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本当、私にとっては永遠のヒーローになりました。交通事故での訃報を聞いた時は暫く立ち直れなかった。
還暦過ぎましたが、小学校の時、足立区の本木に住んでいました。親父は中小企業の職工でした。六畳一間のアパートで母と三人で暮らしていました。父は大場の試合になると酒を飲みながら一生懸命応援してたなぁ。その父の亡くなった年齢を越えて今自分が生きている。貧しかったけどなつかしい😂昭和の時代を想いだしながら、ちょっとうるうる(T^T)しながら見させて頂きました。貴重な映像をありがとう(*^-^*)。大場は地元のヒーローだった!
私は母親を事故で亡くしており、いつも一緒にテレビを見ていたのでいきなり居なくなってしまい心にぽっかりと穴が開いた気持ちが長く続きました。大場選手を応援するお父様のご様子、その頃の情景がコメントを読みながら浮かんできて、私も思わずうるっとしました。ほのぼのと然り気無く、そして素敵な思い出をありがとうございます。
15Rって、今思うと本当に死闘ですよね。当時は本当に私のヒーローでした。
大場選手が前座の頃、上野ア メ横の二木の菓子で働いてました。今でも名誉社員と成ってますねっ。私は当時12歳で、花形戦を初め、一連の戦いを観て大ファンになり夢中にさせられました。中学に入ると友人から自伝本を借り、心底から感動感銘を受けたものです。家庭は大変貧しく、1つの生卵を兄弟で分け合い、入浴は側に流れる荒川を利用していたとの事。そんな不遇な環境下の中で、必死に我が身を鍛え上げ、見事に世界王者に就きました。そして、家族の為に家を建てたり、大変な家族思いの中、順風満帆な船出も好事魔多しで、自ら運転する愛車で、運命に導かれる様に帰らぬ旅路へ向いました。お互い健闘し認め合ったチャチャイ選手は、突然の訃報にその場で泣き崩れたそうです。そして、晩年の氏へのインタビューでは「彼は、私の身代りに成ってくれたんです。もし、あの試合で私が勝っていたなら、彼と同じ事をしていたと思います。彼は私の身代わりだったんですよっ」人間愛が溢れる言葉ですねっ。私はこの試合をTV観戦する中で、精根尽き果てる激闘も然ることながら、試合を終えれば王者を笑顔で称え、そして、リング中央へ引き寄せては抱き上げ、勝者を祝福する姿勢に、子供心に深く感動したものでした。然し、その1月足らずで悲劇が訪れる等とは・・・。私は下校時に担任に呼び止められ、突然の死亡の知らせに言葉が出ず、その場から身動きが取れな程でした。もっと長く時間を共有し、沢山の勇気を貰いたかった。今でも残念で悔やまれます。でも私の心には、永遠のチャンプの勇姿が輝きを放ってます。私は、貴方のファンで最高に幸せでした。有難うっ❗
大場は孤独との闘いだったそうです・・・ハングリー精神を貫いた偉大なるボクサーだと思います。
@@五十嵐功一様。返信有難うございます。確かに、大場選手が手作りしたアルバムの表紙に《孤独の青春》と自筆で記されてますね。事故の当日は、新たに買い替えた、シボレーコルベットスティングレイが13日に納車されるも、足首の捻挫が想像以上に酷く、気丈な彼が、顔を歪め引き摺りながら歩行してたそうです。何故、関係者は止めなかったのか、私は少なからず事故に影響を与えたと思います。そして、帝拳ジムでの葬儀に、母親思いの息子の死に、母親の胸中は到底受け止める事など出来ない事だったでしょう。貧しい長屋住まいで、父親の松太郎は腕利きの鉄工職人ながら博打好きで、徹夜での花札で一夜で給料を溶かす入れ込み様。当然に生活は困窮を極め、1つのコロッケを二人の弟と妹とで分け合うも「俺、食べないから母ちゃん食べなよっ」食べ盛りながら痩せ我慢する程、母の苦労する姿を間近で見てた、彼の素直な言葉だったのでしょう。そして、矢尾板選手の世界戦に触発され、自己流で鍛え上げ「母ちゃんに大きな家を建ててやるっ」揺るぎない目標を定め、15歳で帝拳ジムへ入門するや、その素質と闘争心が見込まれ、合宿所へ入るよう命じられた。そして、17歳でのデビュー戦は衝撃の48秒KO勝利に、更に努力を積み重ねる中、ハードな練習故に次々と逃げ出し、残った者は、愚痴1つ零さず黙々打ち込む大場選手だけだった。そして、大阪万博が終えた10月に見事世界奪還。控え室へ戻れば人目を憚らず号泣したそうです。そして、埼玉県北葛飾郡に土地を購入し、次戦で辛勝したファイトマネーで夢のマイホームが完成。母との交わした約束も、限られた運命を背負い、彼也に完全燃焼したのだと私は思いたいです。 長々と拙い漫筆で済みませんでした。
