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武士道さんの解説が一番しっくりきます。これはこうだ‼️と確定せず多面的に考察する姿勢はいつも尊敬してます‼️
ありがとうございます!
好きな事とはいえ、とても勉強熱心で頭が下がります!
気になった事はすぐ調べる姿勢、凄いです。
最新の研究含め本当にわかりやすかったですし、納得のいく解説でした!ドラマは“義”だけで押し通すのか見ものですね
参考文献を載せていただき感謝します。武士道さんが紹介してくださった参考文献をよくアマゾンで買って読んでいます。ここに掲載されている参考文献は2つとも読みました。武士道さんのおかげです。がんばれ、ミスター・武士道!!!
この動画にかける先生の熱意を観れば、好きな物に情熱を傾けられる事の素晴らしさを改めて感じる。私も自分の仕事に明日からも精一杯やってやろう☺️
僕たちの知っていた歴史は、小説もどきを根拠にしていたんですね。日本史研究は、まだまだということなんですねえ。
僕の地元中の地元なので、非常にありがたく拝見させていただきました。
武士道さんの考察に賛同します❕専門的な解説、とても面白いです。私みたいに物語り目線の人間には、とても勉強になりますよ😊
浅井家は織田、朝倉両属説ありますけど永禄三年六角義弼が義賢に無断で一色と結んで、六角朝倉織田の同盟関係が崩れて義賢が重臣に怒りの書状を出していたのが7月21日で浅井長政が反旗を翻した野良田の戦いが、その後すぐの8月中旬に起こっている事を考えると永禄年間に六角、朝倉両属状態だったかも知れませんね。三家が全て(織田、朝倉、六角)浅井は自分の家臣だと誤認させていたとしたら中々の腹芸使いですよね。真田昌幸を彷彿させる感ありますね
しっかり調べて解説をしてくれるブシドーさんには好印象を持ちます。戦国時代は、同盟関係を結んでいることは表立って表明するものでは無かったのでしょうか?戦略的に表明する場合、その逆もあり?金ヶ崎は織田陣営の情報収集不足という一面もあるのかなとも思います。
いつもながらわかり易い解説勉強になります。滅亡した家は、記録に残りにくいし、生き残った家は、都合の良い様に書くし歴史研究本当に難しいですね(ᵔᴥᵔ)
昔習ったこと、今までの通説で知識として覚えてた事が実は…ってなる事が多く、大変ですね…
どうする家康は観てないけど、解説面白くて、かつ誠実で本当に好きです。
2話ぐらいまで?って感じやったけど最近オモロくなってきた感じする。
浅井家って歴史のメインストーリーに出てくる割に分かってないこと多いよね長政が父の久政にクーデター起こして後を継いだっていうのも、その後もふつうに久政が隠居していないあたり、ホンマかどうか・・
家臣団が当主を引きずり下ろす事もある中国探題の大内氏も家臣のクーデターで衰退して毛利氏に取って代わられたり
沢山の資料を網羅したいでしょうが、限られた中で、分かり易い解説有難うございます🙏。武士道様の見解も伺えて良かったですし、コメントもとても勉強になります🤓。浅井家は生き延びる為、各勢力と色々なやり取りをしてるんですね。朝倉氏の動向がかなり重要だと思いました。朝倉も各勢力同士が戦い、削り合ってくれれば自身の領土は無事だと考えていたかも知れないですね。ノブナガも浅井朝倉に繋がりがあったとしても、妹を娶らせ厚遇したから当然此方に付くだろうと思ってたから裏切られて激怒したんでしょうね。ドラマの岡田厨二魔王ノブナガの繊細さよ(泣くし😮)。ココロのゆとりは大事ですね。沢山寝て好きなモノ食べて🍜、リフレッシュして下さい🍵🧘。
婚姻や従属は対外的に公表することに意味がありますが、対等な同盟は秘密の方がいい場合があるから信長が知らなかったという可能性は普通にありますね。浅井長政の気持ちになって考えると、近江一国完全支配を狙っていた所同盟相手の信長に六角領取られてしまったのだから心中穏やかではなかったはず。そこに、同盟相手の朝倉家を攻めますとなったら従属先を変えて信長を打てば六角領を取れるじゃないかと考えたのではないでしょうか?
