3分でわかる山下清(人から分かる3分美術史174)
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- เผยแพร่เมื่อ 19 ต.ค. 2024
- 昭和の画家であり、「裸の大将」として知られる山下清を紹介します。
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こんにちは。人から分かる3分美術史。
今日は山下清について勉強していきましょう。
山下清。1922年生まれ。昭和の画家であり、「裸の大将」として知られます。
清は大正11年に、東京、浅草に生まれました。両親は新潟の出身であり、父親は板前を営んでいました。
しかし清が生まれて翌年に、関東大震災によって家を焼け出されます。そこで新潟に帰りますが、貧しい生活のなかで清は、重い病気に陥り生死の境を彷徨いました。これが原因で、清は知的障害を持ったといわれます。
清が4歳の頃に東京に戻りますが、父親は酒がたたって脳出血で倒れ、清が10歳の頃に亡くなりました。残された母親と清ら3人の子供は貧しい生活を余儀なくされ、福祉施設で暮らすこととなりました。
12歳で養護学校である八幡学園に入学。その教育の中で、次第に清はちぎり絵の才能を発揮しはじめました。
清の最初期の作品が「金魚」。1934年、清12歳頃の作品です。
初期の傑作として知られるのが「お化け」。1937年、清15歳頃の作品です。
八幡学園に勤める精神科医で美術評論家でもあった式場隆三郎は、清の作品に着目し、生涯に渡ってその活動を支援しました。そして清の作品は反響を呼び、若くして個展の開催や作品集が出版されるなど、人気を集めました。
しかし清はそれに頓着せず、1940年、18歳のおりに突如として放浪の旅に出発します。
それ以後の清は、放浪と制作を繰り返しながら、多くの傑作を生み出していきました。
清の作品を見ていきましょう。
「東京の焼けたとこ」。1949年、清26歳頃の作品です。清のちぎり絵は、2,3ミリの小さなちぎり紙をびっしりと敷き詰めて制作されました。
「長岡の花火」。1950年、清27歳頃の作品です。清は花火のちぎり絵を数多く制作し、中でも本作は柳宗悦とバーナード・リーチを驚嘆させたといわれます。
1971年、清は49歳のときに脳出血で亡くなります。現在でも、戦後日本の最も著名な画家の一人として、また、「裸の大将」として知られています。
以上!
待ってました❗ついにやってくれたんですね❗
最後の最後に山下清先生と気づくのですね。
その頃にはあなたは居ない
素晴らしい貼り絵を残して……。
山下清は全く知りませんでしたこれでまた一つ画家を知ることが出来ました
やましたひろしさんおてがみありがとう。
ただ「本当の父親がなくなった後次に父親になった人が手癖が悪く「カッターナイフで人を切れ」と言われて実際にやり非行に走った」というところがないのは「清治ガチぜい」の私には少し突っ込まざる終えませんでした!そこを飛ばした理由がなにかあるのでしょうか?「3分で収まらないとか」
おっしゃるとおりです!いわゆる「悪ガキ」の頃のエピソードはカットしてしまったのですね。清の人格を考える上では重要ではあるのですが、作品紹介を優先しました。
中途半端