@@五十嵐功一様。返信有難うございます。没後51年が経ち、今も尚語り継がれる逆転の貴公子❗大場政夫選手。事故当日の資料に目を通すと、新たに買い替えたコルベットスティングレイが12日に納車されるも、足首の捻挫が想像以上に酷く、気丈な彼が顔を歪め、引き摺り歩行する姿が目撃されていたとの事です。何故、関係者は運転を止めなかったのかっ。少なからず事故に影響を与えたと私は思います。葬儀は帝拳ジムで行われ、物言わぬ棺に収まる最愛の息子の突然の死。母親は到底受け止める事は出来なかったと思います。二人の弟と妹とで分け合った一欠片のコロッケ「俺、食べないから母ちゃん食べなよっ」苦労する母親の姿を間近で見てた、痩せ我慢する彼の素直な気持ちだったのでしょう。彼は、母親と交わした約束を果たすも、親より先に逝ってしまった《逆転の貴公子》《最後のハングリーボクサー》5度目防衛後に彼は「最後は我慢比べ。自分で諦めてしまったら其処で負けです。KOチャンスはラストラウンドの残り10秒迄あるんですから」そしてチャチャイ選手は「大場は立派だった」と静かに語った。
@@五十嵐功一様。返信有難うございます。当時の資料に寄りますと、事故当日は、新たに買い替えたコルベットスティングレイが12日に納車されるも、足首の捻挫の状態が想像以上に酷く、気丈な彼が、顔を苦悶に歪め引き摺り歩行する姿が目撃されていたとの事です。何故、関係者は運転を止めなかったのでしょうかっ。少なからず事故に影響を与えたと私は思います。そして、葬儀は帝拳ジムで行われ、物言わぬ最愛の息子の突然の死。家族は到底受け止める事など出来なかったと思います。最後のハングリーボクサー❗そして、逆転の貴公子❕5度目の最後の試合後に彼は「最後は我慢比べ。自分から諦めたら其処で負けです。KOチャンスはラストラウンドの残り10秒まであるんですから」そして、チャチャイ選手は「大場は立派だった」と静かに語った。
@@五十嵐功一様。返信有難うございます。当時の資料に寄ると、事故の当日は、新たに買い替えたコルベットスティングレイが12日に納車されるも、足首の捻挫が想像以上に酷く、顔を苦悶に歪め引き摺り歩行する姿が目撃されていたとの事です。何故、関係者は止めなかったのかっ、少なからず事故に影響を与えたと私は思います。
皆さん大場政夫のファンなんですね。しかも実際に会ったことがあったとか、家庭の事情を良くご存知で感心しました。私も皆さんに負けない位一つ違いの大場の大ファンでした。その頃人生のどん底時代で就職浪人3年目で、勉強勉強で本当に苦しい時期でした。起きてる時間のほとんどが勉強で、唯一大場政夫の試合をテレビ観戦することだけが唯一の楽しみであり生き甲斐でした。大場を見ていると自分も苦しいけど大場はもっと苦しい思いをしてるんだから頑張らなければと自分を鼓舞してました。貧しくて中学を出てすぐアメ横で働き、1人で家族6人を養っていたなんて本当に信じられない。最後お母さんに家をプレゼントして最高の親孝行をしたけど、それよりも親より先に逝ってしまった事が最大の親不孝です。お母さんの哀しみを思うと胸が張り裂けそうです。もっと自分を大事にして欲しかった。彼には後10年頑張って我々ファンをハラハラドキドキさせて欲しかった。彼のボクシングは魂の叫びを感じさせ、見る人を熱狂させました。彼のボクシングを見たら他の選手の試合は見れません。それ位ボクシングの楽しさ、怖さを感じさせる最高のボクサーでした。23歳で散るにはあまりにも惜しい命だった。大場政夫、大好きでした。彼のお陰で何とか希望する職に就けました。ありがとうございました。
とても懐かしいです。大場さんのトレーニング中に偶然に会い会話を交わした後の試合で見事にチャンピオンに成り、嬉しかった事 その後のニュースで首都高の大曲で事故で亡くなった事 今でも覚えています。
今みても胸が熱くなります‼️🙇大場ありがとう🙇⤵️
大場選手、最高!私のヒーローを見せていただいてありがとうございます。
当時はWBA.WBCの2団体しかなく、階級も今のように細分化されてなく、したがってチャンピオンの数も少なく今とは価値がちがいわかりやすい時代でした。当時としては斬新なガウンを身に付けリングに上がる姿は今でも忘れません。
そして6オンス、15round、当日計量?
永遠のヒ―ロ―です。とにかく大場の試合は熱かった。相手が怯んだ時の大場の怒涛の攻めは本当にスカッとした。
強烈な印象を残した試合だった。伝説になった夜のチャチャイ戦。
大場は強かった!恰好良かった!しかし事故死の知らせをを聴いたとき、悲しかった!!今改めて映像を観ると、大場の必死さ、貧しさから抜け出る戦いを負けられないとずっとしている必死さ、死に急いでいるような、抜けるような透明感と悲哀感を感じます。恰好良い甘いマスクとは裏腹にKOで倒すという獣のような鋭いパンチだったと記憶しています。大場は永遠だ‼❗
高校生の自分には、あこがれの兄貴でしたね。交通事故が無ければと今でも残念でなりません。
50年も前のボクシング。いいボクシングだなぁ。
東京に来てカレーライスを初めて食べた時に「こんなうまいものがあるのか」って言った彼の言葉が当時の日本でした。裕福とはいえなかったと言ってた辰吉さんでも「自分はそこまでじゃなかった」って言ってたくらいですから。今でも記憶に残る永遠のHEROです。放送では足にきてます、とか言ってましたけどダウンの際に彼は足首を捻挫してたんです。
永遠のチャンピオンです!勇気を頂きありがとうございました!
