。
金沢まで繋げるとすれば、北鉄石川線につなげるつもりだったかもしれませんね。今は鶴来までですが、昔は加賀一ノ宮というところまで、さらに昔は白山下まで伸びていました。当時の路線名は金名線といい、金沢と名古屋を結ぶ壮大な計画があったらしいですよ。むかしは道路状況が良くなかったから、鉄道に対する熱意は強く、たとえ中間に高い山々があって無謀といわれても、壮大な計画を発表することで、スポンサーの気をひいてを資金調達していたそうです。しかし当然ながら壮大な計画を立てたが結局挫折した鉄道は少なくありません。
鉄道動画を観てからリストに載っていたので拝見しました。面白かったです。イルカとクジラの違いはおおきさだけだそうですよ
養老鉄道が、四日市から大垣経由で敦賀まで。佐久鉄道が、直江津から清水まで。長良川鉄道が、美濃多太田から越美北線に接続し日本海側まで。樽見鉄道が、大垣から金沢まで。本州横断どの鉄道会社も叶わなかったよな〜
オレンジの会社が企画するウォーキングイベントで樽見まで行ったことあります。臨時の客車で行きましたね。途中までボロボロでよく揺れたのにいきなりキレイな線路になってなんだここ?と思ってました。
可部線の加計以北が同じく高規格路線で、ほとんどと言っていいほどに道路との平面交差がありません。おまけに蛇行する川を全く無視して橋梁・トンネル・築堤・切り通しなどありとあらゆる方法でこれでもかとばかりに直線的な敷設をやっています。これのお陰で廃止から18年経っても至る所に遺構が残されています。街なかに近い駅や立地のいい駅などはかなり取り壊されて転用されたりしていますが、そうでない場所に関してはほぼそのまま残されています。道路上を横断するガーター橋等の桁の撤去等は進んでいません。これは三江線の一部区間でもあります。他にも錦川清流線の錦町駅より北にも未成線で終わった岩日北線の遺構がかなり出来上がった状態で放置されています。取り壊すにも多額の費用がかかるため、どこが金を出すんだと言う事で進んでいません。
頑張って大野まで伸ばして越美北線と繋げりゃ新幹線開業後も名古屋から福井まで直通列車出せたのでは?と思ってしまう....(原案通りなら金沢駅まで)
たしかに樽見線乗ってる時に凄いいい規格してんなーと思いました。また今度乗りに行きたいな...p.s.仮根は水を吸収したりしない、ただ単純に風とかで吹き飛ばないようにするためのやつです。
鉄建公団:リアル【キングボンビー】😁
「ハイモ〇〇」の「モ」は「モーター」ですが日本語訳を「電動機」ではなく「原動機」で訳します原動機には電気モーターもエンジン(内燃機関)も含まれます(ぶっちゃけ蒸気機関もふくまれます)なのでディーゼル駆動でもハイモでいいのです
なるほど、そういう解釈でいいのですね〜それならディーゼルエンジンもモーターですね
@@Kenritsu-Surume-Farm 国鉄のエンジン型式の先頭につくDMもDiesel Motorの略ですね
オートバイ🏍️も英語では「motor bike」です。
樽見鉄道の株主にもなっていた大阪セメント、敷地内に入る入口こそトラックの出入り口になってしまいましたが、美濃神海から分かれる専用線は路盤も残っているので1度訪れてみてください。敷地内にはその昔、カサカサになったキ100がいたことでも有名です。(もとは大垣区のものらしい。形は米原で保存されているものと同型
全通してたら、金沢、福井~越前大野~大垣、名古屋の直通列車はあっただろうな。
大垣からモレラ行くのに乗ったなぁ意外と便利だと思った
元三木鉄道の車両は茨城県のひたちなか海浜鉄道にも行ったけどのんのんびよりに御出演したのがその車両。なので外観は変わったけど同型車両の走る樽見鉄道でものんのん気分が味わえる。
樽鉄所有の車両で唯一のセミクロスシート。
のんのんびよりの気動車知ってるんですね〜車両のカラーはほぼそのままあれでしたねでも確かその気動車が出演した映像の聖地は只見線でしたっけね
大自然の山の中を鉄の塊、しかもジーゼルエンジンの音鳴らして走る姿は、素晴らしい
