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12:48 手書き看板に「旧」の字が書き足されているのがホントに素敵ですね。廃線になった今でも気にかけられていたのが良く判り胸が熱くなります。16:47 このパターンも好きですwwwww
残っていて、まさか「旧」の字が書き足されているとは思いませんでした。長谷駅のあの程度では躊躇しませんw
やっぱり長谷駅ですかね。1日上下合わせて2往復半5本でしたので列車からホームに降りたことはありませんでした。クルマで行って列車を見るだけしかできなかったのが悔やまれます。列車に乗っても誰も乗り降りせず小さな集落にある駅でした。それでも列車は止まり去って行きました。いつだったかもう忘れてしまいましたが集落の家にタオルらしきものが干してあるのが見え人が生活しているのを感じたのを覚えています。どれくらい前までかはわかりませんがこの駅も必要とされていた時があった と。
三江線では昔(1990年位?)の写真を見て現在の写真を見る従来の形じゃなくて新鮮でした
三江線は現役時に行っているので、少し変えてみました。
思いでおーい、三江線シリーズありがとうございました。当方も、やはり三次駅近くの高架線が何とももったいないです。 😥 躊躇しない ひろりんさんを遮るもの。 それは、立入禁止のカンバン。
あの高架線は勿体ないですね…立入禁止の看板には勝てません…
@@hiroring0323 さん昨年の今ごろ。三次駅はまだ人の気配があったのに。(泣.
作木口駅は結構キレイに残ってますね、見に行くのが楽しみになりました。
作木口駅は現役の頃と変わらない佇まいでした。
もうあれから4年早いもんだなぁ。
早いですね…つい最近の出来事のような…
おっふとなっているところもありますが駅舎を保存したり草刈りするなんて地域住民の愛ですね。
長谷駅。国鉄時代は1日3本のみの停車で、時刻表には載っていなかった元仮乗降場でしたが、待合室は立派だったんですね。17:02 はまるで軽便鉄道の車内のようです。
長谷駅は量産型無人駅より立派な待合室でしたね。
香淀駅は簡素な駅だった面影を残しながらの立派な待合室がまたいいですね。尾関山駅は目をみはるところがありましたね。特に板を外して再び日の目を見た窓口やSLのボイラー。ひろりんの為に特別に見せてくれた保存している団体のご厚意に感謝しないといけませんね。4つに分けた三江線シリーズ。ご苦労様でした。
みよしSL保存倶楽部さんには感謝ですね。
三江線の旅、お疲れさまでした!芸備線も木次線も同じ運命を辿らなければ良いですね。読めない漢字がたくさんあって💦 山をぶち抜いた廃線跡がなんだか、高千穂鉄道のような感じがしました…。再利用している人たちや廃駅になった地元の方の思い入れがなんとも言えません…。
芸備線も木次線も厳しそうですね…鉄研公団建設の路線は、高規格で山を直線でぶち抜くので、同じ様な感じになりますね。
三江線推しだった故・宮脇俊三先生はこの現状を見て何を感じられるのだろうか。とつい思ってしまいます...4回に渡り本当にお疲れさま、そしてありがとうございます。
宮脇俊三先生が今の三江線の姿を見たら…
キノコ型ホームの草に覆われっぷりが、廃駅としては素晴らしい写真になりましたねw
現役の頃と比較すると泣けてきますが、個人的には好きなんですよね。
三江線跡めぐり、お疲れさまでした。叔母が旧桜江町に住んでいるので、いつか三江線で行きたいなと思っているうちに廃線になってしまいました。遠くてなかなか行けませんが、行くことができたらまわってみたいです。
三江線は見どころが多いので是非っ!
我が故郷を紹介して下さりありがとうございました尾関山駅周辺は5歳くらいまで遊び場でした。あそこは袋小路の突き当たりにあるのでクルマが少なく且つ道幅が広いので子供たちの格好の遊び場でした。当時はまだ有人駅でノドが渇いたら駅員さんに頼んで水飲ませて貰ってたのが懐かしく思い出されます。(*´ω`*)
いい思い出ですね~尾関山駅の佇まいは当時と変わっていないんでしょうね。
現役時代の長谷駅周辺の写真が、まるで水墨画のような美しさで魅了されました。
冬の長谷駅付近は本当に水墨画のような景色でした。
廃止後はまるで廃城みたいですね…
高3の時清酒n18きっぷの旅で乗っ他の初めでした。そして廃線の前年(2017)最後だと」思いまた乗ったのでした。
乗られていましたか!
長谷駅は本州では珍しい仮乗降場でしたが石野哲氏の『時刻表名探偵』を読むまで知りませんでした
私が長谷駅の存在を知ったのは、民営化以降でした…
こんにちは。取材ご苦労様でした。しんみりとなりましたが、4年前を思い出す情緒溢れた編集と音楽で充分に満足出来ました。4回シリ-ズを視聴して、やはり出かけたくなりました。
ありがとうございます!
2016年3月の夕暮れの式敷駅。闇が迫る駅に雪が残る線路、ガスった空に夕暮れの光が差し込んで、走り去る赤い尾灯がマッチしたベストショットになりました。
いよいよ終盤でしたか、お疲れ様です。長谷駅……掲示物それだけとは……悲しい…、
長谷駅の残された掲示物…あれだけは悲しいです…
@@hiroring0323 そういえばこの動画に使ってるBGMの名前って何ですかね?
@@kamd8567 BGMは「夏の思い出」です。
@@hiroring0323 ありがとうございます!