やっぱチャチャイ戦は、井上尚弥がいる今でも日本ボクシング史上最高試合と思うんだよね。そしてこの試合の23日後に、この世からいなくなってしまった。
ちょうどあしたのジョーのアニメ放送が始まった頃です。大場選手の試合はテレビの前でパンチを振りながら応援してました。懐かしいです。
ワンツーの切れ味と破壊力…凄まじい
アモレス戦、TV観戦でしたが驚きました。後に初回のダウンで足首捻挫って知って更に驚愕。彼の死後数年を経て、特集記事を読み懐かしさと言い表す事ができない感情が湧いて来ました。また新たなエピソードを知りました。正に伝説のボクサー。
何の機会だったか全く覚えていないんだけど、小学校の2年か3年のときに会ったことがある。ニコニコ笑いながら俺の頭をなでてくれて、「優しそうなお兄さんだな」と思ったのが印象に残っている。
私のヒーローは大場政夫とアレクシス・アルゲリョでした。大場選手に憧れてプロボクサーになりました。人生の師匠です!
大阪で雄姿拝見させていただきましたよ。スピードがありセンス抜群のサウスポーの印象でした。上からすみませんw
ウチの親父が大場政夫大好きだったな
貴重な動画投稿、ありがとうございます父が言った「大場が自動車事故で亡くなった」と母が言った「たくさん打つ人だね」と私が人生で両親から聞いたボクシングの話は、これが全てでした
すごい試合の数々です🔔☺🍀
時代が違うとはいえ、23歳で38戦もしてるのは凄いなぁ
みなさん、大場政夫には思い入れがあるんですね。私もです。ボクシングが大好きだった中学・高校生の頃、昭和の時代です。砂を入れたサンドバックを叩いたり、物干しの支柱でリングを作りました。友達を呼び、おもちゃのグローブで草拳闘をやりました。彼は、矢吹丈のように真っ白になり、私の前から消えてしまいました。憧れの人でした。不便な時代だったけど、なんか今思うと眩しい時代だった気がします。
当時、俺は小学生。チヤチャイチオノイとの試合も正座して観戦してた。あまりにも劇的な反攻での幕切れは脳裏に焼き付いてる。その後の、大曲での事故に呆然とした。
12.3才位の頃だったと想う、輪島功一のタイトルマッチを観に行った時に、ふと後を見たらあのカッコイイ憧れの大場政夫が座って居たんだ!色白でボクサーとも思えない綺麗な拳をしていた。夢の様な想いで、その数ヶ月後の悲劇😞
大場の勝負根性は凄い。
ボクシングに全てを打ち込み、その甲斐あって頂点に君臨するも自動車事故で世を去った悲劇の世界王者。享年23歳と歴代チャンピオンの中でもブッチギリに短い生涯。
アップありがとうございます。未だに事故死が悔しく残念でならない。伝説のチャンプ!大場政夫
下町から出た庶民のヒーロー私と同じ年、亡くなった時はショックだった。
私が人生で初めて観たボクシングの試合が大場政夫さんの試合だったと思います。この頃は15R制で3ノックダウンもないし、よほどでない限りレフェリーストップもなかったですね。軽量級だからか1発で倒すのではなく、連打連打で決着してました。亡くなられたと聞いた時はとってもショックでした
信じてくれてる人がたくさんいるから諦めない強気なとこがいい。パキャオじゃないけど背負ってる物が大きくてフライ級の身体でも劇画みたいに何倍も大きい人だと感じます。
大場選手が亡くなって数日後、録画を収録していたテレビのバラエティに出演!していました。もちろんテレビ画面には生前に収録しました、というテロップが出ていました。そして司会者に今後を聞かれ、「チャンピオンとして一層頑張っていきます」とか言ってた。何とも言えない悲しさとむなしさを感じましたね、大場選手は端正なマスクの持ち主でもあり、もっともっと人気も大きくなっていただろうに残念です。
確かスポーツカーで事故死でしたね!偲んで会場には点カウント鳴らした思いでがよく憶えています!
叔母がカメラマンをしていて大場選手の写真がウチに沢山かざってあったのを覚えています
大場はリアルあしたのジョー。昭和の貧困時代を過ごし私のヒーローでした。 今でも私の中では世界一のボクサーです。
明日のジョーは大場Championがいたから、出来た作品だと思っている。死んだ親父も大場って永遠のChampionがいるんだよって言ってたな。
孤独の青春。
強さの根底には貧しさと屈辱感がある。
もう亡くなって50年か、中学生にはる直前の出来事でショックでした
シナリオとかあっても無視するであろう闘志と熱 野生動物みたいな美しさですね
大場はダウンした時の右足の捻挫のことをセコンドに言わなかったらしい。多分アドレナリンが痛みを忘れさせ、最後まで戦い切れたんだと思う。
セコンドに言ってますね。2ラウンド目のインターバルから、場内にある蕎麦屋から蕎麦湯を貰い右足首をあっためていると解説で言っています。
若き日の菅原文太さんに似てますね、大場選手。カッコいい。
今は亡き横山のヤッサンが、映画「唐獅子株式会社」の主演を務める際、役柄に合わせスポーツ刈りにした時のインタビューで「どうですか!此のヘアースタイルの感想は?」と、女性芸能記者に聞かれて・・・「そうやな、思てた通りやッ!あの大場政夫に似るおもたけど、俺のイメージとピッタリやったわ!」と ヤッサン御満悦でしたね・・・多分、此処にコメ入れてる方々、20年後には大場さん&ヤッサンの処へ・・・