楽しく拝見しました。ありがとうございます。幾つか補足させてください…〈誤植〉4:56「1958年に神海まで延伸した後に国鉄が崩壊するまで神海止まりの路線」正しくは、1989年の樽見延伸まで「神海止まりの路線」でした。(国鉄分割民営化は1987年)なお、国鉄が「崩壊」したとする根拠はありません。政策的に「分割民営化」させられたのです。5:12 「そこから国鉄崩壊の87年時点からどういう風の…」樽見鉄道が独立したのは1984年であり、国鉄分割民営化の3年前です。なお、1980年の国鉄再建法制定のあおりを受けて一度凍結された神海→樽見の工事について、再開して延伸することにしたのは、1984年に既に樽見鉄道として独立した後の話ですから、国鉄民営化の87年時点でのことは一切無関係です。5:16 「樽見鉄道が三セク化されたのは1986年のこと」事実と違います。正しくは「1984年」です。5:20「理由は言わずもがな赤字路線だった…」その後の説明でも述べられていますが、第一次特定地方交通線に選定されたから「廃止or3セク化」の選択を迫られたのであり、その第一次特定地方交通線の選定規準は、全国一律の「輸送密度」で判断されていました。「営業係数」ではなく「輸送密度」です。これは大きな違いです。個々の線区が赤字かどうかは全く考慮されていないのです。(もちろん赤字であったことには違いないでしょうが)〈動画のタイトルおよび概要欄について〉「鉄建公団が途中まで作ったのに放置してしまった区間」鉄建公団が放置したのではありません。1980年に国鉄再建法が制定され、そのあおりで未成線の建設工事が凍結させられたのです。あと少しで完成だった鉄道についても凍結を決めたのは、国が決めたことであり、鉄建公団は無関係です。あたかも鉄建公団が無責任に放置したかのような言い草ですが、鉄道敷設法を根拠に税金を出して作らせ続けたのも国であり、凍結を命じたのも国です。「このような区間は日本に数カ所ある」数カ所どころではなく数十箇所あります。全国にどれだけの未成線があるか、調べてみてください。〈補足など〉2:29 「更に線路が続きそうな雰囲気」樽見駅のその先の部分は、機関車の付け替えを行うためのスペースです。樽見まで牽引した機関車が、そこまで引き上げ、空いている側のホームを通って大垣方に機関車を連結させるのに利用されていました。2006年まで14系客車をDD51が牽引する列車も運行されていましたので、その残滓です。何やら誤解されているようですが、「樽見駅から先の工事が進められたことはありません!!」3:01 「現在は本巣郡の各々が合併して本巣市になりましたが…」 厳密には本巣市になったのは本巣郡の一部です。旧本巣郡のうち、真正町、糸貫町、本巣町、根尾村は合併して本巣市になりましたが、巣南町、穂積町は瑞穂市に、北方町は合併せず現在に至っています。3:09 「今は西濃もある程度市にまとめられちゃった…」そもそも、本巣市は西濃ではない。広義には、西濃に含める場合もありますが、一般的には岐阜県にを「岐阜/西濃/中濃/東濃/飛騨」に区分する際は、本巣市は岐阜地区に含まれます。そして、西濃地区は、市町村合併があまり進まなかった地域です。海津市の誕生、上石津町と墨俣町が大垣市に編入したことを除けば、「市にまとめられた」とは言い難いと思います。(揖斐川町は市に成れませんでした。)3:12 「駅舎は木造の新しめな造り…」1989開業時に建てられた旧駅舎は2007年に火災で焼失しています。事件当時、樽見鉄道の運転手さんが「あの日は徹夜で対応にあたった」と仰ってましたっけ。その後、NPO法人「樽見鉄道を守る会」などが必死に呼びかけて、なけなしのお金で建てられたのが現在の待合室のように見えるかもしれない新駅舎です。券売機や事務室などの設備は設けられませんでした。3:18 「そんな樽見駅は春には桜が咲き誇る名所…」樽見駅が名所なのではなく、樽見駅から暫し歩いたところにある淡墨桜が名所です。
正しい書き込みです。本巣市は岐阜地域で、地域版もその扱いです。市外局番が二種類存在します。今では無用の長物ですが客車列車を牽引した機関車の付けかえに使用されました。蛇足ですが、木知原駅近くのファミリーマートから先にはコンビニがありません。
@@hideakimatsumoto6943 さんどうもありがとうございます。
@@万字みると さんお詳しい!!すごいですね!!