北海道は廃駅のほとんどがすぐに施錠されるのに対して三江線では未だに放置プレーの所が多数あるのが興味深いです。
北海道とは随分と廃駅の扱いが違いましたね。
4回に渡りありがとうございます😊どうしようも無い事ですが、1度開通した路線が廃線されるのは、やはり、心が痛みます。ましてや自分が訪れた路線だとなあ。
そうなんですよね。現役時に訪れている路線なので、見たくない気持ちもあり中々足が向きませんでした…
船佐駅。13:48 『両面使われること無く』と、Wikipediaにも推測レベルで同様に記述がありますが、手元のS35年時刻表「三江南線(式敷駅終着時代)」では、三次発2番列車(7時30分発)が、この途中駅「船佐止まり」で、折返し三次ゆきとなっています。つまり折返し用ホームとして、2線が使われていたかもです。とはいえ、三江南線時代は口羽駅終点時代も含め、旅客列車同士の途中駅交換はなく、貨物列車もなし。駅員も(公称)無配置だったので使われていなかった可能性大ですが…。船佐は、開業後約1年間は「船佐村」の中心駅で、村役場もあったせいか、駅前も広いですね。
三江南線はスタフ閉塞だったそうで信号機なしでも列車の折り返し可能でしたからホームは一面しか使用していないと思います。
@@seijiide1893 船佐駅が開業当時から廃止まで駅員無配置ということで、(闇の)運転係員でもいなければポイント操作ができませんので、可能性としては低そうですね。手元にある昭和31年、35年、42年の国鉄時刻表によると式敷駅終点時代・口和駅終点時代含め、全列車が終着駅に到着後ほぼ5分以内に折り返して、三次に戻り、また折り返すというピストンダイヤで設定されていました。地元朝日新聞の記事で「開業当初」とされる船佐駅の写真には、キハ01系とみられるレールバスが、この朝2番の7時50分発折り返し列車として入線する風景が映し出されており、そこにも本線ではない片面(手前側)にはレールが見られませんでした。この列車、式敷→口和へ延長された際には廃止され、変って三次~式敷~三次間の区間列車に変わっていますので、ごく短命に終わった運転だったようです。
@@Su---- 三江線の廃止前の大雪による運休の前の日に船佐駅から甲立駅まで安芸高田市のコミュニティバスに乗った事を思い出しましたね。あの駅から通学に利用してた女子高生もいましたね。意外に地元民が利用してた駅でしたから昭和30年代はもっと利用者多かったのでしょう。
@@seijiide1893 『朝日新聞』『母が店主、駐輪場・駄菓子屋(駅 三江線35の物語:7)』でヒットする記事と、その中の1枚の写真には、鉄道マニアには知られざる情報が沢山隠されています。・折返し列車を待つホームには、三次市へ通うとみられる小学生、幼稚園児を中心に、20名近い乗客が。・Wikipediaでは名言されていない「キハ01系列レールバス」が三江南線にも入線していた・駅前駐輪場は国鉄ではなく、元駅前商店(駄菓子屋)が設置したもの(つまり自分の土地)・駐輪料金は一日10円を徴収するも、毎日30台もの利用があり、夜間は盗難防止のためわざわざ屋内まで運び込んでいた・開業当初の駐輪場は線路と並行に設置され、コルゲート板屋根の背も低い簡易式・駐車場敷地は、おそらく将来立派な有人駅舎を建設するのを見越して、国鉄が今の駅前ロータリー中央に立派なものを設置。代わりに敷地を譲ってもらったか?(想像)・駅前商店(建物現存)を経営されていた女性の息子さんは、現在70過ぎで安芸高田市内に移住。(件の写真はお父様が撮影されたそう)などなど、いろいろな物語が目に浮かんで来て、大変興味深いです。
今回おっふが無いぞ!と期待していましたが,信木駅,長谷駅がおっふ駅になっていたとは...4回にわたって紹介いただきありがとうございました.廃駅の雰囲気にますます興味を持ちました.三江線は景色に富んでいたようなので,旧筑波鉄道のりんりんロードのように活用できたらいいですよね.
たった4年でオッフになってしまいました…
三江線も廃止されましたが芸備線の三次~備中神代間 福塩線の府中~塩町間も廃止の交渉段階とJR西日本が発表していますまた木次線も危ないと思います 過去急行ちどりで出雲坂根~三井野原間の3段スイッチバックの33パーミルを58系編成でうなりを上げて登っていた昭和55年の頃が懐かしいですあの時備後落合駅は有人でうどんも販売されていて今では想像もできない交通の要所でした まさか今の状況になるとは誰が予想していたでしょうか?廃止される前に2度目の乗車ができなかった三江線・・・この悔しい思いをしないためにも芸備線と福塩線は今年の4月に全線走破したいと思います探訪お疲れさまでした 長文すみません
地方の鉄道は厳しいですね…三江線と一緒に芸備線と木次線も巡ってきました。
将来を考えて造られた施設に将来はありませんでしたか。屋根付きベンチも過去のものになってしまいましたね。
三江線の全駅を歩いて踏破した人を思い出すなぁ…
そんな人がいたんですね…
船佐駅の1日の利用客は1人と言うのは凄いですね😅
この区間の駅はほとんどがそんなもんだったような…
鉄道開通時は「船佐村」の役場もある村の中心駅でした。昭和31年に合併して「高宮町」になり、さらに平成16年にさらに合体して「安芸高田市」になりました。
いつも、情報ありがとうございます‼️あの🚂機関車を、駅の構内に個人的な見解だけど移したいですね⁉️
ついに最終回・・・
長かった三江線の旅も最終回です。
長谷駅の紹介部分での16:50 で、いつものとはパターンを変えてこられましたね。(別パターンが観たい…とのリクエストに応えられたのかな?)それと、12:50 での所木駅での手作り看板における追加記載での距離表示はmだけでなくcmまであってマニアックですねぇ。
あの程度じゃ躊躇しないだろと突っ込みが来そうなので、パターンを変えてみました。
いつもありがとうございます。今朝のNHKの10分番組でも三江線・可部線の紹介がされていましたね。所木駅入口の可愛らしい看板、撤去されてなくてほっこりしました(^^)
所木駅の案内板が廃線後も残っていて嬉しくなりましたね~
三江線跡全駅達成お疲れ様です。わずか3年で草木が生い茂る自然の力には驚かされるばかりですね。余談になりますが、ひろりんさんのアイコンのおかげでまちカドまぞくを知りました。ニコニコ動画で一気見しましたがとても面白かったです(一言で言い表せません)。2丁目を楽しみにしています!
たった数年でこんなに変わるもんなんですね…私もまちカドまぞく2丁目は楽しみにしています!アイコンは近々変更する予定でいます…
@@hiroring0323 そうなんですね。新アイコンも楽しみにしてます!
三次駅はどうか廃止になりませんように。
三江線の旅、お疲れ様でした。味のある路線でしたね。廃線になっても地元の方により駅や路線跡が大切に保存されていることが凄く印象に残りました。鉄路が通っていた事にプライドがあったということですね!胸が熱くなりました。
地元の方に愛されていた路線でしたね。
三江線、廃線の2018年の5月に全駅巡りました懐かしくおもいだしました長谷駅はホーム上にバラストで「ありがとう三江線」と書いてあったのを思い出しましたww まだ廃線ホヤホヤだったのでホームで待ってればいつか列車がきそうな雰囲気でした。あれから3年…人の手が入らないとあっという間にあんな風になっちゃうんですね…😭三次駅の三江線の108キロ記念碑はご覧になられました?僕が訪れた時はその除幕式が丁度やっててカメラ持ってたから報道陣と間違われたのはいい思い出ですww
長谷駅の秘境駅感が凄いですね。駅前には雄大な江の川の川面の展望のみという。現役時代の雪化粧された一枚の方が夏草に埋もれた現在より秘境感があるのはやはり現役駅特有の何かでしょうか?量産型無人駅が多い路線ですがそれぞれの駅跡に今と昔の物語があり全く飽きずに視聴出来ました。現在と過去の対比を紹介して貰い本当に有り難うございます(猫さんが何処かで出てくると思っていたのはここだけの秘密ですw)
三江線では猫さんにお会い出来ませんでした…芸備線ではお会い出来たんですが…
香淀~式敷間の車窓が、日本昔話に出てくるような感じがして好きでした。三江線の旅お疲れ様でした。改めて素晴らしい沿線だったと思います。
本当に素晴らしい景色の路線でしたね。
お疲れ様でした!ひろりんさんは三江線の駅跡の中で何が好きですか?