今の時代にはいないボクサーですね!ハングリー精神が凄い!事故死したのは残念です。
確かに今の世界チャンピオンは、誰が世界チャンピオンなんだ?と混乱してしまうほどの乱立ぶりまた階級も細分化されすぎていて、好きにやってくれ、と言いたくなってしまう価値を下げてでも、興行としては成り立つのでしょうね
ボクシンより拳闘つて言葉が似合う。
お疲れ様でした 安らかにおやすみください
生き様がカッコ良すぎる。まるであしたのジョーみたいだ。ドラマチックな逆転KO勝ちが印象的なボクサー。当時はテレビで誰しもが熱狂したはずだ。
逆転の大場政夫
時代が違うとはいえ、ディフェンスの意識がほとんど感じられない…
あしたのジョーと大場政夫重なるし、ホント下町のヒーローだったよ。これぞ根性!あの時代、善と悪と混在した世の中、今考えるとほんの少し江戸日本がまだあったような気がする。義理と人情。戦後78年、江戸っ子なんぞ消え失せた。アメリカ(リベラル)を無批判に受け入れた結果、今だけ金だけ自分だけの時代になってしまった。日本の歴史の中で物事を考えていきたいね。
イケメンですわ
素晴らしい(^^)
若くして亡くなられたのが惜しいです。
井上尚弥に匹敵するgreat Champion
ゴンザレス、チャチャイと言ったところはその頃の日本ボクシング界でもなじみ深いですね。小熊正二はゴンザレスと花形進はチャチャイと戦っていますね。それぞれ二度戦っています。
私の永遠のヒーロー大場選手。今見返すとこんなにも打てるボクサーはいないと改めて思います。大場選手の凄さはすべてのパンチを打ち抜いているところです。テクニックでは今のボクサーの方が圧倒的に上だと思いますが、大場選手の倒そうという圧力に怯えるのではないでしょうか。
大場選手は首都高で白のコルベットスティングレーでカーブを曲がり切れず逝ってしまわれた、、でしたかねぇ。どうしても、ジェームス・ディーンのポルシェ356で壁に激突とダブってしまうんです。お二人とも、若くしてその頂点で逝ってしまわれたという事で、何かしら共通した感じがします。
大場は素晴らしいけど、井上尚弥がとてつもないモンスターだと言うことが改めて実感できた。
苦悩はわかるよ。納得いったんだな。
大場さんの愛車はCORVETTEだった
大場と言えば、チャチャイ、チオノイ😮。壮絶な試合。足首をくじき、もうダメかも😢。チオノイは、伏し目のタカ😮。大場の最大の敵。悔やまれるのは、交通事故😢。花火のような、人生でした😢
やっぱり15Rの時のボクシングは面白い
現代の武居チャンピオンに似てますね🔶🏆😎🏆🔶
赤木圭一郎が乗ったゴーカートも大場選手が購入した外車も運転が難しい首都高池袋線上りで護国寺に近い緩やかなカーブですが、スピード出し過ぎ制御出来ずにガードレールから飛び出ました。残念だったです。赤木さんのゴーカートも慣れてないと危険な車だったです。
一つの生卵を兄弟何人もで分け合って食べたくらい貧しかった環境で育ったようなハングリーな人は違う
レネ・アルレドンドと浜田剛史のJr.ウェルター級タイトルマッチが1RKOで終わったあの試合で初めて存在をしりました中継が早々終わったため繋ぎの番組で大場政夫物語的な番組が放送されたわけですが浜田さんの1RKO勝ちに劣らぬ衝撃を受けました
私はウィルフレッド・ゴメスvsロイヤル小林戦が3Rで試合終わり日テレが放映した過去の世界戦を紹介した時に大場政夫選手の存在を知りました。最後の2試合は初回にダウン奪われての逆転KO勝ち。カッコいいなと思うと同時にもっと生きて活躍して欲しかったです。
@@矢吹一夫 昔のボクシング中継は早く終われば終わるで時間稼ぎの繋ぎの番組が素晴らしくよかったですよねこれがあったからリアルタイムで観てなくとも輪島さんの偉大さとか知ることができました
凶気の右ストレート!
チャチャイ・チオノイの右フックを大場は見えてないな。ワンツーが活きるアングルでいくのはいいのだが、右ガードの低さが怖い。それにもっとボディーを打てたら、ダメージも少なかったと思うので残念です。
具志堅用高さん浜田剛さんも大場政夫さんがアイドルだったと言ってました。
ワンツー主体の基本に忠実なボクシング 構えたときのスタンス 薬師寺に似てる
若くして大場政夫さんが車の運転で事故死の速報が入って来た時衝撃的でしたね。ジェームス・ディーンも自動車事故で他界してますし大場政夫さんは、ボクシング界のジェームス・ディーンと言われてましたね。
タイトルとった試合、スリーノックダウン制だとこうなっちゃう。二回目でストップだよね。一回目でも止めるフリーノックダウン制の意味が分かる。フリーノックダウンは倒し放題じゃないから。
グローブ小さいなー 本人もまさかTH-camで
リアルタイムで見ていた67歳男です。長生きして入れた、もっともっと後輩、ボクシング界に影響を与えていたんだろうなと思うと残念でしかたが無いと今でも思います。
大場さんのリングガウン めちゃカッコイイな
アモレスにダウンくらった時、吉田レフェリーはカウント6で試合再開なんだね。。少なくとも8までの規則じゃなかったのか。8まで数えて少しでも回復させればいいのにね。
この時代はWBAと表記はいらないね。世界はそれしかなかったから。
強いな?
吉田はチャチャイを殺す気か?