@@channel-tb5nu さんありがとうございます
今思えば、批判するようなことを書いてしまいました…根尾川鉄道文化村を取り上げていただき、どうもありがとうございます。このハイモ180の保存は、NPO法人樽見鉄道を守る会の会長をされていた、故・高橋順子氏が、人生をかけて取り組んだものでした。私も高橋さんには、随分とお世話になりました。高橋さんは、この鉄道文化村の完成を見ることなく、完成する前年の2007年秋に50代という若さで亡くなりました。この車輌に乗ったことのないような若い世代の方が、こうして訪れてくださること、TH-camで取り上げて下さること、天国にいる高橋さんが聞いたらどれだけ喜んだことでしょう。想像すると目頭があつくなりますね。取り上げていただき、どうもありがとうございます。
養老山地ではなく、伊吹山地です。
いつも見てます。1990年頃までは、サクラダイヤに合わせて、名古屋から樽見行きの直通列車をJR東海の14系客車が乗り入れていました。確か、快速列車だったと思います(間違っていたらごめんなさい)。他にも、樽見鉄道で改造したと思われる観光用客車の運行もありました。また、あさは、通学客のために旧型客車、後年は14系客車を運行しており、大垣駅7番線を使用しておりました。共に、セメント列車の廃止の頃には無くなって、現在の形態に落ち着いたみたいです。ちなみに、明知鉄道や長良川鉄道と違って、樽見鉄道線は現在もJR線と繋がっています。
乗ったことありますよ、でも途中でJRの快速列車に抜かれたような、また名古屋到着ホームも違っていましたね。
それはうらやましい。その頃の時刻表(1991年4月号)を見てみたら、名古屋~大垣がほぼ一時間かかってますね。稲沢貨物線経由で運転されてたのかな?と想像しながら見てました。この頃から『快速ナイスホリデー』が運転されてたんですね。発見でした。
お~、日当で途中下車ですか。私も日当駅は好きです。こないだ (2021年11月下旬) 紅葉目当てで樽鉄に乗りに行って、同じく日当で下車しました。3年前には駅ノートがあったんですが、今回はなくなっていたのが残念でした。
鉄建公団の人と仕事したのも、今考えたら懐かしい。
金沢まで開通していたら、樽見~大野間に駅は存在したのだろうか…あったら秘境駅間違いなしだが。
列車前面の写真はあのボクシング協会元会長?
自動車レースは「モーター」スポーツなのでセーフ?
日当駅付近の撮影スポットわかりますよ
0:25 「ブッダヘッド」 釈迦頭のことですなぁ。ロマネスコとは違いますよ~
ロマネスコの形が釈迦頭に似ているのでそう呼ばれている(っと親に教育されました
へぇ~そうだったのですか、樽見線は北鉄金名線とね繋がる予定だったのですね。あと昔の京福電鉄も勝山から越前大野まで路線があったからこの路線とも繋がっていた可能性がありますね。...話は鉄道から脱線しますが、昔の越美国境に這帽子峠という難所があってここを越えるのは至難の技と言われていたそうですが、幕末の美濃の人物で所郁太郎という方が居られて美濃から越前大野藩を訪れた時にこの這帽子峠を越えて越前に来たという記録があり、大野の方は大変驚いたたと言う事です。因みにこの方は長州藩士の井上馨の命を救った人物として知られています。
樽見鉄道金沢まで伸びてなくて良かったw伸びてたら,確実に,路線ごと国鉄民営化の時に亡くなってると思いますあと、仮根は『かりね』ではなく『かこん』です
これは間違えてましたね〜生物学勉強しなければ
昔の旧村なのにNEO村とはこれ如何に🤔
未成線はやはり悲しいな...
エンジンでもモーターで🆗だって自動車もエンジンついているのにモータースポーツとか自動車工場とかモータースていうからね!
