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昔太秦の地名がついたところに住んでました
寝屋川は身近に秦氏や秦河勝を感じられる地名が多く残っていますよね
私も太秦に住んでいました‥懐かしく拝見させていただきました‥
歴史ある町に住んでおられたんですね!懐かしんで頂けて良かったです
お疲れ様でした。すごい大変な歩き旅。素晴らしい内容ですね!寝屋川市在住の秦氏の末裔としてはありがたい動画です。今となっては大した物は何も残っていないのですが確かに秦氏はココに実在した微かな残り香のようなシルエット👤痕跡がある!地元住人も価値などまるで気にしない素通りするぐらいの場所。ムー民かハタニストか都市伝説マニアか歴史マニアか秦氏の末裔くらいしか感じ取る事の出来ない貴重な研究内容です。秦氏について知っている基礎知識ある人にはイメージを膨らませながら楽しめる歩き旅❤素晴らしかったです。秦氏の末裔より最大限の感謝を込めて最高MAXありがとうしあわせ😊スーパーリスペクト🫡
ありがとうございます!秦氏の末裔の方にお褒めを頂きこちらこそ光栄です!私も恥ずかしながら数年前に京都検定の勉強をするまで秦氏のことは全く知りませんでした、、、。秦氏ゆかりの地はたくさんあれど、現在でもあれだけ地名として秦氏の痕跡が残っている場所も珍しいですよね。ほんと地名が書かれている電柱を見る度にワクワクして歩きました。来月は仕事として寝屋川にお客様をお連れしたいと思います。
ありがとうございました 興味は尽きません 残念だったのは加茂神社(賀茂神社)のこと知りたかったので 機会あればぜひ又 厚かましいお願いですが 時おり前を通るのですが車なので まあ小さな町内の方が管理されているような(想像)祠ですが 太秦に有る賀茂神社ということで考察していただければと思いコメントさせていただきます
@雨野皆化主 様コメントありがとうございます秦氏と加茂(鴨)氏の関係も気になりますよね。小さい神社ながらも私も気になります!
いや、実に懐かしいです。私は、寝屋川市出身で、名付け親が神主でした。打上神社は当時神主さんがおられず。私の名付け親が祭祀を行っていました。なのでよく打上神社にも石の宝殿にも小さい頃から行き石の宝殿の中まで入っていましたよ。打上神社では雨乞いに使った大きな桶なども有り拝見した事も有ります。親父の付き合いで郷土史家の方がおられ昭和41年発刊の寝屋川市市誌編纂に携わった方です。その影響で高宮廃寺跡等も訪れた事があります。当時は高宮寺の焼け落ちた古い瓦等も発掘後なのでそのへんにあり普通に触っていたりしましたよ。秦町に有る式内社細谷神社は当時の水田地帯に有り、条里制の跡が発見されています。今回の主題の秦河勝は元は生駒山地の南端に勢力が有り北端の寝屋川市を経て平安京へと至ったのでは?なんて想像が膨らみますね。後半に巡られた地域は紹介頂いた様に秦一族の縁の地名が多い地域です。東寝屋川駅から東には東高野街道も有りまた違った歴史が有りますし、はちかつぎ姫のお話の寝屋の長者のお話も有ります。まあこちらは遺跡等は有りませんが。久々に出身地の郷土史に触れました。有り難う御座います。
身近なところに思いもよらない歴史が詰まっていて驚きました。寝屋川の魅力をもっと多くの歴史ファンに知って欲しいですよね。貴重なお話しありがとうございました!
京都市内だと松尾大社が秦氏の氏神として有名です。
ウズマサのウズは、移るのウツである、というのが私の解釈です。打つ、とか内とか表記される場合もある。高地性集落へ海辺から移ってきたことを意味する場合が多い。内彦避彦松屋種(日本書紀)など。異論で、すみません。
面白い解釈だと思います!確かにウズという言葉は秘められた意味がありそうに感じます。寝屋川の太秦寺の表札も「ウズラ」さんでしたし、、、
@@tabitore さま。さようでしたか。それは興味深い。私のウツ=移る説は、打井川という村の地名の解釈から発生したものです。あまりに印象深い、特徴ある祭礼をもつ村だったものですから。年に一度、節分の日に行われる祭礼でした。「道」
「道」に関する祭礼でした。巡行を伴う祭礼でした。祇園祭の山鉾巡行みたいな。秦武文さんは太平記に出てくる南北朝時代のお人ですね。
太平記にも記されているんですね!色々教えて頂きありがとうございます
@@tabitore さま道がテーマなのです。出エジプト記みたいな、モーセに率いられて安住の地を求めて移って行ったドラマがあります。祇園祭も葵祭りも打井川村のドーフン祭りも、その有り様を儀礼化したものです。山鉾の「鉾」は「道」の枕詞です。ああ、日本語は、美しい。
昔太秦の地名がついたところに住んでました
寝屋川は身近に秦氏や秦河勝を感じられる地名が多く残っていますよね
私も太秦に住んでいました‥懐かしく拝見させていただきました‥
歴史ある町に住んでおられたんですね!
