【WRC】ラリーに4WDを広めた革命車 知られざる誕生秘話【解説】【アウディ クワトロ】
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- เผยแพร่เมื่อ 7 ก.พ. 2025
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今回はラリーに4WDを広めた歴史に残る名車、アウディクワトロのWRCでの活躍を中心に解説します。
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アウディ4WDの活躍も衝撃的ですが、スポット参戦で締め出されたジープもある意味衝撃的ですね。
このチキチキマシンでチャンピオン目前まで迫って、更にマジキチ改造されたマシンでパイクスピークを制したミシェル・ムートンは本当に何だったんだろう?しかもここからずっと女性ウィナーはいないし。
アウディといえば、このクルマが出てくるまでどんなクルマがあるかすら知らないメーカーだったのに、そのメーカーの存在自体を知らしめる程のエポックな存在だったと思います。
1975年頃のアウディの記憶はほとんどが80ばかりで「ワーゲンより少し上、BMWより遙かに下」のイメージ。
スポーツモデル的な100クーペもありましたが、おとなしい印象でした。そのメーカーからクワトロが登場しWRCで活躍しましたから、当時は衝撃的でした。
スポーツクワトロは完全にバランスがラリーで戦うには悪すぎましたね・・・。
現にスポーツクワトロがワークスドライバー達に与えられた後も前の通称ロングクワトロで走っていたプライベーターの方が速かったなんてこともありましたしね。
ラリーは回頭性も大事ですが悪路に対する安定性が一番大事ですからね・・・ライバルのプジョー205T16はコンパクトなボディながらホイールベースは長かったのでその差が出たのでしょう。
とは言えクワトロがラリー界にもたらした影響は多大でいつまでも歴史に名を残す名車ですね!!
ちなみに私はクワトロではバランスの良さからロングクワトロの方が好きです!
こんな暴れん坊な直線番長を操ったミシェル・ムートン女史は才女で女傑で
WRC取材の第一人者だった飯島俊行氏がベストカー誌上で「初代クワトロは良かったがスポーツクワトロはハンドリング特性がシビア過ぎる」という理由でダメ出ししてた覚えがある。
ストラトス一強時代が終わった80年代初頭のGr.4はバリエーション豊かな面子が揃っていました
オペル・カデットC、フォード・エスコートRS1800、プジョー・504、トヨタ・セリカ(RA40)等々…
これら二駆勢を一気に過去の存在にしたクワトロはモータースポーツ史に語り継がれる名車と言えますね
クアトロが登場した当時の競技映像見た事あるけどグラベルでも曲がらなくて森の中を木にガンガン当てながら曲げていたのがビックリでしたね❗センターデフの大切さが良く解る映像でした😮
グループBが消滅して使い道が無くなったグループBマシンは改修されて、パイクスピーク・ヒルクライムやダカール・ラリーで投入されて活躍している。特にプジョー205はダカール・ラリーで目覚ましい活躍を見せ、砂漠のライオンと呼ばれるようになった。
アウディの場合、この当時作っていたのが縦置きFFだったというのが功を奏する形になった。
ビッグワンガムで作ったなぁ、アウディクワトロ。
僕はこの時小学生、アウディというブランドを知ったのはこのガムのオマケ(いや、ガムがオマケ?)やったんでアウディ=ラリーのイメージでした。ブランドイメージ刷新のための参戦やったとは。
しかし、クワトロシステムの発見の経緯が面白かったです。どこからそんなエピソードを拾ってこられるのか、毎回感心します。
当時は四駆がモータースポーツ与えるインパクトがこれほど大きなものになるとは思っていなかったですね。ランタボの活躍を期待していただけにクアトロの強さは本当に衝撃でした。