ことちゃん、、、
雪対策という課題はありますが、鉄道建設公団の造った線形の良い末端区間はDMVの方が良さそうに思います。フロントエンジン・フロントドライブのトラック改造型、スノープロー付きで雪だまりに乗り上げない工夫、開発の価値はありそうだ。
今日もおもしろかったよ(^^♪実を言うと、地名がローカルすぎて、どこに行ってどこを通っている鉄道に乗り鉄しているか、よくわからなかった(-_-;)揖斐川がすごくきれいだというのは、よくわかったけどね。cabhey みたいに、水を見たらとりあえず沐浴すると再生回数、回るかも?あと、英語だと内燃機関のエンジンもモーターって言うんだよね。GMだって、general motors の略称だし、二輪車はモーターサイクルとかね。蒲郡競艇場に行くと、予想屋のおじさんが「モーターが」とか言っているし。
い、いかん…わざとボケたと分かっていても仮根は「かこんと読むんじゃーい」と突っ込みたくなる
すんません、わざとじゃなくて普通に間違えてました
イルカとクジラは、生物学的には、身体の大きさ以外は同じとされるらしい
あの頃の国鉄は馬鹿だったのよ。 国鉄「利便性上げる為に都市と都市を結ぶ鉄道作るで!(本音:でも大半は山とか畑で駅すら置けない人も居ない地域だけど結べばなんとかなるやろ!)」
国鉄じゃなくて鉄建公団な。国鉄は赤字を無駄に拡大させられた被害者だし城北線なんかJR東海の超絶サボタージュ経営(悪法に対抗するのには最善)であんなことに…。
ナレーションは普通にやれ老人には聴きにくい直ぐになおせ
どういう風に直せと?普通とは?
@@Kenritsu-Surume-Farm 「ゆっくりボイス」は嫌だ、という事では?知らんけど…
樽見線が全通していたら、大垣駅は凄いターミナル駅だったんだろうなー
本巣は以前長期出張で半年くらい居ましたが、ド田舎だけど川の水は最高に綺麗で手付かずの自然が素晴らしかったです。
金沢まで繋げるとすれば、北鉄石川線につなげるつもりだったかもしれませんね。
今は鶴来までですが、昔は加賀一ノ宮というところまで、さらに昔は白山下まで伸びていました。
当時の路線名は金名線といい、金沢と名古屋を結ぶ壮大な計画があったらしいですよ。
むかしは道路状況が良くなかったから、鉄道に対する熱意は強く、たとえ中間に高い山々があって無謀といわれても、壮大な計画を発表することで、スポンサーの気をひいてを資金調達していたそうです。
しかし当然ながら壮大な計画を立てたが結局挫折した鉄道は少なくありません。
鉄道動画を観てからリストに載っていたので拝見しました。面白かったです。イルカとクジラの違いはおおきさだけだそうですよ
養老鉄道が、四日市から大垣経由で敦賀まで。
佐久鉄道が、直江津から清水まで。
長良川鉄道が、美濃多太田から越美北線に接続し日本海側まで。
樽見鉄道が、大垣から金沢まで。
本州横断どの鉄道会社も叶わなかったよな〜
オレンジの会社が企画するウォーキングイベントで樽見まで行ったことあります。臨時の客車で行きましたね。途中までボロボロでよく揺れたのにいきなりキレイな線路になってなんだここ?と思ってました。
可部線の加計以北が同じく高規格路線で、ほとんどと言っていいほどに道路との平面交差がありません。おまけに蛇行する川を全く無視して橋梁・トンネル・築堤・切り通しなどありとあらゆる方法でこれでもかとばかりに直線的な敷設をやっています。これのお陰で廃止から18年経っても至る所に遺構が残されています。街なかに近い駅や立地のいい駅などはかなり取り壊されて転用されたりしていますが、そうでない場所に関してはほぼそのまま残されています。道路上を横断するガーター橋等の桁の撤去等は進んでいません。これは三江線の一部区間でもあります。他にも錦川清流線の錦町駅より北にも未成線で終わった岩日北線の遺構がかなり出来上がった状態で放置されています。取り壊すにも多額の費用がかかるため、どこが金を出すんだと言う事で進んでいません。
頑張って大野まで伸ばして越美北線と繋げりゃ新幹線開業後も名古屋から福井まで直通列車出せたのでは?と思ってしまう....(原案通りなら金沢駅まで)
たしかに樽見線乗ってる時に凄いいい規格してんなーと思いました。また今度乗りに行きたいな...