浅井・朝倉同盟は確かにあれ?って思うことがありますね。姉川の戦いでも同盟があるなら義景本人が長政と共に仕切るはずですし、時の将軍足利義昭を保護して有利に進めるはずですよね。
いつも目から鱗が落ちる解説ありがとうございます。読んでてふと思ったのですが、浅井と朝倉の関係が深ければ、信長は長政に朝倉に対して幕府に従属するように交渉をさせていたのではないだろうか?それが朝倉討伐との結果になって長政の面子が丸つぶれになったのでは、ないだろうか?織田と朝倉両方からの評価が下がったうえで今なら信長を討てるとの状況判断が、長政にあったのでは。そんな気がします。
「信長は長政に朝倉に対して幕府に従属」とはどういうことですか?「に」が多過ぎて意味不明ですが。
@@masanobuokuda5837確かに読点ないと読みづらいけど、さすがに読解力なくて草
金ケ崎以前の浅井·朝倉の関係は軍事同盟みたいな関係では無いかもしれへんけど、北陸と畿内を結ぶ利害関係はズブズブなんよね。
織田信長からすれば、妹を与えて婚姻関係を結んでいるし、六角攻めのときには共に戦ってくれてたから、とても信頼できる義理の弟みたいな感じだったんだと思う頑張って将軍に据えた足利義昭、背いても許した松永久秀(最近は織田家ではなく三好家の忠臣だった説あり)、そして明智光秀と織田信長は人を信じすぎるきらいがあるようにも見えます
信長は相手の交友関係(敵対関係)に若干無頓着だったという印象があります。それまで誼を通じていた相手の利に反する行為を軽率に行った結果、敵対したという話が多い人物だと思います。なので、信長は長政を親族の家臣、一門衆と認識していた割には身辺や交友関係は知らなかったか軽視していたんでしょうね。
浅井亮政かっこいい👍毛利家まで信長の話が伝わってたんだ
福井県のロケ動画出して欲しいです!
こうなると長政が裏切った理由が余計にわからなくなるな。ある意味、光秀の裏切りより謎だな。
福岡県に朝倉地区があります。浅井、朝倉の残党が逃れた場所と言われてます。
甘木市の歴史民俗資料館にありますよ
祖父、父親迄対立してたので、長政の時代には、良好手段を結んだのでは❓あくまでも、ワシの見解です❗️いつも、ミスター武士道さん、視聴しています!
ミスターブシドー最高だヨ〜❗️
若狭攻めは天皇の勅命と将軍の上意を得ての侵攻のはず。その上での浅井長政の裏切りは別の御旗となる人物がいるか、実は相当なならず者であるか。長政の見方も変えないと難しいような気もする。
北近江の城や砦が全部南からの敵に備えていて、北からの備えになってないらしいので、浅井がかなり前から朝倉に従属していたんじゃないないですかね?
北陸街道は通年雪に埋もれて通行が困難やからあまり北からの備えは考えていない状況やないかなぁ?後年の羽柴×柴田の槍ヶ崎ドンパチでも雪に泣かされた柴田勝家が証明しとる
他の方もコメントされてますが(婚姻すら伴わない)従属関係を同盟と呼ぶのはちょっと言い過ぎかもしれませんね信長からしてみたら将軍号令による戦争なのに自家と婚姻関係まで結んでた浅井家が私的な従属関係を理由に裏切るなんて思いもしなかったんだと思います対して長政的には長く六角氏と争ってた事から(特に南近江に対する)領土的な野心が強かったのかもしれません信長と共にいる限り絶対南近江は手に入らないですからね
あの二大名は同盟こそないものの互いに助け合って信頼してたから当主がどうでも家の存亡を共にしたんですね...
浅井家を戦国大名と考えるから裏切ったと思ってしまうんだと思いますね 力がないから大名に支援を受けて北近江に支配出来たじゃないのかな?それが朝倉と織田両家から受けていただけであってどっちについても裏切りではないように思います 浅井を持ち上げすぎ〜
登録者数、ジリジリ増えてますね!
