ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
高校時代,音楽の先生から、ニ部合唱でアルトを教わり、ハモリにハマりました。近江さんとハモらしてもらい、感激でした🎹🙎🏻❣️
懐かしさで胸がいっぱいです。子供の頃ラジオから流れてきたこの歌を聴いた頃が懐かしい。青春真っ直中そんな感じでした。有難うございました。
時は昭和23年、日本全国の街という街は米軍の空襲により灰燼に帰して、人々は家族も、着るものも、食べるものも、住む家にさえ事欠いて、誰もが今日を生きるのに必死だったあの時代。東京音大ピアノ科を首席で卒業した作曲家の米山正夫も、食うや食わずの窮乏生活で、これを見兼ねた親友の近江敏郎が、楽譜をNHKに持ち込み、米山が作詞作曲した「山小屋の灯」が『NHKラジオ歌謡』で放送されると、全国に爽やかな希望が湧き起こり、大ヒットしました。歌ったのは他ならぬ近江俊郎でした。なお、太宰治が自殺したのはこの年でしたね。
歌いつづけ60年だんだん、澄みきった気持になります。
何故かこの曲はAMラジオから流れるものが最高です。知らずに涙が溢れてきます…
きれいなこえで、しぜんを、おもい浮かべる、うたですね、😊
50数年前、池袋に歌声喫茶で、 山小屋 と言う店が有りました、 専属のバンド、上北進とブルーマンドリ--ノ、ステ--ジリ--ダ、加藤さん、三島敏夫さんが マヒナスターズから独立してグループをつくりその中に、 指笛を吹く人がいて、懐かしく思い出しました。
久しぶりにこの歌を聴きました。白馬はハクバではなく、昔はシロウマと呼んでいた。代馬(山腹に馬の形が現れると苗代の時期?)が変化したものとある。この歌の二番に確かにシロウマと歌われている。今でも私はハクバでなく、シロウマです。現在の八方は細野部落、白馬駅は信濃四谷駅でした。ただただ、懐かしい。 あと、白馬と穂高が同時に見れないと、私も瞬間的に思いましたが、思い返すと白馬山荘の夕暮れに、遥か彼方に夕陽を浴びた槍ヶ岳を写した記憶があります。しかし、「富士の高嶺に雪は降りつつ」のように実際に見えるかどうかではなく、詩歌のなかでは、頭の中で情景を浮かべればよいのでは。高山へは難しくなったこの年になると、この歌は懐かしさとともに正に憧れとなっています。
ハートキー「白馬」 は、元々国土地理院によって「シロウマ」と定められている。キミの勝手な解釈を一人で〝ハクバ〟だ、やれ〝シロウマ〟だなんて自分のバカさ加減を披露しているようなもの。チョーはずかしいよ。ハハハハッ😅😅😅‼️それに文章が長過ぎる。段落をつけるなり、改行を上手に行うなど、もっと国語力アップに向けて勉強しなさい❗いまの文章力では、最後まで読む気がしないよ‼️
やっと見つけました‼️中学生の運動会のフォークダンスの行進曲が、この曲で、メロディーがきれいなので、古い曲ですが誰が歌ってるのか、わからなかったので、メロディー検索でやっと見つけました‼️近江俊郎さんが歌ってたんですね🎵
中学生の頃、給食が用意される間に講堂に集まって年配の男性音楽教師、と言うより先生!の指揮でこの歌を含めて色々な歌を歌いました。いい歌、いい先生、いい時代でした!アップありがとうございます。品のあるいい歌だと思います。
この唄でたくさんフオークダンス💃を踊りました❣️走馬燈の様に浮かんで思い出し‼️
(^^♪ずっとずっと昔に新宿の歌声喫茶で歌った思いが有ります、灯だっとおもうが、とにかく懐かしいし近江俊郎さんの声が最高です♬。
とても素敵な名曲ですね。
失恋の歌なのに、近江俊郎さんは割に軽やかな歌い方ですね。「ははは、昔の話ですよ」という心境なのかも。
それが良いのよ
ほんとに。身をよじって深刻そうに歌ったら、却ってぶち壊しかも。
千葉の歌声喫茶の定番、これを最初にみんなで歌うと一瞬で50年前の青春によみがえります、弁当持参でハイキング、高尾山、陣馬高原などよく行きました。
山小屋の窓から外を見ながらこの歌を口ずさんだこともあったな!