p.s.仮根は水を吸収したりしない、ただ単純に風とかで吹き飛ばないようにするためのやつです。
鉄建公団:リアル【キングボンビー】😁
「ハイモ〇〇」の「モ」は
「モーター」ですが
日本語訳を「電動機」ではなく「原動機」で訳します
原動機には
電気モーターもエンジン(内燃機関)も含まれます
(ぶっちゃけ蒸気機関もふくまれます)
なのでディーゼル駆動でもハイモでいいのです
なるほど、そういう解釈でいいのですね〜
それならディーゼルエンジンもモーターですね
@@Kenritsu-Surume-Farm
国鉄のエンジン型式の先頭につくDMもDiesel Motorの略ですね
オートバイ🏍️も英語では「motor bike」です。
樽見鉄道の株主にもなっていた大阪セメント、敷地内に入る入口こそトラックの出入り口になってしまいましたが、美濃神海から分かれる専用線は路盤も残っているので1度訪れてみてください。敷地内にはその昔、カサカサになったキ100がいたことでも有名です。(もとは大垣区のものらしい。形は米原で保存されているものと同型
全通してたら、金沢、福井~越前大野~大垣、名古屋の直通列車はあっただろうな。
大垣からモレラ行くのに乗ったなぁ
意外と便利だと思った
元三木鉄道の車両は茨城県のひたちなか海浜鉄道にも行ったけどのんのんびよりに御出演したのがその車両。
なので外観は変わったけど同型車両の走る樽見鉄道でものんのん気分が味わえる。
樽鉄所有の車両で唯一のセミクロスシート。
のんのんびよりの気動車知ってるんですね〜
車両のカラーはほぼそのままあれでしたね
でも確かその気動車が出演した映像の聖地は只見線でしたっけね
大自然の山の中を鉄の塊、しかもジーゼルエンジンの音鳴らして走る姿は、素晴らしい
楽しく拝見しました。ありがとうございます。幾つか補足させてください…
〈誤植〉
4:56「1958年に神海まで延伸した後に国鉄が崩壊するまで神海止まりの路線」
正しくは、1989年の樽見延伸まで「神海止まりの路線」でした。(国鉄分割民営化は1987年)
なお、国鉄が「崩壊」したとする根拠はありません。政策的に「分割民営化」させられたのです。
5:12 「そこから国鉄崩壊の87年時点からどういう風の…」
樽見鉄道が独立したのは1984年であり、国鉄分割民営化の3年前です。
なお、1980年の国鉄再建法制定のあおりを受けて一度凍結された神海→樽見の工事について、再開して延伸することにしたのは、1984年に既に樽見鉄道として独立した後の話ですから、国鉄民営化の87年時点でのことは一切無関係です。
5:16 「樽見鉄道が三セク化されたのは1986年のこと」
事実と違います。正しくは「1984年」です。
5:20「理由は言わずもがな赤字路線だった…」
その後の説明でも述べられていますが、第一次特定地方交通線に選定されたから「廃止or3セク化」の選択を迫られたのであり、その第一次特定地方交通線の選定規準は、全国一律の「輸送密度」で判断されていました。「営業係数」ではなく「輸送密度」です。これは大きな違いです。個々の線区が赤字かどうかは全く考慮されていないのです。(もちろん赤字であったことには違いないでしょうが)
〈動画のタイトルおよび概要欄について〉
「鉄建公団が途中まで作ったのに放置してしまった区間」
鉄建公団が放置したのではありません。
1980年に国鉄再建法が制定され、そのあおりで未成線の建設工事が凍結させられたのです。あと少しで完成だった鉄道についても凍結を決めたのは、国が決めたことであり、鉄建公団は無関係です。
あたかも鉄建公団が無責任に放置したかのような言い草ですが、鉄道敷設法を根拠に税金を出して作らせ続けたのも国であり、凍結を命じたのも国です。
「このような区間は日本に数カ所ある」
数カ所どころではなく数十箇所あります。全国にどれだけの未成線があるか、調べてみてください。
〈補足など〉
2:29 「更に線路が続きそうな雰囲気」
樽見駅のその先の部分は、機関車の付け替えを行うためのスペースです。樽見まで牽引した機関車が、そこまで引き上げ、空いている側のホームを通って大垣方に機関車を連結させるのに利用されていました。2006年まで14系客車をDD51が牽引する列車も運行されていましたので、その残滓です。
何やら誤解されているようですが、