本当、私にとっては永遠のヒーローになりました。交通事故での訃報を聞いた時は暫く立ち直れなかった。
還暦過ぎましたが、小学校の時、足立区の本木に住んでいました。親父は中小企業の職工でした。六畳一間のアパートで母と三人で暮らしていました。父は大場の試合になると酒を飲みながら一生懸命応援してたなぁ。その父の亡くなった年齢を越えて今自分が生きている。貧しかったけどなつかしい😂昭和の時代を想いだしながら、ちょっとうるうる(T^T)しながら見させて頂きました。貴重な映像をありがとう(*^-^*)。大場は地元のヒーローだった!
私は母親を事故で亡くしており、いつも一緒にテレビを見ていたのでいきなり居なくなってしまい心にぽっかりと穴が開いた気持ちが長く続きました。
大場選手を応援するお父様のご様子、その頃の情景がコメントを読みながら浮かんできて、私も思わずうるっとしました。ほのぼのと然り気無く、そして素敵な思い出をありがとうございます。
15Rって、今思うと本当に死闘ですよね。
当時は本当に私のヒーローでした。
大場選手が前座の頃、上野ア メ横の二木の菓子で働いてました。今でも名誉社員と成ってますねっ。私は当時12歳で、花形戦を初め、一連の戦いを観て大ファンになり夢中にさせられました。中学に入ると友人から自伝本を借り、心底から感動感銘を受けたものです。家庭は大変貧しく、1つの生卵を兄弟で分け合い、入浴は側に流れる荒川を利用していたとの事。そんな不遇な環境下の中で、必死に我が身を鍛え上げ、見事に世界王者に就きました。そして、家族の為に家を建てたり、大変な家族思いの中、順風満帆な船出も好事魔多しで、自ら運転する愛車で、運命に導かれる様に帰らぬ旅路へ向いました。お互い健闘し認め合ったチャチャイ選手は、突然の訃報にその場で泣き崩れたそうです。そして、晩年の氏へのインタビューでは「彼は、私の身代りに成ってくれたんです。もし、あの試合で私が勝っていたなら、彼と同じ事をしていたと思います。彼は私の身代わりだったんですよっ」人間愛が溢れる言葉ですねっ。私はこの試合をTV観戦する中で、精根尽き果てる激闘も然ることながら、試合を終えれば王者を笑顔で称え、そして、リング中央へ引き寄せては抱き上げ、勝者を祝福する姿勢に、子供心に深く感動したものでした。然し、その1月足らずで悲劇が訪れる等とは・・・。私は下校時に担任に呼び止められ、突然の死亡の知らせに言葉が出ず、その場から身動きが取れな程でした。もっと長く時間を共有し、沢山の勇気を貰いたかった。今でも残念で悔やまれます。でも私の心には、永遠のチャンプの勇姿が輝きを放ってます。私は、貴方のファンで最高に幸せでした。有難うっ❗
大場は孤独との闘いだったそうです・・・ハングリー精神を貫いた偉大なるボクサーだと思います。
@@五十嵐功一様。返信有難うございます。確かに、大場選手が手作りしたアルバムの表紙に《孤独の青春》と自筆で記されてますね。事故の当日は、新たに買い替えた、シボレーコルベットスティングレイが13日に納車されるも、足首の捻挫が想像以上に酷く、気丈な彼が、顔を歪め引き摺りながら歩行してたそうです。何故、関係者は止めなかったのか、私は少なからず事故に影響を与えたと思います。そして、帝拳ジムでの葬儀に、母親思いの息子の死に、母親の胸中は到底受け止める事など出来ない事だったでしょう。貧しい長屋住まいで、父親の松太郎は腕利きの鉄工職人ながら博打好きで、徹夜での花札で一夜で給料を溶かす入れ込み様。当然に生活は困窮を極め、1つのコロッケを二人の弟と妹とで分け合うも「俺、食べないから母ちゃん食べなよっ」食べ盛りながら痩せ我慢する程、母の苦労する姿を間近で見てた、彼の素直な言葉だったのでしょう。そして、矢尾板選手の世界戦に触発され、自己流で鍛え上げ「母ちゃんに大きな家を建ててやるっ」揺るぎない目標を定め、15歳で帝拳ジムへ入門するや、その素質と闘争心が見込まれ、合宿所へ入るよう命じられた。そして、17歳でのデビュー戦は衝撃の48秒KO勝利に、更に努力を積み重ねる中、ハードな練習故に次々と逃げ出し、残った者は、愚痴1つ零さず黙々打ち込む大場選手だけだった。そして、大阪万博が終えた10月に見事世界奪還。控え室へ戻れば人目を憚らず号泣したそうです。そして、埼玉県北葛飾郡に土地を購入し、次戦で辛勝したファイトマネーで夢のマイホームが完成。母との交わした約束も、限られた運命を背負い、彼也に完全燃焼したのだと私は思いたいです。 長々と拙い漫筆で済みませんでした。