三江線の駅跡だと川平、川戸、浜原、宇都井、口羽、式敷、長谷、尾関山が好きですね~(多い…)
区間毎に変化に富んだ魅力的な路線だったんですね…とても見応えがありました。この辺りは、ひろりんさんならではの観せ方の旨さもありますね…尾関山駅跡とハチロクの展示保存は中々のものですね。なんとなく南部縦貫鉄道レールバスの動態保存を行なっている、有志の皆さんを想起しました…長編三部作、おつかれさまでした。
長大路線だっただけに三江北線、三江南線、その二つを繋いだ区間で全く性格の異なる路線でした。こんなローカル線はもう無いかも知れませんね。
ひろりんさんと伊藤達哉さんへ今日3月20日の午前11時台に、あなた方の遣り取られを拝読しました。この三江線の跡を全て回られたひろりんさんや視聴されてきた伊藤さんにとり、この路線に見るローカル線の在り方等諸々を知り考えさせられた事と察します。♪愛する人の瞳(め)に愛する人の瞳に 俺の山河(さんが)は美しいかと。美しいかと。(五木ひろしさん歌唱「山河」の1番のサビから)三江線の北線は大半が江の川の中・下流に沿う山間を縫い、南線は江の川の上流を経て三次市内から開けるという景観を持つと知り性格が異なると仰られるひろりんさんの御指摘も頷けましたね。私が山河のサビをここに引用した訳は、三江線が総じて江の「川」と我が国の特性たる「山」地に沿い時に半ば強いて切り拓かれ南北を繋いだという線形と経緯を代弁している気がしたからです。春先故に気温差が大きい日もありますが、健康管理に留意され過ごされますように。
長谷駅は意外に立派な待合室ですね。所木駅の案内板に「旧」の文字が足されてかわいいです。
三江線四部作お疲れ様でした。中国地方の尾根道は、住民が少なく維持するのも大変なんでしょうね。外野から言わせてもらえば、公共交通機関と言えども利用し辛ければ利用客は他の手段を考え利用するってこと。人が居ないところを走る線の維持管理を押し付けられたJR西日本も大変だろうけど、いろいろ考えて頂きたいです。営利企業であると同時に公共交通機関なんですから。動画ありがとうございました。
三江線の駅跡、三次市内は一部を除いてしっかり保存されてますね🍀まあ、雑草の勢いは相変わらずだけど^^;芸備線も三次以東は存続に黄信号が灯ってるけど(福塩線の塩町~府中も)なんとか踏ん張ってほしいですね☺️
芸備線、福塩線、木次線はどうなるんでしょうね…
ひろりんさんへ今日3月19日の22時台に、拝見しました。三江線の跡を全て回られた今回のあなたの旅で、長谷駅の秘境ぶり・交換可能だった式敷と口羽・簡素な作りの香淀等と多種多様な駅の構造や利用者の極端な少なさからローカル線の在り方を考えさせられた思いですね。JR九州では、今回のダイヤ改正(改悪が否めぬ印象が)で無人駅の追加や列車内の座席の削減等をされたそうで不評の声が上がりつつあるようです。ひろりんさんを労い、健康であられますよう私達は祈る所存です。余談ですが、私は最近江戸川区に在る地下鉄博物館等に足を運びその歴史等に関わる展示を見る事にはまっています。Suさんらが触れられた「ガチャ(カプセル入りアイテムの自動販売機)」は、地元のJR柏駅東口の改札を入った構内にも並んでいますよ。名所の建物のミニチュア等多彩です。
ひろりんご苦労さん!あと20年も経ったらほとんどが跡形もなく消え失せると思うが、いずれ来るその時のためにもこの動画は残してくれ。しかし、この、静止画像の連続による描写ってのは「もうあの時代は二度と戻ってこない・・・」というのを痛切に心に訴える手法だ。段々ネタも無くなってきてるだろうがひろりんの廃線跡シリーズは本当に後世に残したい作品だよ。
ありがとうございます!まだどの駅も遺構が残っていますが、国鉄時代に廃止になった路線のようにいずれは跡形も無くなる場所も…
長谷駅って1日2.5往復しか止まらないけど、あの様子を見たら納得しました利用客が少ないしから小型のキハ120で十分それに三次駅も最早救いようがない大赤字の芸備線にあるからいつ廃止されてもおかしくないしそれに中国山脈を貫く路線は伯備線以外は赤字だらけ廃止に向けた協議がいつはじまってもおかしくない状況だと思います。
この区間の駅の1日の利用客は1人から十数人程度でしたからね…
ここもいつかは取り壊されてしまうと思うと寂しいよね。
そうですね…
尾関山駅は三次駅に近く、20分弱でたどり着けるため、始発の三次発列車で宇津井駅へ行き、一定駅と周辺を散策した後、一旦三次へ戻るときにこの駅で下車。歩いて三次駅へ向かっても次の三次発列車に余裕で間に合うという行程が組め、単に通過でない三江線探索が可能でした。なお始発の三次発は口羽での交換待ちの際一定時間停車するため、口羽駅の散策も可能でした。また尾関山は利用客が少ないものの、三次行列車からの下車客で三次駅へ向かう乗り鉄客を当て込んんだのかタクシーが駅前に停まっており、誰も利用しないのを見て走り去って行きました。
三次⇔尾関山の高架橋はまだ残っているのでしょうか?大きい道路の上だけ撤去されてたりしてますか?それとも今でも線路は敷いたままで手付かず?
昨年夏に訪問した時は手付かずでしたね。
尾関山駅、保存会のイベントがある時にみたいと思いました。SLもホームも綺麗にされている事を嬉しく思います。三次駅の芸備線、日中の2.3時間おきの本数が今後気になります。
今回の三江線の取材は、何日ぐらいかかりましたか?どの回も見応え満点でした!