「樽見駅から先の工事が進められたことはありません!!」
3:01 「現在は本巣郡の各々が合併して本巣市になりましたが…」
厳密には本巣市になったのは本巣郡の一部です。旧本巣郡のうち、真正町、糸貫町、本巣町、根尾村は合併して本巣市になりましたが、巣南町、穂積町は瑞穂市に、北方町は合併せず現在に至っています。
3:09 「今は西濃もある程度市にまとめられちゃった…」
そもそも、本巣市は西濃ではない。広義には、西濃に含める場合もありますが、一般的には岐阜県にを「岐阜/西濃/中濃/東濃/飛騨」に区分する際は、本巣市は岐阜地区に含まれます。
そして、西濃地区は、市町村合併があまり進まなかった地域です。海津市の誕生、上石津町と墨俣町が大垣市に編入したことを除けば、「市にまとめられた」とは言い難いと思います。(揖斐川町は市に成れませんでした。)
3:12 「駅舎は木造の新しめな造り…」
1989開業時に建てられた旧駅舎は2007年に火災で焼失しています。事件当時、樽見鉄道の運転手さんが「あの日は徹夜で対応にあたった」と仰ってましたっけ。
その後、NPO法人「樽見鉄道を守る会」などが必死に呼びかけて、なけなしのお金で建てられたのが現在の待合室のように見えるかもしれない新駅舎です。券売機や事務室などの設備は設けられませんでした。
3:18 「そんな樽見駅は春には桜が咲き誇る名所…」
樽見駅が名所なのではなく、樽見駅から暫し歩いたところにある淡墨桜が名所です。
正しい書き込みです。本巣市は岐阜地域で、地域版もその扱いです。市外局番が二種類存在します。今では無用の長物ですが客車列車を牽引した機関車の付けかえに使用されました。蛇足ですが、木知原駅近くのファミリーマートから先にはコンビニがありません。
@@hideakimatsumoto6943 さん
どうもありがとうございます。
@@万字みると さん
お詳しい!!
すごいですね!!
@@channel-tb5nu さん
ありがとうございます
今思えば、批判するようなことを書いてしまいました…
根尾川鉄道文化村を取り上げていただき、どうもありがとうございます。
このハイモ180の保存は、NPO法人樽見鉄道を守る会の会長をされていた、故・高橋順子氏が、人生をかけて取り組んだものでした。私も高橋さんには、随分とお世話になりました。
高橋さんは、この鉄道文化村の完成を見ることなく、完成する前年の2007年秋に50代という若さで亡くなりました。
この車輌に乗ったことのないような若い世代の方が、こうして訪れてくださること、TH-camで取り上げて下さること、天国にいる高橋さんが聞いたらどれだけ喜んだことでしょう。想像すると目頭があつくなりますね。
取り上げていただき、どうもありがとうございます。
養老山地ではなく、伊吹山地です。
いつも見てます。
1990年頃までは、サクラダイヤに合わせて、名古屋から樽見行きの直通列車をJR東海の14系客車が乗り入れていました。確か、快速列車だったと思います(間違っていたらごめんなさい)。
他にも、樽見鉄道で改造したと思われる観光用客車の運行もありました。
また、あさは、通学客のために旧型客車、後年は14系客車を運行しており、大垣駅7番線を使用しておりました。
共に、セメント列車の廃止の頃には無くなって、現在の形態に落ち着いたみたいです。
ちなみに、明知鉄道や長良川鉄道と違って、樽見鉄道線は現在もJR線と繋がっています。
乗ったことありますよ、でも途中でJRの快速列車に抜かれたような、また名古屋到着ホームも違っていましたね。
それはうらやましい。
その頃の時刻表(1991年4月号)を見てみたら、名古屋~大垣がほぼ一時間かかってますね。稲沢貨物線経由で運転されてたのかな?と想像しながら見てました。
この頃から『快速ナイスホリデー』が運転されてたんですね。発見でした。
お~、日当で途中下車ですか。私も日当駅は好きです。こないだ (2021年11月下旬) 紅葉目当てで樽鉄に乗りに行って、同じく日当で下車しました。3年前には駅ノートがあったんですが、今回はなくなっていたのが残念でした。
鉄建公団の人と仕事したのも、今考えたら懐かしい。
金沢まで開通していたら、樽見~大野間に駅は存在したのだろうか…
あったら秘境駅間違いなしだが。
列車前面の写真はあのボクシング協会元会長?