信長が長政を家来と認識しているのなら、なぜ朝倉攻めの際、浅井に兵をださせなかったのでしょうか。同盟関係の家康はきていたのに・・・むずかしいですね。
寧々さん宛の「のぶさんの某メール」では、相手を気遣う文面が添えられており、そんな心遣いができる人が、より丁重に扱うべき対外関係を認識していなかったという事は無いと考える。まぁ、そんな事は「歴史的な観点」から言えばどうでもよくて、端的に「浅井家・朝倉家と織田家は敵対関係にあった。(細かいことは知らん)」だけでいいとは思うのだが。
朝倉と浅井の親密な同盟関係を信長が知らなかったということですが、朝倉にも関係があるとされる明智光秀も知らなくて助言ができなかったということでしょうか?(明智光秀と朝倉の関係性がなかったとも言えますが)
六角氏を討伐しようとして失敗した。若くて亡くなってしまった九代将軍足利義尚を思い出す
長政の次女が京極家に嫁いでるのはすごいな
朝倉家にいた光秀が近くにいながら浅井朝倉の関係が解らなかったと言うのはおかしい気がする。やっぱり金ヶ崎直前に信長に反旗を翻したのでは?
光秀が朝倉家にいたって言っても元々の家臣団とは比べられないよ実際今で言うたら正社員と非常勤(バイト·パート)ぐらいの立ち位置斎藤家の御家騒動で負けて落人の光秀に朝倉家の家臣団の椅子は無い。
浅井・朝倉は通常同盟関係には絶対つきものである婚姻が全くないんですよね。浅井朝倉同盟説を支持しようとする側はそこが弱いです。他に同盟を示唆するものはちょくちょく出ては来るんですけどね。
親交はあったが同盟関係じゃないと思いますよ、この当時の同盟は必ず婚姻関係や人質の交換とかの物理的形式を取ります、有名なのは甲相駿三国同盟ですがお互いに婚姻関係を結びました、越相同盟の時は氏康が謙信へ人質を出しました(後の上杉景虎)。親交がある程度でしたら信長は気にしないでしょう。
自分の考察ですが。信長の思考として、市が嫁に行った=義弟=一門衆=家来=裏切るハズがない。という結論に至るのかと。この場合、朝倉と同盟していようと関係無い訳です。だって一門衆なんだから。信康と五徳の結婚=家康は一門衆=以下略。と全く同じ図式で、だからこそ家康は「上様」という表現をしているのでは?
信長が浅井朝倉の同盟を認知していなかった説は、なるほどと思いました。後年ですが、徳川家康は豊臣秀吉に臣従すると、秀吉の命令で家康が北条氏と豊臣政権の仲介窓口を務めています。信長が浅井に朝倉との仲介窓口を命じた話はないので、浅井朝倉の関係を信長は認知していなかったかもしれないです。浅井が寝返った理由はドラマだと義だとか言ってますが、浅井には信長を討ち取れば近江一国を手に入れられるという野心もあったと思いますね。あの金ヶ崎の挟撃は、信長を一戦で一気に討ち取りたいという浅井の本気を感じます。本当に浅井が信長の朝倉征伐を止めたいだけなら、信長の出陣前に仲介を申し出るはずですが、それがありません。
自分の推理では信長は淺井と朝倉の同盟を知っていたと思うのね だから当初は「若狭の武藤を成敗する」という名目で進軍して本当の目的を隠していたわけですよ 浅井に知られないように でも金ヶ崎に織田がきたと知った浅井は「これはもしや朝倉を攻めるつもりでは」と気づき急遽盟約をはたすことを思い立った浅井長政が織田を攻めたのでは と推理する
信長が、朝倉義景を討つことだけに集中していたあまり、浅井長政が朝倉と関係を持っていたと知っていたのだが❗義理の弟だからということで、敢えて無視をした❗とは、考えられないでしょうかね〜信長の驕り〜だと、、思ってしまいました😢
あんまり大河ドラマで京極や六角のやらないね😅
視聴率取れない
六角は前から名前ばかりよく聞くので私は気になっておりますが、何か良い本人や動画はありますでしょうか?