ありがとうございます!三江線の取材は1日半くらいですね。4泊で三江線、今福線(未成線)、可部線(廃止区間)、芸備線(三次以東)、木次線を巡りました。
思いのほか短期間で取材されていてビックリ。次回の動画も楽しみにしています。
@@香かおり-v6x 仕事の休みが少ないので、いつも行程はカツカツですね~
汽車通学を余儀なくされた子供達のために開業した長谷駅の待合室は、当時の先生達や親達の手作りだと聞きました。だから駅の扱いの割に立派なのかもしれません。
そうだったんですね~
三次駅の電光掲示板、どの方向も死屍累々に見える……(3つある時が特に)
三江線って廃止になっても大部分はまだ撤去されてないけど撤去にも相当金がかかるのだろうか
お金は相当かかるでしょうね…
取材と撮影、投稿お疲れ様でしたまだ駅の形を残していたり、自然に還りつつあったりと千差万別ですねこのエリアは人の営みを感じつつも駅が次第に消えていくという感じで、自然のダイナミズムを感じる川本以北・ロマンを感じさせる新線区間と比べても、より寂しさを感じますね…芸備線は落合近辺のみならず、庄原や果ては狩留家から三次でも安泰ではないと言われていたりもして、何とか頑張って貰いたいものです三次の駅前は綺麗になり、町も賑やかなだけに…
三江線の廃線跡シリーズ4作お疲れ様でした‼️☺️集落が少ないと利用客も流石にいないですね!😭時代の流れでしょうか?✨
これも時代の流れですね…
@@hiroring0323 廃線跡を思うと寂しいもありますし、古い駅舎を見るだけでも癒しになります⁉️😁
作木口駅だけ珍しく踏切設備が残っているのが印象的最近になって三次のα-1の小さな二つの橋梁が撤去されてしまって残念です
全体を通して、交換可能な駅がめちゃめちゃ少ないですね需要がなさすぎたんですかね…
100キロ超えの路線としては交換可能な駅が少なかったですね。交換設備を撤去しまくった北線はともかく、南線と新線区間は開業時から少なかったですから…
三次からの無駄に立派な高架橋が取り残されてるを見ると複雑な気持ちになります
そうなんですよね…あの立派な高架橋が…
仮乗降場やった長谷駅の待合室が一番立派とはwしかも何となく昔の路面電車を思い出させる感が良きすね♪今回から『躊躇』の使い方、変えましたね。きっとひろりんさん的には、躊躇するくらいの方がワクワクするんでは?w取り敢えず長大編集、お疲れ様でした\(^o^)/
長谷駅は立派な待合室の元仮乗降場でしたね。私は躊躇するくらいが丁度いいかもですw
尾関山駅の窓口の板外されたのか…個人的には板塞ぎ否定派なのでこれは嬉しい。
私も板塞ぎは好きでは無いので、これは嬉しいですね~
尾関山駅の出札窓口は、いつ頃まで開いていたのでしょうか?無人駅になったのは国鉄末期で、それまでは駅員もいて硬券入場券も売られていましたが、それ以降2010年まで駅前商店で簡易委託の乗車券が売られていたそうです。自分は車窓から眺めてスルーしただけ(降りたらそのあと数時間待ち)だったので、平成時代の駅舎改札の様子は知りません。
作木口は島根県に設けられた広島県へのアクセスのための駅で、県を越えた広大な使命をもって開設された駅でした。もっとも開設当時は両県の基礎自治体同士は共に村でしたが・・
7:37の風景はとても感動しました。これから夜の闇の中へと行くようにと思ってしまいました。尾関山駅は鉄道発見伝という番組でも取り上げられていました。ハチロクが三江線を走っていたとなると凄い景色が広がってたんだろうと心にぐんときました!ところでひろりんさんは現存している鉄道会社でどこが好きでしょうか?僕は阪急ですね~
特に好きな鉄道会社は無いですが、敢えて言うならみんな好きです!
@@hiroring0323さん質問に答えて頂きありがとうございます☺️なるほど全部ですか!!凄い鉄道愛がつたわってきます!
@@Shinkaisoku8304 好きな鉄道会社は選べないですね~
明けて今日,三次駅に行く予定なので,三次駅の変化はちょっとびっくりでした。窓口が閉鎖なんですね。(>_<)長谷駅は元々,地域にあった小学校が閉校になる際に,市内の学校に通えるようにと,三次市教育委員会がお金を出して設置した仮乗降場だったそうですね。しかし晩年は,小学生はいなくなり,地域の高齢者の方の通院の足だったどのことでした。また式敷駅の待合室は,夜に行くと電気がつかなかったので,真っ暗な中三脚を準備して,過日Twitterにお送りしたような写真を撮影したものでした。改めてみると,三江線はそもそも線形の悪さや江川の反対側に集落があるなど,条件が悪すぎたなぁと思いましたね。(もちろん現役時代からそう感じておりましたが…)とはいえ,沿線の更なる高齢化を考えた時,残すための方策は何かなかったのかと,やはり考えてしまいます。三江線廃止一年後に,川本町の方(地域の活性化とかをやっている団体の方だったと記憶しています)が新聞取材に応じていた時のコメント(主旨ですが)「鉄道はなくても大丈夫だと思っていたけど,実は地域にとってとても大切な存在なのだと気付いた。しかし気付いたのが遅すぎて,色々働きかけたが廃止されてしまった。今まだ鉄道がある地域の人は,川本町のような失敗をしてほしくない」を見た時,多くの方(特に北海道かな?)に読んでほしいと思いました。そして何より,国鉄分割民営化の時に「これ以上のローカル線廃止はありません」と当時の与党は公約しておいて,実際は大嘘をついたということを,私たち鉄道大好き人間は忘れてはいけないなぁと強く感じます。
作木口駅の「200円ガチャ訪問証明書」って、他の駅にもあるんですかね?
宇都井、伊賀和志、口羽、作木口にありました。
@@hiroring0323 まーた「マイナーすぎる駅」に設置されているところがシブいですね。それ目当てで、久しぶりに行ってみたくなりました。盗難とか大丈夫なのかな…。
@@Su---- 駅跡でなく近隣施設に置いてある場合もあるので、他にも設置されている可能性も…
木次線も危ない気がする。
木次線も危なそうですね…
一個目!
1コメありがとうございます!