北アルプスの縦走合宿の楽しさと苦しさがいい思い出です!
青春時代を思い出します。わが青春の一ページです。
大正生まれの爺さんが先日亡くなりました。5年くらい前にこの歌聴かせたら喜んでくれました涙
近江先生、、、好きだったなあ(笑)晩年は心霊番組なんかに嬉しそうな顔して出ておられましたね。子供のような好奇心を持ったままでしたね。
いいですね ノイズがまた味ですね すばらしい歌を聴かせてもらえてしあわせです 有難う御座います
コロムビア得意の女声合唱が絶妙!、朝はどこから、丘は花ざかり、~花咲く乙女たち…
いい曲です。名作。
中学生の折、山小屋という喫茶店で、幾人の、友人と、楽しい食事を、思い出します!
懐かしい…と共に、思うのはこの時代は凄い時代だなとしみじみと想います。この歌が流行歌謡だとは信じられないほど豊かな精神性を感じさせられます。大きな嵐の後だったからなのでしょうか!?。新しい希望への息吹が滲み出ている歌ですね。また、近江さんの品のある歌声が素敵です。
この、歌を、宗田先生の、アコーディオンで、歌わせて、もらいます。懐かしい歌ですね。
いいね。この歌は
很美的日本老歌 !近江俊郎,很會唱 !
谢谢你喜欢日本老歌
亡き母は,湯の町エレジーが大好きでした。大正琴弾きながら歌っていましたが60才で他界しました。
先日🎵ハーモニカ🎵定期演奏会🎵山小屋の灯🎵を独奏しました。🎶本当に🎵良い曲🎶ですね。大好きです‼🎶😊
我第一次聽就愛上這首歌,女生和聲真優美,夏威夷吉它更是令人陶醉。近江俊郎先生的歌聲,溫文儒雅,不疾不徐。這是我最喜愛的歌。
谢谢你喜欢怀旧的日本歌曲
この曲を聞きながら山を想い(四季の移ろいを愛し)センチメンタルに浸ること、何と心地がいいことでしょうか。
当時は、ハワイアン風の歌がよく流行りました。
懐かしい! 豊臣秀世史
上高地からの天狗岳から奥穂岳の稜線や岳沢、涸沢からの北穂高岳の稜線もうまく合成されて楽しかったです最後の河童箸が寂しかったかなぁ
歌:近江俊郎作詞:米山正夫作曲:米山正夫黄昏の 灯は ほのかに点りて懐しき山小舎は 麓の小径よ想い出の窓に凭り 君を偲べば風は過ぎし日の 歌をば囁くよ昏れゆくは白馬か 穂高は茜よ樺の木のほの白き 影も薄れゆく寂しさに君呼べど 我が声空しく遥か谷間より 谺はかえり来る山小舎の 灯は 今宵も点りて独り聞くせせらぎも 静かに更けゆく憧れは若き日の 夢をのせて夕べ星のごと み空に群れとぶよ
5歳の頃。喜界島の小野津で歌っていた。
良い曲です。文化祭で合唱します。
戦後何年ごろだったのでしょうか❓登山、スキ一ブ一ムでしたねえ!!冬になると新宿駅に夜行で行く多くの山岳部の人たちや、山行きの人が沢山いましたねえ、、
ハーモニーがすてきですね (^^♪
Yamagoya no tomoshibi by OHMI Toshirō [ Mountain lighthouse lamp]
nextnameは、近江俊郎で通しています、場内放送があり、お客さんびっくり、、
ありがとごさいます。
この曲で思いだしたのは小学校の頃の運動会の行進曲で使ってた(^_^;)
YAMAGOYA NO TOMOSHIBI by OMITO SHIRO-san !!!!!