そういえばたねはどうなったんですかね
浅井長政はなんで六角から独立したんですかねーもとから裏切るのが戦略的にあったんですかね??裏切る基準がよくわからないんですよねあと織田信長との同盟はお市の方を嫁がせたことが同盟という認識でいいんですかね???考察の織田信長リサーチ不足はおもしろいですねーー自分の妹を嫁がせるならこの時代、相手の身辺調査きびしくやってそうなのに
御屋形様呼びは必ずしも臣従の証ではないと思います。御屋形様というのは「屋形号」を許された格式の高い武家に対する敬称であって、関東八屋形は家臣以外からも御屋形様という敬称で外部から呼ばれていた書状もありますので、御屋形様と呼んだから主従関係にあると断定するのは難しいのかなとは思います。
越前は足利連枝の鞍谷公方が御所持ってて、さらに実態は朝倉の傀儡だったうえに、義景は足利公方家の外戚だったから屋形号を許されていた可能性は高いかな。実際のところはどうなんだろうか
長政(隣同士やし同盟結んでることぐらい言わんでもわかるやろ…)
th-cam.com/video/wLHgETiSQu0/w-d-xo.htmlsi=zvyIgA7Gp5fQPtrXなぜ 裏切った か? に ついて の 考察動画です。私の考え でも、近江の高島〜朽木のあたり には 足利将軍家 直属の 奉公衆の 一族が 何軒も あった。また、小谷城には 京極丸というのが 本丸の すぐ 近くに あり、そのあいだには 空堀と 木の橋が あって、両者の微妙な関係を表しているように思います。
江戸の軍記物は信ぴょう性低いですよね今の歴史小説家もこの軍記物をベースにしてたり歴史ゲームもしかりで、へんな意識付けついちゃって困ります
人質を取ってないからお付き合いはあったかもしれないけど同盟や従属関係はなかったのかなと思う
市がいなかったら対信長のために朝倉から言われた可能性もあるかなと思ったけどやはり信長につきたい長政と朝倉につきたい久政の関係性が悪く 久政恩顧の家臣達が裏切りそうになったから朝倉側についた説がありそうですかね~?
私は同盟は無かったかなと思ってます。当時の同盟は人質交換や起請文など何かしら記録が残るはずなのに何もない、あと信長だけならまだしも幕府軍全体がそれを認識せず、背後を気にせず攻めるとは考えにくい。越前に滞在してた明智らも参戦してるし。ただ浅井家の越前方面の防衛施設は少なく友好関係を持っていた可能性は十分あると思う。
阿月はあんなに足早かったの?
不特定多数の大人数で移動はかなり時間がかかる行動やし。(`=ω=)/ 便所 (`-ω-)/ 水 (`·ω·)/ 飯どっかしら足が止まるはず 団体行動
近江がよくわからん 誰が知事で、誰が市長みたいな人なん? ちょっと兵持ってりゃ全部が大名扱いって分からないよ。
近江=滋賀県の利権はデカいよ。山城=王都京都の米蔵·水瓶やから侍と兵士たちは平時の仕事が警察·消防·揉め事の仲裁と役場みたいな職務内容やから殿様は大名なんよ。盗賊や山賊やわけわからん輩がハバ効かせている土地に住める?
浅井さん、朝倉さんとは仲良しだったと歴史の、本やドラマではそうだったみたいよ、でも、朝倉さんと浅井さんとは同盟じゃあなかったのかな?初耳です、
いきなり臣従するのは不自然だと言うけど信長に攻められるという危急存亡の一大事の中での話だからより結束を深めるという意味で臣従という形を取るのは不自然と思わないな
日本の歴史研究の問題点は、有名な歴史研究家の先生が新たな歴史見解を出すと、それが本当に正しいのか考察もせずに、信じ切ってしまうところにある。日本の風潮として、名のある先生の言うコトなんだから正しいとなってしまうが、それは間違い。本当に正しいかどうかを、大勢の専門家を交えて議論する必要があるにも関わらず、日本の歴史研究はそれを怠っている。新説が出る度に、話題欲しさに飛びつく輩(出版社・マスコミ・ユーチューバー)が多いから、こうなってしまう。新説の方が、歴史著書は売れるし、ユーチューバーも数字を稼げるでしょう?研究したけど、旧来の説の通りでした……は、金にならないからね。中国などは、曹操の墓が発見されたときには、DNA鑑定まで行って、誰が血の濃い子孫なのかまで付き止めている。日本も、新説が出た途端に飛びつくのではなく、じっくりと新説が正しいか検証をした上で、語って欲しい。そうじゃなきゃ、歴史小説や軍記物となんら変わりないですよ?