懐かしんで頂けて良かったです
お疲れ様でした。
すごい大変な歩き旅。
素晴らしい内容ですね!
寝屋川市在住の秦氏の末裔としてはありがたい動画です。
今となっては大した物は何も残っていないのですが確かに秦氏はココに実在した微かな残り香のようなシルエット👤痕跡がある!
地元住人も価値などまるで気にしない素通りするぐらいの場所。
ムー民かハタニストか都市伝説マニアか歴史マニアか秦氏の末裔くらいしか感じ取る事の出来ない貴重な研究内容です。
秦氏について知っている基礎知識ある人にはイメージを膨らませながら楽しめる歩き旅❤素晴らしかったです。
秦氏の末裔より最大限の感謝を込めて
最高MAXありがとうしあわせ😊
スーパーリスペクト🫡
ありがとうございます!
秦氏の末裔の方にお褒めを頂きこちらこそ光栄です!
私も恥ずかしながら数年前に京都検定の勉強をするまで秦氏のことは全く知りませんでした、、、。
秦氏ゆかりの地はたくさんあれど、現在でもあれだけ地名として秦氏の痕跡が残っている場所も珍しいですよね。
ほんと地名が書かれている電柱を見る度にワクワクして歩きました。
来月は仕事として寝屋川にお客様をお連れしたいと思います。
ありがとうございました 興味は尽きません 残念だったのは加茂神社(賀茂神社)のこと知りたかったので 機会あればぜひ又 厚かましいお願いですが 時おり前を通るのですが車なので まあ小さな町内の方が管理されているような(想像)祠ですが 太秦に有る賀茂神社ということで考察していただければと思いコメントさせていただきます
@雨野皆化主 様
コメントありがとうございます
秦氏と加茂(鴨)氏の関係も気になりますよね。
小さい神社ながらも私も気になります!
いや、実に懐かしいです。
私は、寝屋川市出身で、名付け親が神主でした。
打上神社は当時神主さんがおられず。私の名付け親が祭祀を行っていました。なのでよく打上神社にも石の宝殿にも小さい頃から行き石の宝殿の中まで入っていましたよ。
打上神社では雨乞いに使った大きな桶なども有り拝見した事も有ります。
親父の付き合いで郷土史家の方がおられ昭和41年発刊の寝屋川市市誌編纂に携わった方です。
その影響で高宮廃寺跡等も訪れた事があります。当時は高宮寺の焼け落ちた古い瓦等も発掘後なのでそのへんにあり普通に触っていたりしましたよ。
秦町に有る式内社細谷神社は当時の水田地帯に有り、条里制の跡が発見されています。
今回の主題の秦河勝は元は生駒山地の南端に勢力が有り北端の寝屋川市を経て平安京へと至ったのでは?なんて想像が膨らみますね。
後半に巡られた地域は紹介頂いた様に秦一族の縁の地名が多い地域です。
東寝屋川駅から東には東高野街道も有りまた違った歴史が有りますし、はちかつぎ姫のお話の寝屋の長者のお話も有ります。まあこちらは遺跡等は有りませんが。
久々に出身地の郷土史に触れました。
有り難う御座います。
身近なところに思いもよらない歴史が詰まっていて驚きました。
寝屋川の魅力をもっと多くの歴史ファンに知って欲しいですよね。
貴重なお話しありがとうございました!
京都市内だと松尾大社が秦氏の氏神として有名です。
ウズマサのウズは、移るのウツである、というのが私の解釈です。打つ、とか内とか表記される場合もある。高地性集落へ海辺から移ってきたことを意味する場合が多い。内彦避彦松屋種(日本書紀)など。異論で、すみません。
面白い解釈だと思います!
確かにウズという言葉は秘められた意味がありそうに感じます。
寝屋川の太秦寺の表札も「ウズラ」さんでしたし、、、
@@tabitore さま。
さようでしたか。それは興味深い。私のウツ=移る説は、打井川という村の地名の解釈から発生したものです。あまりに印象深い、特徴ある祭礼をもつ村だったものですから。年に一度、節分の日に行われる祭礼でした。「道」
「道」に関する祭礼でした。巡行を伴う祭礼でした。祇園祭の山鉾巡行みたいな。秦武文さんは太平記に出てくる南北朝時代のお人ですね。
太平記にも記されているんですね!
色々教えて頂きありがとうございます
@@tabitore さま
道がテーマなのです。出エジプト記みたいな、モーセに率いられて安住の地を求めて移って行ったドラマがあります。祇園祭も葵祭りも打井川村のドーフン祭りも、その有り様を儀礼化したものです。山鉾の「鉾」は「道」の枕詞です。ああ、日本語は、美しい。