聽到好歌,除了讚美歌手,也要讚美作曲者的優秀創作 !
懐かしい局です
映画、今宵誓いぬ
今宵誓い抜いぬ
う〜〜〜〜ん いい唄
吹雪の夜のテントの中で、このバックコーラスのような声を聞いたことがあります。あれが雪女なのでしょうか?
永遠都覺得好聽的歌 。
Harrison Chang 純音樂版,音響很好喔th-cam.com/video/F_9MBFFDfWg/w-d-xo.html
大家都是他的知音人,我非常幸運的🍀🙏🙏 他最後一曲在1976年演唱會時,我也都哭起來! Thanks for sharing and uploading great video 💝🙏
Charlotte Tse 😄😄
今は白馬と言うのですか?山登りはしないけど自然はいいですね。
いい歌ですね❗️いつの歌ですか?
終戦直後だったと記憶してます。
そうだろう雪女だろう。ついでに雪男も居てデュエットすればテントの中も盛り上がったんじゃない。
喫茶店の、女将さんが、気さくな、おかぁさんだったよ。
😮
浜辺の歌
後立山連峰の北端の白馬岳からは、北アルプス南端の上高地の穂高岳は50㎞も離れており、同時に見ることは不可能(笑)。
香川京子
残雪の槍の頂上で、まさに暮れ行く白馬と、茜色に染まる穂高を同時に見ました。昭和57年の六月、上高地のウェストン祭の前日でした。
富士山頂から東へ120km前後有る千葉市の海岸から富士山はくっきりとよく見えますよ。毎年2回、10日間くらい「ダイヤモンド富士」観光があるくらい。たま~に三浦半島を越えた天城山が見えることもあります。標高2000m以上の山地の連なる上空視界は海面より非常に良くて、50km程度なら楽々見えるもの。白馬、穂高両峰が見える場所はたくさん在るでしょう。思い込みの誤りで、歌詞に無根の創作は感じられませんが。
か
z
高校時代,音楽の先生から、ニ部合唱でアルトを教わり、ハモリにハマりました。近江さんとハモらしてもらい、感激でした🎹🙎🏻❣️
懐かしさで胸がいっぱいです。子供の頃ラジオから流れてきたこの歌を聴いた頃が懐かしい。青春真っ直中そんな感じでした。有難うございました。
時は昭和23年、日本全国の街という街は米軍の空襲により灰燼に帰して、
人々は家族も、着るものも、食べるものも、住む家にさえ事欠いて、
誰もが今日を生きるのに必死だったあの時代。
東京音大ピアノ科を首席で卒業した作曲家の米山正夫も、食うや食わずの窮乏生活で、
これを見兼ねた親友の近江敏郎が、楽譜をNHKに持ち込み、
米山が作詞作曲した「山小屋の灯」が『NHKラジオ歌謡』で放送されると、
全国に爽やかな希望が湧き起こり、大ヒットしました。
歌ったのは他ならぬ近江俊郎でした。
なお、太宰治が自殺したのはこの年でしたね。
歌いつづけ60年だんだん、澄みきった気持になります。
何故かこの曲はAMラジオから流れるものが最高です。
知らずに涙が溢れてきます…
きれいなこえで、しぜんを、おもい浮かべる、うたですね、😊
50数年前、池袋に歌声喫茶で、 山小屋 と言う店が有りました、 専属のバンド、上北進とブルーマンドリ--ノ、ステ--ジリ--ダ、加藤さん、三島敏夫さんが マヒナスターズから独立してグループをつくりその中に、 指笛を吹く人がいて、懐かしく思い出しました。
久しぶりにこの歌を聴きました。白馬はハクバではなく、昔はシロウマと呼んでいた。代馬(山腹に馬の形が現れると苗代の時期?)が変化したものとある。この歌の二番に確かにシロウマと歌われている。今でも私はハクバでなく、シロウマです。現在の八方は細野部落、白馬駅は信濃四谷駅でした。ただただ、懐かしい。