日本の歴史研究の問題点とか言ってるけど、学会の事何も知らないの丸わかりですねw金儲け批判も、実際歴史の書籍がどれくらい売れてどれくらいの収入になっているのかの実態も知らないで、安易に金儲け批判しててしょーもないwこういう自分の愚かさも省みずに、人のやってる事に安易なレッテル貼りしてる人はどの界隈でも邪魔者なんだよね。大した知識もなく、つける努力もせず、自分より秀でた事をする人間をペラッペラの一般論で貶めようとする…本当しょーもなw
シエの歴史考証を担当したと聞くと胡散臭くなるなぁ
んわ
とくに黒田氏は、現在発見されていないコトを、正しいに書き換えている節が見受けられる。長い歴史の中で、火災や戦果などで失われた1次資料も、たくさんあるのは明確だ。価値のわからない子孫が、捨ててしまった手紙などもあるだろう。昔の歴史家は見れていた1次資料で、現在は失われてしまった資料も山のようにある。現在発見されていないコトは、それ以上でもそれ以下でもない。わかり易い例として、真田幸村の正しい名は信繁とされるが……。武田が滅んでいた人質時代以降も、武田に通じる名を延々と使い続けたのか?真田の通字である幸の入った、幸村に変えたと言うのは、当然考えられる。今では失われてしまった、幸村に変えた資料を見た人間が、幸村として軍記物を書いた可能性もあるワケ。武田家臣の秋山信友も、黒田氏は虎繁が正しいとされるが、追放した信虎の編諱を、信玄時代にも使い続けるモノだろうか?書状に書かれたのが虎繁だったとしても、大名ならまだしも、家臣までもがころころ替えた名前を書状にしたためるのは、混乱を招くから元の名を使い続けた可能性もある。1次資料が見つかっていないからと言って、幸村と呼ばれていなかったとはならない。あくまで発見されていない(現在までに失われた)だけで、発見されていないから今までの名は間違いだと決めつけるのは、あまりにも横暴なのだが。目先の数字が欲しい人に、言っても無駄か。
こっちのコメントも相当酷いなw見つかってない史料の可能性言い出したら妄想と変わらないじゃんw結局自分の知ってる歴史の話を覆されたくないだけでしょ。それこそが一番の横暴だよ。
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浅井長政の気持ちになって考えると、近江一国完全支配を狙っていた所同盟相手の信長に六角領取られてしまったのだから心中穏やかではなかったはず。そこに、同盟相手の朝倉家を攻めますとなったら従属先を変えて信長を打てば六角領を取れるじゃないかと考えたのではないでしょうか?
浅井・朝倉同盟は確かにあれ?って思うことがありますね。
姉川の戦いでも同盟があるなら義景本人が長政と共に仕切るはずですし、時の将軍足利義昭を保護して有利に進めるはずですよね。
いつも目から鱗が落ちる解説ありがとうございます。読んでてふと思ったのですが、浅井と朝倉の関係が深ければ、信長は長政に朝倉に対して幕府に従属するように交渉をさせていたのではないだろうか?それが朝倉討伐との結果になって長政の面子が丸つぶれになったのでは、ないだろうか?織田と朝倉両方からの評価が下がったうえで今なら信長を討てるとの状況判断が、長政にあったのでは。そんな気がします。
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その上での浅井長政の裏切りは
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信長が長政を家来と認識しているのなら、なぜ朝倉攻めの際、浅井に兵をださせなかったのでしょうか。同盟関係の家康はきていたのに・・・むずかしいですね。
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まぁ、そんな事は「歴史的な観点」から言えばどうでもよくて、端的に「浅井家・朝倉家と織田家は敵対関係にあった。(細かいことは知らん)」だけでいいとは思うのだが。
朝倉と浅井の親密な同盟関係を信長が知らなかったということですが、朝倉にも関係があるとされる明智光秀も知らなくて助言ができなかったということでしょうか?(明智光秀と朝倉の関係性がなかったとも言えますが)
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今で言うたら正社員と非常勤(バイト·パート)ぐらいの立ち位置
