鹿屋の記憶~鹿屋市に残る戦争遺跡が伝える歴史~

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  • เผยแพร่เมื่อ 10 ก.ย. 2024
  • 太平洋戦争時において重要な役割を果たした鹿屋第1海軍基地。太平洋戦争における鹿屋第1海軍基地の役割を紹介します。
    ・鹿屋会談
    ・第五航空艦隊司令部
    ・桜花
    ・進駐軍上陸の地(高須金浜海岸)

ความคิดเห็น • 17

  • @keitaka9989
    @keitaka9989 3 หลายเดือนก่อน +5

    自分の祖父も終戦間際に海に散りました。
    祖父たちの思いは家族の安全と子供の成長だったと思います。

  • @user-gd6ej8eo4i
    @user-gd6ej8eo4i 10 หลายเดือนก่อน +19

    特攻隊は知覧からしか飛んでいないと思っている日本人は多いです。
    鹿屋にも知覧の様に灯籠を建ててあげて欲しいです。

    • @user-un5nn7kl3h
      @user-un5nn7kl3h 5 หลายเดือนก่อน +4

      トメさんが建てたのが灯篭の始まりだしね。
      滑走路も消えて戦後は人魂が出てたそうです。
      鹿屋も亡霊がたまに出ますが、霊感の無い自分は見た事ないです。>先輩は良く見たそうです。
      鹿屋の戦死者は全軍でもトップの出撃数ですので、もっとスポット当てて英霊を弔って欲しいです。

    • @user-bx9jp9qw1s
      @user-bx9jp9qw1s 5 หลายเดือนก่อน +2

      知覧は陸軍飛行場ですが他にも20ヵ所近くから、海軍も鹿屋他19ヵ所(水上機基地も含む)から特攻機が出撃しています。縄張り?があるのか陸海飛行場が相互に利用することは少なかったようです(「島」 は除く)。

    • @creativeYouTube1
      @creativeYouTube1 2 หลายเดือนก่อน +2

      当時の滑走路は遺族の方達が迎えに行ってた所ではないでしょうか。
      ここから飛びだって行ったらしいからここに飛行機で戻って来るはずだと・・・。

  • @user-es6cb3hu9e
    @user-es6cb3hu9e 10 หลายเดือนก่อน +14

    軍歌を聞くと何故か凄く悲しさの中に勇ましさを感じる、そして爆死する夢、空を飛び回る夢を結構な回数見てきました、鹿屋の航空基地通信所の近くの集落で産まれた僕ってもしかすると特攻隊員の生まれ変わりなのかも

  • @user-iw9tr6ce9v
    @user-iw9tr6ce9v 2 หลายเดือนก่อน +4

    叔父は海軍大尉で攻撃第704飛行隊の分隊長であった。23歳10ヶ月の若さで、終戦80日前に鹿屋基地から出撃し沖縄で散華した。

  • @user-cc1sb5gy1s
    @user-cc1sb5gy1s 9 หลายเดือนก่อน +7

    山本長官を護衛した戦闘機隊の一人杉田庄一さんは343空が鹿屋時に鹿屋で撃墜され亡くなっている

  • @user-ep1qw3vm1q
    @user-ep1qw3vm1q หลายเดือนก่อน +3

    鹿屋航空基地史料館には 燃料とオイルを入れれば 直ぐに飛べそうな出来栄えの零式艦上戦闘機が有ります 必見です また屋外には貴重な二式大型飛行艇が鎮座しております これもまた必見です

  • @user-bm1ms7bf9u
    @user-bm1ms7bf9u ปีที่แล้ว +10

    私が子供の頃は何も分からず防空壕に入って遊んだりもしていた
    今思うと悪い事をしていたなって思うし、もしかしたらそこで亡くなった方もいたかもしれないのにね

  • @user-uz2vp2rk2g
    @user-uz2vp2rk2g ปีที่แล้ว +14

    宇垣長官は自決すべきでしたね。
    後から行くと言った英霊との約束は果たされていますが、玉音放送後の出撃で下の人を連れて行かれたらば、その家族はどうなるか考えて欲しかったですね。

  • @30zerozero
    @30zerozero ปีที่แล้ว +1

    今は米軍がいますね

  • @creativeYouTube1
    @creativeYouTube1 2 หลายเดือนก่อน

    1:35

  • @user-pr9bu4en2w
    @user-pr9bu4en2w 3 หลายเดือนก่อน

    鹿屋市長「戦死後すぐの写真だったら値打ちがあるんじゃないでしょうか、ぐへへへへ」