第1471回「大石は水に浮かない」2025/1/16【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師

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  • เผยแพร่เมื่อ 15 ม.ค. 2025
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    ■管長日記「大石は水に浮かない」
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    最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
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    宗教と儀礼は深い関わりがあります。
    多くの宗教には儀礼が伴います。
    また儀礼によって伝えられる一面もあります。
    もともとお釈迦様の教えは、
    ひとり坐し
    ひとり臥し
    ひとり遊行し
    うむことなし
    ひとり自己(おのれ)を
    ととのえ林間(このま)に
    ありて心たのしむ
       (法句経 三〇五番)
    というように、自らを見つめ自らを調え、解脱をはかるというものでした。
    また同じく法句経の一六〇番に
    おのれこそ
    おのれのよるべ
    おのれを措きて
    誰によるべぞ
    よくととのえし
    おのれにこそ
    まことえがたき
    よるべをぞ獲ん
    とありますように、よく調えた自己こそが自己のよりどころであるという教えであります。
    しかしながら、インドの国では、このお釈迦様の教えは滅んでしまい、ヒンズー教が今も多くの方に信仰されています。
    ヒンズー教では儀礼を尊んでいます。
    昨年インドの仏跡巡拝に参りました折にも、ガンジス川のほとりで多くの方が祈りを捧げているのを拝見して、やはり宗教儀礼は多くの方の心のよりどころとなっているのだと感じました。
    日本の宗教儀礼は、あまり多くはないのかもしれませんが、それでも正月には神社仏閣にお参りする方が大勢いらっしゃいます。
    除夜の鐘をつきにゆく方も多いのです。
    儀礼を変わることなく行うことが、自己を安らかにする方法のひとつであります。
    しかし、お釈迦様の教えには、当時のバラモン教の儀礼を真っ向から否定するところが残されています。
    南伝の相応部経典にある話であります。
    『阿含経典による仏教の基本聖典』(大蔵出版)にある増谷文雄先生の訳文を引用します。
    「かようにわたしは聞いた。
    ある時、世尊は、ナーランダー(那羅陀)なるパーヴァーリカンバ(波婆離迦菴羅)林にましました。」
    というところから始まります。
    これは経典の始まりの定型の言葉です。
    そして「その時、アシバンダカプッタ(刀師子)なる部落の長が、世尊を訪れ来たり、世尊を拝して、問うて言った。
    「大徳よ、西の方より来たれる婆羅門は、水瓶を持ち、花環をつけ、水に浴し、火神につかえ、死せる人々を天界に昇らしめることができるという。
    大徳は、あまねく世人の尊敬を受けられる覚者であられるが、大徳もまた、人々の身壊れ、命終わりて後、善趣天界に上生せしめることを得るであろうか。」
    と問いました。
    「火神につかえ、死せる人々を天界に昇らしめる」というのは当時の宗教儀礼だったのです。
    亡くなった方を供養して、よいところに生まれるように願うのは、今も昔も変わらぬことであります。
    そこに宗教儀礼が深く関わってきます。
    祭司を司る方も必要になります。
    それが宗教者であります。
    それに対してお釈迦様は、
    「部落の長よ、では、私から、なんじに問うてみたい。
    なんじの思うとおりに答えてみるがよい。
    部落の長よ、なんじはこれをいかに思うであろうか。
    ここに一人の人があって、人を殺し、物を盗み、偽りを言いなど、あらゆる邪まの業をなしたとするがよい。
    そこに大勢の人々が集まり来たって、この人死して後は善趣天界に生まれるように―と、祈禱し、合掌したとするならば、なんじはいかに思うか。
    この人は、この大勢の祈禱合掌の力によって、死後、天界に生まれることができるであろうか。」
    「大徳よ、いいえ、彼は天界に生まれることはできますまい。」
    と答えています。
    そんな非道なことをした者が、死後にお祈りしたからといって救われるものではないというのです。
    お釈迦様は更に仰せになりました。
    「部落の長よ、たとえば、ここに一人の人があって、深き湖の水の中に大きな石を投じたとするがよい。
    そのとき、そこに大勢の人々が集まり来たって、大石は、浮かびいでよ、浮かび上がって、陸にのぼれと、祈禱し、合掌して、湖のまわりを回ったとするならば、なんじはいかに思うか。
    その大なる石は、大勢の人々の祈禱合掌の力によって、浮かびいでて陸にあがるであろうか。」
    と問いました。
    これはわかりやすい譬であります。
    大きな石は水に沈みます。
    そのまわりでいくら儀礼を行っても大きな石が浮かび上がることはないのです。
    そこで
    「大徳よ、いいえ、大きな石が浮かびいでて陸にあがるはずはありません。」
    と答えます。
    お釈迦様は
    「それと、同じことである。あらゆる邪悪の業をつんできたものが、いかに祈禱し合掌したからとて、死後、天界におもむく道理はない。
    その人は、身壊れ、命終わりて後は、悪趣地獄に生まれるのほかはないのである。」
    と仰せになったのでした。
    これがもともとのお釈迦様の教えであります。
    自己を救うのは、自己の行いと言動と思いとによるほかはないのであります。
    それが大乗仏教になって空の思想から、回向という教えが説かれるようになってきました。
    回向は『広辞苑』にも
    「自ら修めた善行を自らの悟りや他者の利益のためにふりむけること。」
    「仏事を営んで死者の成仏を祈ること。」
    と解説されています。
    岩波書店の『仏教辞典』には、
    「原語は変化・変更・成熟・発展などを意味し、またインド哲学、特にサーンキヤや唯識(ゆいしき)の教理において、<転変><能変>などと訳される重要な術語となった。
    仏教では自己の善行の結果である功徳(くどく)を他に廻(めぐ)らし向けるという意味に使われ、<廻向>と漢訳された。
    廻向という仏教語にはいくつかの発展段階がある。
    布施(ふせ)の功徳を父母兄弟に廻らし向けるという例は、原始経典にみられる。
    ここには、功徳は他に移し替えることができるというインド的な発想がある。
    大乗仏教になると、廻向を受ける対象が一切衆生(しゅじょう)に拡大された。」
    というものです。
    自分たちが善根功徳を積んで亡くなった方に回向することができるという教えなのです。
    この教えによって、私たちは亡き人をご供養しているのです。
     
     
    横田南嶺
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