いつか復活。
寂しすぎひろりん最高
宇都井駅跡、口羽駅跡や尾関山駅跡のように遺構を綺麗に保存してくれればいいのですがそのうち跡形もなく撤去される駅跡も出てくるのでしょうね・・・所木駅跡の案内看板は味があっていいですね。
既に待合室や駅舎が撤去されている駅跡は、数年したら跡形も無くなっていそうですね…
12:48 手書き看板に「旧」の字が書き足されているのがホントに素敵ですね。廃線になった今でも気にかけられていたのが良く判り胸が熱くなります。
16:47 このパターンも好きですwwwww
残っていて、まさか「旧」の字が書き足されているとは思いませんでした。
長谷駅のあの程度では躊躇しませんw
やっぱり長谷駅ですかね。
1日上下合わせて2往復半5本でしたので列車からホームに降りたことはありませんでした。クルマで行って列車を見るだけしかできなかったのが悔やまれます。
列車に乗っても誰も乗り降りせず小さな集落にある駅でした。それでも列車は止まり去って行きました。
いつだったかもう忘れてしまいましたが集落の家にタオルらしきものが干してあるのが見え人が生活しているのを感じたのを覚えています。どれくらい前までかはわかりませんがこの駅も必要とされていた時があった と。
三江線では昔(1990年位?)の写真を見て現在の写真を見る従来の形じゃなくて新鮮でした
三江線は現役時に行っているので、少し変えてみました。
思いでおーい、三江線シリーズありがとうございました。
当方も、やはり三次駅近くの高架線が何とももったいないです。 😥
躊躇しない ひろりんさんを遮るもの。
それは、立入禁止のカンバン。
あの高架線は勿体ないですね…
立入禁止の看板には勝てません…
@@hiroring0323 さん
昨年の今ごろ。
三次駅はまだ人の気配があったのに。(泣.
作木口駅は結構キレイに残ってますね、見に行くのが楽しみになりました。
作木口駅は現役の頃と変わらない佇まいでした。
もうあれから4年早いもんだなぁ。
早いですね…
つい最近の出来事のような…
おっふとなっているところもありますが駅舎を保存したり草刈りするなんて地域住民の愛ですね。
長谷駅。国鉄時代は1日3本のみの停車で、時刻表には載っていなかった元仮乗降場でしたが、待合室は立派だったんですね。
17:02 はまるで軽便鉄道の車内のようです。
長谷駅は量産型無人駅より立派な待合室でしたね。
香淀駅は簡素な駅だった面影を残しながらの立派な待合室がまたいいですね。
尾関山駅は目をみはるところがありましたね。特に板を外して再び日の目を見た窓口やSLのボイラー。ひろりんの為に特別に見せてくれた保存している団体のご厚意に感謝しないといけませんね。
4つに分けた三江線シリーズ。ご苦労様でした。
みよしSL保存倶楽部さんには感謝ですね。
三江線の旅、お疲れさまでした!
芸備線も木次線も同じ運命を辿らなければ良いですね。読めない漢字がたくさんあって💦 山をぶち抜いた廃線跡がなんだか、高千穂鉄道のような感じがしました…。再利用している人たちや廃駅になった地元の方の思い入れがなんとも言えません…。
芸備線も木次線も厳しそうですね…
鉄研公団建設の路線は、高規格で山を直線でぶち抜くので、同じ様な感じになりますね。
三江線推しだった故・宮脇俊三先生はこの現状を見て何を感じられるのだろうか。とつい思ってしまいます...
4回に渡り本当にお疲れさま、そしてありがとうございます。
宮脇俊三先生が今の三江線の姿を見たら…
キノコ型ホームの草に覆われっぷりが、廃駅としては素晴らしい写真になりましたねw
現役の頃と比較すると泣けてきますが、個人的には好きなんですよね。
三江線跡めぐり、お疲れさまでした。
叔母が旧桜江町に住んでいるので、いつか三江線で行きたいなと思っているうちに廃線になってしまいました。
遠くてなかなか行けませんが、行くことができたらまわってみたいです。
三江線は見どころが多いので是非っ!
我が故郷を紹介して下さりありがとうございました
尾関山駅周辺は5歳くらいまで遊び場でした。あそこは袋小路の突き当たりにあるのでクルマが少なく且つ道幅が広いので子供たちの格好の遊び場でした。
当時はまだ有人駅でノドが渇いたら駅員さんに頼んで水飲ませて貰ってたのが懐かしく思い出されます。(*´ω`*)
いい思い出ですね~
尾関山駅の佇まいは当時と変わっていないんでしょうね。
現役時代の長谷駅周辺の写真が、まるで水墨画のような美しさで魅了されました。
冬の長谷駅付近は本当に水墨画のような景色でした。
廃止後はまるで廃城みたいですね…
高3の時清酒n18きっぷの旅で乗っ他の初めでした。そして廃線の前年(2017)最後だと」思いまた乗ったのでした。
乗られていましたか!
長谷駅は本州では珍しい仮乗降場でしたが
石野哲氏の『時刻表名探偵』を読むまで知りませんでした
私が長谷駅の存在を知ったのは、民営化以降でした…
こんにちは。
取材ご苦労様でした。
しんみりとなりましたが、4年前を思い出す情緒溢れた編集と音楽で充分に満足出来ました。
4回シリ-ズを視聴して、やはり出かけたくなりました。
ありがとうございます!
2016年3月の夕暮れの式敷駅。闇が迫る駅に雪が残る線路、ガスった空に夕暮れの光が差し込んで、走り去る赤い尾灯がマッチしたベストショットになりました。
いよいよ終盤でしたか、お疲れ様です。
長谷駅……掲示物それだけとは……悲しい…、
長谷駅の残された掲示物…
あれだけは悲しいです…
@@hiroring0323 そういえばこの動画に使ってるBGMの名前って何ですかね?
@@kamd8567
BGMは「夏の思い出」です。
@@hiroring0323 ありがとうございます!