@@五十嵐功一様。返信有難うございます。没後51年が経ち、今も尚語り継がれる逆転の貴公子❗大場政夫選手。事故当日の資料に目を通すと、新たに買い替えたコルベットスティングレイが12日に納車されるも、足首の捻挫が想像以上に酷く、気丈な彼が顔を歪め、引き摺り歩行する姿が目撃されていたとの事です。何故、関係者は運転を止めなかったのかっ。少なからず事故に影響を与えたと私は思います。葬儀は帝拳ジムで行われ、物言わぬ棺に収まる最愛の息子の突然の死。母親は到底受け止める事は出来なかったと思います。二人の弟と妹とで分け合った一欠片のコロッケ「俺、食べないから母ちゃん食べなよっ」苦労する母親の姿を間近で見てた、痩せ我慢する彼の素直な気持ちだったのでしょう。彼は、母親と交わした約束を果たすも、親より先に逝ってしまった《逆転の貴公子》《最後のハングリーボクサー》5度目防衛後に彼は「最後は我慢比べ。自分で諦めてしまったら其処で負けです。KOチャンスはラストラウンドの残り10秒迄あるんですから」そしてチャチャイ選手は「大場は立派だった」と静かに語った。
@@五十嵐功一様。返信有難うございます。当時の資料に寄りますと、事故当日は、新たに買い替えたコルベットスティングレイが12日に納車されるも、足首の捻挫の状態が想像以上に酷く、気丈な彼が、顔を苦悶に歪め引き摺り歩行する姿が目撃されていたとの事です。何故、関係者は運転を止めなかったのでしょうかっ。少なからず事故に影響を与えたと私は思います。そして、葬儀は帝拳ジムで行われ、物言わぬ最愛の息子の突然の死。家族は到底受け止める事など出来なかったと思います。最後のハングリーボクサー❗そして、逆転の貴公子❕5度目の最後の試合後に彼は「最後は我慢比べ。自分から諦めたら其処で負けです。KOチャンスはラストラウンドの残り10秒まであるんですから」そして、チャチャイ選手は「大場は立派だった」と静かに語った。
@@五十嵐功一様。返信有難うございます。当時の資料に寄ると、事故の当日は、新たに買い替えたコルベットスティングレイが12日に納車されるも、足首の捻挫が想像以上に酷く、顔を苦悶に歪め引き摺り歩行する姿が目撃されていたとの事です。何故、関係者は止めなかったのかっ、少なからず事故に影響を与えたと私は思います。
皆さん大場政夫のファンなんですね。しかも実際に会ったことがあったとか、家庭の事情を良くご存知で感心しました。私も皆さんに負けない位一つ違いの大場の大ファンでした。その頃人生のどん底時代で就職浪人3年目で、勉強勉強で本当に苦しい時期でした。起きてる時間のほとんどが勉強で、唯一大場政夫の試合をテレビ観戦することだけが唯一の楽しみであり生き甲斐でした。大場を見ていると自分も苦しいけど大場はもっと苦しい思いをしてるんだから頑張らなければと自分を鼓舞してました。貧しくて中学を出てすぐアメ横で働き、1人で家族6人を養っていたなんて本当に信じられない。最後お母さんに家をプレゼントして最高の親孝行をしたけど、それよりも親より先に逝ってしまった事が最大の親不孝です。お母さんの哀しみを思うと胸が張り裂けそうです。もっと自分を大事にして欲しかった。彼には後10年頑張って我々ファンをハラハラドキドキさせて欲しかった。彼のボクシングは魂の叫びを感じさせ、見る人を熱狂させました。彼のボクシングを見たら他の選手の試合は見れません。それ位ボクシングの楽しさ、怖さを感じさせる最高のボクサーでした。23歳で散るにはあまりにも惜しい命だった。大場政夫、大好きでした。彼のお陰で何とか希望する職に就けました。ありがとうございました。
とても懐かしいです。大場さんのトレーニング中に偶然に会い会話を交わした後の試合で見事にチャンピオンに成り、嬉しかった事 その後のニュースで首都高の大曲で事故で亡くなった事 今でも覚えています。
今みても胸が熱くなります‼️🙇大場ありがとう🙇⤵️
大場選手、最高!私のヒーローを見せていただいてありがとうございます。
当時はWBA.WBCの2団体しかなく、階級も今のように細分化されてなく、したがってチャンピオンの数も少なく今とは価値がちがいわかりやすい時代でした。当時としては斬新なガウンを身に付けリングに上がる姿は今でも忘れません。
そして6オンス、15round、当日計量?
永遠のヒ―ロ―です。
とにかく大場の試合は熱かった。相手が怯んだ時の大場の怒涛の攻めは本当にスカッとした。
強烈な印象を残した試合だった。伝説になった夜のチャチャイ戦。
大場は強かった!恰好良かった!しかし事故死の知らせをを聴いたとき、悲しかった!!
今改めて映像を観ると、大場の必死さ、貧しさから抜け出る戦いを負けられないとずっとしている必死さ、死に急いでいるような、抜けるような透明感と悲哀感を感じます。恰好良い甘いマスクとは裏腹にKOで倒すという獣のような鋭いパンチだったと記憶しています。大場は永遠だ‼❗
高校生の自分には、あこがれの兄貴でしたね。
交通事故が無ければと今でも残念でなりません。
50年も前のボクシング。いいボクシングだなぁ。
東京に来てカレーライスを初めて食べた時に
「こんなうまいものがあるのか」って言った彼の言葉が当時の日本でした。
裕福とはいえなかったと言ってた辰吉さんでも「自分はそこまでじゃなかった」
って言ってたくらいですから。今でも記憶に残る永遠のHEROです。
放送では足にきてます、とか言ってましたけどダウンの際に彼は足首を
捻挫してたんです。
永遠のチャンピオンです!勇気を頂きありがとうございました!