自動車レースは「モーター」スポーツなのでセーフ?
日当駅付近の撮影スポットわかりますよ
0:25 「ブッダヘッド」 釈迦頭のことですなぁ。ロマネスコとは違いますよ~
ロマネスコの形が釈迦頭に似ているのでそう呼ばれている(っと親に教育されました
へぇ~そうだったのですか、樽見線は北鉄金名線とね繋がる予定だったのですね。あと昔の京福電鉄も勝山から越前大野まで路線があったからこの路線とも繋がっていた可能性がありますね。
...話は鉄道から脱線しますが、昔の越美国境に這帽子峠という難所があってここを越えるのは至難の技と言われていたそうですが、幕末の美濃の人物で所郁太郎という方が居られて美濃から越前大野藩を訪れた時にこの這帽子峠を越えて越前に来たという記録があり、大野の方は大変驚いたたと言う事です。因みにこの方は長州藩士の井上馨の命を救った人物として知られています。
樽見鉄道金沢まで伸びてなくて良かったw
伸びてたら,確実に,路線ごと国鉄民営化の時に亡くなってると思います
あと、仮根は『かりね』ではなく『かこん』です
これは間違えてましたね〜
生物学勉強しなければ
昔の旧村なのにNEO村とはこれ如何に🤔
未成線はやはり悲しいな...
エンジンでもモーターで🆗だって自動車もエンジンついているのにモータースポーツとか自動車工場とかモータースていうからね!
ことちゃん、、、
雪対策という課題はありますが、鉄道建設公団の造った線形の良い末端区間はDMVの方が良さそうに思います。フロントエンジン・フロントドライブのトラック改造型、スノープロー付きで雪だまりに乗り上げない工夫、開発の価値はありそうだ。
今日もおもしろかったよ(^^♪
実を言うと、地名がローカルすぎて、どこに行ってどこを通っている鉄道に乗り鉄しているか、よくわからなかった(-_-;)
揖斐川がすごくきれいだというのは、よくわかったけどね。
cabhey みたいに、水を見たらとりあえず沐浴すると再生回数、回るかも?
あと、英語だと内燃機関のエンジンもモーターって言うんだよね。
GMだって、general motors の略称だし、二輪車はモーターサイクルとかね。
蒲郡競艇場に行くと、予想屋のおじさんが「モーターが」とか言っているし。
い、いかん…わざとボケたと分かっていても仮根は「かこんと読むんじゃーい」と突っ込みたくなる
すんません、わざとじゃなくて普通に間違えてました
イルカとクジラは、生物学的には、身体の大きさ以外は同じとされるらしい
あの頃の国鉄は馬鹿だったのよ。 国鉄「利便性上げる為に都市と都市を結ぶ鉄道作るで!(本音:でも大半は山とか畑で駅すら置けない人も居ない地域だけど結べばなんとかなるやろ!)」
国鉄じゃなくて鉄建公団な。
国鉄は赤字を無駄に拡大させられた被害者だし
城北線なんかJR東海の超絶サボタージュ経営(悪法に対抗するのには最善)で
あんなことに…。
ナレーションは普通にやれ
老人には聴きにくい
直ぐになおせ
どういう風に直せと?普通とは?
@@Kenritsu-Surume-Farm 「ゆっくりボイス」は嫌だ、という事では?知らんけど…