北海道は廃駅のほとんどがすぐに施錠されるのに対して三江線では未だに放置プレーの所が多数あるのが興味深いです。
北海道とは随分と廃駅の扱いが違いましたね。
4回に渡りありがとうございます😊
どうしようも無い事ですが、1度開通した路線が廃線されるのは、やはり、心が痛みます。ましてや自分が訪れた路線だとなあ。
そうなんですよね。
現役時に訪れている路線なので、見たくない気持ちもあり中々足が向きませんでした…
船佐駅。13:48 『両面使われること無く』と、Wikipediaにも推測レベルで同様に記述がありますが、手元のS35年時刻表「三江南線(式敷駅終着時代)」では、三次発2番列車(7時30分発)が、この途中駅「船佐止まり」で、折返し三次ゆきとなっています。つまり折返し用ホームとして、2線が使われていたかもです。
とはいえ、三江南線時代は口羽駅終点時代も含め、旅客列車同士の途中駅交換はなく、貨物列車もなし。駅員も(公称)無配置だったので使われていなかった可能性大ですが…。
船佐は、開業後約1年間は「船佐村」の中心駅で、村役場もあったせいか、駅前も広いですね。
三江南線はスタフ閉塞だったそうで信号機なしでも列車の折り返し可能でしたからホームは一面しか使用していないと思います。
@@seijiide1893 船佐駅が開業当時から廃止まで駅員無配置ということで、(闇の)運転係員でもいなければポイント操作ができませんので、可能性としては低そうですね。
手元にある昭和31年、35年、42年の国鉄時刻表によると式敷駅終点時代・口和駅終点時代含め、全列車が終着駅に到着後ほぼ5分以内に折り返して、三次に戻り、また折り返すというピストンダイヤで設定されていました。
地元朝日新聞の記事で「開業当初」とされる船佐駅の写真には、キハ01系とみられるレールバスが、この朝2番の7時50分発折り返し列車として入線する風景が映し出されており、そこにも本線ではない片面(手前側)にはレールが見られませんでした。
この列車、式敷→口和へ延長された際には廃止され、変って三次~式敷~三次間の区間列車に変わっていますので、ごく短命に終わった運転だったようです。
@@Su---- 三江線の廃止前の大雪による運休の前の日に船佐駅から甲立駅まで安芸高田市のコミュニティバスに乗った事を思い出しましたね。あの駅から通学に利用してた女子高生もいましたね。意外に地元民が利用してた駅でしたから昭和30年代はもっと利用者多かったのでしょう。
@@seijiide1893 『朝日新聞』『母が店主、駐輪場・駄菓子屋(駅 三江線35の物語:7)』でヒットする記事と、その中の1枚の写真には、鉄道マニアには知られざる情報が沢山隠されています。
・折返し列車を待つホームには、三次市へ通うとみられる小学生、幼稚園児を中心に、20名近い乗客が。
・Wikipediaでは名言されていない「キハ01系列レールバス」が三江南線にも入線していた
・駅前駐輪場は国鉄ではなく、元駅前商店(駄菓子屋)が設置したもの(つまり自分の土地)
・駐輪料金は一日10円を徴収するも、毎日30台もの利用があり、夜間は盗難防止のためわざわざ屋内まで運び込んでいた
・開業当初の駐輪場は線路と並行に設置され、コルゲート板屋根の背も低い簡易式
・駐車場敷地は、おそらく将来立派な有人駅舎を建設するのを見越して、国鉄が今の駅前ロータリー中央に立派なものを設置。代わりに敷地を譲ってもらったか?(想像)
・駅前商店(建物現存)を経営されていた女性の息子さんは、現在70過ぎで安芸高田市内に移住。(件の写真はお父様が撮影されたそう)
などなど、いろいろな物語が目に浮かんで来て、大変興味深いです。
今回おっふが無いぞ!と期待していましたが,信木駅,長谷駅がおっふ駅になっていたとは...4回にわたって紹介いただきありがとうございました.廃駅の雰囲気にますます興味を持ちました.
三江線は景色に富んでいたようなので,旧筑波鉄道のりんりんロードのように活用できたらいいですよね.
たった4年でオッフになってしまいました…
三江線も廃止されましたが芸備線の三次~備中神代間 福塩線の府中~塩町間も廃止の交渉段階とJR西日本が発表していますまた木次線も危ないと思います 過去急行ちどりで出雲坂根~三井野原間の3段スイッチバックの33パーミルを58系編成でうなりを上げて登っていた昭和55年の頃が懐かしいですあの時備後落合駅は有人でうどんも販売されていて今では想像もできない交通の要所でした まさか今の状況になるとは誰が予想していたでしょうか?廃止される前に2度目の乗車ができなかった三江線・・・この悔しい思いをしないためにも芸備線と福塩線は今年の4月に全線走破したいと思います
探訪お疲れさまでした 長文すみません
地方の鉄道は厳しいですね…
三江線と一緒に芸備線と木次線も巡ってきました。
将来を考えて造られた施設に将来はありませんでしたか。
屋根付きベンチも過去のものになってしまいましたね。
三江線の全駅を歩いて踏破した人を思い出すなぁ…
そんな人がいたんですね…
船佐駅の1日の利用客は1人と言うのは凄いですね😅
この区間の駅はほとんどがそんなもんだったような…
鉄道開通時は「船佐村」の役場もある村の中心駅でした。
昭和31年に合併して「高宮町」になり、さらに平成16年にさらに合体して「安芸高田市」になりました。
いつも、情報ありがとうございます‼️あの🚂機関車を、駅の構内に個人的な見解だけど移したいですね⁉️
ついに最終回・・・
長かった三江線の旅も最終回です。
長谷駅の紹介部分での16:50 で、いつものとはパターンを変えてこられましたね。(別パターンが観たい…とのリクエストに応えられたのかな?)
それと、12:50 での所木駅での手作り看板における追加記載での距離表示はmだけでなくcmまであってマニアックですねぇ。
あの程度じゃ躊躇しないだろと突っ込みが来そうなので、パターンを変えてみました。
いつもありがとうございます。今朝のNHKの10分番組でも三江線・可部線の紹介がされていましたね。所木駅入口の可愛らしい看板、撤去されてなくてほっこりしました(^^)
所木駅の案内板が廃線後も残っていて嬉しくなりましたね~
三江線跡全駅達成お疲れ様です。わずか3年で草木が生い茂る自然の力には驚かされるばかりですね。
余談になりますが、ひろりんさんのアイコンのおかげでまちカドまぞくを知りました。ニコニコ動画で一気見しましたがとても面白かったです(一言で言い表せません)。2丁目を楽しみにしています!
たった数年でこんなに変わるもんなんですね…
私もまちカドまぞく2丁目は楽しみにしています!
アイコンは近々変更する予定でいます…
@@hiroring0323 そうなんですね。新アイコンも楽しみにしてます!
三次駅はどうか廃止になりませんように。
三江線の旅、お疲れ様でした。味のある路線でしたね。廃線になっても地元の方により駅や路線跡が大切に保存されていることが凄く印象に残りました。鉄路が通っていた事にプライドがあったということですね!胸が熱くなりました。
地元の方に愛されていた路線でしたね。
三江線、廃線の2018年の5月に全駅巡りました懐かしくおもいだしました
長谷駅はホーム上にバラストで「ありがとう三江線」と書いてあったのを思い出しましたww
まだ廃線ホヤホヤだったのでホームで待ってればいつか列車がきそうな雰囲気でした。あれから3年…人の手が入らないとあっという間にあんな風になっちゃうんですね…😭
三次駅の三江線の108キロ記念碑はご覧になられました?