やっぱチャチャイ戦は、井上尚弥がいる今でも日本ボクシング史上最高試合と思うんだよね。
そしてこの試合の23日後に、この世からいなくなってしまった。
ちょうどあしたのジョーのアニメ放送が始まった頃です。大場選手の試合はテレビの前でパンチを振りながら応援してました。懐かしいです。
ワンツーの切れ味と破壊力…凄まじい
アモレス戦、TV観戦でしたが驚きました。後に初回のダウンで足首捻挫って知って更に驚愕。
彼の死後数年を経て、特集記事を読み懐かしさと言い表す事ができない感情が湧いて来ました。また新たなエピソードを知りました。
正に伝説のボクサー。
何の機会だったか全く覚えていないんだけど、小学校の2年か3年のときに会ったことがある。ニコニコ笑いながら俺の頭をなでてくれて、「優しそうなお兄さんだな」と思ったのが印象に残っている。
私のヒーローは大場政夫とアレクシス・アルゲリョでした。
大場選手に憧れてプロボクサーになりました。
人生の師匠です!
大阪で雄姿拝見させていただきましたよ。
スピードがありセンス抜群のサウスポーの印象でした。
上からすみませんw
ウチの親父が大場政夫大好きだったな
貴重な動画投稿、ありがとうございます
父が言った「大場が自動車事故で亡くなった」と
母が言った「たくさん打つ人だね」と
私が人生で両親から聞いたボクシングの話は、これが全てでした
すごい試合の数々です🔔☺🍀
時代が違うとはいえ、23歳で38戦もしてるのは凄いなぁ
みなさん、大場政夫には思い入れがあるんですね。私もです。ボクシングが大好きだった中学・高校生の頃、昭和の時代です。砂を入れたサンドバックを叩いたり、物干しの支柱でリングを作りました。友達を呼び、おもちゃのグローブで草拳闘をやりました。彼は、矢吹丈のように真っ白になり、私の前から消えてしまいました。憧れの人でした。不便な時代だったけど、なんか今思うと眩しい時代だった気がします。
当時、俺は小学生。チヤチャイチオノイとの試合も正座して観戦してた。あまりにも劇的な反攻での幕切れは脳裏に焼き付いてる。その後の、大曲での事故に呆然とした。
12.3才位の頃だったと想う、輪島功一のタイトルマッチを観に行った時に、ふと後を見たらあのカッコイイ憧れの大場政夫が座って居たんだ!色白でボクサーとも思えない綺麗な拳をしていた。夢の様な想いで、その数ヶ月後の悲劇😞
大場の勝負根性は凄い。
ボクシングに全てを打ち込み、その甲斐あって頂点に君臨するも自動車事故で世を去った悲劇の世界王者。享年23歳と歴代チャンピオンの中でもブッチギリに短い生涯。
アップありがとうございます。未だに事故死が悔しく
残念でならない。
伝説のチャンプ!
大場政夫
下町から出た庶民のヒーロー私と同じ年、亡くなった時はショックだった。
私が人生で初めて観たボクシングの試合が大場政夫さんの試合だったと思います。この頃は15R制で3ノックダウンもないし、よほどでない限りレフェリーストップもなかったですね。軽量級だからか1発で倒すのではなく、連打連打で決着してました。亡くなられたと聞いた時はとってもショックでした
信じてくれてる人がたくさんいるから諦めない強気なとこがいい。パキャオじゃないけど背負ってる物が大きくてフライ級の身体でも劇画みたいに何倍も大きい人だと感じます。
大場選手が亡くなって数日後、録画を収録していたテレビのバラエティに出演!していました。もちろんテレビ画面には生前に収録しました、というテロップが出ていました。
そして司会者に今後を聞かれ、「チャンピオンとして一層頑張っていきます」とか言ってた。
何とも言えない悲しさとむなしさを感じましたね、
大場選手は端正なマスクの持ち主でもあり、もっともっと人気も大きくなっていただろうに残念です。
確かスポーツカーで事故死でしたね!偲んで会場には点カウント鳴らした思いでがよく憶えています!
叔母がカメラマンをしていて大場選手の写真が
ウチに沢山かざってあったのを覚えています
大場はリアルあしたのジョー。
昭和の貧困時代を過ごし私のヒーローでした。
今でも私の中では世界一のボクサーです。
明日のジョーは大場Championがいたから、出来た作品だと思っている。死んだ親父も大場って永遠のChampionがいるんだよって言ってたな。
孤独の青春。
強さの根底には貧しさと屈辱感がある。
もう亡くなって50年か、中学生にはる直前の出来事でショックでした
シナリオとかあっても無視するであろう闘志と熱 野生動物みたいな美しさですね
大場はダウンした時の右足の捻挫のことをセコンドに言わなかったらしい。多分アドレナリンが痛みを忘れさせ、最後まで戦い切れたんだと思う。
セコンドに言ってますね。
2ラウンド目のインターバルから、場内にある蕎麦屋から蕎麦湯を貰い右足首をあっためていると解説で言っています。
若き日の菅原文太さんに似てますね、大場選手。カッコいい。
今は亡き横山のヤッサンが、映画「唐獅子株式会社」の主演を務める際、役柄に合わせスポーツ刈りにした時の
インタビューで「どうですか!此のヘアースタイルの感想は?」と、女性芸能記者に聞かれて・・・
「そうやな、思てた通りやッ!あの大場政夫に似るおもたけど、俺のイメージとピッタリやったわ!」と
ヤッサン御満悦でしたね・・・多分、此処にコメ入れてる方々、20年後には大場さん&ヤッサンの処へ・・・
今の時代にはいないボクサーですね!ハングリー精神が凄い!事故死したのは残念です。
確かに今の世界チャンピオンは、誰が世界チャンピオンなんだ?