アウディA1とスポーツクワトロE2のプラモデルを作って並べてみたけどエンジンがフロントにある以外もう別の車みたいになっていた。E2はギヤ比を変えたらサーキットレースに使えそうな外観してますなあ。
この頃のクワトロとかシエラとかカッコ良かったなぁ。あとアルミシリンダー用LLCってのもあったなぁ。ポカリみたいな色の水で高かったw
14:01 このツール・ド・コルスでの大事故がきっかけで、殆どのワークスが撤退に追い込まれてしまった。
更に前年の85年で、ツール・ド・コルスでアッテリオ・ベッデガの運転するランチア・ラリー037が立ち木に激突して死亡。アルゼンチンラリーではプジョー205がクラッシュして、ドライバーのアリ・バタネンが重傷を負ってしまうという事故も起きていた。
ちょうど三菱がランサーターボでWRCに打って出ようとしていた頃(1979〜1980)、時を前後して登場したのが、Audi QuattroとRenault 5 ターボでした。その時からLancia Strato'sからFiat 131、Ford Escortらが覇を競った旧時代から、WRC新時代へと世界が劇的に一変したと感じました。
それでは、と三菱はスタリオン4WDラリーの開発に着手するもプロジェクトは中止、しかしグループAになるとギャランVR-4、ランサーエボリューションと黄金期を迎えることになるから運命の皮肉と言いますか…。
ラリーシムでは他のじゃじゃ馬ミッドシップ4WDよりも個人的に走りやすい印象。
フロントエンジンだから荷重かけやすいし、滑り出してもパワーに任せて前に進む。
あのE2のクソデカエアロのフォルムが、今のWRCでも健在なのがいいですね。
サファリにしか参戦してなかったスバル・レオーネも忘れないでください。
すみません、スバルレオーネって84年はモンテカルロに、あとニュージーランドにもPボーンや加藤順一郎さんもワークス参戦していますけど・・・。😅>>サファリにしか参戦してなかったスバル・レオーネも忘れないでください。 って・・・
日産も参考車としてスポーツクアトロ持ってて、長谷見さんが冬の苗場で乗った時の感想 「あと100馬力あれば楽しいんだけどな!」 渡邉衡三さんの感想 「100馬力余分だな」
センターデフをロックさせ50対50で曲がらない車を 揺り返し思い切り使い四ドリに持ち込む様は壮絶でした。
もっと早くトルセンデフが実用化させていたら?ビスカスのシリコンオイルのパワーキャパシティが有れば?Xトラックの前後配分デフを使えたら?様々有りますがエポックな車でした。
959開発史 フェルディナント・ピエヒ、ヴァルター・ロール、デビッド・リチャーズ の関係を描くと面白いかと思います。
親父が昔クワトロを所有していて、幼稚園の送り迎えで来てくれました。
アウディクワトロラリーで思うのはやはりミシェルムートン女史ですよ。モータースポーツで成功した女性ドライバー。ワルターロールのギャラリーの間を縫って走る極限ドライビングあれは頭のネジがぶっ飛んでるとしかいいようがない。自分ごとですが中3ん時A2のタミヤのラジコン持ってました。ブラックモーターつけて…、
スキージャンプ台を遡るCMが印象的だったね
ちなみにWRCから撤退したクワトロS1はパイクスピークに参戦し優勝し当時の最速記録を塗り替えたんだよな
アウディ クワトロに乗っていたミシェル・ムートンは最近になって日本のアニメのキャラクターの名前で使われていたので知りました。
Gr.A時代にハンヌ・ミッコラがドライブしたアウディ200、HBカラーでタクシーみたいな外観なのにメッチャ速くて驚きました。w
コ・ドライバーのファブリツァ・ポンスの眼鏡がでっかくて萌えだったw
ランチアで4WDの開発が遅れていたのかもしれませんが、グループB初期に2WDの037でクワトロに真っ向勝負を挑んでいたのが印象的。SS中にタイヤ交換してまでタイム稼いでいたからね。