僕が訪れた時はその除幕式が丁度やってて
カメラ持ってたから報道陣と間違われたのはいい思い出ですww
長谷駅の秘境駅感が凄いですね。駅前には雄大な江の川の川面の展望のみという。現役時代の
雪化粧された一枚の方が夏草に埋もれた現在より秘境感があるのはやはり現役駅特有の何かで
しょうか?量産型無人駅が多い路線ですがそれぞれの駅跡に今と昔の物語があり全く飽きずに
視聴出来ました。現在と過去の対比を紹介して貰い本当に有り難うございます(猫さんが何処か
で出てくると思っていたのはここだけの秘密ですw)
三江線では猫さんにお会い出来ませんでした…
芸備線ではお会い出来たんですが…
香淀~式敷間の車窓が、日本昔話に出てくるような感じがして好きでした。
三江線の旅お疲れ様でした。改めて素晴らしい沿線だったと思います。
本当に素晴らしい景色の路線でしたね。
お疲れ様でした!
ひろりんさんは三江線の駅跡の中で何が好きですか?
三江線の駅跡だと川平、川戸、浜原、宇都井、口羽、式敷、長谷、尾関山が好きですね~(多い…)
区間毎に変化に富んだ魅力的な路線だったんですね…とても見応えがありました。
この辺りは、ひろりんさんならではの観せ方の旨さもありますね…
尾関山駅跡とハチロクの展示保存は中々のものですね。
なんとなく南部縦貫鉄道レールバスの動態保存を行なっている、有志の皆さんを想起しました…長編三部作、おつかれさまでした。
長大路線だっただけに三江北線、三江南線、その二つを繋いだ区間で全く性格の異なる路線でした。こんなローカル線はもう無いかも知れませんね。
ひろりんさんと伊藤達哉さんへ
今日3月20日の午前11時台に、あなた方の遣り取られを拝読しました。
この三江線の跡を全て回られたひろりんさんや視聴されてきた伊藤さんにとり、この路線に見るローカル線の在り方等諸々を知り考えさせられた事と察します。
♪愛する人の瞳(め)に
愛する人の瞳に
俺の山河(さんが)は
美しいかと。美しいかと。
(五木ひろしさん歌唱「山河」の1番のサビから)
三江線の北線は大半が江の川の中・下流に沿う山間を縫い、南線は江の川の上流を経て三次市内から開けるという景観を持つと知り性格が異なると仰られるひろりんさんの御指摘も頷けましたね。私が山河のサビをここに引用した訳は、三江線が総じて江の「川」と我が国の特性たる「山」地に沿い時に半ば強いて切り拓かれ南北を繋いだという線形と経緯を代弁している気がしたからです。
春先故に気温差が大きい日もありますが、健康管理に留意され過ごされますように。
長谷駅は意外に立派な待合室ですね。
所木駅の案内板に「旧」の文字が足されてかわいいです。
三江線四部作お疲れ様でした。
中国地方の尾根道は、住民が少なく維持するのも大変なんでしょうね。
外野から言わせてもらえば、公共交通機関と言えども利用し辛ければ利用客は他の手段を考え利用するってこと。
人が居ないところを走る線の維持管理を押し付けられたJR西日本も大変だろうけど、いろいろ考えて頂きたいです。
営利企業であると同時に公共交通機関なんですから。
動画ありがとうございました。
三江線の駅跡、三次市内は一部を除いてしっかり保存されてますね🍀
まあ、雑草の勢いは相変わらずだけど^^;
芸備線も三次以東は存続に黄信号が灯ってるけど(福塩線の塩町~府中も)なんとか踏ん張ってほしいですね☺️
芸備線、福塩線、木次線はどうなるんでしょうね…
ひろりんさんへ
今日3月19日の22時台に、拝見しました。三江線の跡を全て回られた今回のあなたの旅で、長谷駅の秘境ぶり・交換可能だった式敷と口羽・簡素な作りの香淀等と多種多様な駅の構造や利用者の極端な少なさからローカル線の在り方を考えさせられた思いですね。JR九州では、今回のダイヤ改正(改悪が否めぬ印象が)で無人駅の追加や列車内の座席の削減等をされたそうで不評の声が上がりつつあるようです。ひろりんさんを労い、健康であられますよう私達は祈る所存です。余談ですが、私は最近江戸川区に在る地下鉄博物館等に足を運びその歴史等に関わる展示を見る事にはまっています。Suさんらが触れられた「ガチャ(カプセル入りアイテムの自動販売機)」は、地元のJR柏駅東口の改札を入った構内にも並んでいますよ。名所の建物のミニチュア等多彩です。
ひろりんご苦労さん!
あと20年も経ったらほとんどが跡形もなく消え失せると思うが、いずれ来るその時のためにもこの動画は残してくれ。
しかし、この、静止画像の連続による描写ってのは「もうあの時代は二度と戻ってこない・・・」というのを痛切に心に訴える手法だ。
段々ネタも無くなってきてるだろうがひろりんの廃線跡シリーズは本当に後世に残したい作品だよ。
ありがとうございます!
まだどの駅も遺構が残っていますが、国鉄時代に廃止になった路線のようにいずれは跡形も無くなる場所も…
長谷駅って1日2.5往復しか止まらないけど、あの様子を見たら納得しました
利用客が少ないしから小型のキハ120で十分
それに三次駅も最早救いようがない大赤字の芸備線にあるからいつ廃止されてもおかしくないし
それに中国山脈を貫く路線は伯備線以外は赤字だらけ廃止に向けた協議がいつはじまってもおかしくない
状況だと思います。
この区間の駅の1日の利用客は1人から十数人程度でしたからね…
ここもいつかは取り壊されてしまうと思うと寂しいよね。
そうですね…
尾関山駅は三次駅に近く、20分弱でたどり着けるため、始発の三次発列車で宇津井駅へ行き、一定駅と周辺を散策した後、一旦三次へ戻るときにこの駅で下車。歩いて三次駅へ向かっても次の三次発列車に余裕で間に合うという行程が組め、単に通過でない三江線探索が可能でした。なお始発の三次発は口羽での交換待ちの際一定時間停車するため、口羽駅の散策も可能でした。また尾関山は利用客が少ないものの、三次行列車からの下車客で三次駅へ向かう乗り鉄客を当て込んんだのかタクシーが駅前に停まっており、誰も利用しないのを見て走り去って行きました。
三次⇔尾関山の高架橋はまだ残っているのでしょうか?大きい道路の上だけ撤去されてたりしてますか?
それとも今でも線路は敷いたままで手付かず?
昨年夏に訪問した時は手付かずでしたね。
尾関山駅、保存会のイベントがある時にみたいと思いました。
SLもホームも綺麗にされている事を嬉しく思います。
三次駅の芸備線、日中の2.3時間おきの本数が今後気になります。
今回の三江線の取材は、何日ぐらいかかりましたか?
どの回も見応え満点でした!
ありがとうございます!