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浅井・朝倉は通常同盟関係には絶対つきものである婚姻が全くないんですよね。浅井朝倉同盟説を支持しようとする側はそこが弱いです。他に同盟を示唆するものはちょくちょく出ては来るんですけどね。
親交はあったが同盟関係じゃないと思いますよ、この当時の同盟は必ず婚姻関係や人質の交換とかの物理的形式を取ります、有名なのは甲相駿三国同盟ですがお互いに婚姻関係を結びました、越相同盟の時は氏康が謙信へ人質を出しました(後の上杉景虎)。
親交がある程度でしたら信長は気にしないでしょう。
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浅井が寝返った理由はドラマだと義だとか言ってますが、浅井には信長を討ち取れば近江一国を手に入れられるという野心もあったと思いますね。あの金ヶ崎の挟撃は、信長を一戦で一気に討ち取りたいという浅井の本気を感じます。本当に浅井が信長の朝倉征伐を止めたいだけなら、信長の出陣前に仲介を申し出るはずですが、それがありません。
自分の推理では信長は淺井と朝倉の同盟を知っていたと思うのね だから当初は「若狭の武藤を成敗する」という名目で進軍して本当の目的を隠していたわけですよ 浅井に知られないように でも金ヶ崎に織田がきたと知った浅井は「これはもしや朝倉を攻めるつもりでは」と気づき急遽盟約をはたすことを思い立った浅井長政が織田を攻めたのでは と推理する
信長が、朝倉義景を討つことだけに集中していたあまり、浅井長政が朝倉と関係を持っていたと知っていたのだが❗義理の弟だからということで、敢えて無視をした❗とは、考えられないでしょうかね〜信長の驕り〜だと、、思ってしまいました😢
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そういえばたねはどうなったんですかね
浅井長政はなんで六角から独立したんですかねーもとから裏切るのが戦略的にあったんですかね??
裏切る基準がよくわからないんですよね
あと織田信長との同盟はお市の方を嫁がせたことが同盟という認識でいいんですかね???
考察の織田信長リサーチ不足はおもしろいですねーー自分の妹を嫁がせるならこの時代、相手の身辺調査きびしくやってそうなのに
御屋形様呼びは必ずしも臣従の証ではないと思います。
御屋形様というのは「屋形号」を許された格式の高い武家に対する敬称であって、関東八屋形は家臣以外からも御屋形様という敬称で外部から呼ばれていた書状もありますので、御屋形様と呼んだから主従関係にあると断定するのは難しいのかなとは思います。
越前は足利連枝の鞍谷公方が御所持ってて、さらに実態は朝倉の傀儡だったうえに、義景は足利公方家の外戚だったから屋形号を許されていた可能性は高いかな。実際のところはどうなんだろうか
長政(隣同士やし同盟結んでることぐらい言わんでもわかるやろ…)
th-cam.com/video/wLHgETiSQu0/w-d-xo.htmlsi=zvyIgA7Gp5fQPtrXなぜ 裏切った か? に ついて の 考察動画です。
私の考え でも、近江の高島〜朽木のあたり には 足利将軍家 直属の 奉公衆の 一族が 何軒も あった。また、小谷城には 京極丸というのが 本丸の すぐ 近くに あり、そのあいだには 空堀と 木の橋が あって、両者の微妙な関係を表しているように思います。
江戸の軍記物は信ぴょう性低いですよね
今の歴史小説家もこの軍記物をベースにしてたり
歴史ゲームもしかりで、へんな意識付けついちゃって困ります
人質を取ってないからお付き合いはあったかもしれないけど
同盟や従属関係はなかったのかなと思う
市がいなかったら対信長のために朝倉から言われた可能性もあるかなと思ったけど
やはり信長につきたい長政と朝倉につきたい久政の関係性が悪く
久政恩顧の家臣達が裏切りそうになったから朝倉側についた説がありそうですかね~?
私は同盟は無かったかなと思ってます。当時の同盟は人質交換や起請文など何かしら記録が残るはずなのに何もない、あと信長だけならまだしも幕府軍全体がそれを認識せず、背後を気にせず攻めるとは考えにくい。越前に滞在してた明智らも参戦してるし。ただ浅井家の越前方面の防衛施設は少なく友好関係を持っていた可能性は十分あると思う。
阿月はあんなに足早かったの?