あと、白馬と穂高が同時に見れないと、私も瞬間的に思いましたが、思い返すと白馬山荘の夕暮れに、遥か彼方に夕陽を浴びた槍ヶ岳を写した記憶があります。しかし、「富士の高嶺に雪は降りつつ」のように実際に見えるかどうかではなく、詩歌のなかでは、頭の中で情景を浮かべればよいのでは。高山へは難しくなったこの年になると、この歌は懐かしさとともに正に憧れとなっています。
ハートキー
「白馬」 は、元々国土地理院によって「シロウマ」と定められている。
キミの勝手な解釈を一人で〝ハクバ〟だ、やれ〝シロウマ〟だなんて自分のバカさ加減を披露しているようなもの。
チョーはずかしいよ。
ハハハハッ😅😅😅‼️
それに文章が長過ぎる。段落をつけるなり、改行を上手に行うなど、もっと国語力アップに向けて勉強しなさい❗
いまの文章力では、最後まで読む気がしないよ‼️
やっと見つけました‼️
中学生の運動会のフォークダンスの行進曲が、この曲で、メロディーがきれいなので、古い曲ですが誰が歌ってるのか、わからなかったので、メロディー検索でやっと見つけました‼️
近江俊郎さんが歌ってたんですね🎵
中学生の頃、給食が用意される間に講堂に集まって年配の男性音楽教師、と言うより先生!の指揮でこの歌を含めて色々な歌を歌いました。
いい歌、いい先生、いい時代でした!
アップありがとうございます。
品のあるいい歌だと思います。
この唄でたくさんフオークダンス💃を踊りました❣️走馬燈の様に浮かんで思い出し‼️
(^^♪ずっとずっと昔に新宿の歌声喫茶で歌った思いが有ります、灯だっとおもうが、とにかく懐かしいし近江俊郎さんの声が最高です♬。
とても素敵な名曲ですね。
失恋の歌なのに、近江俊郎さんは割に軽やかな歌い方ですね。
「ははは、昔の話ですよ」という心境なのかも。
それが良いのよ
ほんとに。
身をよじって深刻そうに歌ったら、却ってぶち壊しかも。
千葉の歌声喫茶の定番、これを最初にみんなで歌うと一瞬で50年前の青春によみがえります、弁当持参でハイキング、高尾山、陣馬高原などよく行きました。
山小屋の窓から外を見ながらこの歌を口ずさんだこともあったな!
北アルプスの縦走合宿の楽しさと苦しさがいい思い出です!
青春時代を思い出します。わが青春の一ページです。
大正生まれの爺さんが先日亡くなりました。5年くらい前にこの歌聴かせたら喜んでくれました涙
近江先生、、、好きだったなあ(笑)晩年は心霊番組なんかに嬉しそうな顔して出ておられましたね。子供のような好奇心を持ったままでしたね。
いいですね ノイズがまた味ですね すばらしい歌を聴かせてもらえてしあわせです 有難う御座います
コロムビア得意の女声合唱が絶妙!、朝はどこから、丘は花ざかり、~花咲く乙女たち…
いい曲です。名作。
中学生の折、山小屋という喫茶店で、幾人の、友人と、楽しい食事を、思い出します!
懐かしい…と共に、思うのはこの時代は凄い時代だなとしみじみと想います。この歌が流行歌謡だとは信じられないほど豊かな精神性を感じさせられます。大きな嵐の後だったからなのでしょうか!?。新しい希望への息吹が滲み出ている歌ですね。また、近江さんの品のある歌声が素敵です。
この、歌を、宗田先生の、アコーディオンで、歌わせて、もらいます。懐かしい歌ですね。
いいね。この歌は
很美的日本老歌 !
近江俊郎,很會唱 !