アウディは何をやっても凄いメーカーですよね
205強すぎで飽きてた頃に クワトロが小型の装甲車みたいな変身、激しい吸排気音で爆走していたのは楽しかった
プジョー205TURBO16やランチャ・デルタS4の様に市販車のカタチでミッドシップ4WDで仕上げていたら歴史は違ったモノになったかもしれません…
アウディのチバラギ仕様か
正しくWRCに巻き起こったクワトロショックの詳細を詳しく学ぶに相応しい動画ですね!^^b
デビュー前は皆明らかに馬鹿にしていたがいざデビューしてみると速く強かった、と言う武勇伝をWRCで実現させたアウディにとってこの独自のフルタイム4WD・クワトロはアウディにとっても大変大きなターニングポイントとなったのですね!^^y
フォルクスワーゲンからスバルに変わる❗
絶対誰も興味ないかもだけど
役目を終えたグループBマシンの最後の楽園がヨーロッパラリークロスなんだよね。
ぜひみて欲しい
直列5気筒縦置きエンジンの前輪駆動をフルタイム4WD化したレイアウトゆえにフロントヘビーは避けられなかったんだな。一番前の1気筒をカットした4気筒エンジンにして、重心を少しでも後方に持っていったらと当時思ってた。でも市販車との関連が薄くなるからダメだったんだろうな。
そうすればダウンサイジングターボになってフロントノーズも軽くなって更なる活躍が見込めたでしょうね。^^
三洋電機のスポンサーあったんだ
ケンブロックも自身のチャンネルでインプレッションしていたな…
83年のレース内容には不満があります。何故“帝王ミッコラ”はチャンピオンになれたのか?何故“カイザー・ロール”はオーストラリア行きを断ったのか?何故“マルチニ・ランチア”はロールのチャンピオン獲りを支援しなかったのか?83年まではチーム(メーカー)戦略、ドライバー・ラインナップ、マシンの信頼性でアウディはまだ今一歩の年だったと思います。ボスコからのVHS!発売を毎月欠かさず購入して観続けていました。翌年に向けてロールがアウディ側と接触した事が原因か?それともSE038(後のS4)の開発が滑り出しから思惑通りに進まなかったからか?アウディにしてもランチアにしても「センターデフ」が開発のネックとなっていた。メカニカルに頼ったアウディに比べて、新技術?である「ビスカスLSD」の採用に踏み切ったランチアは確かに手間取った。当時はシリコンオイルの粘度調整が未発達で試行錯誤の繰り返し!S4にしてもデビュー数日前に数種類のカップリングを1台分用意するのがやっとと言う為体!しかし生産車を主眼に置いたアウディもGr.Bの進化に引き摺られてしまったのは残念。Gr.S構想ではアウディも遂にミッドシップ4WDに路線変更。プロトタイプはSの消滅後レースに出る事無くお蔵入り。
アウディに限らず他メーカーの4WD攻防を観ていると、技術革新って何だろう?って感じます。現在は駆動だけで無く車としてのトータルパッケージ自体いや車の存在意義が???クゥアトロの出現した時代が一番WRCならず車社会にとっていい時代だったかも?
「ハイパワーターボプラス4WD。この条件にあらずんばクルマにあらずだ」
クワトロ無ければ京一も存在しなかった
とにかくカッコ悪い(S1は特に)けど、クワトロが出てこなかったらその後のWRCの進化はそこまで著しくはなかっただろうと思うとやはり偉大なクルマ✨
ハンヌ・ミッコラ、ワルター・ロールなどスゴいドライバーが運転していたが、何と言っても唯一の女性ウィナーミシェル・ムートンの印象が強い✨
WRCに始めて4WD持ち込んだのはスバルじゃねーの?
確か女性ドライバーが乗ってたね
🌐
人類
何故
MAGNA
と
言う
車に
ひかれるのか
少し
理由が解った日
56才
1人暮らし
1
スバルのレオーネを忘れんなヨォォォオ(´∵`)
スポット参戦だけど