と混乱してしまうほどの乱立ぶり
また階級も細分化されすぎていて、好きにやってくれ、と言いたくなってしまう
価値を下げてでも、興行としては成り立つのでしょうね
ボクシンより拳闘つて言葉が似合う。
お疲れ様でした 安らかにおやすみください
生き様がカッコ良すぎる。
まるであしたのジョーみたいだ。
ドラマチックな逆転KO勝ちが印象的なボクサー。
当時はテレビで誰しもが熱狂したはずだ。
逆転の大場政夫
時代が違うとはいえ、ディフェンスの意識がほとんど感じられない…
あしたのジョーと大場政夫重なるし、ホント下町のヒーローだったよ。これぞ根性!
あの時代、善と悪と混在した世の中、今考えるとほんの少し江戸日本がまだあったような気がする。義理と人情。
戦後78年、江戸っ子なんぞ消え失せた。
アメリカ(リベラル)を無批判に受け入れた結果、今だけ金だけ自分だけの時代になってしまった。
日本の歴史の中で物事を考えていきたいね。
イケメンですわ
素晴らしい(^^)
若くして亡くなられたのが惜しいです。
井上尚弥に匹敵するgreat Champion
ゴンザレス、チャチャイと言ったところはその頃の日本ボクシング界でもなじみ深いですね。
小熊正二はゴンザレスと花形進はチャチャイと戦っていますね。それぞれ二度戦っています。
私の永遠のヒーロー大場選手。今見返すとこんなにも打てるボクサーはいないと改めて思います。大場選手の凄さはすべてのパンチを打ち抜いているところです。テクニックでは今のボクサーの方が圧倒的に上だと思いますが、大場選手の倒そうという圧力に怯えるのではないでしょうか。
大場選手は首都高で白のコルベットスティングレーでカーブを曲がり切れず逝ってしまわれた、、でしたかねぇ。
どうしても、ジェームス・ディーンのポルシェ356で壁に激突とダブってしまうんです。
お二人とも、若くしてその頂点で逝ってしまわれたという事で、何かしら共通した感じがします。
大場は素晴らしいけど、井上尚弥がとてつもないモンスターだと言うことが改めて実感できた。
苦悩はわかるよ。納得いったんだな。
大場さんの愛車はCORVETTEだった
大場と言えば、チャチャイ、チオノイ😮。壮絶な試合。足首をくじき、もうダメかも😢。チオノイは、伏し目のタカ😮。大場の最大の敵。悔やまれるのは、交通事故😢。花火のような、人生でした😢
やっぱり15Rの時のボクシングは面白い
現代の武居チャンピオンに似てますね🔶🏆😎🏆🔶
赤木圭一郎が乗ったゴーカートも大場選手が購入した外車も運転が難しい
首都高池袋線上りで護国寺に近い緩やかなカーブですが、スピード出し過ぎ
制御出来ずにガードレールから飛び出ました。残念だったです。
赤木さんのゴーカートも慣れてないと危険な車だったです。
一つの生卵を兄弟何人もで分け合って食べたくらい貧しかった環境で育ったような
ハングリーな人は違う
レネ・アルレドンドと浜田剛史のJr.ウェルター級タイトルマッチが1RKOで終わったあの試合で初めて存在をしりました
中継が早々終わったため繋ぎの番組で大場政夫物語的な番組が放送されたわけですが浜田さんの1RKO勝ちに劣らぬ衝撃を受けました
私はウィルフレッド・ゴメスvsロイヤル小林戦が3Rで試合終わり日テレが放映した過去の世界戦を紹介した時に大場政夫選手の存在を知りました。最後の2試合は初回にダウン奪われての逆転KO勝ち。カッコいいなと思うと同時にもっと生きて活躍して欲しかったです。
@@矢吹一夫
昔のボクシング中継は早く終われば終わるで時間稼ぎの繋ぎの番組が素晴らしくよかったですよね
これがあったからリアルタイムで観てなくとも輪島さんの偉大さとか知ることができました
凶気の右ストレート!
チャチャイ・チオノイの右フックを大場は見えてないな。ワンツーが活きるアングルでいくのはいいのだが、右ガードの低さが怖い。それにもっとボディーを打てたら、ダメージも少なかったと思うので残念です。
具志堅用高さん浜田剛さんも大場政夫さんがアイドルだったと言ってました。
ワンツー主体の基本に忠実なボクシング 構えたときのスタンス 薬師寺に似てる
若くして大場政夫さんが車の運転で事故死の速報が入って来た時衝撃的でしたね。ジェームス・ディーンも自動車事故で他界してますし大場政夫さんは、ボクシング界のジェームス・ディーンと言われてましたね。
タイトルとった試合、スリーノックダウン制だとこうなっちゃう。二回目でストップだよね。一回目でも止めるフリーノックダウン制の意味が分かる。フリーノックダウンは倒し放題じゃないから。
グローブ小さいなー 本人もまさかTH-camで
リアルタイムで見ていた67歳男です。長生きして入れた、もっともっと後輩、ボクシング界に影響を与えていたんだろうなと思うと残念でしかたが無いと今でも思います。
大場さんのリングガウン めちゃカッコイイな
アモレスにダウンくらった時、吉田レフェリーはカウント6で試合再開なんだね。。少なくとも8までの規則じゃなかったのか。8まで数えて少しでも回復させればいいのにね。
この時代はWBAと表記はいらないね。
世界はそれしかなかったから。
強いな?
吉田はチャチャイを殺す気か?
高校生の自分には、あこがれの兄貴でしたね。
交通事故が無ければと今でも残念でなりません。