谢谢你喜欢日本老歌
亡き母は,湯の町エレジーが大好きでした。大正琴弾きながら歌っていましたが60才で他界しました。
先日🎵ハーモニカ🎵定期演奏会🎵山小屋の灯🎵を独奏しました。🎶本当に🎵良い曲🎶ですね。大好きです‼🎶😊
我第一次聽就愛上這首歌,女生和聲真優美,夏威夷吉它更是令人陶醉。
近江俊郎先生的歌聲,溫文儒雅,不疾不徐。這是我最喜愛的歌。
谢谢你喜欢怀旧的日本歌曲
この曲を聞きながら山を想い(四季の移ろいを愛し)センチメンタルに浸ること、何と心地がいいことでしょうか。
当時は、ハワイアン風の歌がよく流行りました。
懐かしい! 豊臣秀世史
上高地からの天狗岳から奥穂岳の稜線や岳沢、涸沢からの北穂高岳の稜線もうまく合成されて楽しかったです最後の河童箸が寂しかったかなぁ
歌:近江俊郎
作詞:米山正夫
作曲:米山正夫
黄昏の 灯は ほのかに点りて
懐しき山小舎は 麓の小径よ
想い出の窓に凭り 君を偲べば
風は過ぎし日の 歌をば囁くよ
昏れゆくは白馬か 穂高は茜よ
樺の木のほの白き 影も薄れゆく
寂しさに君呼べど 我が声空しく
遥か谷間より 谺はかえり来る
山小舎の 灯は 今宵も点りて
独り聞くせせらぎも 静かに更けゆく
憧れは若き日の 夢をのせて
夕べ星のごと み空に群れとぶよ
5歳の頃。喜界島の小野津で歌っていた。
良い曲です。文化祭で合唱します。
戦後何年ごろだったのでしょうか❓登山、スキ一ブ一ムでしたねえ!!冬になると新宿駅に夜行で行く多くの山岳部の人たちや、山行きの人が沢山いましたねえ、、
ハーモニーがすてきですね (^^♪
Yamagoya no tomoshibi by OHMI Toshirō [ Mountain lighthouse lamp]
nextnameは、近江俊郎で通しています、場内放送があり、お客さんびっくり、、
ありがとごさいます。
この曲で思いだしたのは
小学校の頃の運動会の行進曲で
使ってた(^_^;)
YAMAGOYA NO TOMOSHIBI by OMITO SHIRO-san !!!!!
聽到好歌,除了讚美歌手,也要讚美作曲者的優秀創作 !
谢谢你喜欢怀旧的日本歌曲
懐かしい局です
映画、今宵誓いぬ
今宵誓い抜いぬ
う〜〜〜〜ん いい唄
吹雪の夜のテントの中で、このバックコーラス
のような声を聞いたことがあります。
あれが雪女なのでしょうか?
永遠都覺得好聽的歌 。
Harrison Chang
純音樂版,音響很好喔th-cam.com/video/F_9MBFFDfWg/w-d-xo.html
大家都是他的知音人,我非常幸運的🍀🙏🙏 他最後一曲在1976年演唱會時,我也都哭起來! Thanks for sharing and uploading great video 💝🙏
Charlotte Tse
😄😄
今は白馬と言うのですか?山登りはしないけど自然はいいですね。
いい歌ですね❗️いつの歌ですか?
終戦直後だったと記憶してます。
そうだろう雪女だろう。
ついでに雪男も居てデュエットすればテントの中も盛り上がったんじゃない。
喫茶店の、女将さんが、気さくな、おかぁさんだったよ。
😮
浜辺の歌
後立山連峰の北端の白馬岳からは、北アルプス南端の上高地の穂高岳は50㎞も離れており、同時に見ることは不可能(笑)。
香川京子
残雪の槍の頂上で、まさに暮れ行く白馬と、茜色に染まる穂高を同時に見ました。昭和57年の六月、上高地のウェストン祭の前日でした。
富士山頂から東へ120km前後有る千葉市の海岸から富士山はくっきりとよく見えますよ。毎年2回、10日間くらい「ダイヤモンド富士」観光があるくらい。たま~に三浦半島を越えた天城山が見えることもあります。標高2000m以上の山地の連なる上空視界は海面より非常に良くて、50km程度なら楽々見えるもの。白馬、穂高両峰が見える場所はたくさん在るでしょう。思い込みの誤りで、歌詞に無根の創作は感じられませんが。
か
z