三江線の取材は1日半くらいですね。4泊で三江線、今福線(未成線)、可部線(廃止区間)、芸備線(三次以東)、木次線を巡りました。
思いのほか短期間で取材されていてビックリ。
次回の動画も楽しみにしています。
@@香かおり-v6x
仕事の休みが少ないので、いつも行程はカツカツですね~
汽車通学を余儀なくされた子供達のために開業した長谷駅の待合室は、当時の先生達や親達の手作りだと聞きました。だから駅の扱いの割に立派なのかもしれません。
そうだったんですね~
三次駅の電光掲示板、どの方向も死屍累々に見える……(3つある時が特に)
三江線って廃止になっても大部分はまだ撤去されてないけど撤去にも相当金がかかるのだろうか
お金は相当かかるでしょうね…
取材と撮影、投稿お疲れ様でした
まだ駅の形を残していたり、自然に還りつつあったりと千差万別ですね
このエリアは人の営みを感じつつも駅が次第に消えていくという感じで、自然のダイナミズムを感じる川本以北・ロマンを感じさせる新線区間と比べても、より寂しさを感じますね…
芸備線は落合近辺のみならず、庄原や果ては狩留家から三次でも安泰ではないと言われていたりもして、何とか頑張って貰いたいものです
三次の駅前は綺麗になり、町も賑やかなだけに…
三江線の廃線跡シリーズ4作お疲れ様でした‼️☺️集落が少ないと利用客も流石にいないですね!😭時代の流れでしょうか?✨
これも時代の流れですね…
@@hiroring0323 廃線跡を思うと寂しいもありますし、古い駅舎を見るだけでも癒しになります⁉️😁
作木口駅だけ珍しく踏切設備が残っているのが印象的
最近になって三次のα-1の小さな二つの橋梁が撤去されてしまって残念です
全体を通して、交換可能な駅がめちゃめちゃ少ないですね
需要がなさすぎたんですかね…
100キロ超えの路線としては交換可能な駅が少なかったですね。
交換設備を撤去しまくった北線はともかく、南線と新線区間は開業時から少なかったですから…
三次からの無駄に立派な高架橋が取り残されてるを見ると複雑な気持ちになります
そうなんですよね…
あの立派な高架橋が…
仮乗降場やった長谷駅の待合室が一番立派とはw
しかも何となく昔の路面電車を思い出させる感が良きすね♪
今回から『躊躇』の使い方、変えましたね。
きっとひろりんさん的には、躊躇するくらいの方がワクワクするんでは?w
取り敢えず長大編集、お疲れ様でした\(^o^)/
長谷駅は立派な待合室の元仮乗降場でしたね。
私は躊躇するくらいが丁度いいかもですw
尾関山駅の窓口の板外されたのか…
個人的には板塞ぎ否定派なのでこれは嬉しい。
私も板塞ぎは好きでは無いので、これは嬉しいですね~
尾関山駅の出札窓口は、いつ頃まで開いていたのでしょうか?
無人駅になったのは国鉄末期で、それまでは駅員もいて硬券入場券も売られていましたが、それ以降2010年まで駅前商店で簡易委託の乗車券が売られていたそうです。自分は車窓から眺めてスルーしただけ(降りたらそのあと数時間待ち)だったので、平成時代の駅舎改札の様子は知りません。
作木口は島根県に設けられた広島県へのアクセスのための駅で、県を越えた広大な使命をもって開設された駅でした。もっとも開設当時は両県の基礎自治体同士は共に村でしたが・・
7:37の風景はとても感動しました。これから夜の闇の中へと行くようにと思ってしまいました。尾関山駅は鉄道発見伝という番組でも取り上げられていました。ハチロクが三江線を走っていたとなると凄い景色が広がってたんだろうと心にぐんときました!ところでひろりんさんは現存している鉄道会社でどこが好きでしょうか?僕は阪急ですね~
特に好きな鉄道会社は無いですが、敢えて言うならみんな好きです!
@@hiroring0323さん質問に答えて頂きありがとうございます☺️なるほど全部ですか!!凄い鉄道愛がつたわってきます!
@@Shinkaisoku8304
好きな鉄道会社は選べないですね~
明けて今日,三次駅に行く予定なので,三次駅の変化はちょっとびっくりでした。窓口が閉鎖なんですね。(>_<)
長谷駅は元々,地域にあった小学校が閉校になる際に,市内の学校に通えるようにと,三次市教育委員会がお金を出して設置した仮乗降場だったそうですね。しかし晩年は,小学生はいなくなり,地域の高齢者の方の通院の足だったどのことでした。
また式敷駅の待合室は,夜に行くと電気がつかなかったので,真っ暗な中三脚を準備して,過日Twitterにお送りしたような写真を撮影したものでした。
改めてみると,三江線はそもそも線形の悪さや江川の反対側に集落があるなど,条件が悪すぎたなぁと思いましたね。(もちろん現役時代からそう感じておりましたが…)とはいえ,沿線の更なる高齢化を考えた時,残すための方策は何かなかったのかと,やはり考えてしまいます。
三江線廃止一年後に,川本町の方(地域の活性化とかをやっている団体の方だったと記憶しています)が新聞取材に応じていた時のコメント(主旨ですが)「鉄道はなくても大丈夫だと思っていたけど,実は地域にとってとても大切な存在なのだと気付いた。しかし気付いたのが遅すぎて,色々働きかけたが廃止されてしまった。今まだ鉄道がある地域の人は,川本町のような失敗をしてほしくない」を見た時,多くの方(特に北海道かな?)に読んでほしいと思いました。そして何より,国鉄分割民営化の時に「これ以上のローカル線廃止はありません」と当時の与党は公約しておいて,実際は大嘘をついたということを,私たち鉄道大好き人間は忘れてはいけないなぁと強く感じます。
作木口駅の「200円ガチャ訪問証明書」って、他の駅にもあるんですかね?
宇都井、伊賀和志、口羽、作木口にありました。
@@hiroring0323 まーた「マイナーすぎる駅」に設置されているところがシブいですね。
それ目当てで、久しぶりに行ってみたくなりました。盗難とか大丈夫なのかな…。
@@Su----
駅跡でなく近隣施設に置いてある場合もあるので、他にも設置されている可能性も…
木次線も危ない気がする。
木次線も危なそうですね…
一個目!
1コメありがとうございます!
いつか復活。
寂しすぎ
ひろりん最高
ありがとうございます!
宇都井駅跡、口羽駅跡や尾関山駅跡のように遺構を綺麗に保存してくれればいいのですがそのうち跡形もなく撤去される駅跡も出てくるのでしょうね・・・
所木駅跡の案内看板は味があっていいですね。
既に待合室や駅舎が撤去されている駅跡は、数年したら跡形も無くなっていそうですね…