不特定多数の大人数で移動はかなり時間がかかる行動やし。
(`=ω=)/ 便所 (`-ω-)/ 水 (`·ω·)/ 飯
どっかしら足が止まるはず 団体行動
近江がよくわからん 誰が知事で、誰が市長みたいな人なん? ちょっと兵持ってりゃ全部が大名扱いって分からないよ。
近江=滋賀県の利権はデカいよ。
山城=王都京都の米蔵·水瓶やから
侍と兵士たちは平時の仕事が警察·消防·揉め事の仲裁と役場みたいな職務内容やから殿様は大名なんよ。
盗賊や山賊やわけわからん輩がハバ効かせている土地に住める?
浅井さん、朝倉さんとは仲良しだったと歴史の、本やドラマではそうだったみたいよ、でも、朝倉さんと浅井さんとは同盟じゃあなかったのかな?初耳です、
いきなり臣従するのは不自然だと言うけど信長に攻められるという危急存亡の一大事の中での話だからより結束を深めるという意味で臣従という形を取るのは不自然と思わないな
日本の歴史研究の問題点は、有名な歴史研究家の先生が新たな歴史見解を出すと、それが本当に正しいのか考察もせずに、信じ切ってしまうところにある。
日本の風潮として、名のある先生の言うコトなんだから正しいとなってしまうが、それは間違い。
本当に正しいかどうかを、大勢の専門家を交えて議論する必要があるにも関わらず、日本の歴史研究はそれを怠っている。
新説が出る度に、話題欲しさに飛びつく輩(出版社・マスコミ・ユーチューバー)が多いから、こうなってしまう。
新説の方が、歴史著書は売れるし、ユーチューバーも数字を稼げるでしょう?
研究したけど、旧来の説の通りでした……は、金にならないからね。
中国などは、曹操の墓が発見されたときには、DNA鑑定まで行って、誰が血の濃い子孫なのかまで付き止めている。
日本も、新説が出た途端に飛びつくのではなく、じっくりと新説が正しいか検証をした上で、語って欲しい。
そうじゃなきゃ、歴史小説や軍記物となんら変わりないですよ?
日本の歴史研究の問題点とか言ってるけど、学会の事何も知らないの丸わかりですねw
金儲け批判も、実際歴史の書籍がどれくらい売れてどれくらいの収入になっているのかの実態も知らないで、安易に金儲け批判しててしょーもないw
こういう自分の愚かさも省みずに、人のやってる事に安易なレッテル貼りしてる人はどの界隈でも邪魔者なんだよね。
大した知識もなく、つける努力もせず、自分より秀でた事をする人間をペラッペラの一般論で貶めようとする…
本当しょーもなw
シエの歴史考証を担当したと聞くと胡散臭くなるなぁ
んわ
とくに黒田氏は、現在発見されていないコトを、正しいに書き換えている節が見受けられる。
長い歴史の中で、火災や戦果などで失われた1次資料も、たくさんあるのは明確だ。
価値のわからない子孫が、捨ててしまった手紙などもあるだろう。
昔の歴史家は見れていた1次資料で、現在は失われてしまった資料も山のようにある。
現在発見されていないコトは、それ以上でもそれ以下でもない。
わかり易い例として、真田幸村の正しい名は信繁とされるが……。
武田が滅んでいた人質時代以降も、武田に通じる名を延々と使い続けたのか?
真田の通字である幸の入った、幸村に変えたと言うのは、当然考えられる。
今では失われてしまった、幸村に変えた資料を見た人間が、幸村として軍記物を書いた可能性もあるワケ。
武田家臣の秋山信友も、黒田氏は虎繁が正しいとされるが、追放した信虎の編諱を、信玄時代にも使い続けるモノだろうか?
書状に書かれたのが虎繁だったとしても、大名ならまだしも、家臣までもがころころ替えた名前を書状にしたためるのは、混乱を招くから元の名を使い続けた可能性もある。
1次資料が見つかっていないからと言って、幸村と呼ばれていなかったとはならない。
あくまで発見されていない(現在までに失われた)だけで、発見されていないから今までの名は間違いだと決めつけるのは、あまりにも横暴なのだが。
目先の数字が欲しい人に、言っても無駄か。
こっちのコメントも相当酷いなw
見つかってない史料の可能性言い出したら妄想と変わらないじゃんw
結局自分の知ってる歴史の話を覆されたくないだけでしょ。
それこそが一番の横暴だよ。